第11話
プラムはまだ俺について色々聞きたい様子だった。
「隊長は、でもペーパーテストが駄目でも模擬戦で指揮をすれば凄かったとか? ガレ中隊長との戦いではとても順位が低かったなんて信じられないですよー」
「そもそも指揮する機会が殆ど無かったよ」
プラムは成績上位だから普段から隊長や司令官役をしていたのだろう。
しかしペーパーテストで成績不良の俺は末端の兵士役以外殆どした記憶が無い。
インフルエンザが流行った時唯一、司令官役をした経験があるくらいだ。
あの時は四五〇〇人ずつの二チームに分かれたが、チーム決めが終わった後に次々こちらのチームの司令官役や隊長役が休んだ。
もう勝てるわけが無いと誰も司令官役をやりたがらず、急遽俺が押し付けられた。
「うー…………隊長からは何か凄いっていうニオイは感じるけど分からないよー」
頭に手を当ててムムムと考え、しかしすぐショートしてしまうプラム。
目をぐるぐる回す姿が微笑ましい。
別に凄いことなんて無かったんだけどな……と思いつつ俺はもう少し過去の話を明かすことにした。
アーネは一般の中学校に進学し、子供っぽさが抜けつつあった。
肩までの雪色の髪とツンとした鼻、そして優しい瞳。
誰にでも優しく接してくれるから俺としても居心地が良かった。
ある時アーネと遊んだ帰り、家の前で別れようとした時、家から怒鳴り声が聴こえてきた。
そして玄関から出てくる来訪者達。
研究の関係者だ。
ウチの母親が叩き出していた。
話が徐々にこじれつつあるのだろう、と思った。
アーネは心配してくれた。
「ハロルド、大丈夫なの?」「うーん、ちょっと怪しいね」
俺は率直な感想を漏らした。
正直者は損をする、を地で行くタイプなのだ。
損の貯金ばかりが貯まっていくが、いつかおろせるのだろうか。
できれば利子もつけて欲しい。
この日、母に初めて研究について訊いてみた。
詳しい事はやはり話せないという。
しかし、たまに来る訪問者については教えてくれた。
何年も掛かる大きなプロジェクトの誘いだそうだ。
まだあやふやな話だが、それが決まれば親子は離れ離れにならなければいけないという。
行き先自体が守秘義務を課せられ、子供は連れていくことができないのだそうだ。
だから両親は頑なに反対しているが、しつこく誘ってくるのだという。
今日は脅しにも似たことを言われたので母が叩き出したとか。
俺は、不穏な空気を感じ始めた。
それから一ヶ月経過した頃。
アーネと街を歩いていたが、彼女が急に険しい顔をした。
「ハロルド、誰かに尾行されている」「え……?」
困惑する俺の手を取ってアーネが走り出した。
普段通らない小路を幾つも通って逃げていく。
そして振り切った。
息を切らせて二人で見詰め合った。
恐怖が終わると無性に笑いたくなった。
でも甘かった。
大きな道に出ようとしたら、今度は大勢に追いかけられた。
敵は組織的なもののようだった。
それまでよりも恐怖が大きくなった。
やがて廃工場に追い詰められた。
工場の中には巨大な機械が点々と鎮座していて、その陰に隠れた。
ぞろぞろと工場の中に入ってくる追手。
姿もよく見えない者達に追われる恐怖。
アーネが必死に声を殺して泣くのを堪えているのを見て、俺は決心した。
〈アイ〉を発動、身体強化。
周囲の機械の形状や配置、それから建物の二階程度の高さにある窓を確認。
アーネを抱き上げ、跳んだ。
機械を飛び移っていき、魔法の矢で窓を破壊する。
そして工場の外へ身を躍らせた。
浮遊感にひやりとする。
そして魔法障壁〈加護の戦衣〉に集中、着地。
それでも足に鈍い衝撃。
そのまま走った。
走って走って、今度こそ本当に逃げ切った。
俺とアーネは公園に辿り着き、芝生で大の字になった。
気が抜けたアーネは泣いて、それから笑った。
俺も笑った。
冒険みたいだ。
母は脅しにも似たことを言われた、それが関係しているのか。
不穏な空気はじわじわと顕在化してきていた。
「ハロルド、護衛をつけたわ」
翌日にはアーネはボディガードを雇っていた。
そして俺まで守ってくれるという。
彼女の行動力は凄い。
率直に尊敬した。
尾行に気付いた時も、アーネは俺の手を取り走り出した。
小さい時から彼女は俺を引っ張ってくれていた。
彼女は〈アイ〉が使えなくても〈アイ〉が使える俺より強い存在に見えた。
何一つ良い所の無い俺の手を取って、引っ張ってくれる存在……そんな彼女は心の中で広い領域を持つようになっていった。
「そ、それって恋の予感ですかー?!」
プラムが爛々と目を輝かせて俺の顔を覗き込んできた。
「いいいいや、いや、恋、ここ恋とかではないと思うぞ? 尊敬するというか……」
言語不明瞭になってしまう。
正直者は損してばっかりだ。
「隊長に幼馴染枠……今でも連絡取ったりしてるですかー?」
「いや、その後状況が変わってね。彼女の家の会社が何故か急に倒産してしまって、引っ越してしまったんだ。その時はまだ連絡を取り合っていたんだけど、二回目の引っ越しの時は兄貴から聞かされてね、遠い外国に引っ越すから場所は言えないって話だった。だから今はアーネがどこにいるか分からないんだ」
「あぅー……」
「軍学校卒業してラドクラン軍に入って、今年になって親も折れて大きな研究に参加することになった。それで俺と兄貴はリノロスにやってきたんだよ」
「あううぅ酷いですーごめんなさいボクはしゃいじゃって……」
涙目で俺の服をきゅっと掴むプラム。
我が事のように悲しんでくれている姿に胸が温かくなった。
俺は自嘲気味に笑ってプラムの頭に手を置いた。
理不尽はいつだって呼んでないのにやってくる。
それを避けるお札でもあればバカ売れするのに。
「話は色々脱線したけど、こんな感じだ。済まんな、ちょっと家族仲良くって話にはならなかった。何と言うかさ、バラバラになってしまったからこそ、もう一度一つに、みたいな? そんな意味での、家族仲良くって気持ちなんだ」
それが叶うかというと極めて難しいところだが、気持ちとしてはそうだ。
「もう一度、一つに……」
プラムは呟いた。
水面に氷が落ちたように心が波打ち、馴染ませようとしているような様子だった。
この娘も何かしら抱えているのかもしれない。
その後の巡回は、街並みが何となく迷路みたいに思えた。
清潔で格式の高いレストランの店内は紳士淑女で溢れている。
任務の後、俺とエレノアとプラムはヘマシュとの待ち合わせに向かった。
そして連れてきてもらったのが普段は絶対入らないようなレストランだった。
軍服だったのはむしろ俺的には助かったかもしれない。
私服だったら怖くて入れない。
「コースにしたので何か追加したかったら遠慮なく言って下さいね!」
ヘマシュが満面の笑みで言う。
それから料理が運ばれてきて、俺とプラムは四苦八苦。
エレノアはテーブルマナーに慣れているようで淡々としていた。
「もう一年ぶりね、ヘマシュ」
エレノアの言にヘマシュはゆっくり頷く。
「卒業以来じゃない。今副長なんだって? しっかりやってる?」
「まだ結成したばかりの中隊だけどね。でも今までだって小隊を率いてきたんだから、きっちりやってみせるわ。ヘマシュの方はどう? そっちの世界も大変でしょう?」
「お陰で笑顔のまま顔の筋肉が固まってしまったわ。お酒もダンスもうんざり。寝台には枕が二つあるんだけど、用途は何だと思う? 一つは私の頭を乗せる用、もう一つは私の拳を受ける用」
ヘマシュは大仰に肩を竦めた。
エレノアは口に手を当てて笑った。
「なあに、それ! 『もう一つは私の大切な人用』じゃないの?」
「冗談! 私と五分以上話がもつ紳士はいないわ」
「それこそ戦術の出番よ!」
二人の会話はあっという間に熱気に包まれた。
一年間という空白をものの一分で踏破してしまった。
長らく会っていなかったとはいえ親友とはこういうものなのか。
俺とプラムは会話には入っていけなかったものの、このやりとりを見ているだけでも楽しかった。
こういう店に来ると格式に緊張して味が分からなかった、という話はよく聞くが、リラックスできたので料理の味も楽しめた。
野菜は鮮烈で濃厚な味が広がっていったし、肉はまさに舌の上でとろけて口いっぱいに旨みが撫でていった。
食事が終わると最後に珈琲が注がれていく。
そこまでエレノアとヘマシュの会話が途切れることはなかった。
巡回中の物盗りがきっかけという偶然。
もしやと思って声をかけたのだが、こうして二人を見ていると良かったと感じる。
だが、感慨にふけっていると微妙な変化に気付いた。
エレノアが戦術指南書(中身は別物)を取り出した途端、ヘマシュの顔が曇ったのだ。
「ねえヘマシュ、昔みたいに戦術談義しましょう! 学校ではよくやってたでしょう」
「えっ……それは、ちょっとやめておくわ。はしゃぎすぎよ」
今までのはしゃぎぶりからは想像できないほどヘマシュが遠慮がちになる。
「昔はそんなこと気にしなかったでしょ? ルールはお店じゃなくて私達、それが合言葉だったじゃない」
「私達はもう子供じゃないのよ……そんな本、しまいなさい」
ヘマシュの腕が微かに震えているのが見えた。
たぶんテーブルの下ではぎゅっと拳を握っている。
エレノアは焦るように身を乗り出した。
「そんな本っ……て、これを教えてくれたのはあなたでしょう? そっちの世界が嫌ならこっちに戻ってくれば良いじゃない」
「そんなもの、娯楽でしょっ……!」
ヘマシュが耐えかねたようにキッと睨みつけた。
エレノアが信じられないという風に目を見開く。
「ごら、く……?」
「私はそんな娯楽にかまけていられないの! そんなものより社交界でどうしていくかを考えなければならないの。エレノアこそ、いつまで娯楽に夢中になっているの? 軍の退役までいたらあなた物凄い出遅れスタートになるのよ? あなたこそ、いるべき場所はこっちの世界でしょう? 悪いことは言わないから戻ってきなさい」
「私は女性初の軍参謀長になる! ヘマシュもそれは良い一緒に目指しましょうって言ってたじゃない!」
「夢なんか見ていたら家に迷惑をかけてしまうのよ! 夢なんてその下らない本と一緒にバセラ川に流してしまいなさい!」
ヘマシュの厳しい言葉にエレノアは愕然とした。
そして俯いてわなわな震えると音を立てて席を立った。
「娯楽じゃ、ない……下らなくなんか、ないっ!」
そのままエレノアは走って店を出ていってしまった。
俺はプラムを連れて急遽エレノアを追うことにした。
出て行く時ちらりと振り返ると、ヘマシュは意図せず他人を傷つけてしまった時に後悔するような辛そうな顔をしていた。
エレノアを追っていくと小さな公園で見つけた。
消沈し俯いてブランコに乗っていた。
俺はプラムを帰らせると、ブランコに近付いていった。
そしてエレノアの隣のブランコへ腰を下ろす。
「すいません隊長……『下らないから良い息抜きになる』って言おうとしたのに、できませんでした」
洟をすすりながらエレノアが呟く。
俺は星空を見ながら言った。
「そういう時もあるさ」
「違うんです。他の人だったらたぶん、大丈夫だったんですけど……ヘマシュだったから……アレを教えてくれたヘマシュだったから、哀しかったんです。最初の頃はヘマシュはアレについて幾らでも楽しげに語ってくれたのに、どうしてそんなに好きだったものを否定するようになっちゃったの……って」
「それはキツイよなぁ……何かキッカケがあるのか」
大好きだった物が逆転する。
それはよっぽどのことだ。
「隊長に最初にヘマシュの話をした時は、隠していたことがあったんです。ヘマシュとは軍学校卒業前にケンカ別れしていました。今日会って、もうお互いに許せるんじゃないかと思ったんですけど、ダメでした……」
「そうだったのか」
「どうしてでしょうね……最初は二人であんな攻めやこんな受けが良いとか妄想しながらいつまででも戦術論を語り合っていたのに。ヘマシュはこの世界に引き入れてくれた師匠みたいなものなんです。でも一年もしたらヘマシュが急に『もうこんなことやめましょう私達は社交界に出るのだから』って言い始めて。私は梯子を外されたみたいな気持ちになりました。てっきり二人で軍参謀長を目指すものだと思っていたので。どっちが先にその座に着くか競争だねって言っていたので。私は師匠であるヘマシュがいなくなってしまったらどうしていいか分からない。所詮私達の力では夢を見るのも無駄だから諦めた方が良いとヘマシュが言いたいのかもしれない、でもそれなら限界まで頑張ってみてからでも遅くないじゃないですか。でもそうして食い下がったら……」
それからエレノアはブランコの鎖をぎゅっと抱き締め、自身を傷つけるように言った。
「……たかが娯楽に本気になるなって、言われたんです」
俺はかける言葉が見付からず唸ることしかできない。
「それで、私はたかが社交界に……って返しました。売り言葉に買い言葉。ヘマシュは金の力でBLを目の前で実現させれば良いじゃないと言い、私は妄想するから良いんだ実現させたらただの変態だと罵りました。ヘマシュはあなただって変態じゃないか妄想するために戦場に行くなんて不純すぎると罵りました。その言葉が私の耳に焼きついたように残っているんです。だから私は自分の進む道に自信が持てなくなりました、動機が不純だから……」
動機が不純。
これは思った以上に根が深いものだったのか。
俺が単純に彼女を認めてあげるだけでは、足りないのかもしれない。
ブランコは頼りなさげに揺れていた。
エレノアと別れて帰り道。
何か彼女にかけてあげられる言葉は無いかと街並みにヒントを探しながら歩く。
思えば道行く人を観察するのなんて、こういう時でもなければ無いような気がする。
ラブラブに見えるカップルはエレノアみたいに落ち込んでいる時にうまい言葉をかけることができているからそうなっているのだろうか。
いや、俺はラブラブを目指しているわけじゃなくて同僚として、だけど。
いやいや、そうなったらなったで悪くはない……か?
不意にヘマシュに『隊長が副長に手を出すなんて』と言われたことを思い出した。
響きがエロい。
『たっ隊長、今は任務中ですっ』『ちょっとくらい良いだろう、ほら』『ああっ隊長っ』なんてね!
急に妄想が加速。
そして終了すると急激に自己嫌悪に陥る。
バカだ俺……
眉間を揉み、また道路を見渡した。
数人ではしゃぐ子供たち……はこんな悩みがあるだろうか。
まあ子供にも色々あるんだろうけど。
俺達くらいの年代の女の子が笑い合いながら二人で歩いているが、エレノアとヘマシュみたいなやり取りも経ているのだろうか。
表面からでは分からないよな。
みんな、どうしてるんだろうな。
日々抱える悩みをどうやって解決してるんだろう。
自分の接している世界で完結できなくなると、その外が気になり出す。
そうしていると、揉めている男女を見付けた。
男の方は見たことあるような気がする。
女は指を突きつけ厳しい罵声を浴びせた後、男を平手打ちした。
それから捨てゼリフを吐いて去っていった。
男は尻餅をついて苦笑していた。
男が立ち上がるとこちらと目が合った。
そしてはっきりする。
男はアルフだった。
ガレ中隊にいた小隊長・アルフだ。
爽やかイケメンである。
「どうも、恥ずかしいところを見られちゃいましたね」
アルフは頭を掻きながら言った。
「いや、まあ……災難だったみたいだね」
「僕が悪いんですよ、僕が悪いんです。自業自得ですよハハハ」
「自業自得なんてそんなこと」
「『僕は五人を平等に愛しているんだ』と言って殴られたんですから」
「そんなこと……あるな」
うん、それは君が全面的に悪いね。
というかなんだよ、意外に爽やかじゃないじゃん。
「そうそう、オグカールがネイダのことを心配していましたよ」
唐突に出てきた名前に俺は頭を整理する。
オグカールはアルフと同僚、オグカールはネイダと同門だったか。
「心配?」
「オグカールがクローガ師匠の見舞いに行ってきて、師匠がネイダと会ったという話を聞いてきたそうです。でも師匠とネイダが和解には至らなかったと。あ、ちなみに僕もクローガ師匠の道場で育った同門です」
「ああ、そうか……オグカールが師匠のお見舞いに行ってくれと頼んできて、それで行ったんだよな。その後オグカールも見舞いに行ったのか。師匠とネイダが和解できなかったというのは、どういうことだ? あ、あれか、師匠との勝負でわざと勝たせたっていう」
ネイダは師匠とよそよそしい感じだった。
それはやっぱり、二人の間に溝があることを示していたのかもしれない。
「ええそのことです。ですが……それって不幸なすれ違いなんですよ」
その言葉に俺は、えっ? となった。
「不幸なすれ違い?」
「そうです。ネイダがオグカールに抱いている思いと師匠の思惑にずれがあることが一番の問題なのですが……それが伝わっていないのです」
閃きに似たようなものが俺の頭を駆け巡った。
ネイダの問題を解決する鍵を、目の前の男は握っているんじゃないだろうか。
だが、深いところを俺が突っ込んで聞いてしまって良いのだろうか。
ネイダが触れてほしくないと思っていたら?
そんな心配をしてしまう。
逡巡している内にアルフの表情に気付いた。
何かを期待する目をしていた。
「俺は……第三者だぞ?」
確認の言葉を投げ掛けると、アルフは口の端を持ち上げた。
「第三者が入った方が解決する場合もあります。仲間内だからこそ伝えられない、伝わらないこともあるのです。師匠にはもう時間がありません。お願いできますか?」
ちょっとずるい頼み方だ。
しかし、ネイダの辛そうな表情を思い浮かべたら。
俺は覚悟を決めてその先を聞いた。
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