第9話
衝撃のカミングアウトをしてしまったエレノア。
彼女はぼんっと蒸気が出そうなほど顔を上気させた。
「表紙だけ『掌握戦』で、中身は……美少年同士が戦術を語り合っているのですが、イラスト付きで『ここをこう攻めたらどうかな?』『うっ……そうくるか、なら僕は』みたいに裸で絡み合っていて……私は最初戸惑いました。ヘマシュが、このようなものを愛読していたなんて……! でもこれが高得点の秘訣なら……と読み進めたのです。いつしか抵抗は無くなり、それどころかハマッてしまいました。自分でも気付かない内にニヤけてしまうようになり、遂に授業の時に『ふへへ』と声を出してしまいました。それでクラス中にからかわれたのでトラウマになっています」
そうか、『ふへへ』もそんな経緯があったのか。
あの姿を見られた時何でもするから誰にも言わないでくれと懇願してきたのもトラウマがあったから、か。
しかし、これは予想外だった。
BL本ときたか。
俺が沈黙していると、エレノアは急に悲しげな表情になってしまった。
「私のこと、軽蔑しますか……? 私は戦術マニアと言っても動機が不純なんです」
彼女は巣穴で肉食獣に怯えるウサギみたいに震えた。
俺は短く応じる。
「不純だね」
エレノアはビクッと肩を震わせ、拳を強く握った。
「っ……! やっぱり、そうですよね……私みたいに不潔な思考で戦術を提案されても隊長だって嫌ですよね……私なんか」
何かに懺悔するように嗚咽交じりに自虐の言葉を吐き出していく。
だが俺はそれを遮って言った。
「でも、趣味が高潔である必要は無いだろう?」
「えっ……?」
彼女は何が起こったのか分からないという風にこちらに顔を向けた。
「誰かに迷惑をかけた訳でもないし。むしろそのお陰で戦術に熱中できるようになったんでしょ? 学年二位までいったんだよね? 大したもんじゃないか。俺は趣味を下らないって言われても怒ったり悲しんだりしないんだ。『その通り、だからいい息抜きになるんだよ』って返すね。そのぐらいのつもりで、良いんじゃないか?」
確かに驚きはしたけど、俺としては問題無い。
俺には過程への拘りがあまり無いので、彼女が有能な参謀だという結果の方を大事にする。
エレノアは初めて見る異国の料理を咀嚼するように、ゆっくりと言葉を噛み締めた。
しばらくして、彼女はスンと鼻を鳴らした。
目の端には涙が溜まっていた。
「…………こんな風に言ってもらえたの、初めてです……ありがとうございます!」
「俺は大したことを言ったわけじゃないさ。頼りにしているよ」
すると彼女は嬉しそうにして拳を作り、頑張りますと意気込んだ。
公園から出たところでエレノアが向かいの通りを指差した。
「あの通りを曲がるとラ・ベルデがあるんです。ほら、ガレ中隊と模擬戦をするきっかけとなったケーキの。あそこってオグカール小隊長がバイトしているんですよ。彼はネイダと同じ剣術道場に通っていた、同門なんです」
俺は驚きで何度も瞬きをした。
野獣みたいなオグカールが、ケーキ職人?
エレノアは次の用事があるとのことで、ここで別れた。
店舗は盛況、清潔かつファンシーな門構えの建物にはひっきりなしに甘味を求めるお客が訪れている。
俺はラ・ベルデに立ち寄ってみた。
ショーケースを屈んで吟味しているご夫人がこっちとこっちで迷うわねと決められないでいたり、小学生くらいの女の子が指を加えて端から端までわあーと感嘆しながら確認していたり、二十歳くらいの女性三人組が思い切ってこっちの高いの頼んじゃおうと盛り上がっていたり。
店員は大忙しだ。
ざっと百種類はありそうなので迷っていると、隣から声をかけられた。
「ありがとう、奢ってくれて」
それはネイダだった。
今日は青白い髪はリボンで大きな房に纏められ、サイドに垂らしていた。
陶磁器のような肌で感情の乏しい表情だが、微かに小悪魔の微笑を湛えていた。
「やあネイダ。君も冗談が言えるんだな」
俺は自分の財布を防衛するためカラカラと笑う。
ネイダは僅かに目を細めた。
逃がさない、そう呟いているように見える。
そこで奥からオグカールがショーケースの所まで出てきたので、すかさず俺は声をかけた。
オグカールはこちらに気付くと豪快に笑う。
「おお、お主らが来るとは思わなんだ! オープンテラスで食っていくか?」
他の店員は華奢で繊細な作業に向いていそうだが、彼は他より二回りほどでかいし、あんなにごつい手で丁寧にケーキを扱っているのは奇妙な光景である。
ネイダがさっそく注文を始めようとしたので俺は遮って話した。
「オグカールはネイダと同門なんだって?」
「おうよ、ネイダとは永遠のライバルみたいなもんだ! ところでネイダ、最近師匠の見舞いに行ってないだろう? 寂しがっていたから行ってやっちゃあくれないか」
オグカールが話を振ると、ネイダは珍しく歯切れが悪くなった。
「え? いや、その……」
「どうした?」
俺が聞くと、ネイダは諦めたように言った。
「うん……行く。見舞い、行く」
苦手な食べ物だけどおもてなしとして出されたものだから食べなきゃ、みたいな消極的な義務感が出ていた。
俺は、彼女が行きたくない方向へ背中を押してしまったのだろうか。
でもネイダはそれには触れず、持って行くためのケーキを選び始めた。
ネイダについてきてと頼まれて、俺もお見舞いに行くことになった。
俺は荷物もあって家に持って帰りたい気もしたけど、この空気だと何となく断れなかった。
病院への道すがら、ネイダは訊いてきた。
「知りたい。隊長のこと」
「俺のこと?」
隊の皆と触れ合うようになったが、もう少し踏み込んで知りたくなったのかな。
「隊長は不思議。不明。よく分からない。外国にいた時のこと、知りたい」
ネイダの瞳は真摯だ。
軽はずみでパーソナルスペースに踏み込みたいんじゃない。
俺はその目の奥を見るように視線を合わせたが、その奥にはある感情が見て取れた。
不安。
不安なんだ。
俺のことがよく分からなくて。
模擬戦の後みんなにさんざん不思議がられた。
七六五三位なんて嘘じゃないですか、本当は何か隠しているんじゃないですか? って。
順位は本当のことなんだけど、どうも納得してもらえなかった。
じゃあ何か秘密があるんじゃないか、みたいな空気が今小隊長達の中で流れている。
それに、俺は元外国人だ。
リノロスにはつい一週間前移住してきたばかり。
それまでは大国ラドクランに住んでいた。
そんな俺はミステリアスに映っていてもおかしくはない。
ここらで話しておいた方が良いか。
「そうだね、俺がラドクランにいた時のことを話そうか」
俺は街並みから遠くへ視線を移しつつ話し始めた。
俺はリノロスの生まれじゃない。
大国ラドクランで生まれ、ラドクランで育った。
リノロスには軍学校を卒業し更にラドクラン軍で一年間過ごした後、移住してきたのだ。
リノロスの北にオルトレアという国がある。
更にその北がラドクランという位置関係。
両親は研究者だった。
二人は最初別の部署にいて、顔も知らなかったらしい。
ある時大きなプロジェクトが発足し、互いの部署が協力するようになった。
そしてちょくちょく顔を合わせるようになり、付き合い始めた。
父はよく言っていたが『お互いに別々の研究をしていたから良かったんだな! そうでなかったら付き合っていなかったよ』だそうだ。
母も似たようなことを言っていたが『お互いに全く別の研究をしていたから良かったのね。同じ研究をしていたら、口出ししてしまうもの。喧嘩になるわ』とかなんとか。
父は色んな事に無頓着だった。
言わなきゃ風呂に入らないし服は脱ぎ散らかすし、髪はボサボサだし。
そして地味な作業を何時間でも続けていられた。
物質の変化を観察するために椅子に座ったまま十八時間動かずにいたこともあるらしい。
母は逆で何事もきっちりしていた。
父のダメ人間な所を頭のてっぺんから足の先まで一つ一つ注意し、髪を整えさせ風呂に放り込み、服も脱ぎ散らかさないように教育した。
そして父とは対照的に豪快だった。
結果が出ない研究に逆ギレして機材を叩き割ったことが何度もあるとか。
でも、二人とも研究熱心なのは共通していた。
家は、最初は小奇麗な割と良い家に住んでいた。
母はなるべく夕食までには帰ってきて俺と一つ上の兄のためによく夕飯を作ってくれた。
だがある日、家は炎に包まれた。
顔も知らない男が家にやってきて、怒鳴り散らしながら家を占領。
壷から液体を撒き散らし、火を点けた。
その男は研究者の仲間で、母に密かに想いを寄せていたらしい。
母は俺の父と結婚してその男の想いは叶わないものとなった。
しかし叶わない想いは燻り続け、いつしか黒く燃え上がってしまったのだろう。
男は火だるまになって家と運命を共にしようとしていた。
その時家には俺と兄しかいなく、自室に取り残された。
炎の舌は次々と家中を舐め回し、俺達は抱き合って死を待っていた。
救世主が現れた。
窓を蹴り破り室内に父が入ってきたのだ。
ダメ人間な父も、こんな時は男だった。
奇跡的に早期の消火が行われ、放火の男も一命を取りとめた。
ウチは引越しを行った。
思えば俺はその頃から既に変わり者だった。
兄ファルナム・ロックスは俺に向かってこう言った。
「ハロルド、恋愛ごときで火を点けるなど馬鹿げている! 恋に燃えたんだか何だか知らないが、自分が炎に呑まれてしまったじゃないか!」
俺はこう返した。
「消えたのかな、炎……」
家の火は消火され、消えた。
あの男も一命を取りとめた。
恋の炎に身をやつしたあの男の火は、消えたのだろうか?
「気になったの、そこなの? 隊長、変。とても変」
非難なのか単純に奇妙だと思ったのか分からない調子でネイダが感想を漏らす。
俺は苦笑した。
物理的な火は消えた。
でも物理的じゃないものはどうやって確認したら良い?
燃え上がって火ダルマになってまで遂げようとした想いはどれ程のものだったんだ?
自分が水をぶっかけられて火が消えていく時、どんな気分だっただろうか?
「しょうがないじゃないか、気になったんだから」
「でも、隊長のこと、少し分かった。その…………ありが、と」
少し俯き、上目遣いのネイダ。
これは恥ずかしさが出ているのか?
ありがとうを言うのに妙に躊躇ったし。
締め括るために俺は簡単にその後のことを話した。
「放火された家は保険がどうとかで我が家の財政が随分苦しくなってしまったらしい。引越し先は質素な家だったよ。そこで幼馴染と出会った。隣の家に住んでいたアーネという女の子が俺と同い年だったな。んで小学校に入って軍学校入って、ラドクラン軍も一年経験した。そしてリノロスにやってきたって感じだね」
するとネイダは珍しく拳を作って身を乗り出した。
「幼馴染! コイバナ、聞きたい!」
表情的にはやはりそんなに感情が出ていないように見えるが、雰囲気は熱烈だった。
「別にコイバナでもないんだけどね……」
締め括ろうと思っていたが、無理のようだ。
仕方が無いので、小学校辺りまでのことを話し始めた。
隣の家の女の子とよく遊んだ。
名前はアーネ。
快活で彼女が常に主導権を握っていた気がする。
「ハロルドー遊びに行こうよ!」「うん、行こう!」
彼女の家は流通の中堅会社を経営していて裕福だった。
よく二人で遊び、お菓子屋さんで買い物。
アーネはいつも分けて食べられるものを買っていた。
一つの包みに二本入っているロール菓子、二つに割って分けられるチョコ、簡単に割れる大きなえびせん。
公園で二人で食べる時、ロール菓子なら一本くれた。
チョコなら二つに割って、片方をくれた。
えびせんは大雑把に割って、大きい方をくれた。
俺は自分の買った分を食べ終わると、それを受け取って食べた。
「半分こだよ、えへへ」「半分こー!」
そうやって二人で食べるのがとても幸せだった。
自分で買ったのよりアーネと分け合って食べるものの方がおいしく感じた。
彼女と並んで座り笑いあったこと、分け合って噛み締めた幸せの味は、記憶の深い所に最も大切なものとして保管されている。
当時は恋愛とかそんな感覚もなかったから、とにかく優しい娘……そういう認識だ。
一緒に小学校に通うようになって、その頃は兄も含めて三人で遊んでいたな。
小学校では俺は浮きまくりだった。
アーネと兄以外と遊んだ記憶が無い。
早くもぼっちの才能を開花させつつあった。
それくらい変わり者だった。
小学校二年生の時。
簡単な宿題だった。
【我が国ラドクランは建国から三二〇年です。建国二八年目、首都エルマールは大火に見まわれてしまいました。これは凶悪な連続放火魔によって引き起こされた痛ましい事件です。たくさんの死傷者を出してしまったこの時の惨事を悪しき連続放火魔の名前を取って『○○の大火』と言います。この○○を答えなさい】
社会の教科書を見れば載っているレベルの問題。
だが帰り道、壁に貼られているポスターの群れを見て閃いた。
「俺は今から予言者になる! 人類滅亡の日を当てる予言者になるぞ! ふふふ、手始めに宿題を教科書を開かずに当ててやろうではないか……!」
ビシリとポスター群を指差す。
ポスター群は壮年の男性や女性がやや斜めからの笑顔で写っていたり、幾つかの文言に囲まれていたりした。
こんな公共の場で貼り出されているような奴らだ、悪しき連続放火魔の一人くらいいるかもしれない。
予言が的中しクラス中の皆が羨望の眼差しを向けてくるのを想像してワクワクした。
フィーリングに従って一人を選び抜き、その場で宿題の○○を埋めた。
そして次の日の学校。
「悪しき連続放火魔の名前を取って『ゴンザレスの大火』……って現大統領だよこれ!」
担任の先生が声を裏返していた。
予言者にはなれなかった。
ある日、俺は自宅で儀式を始めようとしていた。
自室に大きな黒い板を敷き、そこにチョークで魔法陣を描いた。
幾つかの本を読んでいる内にどうせなら、と掲載されている魔法陣を合体させて描いてみた欲張りな一品。
魔法陣の中央には鳥を載せた皿が置いてあり、俺は胡坐をかいてそれを見詰めている。
「俺は今日から悪魔を操る悪魔王になる! 手始めに悪魔王を召喚して……」
『ハロルドー、アーネちゃん来たわよー』
部屋の外から母の声がしたが、意識が別の所へ集中していたためスルーした。
「待てよ……悪魔王を召喚したら悪魔王の俺と競合してしまうではないか。まだ俺には戦力が足りない、まずは下級悪魔を従えて……」
外からぱたぱたと足音がするが、騒々しいな、程度にしか思わなかった。
母が戸を開けて入ってきたらやだなとは思う。
誰かに見られたら儀式も失敗だし、社会的に死ぬ。
母の憐れむような目が頭に浮かんだのでさっさと儀式を始めよう。
さぁ詠唱開始だ!
「奈落に住まう異形の者共よ、今こそ我の声に従いこのエルサリカの地へ」
「ハロルドー遊びに来たよぉ!」
「舞い降りれりらああああぁ――――――――――――っ?!」
ガラガラと戸をスライドさせる音と共に姿を現したのはアーネ。
その時俺は魔法陣中央の皿から鳥(のからあげ)を天に掲げているところだった。
「ちょ、ちょっと何ダークな儀式してるのー?!」
悪魔王にはなれなかった。
別のある日、俺は学校正面のガラス扉を雑巾掛けしていて思った。
「俺は将来人間国宝のガラス職人になってやる! 手始めにここをピッカピカにしてやろう!」
しかしどんなに頑張ってもガラス扉はピッカピカにはならない。
本を読み漁り、生活の知恵を片っ端から実戦していった。
すると今度はガラス扉がそこにあるのか判別し難い程ピカピカになった。
「うん、流石人間国宝……」
審査員になったつもりでガラスの透明度を絶賛。
気分は既に人間国宝を通り越し惜しまれながら引退、重鎮の審査員に就任していた。
フッ良い仕事だ……と呟き悦に入る。
掃除は昼休みの終わりに設定されていた。
よって一旦教室に戻る。
午後最初の授業は体育。
この時グラウンドに出るまでクラスの男子達は誰が一番早く到着できるか競っていた。
着替えるやすぐに俺ともう一人の男子が教室を飛び出す。
「負けねえ!」「俺が一番だ!」
廊下をひた走る二人。
この時俺は僅かに遅れていた。
しかし下駄箱に来て上履きから履き替える所で妙案を思い付いた。
俺は上履きを下駄箱に乱暴に突っ込むと運動靴を持ち、靴下のまま駆け出したのだ。
競争相手は運動靴を履こうとしながら『そんな手があったのか!』と目を剥いていた。
俺はそんな競争相手の驚く顔を楽しみ、歓喜していた。
これで一位だ!
「靴を履くのをショートカットするとは思わなかっただろう! これで今日の一位はこの俺だ! やったぜ! やったぜ! やっ――」
ビタン、という音を激しくしたものが響き、俺はコンマ五秒空中で大の字になった。
その後ずるずると崩れ落ちた。
か細い声で『ふぶるすく』という感じの声を漏らした。
下駄箱を出た所の正面ガラス扉は観音開きで片側のみ開放しておくのが慣習であった。
競争相手に気を取られた上に、妙案を思い付いた高揚感でガラス扉の透明度に気付かず、開放されていない方に激突してしまった。
何も無い所でぶつかった感覚だった。
ガラス職人は危ないのでやめた。
「隊長、おか、ふふ、おか、しい……ふふ」
ネイダが目に涙を溜めて笑った。
ああ、こんな風に笑うのか。
表情がこんなに動いたのは初めて見た。
鈴を転がすような声だが、鈴を元気に揺らしているみたいだった。
「まあとにかく、超絶変わり者だったってことだよ」
「隊長、面白い。印象、変わった。隊長は不思議。でも不明じゃなくなった」
今までよりも微笑らしい微笑をネイダが見せる。
不明じゃなくなった、か。
話してみて良かったな。
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