第12話 楽しい時間

「今週はやけに長かったなぁ」


 目が合うようになってきた息子の小さな手をツンツンと突きながら、アルトは独り言のように零す。少しだけモゴモゴしている口が気になり近づけた指を吸う我が子にほっこりしていたが、それが指だと気づいたのか赤児は泣き出した。


「…暇なんですか」


 ジト目を向けるカエデに、遅かれ早かれ泣いていたという思いをグッと仕舞い込んだアルトは、それでも余計なことをしたのかもしれないと申し訳なさそうに髪の毛をくしゃくしゃっと握る。母親が抱いただけでは泣き止まない様子に、ご飯の時間だと察すると、すごすごと部屋を出て行った。


 彼が滞在しているレオン王国があるイベラル半島の国々だけでなく、母国のヒルベニア連合など、大陸内外のほとんどの国で、4日に一回の休みがある。5日で一週間を6回繰り返して1ヶ月とするのが、ほぼ万国共通の暦である。


 数週間ぶりに訪れた岬で感じる風は、昼もだいぶ過ぎた夕方前のこの時間になると、生暖かくさえ感じる。朝届いたという手紙をさっと読み流すと、胸のポケットへ差し込み、ふぅっと息を零す。何事もなかったかのように、淡い緑が溶け込み始めている青い海を暫くぼんやりと眺めていたアルトは、トマスの打ち合わせから始まったこの一週間は随分と濃かったなぁと振り返り始めた。


「結局、感想聞けてないなぁ」


 そもそも船の話をしたのは、初めの一日だけしかないなとフッと笑いを零す。


「なんか、今は気まずいか」


 木製の手摺りに腕を置いて、遠くのほうを眺めるその姿は、ほんの少しだけ寂しさを含んでいた。


「まぁ、せっかくだし先生に相談してみますか」


 しかし、すぐに寂しさを吹き飛ばし、楽しそうに何かを企んでいる。誰もいないところでは表情がコロコロと変わる。昔のアルトを知っている者は、これが本来の彼だと口を揃えて言うだろう姿がそこにあった。


「ついでに、黄色いのもどうにかしないと」


 先程しまった手紙の上をトントンと叩いたアルトは、眉間に皺を寄せている。


「…だろ?」


 まっすぐ前を見つつ、左腕のブレスレットにそっと右手を添えると、今度は何かを懐かしむような切なそうな顔をして、海に問い掛けるのだった。




―トントン


 翌朝、ゆっくりと起きたアルトは、応接室で造船関係の書類を整理していた。


「どうぞぉ」


 扉を叩く者に入室の許可を出す。しかし、誰も入ってこない。


「…どうぞぉ」


 二回目の声掛けに、やっと反応する扉。そっと顔を出したのはカエデだった。何かオドオドした雰囲気で部屋へと入ってくるカエデに首を傾げるアルト。


「どうした?」


 静かに扉を閉めて、上目遣いで見つめていたカエデは、「うんっ」と頷くと、両手を出して頭を勢いよく下げる。


「これでお願いしますっ!」


 手のひらには、土でできたかわいらしいアクセサリー。十字の形をしたそのアクセサリーは風車のようにも見える。


「こうして、…ここ見て」


 アクセサリーを斜めにしたカエデが指差した場所は小指の爪くらいの魔石がセットできるくらいの窪みがあり、そこには、子供が好きな物語に出てくる水の精霊ウンディーネが鎮座するようにデフォルメされて描かれていた。斜めにされた十字の上部左側にはウンディーネ、その右に土の精霊ノーム、下部左側が火の精霊サラマンダー、そしてその右には風の精霊シルフがかわいらしく描かれている。精霊物語に出てくる四精霊である。


「…なんで、ここだけ?」


 真ん中にも同じような窪みがあるのだが、そこには、何故か精霊ではなく、葉を生い茂らせる立派な樹木が描かれていた。


「…」

「ここは、木の精霊ドリュアスが―」

「そんなの見られたら長老が怒りそうだから…ね」

「あ~…納得」


 困ったような顔をするカエデに、うんうんとアルトは頷く。二人は顔を見合わせると、ほんの数瞬だけ見つめ合う。


「ふふふふ」

「ぷ…ははははは」


 朝というにはもう遅くなってしまったそんな時間に、楽しそうな二人の笑い声が、邸宅の廊下に零れ出していた。

 一頻り笑った二人は、その後も、刻まれた精霊の完成度に引き気味のアルトが、デフォルメの素晴らしさを語られて呆れてみたり、十字の先の部分が少しだけ曲線を描いているのことを褒められたカエデが先端を尖らせないようにバランスを取るのが難しいと熱く語ってみたりと、仲良く楽しむのだった。


「…もう、このまま鍛冶屋さん持っていってみたら―」


 突然、殺気に襲われたアルトは、途中で言葉を飲み込む。完成度の高さに、このまま誰かちゃんとした専門家に作ってもらったほうがいいんじゃないかと思っていたのだが、会話の流れで素直に口に出したのは、どうやらまずかったらしい。


「…?」


 しかし、目の前のカエデは瞳をうるうるさせているばかりで、とても殺気を発しているようには見えなかった。もう既に殺気も感じなくなっており、気のせいかなとアルトが首を傾げていると、何かを誤解したカエデにアクセサリーごと手を包まれる。


「作ってくれないの?」


拝むように手を握られ、潤んだ紫の瞳で見上げられたアルトは、無碍に断ることができなくなってしまう。


「…シ、シルバーでいいのかな」


 言質をとったカエデは、捨てられた子犬のような顔を一変させると、まるで嘘だったかのように、ニパッと花が咲き誇ったような笑顔を浮かべた。


「ありがとうっ、大好き!」


 そう言って頬に軽くキスをしたカエデは、小走りに扉へと向かう。扉を閉める直前でもう一度顔を覗かせたカエデは、嬉しそうに笑顔を向けてから部屋を出て行った。その様子に、頬をぽりぽりと掻いたアルトは、満更でもない顔で「ま、やるか」と呟く。


「ちょろいのぉ」


 扉が閉まるのを確認し、視線を外したアルトは、壁越しに漏れてきた声にピクリと止まる。殺気を発した犯人に思いついたアルトは、苦笑いを浮かべると、がっくりと肩を落とすのだった。




 午後の昼下がり、セリノの作った料理を堪能したアルトは、造船の資料を纏めてから、カンタブリア学院の研究室を訪れていた。


「つれないのぉ」


 開口一番、アレクはしょんぼりした顔でそう零した。


「今週の午前中は予定で埋まっているって言いませんでした?」

「…昼飯の時間からは空いておる」


 子供のように拗ねるアレク。


「パスタくらいしか作れませんよ」

「あれだけ美味ければ、わしは満足じゃよ」

「俺が毎日パスタは嫌なだけです」


 苦笑を浮かべるアルトに、アレクは肩を落とす。そんな取るに足りない話を少しの時間交わしていると、アルトの手にした紙の束にチラリと視線を向けてからアレクが切り出す。


「して、今日は何用じゃ」


 その視線に気づいたアルトは、持って来た資料を両手で持つと、それに目を落とす。


「…それが、御相談したいことがありまして」


 少し気まずそうなその立ち姿が、まだ彼が少年だった頃の姿と重なって見えたアレクは、わざとらしくはぁっと息を零す。


「まぁ、とりあえず見てみるかのぉ」


 読みやすいように向きを変えて、差し出された資料に、つい昔に戻ったような気分になるアレク。懐かしさに胸が熱くなり、少しだけ頬を緩ませた彼は、そっと資料を受け取った。


「…リバネじゃな」


 資料にさっと目を通したアレクは、まずそこに触れた。白蟻の件で、ずっと疑問だったことが彼の中で繋がったのである。確かに、蓋を開けてみれば相当厄介な問題ではあったのではあるが、それにしても諸事情に詳しすぎる節があった。そもそも何故アルトがリバネ造船で起こったことに知っていたのか。


「…はい」


 視線だけ向けられたアルトは、神妙に頷く。


「それが、何故わしのところにきたのじゃ?」


 資料を置いて、顔を上げたアレクは、鋭い視線を向ける。


「なんというか…まぁ」


 目を泳がせて動揺するアルトの様子に、急に呆れたように息を零すと、


「大方、首を突っ込みすぎて、なんとなく会い辛くなったんじゃろうな」


 そう言って、今度は哀れむような視線を送るのだった。


「なんか…すみません」


 すべて見透かされたような気分のアルトは、ただただ恐縮するばかりだった。


「…して、わしにどうせよと?」

「よろしいんですかっ?!」


 断られるかもしれないと思っていたアルトが、パッと輝かせる。


「わしにできることなら…じゃぞ」


 仕方ないといった調子で頷くアレクは、どこか嬉しそうであった。

 しかし、この日はアレクに来客の予定があったため、これで解散となる。「先触れも寄越さんと来るから、こういうことになるのじゃ」とブツブツと文句を言われたアルトは、翌日の昼頃という曖昧な約束を取り付けると、のこのこと資料を持って帰るのだった。




 翌日、セリノの料理を堪能してからカンタブリア学院へと足を運んだアルトであったが、対するアレクの機嫌はすこぶる悪かった。


「なぜじゃ…手伝うといっておるのに、この仕打ちはなんじゃっ」


 何回か扉を叩いても返事がない研究室へアルトが顔を覗かせると、椅子に座ったまま睨みつけたアレクが、まずぶつけた言葉である。


「合格者の選定で忙しいのでは?」

「…それが、昼飯を外した理由か」


 ギロリと睨みつけるアレクが本気で不機嫌だということが分かったアルトは、溜息混じりにこう提案する。


「明日は昼食前に伺わせていただきますが、…よろしいでしょうか?」


 視線のやり取りで何かを会話する二人。


「まぁ、それならばよい…はじめるとするかのぉ」


 納得したのか少しだけ持ち直したアレクに、ホッと安堵の息を零したアルトは、さっそく来客用に用意されている大きな机に設計資料を広げるのであった。


「まず確認したいいんじゃが、この船は、単胴船じゃなく双胴船と考えて間違えとらんか」


 さっそく驚かされるとともに嬉しくなったアルトは、楽しい時間が訪れそうな予感に心を弾ませる。


「さすがです」


 爛々と目を光らせたアルトに、頬を引き攣らせたアレクは、視線だけで先を促す。


「低速時は、見掛けも単胴船と変わりません。ただし、高速時は水との接触面を下げるために、この船首から船腹にかける一部を稼動させ、滑走用として使いたいと考えています」

「…船体を浮かせるわけじゃな」


 納得したように軽く頷くと、アレクはまた違う部分を指し示す。


「船尾も抵抗をなくすために二股を残すのは、まぁええとして、この間にある装置が動力かの」

「舵取りと高速時に使うので、この部分はできるだけ水面下に置きたいと思っています」

「低速時は帆を使うのじゃな?」

「帆が使えるならば、使いたいと思っていますけど、思い切って外しちゃいますか」

「いや、非常時のためにも残しておいたほうがええじゃろうな」

「しかし、あまり重くなるようですと、それだけ速度を上げないと船体を浮かせないので…」

「なるほどの…。差し当たりの問題としては、高速時に接水する部分の強度と、魔力の導線といったところかのぉ」


 その後も細かい部分なども含めて、確認しながら一つ一つ課題をクリアにしていく二人であったが、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていく。夕暮れが近づくと、この日はお開きとなった。


「明日は、どうするかね?」

「ん~、とりあえず船体部分は、これでどうにかなりそうなので、明日は導線も含めた構造のところをもう少し詰めたいのですが、よろしいです?」

「了解じゃが…忘れとらんよの?」

「あ~、…はい」


 念を押すアレクに、少しだけげんなりするアルトであった。




 翌朝、ゆっくりと起きたアルトは、朝食を食べ終わると、そのまま厨房を覗く。


「少しだけ貸してもらってもいいかな?」


 後片付けをしていたセリノは、一瞬だけ驚いた顔をするが、「側で見ていてもよければ」という条件を出すと、快く場を提供した。

 御礼をいって、さくさくと料理を進めていく手際の良さに驚くセリノは、凝った料理を好んで作るカエデとは違ったアルトの料理の魅力に引き込まれていく。


「一個貰えたりする?」


 あっという間に作り上げたアルトが卵に包まれた混ぜご飯を握っていると、恥ずかしそうに少し頬を赤らめたセリノが声を掛ける。


「もちろん」


 握り終わったのをそのまま渡すと、すぐに次へと取り掛かるアルトに頭をちょこんとだけ下げて、一口齧る。


「…おいしい」

「そいつはよかった」


 アルトが調理の道を目指さなくて良かったとホッとするセリノであった。




 午後の昼下がり、机に向かった歳の離れた二人の男が、握り飯を手に図面を眺めていた。


「これは、ええのぉ」


 年配のほうの男は、どうやら図面が目に入っておらず、手にした握り飯を美味しそうに食べていた。


「作業しながら食べることを想定して作ってきたのですが?」

「…だって、美味いんじゃもん」


 少し睨みを利かせた若い男は、まるで子供のようなことを言って、嬉しそうに咀嚼する年寄りに苦笑する。


「また作りますよ」

「言うたな!」

「ええ」

「ほんじゃ、やるかのぉ」


 そんなやり取りを繰り返しながら、二人は設計資料にいろいろと書き加えていく。

前日と同じように楽しい時間はあっという間に過ぎていく。気づけばもう辺りは暗くなり始めていた。


「しかし…これだけを詰め込むとなると50メトルは超えそうじゃのぉ」


 粗方、見終わった二人は、アレクの入れた珈琲を飲みながら一息吐いている


「必要な人員も少なくできますから、あまり知られたくないんですけどね」


 アルトはそう言うと、悲しげに手にした珈琲へ視線を送る。本来であれば、自分と仲間たちが安全に楽しむための船が、戦争に利用されるかもしれないということが、やはり受け入れられなかったのだ。船大工を一度は夢見た彼が、その道から離れた理由は他にもあったが、造る楽しさだけではないということを知ってしまったことは少なからず大きかった。


「そう簡単に真似できる代物じゃなかろうて」


 しかし、隣で背もたれに全体重を掛け、カラカラと笑うアレクを見ているとそんな暗い気持ちもどこか吹き飛ぶようなそんな気持ちになるのだった。

 暫くの間、達成感に呆けていた二人であったが、ふと椅子に座りなおしたアレクは、少なくなった珈琲を見つめて、何か物思いに耽るアルトに気づく。そんな青年にやれやれと頭を軽く振ると、静かに問い掛けた。


「お主、直接行くつもりじゃな」

「……はい」


 返事をするのを待ってから、次の質問をする。


「一人で行くのかの」

「…はい」


 珈琲を見つめたまま返事をする青年に、アレクがフッと顔を綻ばす。


「それなら安心じゃな」


 そしてその老人は、ハッとして顔を上げたアルトへ優しく語り掛ける。


「お主一人ならば、無茶はせんだろうての」

「…ありがとうございます」


 アルトは、必死に胸に込み上げるものを押さえ込んでいた。老人のその優しい不意打ちは、彼の中の迷いをそっと綺麗に流していった。


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