第11話 穏やかな休日

「暇なんですか」


 休日の朝早くからの来客に、不機嫌そうな顔を隠すことなく応対するアルト。


「おぬしに会いに来たのではない」

「アルは別にいらないよぉ」

「ふふふ…ごめんなさいね」


 わざわざ顔を出したアルトに目もくれず、眠るアオイをニコニコと眺める三人にはぁっと溜息が零れる。


「それじゃ、私はこれで…」

「え~」

「なんじゃ、本当にいくのか」

「あらあら、いてくださいな」

「…カエデは、まだか」




 一週間忙しなく動いていたアルトが楽しみにしていた休日。それを台無しにしたのは、おそらく現時点で、このカンタブリア領内における一番の権力を持つ三人であった。アオイが生まれてからというもの、休日の時間があるときは、この三人のうち誰かしらは、朝早くにここへ顔を出しにくるのだ。


「しかし、三人ともなんて珍しいですね」

「そういえば、三人で来たのは初めてじゃな」


 ふぉっふぉっふぉと笑う茶髪交じりの白髪の老人は、元この地の領主様である。


「いつになったら、その敬語取れるんだろうねぇ」


 ニヤニヤと笑う、いかにも育ちの良さそうな気品のある顔立ちをした青年が、何を隠そう現領主の伯爵様である。


「そんなに嫌ですか」

「うん、嫌」


 子供のような反応を返す領主に、思わず苦笑してしまうアルト。


「私も、そんなアルト様、見てみたいですわ」


 華奢な身体つきに目鼻立ちの整ったいかにも御嬢様な女性は、おそらく領主よりも権力を握っているのではないかと思われる伯爵夫人である。


「ダリア様も、私を様付けでお呼びになるではないですか」


 その言葉に、待ってましたとばかりにダリアが、顔を輝かせる。


「じゃあ、私―」

「お待たせしました」


 そこへタイミング良くか悪くか、カエデがお茶を持って部屋へと入ってくる。


「助かったっ!カエデ」

「もうっ!!」


 喜ぶ旦那と拗ねたような表情を浮かべる義姉に、カエデが困惑していると、領主のエミディオまでが残念そうに言うのだった。


「もう少しで、敬語じゃないアルが見れそうだったんだよ」

「それは、申し訳ないことをしました」


 やっと納得したカエデであったが、口で言うほど反省した様子もなく、軽く舌を出してみせる。思わずダリアが笑みを零したのを切っ掛けに皆、笑顔を見せた。楽しそうな笑い声が、カンタブリア伯別邸に響き渡る。


「そういえば、アイナ様はどうしたのです?」


 全員にお茶が行き渡ったところで、いつもであれば今ここにいる伯爵家三人のうち誰かが側にいるはずであるエミディオの娘が気になったカエデは質問を投げ掛けた。


「カエデ様も、もっとフランクでいいのに…」


 少しだけ寂しそうにダリアが呟く。


「ダリア様もっ―」

「それ以上はダメだっ」


 アルトが咄嗟にカエデの言葉を遮ると、ダリアが悪そうな顔でチッと舌打ちをする。しかし、すぐさま何事もなかったかのように表情を取り繕ってみせる。


「ビビアナが一緒にいてくれているわ」

「……そうでしたか」


 貼り付けたようなワザとらしい笑顔のダリアに、アルトとカエデの夫婦は揃って顔を引き攣らせるのだった。


「しかしのぉ、もうちっと壁を崩してもらえると嬉しいのは本音じゃぞ」


 にこにこと微笑んで遣り取りを見ていたファビラがそこで口を挟む。カエデに笑顔を向けると、続いてアルトへと呆れ顔を向ける。


「特にアルトは、前を知っているだけにの」


 そんな風に肩を落とすファビラは、本当に寂しそうで…


「それでしたら、6人しかいない今日だけでも、試してみません?」


 ダリアはどうしてもしたいらしい。


「今日だけのお試しなら、私はしてもいいですよ」


 そして、裏切り者が現れた。


「はぁ…じゃあ今日だけな」


 4人から視線を浴びたアルトは、スヤスヤと眠るアオイへとそう話しかけるのだった。


「では、お題は領内の今後についてにしようかのぉ」


 しれっと、ファビラがお堅い話題を提示する。


「そういうのは三人でお願いします」


 アルトが丁重にお断りをする。


「しかしのぉ…急に話せと言われるとのぉ」

「だよねぇ」

「ふふふ…こんなのもいいですわ」


 義父と旦那を余所に、一人ご満悦のダリアであった。




「その癖変わらんな」

「エデュこそ」


 それから暫くして、陽も大分高くなった頃、屋敷の庭では二人の青年が向き合っていた。一人の青年は、灰色の髪をくしゃくしゃと握りやる気無さそうに、もう一人は、右手に刺突用のレイピアを握り、左手のダガーでそれをカンカンと叩いている。


「少しはやる気をだそうや」

「…何故に?」


 そんな二人を、部屋から眺めている三人はとても楽しそうだった。


「昔は、ようこうして模擬戦のようなことをしとったんだがなぁ」

「そうだったんですねぇ」

「エデュのあんな楽しそうな顔、久しぶりに見たわね」


 三者三様、本当に楽しそうである。そんな三人に恨めしそうな視線を送るやる気のない青年に、カエデが一声掛ける。


「こらっ!少しはやる気を見せなさい」

「…はぁ」


 改めて、この場に味方がいないことを知るアルトであった。




「もっかい!もっかいお願い!!」

「…もう疲れた」


 それから何戦か繰り広げていた二人であったが、見た目とは対照的に、ほとんど服を汚していない青年のほうが音を上げていた。


「せめてアルに二本使わせたいっ」

「…そんな理由か」


 アルトは、仕方がないといった雰囲気で、左手に持っている刀よりも短めのもう一振りの刀を抜くと右手に握った。


「これでよろしいか?」

「よしっ!やろう」

「これで最後だからな」

「分かってる分かってる」

「…」


 せっかくの綺麗な衣装をドロドロにして、無邪気な笑顔を浮かべるエミデュオに、疑わしげな視線を向けるアルト。しかし、何か思いついた様子の彼は、そこで一度はぁっと息を吐き出し、目を瞑る。緩い雰囲気がなくなっていくそんな感覚に、エミデュオがゴクリと唾を呑みこむ。そして、そのまま、ゆっくりと目を開けたアルトは、ギロリと鋭い視線をエミデュオに向けた。


「いや、アルちょっと待とうか」


 その冷たい空気に怖気づくエミデュオ。


「最後なんだろう?」


 しかし、アルトはニヤリと笑うと、冷たい視線を鋭くさせる。


「なんじゃ…だらしないのぉ」

「エデュのあんな顔…初めて見る」


 顔色を青白くさせた青年に、実の父はやや呆れ気味に、嫁は心配そうに呟いた。


「アルく~ん?アルくんや~い??」


 微動だにせず、じっと静かに見つめるアルトに、声を掛けながら近づくエミデュオ。様子を伺うように小さくカンカンと剣をぶつけて出していた音が止んだ刹那、二人の立っている位置が入れ替わる。一瞬の静寂の後…


―クシュンッ


 先程までアルトの立っていた位置に移動したエミデュオは、何故かずぶ濡れでその場に立ち尽くしていた。


「これはないんじゃないかなぁ」


 弱り顔のエミデュオが振り返り様にアルトへと文句を言う。


「いや…ドロドロでばっちぃかったから」


 汚い物でも見るように顔を顰めるアルト。そうしてお互い顔見合わせた二人は…


「くっ…「ははははは」」


 どちらともなく噴き出した。


「ぷ…「ふふふふふ」」

「ふぉっふぉっふぉ」


 二階からも響く楽しそうな笑い声が二人の声と重なるのだった。


 温い風に運ばれた新緑の匂いが、屋敷を優しく包んでいく。そんな穏やかな春の一日は、こうして過ぎていくのであった。




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