第10話 検証結果

「本当に、用意したのか…あの爺さん」


 その言葉とともにアルトは力なく崩れ落ちた。


 朝から春の日差しに恵まれた週末の休前日、休暇期間中であるカンタブリア学院の第一実験場は、今日も一日貸切となっていた。


「今、砂抜きをしておるんじゃ」


 実験場に入ってすぐ、扉の傍らに置いてある木桶を前に項垂れた青年の背中に、この学院の教諭であるアレクが浮き浮きとした様子で話し掛ける。


「…見れば分かります」


 間を置いて返ってきた声音は、朝から疲れきったものを感じさせる。開いた扉の前で、そんな二人を見ていた少年は、困ったような楽しそうなどちらとも言えない複雑な笑顔を浮かべていた。


「…あの、おはようございます」


 前日のこともあり、少し遠慮気味にシーロが挨拶をする。


「おはようっ」

「……おはよう」


 にっこり笑う好々爺然とした教諭からは溌剌な挨拶が、両手両膝を突き生気を失った顔だけを少年に向けた青年からは覇気のない挨拶が返ってくる。


「…はは、ははは」


 なんかいろいろと悩んでいた自分がバカみたいに思えて仕方のないシーロは、乾いた笑い声をあげると、はぁっと朝から深い溜息を吐いていた。




「さて、はじめようかのぉ」


 アルトが立ち直るのを待ってから、三人は昨日の続きに取り掛かる。アルトが検証に使う丸太を選別している間に、シーロは白蟻がびっしり詰まった木箱を運ぶ。


「今日は、これを使ってみようかの」


 少し離れた場所で何やらゴソゴソとしていたアレクは、明らかに魔術が施された小さな布袋を片手に掲げる。


「…まさか」


 その呟きを拾ったアレクがニヤリと笑う。シーロに近くまで来るように手招きをすると、袋の口を開けて逆さにした。


「それはっ!!」


 目を見開き驚愕の表情を浮かべたのは、ある程度の覚悟と予想ができていたアルトではなく、シーロであった。まさかシーロが知っているとも思っていなかった二人は、そのことに驚くのだった。


「「知っているのかっ?!」」


 見事にハモる二人に目を向けることなく、アレクの手に乗る彼の親指の先ほどの大きさをした綺麗な丸い石をアワアワと指差すシーロ。その様子にアレクは慌てて布袋に石を仕舞うと、そのアレクを一瞬睨みつけたアルトはゆっくりとシーロを座らせるのだった。


「少しは落ち着いたかな?」


 横に座ったアルトが心配そうに、未だふぅふぅと深い呼吸を繰り返すシーロへ声を掛ける。背の低いアレクは、立ったまま申し訳なさそうに様子を伺っていた。


「…は、はい、なんとか?」

「聞かれても困るんだけど…」


 そう言って灰色の髪をくしゃくしゃと握るアルトに、シーロが笑顔を向ける。


「もう、だいじょうぶそうじゃな」


 アレクは、二人の様子にホッと息を吐くと、頭を下げた。


「すまんかった」

「っ!やめてくださいっ!!」


 すぐに止めようと、慌てて立ち上がるシーロの横で、はぁっと溜息を吐いたアルトは、そっと隣に立つと軽く少年の肩を叩いた。


「まぁ、悪戯爺さんにも少しは反省が必要ってことで」

「…その通りじゃ」


 何も言えなくなってしまったシーロは、二人を交互に見ると、小さく息を零し、アレクに向き直る。


「もう十分ですから、ありがとうございます」


 頭を下げるシーロに、今度は二人が顔を見合わせ苦笑するのだった。




「さて、話してもらえるのかな?」


 休暇期間中の学院、しかも分厚い壁に守られた実験場の中は静まり返っていた。もう一度、お互いに頭を下げあってから、暫く三人は無言で座っていたのであるが、沈黙を破るようにアルトが切り出した。


「…はい。でも、できれば内密にお願い―」


 シーロが最後まで言い切る前に、アルトは白い魔術陣を浮かび上がらせると、すぐに行使する。


「これで外に漏れることはないから安心して話していいよ」


 詠唱もなく行使された魔術に口を開けて呆然としていたシーロは、言葉とともに穏やかな笑顔を向けられるとハッとして、恥ずかしそうに下を向く。それから深くゆっくりと息を吸い込むと、ふぅぅっと長い息を吐いた。


「まず、確認させていただきたいのですが、それは黄月石と呼ばれている石でよろしいですか?」


 顔を上げたシーロの真っ直ぐな視線を受け止めたアレクが、「うむ」と頷く。


「先生がお持ちの物ほど大きくないですが、…父がそれを嬉しそうに眺めているのを見たことがあります」


 アルトが小さく頷くのを視線だけ動かして確認したアレクは、再び真剣な眼差しをシーロへと向けると目だけで先を促した。


「父は、元々魔術が苦手だと言ってました。魔力に交換する能力が低く、造船で使うような魔術ができなくて悔しい思いをしたと、小さい頃よく話してくれました」


 いきなり思い出話が始まったことに困惑するアルトであったが、アレクが何も言わないのとシーロが真剣な表情で語るのを見て、最後まで聞き役に徹しようと思うのだった。


「だから、ちゃんと才能のあるお前は魔術も鍛えなさいと言ってくれて、こうして学院にも通わせて貰ってます」


 少しだけ笑みを浮かべたシーロは、そこから遠くを見つめ、何かを思い出すように語り始める。


「祖父も周りの職人たちも、そんな父を支えよう決めていて何も言いませんでした。でも、今思えば、父にはいつも劣等感のようなものが燻っていたのかなと、…いつも僕に、『魔術がなくても工夫さえすれば成功できるんだ』と言っていました」


 そこで悲しそうな表情をしたシーロだったが、間を置いた彼は、張り詰めたような真剣な顔をした。


「その父が、数年前の、あの大きな崩落事故が起こる少し前に嬉しそうに言ったんです」


 ゴクリと喉を鳴らすシーロの緊張感が、二人にも伝わってくる。


「『魔素の濃度が高いところであれば、私も魔術が使えるようになるんだ』…と」


 実験場のヒンヤリとした空気の中にいるにもかかわらず、嫌な汗が流れる。


「『だから私は、月の御使い様に願いを託す』といったんです」


 さすがに驚きを隠せずに目を見開く二人の視線にヒッと小さく声を漏らしたシーロが後ろへ姿勢を崩す。


「すまん、驚かせた」

「ごめん、つい…ね」


 すぐにいつもの表情に戻った二人から謝罪を受けたシーロは、慌てて姿勢を戻すと「こちらこそごめんなさい」と謝る。


「さて、どうしたもんかのぉ」


 つい、そんな言葉を零したアレクは、何か考え込むアルトに視線を送る。何かブツブツと独り言を呟いていたアルトは、一度、顔を上げる。暫く視線を宙へ泳がせた彼は、何かを思いついたように二人の顔を順に見て、フッと笑う。


「ま、何にせよ、ご飯にしますか」


 余りにも軽い口調に、身構えていた二人は、前のめりに崩れ落ちるのだった。




「…美味いですか?」


 食堂へ移動すると、当たり前のように厨房に入ったアルトは、三日連続調理することになった意趣返しに三日連続のパスタを提供した。

しかし、目の前で美味しそうに食べる老人に失敗したことを悟り、呆れたような視線を送るが相手にされず、さすがにイラッとした彼は、隠し持っていた鷹の爪をポイッと向かいの皿へ投げ込んだ。


「……………っ!!」


 食事に夢中で気づかなかったアレクがそのまま口に運んでしまい、数秒後、あまりの辛さに悶絶している。それをケラケラ笑うアルトの姿は、もちろん遠巻きに様子を伺っている学生達に見られており、今日もネタを提供する。日に日に人数が増えている女子学生からは、「お茶目なイケメンさんは、パスタだけでアレク師を篭絡している」と黄色い悲鳴があがり、昨日は見かけなかった男子学生は「食堂で注文をさせず、パスタしか食わせないうえに鷹の爪を投下するという鬼畜な男がアレク師を泣かせている」と食堂の隅で震えていた。休暇明けにいろいろと聞かれるんだろうなぁと、シーロはただ一人憂鬱になっていくのだった。




「準備してから行くべきだったなぁ」


 一本の丸太を選別し、昨日と同じようにひび割れを拡げると、アレクの持ってきた石に魔力を注ぎ黄色く輝かせる。その石を白蟻とともにポイッと中へ入れて、阻害魔術を付与すると、割れ目を塞いだ。あっという間に、そこまで進めたアルトは、そこで暫くやることがなくなってしまったことに気づいたのだ。


「おぬしが食事にしようと言い出したんじゃろう」


 ホッホッホと笑いながら、丸太に寄り掛かって暇そうに空を仰ぐ青年にアレクがコップを差し出す。

 軽く頭を下げて受け取ったアルトは、その香ばしい匂いに少し驚くと、すぐにズズズッと味を確認する。


「やっぱり、珈琲だ」


 嬉しそうに声をあげたアルトに、シーロにもコップを手渡していたアレクが振り返ってニコリと笑顔を返す。床においてあった自分の分を手にして、黒い水鏡をじぃっと見つめると、


「南から来るものは悪いものばかりじゃないのぉ」


 誰にともなくそう呟いて珈琲の味を楽しむのであった。


「あの、…アルト様」

「さん…ね」


 南の大陸から伝わってきた食べ物の話で盛り上がる二人を楽しそうに見ていたシーロであったが、会話が途切れたのを見計らって、遠慮気味に声を掛ける。


「…アルトさん、カルラさんは何か言ってましたか?」


 恐る恐る聞いてくる少年に、アルトはニヤリと悪い笑みを浮かべる。


「シーロとカルラは、どういう関係なの?」


 ニヤニヤと聞いてくるアルトに、顔を赤くするとワタワタと手を振るシーロ。


「いや、別にっ、何にもありませんよっ、ただの先輩後輩でっ、ただ、今回迷惑かけた、からっ」

「それで?」


 アルトの追求は止まらない。「いやっ、なのでっ」と慌てる少年に、顔を緩ませていた老人が珈琲を煤って一言、しみじみと言う。


「若いっていいのぉ」


 その言葉に、アルトは腹を抱えて爆笑し、シーロは顔を真っ赤に染めて沈み込んだ。


「だけど、あれだ。残念ながら、何も言ってないみたいだったよ。自分の非力さのほうを悔しく思って、今は一から勉強をやり直すって意気込んでるみたいだったねぇ」


 さすがに、そのままにしておくのはかわいそうだと思ったアルトは、一頻り笑った後に、優しい声音で彼が聞いた話を伝える。


「…そうですか」


 それだけを口にして、地面を見つめるシーロを二人の大人は優しく見つめるのだった。

 しかし、そんな穏やかな時間も丸太から聞こえた不気味な音が終わりを告げた。


―ミシッ


 丸太へと顔を向けた三人のうち、一番早く行動に移ったのはアルトであった。


「…まさか、じゃよな」


 視線を丸太へと向けたまま問い掛けるように言葉を零すアレクに、アルトはゆっくりと腕に巻きつけたままだった赤い鎖状のブレスレットを外して手渡した。


「たぶん、そのまさかです」


 剣の柄の部分だけを手にしたアルトがそう答えると、「そうか」と小さく呟いたアレクは、座り込んだまま動けずにいるシーロを連れて入り口近くまで退避するのであった。


―バリッ…バキバキバキッ


 丸太が割れる音とその大きくなった白蟻が出てくるのは、ほぼ同時であった。アルトは握った柄に魔力を籠める。一瞬だけ赤い魔術陣が浮かび上がると、その先に炎の刀身が現れる。


「…すごい」

「ここで見たことは他言無用じゃぞ」


 シーロは、今目の前で起こっていることを夢のように眺めていた。しかし、思わず零した言葉に返ってきた、今まで聞いたこともない凄みのある声に現実に引き戻されると、慌てて首を縦に振った。もちろん、前を向いたままのアレクには見えないのであるが―。


 白い身体を震わせ、赤い眼を向けたまま頑丈そうな顎をギリギリと動かすその生き物を前に、微動だにしないアルト。本当に見えているかも怪しいその眼が、フッと横に向く。その瞬間、一踏みで白蟻の目前まで詰め寄ったアルトは、炎の剣を振り下ろす。声を出す間もなく、横を向いたまま真っ二つになった蟻と丸太の断面がゴゥッと燃える。


「あっ…やば」


 慌てて刀身を消したアルトは、ブツブツと何か唱えると青い魔術陣を呼び出し、消火活動を始めるのだった。




「この短時間であれほど成長するのか…」


 その言葉とともに赤いブレスレットを差し出したアレクに、軽く礼を言って受け取ったアルトは、それを腕に巻きつける。


「石が大きかったんですよ…、アンティオまで成長してたっぽいですからねぇ。それに阻害魔術しかしていないですし、さくっと出てきたんでしょうね」


 手を動かしながら何の気もなしに言うアルトであったが、残された二人は驚きっぱなしであった。


「まぁ、ある程度の探索者なら問題ない強さですけどね」


 左腕に付けたブレスレットの感触を確認して、笑顔を見せたアルトの軽い調子に、口を開きっぱなしのシーロの横で、アレクは頭を振って諦め半分に平静を取り戻す。さすが、付き合いの長さは伊達じゃない。


「じゃが、これで結果が出てしまった…な」


 渋い顔でそう呟いたアレクに、真剣な眼差しを返すアルトと、悲しそうに俯くシーロであった。




「あ~、あの石、ちゃんと保管しないと壊しちゃいますからね」


 実験が終わり、いろいろな事実を知ってしまって気落ちしたシーロを今は気にしすぎるなと送り出した後、二人はアレクの研究室でまったりとした時間を過ごしていた。


「月の御使い様を愛でる会…じゃったかのぉ」

「敬う会ですよね…最近では、黄月教と呼ばれるほうが多いみたいですね」


 小歩危を挟むアレクに苦笑すると、アルトは信者ではない者たちが言い出して、広まりを見せている呼称を教える。


「…黄月教を恨んでいるかね」

「ん~、どうですかねぇ、…まぁ、でも、何かしら思うところはありますねぇ」


 少し悲しそうな表情を浮かべたアレクに、苦笑したままアルトが答える。


「そうじゃろうのぉ」


 しかし、小さく息を零したアルトは、優しい笑顔を作る。


「なんですかねぇ、それでも…なんていうか、神様やそういうものに縋る気持ちも分からなくはないんですよ」


アレクが、ただ横で頷いている。


「俺も、お腹壊したときなんか、もう悪いことしないから神様許して~なんて願いますから」

「わしも思い当たるのぉ」


 そんな他愛もない冗談に笑いあう二人。


「そんな些細なことではなくて、もっと辛いことがあれば、…アダンとかもそうなんだろうと思いますけど、まぁ縋る気持ちは分からなくはないです」


笑顔を浮かべたまま語るアルトに、アレクはうんうんと首を縦に振る。


「…でも、それで人を傷つけたら、それは違うんじゃないかなと」


そう言ってアルトは、窓の外へと視線を向ける。


「霊人族だけ救われるのもおかしいし、布教のために誰かを傷つけるのもおかしいし、神を信じないから殺すのもおかしいし…それが宗教だというなら、それは神様とは違うものなんじゃないかと思うんですよ」


 窓の外を見つめるアルトは、そのまま空へ視線を移す。


「何って言っていいか分からないんですけど…本当に神様っていう存在がいるのであれば、他人の幸せを犠牲にした幸せを本当に望むのかなって思うんです」


 そう言っては、アレクに視線を戻したアルトは、少年のように笑う。


「まぁ、でも、俺は、そんな幸せを望む神様なんて信じちゃいないんですけどね」

「ほぉ」


 相槌を打って、アレクが興味深そうな視線を送る。


「だって、食料にしている牛や豚、魔獣とかにも幸せってものがあって、それを食料にしなくちゃいけないなら、そんな神様がいたら困りますからね」


 肩を竦めるアルトに、アレクが「まぁのぉ」と楽しそうに言葉を返す。


「自分の周りにいてくれる人たちの幸せを願うちっぽけな俺としては、それを守るために戦わなくちゃいけないんで、長い間大切に扱われたものに神様が宿るくらいのことしか信じられないんですよねぇ」


 また空へと視線を戻した青年に、立派になったものだと老人は思うのだった。



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