第7話 依頼の裏側で…
「久々に見るお頭の魔術は恐ろしいな」
時は遡り、害虫騒ぎに終止符が打たれたリバネ造船の倉庫では、治療を受けている軽傷者が数名いないだけで、ほとんどの職人が集まり、疲れきった談笑をしていた。原因究明をするべきところであるが、一仕事を終えた達成感に、白蟻との戦いを振り返って皆楽しそうに話を盛り上げている。しかし、会話の合間にできた沈黙に、皆が避けていた話題をついにしなければならないと覚悟を決めたとき、ベテランの職人が新たな話題を提供する。
「にしても、…これからどうするんです?」
その質問に、この倉庫へ戻ってくる前に感じていた高揚感を思い出したトマスは、胡坐を組んだ足をポンと叩くと興奮気味に身を乗り出した。
「それがな。実は―」
「お頭っ、お嬢がっ!!」
気勢を殺がれたトマスが前のめりに崩れそうになるのも気にせず、先程まで別の部屋で治療を受けていたはずの職人が更なる凶事を告げに走りこんでくるのであった。
――
今回の仕入れは私が担当しました。
最後まできっちりやり遂げます。カルラ
――
職人が手にしていた質の悪い紙を奪うように取り上げると、そこに書かれていた文面を見てトマスは、頭を抱え込んだ。
「あんのバカはっ」
投げ捨てられた紙に目を通した職人達が口々に「あちゃぁ」だの「これはまた」だの声を零すと皆一様にトマスへ同情の視線をぶつける。それに応えるかのようにトマスが立ち上がり、新たな指示を飛ばし始める。先程まで疲れきった表情を浮かべていた職人達であったが、指示を受けた者から仕方がないと動き始めるのだった。困り顔の職人達ではあったが、彼らの動きは白蟻との戦いよりも数段良くなっており、そんな彼らに頭を下げたトマスは、夕方に歩いてきたばかりの道を急ぎ戻るのだった。
もう夜も更け始めた頃、カンタブリア伯の別邸へと急ぎ戻ったトマスは、門前で屋敷の執事長バルドメロと対面していた。
「ここにカルラがこなかったかっ?!」
顔を合わせた途端、肩を掴みかかる勢いのトマスを宥めつつ、とりあえず中へと通すバルドメロ。
「こちらには来ておりませんが、何かございましたか?」
「いや、取り乱して申し訳ない。実は―」
「詳しくはアルト様にお願いいたします」
数刻前までいた応接室へと案内される途中、少しだけ冷静さを取り戻したトマスは、謝罪とともに詳細を語ろうとするのだが、途中で遮られてしまう。普段よりも少し小さく見えるトマスが応接室に顔を出すと、彼がいた時よりも書類が散乱している室内の椅子の上で唸っているアルトがそこにいた。
「アルト様、失礼いたします」
ノックには気づかなかったアルトではあるが、さすがにバルドメロの声には反応を示した。
「どうしまし、…あれ?」
申し訳なさそうに佇むトマスに気づいたアルトが不思議そうに首を傾げるのを余所にバルドメロは散らばった書類を拾う。
「…ファーリス殿」
扉から一歩だけ室内へ踏み入れたトマスであったが、そこで止まってしまう。今すぐ他の場所を探しに行ったほうがいいのではないかという思いと、ここで相談するべきではないかという思いが彼の心の内で葛藤していた。バルドメロは、書類を集め終わると、筋肉質の身体を縮こめて茶色い瞳をキョロキョロとさせる挙動不審の男と、それを面白そうに眺める青年を見て小さく溜息を吐くと、やれやれと頭を振りモジモジしている筋肉達磨の背中を軽く押すことにする。
「カルラ様がいなくなってしまったようです」
「……カルラ様?」
しかし、聞いたことがない名前にアルトは再び首を傾げる。
「あぁっと、娘です」
諦めたように打ち明けたトマスに、子供が産まれたばかりのアルトが驚きの表情を浮かべる。慌ててバルドメロが書類を避けてくれた席に座るように促すと、真剣さを帯びた顔をする。その様子を見ていたバルドメロは微笑すると一礼をして、そっと退室した。
見掛けとは対照的にオドオドと席についたトマスは、涼しげな目元が印象的な冷たいイメージの青年が真剣な眼差しを向けていることに内心驚いていた。知り合ってから少しの時間しか経っていないが、どこか気が抜けているというか、本気さを感じなかった青年が見せる意外な表情を見ることができて嬉しくもあった。
「迷惑を掛けるかもしれんがよろしいか?」
「迷惑かどうかを判断するのはこちらです」
即答されたトマスは、少し試すような言い方をしたことを謝罪するとともに覚悟を決め、経緯を伝えることにする。
元領主であるファビラの招集により、サンタンデルにある造船所だけでなく近隣の街にある造船所の者も依頼を請けようと召集前から高級な船材を集めていた。トマスの経営するリバネ造船も新造船という噂を聞き、例に漏れず依頼に向けて船材を集めることとなる。そこで、リバネ造船としても、酒樽の材料として珍重されている硬くて耐久性に優れている楢材を集めることとなったのだが、当然、同じように考える者が多くいた。そのため、教会へ木材収集の依頼を出すことにしたところ、その依頼を見つけたアクニ造船の息子シーロ・アクニャが木材の都合を申し出る。シーロとトマスの娘カルラは、サンタンデルにある領主直轄のカンタブリア学院出身の先輩後輩の仲であり交流もあったことから、依頼の報酬として提示していた金額で買い取ったのだった。
そうして、運び込まれた楢の木は、予想以上に高級な質感をしており、これならば、たとえファビラの依頼を請けることができなくても、別の船を造ることもできるとトマスを始めとしたリバネ造船の職人たちは喜んでいた。皆、嬉々として加工し、最高の船材が出来たと今日を楽しみにしていたのだ。
ところが今日になって、アルトと打ち合わせを終えたトマスが、倉庫に戻ってみればアンティスという害虫がその船材を食い破って、保管していた楢材を駄目にしてしまった。この仕事に携わる以上、加工する際に何度もチェックをしたはずなのに誰も気づけなかったということは、それこそ巧妙に隠されていたとしか思えない。しかし、他の木材にまで影響を与えるわけにもいかず、負傷者も既に出ていたことから被害を食い止めるために焼却処理をしてしまい、証拠がなくなってしまった。そして、一仕事をして休んでいたところに娘の置手紙が発見されたため、ファビラの依頼のことを知っている娘がここに向かったのではないかと考え、今に至る。
一度も口を挟まず、ただ頷いていて聞いていたアルトは、ここまでの内容をざっと理解すると徐に口を開いた。
「チェックって魔術を使ってますよね?」
「もちろん使っている」
「その魔術をもってしても気づけなかったってことですよね?」
「…あ、あぁ」
アルトが言わんとしていることに気づき始めたトマスは、嫌な汗を流し始める。
「付与されていた魔術がずっと効力を維持できたってことは、何かしらの―」
「すまんっ!火力調整を間違った」
椅子から飛び降り、土下座をするトマスに苦笑を浮かべるアルトであった。
明朝にもう一度屋敷に来るように伝えて一先ず帰るように促したアルトは、違和感のあった魔術的な疑問に思考を巡らせた。
魔術的な処理が施されていた木材は、外からは全く魔力が感知できなかった。つまり魔力だけでなくその元となる魔素ですら阻害されるようなものが付与されていたということである。ということは、そこに閉じ込められていた虫たちにも魔素が提供されていないはずであり、であれば木材を食い破るほど成長できるはずもない。では、そこへ魔素を供給するような魔道具が存在していたとして、そんなものを埋め込むために加工した木材に誰も気づかないはずがない。幼虫とともに木材へ忍び込ませたうえで魔術を使い木材の密度を上げる。木材を加工する専門家が仕組んだのであれば、船材にする際に残る箇所というのは検討がつくのだろうが、加工する際にあからさまに空洞があったり別の物質が混入されていれば、気づくはずである。
「あまり根を詰めては、お体が持ちませんよ」
暫くの間、応接室に籠もっていると、心配したバルドメロがお茶を用意して様子を伺いに来た。苦笑を浮かべたアルトは、軽く目頭を揉むと香ばしい匂いを漂わせるその飲み物に興味を示す。
「ここに来てからは珈琲が出されたのは、初めてかな」
「やはりご存知でしたか」
アルトが嬉しそうに啜るのを見て、顔を綻ばせたバルドメロは、断りを入れてから自分の分を注ぐ。珈琲の香りが満ちた応接室は、和やかな雰囲気を醸し出していた。
「まさか、珈琲が飲めるなんて思っていませんでした」
「喜んでもらえて何よりです」
残り少なくなったカップの珈琲を名残惜しそうにアルトが啜る。
「南にある大陸で作られているとか聞いたかな」
「よくご存知で。このカンタブリア領は宗教が比較的自由なので、そういった土地の名産も運ばれてくるのですよ」
軽い世間話のつもりで発せられたその情報が、アルトに衝撃を与えた。
「まさかっ」
急に悲壮感を滲ませ、大声をあげたアルトが、驚いているバルドメロに詰め寄る。
「月を神の御使いと崇める宗教の話を聞いたことは?!」
いつもとは違うアルトに圧倒されつつも、バルドメロはしどろもどろに答える。
「ひっそりと布教をしているそんな宗教があると聞いたことはありますが―」
「それだ!」
残った珈琲を一口で飲み干すと、再び思考の渦に飲み込まれていくアルトを心配そうに見ていたバルドメロであったが、やがて諦めたように空になった食器を片付けると、静かに部屋を後にした。
深夜遅く、リバネ造船の倉庫に悔しそうに顔を歪めた少女が戻ってくる。倉庫の片付けを言い渡されていた職人見習いの少年がそれを見つけ、トマスのいる所長室に向かう。
「お嬢様が帰ってきました」
報告を受けたトマスは、隣接する自宅に帰る前に話を聞こうと立ち上がるが、扉がノックされると椅子に座りなおして声を掛ける。
「入れ」
ゆっくり開いた扉から、疲れきった様子のカルラがトボトボと入ってくる。見習いの少年は軽く会釈をしてすぐに部屋を出て行った。
「アクニに行ってたのか?」
低い声で聞かれた問いに、ただ頷くだけの少女。
「…んで、どうなった」
唇を噛み締め、今にも泣きそうな顔を上げた少女は、目の前に座る父親を睨みつけるように見ていたが、やがてその目から涙が零れ始めると小さな声を絞り出す。
「ご、めん、なさい」
崩れ落ちる娘にそっと歩み寄ったトマスは、しゃがんで顔の位置を近づけると、声を優しいものに変えた。
「失敗したことは仕方がない」
仕事に対しては、いつも厳しい父親から発せられた言葉に少女はハッと顔を上げる。
「ましてや、今回は、誰も気づけなかったのだから、カルラだけの責任でもない」
優しく語られる言葉に涙が止まらなくなる。
「でもな、カルラ」
鋭くした眼つきにビクッと反応した娘をかわいそうだと思いながらも、トマスはここで甘やかしてはいけないと自分に言い聞かせると、声に怒気を籠める。
「勝手に先走って、仲間たちを心配させるのはどうだろうな」
「ごめんな、さい、ごめん、なさいっ」
嗚咽交じりに謝る娘の姿にいたたまれなくなった頃、扉を開いて職人達が入ってくる。
「なんだ、お前らっ!今大事な話―」
怒声を浴びせるトマスに、苦笑を浮かべた職人の一人が頭を掻きながら二人に近づく。
「まぁ反省しているようだし、お頭もその辺で許してやって貰えないかな」
長い付き合いの職人に心を見透かされたような気分になったトマスは嫌そうな顔をするが、その職人は苦笑を浮かべたまま、カルラにも声を掛ける。
「お嬢、俺ら頼りないかもしれないが、相談くらいはしてくれないかな」
「…すみま、せん、でしたっ」
その頃、倉庫の片付けをしていた見習いは、黒く煤けた木材の残骸を集めて、裏手へと運び出していた。その中に、魔力を可視出来る者でも気づくかどうか分からないほどの、残り滓のようなとても薄い黄色の靄を立ち昇らせている石が混じっていたことは、もちろん誰も知ることがなかった。
翌朝、ほとんど寝ていないアルトであったが、朝早くから出掛ける準備をしていた。そこへアクニ造船からの使いの者がやってきて、カンタブリア伯所有の造船所まで来て欲しいと伝言を受ける。元々、トマスが来る前に屋敷から出る予定であったので、屋敷にいる必要はないのだが、昨日の今日で呼び出すとは何事かと若干不機嫌になる。しかし、そう無下にもできない相手であるうえに、カルラの件もあるため渋々向かうアルトであった。
この後、造船所の前で隣接する倉庫の鍵を開けて欲しいと言われ、木材を押し付けられるということを、この時の彼はまだ知る由もない。
一方、朝早くにアルトを訪ねたトマスは、バルドメロから不在だと伝えられる。玄関まで案内された彼は、そこでアルトからの言伝を受け取る。
「自信がないんだが、…こんなことしなくちゃならんのか」
弱りきった表情を浮かべる彼であったが、
「ここもアクニからの監視が今も二人ついているようなので、念のためだそうです」
バルドメロから伝えられた事実に身を引き締める。
「しかし厄介なことになったなぁ」
そうぼやくトマスに今度はバルドメロが弱った顔をする。
「トマス殿が想像している以上に厄介かもしれませんねぇ」
ファビラの側に仕えていた時代を知っているトマスは、そんなバルドメロの姿に驚く。本人も見せるつもりがなかったようで、すぐに平静を取り繕うと話題を振るのだった。
「カルラ様は、御無事だったのですか?」
「それもファーリスの旦那が?」
「ええ」
意地悪く聞いたトマスであったが、もう笑顔を崩すことがなくなったバルドメロに小さくチッとつまらなそうに舌打をする。
「…いちお無事だった」
「一往ですか」
続きを話せと暗に表情で語るバルドメロに今度は溜息を零す。
「アダンの野郎に会ったらしい」
「ほぅ、…それで?」
笑顔のはずである初老の目が鋭くなるのを感じて、全てを語るまで逃げられないと悟る。
「そこで、息子の厚意を無駄にしたのかだの、食い破ってくるまでに見つけたなら交換してやっただの、検査している職人の腕が悪いなら検査加工済の木材を卸してやるだの、ファビラ様に迷惑が掛かるから今回は手を引けだの、傘下になるなら一緒に参加させてやるだの好き放題言われたらしいが、まぁ最後は、今回の件で検査する能力もないことを言いふらされたくないのなら、そちらは何も言わずに手を引けと伝言を頼まれ、無事に帰らせて貰えたらしい」
自分の造船所のことなのに他人事のように苦笑するトマスであったが、呆れたようにバルドメロの零した一言に食いついた。
「決めるのはアルト様なんですがねぇ」
「…もう決めてるのか」
「さぁ、どうでしょう」
しかし、飄々と受け流す。
「ところでファーリスの旦那は何をしようとしているんだ?」
「さぁ、何をされようとしているんですかねぇ」
全く相手にされないことに苛立ち始めるトマス。
「少しくらい何か聞いてないのか?」
「アルト様が何をされようとしているか聞いてどうされるおつもりで?」
「…いや、何かするつもりはないが」
急に矛先を向けられたことにたじろいだトマスにバルドメロが追い討ちを掛ける。
「ところで、お話は終わりでしょうか?」
「…あ、あぁ」
「弁償してやるから、とかなんとか言われたのでは?」
「っ!なんでっ―」
ニヤリと笑うバルドメロ。
「さて、そろそろお時間のようですので、お帰りください」
良い様に遊ばれたトマスは、アルトからの言伝をすっかり忘れていたのであるが、ギロリとバルドメロを睨みつけると、奇しくもアルトの言伝どおりに、いかにも悔しそうに顔を歪めてトボトボと屋敷を後にするのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます