第8話 検証開始

「さて、いきますか」


 カンタブリア伯爵家が所有している造船所に隣接する倉庫の片隅で、アダンの姿が見えなくなるまで呆然と見送っていたアルトであったが、周りに人の気配がなくなると誰にとでもなく言葉を零すと、切れ長の眼を鋭くさせる。

 一度、拠点としている屋敷に戻った彼は手紙を認めると、執事長の老人に使いを出すよう頼み、すぐに自分も屋敷を出る。サンタンデル一の繁華街、多くの商店が立ち並ぶコンスティート通りから一つ外れた路地にひっそりと建つ酒場に顔を出すと、パンパンに膨れた小さな布袋を手に、目的地へと急ぐ。


「おっ」


 大きく聳え立つような門の前で白い立派な髭を撫でる老人の姿が目に入ると、思いの外時間を掛けてしまっていたことに気づき、小走りに急ぐアルト。


「大層なご身分じゃな」


 近づいてくる灰色の髪に気づいた老人が、顔を顰めて声を掛ける。


「いやぁ、先生お久しぶりです」

「ほんとにのぉ、数ヶ月前から、こっちにおったそうだがのぉ」


 悪びれもせずに笑顔を浮かべて横に並んだ青年に、不機嫌そうに目を細めた老人は、一言だけ返して歩き出した。


「ちょっとくらい言い訳させてくれても…」


 アルトは、ぶつくさと文句を言いながらも離されないようについていくのだった。




 領都サンタンデルにあるカンタブリア学院のとある研究室へと通されたアルトは、促された椅子に腰掛けることなく素通りすると、手にしていた布袋を老人へ差し出す。


「お久しぶりということで、手土産を持参して参りました」


 怪訝そうに布袋を見つめていた老人は、はぁっと溜息をつくと渋々と受け取る。


「まったく、たまたまおったからええものの」

「いつでも連絡寄越せと仰っていたではないですか」


 ニコニコと笑顔を崩さない青年に、不満を垂れ流しながらも布袋を開けて確認する。


「これはっ」


 しかし、中に入っていた黒いゴツゴツしたキノコを目にした瞬間、嬉しさの混じった驚きの声をあげた。


「黒トリュフ、お好きでしたよね」


 張り裂けそうな笑顔を浮かべ、うんうんと頷く老人に少しだけ罪悪感を覚えたアルトが無意識に髪の毛をくしゃくしゃと握る。


「その癖、変わらんなぁ」


 少しだけ懐かしさを滲ませて、変わらずに嬉しそうに笑う老人に、この人には敵わないと思うアルトであった。


「アレク先生も」


 春の陽光が降り注ぐカンタブリア学院の一室で、穏やかな時間が流れていく。


「噂で聞いたところによると子供が産まれたそうじゃな」

「噂って、バルドメロ辺りでしょうに」

「まぁの」


 いつも背筋を伸ばし、少し生真面目な初老の執事を思い浮かべ、顔を見合わせて笑う二人。


「アオイと名付けました」

「確か異国の花であったか」

「はい」

「いい名じゃの」


 穏やかな笑みを浮かべた老人に、頷くアルト。


「これからどうするんじゃ?」

「今までどおりかと」


 顔は笑ったまま視線を鋭くした老人に、アルトは不敵な笑いを返す。先程まで笑い声が零れていた学院の一室は、休暇期間中だということを思い出したように静まり返った。


「ドォン・レコードという名はどうにかならんか」

「ぷっ、ははは」


しかし、すぐに張り詰めた空気が霧散する。


「おぬしらが、名付け親じゃろう、て」

「いや、まぁ、そうなんですけどねっ」


 緊張感の反動からか、本人達もどこが面白いのか分からないまま腹を抱え、目に溜まった涙を拭いながら、ひぃひぃと堪えきれない笑い転げる二人であった。


「して、関係があるのかの?」


 一頻り笑った老人は、ふぅふぅっと呼吸を整え、もう一度目元を拭うと、音量を落とした掠れた声で問い掛ける。

 膝を突いて笑っていたアルトが、そのままの姿勢で床へ魔力を放つ。その言葉に軽く頷き立ち上がった彼を中心に薄く白い魔術陣が一瞬だけ姿を見せる。


「それを確認したく、お時間を頂きました」


 腰の辺りを軽く叩いて顔を上げたアルトの表情から雑談が終わったことを感じ取ったアレクことアレクシス・ヒルデンもまた表情を引き締め、頷きを返す。


「昨日のことですが―」


 そう切り出すと、アルトは白蟻が発生したことを簡単に伝え、昨夜考えた推察を一つ一つ確かめながら話を進めていく。

 職人達が魔術を使って検査をする際に見落とす可能性がないか。検査のときに使う魔術を阻害するとしたら、どのような魔術が考えられるか。魔術が付与されたとして、魔素には干渉せずに阻害できるかどうか。などなど、軽く二桁を超える項目について二人は意見を交換する。そうして、太陽が一番高いところを過ぎた頃、漸く昨夜行き着いた可能性の一つをアルトが告げる。


「…黄月石ならば」

「なるほどのぉ」


 物を作ることに特化したこの学院でのアレクシス・ヒルデンという研究者の評価は、あまり高くない。これは、レオン王国の中でも特に種族に対する偏見が少ないと言われているカンタブリア領ですら、多少は差別が存在しているということに他ならない。実際のところ、アレクと呼ばれるこの研究者は、能力だけを見れば学院内では間違いなく飛び抜けていた。しかし、通称ドワーフと呼ばれる土人族である彼は、背が低いながらも屈強で手先が器用である種族的な特徴を考慮して評価されている。つまり、特筆するべき特徴が何もないただの人間である霊人族を基準で考えた場合、種族的な特徴を持つ人間はマイナス評価をされているということである。そのため、全てではないにしても、霊人族が学院長を務めている期間の他種族の評価というのは、往々にして低くなるのである。そもそも霊人族が基準であると考えている者のほとんどは、自分たちが他の種族から霊人族と呼ばれていることすら知らなかったりするのであるが―。

 驚くこともなく、ただ相槌を打ったこの老人が、やはり只者ではないと改めて認識したアルトは、そんな同族の下したくだらない評価に、はぁっと溜息を零したくなる。


「とりあえず、昼にするかのぉ」


アルトが何を思ったのかを察したアレクであったが、そのことに触れることはなく、髭を撫でながら微笑むと、貰ったばかりのキノコを嬉しそうに布袋から取り出すのであった。




「…美味いですか?」


 休暇期間中でも、ちらほらと学生たちの姿を見掛けることができる学院内の食堂で、青年からジト目を向けられながら、研究室持ちの教諭が涙を流してパスタを頬張る姿が目撃されていた。

 後に、この一件は、男子学生を中心に「アレク先生が、眼つきの鋭い怖いお兄さんに恫喝されながらも自分のパスタを死守していた」と、女子学生の間では「アレク先生が、灰色の髪の涼しげな眼をしたイケメンに餌付けをされていた」と休暇明けの学院で噂されるのであるが―閑話休題。


「ははひ、ほふひひふふはへへへへぇゴホッ―」


 学生寮が併設されているこの学院では、たとえ休暇中であっても昼間の時間であれば、まず間違いなく食堂が閉まっていることはない。貧乏学生の中には自分で食材を獲ってくる者もいるため、持ち込み可能な食堂ではあるのだが、アレクが持ち込んだキノコはあまりにも高級であったため、調理師たちに断られたのだ。そこで縋るような視線を送られたアルトが食材を借りて調理した結果、今に至る。


「食べるか話すかどちっ―」


 アルトが言い終える前に何を言わんとしているか正確に理解したアレクは、パスタを勢い良く口に運ぶ。その姿に苦笑を浮かべては見たものの、自分が料理した食事を美味しそうに食べてくれる小さい老人に嬉しくなるアルトであった。


「やはり、おぬしに作らせて正解じゃったな」

「パスタを茹でて絡めただけですよ」


 呆れ交じりに言うアルトであったが、口の周りをギトギトに光らせ満足そうに笑うアレクに、つい顔を綻ばせる。その様子に遠くから黄色い悲鳴があがる。ふと見渡せば、こちらを伺うように数人の女子学生が端のほうで集まっていた。男子学生もいたはずなのにと益もないことを考えていると、口の周りと汚れた髭を丁寧に拭き終わったアレクが立ち上がる。


「明日、また顔を出せ」

「?…今日は終わりですか」


 不思議そうに首を傾げて、ほんの少し見上げたアルトに、アレクがニコリと笑う。


「美味いものも食べさせてもらったしの。今日中に必要なものを揃えて、明日からおぬしの推察を一つ一つ検証するとしよう」


 その言葉に勢い良く立ち上がったアルトは、深く頭を下げる。


「よろしくお願いします」


 アレクは、優しく微笑んで頷いた。




 学院を出たアルトは、その足でリバネ造船へと向かう。もちろん目的は焼けてしまった木材の残骸とその周辺を確認するためである。


「何か御用でしょうかっ」


 赤レンガ造りの立派な倉庫の前まで来ると、バタバタと中から飛び出てきた若い職人が緊張した面持ちで声を掛けてくる。


「あ~、…リバデネイラ殿はいらっしゃいますか?」


 ガチガチに固まっている見習い感たっぷりの少年に灰色の髪をくしゃくしゃと握ったアルトは、約束も先触れもしていなかったことを思い出し、申し訳なさそうに尋ねる。


「す、少しお待ちくださいっ」


 勢い良く倉庫へ戻っていく少年を微笑ましく見送ると、開きっぱなしになっている扉が目に入る。アルトは少し迷ってから、そっと中を覗くのだった。


「お邪魔しまぁす」


 独り言のように呟き、倉庫の中へと一歩踏み入れる。申し訳程度に積まれた木材以外何もないそのだだっ広い空間は、なんとも寂しそうだった。


「…あそこかな」


煤塗れの倉庫の一角を見つけ、近づいていく。焼却炉だった残骸に向けて一直線に伸びる黒い道まで来ると膝を突き、そっと床を撫でる。薄く黒ずむ指に、アルトは思わず苦笑する。


「ファーリスの旦那っ」


 海側に続く出入り口から顔を出したトマスが大声を上げる。アルトの前まで一足飛びに駆け寄った彼は、そのままの勢いで土下座した。


「すまんっ、持ってかれちまったっ」


 そんなトマスの肩にポンと手を置くと立ち上がるアルト。後ろに続いてきて頭を下げる職人達の肩も優しく叩きながら、ゆっくりと海側の出入り口へ向かう。頭を上げ振り返った職人達は、扉の前に立ち対岸を鋭く睨みつけるアルトに言葉を失う。差し込む日差しを浴びて神々しさを纏う彼の姿は、誰が見ても、まさしく英雄と呼ばれるに相応しいもので――


「で、どうなりました?」



 振り返り首を傾げるアルトは、いつものどこかやる気のなさそうな雰囲気に戻っていた。


「なんか、いろいろ、台無しだ」


項垂れるように零したトマスの呟きに職人達は合わせたかのように頷くのだった。


 その後、昨夜カルラが戻ってきてからの話を聞いたアルトは、購入した代金が弁償として戻ってきたことを聞いて、ホッと息を零した。


「娘さんの様子は?」

「今はベテランの職人について、もう一度最初から勉強するって意気込んでるよ」

「それはよかった」


 やる気に溢れた若者が、誰かの陰謀で道を諦めるなんてことは許せるものではない。


「まさか息子までグルとはな」

「…それは、どうでしょうねぇ」

「ん?息子を使ってカルラを騙したんだろう?」


 カルラだけでなくシーロも利用されていただけではないかと考えていたアルトとしては、シーロもやる気の溢れた若者の一人である。アダンと一緒になって悪巧みをしていたのであれば仕方がないのではあるが、もし利用されていたのであれば、彼もまた被害者なのであるが、傷ついた娘の親としては正しい感情でもあると言葉を呑む。


「まぁ、それは追々ってことで、アクニ造船っていうのは、そこまでなんです?」

「そうさなぁ」


 なんだか有耶無耶にされた感を拭えないトマスであったが、話題が次に移ったことで意識をそちらに向けた。


「先代までは、それこそ乗り手を選ぶような船を造っていたが、今は誰でも乗れる船といったら聞こえはいいが、安くて簡単な物ばかり造っているなぁ」

「それはそれでいいことでは?」

「まぁ庶民でも買えるという点に関してはいいのかもなぁ」


 納得できていないアルトの表情に、トマスは苦笑する。


「それでも船ってものは高い」


 ますます困惑するアルトに、少しだけ真剣な顔つきでトマスは言う。


「同じような船でも安く造るってことは、どういうことかわかるか?」


 ハッと何かに気づいたアルトに、嬉しそうに頷く。


「そういうことだ。他よりも安く大量に造って莫大な利益をあげたが、評判はガタ落ち。今じゃ軽い妨害行為くらいは朝飯前だな」

「今回のもその延長と?」

「評判を回復するためにファビラ様の依頼を請けようと必死なんだろう」


 うんうんと頷くアルトに、笑みを浮かべていたトマスは、ふと彼がここに来た理由を思い出す。


「しかし、ファーリス殿はこれでよかったのか?」

「よくはないですけど、まぁなんとかします」


 笑顔で答えるアルトに、ついトマスは本音とも言える言葉を零す。


「一緒にやってみたかったなぁ」


はぁっと溜息を吐くトマスに、立ち上がったアルトは、一言だけ声を掛ける。


「だったら、やればいいじゃないですか」


 ニコッと少年のように笑うと、少しだけ頭を下げてその場を後にしたアルトを、トマスは、呆然と見送るだけであった。




 翌日、休暇期間中であるにも関わらずカンタブリア学院の第一実験場は、朝から貸切となっていた。


「久しぶりの感覚だ」


 赤いブレスレットを外したアルトは、すぅっと息を吸い込む。魔力が身体に満ちていくの感じた彼は、嬉しそうに顔を綻ばせると、グッと拳を握った。


「さて、はじめるかのぉ」

「お願いしますっ」


 学生時代に戻ったかのようなアルトに笑みを零すアレクであった。


「…ですよねぇ」


 しかし、姿を隠してしまうほどの大きい木箱を抱えるアレクを見ると、すぐにげんなりとした表情を浮かべた。


「まぁの」


 同じような渋い顔をするアレクは、ドスンと木箱を床に下ろすと、蓋を開けるように促す。渋々といった様子で蓋を開けると、内側が鉄板で補強された箱の中で、所狭しと親指大の白い蟻たちが蠢いていた。


「…とりあえず、眠りましょうか」


 掲げた両手に大きな青い魔術陣が浮かび上がる。魔術を行使されずに残っている魔術陣は、まるで元の青に白が溶け込むように、淡い青白いものへと変化していく。ところどころに濃淡があった色は徐々に混じり合い、すぐに一つの色になった。その瞬間、魔術陣が淡い青白い光を放って消える。そこから噴き出した凍えるような冷気にさらされた箱の中の蟻たちは、みるみるうちに静かになったのだった。


「しっかし、相変わらず職人が見たら激怒しそうな魔術じゃのぉ」


 ほぼ切り倒したままの丸太のひび割れに魔術を当てて拡げては、動きの鈍い蟻を入れる。そこへ今度は探知を阻害するための魔術を付与すると、表面を覆った緑の魔術陣が、元々なかったかのようにひび割れを消していく。


「とりあえず、こんなもんですかね」


 あっという間に、強度の違う阻害魔術を施した丸太が10本転がった風景を前にして、呆れるしかないアレクであった。


「おぬしのすることに驚いていても仕方ないか」


 はぁっと溜息を零すと、一本の丸太の片方を台座に固定する。積まれていた土嚢の一つをアルトから受け取ると接地している側へドサドサと土を被せた。


「先生も大概ですよ」


 土に薄らと同じ色の魔術陣が広がるその光景にアルトが呟く。薄い刃のような土の塊が丸太を通り抜けると同時に魔術陣が消え、バサッと散らばった。


「解除に失敗したらどうするんじゃ。変なことを言わんでくれ」


 しかし、振り返りニヤリと笑うアレクは嬉しそうだった。


―………ゴン


 そんな作業を繰り返し、最後の丸太を加工しているところへ、実験場の扉を叩かれたような音にアルトが気づいた。気のせいかと思いつつ扉へ目を向けていると―


―ゴンゴン


 再度、重厚な扉を叩く音が聞こえてきた。


「やっと来おったか」


 最後の加工を終えたアレクも気づいたのか手を止めると、そんなことをいって扉へと向かっていく。


―ガラガラガラ


 重そうな扉の音が実験場に鳴り響くと、少年の姿があった。アレクと二言三言交わすと中へと入ってくる。扉を閉め、アレクの後ろに付かず離れず歩いてくる少年の顔は、上側面だけ綺麗な断面をした太い丸太が転がる光景を目にし、徐々に驚愕に染まっていった。


「助手を呼んだんじゃ」


 アルトの前まで来ると、少年を横に並ばせアレクが簡単に紹介する。アルトは、仄暗いこんな場所でも明るく見える茶色い髪は、外にでれば間違いなく金髪なんだろうと何となしに思いつつ、緊張で硬くなっている少年の青紫の瞳を覗き込む。


「シーロ・アクニャです」


 直角に頭を下げる少年の後頭部と、悪戯が成功したような笑いを浮かべる老人を交互に見やり、溜息を吐いたアルトであった。

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