第6話 元領主の依頼
「まだ何も始めてないというのに…」
造船の依頼を正式な形で請けることとなったアルトは、2月に入ると早々に、依頼人であるファビラにサンタンデルの港に併設されたカンタブリア伯所有の造船所まで呼び出されていた。入り口で待っていたファビラに促されるままに案内された場所まで行くと、そこには2つの船台が並んでいた。
「今から楽しみじゃわい」
カラカラと響く笑い声に呆然と崩れ落ちたアルトは、せめてもの抵抗として恨みがましい視線で見上げる。暫く笑っていたファビラは、軽く一息ついてアルトを見下ろすと困ったような顔をする。
「何か勘違いしとるようじゃが?」
「…」
「おぬしに造ってもらうのは一隻じゃぞ?」
「……」
「何じゃ、その目はっ」
疑うように見上げてくる黒い瞳に、嫌そうな顔をしたファビラは、すぐにニヤリと笑う。
「じゃが、船台は二つ使う」
またカラカラと笑い出すファビラを呆れた顔で見つめるだけのアルトであった。そんな二人を遠巻きにして集まり始めていた職人に気づかずに―
「このアルト・ファーリスとともに魔力で動かす船の作成をお願いしたい」
魔力を伴った声が造船所に響く。アルトがいる船台の前には、大勢の職人達が集まっており、一段高い場所へ立つファビラの声に耳を傾けていた。後ろに控えた切れ長な目をした灰色の髪の青年が軽く紹介されると一斉に視線を動かす。しかしチラリと姿を確認するだけで、すぐに詳細の説明に移ったファビラへと意識を戻すのだった。
一瞬とはいえ注目されたアルトはというと、涼しげな雰囲気を崩すことなく、ファビラの少し後ろに控えていた。しかし、内心では、突然始まった説明会を前に動揺しており、話がこちらに振られないことだけを祈って前を向いていた。
この時、集まった半数以上の職人は、魔力を使って動かす船を造ると聞いた時点で、あまり乗り気ではなくなっていた。ファビラの発案ということであれば、もう少し状況も違ったのだが、発案者として紹介された青年の姿に不安を覚えた者が多かったのだ。
今から5年前、領内の西端で発見されたばかりの洞窟での大規模な崩落事故が発生した。当時、領主だったファビラの下の娘も犠牲となったその悲しい事故は、年の瀬の休暇期間ということも重なり、多くの死傷者を出した。この時、事故の報告に戻ってきたのは、二人の若い男女であった。多くの者がいたはずなのに、目立った怪我もない二人だけが戻ってきたことは、当然のように注目を浴びる。しかし、犠牲者を多く出してしまった責任として、事後処理の終了とともに領主が引退することが直後に発表されると、領民の関心は一時的に新しい領主へと移ってしまう。新体制への期待や不安といった混乱が収まり、事故に対する対応が進み始めると、漸く領民の関心が二人へと向かうのだが、その時には、既に領内にいなかったのである。そのため、様々な憶測を呼び、面白おかしく伝聞されたその時の噂を今も信じている者が多くいた。その若い男女のうちの一人というのが、この地方では珍しい灰色の髪に黒い瞳をした容姿をしていたと言われており、今まさに紹介された青年の特徴そのものであった。
「―というわけでじゃ。請けてもいいという者は、来月1日の朝、ここに集まって欲しい」
ファビラがそう締め括ると、静かに聴いていた職人達がざわざわと近場の者と相談を始めていた。その中の一人、暗い茶色の髪に無精髭を生やした職人だけがじっとアルトを見つめていた。
「トマスがいるなんて珍しいなぁ」
「ファビラ様からの依頼だって聞いたから、飛んできたんだがなぁ」
知り合いの職人に声をかけられた男は、頭の後ろをぽりぽりと掻いて話しかけてきた同業者の男に渋い表情を見せる。
「その顔を見ると、今回はなしか?」
「あ~、…考え中ってとこだな」
ぱらぱらと帰り始めた職人の一部が自然と集まってきていたことに気づいた男は、隣で不思議そうに首を傾げる少女に笑顔を見せると周りに聞こえるような大きさで声を掛ける。
「とりあえず、帰ろうか」
様子を伺っていた職人達は、その一言で思い思いに口を開きながら帰り始めるのだった。
「リバネんとこは請けないのか」
「トマスがやらないなら、やめとくかぁ」
「まぁ、あの容姿じゃなぁ」
「帰って親方に相談だな」
職人たちを追うように帰ろうとしていたトマスが立ち止まり船台を振り返る。そんな彼を、明るい茶色の髪の少女が、ただみつめていた。
「わしらも戻るとするかのぉ」
ぞろぞろと帰り始めた職人達を眺めていたファビラが、傍らで崩れ落ちているアルトに声を掛ける。
「…え~」
声だけ掛けると見向きもせずに歩き始めたファビラに、非難めいた声とともに顔を上げたアルトの目が、一人の職人を捉える。
「んっ?」
視線に気づいた茶髪の職人は、待っていた少女と一言二言交わすと、二人に向かってくる。
「あれは、トマス・リバデネイラじゃな。全く同じ形式の船は、滅多に造らないことで知られている男でのぉ。それでも、腕も相当のものじゃから、一部の者たちの間では、彼の船に乗ることが一種のステータスになっているくらいでのぉ。まぁ知る人ぞ知る職人ってところかのぉ」
すぐ側まで戻ってきたファビラの声に気づいて立ち上がったアルトは、膝の汚れを軽く払うと背筋を伸ばして再びトマスへと視線を向けた。
トマスは迷っていた。今まで誰も挑戦したことがない魔力を動力とした船という発想だけでも飛びつきたいほどであった。これが管理責任者も兼ねるというおまけがついた灰色の髪をした青年の案でなければ…。顔を見るまでは噂でしか知らない青年ではあったが、その容姿に関する良い噂を聞いた例がない。別人ということも考えられるが、特徴的な容姿に加えて、底冷えするような冷たい視線は、間違いなく噂の青年であると確信めいたものを感じる。しかし、もしそうだとすると、ファビラと仲が良さそうなのは何故なのかと、疑問が次から次へと湧いてくる。訳の分からない腹立たしさに顔を顰めたまま二人の前で立ち止まったトマスは、低い声で問うのだった。
「一つお聞かせいただきたい」
「その質問には答えられん」
ファビラが見透かしたように即答する。
「な、…ファビラ様に伺ったわけでは―」
「そうじゃ、トマスよ。期限の日まで、このアルトの手伝いをしてくれんかの」
「……御命令であれば」
「命令ではないのじゃがなぁ」
この場では、どうあっても答えをもらえないと理解したトマスは、不貞腐れたように渋い顔を浮かべる。ファビラは少し考えるような素振りを見せるとポンと手を打った。
「もし引き受けてくれるのであれば、その疑問にわしが代わりに答えてやってもええぞ?」
「…信じてもよろしいので?」
実際のところ、1ヶ月弱の間、すぐ側で観察するのもいいかと思っていたところだったトマスは、その言葉に心を決める。
「しっかりと期限の日までやってくれるのであればな」
「わかりました。お引き受けしましょう」
「あのぉ、当事者の意見は、聞いて―」
「何か言ったかのぉ」
「…何でもありません」
ニヤリと笑みを浮かべるファビラと項垂れるアルト。こうして、アルトの側で1ヶ月弱の間、トマスは手伝いをすることとなったのである。
翌週、トマスはビスト湾に面した岬にあるカンタブリア伯別邸の応接室にいた。
「稼動式なのか」
「水との接触面をできるだけ少なくするには、どうしたらと考えていたら、こうなりました」
アルトから概要を聞かされたトマスは、驚きを隠せなかった。今までにない発想が詰まっている計画に圧倒されるのであった。
「これは、…耐えられる木材が限られてくるぞ」
「ですよねぇ」
材料が思いつかないのであれば、造る造らないの問題ではないのではないかと渋い表情をするトマスに悪そうにアルトは笑う。
「そこで、金属か素材を使おうかと思っています」
「なにっ」
これでもかというくらいに目を見開き驚いたトマスを嬉しそうに眺めたアルトは、一つ咳払いをすると詳細を語るのだった。
その後、夕方近くまで打ち合わせをしていたトマスは、半ば放心状態で自分たちの拠点としているリバネ造船へと戻る。造船技師として何一つアドバイスを送ることもできずに、ただただ圧倒されたことに不甲斐無さを感じてはいたものの、自分では想像もできなかった発想ができるアルトと船を造ることができるかもしれないという高揚感のようなものを久々に感じていた彼は、少し興奮気味に拠点としている倉庫の扉を開いた。
「お頭、大変ですっ」
蜂の巣を突いたような騒ぎに包まれている光景に唖然とするトマスに一人の船大工が駆け寄ってくる。
「えらい騒ぎだな、おい」
苦笑を浮かべるトマスに、一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした船大工であったが、すぐに顔を真剣なものに戻すと伝えるべきことを早口に告げる。
「楢材が全滅です」
「……は?」
突然のことに頭の整理ができないまま、材木置き場まで急いで向かう。元領主の招集に、おそらく必要となると思い、事前に買い付けておいた最高級の船材が全滅と聞いて、頭の中は真っ白であった。
「これは、…アンティスか!」
木材が山積みにされている区画へ辿り着いてみれば、すでに何体かの虫の死骸が無造作に転がっていた。草木を食料とするアンティスは、大して珍しくはない昆虫である。しかし、木材を扱う仕事をしている者にとっては、迷惑極まりない存在であり、当然この業界に少しでも携わった者は、一番注意しなければいけない虫であった。
「使い物にならない木材で惹きつけろ!」
トマスは、その光景に唖然とするも、すぐに状況を把握すると、今も親指大にまで成長した白い蟻のような虫と小競り合いをする職人達へと指示を飛ばす。
「全部纏めてこっちへ連れて来いっ」
倉庫の隅にある焼却炉の近くへ移動したトマスが声を張り上げる。職人達が木材を振り回し、わざと食わせたりしながらズルズルと集めるのを注意しながら様子を伺う。
「ちっ」
一匹の白蟻が突然動きを止めたのを見たトマスが舌打をする。それを切っ掛けにして、何かが燃えた匂いが残るその場所に気づき始めた蟻たちの動きが鈍くなる。
「そのまま放り投げて退避っ」
トマスはすぐに指示を飛ばすと、詠唱を唱えながら虫たちの背後へと回る。
「…火の精霊よ、我に力をっ」
職人達が離れたのを確認するや否や、両手を掲げ赤く染まる魔術陣を浮かび上がらせた。
「ルォリングファイア」
開放された炎が焼却炉に向かって伸びていく。間にいた白蟻たちだけでなく、放り投げられた木材をも焼く尽くした炎は、勢いを落とすことなく焼却炉へとぶつかった。
―ドガンッ
「「………」」
「親方……やりすぎだ」
出来上がった黒い道の先にある焼却炉の一部が崩れ落ちる。
「…ははは」
呆れ混じりの職人たちが見つめる先にいるトマスの空笑いが、静まり返った倉庫に空しく響き渡るのだった。
一方、トマスを送り出したアルトはというと、休む間もなく来客を迎えていた。
「アダン・アクニャと申します」
高価な装飾品を身に付け、上等な布で作られた衣服を纏った壮年の男性が張り付けたような笑顔を浮かべている。隠すことなく疲れた表情を浮かべたアルトを見ても、その表情は変わることがなかった。
「アルト・ファーリスです」
渋々と名乗るアルトに一つ頷くと、アダンは、探るように口を開く。
「お疲れのところ申し訳ございません。造船所ではご挨拶もできませんでしたので、顔だけでも覚えていただこうと足を運んだ次第でございます」
「はぁ」
品定めをされているような視線に、アルトはどうしたものかと悩む。この屋敷の執事長であるバルドメロが門前で返さずに引き合わせたのであれば、造船関係の人間であるのだろう。本人も造船所でと言うからには、間違いない。派手な衣装に身を包んでいることからも、業界では相当の権力も有しているのだろう。しかし、応接室に通さずに玄関口で対面させたということは、と思考を巡らせる。
「だいぶお疲れのご様子ですので、本日は、この辺で失礼させていただきます。何かありましたら、対岸にありますアクニ造船へ御連絡ください」
はて、どう対応しようかと考え始めたアルトであったが、帰りの口上を述べるアダンに、ホッと安堵の息を零す。どこからともなく現れたバルドメロの姿に少しだけ嫌そうな顔をしたアダンであったが、営業用の笑顔をすぐに張り付けるとアルトへ一礼をして先導されるままに付いていく。どこで覗いていたのかと苦笑するアルトは、それでも助かったとバルドメロに感謝を込めて頭を下げるのであった。
数刻後、サンタンデル湾を横切る豪華に飾り付けられた船の上で、アダン・アクニャは荒れていた。
「私を誰だと思っているんだっ!」
部屋に散らばった報告書には、とある人物の経歴が詳細に記載されていた。しかし、どれも証拠がなく噂の範囲であったため、実際に会ってみることにしたのだが、名前しか名乗らなかったために見掛けだけは噂どおりの普通の青年ということしかわからず、終始疲れきった表情を浮かべていたうえに、玄関口での対応という非礼にも似た行為を受け、やり場のない怒りを覚えていた。
アクニ造船は、アダンの代になるまでカンタブリア伯領内で、長持ちする丈夫な船を造ることで名を馳せていた。ファビラが領主時代にも何度か造船の依頼を出していたほどである。しかし、アダンの代になると利益重視の経営へと方針を転換し、先代までの堅実な経営とは違い莫大な資金を手に入れる代わりに玄人からは敬遠される造船所となっていた。アダンは、豊富な資金を手に入れた成功者として評価されてはいるが、本人はまだ伸びると思っている。そのためには領主筋の依頼を請けて箔をつけたいと考えてはいるのだが、特命がほとんどの依頼であるためなかなか請けることができなかった。今回の召集はそういった意味でチャンスなのである。なんとしても請け負いたいアダンとしては、多少の損失は目を瞑る覚悟であった。
「どうして、…あんなやつに」
報告書を見る限りでは、5年前の崩落事故で逃げ出したのではないかと思われる自分よりも数倍若い青年が、今回責任者を任されている。実際に会うまでは、まぁそんなこともあると割り切っていたのであるが、今となっては納得がいかない。しかも、様子を見に行ってみれば、偏屈で新参者のトマスなんかが屋敷から出てくるのを目撃してしまい、そのうえ自分はほとんど相手にされなかったことに冷静になどなれるはずもなかった。
―コンコンッ
一人どうしたものかと唸っていると、不意に扉がノックされる。
「どうした?」
不機嫌さを隠しもせず答えたアダンであったが、返ってきた答えに、悪い笑みを浮かべる。
「リバネ造船のカルラがどうしても会わせろと申しておりますが、いかがいたしましょう」
「通せっ」
翌日の早朝、カンタブリア伯所有の造船所に隣接する倉庫にアルトとアダンの姿があった。
「こちらが最高級の楢材でございます」
アダンの部下であろう体格の良い男たちが木材を運んでいく。見るからに質の良い木材が積み上げられていく様子を眺めていたアルトは、眠そうに目を擦る。
「えぇっと、これはいったい?」
心底不思議といった表情のアルトに、あくまでも作った笑顔を崩さないアダン。
「ぜひファーリス殿に使っていただきたいと思いまして、運ばせていただきました」
「ファビラ様からの御指示か何かですか?」
「いえいえ、私どもの気持ちです」
「そういうことでしたら、頂くわけには…今は、リバデネイラ殿にもついていただいて―」
アルトが遠慮気味に断ろうとするが、トマスの名前を聞いたアダンは不敵な笑みを浮かべる。
「私はトマス・リバデネイラよりも優れていると自負しておりましてね」
「はぁ」
「まぁ、もしもの為の保険と思っていただければ」
作業をしていた男たちが集まってきたのを確認したアダンは、営業用の顔に戻すと、
「何かありましたら、ぜひアクニ造船へ」
昨夜も聞いた台詞を残し、呆然と見送るアルトに一礼すると何故か楽しそうに去っていくのであった。
時を同じくして、カンタブリア伯の別邸をトマスが訪ねていた。不在を知った彼はしばらく待っていたのだが、なかなか戻らない屋敷の仮の主に会うのを諦めたのか、悔しそうに立ち去っていくのを執事長のバルドメロがそっと見送っていた。
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