第5話 命名
「なんか、いろいろダメな気がするんですが…」
ベランダにある鉢植えから土を皿に移したビビアナの指の先に茶色の魔術陣がいくつも現れる。本格的に土の魔術を行使し、具体的なデザインを模索し始める女性たちを遠目から眺めていた男性陣は、顔を見合わせると盛大に溜息を吐いた。
「ところで、おぬしらは、これからどうするんじゃ?」
「どうすると言いますと?」
さすがに暇を持て余しはじめたファビラが、もう一人の暇人に話を振る。
「先程の話からすると、おそらく数年は、ここにいなくてはならなそうじゃろう?」
「やはり、そうなりますか」
薄々感じていたことを指摘されたアルトは、はぁっと肩を落とした。
「それまでの間、もしよければじゃが、ここを使っていてもよいぞ」
その言葉にパッと明るい顔を上げたアルトだが、すぐに怪訝そうな顔になると、恐る恐る確認する。
「…よろしいので?」
「どうせ、年に数度しか使っておらんかったでの、おぬしらがおったほうが、わしも顔を出しやすいしのぉ」
何かにつけて疑うアルトに、そこまで何かしただろうかと思うファビラであったが、こちらを伺う目に期待が含まれていることが分かると、笑顔を浮かべて、カラカラと笑った。
「カエデのレシピとセリノの料理が目的でしょうに…」
どこかに家を借りるべきだなぁと考えていたアルトにとっては、とても有り難い提案であった。しかし、素直に喜ぶのは癪であった彼は、感謝の意を込めて軽く頭を下げつつも、愚痴をぶつける。ファビラが、気にするなとヒラヒラと手を振るのを見て一度笑顔を浮かべたアルトであったが、何かに気づいたように少し困った素振りを見せる。
「…となると、何するかなぁ」
「なんじゃ、何も思いつかんのか」
ファビラが、わざと大げさにはぁと息を零す。
「息子の装飾品を作るなら、本職のほうもやってみたらどうじゃ」
少しイラツとした表情をするアルトに、仕方がないといった様子でファビラが提案した。
「あ~…そうですね」
気のない返事をして、そっと、視線を逸らし遠くを見つめるアルト。
「もう造りたいと思えるものはなくなってしまったかのぉ」
同じように前を向いたファビラは、実の子にもあまり見せたことがないような優しい顔でゆっくりと語り掛けた。顔を向けることはなかったが、声だけでもその優しさを感じ取ったアルトは、自嘲気味に笑いを零すと、ボソリと呟いた。
「自分や仲間たちを守るために必要なら考えますよ」
「それならば、おぬし自身のために造ってみたらよかろう」
そんな明るい声に驚いて顔を向けると、少しだけ嬉しそうな優しい笑顔を浮かべたファビラと目が合うのだった。
「あるんじゃろう?造りたい船が」
「…まぁ、……なんとなく?」
「なんじゃ、その煮えきらん返事は?」
本気で心配してくれていたファビラに、つい素直な返事をしてしまったアルトは、少しだけ逡巡して、それでも諦めたように告げる。
「いやぁ、…もう随分昔の話なんで」
「今でも通用する自信はあるんじゃろう?」
「…通用するんですかねぇ」
そう言って苦笑いを返したアルトは、カエデと一度だけ話したことがある理想の船を頭に思い浮かべていた。それは、天候に大きな影響を受けない船ではあるが、魔力を動力にするため、膨大な魔力必要とする船であった。魔動船と名付けたその船に乗って、いつか友人たちと旅に出ようと、学生時代、笑いあったのを思い出してしまった。
昔を懐かしむように物思いに耽る若者の姿に、ファビラは興味を持つ。
「老人の暇潰しに、どんな船か話してみる気はないかのぉ」
「…夢のような話ですよ?」
「どうせ暇潰しなんじゃ、構わん構わん」
そういって笑うファビラに、困ったような笑いを零したアルトであったが、ここまで言ってくれるファビラに話だけならしてもいいかと口にしてしまう。
「魔力を動力にした船―」
言いかけたアルトは、早々に後悔する。先程までの好々爺然とした笑顔はすっかり鳴りを潜め、子供のように目を輝かせているファビラに、嫌なものを感じて仕方がない。急に黙ったアルトに不服そうな顔を浮かべていたファビラであったが、少しだけ考える素振りを見せると、言葉を零す。
「いろいろと乗り手を選びそうじゃが、面白そうじゃのぉ」
「……」
眉を顰め、無言を貫くアルトに、ファビラはカラカラと笑って見せたかと思うと、今度は、何か思いついたようにキラキラと輝く瞳を大きくさせる。そんな様子に、もう嫌な予感しかしないアルトは、そっと視線を逸したのだが、ファビラはわざわざ回り込んで、顔を覗き込んでくるのだった。
「自分のために造ってみんか?」
「…いやいやいや」
慌てて止めに入るアルトに残念そうな表情を浮かべたファビラであったが、再び顔を輝かせる。
「費用はわしが準備しよう。造船の場所はこちらのを使えばええ。船大工も必要であればわしから声を掛けよう」
「…どうしてそこまで」
アルトが少し不機嫌に出した声に、少しだけ真剣な表情を戻したファビラは、黒い瞳をじぃっと見つめると、柔和な笑みを零す。
「お主なら、お主のような若者が側にいたらどうする?」
そう問い掛けてくる茶色の瞳は、全く笑っておらず、怖いくらいであった。
「…費用を用意していただいても材料があるかどうか分かりませんよ?」
「そんなのは、教会に依頼を出すか、自分で取ってくればええじゃろ」
「…」
心の中まで見透かされるような、あまりにも真剣な瞳に怖くなってしまったアルトが話題を逸らすが、ファビラは、それを鼻で笑う。
実際、材料よりも問題となりそうな場所と大量の人手がどうにか解決できそうな時点で、物理的な課題は残っていないのは二人にも分かっているのだ。あとは気持ちの問題なのだ。そして、唸るように渋い表情を浮かべているアルトの顔から険しさが取れ始めているのをファビラは、当然のように気づいていた。
「どうじゃ造ってみんか?失敗しても、誰も文句は言わん」
「費用を出してもらっておいて、それは、さすがにないでしょう」
ここが押し時だと判断したファビラが、少し強引に話を進めようとする。それに対して、アルトは冷静に答えを返したのだが、実は、この時、彼は少し混乱していた。いつものような強かさを全く感じないここまで強引なファビラを見たことがなかったのだ。
「全額費用をこちらが負担することに抵抗があるのであれば、できあがった船の設計図を譲ってもらう条件でどうだろう」
しかし、続けざまに放たれたファビラの言葉に、アルトは気づいてしまう。ファビラが本当にその船を見てみたいという気持ちと、その船を自分に造らせたいという気持ちが大きすぎて、冷静な状態でないことに。なぜなら、アルトを良く知っているファビラであれば、その設計図を譲るということこそが、一番の懸念であると気づいているはずなのだ。そして、それを裏付けるかのように、目の前で少し冷静さを取り戻した老人が、青褪め始める。
「お主が使った設計図はカンタブリア伯家の宝物庫で管理する。どうじゃ?」
そう、ファビラも事ここに至って、年甲斐もなく未知の船を見ることができる可能性に湧いて出た高揚感を抑えられていなかったことに気づいたのだった。そして、自分が発してしまった失言にも。
先程までの勢いを急に失い、アルトの様子を伺うように問い掛けてくるファビラに、つい苦笑を浮かべてしまうアルト。
「……まぁ、やってみましょうか」
「そうかっ、…そうか、そうか」
アルトの答えに信じられないといった様子で驚いたファビラは、それでもすぐに顔を綻ばせる。本当に嬉しそうに笑っているファビラに、少しだけ親孝行のようなものをするのもいいかなと、ほっこりした気分に浸っていたアルトであったが、すぐにこの老人の強かさを甘く見ていた自分を叱りたくなるのだった。
「そうじゃ、どうせなら報酬はこの邸宅の5年間無償提供ということで、正式な依頼としてお願いしようかの」
目を爛々とさせたファビラが、にやりと笑う。成功や失敗の記録が残ってしまう正式な依頼として引き受けることは、それが発明の類の場合、第一人者として名前が残ってしまう。名を売ることに興味がないアルトにとっては、実に迷惑な話ではあるのだが、既に唯一の話し相手だった老人は、人の手配や場所の手配を考えて楽しそうに一人の世界へと旅立っており、半ば呆然と見送るしかできないアルトであった。
少し遠くに目を向けてみれば、女性陣は、未だに舌戦を繰り広げている。隣では、ブツブツと独り言を零しており、ついに一人になってしまったアルトは、はぁっと肩を落とす。
―コンコンコンッ
そこへ扉が控えめにノックされる。周りを見渡すと、やはりというか誰も気づいておらず、この人たちは一体何なのだという気持ちを籠めた大きな溜息を吐いたアルトは、願わくは一人ぼっちを救ってくれる救世主であって欲しいという願いを抱いて、ゆっくりと扉を開けるのだった。
「失礼いたします」
少しだけ開いた扉から顔を覗き込ませた初老の執事長が、ゆったりとした所作で頭を下げる。しかし、扉の横で苦笑いを浮かべたまま、半開きの扉の中を指差すアルトに不思議そうに首を傾げたバルドメロは、促されるままに中の様子を伺う。まず最初に、その眼に飛び込んできたのは、ベッドの横にある机の上に、土山盛りにされた皿と、その土で作られたであろうアクセサリーのようなものが何個も並んでいる光景であった。それを女性たちが、真剣な顔で吟味している。そのまま視線を動かしていくと、今度は一人ブツブツと独り言を撒き散らして、物思いに没頭する老人の姿が飛び込んでくる。げんなりしたまますぐ側にいるアルトへと視線を戻せば、彼は肩を竦めて見せる。さすがのバルドメロもまた肩を竦めて苦笑を返すのが精一杯であった。
「御準備してきたのですが…」
しかし、呆れてばかりもいられないバルドメロは、アルトへそう伝えると扉の外に視線を送る。扉の脇には、羽根ペンと壷、羊皮紙が乗ったワゴンが置いてあり、その意味することに思い至ったアルトは、とりあえず入室をするようにと中途半端な状態の扉を開く。軽く礼をしたバルドメロは、ワゴンを押して部屋に入ると、アルトの横に静かに並んで扉の近くに控えるのだった。
どうしたものかと二人が顔を見合わせて、声を掛けるタイミングを計っていると、突如、カエデが声を上げる。
「こんなのはどうかしらっ」
一頻り案を出し合い、一つの答えに行き着いたのであろうカエデの藍色の瞳とビビアナの蒼い瞳が、弱った表情で扉の側に立つ二人の視線とぶつかる。
「えっ、あ、あのっ―」
「な、なにをしているのじゃっ」
女性陣の顔が赤く染め上がる姿に、二人は堪らず笑い出したのだった。
「なんじゃ、きておったのか」
「……きてましたよ」
その騒がしさで思考から引き戻されたのかファビラが上げた不機嫌そうな声に、執事長は呆れ混じりの声で答える。じっとりした視線を向けるファビラであったが、そのバルドメロの横にあるワゴンが目に入ると途端に嬉々とした表情を浮かべた。
「そういえば、まだ名前を決めとらんかったなぁ」
急に上機嫌になったファビラは、懐から質の悪い紙の束を取り出すと、ニコニコと気持ち悪いほどの笑顔を浮かべて、カエデの側まで近寄っていく。その後ろでは、そんなファビラに気づかれないようにバルドメロから羊皮紙と筆を渡されたアルトが、カエデと目を合わせて頷いていた。
「いくつか候補を考えて―」
「もう決めておりますよ」
考えてきたのであろう名前が書かれた紙束を握ったまま硬直するのはファビラであった。
「いや、ここは一緒に出し合ってじゃな―」
「決めてありますので」
すぐに立ち直ったファビラは、握り締めた紙束をカエデに何とか渡そうとするが、ニコリと笑うカエデが拒絶する。扉の近くでは、羊皮紙へさっそく名前を書き込もうとしているアルトの横で冷たい微笑みを浮かべたバルドメロがゆっくりと動き出していた。
「……参考までにどう―」
「御館様」
必死に粘るファビラに、そっと横に並んだバルドメロは、溜息混じりに声を掛ける。
「いや、しかしじゃな、孫のようなも―」
「御館様は、すでに3人も名付けていますでしょうに」
「まぁの、じゃが、これとそれ―」
「アイナ様が御生まれになった時、エミディオ様から言われた言葉を覚えていらっしゃいますね?」
「……」
「エミディオ様やアメリア様がこの姿をお聞きになったら、なんと言うでしょうねぇ」
なかなか諦めきれないファビラに、底冷えするような笑顔で止めを放った執事長は、心なしか晴々として見える。それとは対照的に、がっくりと肩を落として、崩れ落ちる元領主の姿には、二人の女性の何ともいえない視線が送られていた。
我関せずを決め込んでいたアルトは、羊皮紙に名前を書き終えると、わざわざ老人が蹲っているのとは逆側へ回ってカエデにその羊皮紙を渡す。
「この辺りでは、聞かない名前じゃのぉ」
羊皮紙を覗き込んだビビアナの呟きを拾ったカエデは、羊皮紙から顔を上げると、とびっきりの笑顔を浮かべる。
「私の故郷に咲く小さな花の名前で、花言葉は信じる心…まだまだ世界が乱れているこの時代に、一番大切で、失いやすいもの……」
命名『アオイ・ファーリス』
ある者は素直に喜び、ある者はこれから訪れるであろう戦乱に巻き込まれないことを願い、ある者たちはその持ちたる能力に将来を憂いつつも支えることを密かに誓い、ある者は親として守っていく覚悟を決める。想いは違えど、その場に居合わせた者は皆、スヤスヤと眠るアオイの幸せを切に願うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます