7話 迷いの森


 翌日、目を覚ましたルカキスは、あまりの精神疲労に昼過ぎまでベッドから起き上がれなかった。起き出したあとも何もする気にならず、出かけるのも億劫なのであまり気乗りはしなかったが、宿屋のマスターに夕食を頼んで食事の時間までベッドで横になっていた。

 寝ているだけで何もしていないのに、ベッドの上では「うぐっ……」や「ぐはっ……」などと、時折声を漏らす。どうやら昨日の出来事がフラッシュバックして、定期的にその精神をいたぶっているようだった。

 

 夕食の時間になり、マスターに話しかけられたら面倒だと考え少し遅めにロビーのテーブルについたが、意外にもマスターは一言も言葉をかけては来なかった。

 何かあったのかな? と、まるで他人事のように様子を窺うと、マスターの目が死んだ魚のようになっていたのでルカキスはびっくりしてしまった。


 食事を終え部屋に戻ると、扉を閉めた途端につぶやきを漏らす。


「あの目。まるで死んだ魚みたいだったな。フフッ、歳をとってもああはなりたくないもんだ……」


 言いながら、備えつけの鏡に映る自分の姿を何の気なしに見たルカキスは、思わずそこで驚愕に目を見開く。その目がまるで死んだ魚のようだったからである。

 それだけではない。顔色も青白く、頬が少しこけた印象もあり、生気のかけらも感じられない。10歳以上は一気に老け込んだ印象だった。


 こ……これが…………俺!?


 その姿に、ルカキスは異常なまでの危機感を覚えた。


 い、いかんっ! これではあの人生の終焉を迎えたマスターと同じじゃないか!?

 な、何を俺は引きずってるんだ!? 昨日のことは合意の上での出来事だったと、ティファールに貰った金はもとよりあの占いに使うためにあったと、割り切ったんじゃなかったのか!?


 ――このままではダメだっ――


 そう思い立つや、ルカキスはそのまま部屋をあとにし、宿を飛び出した。


 今日丸1日俺はいったい何をしていたんだ!? くやしいが、あのドナという女が言った通り、こんな風に時間を浪費していては目的など達せられるわけがない!

 くそうっ! 一刻も……一刻も早く森を抜け、カリューに辿り着きたい!


 そんな思いを抱きながら、ルカキスは迷いの森とあだ名される、ズレハの森へ向かったのだった。


 それからしばらく後。おそらく30分も経ってはいなかっただろう。

 宿屋には自室のベッドで腰掛けながら、鼻歌混じりにくつろぐルカキスの姿があった。いったんはズレハの森の入り口まで行ったものの、そのあまりの暗さと森の持つ独特の雰囲気に尻込みして、森には入らず帰って来てしまったのである。

 宿屋にはカンテラ(照明器具)もあり、それを借りて出直す選択肢もあったのだが、既に魔物がいないと聞かされていても、なおズレハの森は人を寄せつけない独特の雰囲気を備えている。ルカキスはそれに精神的に屈したのである。


 こえ~、夜の森、こっえ~~

 

 こんな夜中に出発する必要はない。今晩の宿代は既に払ってしまっているしな。

 財布の中身も乏しい今となっては貴重な金を無駄遣いするわけにはいかない!

 明日にしよう! 決行は明日だっ!

 もう、大丈夫だ。もう、気持ちは整ってる。

 明日は朝イチで、速攻で出発するしなっ!


 そう決意するや否や、ルカキスはまだ何も行動を起こしていないのに、何かをやり遂げた感じを出しながら部屋でまったりと過ごしていたのである。


 だが、それはどこかで見た光景でもある。そう、それは綿密に立てた計画を眺めながら、計画を立てただけで何かをやり遂げた気持ちになる様子に似ているのだ。

 そして、それは初日の寝坊からいきなり狂ってしまい、そのままなし崩しにうやむやになってしまうのが王道パターンでもある。


 果たして、ルカキスもそうなってしまうのだろうか?


 そんな不安をはらみながら、その日は終わろうとしていた。

 非常に寝つきの良いルカキスは既に眠りにつき、楽しい夢でも見ているのだろう、その顔にニッコリと笑みを浮かべている。

 その笑顔に期待しつつ、ワリトイの夜は更けていった。


◆◆◆


 翌朝、日が昇ると同時に目覚めたルカキスは、軽い朝食をとるとすぐさま宿をあとにした。

 さすがは主人公である。決めるところは決めるから。そんな得意げな顔でさっそうと森へ向かう姿が誇らしげでもある。

 昨日からロボットの姿が見えないのが少し気にかかったが、そんな思いも俄かに消え、ズレハの森の入り口についたころには一介の冒険者と思しき真剣な目つきに変わっていた。


 ここが迷いの森か。その奥にはかつての魔王の根城があり、未だ濃い瘴気が立ち込めると言われてるが……

 なるほど、そう言われるだけはある。昼間だというのにこの禍々しい雰囲気。少し入った奥は光もかなり遮られている。


 だが、臆することはない。既に魔物はいないんだ。目的地は森を抜けた先にある、幻の村カリュー。そこにいったい何があるのか? それ以上を聞くことはできなかったが、あの女が発明とまで自負する占いだ。飛躍的に何かの進展があるに違いない。そうでなくては……そうでなくては俺の――

 いや、止めておこう。すべては終わったこと。俺は信じたんだ。

 あとは前進あるのみだっ!


 ルカキスは堅い決意をもう1度胸に刻みつけると、そのまま森の中へ歩を進めていった。


 昼間にもかかわらず、森の中はかなり光が遮られていた。しかし、ところどころ日の当たる場所もあり、進むのに支障があるほどではなかった。

 ただ、魔物がいないというだけで、生物のいない死の森というわけではない。時折ガサッという音と共に茂みから野生動物が飛び出してくることがあり、その度にルカキスは必要以上に驚き「な、何!?」「まさかっ!?」などと、1人森の中で大声を上げることはあった。


 ドナの占い通り、しばらく進んだ先でルカキスは最初の突き当たりに遭遇した。

 森には一応道と呼べるようなものがあり、その道にそって、横道はすべて無視した先にあったT字型をした分岐である。

 無理をすればそのまま直進できなくはなかったが、そうすれば道を外れて森の中に迷い込むことになる。占いはおそらくこの道を指していたものと判断し、ルカキスはそこを右へと曲る。そしてまた、道にそってひたすら森の中を進んだ。


 黙々と歩いていると、同じようにT字路に差しかかる。そこも右へ折れ、また先を進む。道はただ真っ直ぐに続いているのではない。時折ぐねぐねと曲がりくねって、方向音痴のルカキスは既にどちらが北なのかも把握していない。そんな道をルカキスは無心に歩き続けた。


 そうして、どれぐらい歩いただろう。ほどよく疲労を感じ出した幾度目かの分岐に差しかかった時、ルカキスは分岐の左手に光の差し込む森の出口を発見していた。


「な、何っ!?」


 おそらく出口と思しき左へ向かうには、占いを無視して進む必要がある。その事実にルカキスは眉間にしわを寄せた。


 左はあきらかに森の出口だと思うが、ドナの占いに左という言葉は1度も出てきていない。従って、その先がカリューである筈もなく、気にせず右へ進めばいい話なんだが……


 ルカキスは腕組みしながら、なお思案を続けた。


 ただそれは、俺がドナの占い通りにここまで来ていればの話でもある。

 しかし、俺はここに辿り着くまでに2つの不安要素を見出している。1つは右に折れる回数をはっきり覚えていないこと。そして、もう1つは俺が突き当たりと見立てた場所が本当にドナの占いのそれに該当するのかということ。

 森に入って俺が分岐を見つけたのはここが6度目であり、それが既に占いと食い違っている。はっきり覚えていないが、ドナの言った回数はおそらく3回、若しくは4回、或いは5回。うろ覚えなのが致命的だが、6回も言っていないのは間違いない。

 道の分岐を突き当たりと見ることは合っていると思うから、途中の3~5回目のどこかで何かを見落とした可能性がある。だが、このまま戻ったら方向音痴の俺は完全に迷子になることが確定しているし……


 逡巡は僅かであり、その結論はすぐに出た。


 間違っててもいい。ここは一旦左から森を出て仕切り直しにしよう。

 どこに出るかは分からないが、目的の場所でなくても今後の手がかりにはなる筈だ。何かの手違いで、やっぱりカリューだったなんてオチも考えられるしな。


 そう考えをまとめると、ルカキスは6度目の分岐を右へは曲がらず、とにかく1度森を出てみることにした。

 出口が近づくにつれ、先の景色が徐々に目に入ってくる。しかし、その光景にルカキスは既視感を覚えていた。


「なっ!?」


 森から出た途端、ルカキスはそんな言葉を口走った。


「これ……は……」


 驚きの表情を浮かべるルカキスの目の前に広がっていたのは、何のことはない。自分が森へと向かった出発地点ワリトイの町に他ならなかった。


「戻って……来ただと?」


 ルカキスはこの結果に非常な困惑と焦りを覚えた。

 確かにルカキスは占い通りに森を進んでいない可能性を感じていたが、もしそこに誤りがあったとしても、それは少しの軌道修正で済むと思っていた。

 ところが、結果は森の入り口への逆戻りである。あそこで左に曲ることを選択していなければ、いつまでも森をぐるぐる回っていたという事実を考えれば、そこに大幅な間違いがあるのが決定的になってしまったのだ。


 ルカキスは、今度は分岐となったT字路を注意深く観察することを意識しながら、再度森の中へ入ってゆく。分岐は全部で6ヶ所存在した。


 最初の分岐に辿り着いたルカキスは、目を凝らして奥を覗きこんでみる。

 無理をすれば行けないことはない。そう思えた。

 だが、木の密生する奥の方はほとんど光が差し込まなかったし、乱立する木のせいで真っ直ぐ進むのも困難に見えた。土もなんだかぬかるんでいて、進み続けることに相当の勇気が必要とされる。

 2、3歩踏み込んだあと俄かに引き返してくると「ないない」と言いながら、次の分岐へ進むことを決めた。


 2つ目の分岐はその奥が崖になっていた。10メートルほどの高さだったが、やはり真っ直ぐ進むことはできない。ここも諦めて次の分岐へ向かう。

 3つ目はせり出した大きな岩肌、4つ目は川に阻まれ分岐を右へ折れるより向かうべき道がない。

 5つ目は何とか奥へ進めたものの、僅かも進まないうちに森を抜けてしまい、出たところからかなり遠目にワリトイらしき町が見えていた。

 森を南に抜けた位置から西方向にワリトイが見えることから、ワリトイから東にほぼ真っ直ぐ進んだ先の、それほど深くない場所に5つ目の分岐があることになる。この時点で、かなり手前の方まで戻ってきていることが分かった。


 最後の6つ目は入り口付近だということが分かっているし、おそらくドナの言う分岐の場所でもない。間違っているとすれば4つ目以前ということになるが、これまでの検証結果を考えても、怪しいところは残っていなかった。


 いったい、どういうことなんだ?


 ルカキスは進むべき道を完全に見失っていた。


 迷いの森。

 まさかその名の通り、普通に進むだけでは辿り着けないのか?


 ルカキスは森に対してそんな疑問を抱いたが、そろそろお昼を回った時間である。

 いったん探索を中止して村に戻り、昼食をとりながら、もう1度自分が歩んだルートに誤りがなかったかを考え直してみることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る