6話 酒場③
「ウフフ、今度は淀みない結論を出せたみたいね」
「……おそらく」
「じゃあ、答えを聞きましょうか?」
自分を落ち着けるように1つ大きく深呼吸した後、ルカキスは答えを口にした。
「僕はあなたを信用します。だから、この先僕が進むべき道を教えて欲しい」
「……もとより私はそのつもりだったんだから、是非もないわ」
言いながら浮かべるドナの笑顔に釣られて、ルカキスもその頬を緩めた。なんとなく場が和んだところで、ドナが切り出した。
「じゃあ、さっそく持ってるお金を全部出してちょうだい」
「…………へっ?」
ルカキスはドナが何を言っているのか、しばらく理解できなかったが、意味もわからずまぬけ面でドナを眺めていると、その眉がだんだんと吊り上っていく。それを見てようやく、その発言が本気だと理解せざるをえなかった。
「何してるのっ!? 早く出すもの出しなさいよっ!」
「えっ!?……何を言ってるんですか?」
「はあぁぁ~!? あなた、本当に私の話を理解できたの?」
「一応そのつもりですけど……」
「適正な対価を払わないと、とんでもない不幸が訪れるって、さっき教えたでしょう!?」
「それと、僕の財布といったい何の関係が……」
「あなた、私の言ったことが全く理解できてないじゃない!? ああっ! やっぱりボガードでたとえて話すべきだった。私のあのチョイスは間違ってなかったのよ!」
「いや、間違ってますから。ボガードを知りませんので……」
ドナはひとしきり嘆いたあと、恨みがましくルカキスを睨みつけると、テーブルをドンッと叩いてグラスの酒をあおった。
「まあ、いいわ。理解してないところを詰めながら話を進めましょうか」
「……はあ」
「先ず、あなたが私に占いを依頼し、私が快諾した。ここまではいいわね」
「……はい」
「そして、その料金を決定するのに、財布を出せと言ったのに、あなたは出さなかった……なぜ?」
その言葉に、ルカキスは顔面を蒼白にさせながら声を荒げた。
「いや、ちょっと待ってくださいっ! 確かあなたはさっき、ただで占いをしてくれると――」
「はああぁぁ~? そんなのとっくに終わってるに決まってるじゃないの!?」
「え、ええええぇぇ――――――――っっ!?」
「だいたいあなた、私の占いがどのくらい価値あるものか分かってるの? 言ったでしょう? 私の占いは発明なのよ、ハ・ツ・メ・イ! あなた、発明が無料キャンペーンて配られているのを見たことがあるの? それほど価値ある私の助言を、既にあなたは何回受けたと思ってるの? それだけでも奇跡の出来事よ! お酒を奢る程度じゃ全くバランスが取れないわ!」
「何回って、あんなちょっとで!? たったあれだけで、そんな価値があるわけ――」
「あるのよっ! 私の占いにはそれだけの価値があるっ!」
ドナの目は真剣で、言っていることに嘘はないと感じられた。だが……
「でも、そんな料金なら、お金の無い人は占ってもらえないんじゃ――」
「料金は……料金は人によって変わるわ。そして、内容によってもね」
「そんなっ!?」
そんな商売、人の足元を見て決めてるに等しいじゃないかっ! 時価の占いなんて聞いたことがないっ!
しかも……しかも、この女は俺が金を持っていることを知っている!
ルカキスの頭を最悪のシナリオが過ぎった。
「……では、僕の料金はいったい、いくらなんですか?」
「それを財布の中身を見て、決めようと思ったんだけど――」
「そんなの、おかしいじゃないかっ!」
ルカキスはテーブルを叩きながら、思わず立ち上がっていた。
「僕がいくら持っていようと、本来占いの金額なんて変わるもんじゃない! そ、そ、それではまるで、さ、さ、さ……」
「詐欺だと言うの? 私の占いが」
ドナの冷ややかな口調と、凍てつくような視線がルカキスの心に突き刺さる。
ぐっ……なんてことだ。さっき、俺はこの女を信用すると決めたばかりじゃないか? なのに、やっぱりまだ完全には信用しきれていない……
ルカキスは力なく椅子に座ると、そのままうなだれてしまう。
ブレブレじゃないか。俺の心は。でも、この女の言い分はおかし過ぎる。納得いく説明が聞けなければ――
「私が財布の中身を確認したかったのは、あなたがどの程度出せるか知っておかないと、占いができなかったから。私は対価を越える占いはしない。だから、あなたが出せる限度に合わせて占うために、所持金を知る必要があった。でも、あなたには最低限伝えないといけない内容がある。少なくとも、それに見合うお金は持っていると判断したから、私はどうするかをあたなに委ねたんだけど」
「…………」
「いいのよ、今回は特別に先に占ってあげても。でも、その場合、私の占いを余すところなく聞いてしまったら、きっとあなたの所持金では不足する。私は別にあるだけ支払ってもらって構わない。だけど、不足分は必ず何らかの形で清算される。その覚悟があるのなら、私は喜んで占ってあげるわ」
……そうだった。こいつの理屈は目に見えるものじゃない。どれだけ説明を聞いたところで、納得できるものじゃなかったんだ。要はこの女が信用できるかどうか。それだけが問題であり、そして俺は信用すると決めたんだ。
……諦めよう。所詮、俺が持っている金も、ティファールから棚ぼた的に手に入れたものだ。金額の多さに少し浮かれていたが、本来これは目的を遂行するための軍資金。そう考えると、ここでその大半を失ったとしても、それは目的から、ずれてはいない。むしろ、ここで必要だったから、これほどの大金を与えられていたと考えることもできる。
それに、この女の占いはここで聞いておく必要性を感じる。女の言うことが正しければ、それで目的への道のりは飛躍的に進む筈だ。たとえ騙されていたとしても、たかだか金の問題だ。その後、いくらでもやりようはある。優柔不断が悪いとは思わないが、今回の目的に対しては、俺は決断力を持ってあたる必要を感じるしな。
フッ、でも短かったな。俺のバブル……
ある種、悟りにも似た境地に至ったルカキスは、今度こそ揺らぐことのない決意(諦め?)を胸に、力なく言葉を返した。
「……いえ、結論は出ました。不足してる分は、自分の努力で何とかします。だから僕の所持金の許す範囲で、占いを聞かせてください」
望み通りの言葉を引き出せたドナは、その顔に満面の笑みを浮かべた。
「ウフフ、分かったわ。でも、あなたのそんな顔を見てると、限界まで搾り取るのが可愛そうになって来ちゃったから、少し余力が残るぐらいで、今日は勘弁しておいてあげるわね」
って、限界まで搾り取るとか、そういう口調はやめて……
心の中でそう呟いたルカキスの頭に、ふと1つの疑問が過ぎった。
「あの……ちなみに1つ聞きたいのですが」
「それは、占い以外でということ?」
「はい」
「いいわ。今日は気分がいいから何でも答えちゃう。ウフ」
代わりに、こっちの気分は最悪だと返す気にもならず、ルカキスは疑問だけを口にした。
「あなたは占いの対価として、僕から大金を巻き上げるわけですけど――」
「巻き上げる!?」
ドナの声音と鋭い眼光、そしてその反応速度に驚き、ルカキスは即座に発言を謝罪する。
「す、す、すみません。言葉を間違えました」
「……本当かしら? 意図的なものを感じたけれど。不本意ならやめてもいいのよ?」
「いえ、そんなことは――」
「言葉には言霊がある。マイナスの思念を込めた言葉は、不用意に発声しない方が身のためよ。細かい説明は敢えてしないけど、これはあなたのためでもある。心に抱いた負の感情は、実世界と対になっている。それに引き寄せられ、形となって降りかかってくるものが、決してあなたを幸福にすることはないんだから」
「…………はい」
言葉で相手を攻撃するのは、ルカキスの基本性能(主に天の邪鬼気質が要因)である。特に意識したわけではなかったが、あまりにやり込められた感が強かったため、無意識にそういう言葉をチョイスしたというのが真相だろう。
だが、その僅かな反撃すら受けつけないドナの守備力の高さに、今度こそルカキスは白旗を上げ、完全降伏するより他なかった。
「聞きたいことがあったんじゃなくて、私を言葉で貶めるのが目的だったのかしら?」
それならいくらでも受けて立つわよと言わんばかりに、ドナは笑顔で酒をあおり、ルカキスに挑発的な視線を投げかける。
「め、め、滅相もございません!」
お代官様! ははぁぁ~っ! と言葉が続きそうな程に低姿勢なルカキスは、もはや負け犬以外の何者でもない。
そのルカキスの言葉を、微笑みながら受け流すドナは、逆に王者の貫禄すら漂う。
「ウフフ、それで? 聞きたいことって?」
「いや……何というか。今更もういいかな……と」
「ウフフ、それで? 聞きたいことって?」
ドナは2度続けて同じセリフを吐いた。しかし、眉毛の角度が微妙に上がっている。意外にも、思わせぶりな態度を受け流せないタイプのようだった。
言いかけたんだから、途中で止めずに最後まで話しなさい、さもないと……
そんな脅迫めいたドナの目に気圧され、ルカキスはしぶしぶ先ほど言いかけていた言葉を口にした。
「いや……そんな大したことじゃないんですが……あ、あの、あなたは僕から占いの対価として……そ、そこそこの大金を受け取るわけじゃないですか? その占いの額が、対象によって決まるというのは分かるんですが、それを受け取るあなたにとって、その金額が多すぎるということはないのかなぁなんて、ちょっと思ったんで。あの、トンチンカンなこと言ってたらすみません……」
恐縮しながら頭を掻いて、苦笑いを浮かべるルカキスだったが、一笑に付すと思われたドナの様子がおかしい。何かに思い当たったのか、目を見開いたまま、飲みかけのグラスもそのままに、完全に固まっている。
ここに来てついにドナを出し抜くことができたのか!? ルカキスは僅かな期待を胸に、その動向を見守った。
「……考えてもみなかった。確かに占いの神託や先見は、私を媒体としてはいるけど、実際にその価値が見合うのは、占い自体であって私じゃない。だとしたら、占いの対価として受け取った度を過ぎた幸運については、私にそのしわ寄せがくることになる……」
ドナは自分が口にしたことを、必死に考えている様子で、額に手を当てたまま微動だにしない。今回、ルカキスを占う金額は、そこそこ高額になることが予想されるが、今までそれほど高い対価を受けることがなかったのか、その目は真剣そのものである。
「ど、どうすればいいの? このままでは……このままあなたを占ってしまったら、私はその粛清のため、とんでもない不幸に見舞われてしまう!」
ふと思いついたことだったが、ドナの様子にルカキスは思わず拳を握り締める。
やったのか? ついに、ついに俺は一矢報いることができたのか!?
少し青ざめた表情で俯くドナは、震えながら言葉を口にする。
「そ、そんなの……そんなのいや! いや、いや、いやあぁぁぁ~ん……なんてね」
「……な、なんてね?」
「ウフフ、どう? あなたの期待通りにリアクションできたかしら?」
どうやら、ドナは乗り突っ込みもできるようである。
「正にトンチンカンな質問ね。占いで得たお金は、寄付すべきだとでも言っているの? ウフフ。あなたはどんな結果なら、自分が成したことだと思えるのかしら? 占いに限らない。この世には異界に繋がることで成り立つ商売というものがある。占いみたいにあからさまなもの以外にも、絵画や音楽などの創作といわれる才能や、商売をしている人が受けるインスピレーションなんかも、程度の大小こそあれ、異界の影響を受けている。才能=どれだけ異界とうまくリンクできるかと、言い換えてもいいぐらいよ。私が占いをすることで受ける報酬が不当なのだとすれば、それら才能で商売している人達だって、不当な利益を享受していることになる。でも、この世界の仕組みはそうなってはいない。社会が生み出す利潤を得るポジションについた者が、その対価を有する権利を得る。その時に未来に繋がろうが、別次元に繋がろうが、頭を使おうが、人を使おうが、物を使おうが、更にはどんな人格だろうが、そんなものは一切関係ないの。ウフフ。だから心配(?)してくれるのはありがたいけど、私があなたを占って、その報酬を私が得る。そこには何の問題も発生しないのよ」
どうやらドナは、完全に独自の理論を構築しているらしく、それによると、今回ルカキスを占う報酬をドナが受け取ることに、問題が発生することはないらしい。結局ルカキスは、最後までドナには歯が立たなかったのだ。
ルカキス自身、頭にふと過ぎったことだったので、問題が無いと言われれば、その答えに異論を差し挟むつもりもなかった。ただ、話を聞く限り『だったら才能のある奴は得だよなぁ』という印象は抱いていたようで、それをルカキスの表情から読み取ったドナは、笑いながら言葉をつけ加えた。
「別に才能のある人間が、得してるわけじゃないのよ?」
「いえ、あきらかに得してますけど」
「ウフフ、じゃあたとえば――」
「ちょっと待った! また変なたとえをするつもりじゃ――」
「黙って聞きなさい! さっきは言い方を変えてあげたけど、もう迷わない。私がチョイスするたとえの方が、絶対に分かりやすいんだから!」
ドナはルカキスを目で威圧して反論を封じ込めると、酒を一口あおってから切り出した。
「じゃあ、行くわよ! まっさらの『すっぴん』と、青魔法の使える『すっぴん』どっちが強い?」
出た!
ルカキスは内心そう思ったが、ドナがたとえを変更する可能性はゼロに等しい。仕方なく意味の分からないワードについて、質問を口にするが……
「すっぴんって、化粧をしてないってことじゃないですよね? 青魔法の使えるすっぴんって、いったい――」
「その通り!」
「えっ!?」
「でも、この段階ではまだ、青魔法を使えるすっぴんが有利程度で、それほど差はないわね」
「いや、有利って、僕まだ答えて――」
「ジャージャンッ! 第2問。では、二刀流とカウンターの使えるすっぴんと、隠れるとダッシュが使えるすっぴん、どっちが強い?」
うっ……完全に俺を無視して進行している。すっぴんの意味が分からないが、ニュアンスで答えるしかないか……
「いや、あの……二刀りゅ――」
「正解っ!」
「いや、まだ質問のとちゅ――」
「チャラチャラッチャッチャッチャーチャンッ! では、次の引っ掛け問題です」
「ひ、引っ掛けっ!?」
「黒魔道師と、黒魔法の使えるすっぴん……どっち?」
「ど、どっちが強いじゃなくて、どっち!?」
ルカキスは問題の真意が分からず問いかけるが、当然ドナがそれに答えることはない。必然的に、自分で意味を推し量って答えるはめになる。
どっちって……ただ、強いまで言うのが面倒で、はしょっただけなのかなぁ? 黒魔道師って黒魔法の使える魔法使いってことでいいの? 黒魔道師と黒魔法の使えるすっぴん? 何か能力的に差がないような……
すっぴんが今ひとつピンと来ないんだけど、さっきは二刀流とカウンターも使えるすっぴんとか言ってたなあ。ということは、すっぴんは色んな能力を身に付けられる職種と考えた方が良さそうだ。でも、質問の内容では黒魔法しか使えない。黒魔道師も黒魔法を使えるとすると、能力的には互角。
だったら、生粋の魔法使いっぽい黒魔道師の方が強いのかな?……よ、よし!
「く、く、黒魔道師!」
「とまあ、だいたいこんな感じかしら。どう? 理解できた?」
「って、ほったらかしっ!? 今の答えは!?」
「色んなジョブをマスターするほど『すっぴん』は強くなってゆく。だから人はみなジョブチェンジするのよ。私のジョブは占い師。あなたのジョブは何かしら?……ウッフフ。あ、因みにSFCのⅤ準拠だからね」
「って、意味わかんねええええええええぇぇぇっっっ!」
「ウフフ、別に分からなくてもいいのよ。これは仕組みの話であって、とんでもない落とし穴があるから、逆に真剣に受け止めない方がいい。それにあなたは現状、重大な取り組みの渦中にいるんだから、今はそれだけを考えなさい」
ドナはテーブルにグラスを置くと、真剣な眼差しでルカキスのことを見つめた。
ルカキスは、話の結論に消化不良を感じつつも、拘っていると怒られそうな気がして、追求するのを諦めた。
「さて、ではそろそろ占いましょうか?」
いよいよ占いが始まりそうである。ようやくここまで辿り着いた印象は強いが、ルカキスにはそれより気にかかることがあった。
「あ、あの支払は……」
「ウフフ、なぁに? 先に支払いを済ませないと落ち着かないタイプ? 大丈夫。占いを聞いたあとで、あなたが逃げるだなんて思っていないから。最も逃げたらどうなるかは、既にあなたは理解してると思ってるけど?」
「に、逃げません!」
「ウフフ……じゃあ、伝えるわよ」
もとより、ルカキスに逃げるつもりなどない。事前に金額を知っておきたかったから、切り出したのだが、ドナにはその意図が伝わらなかったようだ。
しかし、ドナはそのまま占いに入ってしまいそうで、割り込む余地はない。ルカキスは内心そこに不安を感じつつも、金額の問題はとりあえず棚上げし、占いの内容に集中することにした。
「この町の北にある、ズレハの森を知ってるかしら?」
ズレハ?……確か宿屋のマスターに聞いた『迷いの森』と呼ばれてたのが、ズレハの森だった筈だ。
記憶との照会に心当たりのあったルカキスは、こくりと頷きを返す。
「その森を進み、突き当たったら右に進む」
迷いの森に入るのか!? 今は魔物の姿も無いというが……
いよいよ、俺の冒険が始まる予感がする!
「森を進み、突き当たったら右に進む」
……んっ?
今、同じことを言ったのか? いや、俺が聞こえてないと思ったのかな?
「森を進み、突き当たったら右に進む」
「……いや、聞こえてますけど?」
「森を進み、突き当たったら……」
「…………」
いや、だから右に進むんでしょ。
……いや、溜めなくていいから。
…………って、長いからっ!
「右に進む――」
「でしょうねっ!」
ルカキスはドナの言葉に、食い気味に返事を返していた。
迷いの森を進み、突き当たったら右に進む! でしょうねっ!
……ったく、慣れない。この女のペースは慣れない上に、非常に疲れる。
「森を抜けた先にあるのが、幻の村カリュー」
って、いきなり話進んでるしっ!
なになに、幻の村カリュー? それが俺の目指すべき場所か!
まったく。もう少しスムーズに伝えて欲しい……!?
いや、ちょっと待て! 言った回数に何か秘密があるんじゃないのかっ!?
今、右に進むって何回言った? 3回か? 4回か?
しまったあああああぁぁぁっっ! 真面目と冗談の区別がつかないから、何回言ったのか覚えていないっ!
くそうっ……うっ…………ぐほうっ!
ルカキスは心の中だけで喀血していた。
どうする……ハァ、ハァ、この女のことだ……聞き直したところで教えてはくれまい……ハァ、ハァ……どうすれば……ハァ、ハァ……はあ?
いや、よく考えたら右に進むとしか言ってないから、突き当たりを右に進んでおけば問題無い。フッ、何を焦ってたんだ俺は。よ~し、ここまではOKだ。それで……
視線をドナへと戻したルカキスは、既に頬杖をつき、上機嫌で酒盛りを再開しているドナを見て、愕然とする。
嘘だろっ!?……占い、たったあれだけ!?
「ち、ちょっとすみません!」
「…………なに?」
「いや、なにって占いの続きは――」
カランコロンカラン
その時、店のドアを勢いよく開けて、店内に入ってくる者があった。
それは黒いフードに身を包んだ、ツインテールの少女だった。少女は店内を軽く見回すと、俄かにルカキス達の方へ詰め寄って来た。
「ドナちゃんっ! もう、何時だと思ってるの!?」
「あら、サキちゃん。迎えに来てくれたの?」
ドナちゃん?……サキちゃん?
状況を呑み込めないルカキスを睨みつけるように一瞥をくれると、ツインテールの少女サキアは、ドナに帰りを促し強引に出入り口まで引っ張っていく。
「ねぇ、聞いてサキちゃん! 今日ね……私やったの! やってやったのよっ!」
「やったじゃないよ! 明日は朝からすぐ隣のスグナリトの村に行くから、早く帰って来てって言ってたのに~」
「サキちゃん、大丈夫。もう、そんなに必死になって安い仕事をこなさなくても、しばらくは大丈夫なんだから」
「えぇ~っ、でも――」
「あそこに座ってる、あの人を見てみなさい」
サキアに手を引かれ、入り口付近まで来ていたドナが指差したのは、先ほどまで同席していたルカキスだった。サキアはドナに言われた通り、しばらくルカキスのことをじっと見つめたが、俄かにドナに向き直ると、眉間にシワを寄せて訴えかけた。
「だめだよ、あの人は~! だって、貧乏そうなんだもん!」
び、び、び、貧乏そうっ!?
ルカキスはサキアの言葉に、プライドをしこたま傷つけられていた。
「サキちゃん!……人を見た目で判断してはダメって、いつも言ってるでしょう? でも、サキちゃんの見る目は鋭いわ。本来ならアレは貧乏顔だもの」
び、び、び、貧乏顔っ!?
「でもね……今は持ってるの。貧乏になるのは間もなくの話よ。ま・も・な・く」
「え~、そうなの?」
アレ呼ばわりな上に、時限予告付き貧乏宣告。ルカキスは公衆の面前でのこれ以上ない辱めに、精神をズタズタに引き裂かれていた。
「お会計、お願いできる」
「あ、はい。いつもありがとうございます」
ドナの呼びかけに、女性店員が笑顔で応じる。
「今日の支払は、あそこのアレがするから」
ドナは店員を見ながら、振り返ることなくルカキスを親指で指し示す。店員はドナの肩越しにルカキスを確認すると「かしこまりました」と元気な返事を返した。
「それとボトルキープを200……いえ、300お願いできるかしら。いつものやつでね」
「えっ!? 300もですかっ!?……豪勢ですねぇ。あ、でも在庫が――」
「分かってるわ。すぐに全部なんて、いくら私でも空けられないから、入荷の手配だけしといてくれれば、それでいいわ」
「かしこまりました」
そのやり取りが耳に入った途端、ルカキスの青ざめた表情は黄色に変わっていた。
ぼ、ぼ、ぼ、ボトル300だとっ!? た、足りるのかっ?……俺の持ち金で、本当に足りるのかっ!?
「あ、それとキックバックは、次に来た時に受け取るから用意しておいて。勿論その支払いも――」
「心得ております」
店員はちらりとルカキスに目をやったが、その顔をとらえることはできなかった。なぜなら、ルカキスは床に手をついて、ダウン寸前の様相を呈していたからである。
「サキちゃん! 何か欲しい物ある?」
「ええっ! いいの!?」
言いながらドナは、サキアの背中を抱くようにして、出入り口のドアを開ける。
カランコロンカラン
「当たり前じゃな~い。だって私とサキちゃんは・・」
カランコロンカラン
ドアの閉まるのに合わせて、2人の会話は店内に届かなくなる。ドナとサキアが立ち去ったあとも、ルカキスはしばらく床に這いつくばったまま、身体を起こすことができなかった。
ぐ……ぐほっ……な、なんだこのダメージは……か、かつて……これほどまでの精神的苦痛を……味わったことがあっただろうか……
ド……ドナちゃん…………だと!? あの占い師……名前は…………ドナ。
忘れない……ぐっ、ぐふっ……俺は……お前の名前を一生忘れないぞ…………
占い師……ドナッ!
「あの……」
ルカキスの死闘さながらの精神的葛藤に水を差すように、頭上から声がかかる。まるで口から流れ出た血を、腕で拭うような仕草を見せたルカキスは、ゆっくりとその視線を声のした方に向けた。
そこには、先ほどまでドナとやり取りしていた、女性店員の姿があった。
「申し訳ないですが、他のお客様の迷惑になりますので、店内で這いつくばるのはお止めいただけますか?」
「あ、す、すみません……」
特に混雑した様子もなく、それほど長時間床に這いつくばっていたわけでもないのに、ルカキスに対して非常に手厳しい店員の対応である。
ルカキスは反射的に謝ると、よろめきながらなんとか椅子に腰掛ける。まだ黄緑色の表情を浮かべるルカキスに向け、たたみかけるように店員が言葉をかけてきた。
「それと、申し訳ないですが、先に今日の会計をお支払い頂いてもよろしいでしょうか?」
「……わ……わかりました」
うつろな目で、搾り出すように返事をするルカキスに、店員からついに死の宣告とも呼べる支払い額が告げられた。
「お客様のご飲食代に加えて、同じくお連れ様のご飲食代と破損したグラス代、更に銘柄『カミノ・コトワリ』ボトルキープ300本分を合わせまして、合計で……」
「……ぐっ……ぐほうっっ!」
店員が口にした金額を聞いた途端、ルカキスは吹き出すように、今度は本当に喀血していた。
……いや、喀血ではなく、ただのゲロだった。
「うわ、きったね、こいつ吐きやがった」という店員の罵りの言葉も心に刺さることなく、ルカキスの意識はそのままフェードアウトするのだった。
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