5話 酒場②


「結論は出たのかしら?」

 

 俯きながら必死に考え込んでいたルカキスは、かけられた声にその顔を上げた。


「騙されたとでも思ってる? でも、もしかしたら本物かもしれない。とりあえず、もう少し話してから見極めてみよう……結論はそんなところかしら?」


 この女……


「1つ教えておいてあげるわ。不幸な出来事の先に答えがある場合もあるのよ」

「何っ!?」

「事実なんだけど、あなたにとってかけがえのない情報を私が持っていることを前提にすると、あなたがそれを私から引き出すには、今実践した方法でアプローチする以外になかったわ。その経緯で不快な感情を伴ったとしても、その先にある、真にあなたが欲する情報を手に入れるために、それは避けては通れない道だった」

「……それはどういう意味ですか? その口調では、まるであなたが意図的に僕を不快にさせたような――」


 その時、ルカキスは挑むようなドナの視線に、その真意を感じ取った。


 ……まさか!?


「そうよ。私はあなたを試していたの。だから、わざとあなたの感情を逆撫でするように……煽った」

「…………」

「あそこであなたが怒りに任せて席を立っていれば、それですべては終わっていた。あなたは余計な出費をすることもなく、けれど、何も得ることもなかった」

「……なるほど。僕はあなたの試験に合格したというわけですね。理由は分かりましたが、釈然としないですね。僕の見立てに間違いがなければ、あなたには未来を見通す力がある筈だ。だとすれば、こうなることは事前に分かってたんじゃ――」

「ええ、そうね」


 真顔でそう切り返すドナに、ルカキスは怒りを募らせた。


「だったら、なぜこんな回りくどいやり方をするんですか!?」

 

 興奮気味に告げるルカキスに、ドナはあざけるような笑みを返した。


「ウフフ。あなた私の言葉の意味を、何にも分かってないのね。あなたが私の話を聞ける条件は、今整ったばかりなのよ?」

「……どういう意味ですか?」

 

 ドナは少し遠い目をしながら、ルカキスの問いに応じた。


「この世界の本質は振動なの。つまり、すべては波からできている。その振幅は何度もゼロに立ち返るけど、決してそこに留まり続けることはできない。プラスに傾けばマイナスへ、逆もまた然り」

 

 その答えに、ルカキスは小首をかしげた。


「……それって今の会話の流れで出てくる順当な言葉ですか? だとしたら非常に分かりにくいですね。っていうか、なぜ今そんな話が出てきたのか、僕には意味が分かりません。……もしかして、僕の頭が悪いのかな?」

「ウフフ。それはきっと後者ね。では、あなたにも分かりやすく例を挙げて話してあげるわ」


 そう言うと、一杯あおってからドナは続けた。


「たとえば、ボガードがパワーゲイザーを使うためには――」

「ちょっと、待った!」

「……なに?」

「いや、えっと……いきなりボガードが分からないんですが?」

「ええっ!?……ああ、ごめんなさい。普通略すなら逆だったわね。ボガードは、テリー・ボガードのことよ。もしかして、アンディと勘違いしちゃった? ウフフ。で、テリーがパワーゲイザーを使う場合――」

「まだ待った! まだまだ待った! まだ待った!」

「はあぁぁ~?」

「いや、はぁ~? じゃなくて、テリー・ボガードってなんですか? 全く知りませんが……」

「なによもう。もしかしてあなたカプコン信者? じゃあ、リュウにしてあげるわ。リュウの真空波動拳でたとえた場合――」


 その時、ルカキスは物凄い勢いで手を伸ばして、ドナの会話を遮った。


「いや、もう分かりました! いやいや、内容が分かったんじゃなくて、あなたの簡単なたとえが、非常に分かりにくいということが分かりました。ですんで、たとえはなくて結構です。っていうか、さっきまでの方がまだ分かった気がするので……」

「あら、そう? でも――」


 ドナは八極拳の使い手と言おうとして、言葉が口にできないことを訝しんだ。おそらく、ルカキスがこの町に着いた時に遭遇した、見えざる力の作用で言葉を掻き消されたのだろう。


 どうやらこの力は、ストーリーが変に横道に逸れそうになった時、それを修正する役割を担っているらしい。だが、その作用も万能ではなく、どこか曖昧さを含んでいるように感じられる。

 ドナの会話にしても、前半部分は敢えて流していたように見受けられたし、今こうして書かれている解説自体、適切とは言えないのだが……!?


 いや。曖昧に感じるのは、もしかすると、この力の弱さに起因しているのかもしれない。

 

 意図的に許容しているのではなく、この物語自体に潜む、あるベクトルを持つ別の力が、抑止効果を持つ見えざる力と拮抗しており、完全に制御しきれていないのが原因なのかもしれないのだ。


 今はまだ、うまくバランスがとれているおかげで、それほどの大事には至っていない。(そうか?)

 だが、その力関係に差が生まれ、抑止力が正常に機能しないようなことが、今後もし起こったとしたら?


 それがこの物語にとって、取り返しのつかない事態を引き起こしそうな、そんな確信にも似た予感がしてならなかった……


「え~と、何を話していたっけ?」


 危うくストーリーを見失いそうになったドナは、何とか前後関係を思い出して言葉を続けた。


「……そうそう、私が美し過ぎて、話が入ってこないというところまでだったわね」

「言ってませんけど、何か?」


 ルカキスは間髪入れずに真顔で切り返した。


「ウフフ。じゃあ分かり易いように、更に噛み砕いて説明すると……価値あるものは得難いということになるかしら?」

「急にシンプルですね。それが言わんとすることなら、非常に分かりやすい上に当たり前のことですけど」

「そう、当たり前のこと。だけど、それを理解していない者は多い。たとえば普段授業を聞いてなくて勉強もしてないのに、試験で100点取ったとしたら、あなたはどう思うかしら?」

「……ありえないですね。若しくは試験の問題が簡単過ぎたか」

「そう、普通はありえない。でも、簡単だったら納得がいく。簡単だったらどうして納得がいくのかというと、過去学んだ知識で十分対応できるというのが根拠。裏づけさえあれば、そこから派生する結果は納得ができるということ。どう? ものの道理なんてこんなものよ。単純な部分を考察すれば、その仕組みは簡単に理解できる。一部は全部に通じているから、すべてはそれを応用すればいいだけの話」


 そう言い切るドナに、ルカキスは眉根を寄せた。


「何か話が微妙に逸れていませんか? それにその話は間違っています。努力によって正当な結果が得られる事柄なんて限られてます。世の中はそんなに単純じゃありません」

「いいえ、単純よ。ただ、この世界にはそれを単純に見せない、様々な要素が存在するだけ。勉強すれば100点がとれるという、当たり前なことでさえ、それを成立させない要素は無数にある。でもね、不測の要素なんて実は関係ないの。目的の達成に必要なものはたった2つ。1つは、そのアプローチが目的にそった正しいものであること。そしてもう1つは、それが本当に今必要なものだということ。そこに誤りさえなければ、他にどんな障害があろうと目的はきっと達せられるの」


 ルカキスは少し困った表情を浮かべた。


「あの……その理屈が正しいのかどうか、僕には検証する時間がありません。っていうか、今度のたとえはまともだったし、話の内容も良く分かったんですが、やっぱり論点がずれてませんか? 今の話は――」

「ずれてはいないわ。今話したのは前提条件。当たり前のことだけど、それをそう理解してない人が多いから、念のために説明しておいたの。特にあなたのようなタイプはその傾向が強いから、警告と言ってもいいかも知れない」

「警告?」

「そう。たとえばあなたが、何らかの理由で大金を手に入れたとしたら、あなたはそれをどう受け止めるかしら?」


 ドナは瞬きもせず、真剣な表情でルカキスの目をじっと見つめてくる。ルカキスはなんだか見透かされているような気がして、思わず視線を逸らした。


 確かにルカキスはティファールから、思いがけず大金を受け取っている。だが、それはティファールの依頼を、滞りなく遂行するために渡されたものであり、この先必要な場面が出てくるかもしれない、重要なものである。

 たとえ使いきれなかったとしても、かかる労力によっては不当とは言いきれないものであり、やましい気持ちを抱かねばならないものではありえない。

 

 しかし、まだ何もしていないに等しい現時点では、その大金はルカキスにとって棚ぼたに等しく、特にきりつめることなく使ってる以上、指摘されれば負い目のようなものを感じなくもない。


「どうって……」

「さっきまでの話を理解できていれば、ラッキーでかたづけられないのは……分かるわよね?」

「そ、そんな風には思っていません! このお金は僕が目的へと進むうちに必要となってゆくお金です! ラッキーなんて気持ちはこれっぽっちも――」


 ルカキスは思わずそれ以後の言葉を飲み込んだ。その原因は、ドナの顔に浮かぶいやらしいまでの笑みだった。それを目にした途端、ルカキスは自分が話し過ぎていたことに気づいた。


「ふ~ん、やっぱり持ってるんだ。あ、でも勘違いしないで。今のは単なるたとえ話だから、実際にあなたがお金を持っているかなんて関係ないし、私には興味もないから……」


 そう言ってドナは笑顔を浮かべたが、なぜかその目は笑っていなかった。

 それが証拠に作られた笑顔は一瞬で崩れ、ドナは真剣な表情で思案を始める。大金を持つルカキスから、どうやって金を引っ張ってやろうか……

 ドナからは、そんな雰囲気さえ漂うほどの、異常な真剣さが感じられた。

 

 当然ルカキスもそのことには気づいており、何となくドナを信用しかけていた心に、不安を募らせていた。


 話に乗せられて、ついうっかりティファールから貰った金のことを漏らしてしまったが、この女やはり完全には信用できない。今後の参考までに占いを聞かせてもらうつもりだったが、無駄話ばかりで肝心の占いはほとんど聞けていない。

 だいたい、占い師が占い以外のことをこんなに饒舌にしゃべるか? もっともらしい言葉を並べながら、ついにはこちらの懐事情を探ることにも成功している……

 こんな小さな町と警戒していなかったが、やはりこの女は詐欺師。そう判断すべきじゃないのか?


 そう結論づけようとした時、ルカキスは先ほどから気になっていた違和感に目を向けた。


 それにしても、この音はいったいなんだ?


 ポク、ポク、ポク、ポク……


 店にはBGMなんて、最初から流れてなかった筈だけど?


 ルカキスは店内を見渡し、どうもその音が、ドナの真後ろ辺りから聞こえてくるのを突き止めた。そしてその途端、不意に音は鳴りやんだのだ。こんな具合に……


 ポク、ポク、ポク、チーン!


「って、一休さん!?」


 効果音と共に大きく目を見開いたドナは、なぜか不敵な笑みを浮かべていた。


「なぜ、ラッキーではかたづけられないのか? それはこの世界のシステムがそうなっているから。私はひょんなことから大金を得た者が、後にとんでもない不幸に遭っている姿を何度も見てきた。さっきも言ったけど、この世界の本質は波であり、繰り返しゼロへと帰結する。プラスに振れれば振れただけ、全く同じマイナスの力が作用する。だからあなたが大金を手に入れたのなら考えなくてはならない。その理由を。それが正当な対価であるのかを」


 また始まった!


 ドナの話を聞きながら、ルカキスはますます警戒心を強めた。

 およそ占い師らしからぬ理屈をこねたトークで、ドナはルカキスの心を揺さぶってくる。このまま相手のペースで会話を続けると、何か良くないことが起きると考えたルカキスは、会話を破綻させるべく、話の矛盾点を突きにかかった。


「それは少しおかしくないですか? その理屈では貧しく生まれたものは、一生そこから這い上がれないことになる。僕の知る限り、底辺から上り詰めて成功した例はいくらでもある。確かにそれを維持できずに、反動を受けた者もいるかもしれないが、すべての人がそうなってはいない。必ずしもプラスと同じだけのマイナスが、降りかかっていない者もいるのは事実だ!」


 ルカキス渾身の切り返しは、しかしドナに動揺を与えるどころか、白けた表情を浮かべさせただけだった。


「わざとなのかしら? 矛盾を突いたようでいて、私の言った言葉の一部を、あなたが無視して会話を進めていることに、私が気づかないとでも? ウフフ。私は相応な対価として、利益を得ることを話してたんじゃなくて、不相応な場合の話をしていたのよ?」

「…………」

「この世界に対して、受け取るのに相応するアクションを起こした場合、どれほどの利益を得たとしても、そこに何の不思議もありはしない。勿論それをどんな人間が行ったとしても、そこに例外はない。だから現実として、貧乏人がお金持ちになることも十分ありえるのよ。でも、私が言っているのは、受け取るのに不相応なくらい、そこに利得が生じてしまった時の話。あなたが無視した『ひょんなことから』という前置きは、そのためにつけさせてもらっていたんだけど?」

「…………」

「生じた利得が大き過ぎれば、それは必ず粛清される。その帳尻の合い方には色々なパターンがあるんだけど、大きくは2つに分けられる。その1つが先に不幸が起き、幸運で補填される場合。その起動スイッチはそれより前にあるんだけど、気づかず押してしまうことも多く、1度その流れに乗ってしまえば、傍観するより手立てがない。後に幸運が来るのは確定してるんだけど、当人がそれを知るすべはないし、不幸の渦中にいる間は『オワタ』そんな感想しか出ないでしょうね」


 グラスを一息に飲み干し、継ぎ足しながらドナは続けた。


「そして、もう1つが、幸運が先に来てその清算をあとから不幸で補う場合。このことを私は『着払い方式』と呼んでいるわ」

「着払い方式!?」

「或いは『クレジット方式』と呼ばれるものもある」

「クレジット方式!?」

「もしかしたら『リボ払い』もあるかもしれないわね」

「リ、リボまでっ!」

「ウフフ、いちいち復唱しなくてもいいのよ。リアクションとしては満点だけどね。それぞれの違いは一気に返すか、徐々に返すか。言葉通りだから分かるわよね?」

「…………」

「たとえば手に入れた幸運がお金だったとしても、返済するのが必ずしもお金でないのが、このシステムのやっかいなところ。っていうか、ほとんどは違うもので返すことになるわ。たとえば、大怪我や重病、ポストのある人間ならそれを失うとか、先々必要になる人との縁が切れるとかね。受け取る対価が大き過ぎる場合、命に関わることだってないわけじゃない。結局帳尻は合うんだけど、振幅が一旦は受けた幸運を上回ることも多く、ただ流れに身を任せていると収束するのに時間がかかって効率的でない。でも、こっちの場合は先に幸運が来るから、それが不当か適正かを判断できるし、後の不幸に対処だってできる。だから私が携わる時は<インテンション・カーム>を使って直接その運命に介入する。即ち、人為的関与による幸運量の調整」


 言いながらドナは、正面に座るルカキスを射ぬくような視線を送る。妙な理屈で絡めとられてゆく気がして、ルカキスは心に大きな不安を抱いた。


 人為的な幸運量の調整!?……このまま話を聞いていては、何か取り返しのつかないことに巻き込まれるんじゃないのか!?


 ここが、ルカキスの逃げ出す最後のチャンスだったのかも知れない。だが、残念ながら、この危険を回避する術をルカキスは持っていなかった。


 ドナは相手を逃がさない話術に長けており、ルカキスは既に嵌められていると言っても過言ではない。抜け出すには『即断』や『行動力』などのスキルが必要なのだが、ルカキスはどちらも持っていない。対極スキルである『優柔不断』を発動させているせいで、その2つを身に着けられないのだ。


 従って、ルカキスがこの危機を乗り越える可能性はゼロに等しい。それを知っているかのように、ドナは妖しく目を光らせると、舌なめずりしながらルカキスの調理の最終手順に入った。


「あなたが大金を手に入れた経緯はこの際関係ない。問題はそれがあなたにとって、適正なものだったのかということ。私が感じる印象では、少し多いかも。あなたはそう思ってるんじゃないかしら?」

「ぼ、僕のこのお金は、僕がこの先滞りなく目的を果たすために必要なお金です! それがどれほど困難で、どれ程の期間を要するかは未知数です! 今の時点でこれが多過ぎるかなんて、誰にも分かりません……いや、分かりはしません!」


 真剣にそう訴えるルカキスを、ドナが嘲笑う。


「ウフフ。あなた……ぬるいわね」

「なっ!?」

「成功する人のプロセスを全く理解していない。この世界が進む方向性には人の想念が大きく関与している。人が何かを成し遂げる時、その人は成し遂げるのに必要なビジョンを描き、それに対する適切なアプローチを続けることで、その目的を達する。その内容は時間経過と共に逐次変わっていくから、想定する近未来の絵と、それを描く道具は常に変化していく。でも、その時々に描かれる絵は、当然最終的な未来を見据えたものでなければならない。……それをあなたはできているのかしら?」


 ドナは独自の理論に基づいた質問を投げかけてくる。その雰囲気に呑まれてしまっているルカキスは、聞かれるままにその問いに答えていた。


「……できてると偉そうに言うつもりはないですが、僕のすべきことは、まだそれほど具体的でなく、そのための情報集めに奔走している段階です。それが現時点で僕にできる全てであり、それが目的を達するのに間違ったやり方だとは思ってません!」


 素直に心情を吐露したルカキスだったが、意外にもその行為が、自分の現状を見つめ直すのに役立つこと。そして、とりあえず、今やっていることと目的意識について、誤ってはいないという確信を持つことに成功していた。


 だが、ルカキスが感じているそんな満足感にドナが同意する筈もなく、その話した内容の不備を突くべく、おもむろに髪を掻き上げ、酒をあおり、タバコに火を付け、ゆっくりとアゴをガクガク左右にずらしながら煙を吐き出すと、目を細めて反撃を開始した。


「そうね。おそらく、それで問題ないわね……とでも言われると思ったのかしら? フフン、あなたのやり方には致命的な欠点があるわ」

「致命的な欠点!?」

「それは目的を達するための、期日に関する縛りがないこと。期日を決めないということは、それがいつ達せられるか分からないのと同じこと。あなたが目的を達成するのに期限を設けていないのは、さっきの発言からあきらかだけど、あなたはそれにどのくらい時間をかけるつもりなのかしら? 5年? 或いは10年? 漠然と思い描いているだけでは、絶対にその目的は達せられない。そんなの目的を定めてないのと同じことよ」

「――!?」

「あなたの目的は、誰かに依頼されたものなのかしら?」

「……依頼はされましたが、これは僕自身の問題でもある」


 ドナはルカキスの顔をじっと眺めていたが「なるほど……」とぼそりと漏らすと、一杯あおってから言葉を続けた。


「あなたの目的は依頼を受けたにもかかわらず、あなた自身の問題と密接な関わりがあるというわけね。それで分かったわ。あなたが大金を手にした理由わけが」

「……どういうことですか?」

「あなた優柔不断でしょう?」

「ギクッッ!」

「あなたのように優柔不断で決断力のない人間は、本来なら何事も成し得ない。さっきの私との会話で席を立たないんだから、決断力のなさは相当なものだしね」

「うっ……」

「だからお金を渡されたのよ。決断力のないあなたを、責任感で動かすためにね。でも決断力がないせいで、私の話術に絡め取られて財布も、そして精神的にも大きな痛手を受ける」


 その言葉に、ルカキスは思わず目を見開いた。


「じゃあ、やっぱりあなたは――」

「更に、私のちょっとした言動にも動揺して、その判断を迷う」

「うっ……」

「あなたには軸が無いのよ。あなた自身が拠り所とする、判断基準を持っていない。占いは未来の助言よ。私の占いが正しいかどうかなんて、その時になるまで分からない。いいえ、この掴み所のない私の助言なんだから、その時になったって分かるかどうか怪しいものよ。それをあなたのブレた判断で正しく見極められるつもりなの?」


 聞く限りそんな占いなら、判断がブレてなくても見極めが難しいのでは……?

 内心ルカキスはそう思っていたが、雰囲気に呑まれて、それを口にすることはできなかった。


「私の占いの真贋以前に、あなたは私が信じるに足る人間かどうかを判断しなければならない。そして、その時間が無限にあるわけもなく、つけ加えるなら、その決断はとっくに下されてなければならないくらい、時は流れてしまっている」


 ドナはグラスをあおると、空になったグラスにボトルから酒を継ぎ足す。いつの間にそれほど飲んだのか、ボトルはそれで中身の全てを吐き出してしまっており、ドナの合図でまた新たなボトルがおろされ、運ばれてくる。

 それを眺めるルカキスは、懐と精神に僅かながらダメージを蓄積させる。


「占いに限ったことじゃない。あらゆる出来事や、情報それ自体に真偽が内包されてるんじゃないわ。本当なのか嘘なのか、有用なのかゴミなのかの判断基準は受け手にあって、それを信じた場合のリスクと報酬も受け手に帰属するもの。……怖いんでしょう、あなたは? そのリスクを負うのが」


 言葉と共に鋭い視線がルカキスに向けられる。酒をあおりながらも、まだ外さないその目を痛いくらいに感じながら、ルカキスはドナの言葉をかみしめる。


「あなたは流れに身を委ねて自分の判断を先送り、或いは放棄することで、生じる結果に対しての責任を回避しようとしている。そして、良い方に転べばラッキー、悪い方に転べばその責任を他になすりつけて、自分のせいではないと自分に言い聞かせる。でも、状況を傍観するのも、他人や何らかの情報を受け入れたり、信じるのを決めているのも、結局はあなた自身。そして、どういう顛末になろうが、最後にその尻を拭くのもあなた自身。どんなに他人や誤った情報を責めたところで、それが覆ることはありえないのよ? あなたはそのことをよく理解しなければならない。そして、それを踏まえた上で……そろそろ頃合いね。結論を出しましょうか?」

「…………」

「どうなの? 私は信用できるの? できないの?」

「…………」

「どっち!」


 急に大声を出されたルカキスは、ジャグラーで気を抜いている時に、ガコッと鳴って当たった時と同じくらい、身体をビクリと反応させた。そして、一気にまくしたてられ、その意味を理解するのに必死になりながら、心の中でまだ葛藤を続けていた。


 ……こちらで見極めて判断するつもりが、まさか向こうから振られるとは。女の言う通り、時は無限にあるわけじゃない。そろそろ結論を出さねばならないだろう。

 女の話術があれば、会話の主導権を握ったまま、俺から金を絞り取ることもできただろうに、敢えてそれをしなかった点が信用できる気もする。だが、逆にそういう戦略だとも考えられる……


 フッ、俺は本当に優柔不断だな。時間がないというのにまだ迷っている。先ほど期限を決めていない点を指摘されたが、正にそれは致命的とも言える。

 結論を出す時に、100%確信して判断を下せるケースなんて、まずないだろう。ほとんどの場合は限られた時間の中で、集まった情報から決断しなければならない。今までの俺はそれでも結論が出せず、勢いや雰囲気に流されてしまっていた……


 だが、そうやって出した答えも、自分で決めた答えも、結局俺自身に跳ね返ってくることに変わりはない。だったら受身になっていないで自分で決断した方が、失敗してもまだ納得がいくというものだ。その重要性を教えてもらえただけでも、収穫はあったととらえるべきか。


 ……信じよう。この女は信用できる。


 ルカキスはその思いをもって、堅い決意の眼差しでドナを真っ直ぐに見つめた。

 その目に結論が出たことを悟ったドナは、一口あおった後、その表情を崩した。

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