2話 幕開け②


 ルカキスはいつの間にか、とある建造物の中にいた。


 先ほどまでいたのも本来の世界とは違うようだったが、おそらくここも違う。

 直感的にそう判断できる異質な場所。音もなくただ無機質さだけが漂う空間。

 目の前にある美しいクリスタルの床や柱は清浄さを感じさせるが、冷たいイメージも併せ持つ。ルカキス以外に誰の気配もない建造物に屋根はなく、上空にはまだ星空のような景色が広がっていた。


 ルカキスにわずかに遅れて、目の前には虹色に輝く光の帯が立ち昇る。

 現れたのは、先ほど目にしたアグアそっくりの謎の存在。視線が合ったその者は、ルカキスにニッコリと微笑みかけてきた。

 それに応じるようにルカキスから話しかけた。


「あの、僕を助けてくれたんですか?」

「う~ん、まあ、君の立場からすると、そう考えるのが妥当かな。あのままだと君は、劣悪な環境でその生涯を過ごす羽目になっていただろうからね」

「カリ・ユガ……でしたっけ? そんなに酷いところなんですか?」

「あれ? 興味津々って感じ?」


 謎の存在の言葉に、ルカキスは激しく左右に首を振る。

 そのリアクションを見て笑みを浮かべる謎の存在。


「フフフ。まあ、ここだって長居するなら大した違いはないかもしれないがね」

「あの、ここはいったい……?」

「おっと、悪いが君と馴れ合うつもりはないんだ。詳しい説明を聞きたいだろうが、必要最低限のこと以外、聞かれても答えるつもりはない。本来なら、君らに一切干渉しないのが我々のスタイルなんだから。まあ、今回は事情があってやむなくの処置だよ。おさめるのに色々方法はあったんだが、やはりこの世界の問題は君ら自身で解決するのが一番だと思ってね。少し時間はかかるが、君を使うのが最も都合が良さそうだったんであの場は君を助けることにした」


 ある程度事情を知っているらしい人物。いや、人かどうかも定かでないが、女神と同じか、或いは全く別の、人には無い特別な力を持った存在なのだろう。だが、それに関する詳しい事情を説明するつもりはないらしい。

 助けてはくれたが、どこか突き放すようなスタンス。ルカキスは、この場所と同じ無機質な印象をこの相手からも感じとっていた。


「あの……」

「まあ、もう少し話を聞きたまえ。記憶を失っている君がとまどいを覚えるのも無理はないがね」

「――!?」


 謎の存在は先ほどから笑顔を絶やすことがない。だが、ルカキスはそれを見て逆に警戒心を強めていた。


 記憶を失くしてることまで……いったい何者なんだ?


「自己紹介がまだだったね。私の名はティファール。この姿は仮初のものだけど、私は君らの世界とはほとんど関わりのない者だし、君がそこまで詳しく知る必要もないからこのままでいようと思う。でも、この方が君も親しみを持って会話できるだろう? あ、でも記憶が無いからそんなに親しみは湧かないか? フフフ。まあ、だとしても私が正体を明かすことに意味はない。たとえ私がそう宣言したとしても、それが私の本当の姿だと君が知ることはできないんだから。それを言い出したらティファールという名前も、ぽっと思いついた嘘だと疑われるか? フフフ。まあ、それも事実なんだが、便宜上の措置だと思って理解して欲しい」

「…………」

「この先私のことを思い出したり、仮に再会した時に『あ、あの時の……』じゃ、少し寂しいだろ? 変なニックネームをつけられるのも、どうかと思うしね。だから私はティファール。そういうことにしておいてくれるかな? フフフ。これだけ名前を出したら、忘れられることもないだろう。あ、それと君の自己紹介は不要だ。君のことはルカキスという名前だけでなく、ある程度のことまでは把握している。まあ、他人に自分の事情を知られるのはあまり気持ちのいいものじゃないかもしれないがね。フフフ……」


 そろそろ耳にも鼻にもつき出した『フフフ』という笑い声と、表面上だけの笑顔。

 だが、それとは全く関係のないところで、ルカキスは少し不愉快を抱いていた。


「残念ながら、あなたの情報には誤りがあります」

「えっ?」

「僕の名前はルカキスではなく『ネオ・ルカキス』です。表記する場合はネオとルカキスの間に中点を入れる必要がありますので、お間違えのないように。あなたは僕の知らないことをたくさん知っているようですが、あまり何でもかんでも知った風でいると、今みたいに足元をすくわれますよ」


 してやったりのしたり顔のルカキスを、あっけに取られ見つめるティファール。

 当然だろう。周知も認知もされていない、ただ自分の中で勝手に決めたことを、ルカキスはさも事実であるように他人に押しつけているのだから。

 だが、ルカキスの中で、それは紛うことなき現実になりつつあった。わずかな時間ではあったが既にネオ・ルカキスという名は定着しており、過去自分がルカキスだった記憶も薄れ始めている。(記憶を失っているのでたいした量ではない)

 もう少し時が経てばその記憶は完全に固定され、おそらくルカキスという名を自分の名前に似ている程度の認識にまで貶めてしまうだろう。

 ルカキスは他人など度外視して、自分の思い込みを躊躇なく現実へ反映させる恐るべき能力の持ち主なのである。


「なるほど。ことの真偽はさておき、君が君自身をネオ・ルカキスと認識しているのを知らなかったのは事実だ。すまなかった」

「いえ、わかってくれれば結構です。間違いは誰にでもありますから」

「…………」


 2人の間には少し変な空気が流れていたが、ルカキスがそれを意に介することはなかった。

『真偽はさておき』という言葉が示すとおり、名前に疑問を持った含みある発言についても、ルカキスが意に介することはなかった。

 そして、ティファールが『意に介せよ!』と突っ込むこともなかったのである。


 ティファールは空気を換えるべくひとつ咳払いをすると、気を取り直して口を開いた。


「今後のことについて、少し話しておこうか……」


 状況のほとんど分からない現状、情報はもっともルカキスの欲するものである。

 だが、先ほどまでの口ぶりから、どの程度の情報が与えられるか分からなかったし、その情報が信じるに足るかも疑わしい。

 しかし、このままここで留まるわけにはいかない。ルカキスは、とりあえずティファールの言葉に耳を傾けることにした。


「君にはこれから元の世界に帰ってもらう。既に魔王の姿はそこにはなく、人々は恐怖に脅えることもない。かつての平穏な日々を取り戻し、みなの顔からは笑みがこぼれる。そこはどこからどう見ても何の問題もない世界。だが、果たしてそうなんだろうか?」

「…………」

「なぜ君は記憶を失っているのか? さっきまでの出来事はいったい何だったのか、何を意味するのか? 魔王がいなくなっただけで本当に平和になったのか? それらの答えを君が君自身の手で見つけ出してほしい」

「……あなたは、その答えを知ってるんじゃ――」

「最初にも言ったが、私は君達の世界に干渉するつもりはない。必要以上の情報、偏った知識は混乱を生みかねないからだ。仮に私があの女神こそが魔王を影で操っていた悪の根源だと君に話したとしよう。どうだろう、君は状況から判断して、特に詳しい説明をつけ加えるまでもなく、その話を信用してしまうんじゃないだろうか?」

「…………」

「だが、私の話は一方的な見解なのかもしれない。そして、ここで得た先入観は、この先君のとるべき針路を大きく狂わすかもしれない。何が正しく何が間違っているのか。その見極めはとても重要だし、その判断の結果は君にも降りかかってくる。情報量の少ない時ほど慎重に考え行動する必要がある」

 

 そう語るティファールに、ルカキスは冷ややかな笑み向けた。


「なんだか、うまくごまかされているみたいですね」

「……なぜ?」

「あなたは、僕がこの先すべきことを示しながら、それについての情報を与えようとしない。その答えとして、必要以上の情報が僕の判断を狂わせかねないから……と言う。何か矛盾していませんか? 今あなたが僕に示したわずかな方向性。それ自体が既に情報操作になってるんじゃないでしょうか?」

「…………」

「確かにさっきまでの出来事や記憶を失っていることは、言われるまでもなく僕の中に残る。だけど、それらすべてを忘れ、別の目的を見出し生きていく道も僕にはあるんじゃないでしょうか?」


 2人の間にしばしの沈黙が流れた。その沈黙をやぶったのは、今日何度も耳にしたティファールから漏れた笑い声だった。


「フフ、フフフフ。アハハハハハハハ……これはとんだ揚げ足取りをされたもんだ。フフフ。人にはね、いや、知能のあるすべてのものには行動を起こすための理由、目的があるのだよ。それがたとえどんな些細なことでも目的なく行動を起こすことなどありえない。私は君のことを道に落ちている石ころを気づかず蹴飛ばすかのように、ただ偶然に助けたんだろうか? そんなことあるわけがない。では、いったい目的は何なのか。フフ、解ってもらえたかな? 必要以上の情報を与えないことも私の目的の1つなのだよ」

「それでは答えになってない!」

 

 しかし、このティファールの説明にルカキスは食い下がった。


「あなたには助けてもらった。いわば恩がある。そして、この先あなたが僕に望むことは僕にとっても興味深いものだ。普通なら、ためらうことなくその問題に取り組んでいけると思う。でもね。悲しいかな僕は天の邪鬼なんです。それもただの天の邪鬼じゃない。世界天の邪鬼トーナメントで3年連続ベスト8進出、内1回優勝。世界天の邪鬼協会(通称じゃっく)の全面的バックアップを受け、只今人気急上昇中という肩書きを持つ……


――超ビジュアル系天の邪鬼――なんです!


僕のこの性質は、僕の中の潜在的な部分にまで深く作用し、そして僕自身を支配している。だから聞いてしまった以上……あなたの意図を知ってしまった以上……僕にはできない。僕にはできないんだあああああぁぁぁっっっ!」


 ルカキスは記憶を失っている。だが、記憶のすべてを失っているわけではなく、その喪失箇所は限られている。ルカキスの今話した内容は、喪失していない部分に関するものであり、間違っているのは『本当は優勝などしたことがない』という事実のみである。

 しかし、世界天の邪鬼トーナメント自体、限られた人間にしか知りえない(そのため、1回優勝したと偽っても、バレることはないとルカキスは踏んでいた)ものであり、話している相手が相手なだけに話が通じているかという疑問は残る。

 単純に自分は天の邪鬼だからという説明で済ませば良かったものの、敢えて『じゃっく』の名前まで出したのは、ルカキスの虚栄心と言わざるをえない。


 話を聞いて、面喰っていたティファールの口元が少し緩んだ。


「……クックックック、全く君はおもしろい男だよ。だが安心したまえ。君がその天の邪鬼な性格に悩まされることは、今回ばかりはありえない」

「――!?」

「フフフ、私も含めるこの世のあらゆるものの中で、真に自由な存在など何処にもない。すべては揺るぎない秩序のもと形成されているのだ」

「…………」

「表面上、自由度が高く見える人間世界に於いても例外なくそれは根ざしており、君らの人生を導き決定づけている……


――運命と宿命――と呼ばれる!


この2つの支配からは通常逃れることはできないが、運命に関してのみ時折選択肢を持つ者がいる。しかし、そのことにあまり意味はない。なぜなら魂の目的は運命ではなく宿にあるからだ」

「…………」

「仮に運命を変えることで1つの不幸を回避できたとしよう。人生にとってそれはいい選択に見えるかもしれない。しかし、魂の目的がそこにあったとしたら。その不幸な出来事から得るものこそが宿命だったとしたら。宿命は変えることができない。そして、宿命は輪廻を経てなお消えることはない。何度でも、何十回、何百回生まれ変わろうと同じようなことが繰り返されるのだ……その目的を果たすまで!」

「…………」

「もう分かっているんだろう? なぜ私が君にこんな話をするのか。そう宿なのだよ、私が君に課したものは! だが、同時に君は運命の分岐も手に入れた。もっともその無意味性は今述べた通りだがね」


 2人の間に又しても沈黙が流れた。

 ルカキス自身、話の内容は概ね理解していたが『魂』『輪廻』などを前提とした話の内容を、全面的に受け入れかねる気持ちもあった。

 ルカキスの心は揺れていた。

 この先どうすべきか? ルカキスを支配している天の邪鬼という性質。それをもってしても抗いきれない。ティファールの話はそれほどの説得力をもって、ルカキスの中に刻み込まれていた。


「さて、この先どうするかは君に任せるとして、少しだけ元の世界について話しておこう」

「…………」

「先ず君が帰る世界だが、魔王の死後3年ほどが経過している。しばらくは血眼になって君のことを探していたようだったから、少し時間をずらすことにした。でないと帰った途端たちまち捕まってしまうからね」

「…………」

「それと君の戦闘能力だが……著しく低下している。記憶を失くしているから覚えはないだろうが、その原因もいずれ分かる。まあ、あまり無茶はしないことだな」

「…………」

「そして最後に、アグアとセレナのこと。実感はないだろうがともに戦った仲間だ。心に留めておいてくれ」


 思いつめた表情のルカキスを横目で眺めながら、ティファールは笑みを漏らす。


「フフ、さてと。そろそろ決心はついたかい?」

「…………」

「私の言ったことはすべて忘れてもらって構わない。君は君の信じる道を行けばいい……」


 ルカキスの耳元でそう囁いたティファールは、告げるとともに、その場から姿を消した。


「あっ!」


 それに気づいたルカキスが驚いた時には、虹色の光の帯がルカキスの体を包み込んでいた。

 そう思ったのも束の間、瞬時にしてルカキスは別の場所へと運ばれる。辿り着いたそこには、降り注ぐ日の光と大地を踏みしめる感触があった。

 

 元の世界に戻ったのか?


 目の前に広がる景色もまた見慣れぬ世界ではある。だが、見知らぬ土地というだけで、今までいた2つの世界とはあきらかに違う。有機的な空気に包まれたその場所は、元の世界に帰ってきたことをルカキスに実感させる。

 

 深く考えるのはよそう。俺は俺の感じたままに自分の心に従い行動する。


 そこに着いた途端、ルカキスは先ほどまで考えていたことの答えを、自然と導き出していた。


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