3話 髭男爵

 

 ルカキスはティファールの力で、生まれ故郷エタリナ王国に戻っていた。

 しかし、失われた記憶は未だ戻らず、魔王が滅んでから3年の間にこの国がどういう経過をたどって今に至るのかも分からない。現在地も分からぬそんな状況の中、ルカキスは新たな一歩を踏み出そうとしていた。


 辺りを見回すと、そこが森に囲まれた山道であることに気づく。どうやら道は麓から少し上ったところのようで、必然進む先はそのまま山を上るか、それとも下るかの二択だった。


 普通に考えれば下れば道が開け人里に出くわす可能性が高くなる。別段、人に会うことを目的としてはいなかったが、現状を把握するためにも人の居る場所を目指すのが最も合理的な見解であり、ルカキスの選択は道を下る以外にない筈だった。


 しかし、ルカキスはいくらも思案しないうちに、その足を山頂に向け道を上り始めた。


「なぜ山を上るのかって? そこに山があるからさ!」


 誰から問われたわけでもないのに、ルカキスは余りにもオーソドックスで、全く面白くもないセリフを吐いた。いや、聞き慣れてはいたが、自分が今まで言う機会に恵まれず、ついに来た好機を逃すまいという思いから、そのセリフを口にしたというのが正しいだろう。


 満足そうな表情を浮かべながらルカキスは山を上ってゆく。当然その先に目的を見出だしているわけもなく、上ることを決意したのは天の邪鬼な性格が災いしただけの話である。

 身に付けている装備は比較的軽めのものだったが、だからといって山道が楽な筈もない。上り始めて僅かも経たないうちに、息が荒くなり始めたルカキスは、30分もしたころには完全に足を止めてしまっていた。


「さてっと。ここまで来れば充分だろう」


 汗だくの額を腕で拭いながら、道を外れて茂みの中へと分け入ってゆく。


「高みから見渡せば地形は一目瞭然だ。わざわざこんなところまで上ってきた甲斐があったというものだ」


 歩きながらようやくにして思いついた、山を上ってしまった口実を口にして、ルカキスは山からの景色を確認しようとする。

 しかし、ここは中腹にも程遠い登山の入り口に過ぎない。眼下の景色はおろか、うっそうと木が生い茂るばかりで数メートル先ですら木に阻まれて確認できない。

 いくら進んでも見晴らしのいい場所に辿り着けないと気づいたルカキスは、呆然とその場に立ち尽くしていた。


 微動だにしないルカキスの額からは、汗だけが止め処なく滴り落ちる。暫し全機能を停止させていたものの、そこにツッコミを入れてくれる人はどこにもいない。さすがにこのままではラチがあかないと判断すると、突然踵を返して一目散に下山を開始した。


 険しい表情で黙々と山を下るルカキスの口から、怒気を含んだ言葉が漏れる。


「関係ないしな!」


 ルカキスの行動を正当化するための論理は、先ほど破綻してしまっている。どこからどう見てもルカキスは誤った行動をしてしまったのだ。

 しかし、ルカキスは認めない。自分がミスを犯した事実を、天の邪鬼な精神が受けつけない。そして、こう言葉を発する。


「関係ないしな!」


 自分の過ちをそのたった一言で帳消しにするつもりの、ルカキスの発言なのである。


「関係ないしな!」


 繰り返し発言することで、ルカキスの中にあった『判断ミスを犯した自分』が徐々に薄められてゆく。


「関係ないしな!……関係ないしな!」


 何度も連呼されるその言葉は過ちを塗り潰すだけでなく、坂道を下るリズムに合わせ、なぜかリズミカルなものへと変容を始めていた。


「関係ないしなっ!~♪ 関係ないしなっ!~♪ カ・ン・ケ・イ・関係ないしなっ!~♪ カンケイないしな! イェス! カンケイないしな! ヒュイゴー!~♪ カ・ン・ケ・イ・関係ないしな! オッイェ~イ……」


 ルカキス作曲の、ただ『関係ないしな』を繰り返すだけの、単純だがなぜか気分がノリノリになる曲が完成したころには、その表情もにこやかに、揚々とした足取りで山を下るルカキスの姿があった。


 ルカキス自身、意識していないどころか知りもしないが、一時期一世を風靡したフレーズの中にある『関係ない』という言葉の持つ破壊力に、改めて驚きを感じる瞬間でもあった。


 無事山を下りきったルカキスだったが、麓の付近には何もなく、しばらくは田舎道が続くばかりだった。

 幸い分岐もない1本道で判断ミスが再発することはなかったが、長距離の移動はそれなりに疲労を伴い、時折休憩をはさみながらようやく人の住む町を見つけたのは、日も沈んだ黄昏時だった。


 町の入り口には立て札があり、そこにはこう書かれていた。


 ――わりといー感じの町『ワリトイ』へようこそ!――


 その立て札を見たルカキスは、呆然と立ち尽くしながら言葉を口にした。


「バカなっ!?」


 ダジャレでつけたのか。或いは町の名前からダジャレを思いついたのか。何れにせよ、そのネーミングに対してのリアクションなら

①ダジャレに突っ込む

②鼻で笑う

③無視する

の3通りぐらいが妥当なところだろう。


 だが、ルカキスのそれは、どれにも該当していなかった。


「ありえるのか!? こ、こんな道のど真ん中に立て札を刺して、町の名前を公示しているなんて。こんなの……こんなのまるで――」


 しかし、それ以後の言葉が、響きとなってこの世界に示されることはなかった。そうなるまでに見えざる力の作用で言葉は掻き消されていたからだ。

 ただ、その時ルカキスの頭に過った思いと口にすることのなかった言葉は、この物語にとって、何か良くない結果をもたらすもののように思えた。この先の未来に暗い影を落とす、そんな不安を掻き立てるものでもあった。


 だが、ルカキスの抱いた思いは怒りでもあり、怒りは6秒をピークに自身から失われてゆく。それをもう一度蒸し返すつもりもないルカキスは、言葉を口にできなかった事実を訝しみながらも、現在地の情報をインプットした後、その立札への興味を失くした。そして、そのまま町の中へと入ってゆくのだった。

 

 間もなく夜になることもあり、とりあえず宿を確保しようと探していると、小さいながらも町なだけあってきちんと宿屋が存在した。

 木戸を開け中に入ったルカキスは、そこで意外な声に歓迎される。


「イラッシャイマセ。ゴライテン、マコトニアリガトウゴザイマス」


 ルカキスはその声に思わず耳を疑った。宿屋のカウンターにいたのは鉛色の金属でできた人形であり、どうやらそれが声の主のようだった。

 カラフルに光る目や、頭の上でくるくる回っている何か。鉤爪のような指先など、ルカキスにとっては初めて目にする奇妙な存在だった。


「こいつはいったい……」

「それはロボットっていう代物だよ」


 突如、背後からかけられた声にルカキスは振り返る。ロボットのいるカウンターの正面にはこじんまりしたロビーがあり、テーブルやソファーなどが置かれている。

 その声はソファーに腰掛けた、中年の男から発せられたものだった。


「どうだい、驚いたろう? そいつはロジシティから仕入れたもんだ」

「……ロジシティ?」

「なんだ、あんたロジシティを知らないのかい?」

「…………」

「ロジシティはセントアークの首都だよ。西と言ったら君でも分かるだろう?」

「……西?」

「なんだあんた、西も知らないのかい? 何にも知らないんだねぇ。ひょっとしてどこかに隔離でもされてたとか? まさか、刑期上がりなんてことは言わないでくれよ、ハッハッハッ」


 知らないのは事実だったが、この小太りの中年男の言い方に、ルカキスは少しカチンと来ていた。


 もとより、知らないことでも知ったかぶりをするルカキスである。普段なら一生の恥となっても一時の恥を回避して、自分のプライドを守るルカキスだったが、3年間の空白だけでなく、記憶も失っている現状を考えれば、多少の屈辱も甘んじて受け、情報収拾に努めねばならない立場である。


 ルカキスは強がるのを歯を食い縛ってこらえ、歪んだ表情を取り繕うようにして、苦笑いを浮かべた。


「そんな顔するなよ。……悪かったな、冗談だよ、冗談!」


 中年男はルカキスの引きつった笑いを、知らないことに対する羞恥とでもとらえたのか、俄かに謝罪しながら言葉を続けた。


「まあ、人それぞれ事情はある。僕が誰でも知ってると思うようなことでも、人によっては知りえない状況にあることもないとは言い切れないしね。……まあ、たとえは浮かばないけど! ナッハハハハハ」

「…………」

「よし、今日は特別に僕が色々と君に教えようじゃないか! そんなところに突っ立ってないで、ここへ掛けなさい」


 ルカキスは促されるままに、宿屋のマスターである中年男の向かえのソファーに腰掛ける。すると、すかざずそこへロボットがコーヒーを運んで来た。それに驚くルカキスを見ながら、マスターは椅子から立ち上がると、ロボットに近づいてその頭を優しく撫でまわした。


「ここに客が座ったらコーヒーを運んでくる。よく覚えていたな。ハッハッハッハ。では、しばらく中のことはいいから、表で客引きでもしてきなさい」

「リョウカイシマシタ、マスター」


 ロボットはマスターの指示通り客引きに行くのだろう。出入り口から外へと出て行った。

 マスターはそれを見届けると『どうだね? あのロボットは僕の指示通りに、何でも言うことを聞くんだよ。驚いただろう?』と言わんばかりの自慢気な表情を作り、ルカキスに勝ち誇った視線を送る。


 しかし、当のルカキスは、コーヒーの最適な砂糖とミルクの量を調整するのに必死で、マスターやロボットのことなど全く眼中に無い様子である。それに気づいたマスターは、吐き捨てるようにフンッと鼻息を漏らしたあと、気を取り直して元いたルカキスの前のソファーにドカッと腰をおろした。


「さてと。西を知らないと言っていたね」

「……はい」


 コーヒーの調整を終えたルカキスは、マスターの話を聞く体勢になってはいた。しかし、知らないことを何度も肯定するのは不愉快な様子で、その返事もしぶしぶといった感じである。


「まさかと思うが、3年前に魔王が3人の勇者によって討伐されたことも――」

「それは知っている!」


 ルカキスは自分の知っている話が出るや否や、直前のうっぷんを晴らすように、少し食い気味に返事を返した。


「そんなに勢い込んで言わなくても分かるよ。あれを知らないのは3歳の子供までだ。下手すりゃ、それでも知ってるくらいの出来事だからね」

「知ってるもなにも、僕は当事者だ!」

「……当事者?」

「魔王を討伐した3人の勇者。そのうちの1人にして、リーダーを務める聖騎士ネオ・ルカキスとは僕のことだ!」


 ルカキスの勢いに気圧され、一瞬言葉を失ったマスターだったが、俄かに頬を緩めると乾いた笑い声を漏らした。


「……ハハッ。その冗談は今ひとつ笑えないなぁ。忠告までに言っておくが、魔王討伐を終えたあと、勇者様たち一行は大々的に凱旋パレードを行っている。しかも1年ほど前に黄金騎士に就任された、ロイヤル・ガーディアンのルカキス様に至っては、エルフ族の残党狩りの折りこの町の真裏にあるズレハの森を訪れ、その時この町に立ち寄られていた。ここいらでそのご尊顔を拝さなかった者はいないし、そのせいかファンも多い。僕のように冗談を受け流せる人間は、少ないと思っていた方が無難だろうね。……ネオルカキスと言ったかね? 騙るつもりなら、名前ぐらいはちゃんと覚えておいたらどうかね。ん?」


 このマスターの話を聞いたルカキスは、驚愕の表情を浮かべて固まっていた。

 

 ここでルカキスの心理状況の解説に入る前に、マスターの話した内容のうち、ルカキスの身に覚えのない話が語られていたことに関して、当のルカキスはそれほど頓着していないことを公表しておく。

 

 確かに、全く身に覚えのない勇者3人による凱旋パレードは、驚きを感じる話なのたが、意外にもルカキスは、その3人が女神が用意した替え玉か何かであろうことを話を聞いた瞬間に理解していた。

 初めから替え玉の用意があるのなら、あの時の女神の強引な話の持っていき方にも納得がいく。もとより3人は魔王討伐が終わればお払い箱となり、カリ・ユガなる地に送られる算段だったというわけである。


 魔王討伐の事実がどのように伝わっているか気になっていただけに、ルカキスは逆に『なるほど、そういうことか』と思ったくらいだった。


 事情を知り、今後は自分の正体を隠して情報収集を行う必要があると思いはしたが、話は予測の範囲内であり、驚くには値しないというのがルカキスの見解だった。

 因みにエルフ族の残党狩りというワードに対しては、特に興味を覚えなかったので完全にスルーしている。


 では、いったいルカキスは何に驚愕を覚えたのか?

 

 ルカキスはマスターに対して自分のことをこう名乗っていた。


 ――聖騎士ネオ・ルカキス――


 本当は聖騎士でもなんでもないのだが、相手がそれほど事情に詳しくないとタカを括り、ついつい口を突いてしまった捏造という虚飾の産物である。


 しかし、マスターはルカキス渾身のこの欺瞞を平然と無視しただけでなく、切り返しにそれを嘲笑うかのように、ルカキスの琴線を揺さぶるワードを言葉の中にちりばめていた。


 迫付けなら『ロイヤル・ガーディアン』だけで良かっただろう。国王直属護衛部隊ロイヤル・ガードの部隊長ロイヤル・ガーディアンは、選りすぐりの精鋭のうち、僅か6名だけが冠することの許された呼称であり、将軍位に並ぶその役職は選ばれるだけで誉れの極みである。にもかかわらずマスターの語るところのルカキスは『黄金騎士』でもあるという。


 黄金騎士は国王とほぼ同等と言って過言ではない、軍事的な権力を保有しており、独断で軍隊を動かし他国に戦争をしかけることも可能な存在である。

 王族に非常に仲の良い兄弟がいた頃、当時王だった兄が自分の弟にも自分と同等の権力を与えたいと無理矢理作られた役職であり、最近まではそこに就く者などなく、名前だけがかろうじて残っていたものだった。


 しかし、魔王討伐という偉業に加え高い民衆の支持のもと、なし崩しにその役職は復活を遂げた。マスターの語るところのルカキスが黄金騎士に就任してからは、その力は前にも増して絶大となり、現王は既に傀儡との噂も立つほどだったのである。


 ルカキスはその名前の背景など知りはしなかったが、単純に『ロイヤル・ガーディアン』という名前の重厚でありながら、なぜか美味しそう(偏見? ミルクティー?)なイメージを併せ持つネーミングに加え『黄金騎士』という煌びやかで荘厳な肩書きを、同時に2つも有するという事実におののき、たかだか『聖騎士』と『リーダー』などという、今となってはチープな印象を否めない装飾で対抗しようと考えていた自分に対して、激しい嫌悪感を抱いたのだ。


「僕は大丈夫だよ。こう見えてお笑いは大好きなんだ。ただ手前味噌だが、少し選球眼は養われていると思う。だからつぶさに評論をつけ加えてしまうんだがね。ハッハッハッ」


 マスターの苛立ちを助長する高笑いに、ルカキスは内心殺意を覚えたが、知り得た情報がそれなりに価値あるものだったため、今の段階ではマスターを不問にすることにした。

 

 話し方が少し勘に触るが、この親父はまだ有益な情報を持っている。とりあえず、情報を引き出せる間だけは、下手に出ておいてやろう。だが、見切りをつけたその時は……


 ルカキスは一瞬垣間見えそうになった自分の黒い心を、気づかれないようにそっと胸の内にしまい込んだ。


「えっと、どこまで話したかな?……そうそう、魔王討伐の話から、君がギャグを言ったところまでだったね?」


 そう言いながらマスターは笑いかけてくる。虚飾は施したものの話したことは事実なのに、なんだかすべてをギャグにすり替えられたような気がして、ルカキスはまた不愉快な思いにかられた。

 しかし、こんな親父に真実を打ち明けたところで、到底信じてもらえるわけがない。そう思わせるマスターの度量の無さが助けとなり、ルカキスは何とか心を落ち着け、特に言葉を返すことなくその場をやり過ごした。


「確か、あの直後だった筈だ。西のことが公になり始めたのは……」

「…………」

「まあ、公というか噂はもともとあったんだけどね。山の向こうの国には、すごい文明があるという。ただ、険しい山々の連なるアルネー山脈を越えた先にあったし、エタリナとセントアークには国交もない。人の行き来もほとんどなかったから、詳しい情報が伝わってこなかったんだ」

「…………」

「ところが魔王がいなくなった途端、国使がやってきた。飛空挺という空飛ぶ奇妙な乗り物に乗ってね。実際どんな話し合いがあったのか僕は知らない。だけどそれ以来彼らの文明がこちらに流れて来るようになった。さっき君が見たロボットも彼らの文明の産物だよ。どうだい? 驚いていたようだが、ロボットを目にするのは初めてなんじゃないかい? 王都パルナではちらほら見かけるようだが、ワリトイ近郊ではまずお目にかかれない代物だ」


 予想通りマスターからは、まだまだ情報が入手できそうだった。ルカキスは情報を頭に入れながら、愛想笑い一辺倒だけではバカっぽく見えて相手の喋る意欲を削いでしまうと思い、得意の「だよねぇ」で応じた。


 マスターはルカキスの反応に満足そうに頷いたが、その表情は何やら真剣である。どうやらルカキスの食いつき具合がお気に召したらしく、ますます話をヒートアップさせるべく、なんならあのとって置きの話も聞かせて、度肝を抜いてやろうと考えているようだった。

 気合を入れるように袖を捲り上げ、前のめりに鼻の穴を膨らませると「近っ!」というルカキスの声を無視して続きを話し始めた。


「セントアーク……と言っても、あまり国名は知られていない。というより首都のロジシティまで知ってる者なんて、エタリナにはほとんどいない。それよりも、一般的には西と言われることが多くその方が話は通じ易い。ロボットなんかの技術はもとより、セントアークの情報自体、中心都市以外にはあまり浸透していないからだ。まあ、僕のように中央にコネクションを持つ人間はその限りではないがね」


 言い終えるやコーヒーを口元へと運ぶ所作。そしてルカキスに向けられる微笑と、決して笑ってはいない目の奥に宿す自信たっぷりで高圧的な光。そのどれもが鼻につくこと甚だしい。

 しかし、マスターに対して「なるほどですねぇ」とルカキスは愛想を振りまいており、情報を得ることに重点を置いているのか、腹が立っているようには見受けられない。

 へりくだった受け答えにも慣れているようで、先ほど抱いていた殺意もどこへやら、その板についた対応ぶりからは、楽しげな雰囲気すら感じさせる。営業の経験でもあるのではと疑うほどの見事な適応力である。


「最近、魔物がめっきりいなくなってね。町の北側に隣接しているズレハの森は、もともとエルフが統治していた森なだけあって、昔はほとんど魔物がいなかったんだ。ところが、例の一件でエルフがいなくなってからは、急にたくさん魔物が現れるようになった。森の奥に魔王の拠点があったことも関係して、濃い瘴気が残る場所があるんだろうな。おかげで魔物討伐に冒険者がとっかえひっかえやってきて、しばらくはこの町も潤っていたんだ」

「…………」

「だが、最近になって、また魔物の姿を見かけなくなった。それだけじゃない。森の奥に進めないという話も広まり出した。エルフがいたころは『迷いの森』と呼ばれていたこともあって、そんなことはしょっちゅうあったんだが、まさかエルフたちが帰ってきたわけでもあるまいし、なぜそうなったのか理由が分からない。試しに僕も人を雇って森の奥まで足を延ばそうとしたが、やはり奥には進めなかった。でも、その噂が広まったせいで、冒険者が町を訪れる機会は激減した。今では月に1人来るか来ないかという有様だ」


 その話を聞いたルカキスは、先ほどはスルーしたエルフがいないという事実について考えていた。


 そういえば、マスターはさっき、エルフの残党狩りという話をしていたな。そして今、エルフがいなくなってからとも語っていた。それはいったいどういう意味だ? 今この国にエルフはいないのか?


 しかも話から察するに、公に国から排除されたような口ぶりだった。いったい何があったといういうんだ?


 気になる……


 気にはなるが、こちらから突っ込んで質問をするわけにはいかない。自由に喋らせ、そこから情報を得る分にはいいが、下手に食いついて勘ぐられるのはうまくない。替え玉の勇者たちがいることからも、俺の素性は隠しておくのがベターだからだ。

 このマスターは中央にパイプがあるらしいし、こんなところから俺の情報が漏れるのは得策じゃない。できれば俺の存在が知れ渡っていない今のうちに、自由に動いておきたいからな。


 だが、マスターもマスターだ。俺に知識がないことを知っていながら、まるでという口ぶりで、2度に渡ってエルフの情報をチラつかせるとは。誰がそんな手に乗るか! 絶対にこの振りにはスルーを決め込んでやる!


 それに情報集めは今日始まったばかりだ。別に焦って情報をかき集める必要もない。まったり、じっくり、俺のペースでやればいい。こんな片田舎では、間違った情報を掴まされる可能性だってある。効率から考えても、ここでの情報収集はある程度に抑え、本格的な調査はもっと大都市の方がいいだろう。いっそのこと、王都パルナに潜入して情報を集めるというのもアリだな。


 ティファールの話では俺を血眼になって探していたようだが、既に3年も経ってるんだ。今なら警戒されることなくパルナに入り込むこともできるだろう。

 よし、そうと決まれば……


 マスターからの情報をもとに、ルカキスは修正を加えながら今後の計画を練っていた。

 

 しかし、1人思案に耽るルカキスの様子に気づいたマスターは、それを見て驚きの表情を浮かべていた。

 当然だろう。話の切れ目には、逐次何らかのリアクションを見せていたルカキスが、完全に合いの手を忘れて物思いに耽っているのである。


「ゴッホンッ!」

 

 少し気分を害したマスターは、不自然なまでに大きな咳払いをしてルカキスの注意を引こうとする。

 そして『話の途中に考えごととは、いったいどういうことかね?』そんな非難めいた視線を向けたが、それでも気づかないルカキスを思わず二度見していた。


 その対応にマスターは焦りを感じた。

 客も減り、ほとんど人との会話もなかった状況が、ルカキスが現れたことで一躍華やいでいたのである。ところが先ほどまでノリノリで会話を楽しんでいたルカキスは、返事を返さないだけでなく自分に一切目もくれずじっと何かを考え込んでいる。


 ついに、話への興味を失ったのか!?

 好きそうな話だと思っていたのに、チョイスを間違えたか!?


 マスターの顔からは、徐々に血の気が引いていく。

 

 いずれこんな時が来るのは分かっていた。この時間が永遠でないことは。だけど、こんなに早く自分が主役の座から引きずり降ろされるなんて……


 その時、マスターは溝から落ちて取れなくなった、金貨を眺めるような目つきでルカキスを見た。それは5年前の話。あの時は金貨を諦めた。

 だが、もう2度とこんな思いはしたくない! マスターはその時、そう心に誓ったのである。

 その思いがマスターを、もう1度奮い立たせた。

 マスターはまだ諦めない。何とか元居た自分の地位に返り咲くべく、訴えかけるようにルカキスに言葉を向ける。


「これは困った!」

 だが、それでもルカキスはまだ戻ってこない。

「問題だよ!」

 まだだ。

「大問題だよっ!」


 マスターは身を乗り出し、半ば叫びと言っていい大声で、ルカキスに訴えかけた。

 その甲斐あって、ようやくそれに気づいたルカキスは、マスターにその顔を向けたのだ。

 その瞬間、ルカキスはマスターの話を聞いていたことを思い出し、咄嗟に「だよねぇ」と切り返した。

 話を聞いていなかったのはあきらかであり、到底ごまかすことなどできない切り返しと思われたが、僅かに間が空いたものの、破顔しながら頷くマスターの顔を見て、ルカキスはまんざらでもない顔を浮かべていた。


 ポールポジションを取り戻したマスターは、その座を2度と手放すまいと、両の頬を叩いて気合い入れ直し、ルカキスの注意が自分に向いているのを確認してから、おもむろに話を再開した。


「宿屋にとってそれは死活問題だ。だが、だからといって魔物はいない。下手に嘘でごまかしても、そんなのは短期間だけの話だ。逆に噂が嘘だと知れれば余計に印象を悪くしてしまう。では、どうするか……」


 マスターはルカキスに流し目を送りながら、その注意がそれていないことの確認を怠らない。


「そこで僕は思いついた。中央への強力なコネクションを使えば、何か打開策があるのではないか……とね(キランッ)」


 目を輝かせたマスターは、そのまま駆け足で戸口へ向かう。そして、ロボットを伴い急いで戻って来ると、その肩に手を掛けながら満面の笑みを浮かべた。


「そして西のセントアークから、ロボットを導入することを思いついた。それがこいつだよ!」


 マスターは、限界まで鼻の穴を膨らませながら、自慢げにロボットをアピールした。しかし、それを理解できていないロボットは、ただ、ぼーと突っ立っているだけである。


 ルカキスにしても先ほど1度見ていることもあり、特に何の感慨も覚えていなかった。それでも、必死にアピールしてくるマスターの様子から、何かあるのかと思い直したルカキスは、もう少しロボットを注意深く観察してみることにした。


 西から持ち込まれた文明の産物か。だが、これがいったい何だというんだ?

 確かに見た目は多少インパクトがある。金属の塊がしゃべったり、自分の意思や命令に従って動くことにも驚きはある。だが、慣れてしまえばだから何? という感想しかなく愛嬌を感じることもない。

 この容貌では人気の出る可能性もないだろうし、客引きの観点から言えば萌え系のウエイトレスを置いた方が何倍もマシに思えるが……? 


 いや、待て。ロボットは何かそれを打開できる、びっくりするような特技を持ってるんじゃないのか?


 本来なら決定的なアピールポイントでなくてはならない状況で、単純にロボットを見せるのはおかしすぎる。この勝ち誇ったマスターの顔を見てみろ!

 一見ただのデク人形と思わせておいて、実は驚愕の特技を持っている。一旦落としておいて、すぐ上げるっ! そういう考えのもとの発言ではないのか?


 ……いや、そうだ。きっとそうに決まってる!


 自分の予想を確信しながら、ルカキスはマスターに問いかけた。


「で、特技のようなものはあるんですか?」

「……特技?」


 マスターは少し考え込むような仕草を見せたあと、何かを思いついたのか、はにかむような表情を浮かべた。


「まあ、特技と呼べるか分からないがねぇ」


 言いながらマスターは、自分の右手親指をぐっと内側に曲げ、そのまま右手の腕の内側にくっつけた。


「ほら見て……くっつくんだ」


 って、お前の特技かよっ! じゃねーしっ!


 ルカキスは思わず、自分の中で激しいツッコミを入れていた。

 咄嗟に握り締めた拳がマスターの顔面に向かいそうになったが、それは何とか思いとどまった。怒りを静めるために深呼吸をして、何とか気持ちを落ち着けたルカキスは、もう1度だけマスターに問いかける。


「いえ、あの……マスターの特技じゃなくて、ロボットの……」


 ようやくにして、ルカキスの意図を理解したマスターは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「ナハッ、ナッハハハハハ、あ、特技! ロボットの特技ね! そりゃそうだよね。僕の特技なんか見ても、何にもおもしろいことないもんね。ナハハハハハハ……」


 その後マスターは、笑いが止まらなくなり「なるほどロボットか」とか「なんでこんな勘違いしたのかなぁ」などと言いながらロボットの頭を撫でたりして、一向に特技を披露する気配がない。

 業を煮やしたルカキスは、少しキツめの口調でもう1度マスターに催促する。


「あの、マスター! それで、ロボットの特技は?」

「ナハハハハハ……ああ、特技? ロボットの特技だったね……」

「はい」

「…………ないよ」


 ルカキスはその答えを聞いて、あっけに取られていた。


「ない!? 特技はないんですか!?」

「…………うん」


 マスターもその答えはまずいと感じていたのか、歯切れ悪く仕方なく答えた感じである。笑いでごまかしてはいたが、どうもその間も必死にロボットの特技を考えていたようで、思いついた答えが自分の言うことを何でも聞くことだった。


 しかし、ロボットが指示に従い行動するのは特技に当てはまらない。ロボットという存在の認識が広まっていれば、いや、ロボットという文明が発展してゆく過程がそこに歴史としてあれば、それは十分特技として成立しただろう。


 だが、ロボットが何たるかを知らない者にとっては、それがどれほど凄いことなのか理解できない。既に指示を受けて動いているところを見て、ロボットがそういうものだと思ってしまっているルカキスにとって、それは特技と呼べるものではなかったのだ。

 それが分かっていたマスターは、それ以外の特性を色々思案したが、結局見つけることができず、正直にそのことをルカキスに打ち明けたのだった。


 しかし、それを聞いた途端、ルカキスは表情を豹変させた。

 冷酷。そんな雰囲気を醸し出すルカキスは、心無い口調でマスターに話しかけた。


「今日、宿泊できますか?」


 ルカキスは相手との会話の打ち切りを告げるように、ガラリと話題を変えた。


「いや……宿泊はできるが――」

「じゃあ、お願いします。それと、僕は今から出かけるので夕食は結構です」


 冷たい。まるで氷のように醒めきった目をしてルカキスは言う。おそらく、先ほど胸の奥にしまった、心の黒い部分も解放されているに違いない。ルカキスはマスターとの会話に完全に興味をなくしていた。


 マスターから得られる情報の見切りはついた。ここで相手のペースに合わせていては、ズルズルと生産性のない会話をさせられるだけだ。思いの他情報は入手できたが、この町でそれほど長居するつもりはない。何人かから情報を集めて、明日にはここを出るつもりなんだからな。


 俺も利益を得たが、マスターにも十分楽しい時間は提供していた筈だ。これ以上つき合う義理など、もともと俺は持ち合わせていない。あのつまらない特技がいい潮時になったな。


 さてと。では、マスターのおもりはそこにいるデク人形にでも任せて、場所を変えるか……


 ルカキスは、宿を見つけるまでに目をつけていた酒場ならより有益な情報が手に入ると考え、マスターには目もくれず足早に宿を出るべく戸口へ向かった。


「ち、ちょっと待ってくれ! 違うんだ、このロボットには実は――」

「マスターごめんなさい。人と会う約束があるので」


 仮面のような作り笑いと有無を言わせぬ威圧感を漂わせて、ルカキスはマスターに幕引きを宣告する。


 その口調に、取りつくシマもないことを肌で感じとったマスターは、ガックリと肩を落としその目の光は完全に失われた。


 ルカキスはそれを意にも介さず無言で木戸を押し開けると、そのまま出て行ってしまう。その瞬間、マスターとロボだけを残した宿屋は、ルカキスが来るまで同様いつもと変わらぬ静寂に包み込まれた。


 しかし、その直後、マスターの落胆は怒りへと転化する。その矛先は傍らに無表情で立つロボットに向けられたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る