52話 ソレイユ編⑤ 老人たちの集い


 浴室でもう1度全身をきれいに洗い流してから、私は神木の前に戻った。

 その間に、もしかしたら実が成ったかも? そんな期待をしていたけれど、見渡した幹のどこにも禁断の実らしきモノは付いていなかった。


 やっぱり、そう簡単に手に入るものじゃないか……


 ババア様はそう言っていたものの、実際、人間の血がどれだけ実の形成を促進させるかは分からない。

 算段がついたと早合点していた私は、ガックリと項垂れながら深い溜め息をついた。

 そして、その日はいったん自分の家に戻ることにした。


 翌日、ババア様のところに顔を出そうと向かった私は、家の前に着いたところで、ばったりババア様と出くわした。

 私と目が合ったババア様は、開口一番「しばらく見んかったが、どこの男のところに転がり込んでたんだい?」と小言を言ってきた。

 それを機に、いつもなら他のこともガンガン文句を言われる筈なのに、なぜかこの日のババア様は驚くほど機嫌が良かった。

「昔はこのババもブイブイ言わせておった。若いうちに、せいぜいエンジョイしておくことじゃ」と、笑いながら理解を示してきたのだ。

 それが逆に怖かった私は、敢えて自分から「神木へ血を撒きに行きましょうか?」と提案した。

 だけど、それすら断られた上に、その時ババア様はおかしなことを口走った。


「ああ、そういえばお前には随分撒きに行ってもらったね。一応、礼を言っとくよ。でも、あれはもう当分やらなくていいから。それと、今日は別段頼むこともない。ねんごろになった男のところにでも行っておいで」


 そう言い残すと、ババア様は家に入ってピシャリと戸を閉ざしてしまった。

 普段なら『そんなことまで!?』というくらい私をこき使うくせに、今日のババア様はとてもそっけなく私を追い払った。

 そこにもちろん違和感はあったけれど、それよりも私はババア様が口にした言葉が気になった。


 今更どうして『礼を言っておく』などと言ったのだろう?

 それに『当分やらなくていい』とはいったい……?

 

 あれほど禁断の実に固執していたババア様が、実を手に入れるのを諦めたとは思えない。

 いや、その口ぶりはむしろ『欲しいものは手に入ったから、お前のやることはもうない』と、私に言っているように聞こえた。


 ――まさかっ!?


 そこから導かれたのは、ババア様が何らかの方法で既にという事実だった。


 そ……そんなの、あり得ない!


 動転しながらも、私はそのまま神木を目指して走り出していた。神木の状態を確認せずにはいられなかったからだ。

 私自身、あの状態のまま、あそこを放置するつもりなんてなかった。

 神木が時間差で実を付ける可能性は当然あったし、死体も片づけなくてはならなかったからだ。

 だけど、その間に誰かがあそこに行くとは思わなかった。

 ここ1年、血を撒きに行く役目は私で固定されていたし、そもそもババア様に固く禁じられているあの場所に、近づく者など誰もいない。もし仮に誰かが行ったとしても、その時、警備兵の死体に気がつかない筈もなく、だとすれば、実を持ち帰る以前に集落中が騒ぎになってなければおかしかった。

 でも、ババアがそれを知っていたとは、到底思えない。

 神木に行ったところで、その答えが得られる保障はなかったけれど、1度現場を確かめないことには私の気がおさまらなかった。


 不安を抱きながら現場付近まで辿り着いた私は、そこで人間の臭いに気づいて足を止めた。

 それは警備兵の死体から漏れてきたものじゃなく、何人もの生きた人間から漂ってくる臭いだった。

 その事実に驚いた私は、急いで態勢を低くした。そして、息をひそめ、気配を消してからもう少しだけ進んで、神木周辺の様子を遠巻きに窺った。


 ――えっ!?


 そこで思わず、私はそんな心の声を漏らした。視線の先に、大勢の兵士が集まっているのが見えたからだ。

 兵士たちは、さらしていた死体の周りに集まって、詳しい死因を検分しているようだった。

 見張り小屋への人の出入りも激しい。黙々と作業が続けられる現場の状況は、どこか殺気立っているように感じられた。

 私は気づかれないようにゆっくり後退すると、頃合いを見て全速力で走った。来た道を急いで引き返したのだ。

 だけど、頭の中は混乱していた。人間に気づかれるのがあまりに早過ぎたからだ。

 警備兵は1人も逃がさなかった。だから、多少の時間的余裕があると私は思っていた。それなのに、丸一日も経たないうちに事は露見している。


 いったい、どこから情報が漏れたというの……?


 そう考えた時、私はリオスが魔法使いだったのを思い出した。


 そうか! あいつが……リオスが既に、魔法で異常を誰かに伝えてたんだ!

 しかも、ここは森の相当奥深くだというのに、迅速なまでの軍の動き……


 私はその時、国が講じていた策を甘く見ていたのを知った。見張りはたった3人だったけれど、俄かに軍の人間がここに駆けつけられる体制は整えられていたのだ。

 原因に思い当たった私は、だとしたら非常にまずい事態になっていると気づいた。

 なぜなら、現場に頭を残していたリビードよりも、ルルカの方が先に姿を見られていたからだ。

 にもかかわらず、現場にはルルカの姿がどこにも見当たらない。それが報告の誤りと受け取られないことが、私には分かっていた。


 だって……だってあそこには、カピカピになって乾いている、筈なんだから!


 ……それ以前に、種族に加え男女まで食い違っていては、さすがに間違いだとは思われない。

 それに、もっと精度の高い情報が伝わっている可能性もあった。魔法には言葉だけでなく、イメージを伝えられるものがあるのを私は知っていたからだ。

 そして、そのためにリオスが警備に組み込まれていたのだとすれば、名前以外の私の情報は、全て軍に伝わっていると考えておかねばならなかった。

 

 取り乱しそうになるのを何とかこらえ、私はババア様の家へと急いだ。

 ルルカで行動し続けるのが危険なのは分かっていたけれど、禁断の実の方がもっと気がかりだったからだ。

 だけど、誰かが神木から実を持ち帰ったわけではないのは分かった。

 状況から、兵士たちが今駆けつけたのでないことは明らかだったし、だとしたら、猶更あそこには誰も近づけなかった筈だからだ。


 でも、だったらババア様はどこから禁断の実を入手したの?

 本当にそれは紛れもない本物なの?


 私はそれを確認しなければならなかった。


 ババア様の家まで戻ってきた私は、人が向かって来るのに気づいて家の陰に身を隠した。やって来たのは左利きで有名な蜥蜴人族。通称リザードマンの長老だった。

 しばらく様子を窺っているうちに、猫人族、翼人族などの長老会のメンバーたちが続々と集ってくる。それを見た私は非常な焦りを感じた。


 まずい。やっぱり、ババア様は何らかの方法で禁断の実を入手している!


 長老会メンバーの集結が、禁断の実を誰に与えるかを決めるためだと判断した私は、家の裏手から天井裏に入り込んで、覗き穴から中の様子を確認した。

 中には既に年寄りたちがひしめいていて、メンバーは概ね揃っているように見えた。


「そろそろ始めるかいの」

「いや、鼠人族の長老がまだ来とらん」

「ネズミだけに……か」

「いや、何もかかってないから。全く意味分からんから!」


 部屋のあちこちでは、そんな楽しげな声が飛びかっている。私はその雰囲気にイラつきながら、ババア様が実を入手したのは、おそらく昨日今日のことだろうと当たりをつけていた。

 ここに集う年寄りたちは、日がな一日やることがない。月1回の会合を週1回に増やそうという提案が定期的に議題に上るくらい、暇潰しに焦がれている。

 そこへ来てババア様から召集がかかろうものなら、取るものも取り敢えず飛んでくる。老人とは思えない驚きの早さで、たちまち全員集合してしまう。だからそう思ったのだ。

 

 それにしても、集まった長老たちは皆一様にイキイキして見えた。年甲斐もなく、やる気に溢れていた。

 それを見た私は

 

 元気な年寄りは可愛げがない……

 元気な年寄りは始末におえない……

 

 なんて、これっぽっちも思わなかったけれど。


 とにかく、このまま事態を流れるに任せれば、禁断の実は確実にコンドロイチンの手に渡ってしまう。それは絶対に阻止せねばならなかった。

 もはや私の努力が徒労に終わったことも、ババア様がどこから実を入手したかもどうでもよかった。どんな形であれ、それを私が手に入れれば済む話だからだ。

 

 ――禁断の実は、絶対に私がいただく!――


 そんな私の強い決意と共に、長老会は幕を開けたのだった。


 最初に言葉を発したのは、長老たちの最古参。最も権力を持つ狐人族の長老ババ様こと、ババア様だった。


「今日皆に集まってもろうたのは他でもない。ついに我らの悲願を叶える時が来たからじゃ。その先方となって我らを導き、まだ見ぬ大いなる繁栄を我ら獣人族にもたらす、偉大なる救世主が誕生する日がついに訪れたのじゃ!」

「「「おおぉっ!」」」

「では、ついに手に入れなすったのか!」

「何をじゃ?」

「……何をって、アレに決まっておろーが!」

「何がじゃ?」

「……何が? お主、わざと言っておるな? もういい! お主とは、もー喋らん!」

「ど~してじゃ!」


 などと家の中が騒めく中、ババア様が懐からそれを取り出した。


「しかと見よ! これが神木から生み落とされし我らの希望の光、禁断の実じゃ!」


 ババア様が右手で高々と掲げたそれが目に入った途端、私は瞬間的に覗き穴に張りついた。そして、目玉が飛び出るくらい目を見開いた。

 同時に「ああああああああぁぁぁぁぁぁ――――っっ!」と叫んでもいた。

 そこにあったのは、私が危機感を感じて思い切り蹴り飛ばした、固くて黒い球体だったからだ。

 

 あ……あ……あのウ○コが、まさか禁断の実だったとは!


 食べるという前提があったせいで、てっきり果肉の付いた実だと思っていた私は、アレが禁断の実だとは全く想像していなかった。

 だけど、言われてみれば、確かに匂いはあった。

 匂いというより臭い。耐えられないくらいの悪臭だったけれど……

 神木の真下で入手したという事実を考えても、多少は疑うべきだった。私はそこに思い至らなかった自分の愚かさを、その時激しく反省したのだった。

 

 ――なんて、考えてる場合じゃない!


 ババア様の家はたいして立派ではなく、壁も大層薄かったので、簡単に天井裏に入り込めたし、覗き穴をこしらえることもできた。

 でも裏を返せば、そんな天井裏で発した私の声が、中に響かなかったわけがない。即座にそこを出て家の裏手で息を潜めたものの、そのままうやむやに終わるとは思えなかった。


「いったい何じゃ、今の声は!」

「誰かが天井裏に潜んどったんじゃないのか?」

「なるほど! それであまりの臭さに思わず声が出たと」

「いや、確かにババ様がアレを出した途端、周囲は一気に臭くなったが……」

「ここへ来た時から、わしゃずっと思っとったぞい! 誰かこきやがったとな――」

「くだらんことを言っとらんで、誰か表を見てこんか!」

「なら、ワシが行って来よう。老いたとはいえ、ワシの翼から逃げきれる奴など、そうそうおらんよってにな」


 そう言って、不貞の輩を取り押さえに向かおうとしたのは、鷹の目とカラスの翼を持ち、アヒル口で自分をワシと称する、翼人族の長老だった。

 でもその時、騒ついた場を落ち着かせるようにババア様から一喝が飛んだ。


「静まれいっ! 皆いったん、そのまま席に座るのじゃ!」

「しかし、ババ様。外には中の様子を窺っておった奴が――」

「心配せずともよい。あれは私の馴染みの者の声じゃ。天井裏を掃除させとったのをすっかり忘れておった。おおかた黒光りするGとでも出くわして、声を上げただけじゃろう。アレはさして害の無い娘じゃ。器量はマシじゃが、抜けたところが多いし、なにぶんちと頭が弱い。あの娘が覗いておったわけがないし、そもそも見たところでどうこうできるすべもない。気にせず話を進めようぞ」


 ババア様の言葉で場は取り繕ろわれ、捜索に出ようとしていた翼人族の長老も、ババ様が言うならと席についた。

 一見、私を庇ってくれたように見えるババア様の発言は、もちろん自発的に出たものじゃなかった。

 ババア様にそう発言させたのは私だった。私はルルカの体を抜け出して、ババア様の体に入り込んでいたのだ。

 ババア様の思考の影響を受けて、ルルカを貶める発言になったことに反発はあった(ババア様が相当私を見下してるのを知って、腹も立った)けれど、事態を落ち着かせるために仕方がないと諦めた。


 だけど、私が即席で体を支配できる時間は限られている。俄かに意識の表層から追い出されると、体の主導権はババア様に戻った。

 我に返ったババア様は、すぐには事態が飲み込めず、目をぱちくりさせると、ぼ~と視線をさまよわせた。意識の裏側に追いやられたあとも、私はそれを知ることができた。

 何を見て、何を考えているのか。私はババア様と同じ情報を得ながら、更にはババア様の記憶の中にある知識を垣間見て、自分で別のことを考えることもできたのだ。


「どうかされましたか、ババ様?」

「……いや、なんでもない。ちょっと意識が混濁しておっただけじゃ」

「混濁? ババ様、そんな持病を持っとったんかい?」

「持病なんて持っとるかい、こんバカタレが! そんなことより賊はどうした? 中を覗いとった奴がおったんじゃろうが? 誰かに見に行かせたんかい!?」


 ババア様の言葉に、他の長老たちの誰しもが沈黙するより他なかった。

 その様子にさすがのババア様も、自分が間違ったことを言ったのではないかと自問する。


「ババ様、やはり何かの病気をお持ちなのではないかと……」


 そう発言した長老を、即座にキッと睨みつけるババア様。だけど、先ほど噛みついたように言葉を発することはなく、何かを言いたげな表情を浮かべながら、それもすぐに困惑に塗り替えられてしまった。

 場には少しの間、気まずい空気が流れたけれど、他の長老たちからは口ぐちに、話を進めようとの声が上がった。

 それを受け、ようやく気持ちを切り替えたババア様は、疑念をいったん棚上げして、議会を進行することにした。


「では、これより禁断の実を誰に託し、誰に食べさせるかについての協議に移りたいと思う。こんな機会はそうそう巡ってくるものではないし、長老それぞれには思惑もあるじゃろう。じゃが……じゃが! 今回、その決定については、敢えて私に一任してもらいたい」


 そこで言葉を切ったババア様は、睨みを利かせながら一同を見回すと、長老たちにつけ入る隙を与えないまま続けた。


「この実に対して、どれだけ強い思いを持っておったとしても、それが私より強い者などおらん。なぜなら、私より長く生きているものは、ここにはおらんからじゃ! それに、今回実を入手するに当たっては、私の思いを後押しする、ある不思議な出来事があったのじゃ。その話を聞いてもまだ、私の意向に添えんという者がもし万が一にでもあれば、その時は申し出るがよい」


 空気は完全にババア様の独壇場だった。

 私の知る限り、常にババア様はワンマンだったし、自分がそう思ったら白でも黒に塗り替えてしまう。

 たとえ誰かが反論したとしても、ババア様は絶対に譲らない。結局は他の長老が折れるしかなく、ババア様の意見は長老会の総意と同義と言ってもおかしくなかった。

 だから、今の時点でババア様が自分の考えを押し切ったとしても、おそらく強い反発を受けることはない。だけど、ババア様はどうしても話したかった。自分が体験したことを皆に聞かせたかった。そして、完全勝利を確信してから結論を述べたかったのだ。


 でも、私はその話を聞きたくなかった。

 自分のバカさ加減に嫌気が差してくるから……

 そして、他の長老たちも話を聞きたくない。聞こうが聞くまいが結果は同じだったし、ババア様が話し出すと長くなるからだ。

 だから、長老のうちの1人がなんとかそれを阻止しようと、こう切り出した。

 

「ババ様。ババ様の思いはその言葉だけで十分に伝わりました。我ら一同、ババ様の気持ちに背いてまで――」

「それは昨日のことじゃった」

「いや、あのババ様――」

「私はいつものように、日課である日向ぼっこに興じておった」

「ババさ――」

「今日も良いBB(ぼっこ日和り)じゃ。そう思いながら日の光を浴びる私は、エネルギーを全身に取り込みながら、これでもう百年は長生きできるわい。そんな思いを抱いておった」

「…………」

「じゃが、穏やかな日常は唐突に終わりを迎えた。目を細めながらBBを満喫する私の後頭部に衝撃が走ったからじゃ。それは私の両目が飛び出てもおかしくない、強い衝撃じゃった。まるで、誰かが鋭い回転をかけて放ったボレー。そうとしか思えぬ高い威力で打ち出されたそれは、おそらく堅い木の球ではないかと私には思えた。風切り音を立てながら高速でここまで飛んで来た球は、見事私の後頭部を直撃し、私は気を失ってその場に倒れた。目覚めた時には既に帳が降りておった。なぜ自分が倒れておったかを思い出した私は、何が飛んで来たかを突き止めようと思ったが、周囲は暗く、この歳では夜目も利かぬ。いったん家に入って、夜明けまで待つことにした。そして、明け方近く、寝所で寝ておった私は、異様な臭気に目を覚ました。それは野生の血を呼び覚ます強烈な刺激臭じゃった。私は即座にそれが、禁断の実から放たれた臭いだと気づいた。お主らも知識として知っておるやもしれんが、直接臭いを嗅いだのは今日が初めてじゃろう。何しろここエタリナで禁断の実を目にしたのは、私とて今回を含めてたったの2度。しかも、前回見たのは六百年以上も昔の話じゃからな。この独特の臭いは、木より実が落ちた瞬間から漂い始め、徐々に拡散範囲を広げてゆく。我らには強く感じるこの臭いは、なぜか人間には全く届かない。だから人がどんなに懸命にあそこを守ろうとも、離れた場所におる我らの方が、それを見つけ、手に入れるのに利を持っておるのじゃ。だからと言うて――」


 ……長い。

 余りに長い話の後半部分を、私はバッサリとカットした。とどの詰まり、ババア様は自慢がしたかっただけだからだ。

 もちろんそれがババア様の強運などではなく、私の無思慮が招いた結果だと知る私は、ババア様の話を聞いていられなかったというのもあったけれど……


 長話を聞き疲れた長老たちに、間もなくババア様より最後の結論が伝えられようとしていた。

 既に皆、聞かなくても分かっているという顔をしていたけれど、ここでババア様の思い通りにさせるわけにはいかない。

 ババア様には気の毒だったけれど、私はもう1度ババア様の意識を奪い取ると、表層に躍り出た。


「――では、その実を誰に食べさせるかなのじゃが……私は今日それをこの場で決めるのではなく、皆に今一度熟考してもらうための期間を設けようと考えておる」

「「「ええっ!?」」」


 そう告げた途端、場は当然のように驚きの声で溢れ返った。

 構わず私は続けた。


「今日より3日の後にここへ集い、その時に誰に実を託すべきかの最終審議をする。敢えて言うが、私はコンドロイチンをゴリ押しするつもりなんぞ毛頭ない。これは、獣人全ての命運を担う重大な決議になる。その旨皆も重々承知の上、人選に当たるよう心掛けよ!」

「「「おおっ!」」」


 長老たちからは歓声とどよめきが沸き起こった。


「ババ様がそこまでお考えであったとは」

「これは、種族を超えて人材を選りすぐる必要が出て参りましたな」

「しかし、ババ様からこんなまともな発言を聞かされたのは、何年ぶりかいの?」

「先ほど後頭部を直撃されたと話しておったが、よほど打ち所が良かったのであろうな」


 ざわめく一同に向け、私は議会の解散を宣言した。

 決議を一週間先まで伸ばせば、ババア様の体を完全に掌握できる。でも、そこまでゆっくり構えていられる時間はない。

 既に警備兵が殺された事実は人間に知れられている。それが神木の警備だったことを考えれば、人間は本気で動くと思えたし、大規模な問題に発展すれば、獣人は行動を制限される可能性もある。悠長に事を進めていられなかったのだ。


 3日でババア様の体を完全に掌握することはできないけれど、支配時間を増やすことはできる。

 それに、今日の出来事はババア様にはトラウマになる筈だ。

 そこを上手く突いて、あからさまに記憶障害が起こっていると気づくようババア様の記憶を貪ってゆけば……ついに自分がボケ始めたとショックを受けて、意識を手放す時期を早めることもできるだろう。


 長老たちは皆席を立ち、実を食するにふさわしい人材を選別、推挙するために、足早にこの場から引き上げてゆく。

 ほとんどの長老が戸口から出たところで、ようやく意識の戻ったババア様が、残っていた長老を言葉で引き留めた。


「ま、待てっ!……議会の途中で、皆いったいどこへ行こうというのじゃ?」


 声をかけられババア様を振り返った長老は、困惑顔を浮かべていた。

 それを見て当惑したのはババア様だ。今日意識がおかしいと感じたのは、これで2度目になる。当然記憶に不自然な空白があるのも自覚していた。

 そこへ呼び止めた長老が、まるで可哀想な子どもを見るような目つきで、ババア様にこう言葉をかけた。


「ババ様。昨日の今日で体調が万全でないのも無理はござらん。少しお休みくだされ。我らが飛び切りの候補を探して3日後に馳せ参じますゆえ」

「み……3日後……じゃと?」


 長老はババア様に慈しむような視線を送ったあと、一礼してから戸口を出ていった。ババア様はそれを茫然と見送るしかなかった。

 そのまま椅子に座り込み、言葉もなくただ自分の手を見つめるババア様。

 一時的に気を失ったくらいなら、ババア様にもそれほど動揺はなかっただろう。だけど、記憶がない間のババア様は、意識があるどころか言葉まで口にしている。

 長老たちの態度から、それを理解していたババア様は、その間の記憶が欠落している事実に恐怖を覚えたのだ。

 でも、そうやって打ちひしがれていられたのも、それほど長い時間じゃなかった。荒々しく入り口の戸が開かれ、複数の人間が家に押し入ってきたからだ。


 そのまま有無を言わさず家探しを始めたのは、王国軍の兵士たちだった。おそらく、ルルカ捜索の手がここまで伸びてきたということだろう。

 それを見た私に動揺はなかった。狐人族は神木付近をテリトリーにしていたし、捜査がここに及ぶのは時間の問題だと思っていたからだ。

 だけど、事情を知らないババア様は、軍の者たちに激しく抗議した。でも、それが聞き入れられることはない。獣人の人権など、人間にとってはあってないようなものだからだ。

 抵抗を諦め、家が荒らされるのを悔しげに見つめるババア様。そこに遅れて1人の軍人が家の中に入ってきた。

 この場にいる者たちの上官と思しきその軍人は、ババア様のもとまで歩み寄ってくると、申し訳程度に謝罪の言葉を口にした。


「突然の非礼をお詫びする。緊急性の高い事案だったために、了解を取っている暇がなかったものでね」


 そう言って微笑んでみせる上官を、ババア様が睨みつける。

 それを気にすることなく、上官はこんなことを尋ねてきた。


「我々はある狐人族を探している。既にここ以外の場所は概ね調べさせてもらったが、この集落を不在にしている者が何人かいるようだ。そのうちの1人が、この家に出入りしていたとの情報を得たんだが、どこにいるかご存知ないかな? というメスの弧人族なのだが……」


 早い……

 もう名前まで特定されたのか。


 人間の捜査能力の高さに舌を巻きながら、それでも私にはまだ余裕があった。

 ババア様の家には秘密の地下室がある。ババア様の記憶からそれを知った私は、軍の者たちが来るまでに、ルルカをそこに移動させていたからだ。

 ババア様が口を割らない限り、あそこは簡単には見つからない。そして、絶対にここにルルカがいるという確証でもない限り、この家が本格的に捜索されることはない。

 当然ババア様がそれを知る筈もなく、聞かれたことに素直に答えるババア様の態度に、上官も関連性は薄いと感じているようだった。

 続けて上官は、詳しい経緯をババア様に話し始めた。

 だけど、それを聞いた途端、ババア様は急に顔色を変えた。


 警備兵の死。

 神木前にさらされた血まみれの死体。

 人間の血を吸った神木。

 そして、手に入れた禁断の実。


 上官の説明で、全てが繋がったからだ。


 馴染みのルルカが、その件に絡んでいるという驚きもあったのだろう。突然、動揺し始めたババア様は、不自然に視線をさまよわせた。

 なぜなら、テーブルに置かれたままになっていた禁断の実からは、存在をアピールするように強い臭気が放たれていたからだ。

 いかに人には感知できないとはいえ、これほど強い臭いが出ていれば、人間にも気づかれるのではないか? ババア様はそれが気が気でなかった。


 もはや、兵たちにどれだけ家を荒らされても構わなかった。

 これさえ、この禁断の実さえ見つからずにやり過ごすことができれば……

 だけど、そんなババア様の思いが態度にも出ていた。何度もテーブルに目をやるババア様の不自然さに、上官が気づいたのだ。

 不意にテーブルに歩み寄った上官は、そこに置いてあった禁断の実を手に取ると、造形をつぶさに眺め始めた。


「これは何とも面妖な模様をしておるなぁ。手掘りかな?」


 そう疑問を投げかけてくる上官に、青ざめたまま言葉を返すことのできないババア様。

 そのリアクションを見て、何かに思い当たった様子の上官は、目を細めながら言葉をつけ加えた。


「どうやらこれは、君たち狐人族にとって大切なものらしいね」


 口調こそ穏やかだったものの、ババア様を見つめる上官の目は鋭い。

 だけど、それに応じたババア様は、意外にも落ち着いた様子で静かにこう答えた。


「……そうでもござりませぬ。そうやって置いておくだけで防虫効果がありますゆえ重宝しておりますが、大切なものであれば、そんなところにぞんざいに置いたままになど致しませぬ。もっとも、滅多と手に入るものではありませぬゆえ、貴重かと問われれば、そうとしかお答えできませぬがの」


 先ほどまでの動揺はどこへやら。泰然とそう応じるババア様には、顔に笑みを浮かべる余裕すらあった。 

 それを目にした上官は、当てが外れて、少し戸惑っているように見えた。

 さすがはババ様と慕われ、長老たちの上に立つだけのことはある。この分なら強引な手段に出なくても、ババア様に任せていれば上手くしのげると私は考えていた。

 

 萎縮したババア様を立ち直らせるのは簡単なことだった。ババア様は上官の話を聞いて、自分が手にした禁断の実と関連づけたせいで動揺した。

 ならば、その部分の記憶を消してやればいい。警備兵の死と禁断の実が無関係だと思わせればいい。そうすれば、ババア様は余計な緊張から解放される。

 だから私は食ったのだ。そこを繋ぎ合わせるババア様の記憶を喰らってやったのだ。


 そうすることで、ババア様は老獪で口の立つ、自信に溢れたもとのババア様に戻る。そうなってしまえば、私とババア様の利害は一致している。

 私が意識を乗っ取りこの場を取り繕う必要もなく、ババア様は勝手にそのように行動する。禁断の実を守るために。

 それに今の私では、ババア様の知識や能力を完全に引き出すことができない。だから私は、あとの処理をババア様に託したのだ。


 餅は餅屋。

 ガンダムはアムロ。

 それが1番上手いやり方だった。


「――ほう、防虫効果がね。私はてっきり、これが噂に聞くと呼ばれるものではないかと思ったんだが……」

「…………」

「無論、触れたことも目にしたこともないが、もしそれがあるとすれば、こんな形状をしていても、おかしくないと思ったものだからね」


 それでも上官は、今度は直接名前を出して、もう1度ババア様の反応を確かめてきた。

 ババア様は自分の動揺をけどられぬよう、即座にそれを笑い飛ばした。


「カーカッカッカッカ、何を言いだすのかと思えば上官殿も人が悪い。あれはいつ実が成るとも知れぬ、このババですら1度しか拝んだことのない代物ですぞ? もし、こんなところにその実が転がっておるなら、ここ百年の間に10回は魔王が誕生しておりましょうぞ? カーカッカッカッカ」

「…………」


 ババア様のあまりのあっけらかんとした受け答えに、上官も自分の予想に少々自信をなくしたようだった。

 その後すぐに、部下から捜索が終わった旨を告げられると、上官は一瞬躊躇したものの、禁断の実を置いたままババア様の家から出て行ってしまった。

 私とババア様は2人で胸を撫で下ろしながら、誰にも気づかれぬ安全な場所に、急いで実を隠したのだった。


 とりあえず一難は去ったものの、どれだけ探し回ったところでルルカが見つかることはない。だとすれば、もう1度ここに捜査の手が及ぶのは間違いなかった。

 今回以上に綿密に調べられれば、地下室だって見つかる可能性が高い。だけど、私は今すぐルルカを処分しようとは思わなかった。

 リビードの時のように、不測の事態が起きないとは限らない。その時すぐに動かせる身体があるのは重要だった。たとえザクでも、処分を急ぐべきではないと考えを改めたのだ。

 それに、捜査がもう1度ここに及ぶまでに、おそらく全ては終わっている。私はババア様の身体を得たことで考えついた策を実行するため、早急にババア様の自我を崩壊させるべく励むことにした。


 そして3日後。予定通り、ババア様の身体の掌握は概ね終わっていた。

 ババア様にとって記憶の喪失は相当ショッキングだったようで、殊更それが分かるように記憶を貪っただけで、あっさりと生きる気力を失った。

 同時に私は、その知識を借りて綿密な計画を立てた。そうして出来上がった策は、穴の無い非常に優れたものに感じられた。

 やはり年寄りの知識は侮れない。今回の経験を踏まえ、私は今後もし体を乗り替わることがあるなら、選択肢から除いていた年寄りも組み込む必要があると思い直した。


 開かれた最終審議では、私の目論見に違わずゾーンバイエを推す者が圧倒的に多かった。

 私は皆の意見を汲み取る形で、望み通りゾーンバイエを採択した。

 そして、その旨を本人に告げるため、ゾーンバイエを自宅に招いたのだった。

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