39話 屋敷に巣食う悪魔
「命の惜しい者は、今すぐここを出ろ」
ベレッタの言葉を合図に、闘技場からはロボとベレッタを除く全ての者が締め出された。
周囲には闘技場内部より5メートルほど高い観客席が備えられている。そこに移った者たちの視線を受け2人が対峙する様は、闘技場本来の在り方でもあった。
2人になった途端、さっそくベレッタは魔法を発動させた。
しかし、今度の召喚は展開すると同時に魔物が現れる非常に迅速なものだった。ベレッタに先ほどのように時間をかけて魔物を召喚するつもりはなかった。そんなことをしても、また一撃で倒されては意味がないからだ。
それよりも短時間で何体もの魔物を召喚し、物量で相手に迫る。当然ある程度有用な魔物でなければ意味はなかったが、ベレッタはそれを1度に複数体召喚できる技量を備えていた。
「ずいぶんとランクを落としてきたじゃねーか?」
目の前で次々に召喚される魔物を見ながら、ロボがそんな感想を漏らした。
その言葉に気を悪くした風もなく、ベレッタは召喚の手を止めずに応じた。
「お前は見た目通りの大食漢のようだからな。たらふく食わせるなら、質には拘っていられない」
「へへ。なるほど人海戦術ってわけか。確かに数が多くなりゃーオレにも対処の限界がないわけじゃねー。そこにどんな奇策を組み込んでくるのか……腹にもまだ
「…………」
どうやらロボはその戦術に加え、ベレッタが何かを企んでいることに気づいているようだった。
しかし、準備が整うのを待つつもりなのか、動き出そうとする気配はない。その態度は、上から相手を見下すようなものだったが、それでもベレッタがそれに腹を立てている様子はなかった。
……私の策を知りつつ、なお様子見か。だが、好きにさせてくれるのならありがたい。
もはや奴が私を舐めているとも思っていない。それだけの戦闘力が奴にあると理解した上で、その余裕をこちらも利用させてもらう。
ロボの周囲には、既にそれを取り囲むように数十体の魔物が配置されていた。しかし、なおベレッタの召喚が止むことはない。
人型で忍者のような外観を持つダークシャドウと呼ばれる魔物。それを盾にその影に隠れて、ベレッタは移動しながら召喚を続けた。
別にそこまでしなくても、ロボにベレッタを攻撃する気配などなかったが、その状況を鵜呑みにするような安直な思考をベレッタは持っていなかった。それが何の保証にもならないことを知っていたからだ。
相手が信用できるできないは問題ではなかった。自分にできることを怠り、もしそこに後悔が生まれたら、そんなぬるい選択をした自分がベレッタは許せない。だからベレッタは状況にかかわらず、相手につけ入る隙など与えなかった。
常に最悪の事態を想定しそれに対応できる行動を自分に課す。その甘えの無さが彼女を今日まで生き延びさせてきた。
ロボの過信につけ込みながら、闘技場にはどんどん魔物が溢れてゆく。主力のダークシャドウに加え、ダークソーサラー(実体を持たない闇の魔法使い)や、タクティクス・オウガ(怪力自慢で巨漢を誇る鬼族の一種だが、戦術的な動きができる高い知性を持つ)などを含む魔物がついには100体を超えた。
そこに来て、ようやくベレッタから攻撃命令が下された。
「……かかれ」
ベレッタはなお召喚を続けながら、ロボが魔物にどう対処するかを観察する。
その中にある相手の隙を見極め、それを足掛かりにチャンスを手繰り寄せる。そんな真剣さを内に秘めながら。
その視線の先に立っていたロボは、ようやく動き出した魔物たちに左手の照準を合わせていた。
「さっき着想は悪くねーと言ったが、それでもお前は分かっちゃいねー。オレの強さをな」
告げると同時に、ロボの左手からは6発の魔法弾が放たれた。その1回の攻撃だけで実に30体近くの魔物が、ロボに辿り着くことなく事切れた。
ロボの魔法弾は1度に6連射しかできなかったが、その威力は貫通してなお奥にいる魔物にも及ぶ。物量で責めるつもりが、それが逆に仇となって、効率の良い角度で打ち出された魔法弾6発で甚大な被害を生じさせていた。
「数にものを言わせるっつっても、この程度じゃぜんぜん足りてねー。最低でもあと10倍は必要だろーが?」
そんな軽口を叩くロボに、リロードにかかる僅か1秒の合間を縫って、剣を手にした3体のダークシャドウが迫っていた。
ほぼ同時にロボに突き刺さるかに見えた3体の攻撃は、体をズラしたロボの動きで僅かな時間差が生じた。それを利用して、ロボは3体の攻撃全てを右手で受け止めてみせた。
先ず、背後から来た突きを体ごと迎えにゆき、右手に深く相手の剣を貫通させる。そして、俄かに正面から来た突きと斬撃に合わせるために、素早く右手を正面に戻す。
その右手には剣を手にするダークシャドウも繋がっていたが、ロボは構わず力技で腕を引く。引き戻された右手には、当然ダークシャドウがぶら下がったままだ。
それをものともせず、素早い動きで正面からの攻撃を防いだことで、遅れて引っ張られたダークシャドウが、正面に立つダークシャドウ2体と激突した。そして、3体が折り重なりながら倒れたところで、放たれた魔法弾が止めとなった。
僅か1秒とはいえダークシャドウの動きは速く、戦乱の中で生じる隙は決して小さなものではない。だが、ロボはそれを感じさせないスムーズな動きで、あっという間に50体以上の魔物を葬り去っていた。
因みに先ほど名前の上がったダークソーサラーと、タクティクス・オウガの名がこの先出ることはない。
ダークソーサラーは実体を伴わず、使役する魔法効果は速度異常を起こしたりレーダーの働きを阻害する、ロボにとっては非常に厄介な相手だったが、だからこそ最優先でロボに排除された。
現実世界に干渉するために、ダークソーサラーは攻撃時に一旦姿を現さなければならない。それは魔法を放つ僅かな時間であり、他の魔物の影に隠れてこっそり行ういやらしいやり方だったが、それがロボに捕捉されない筈がなかった。
結局1度も魔法を発動することなく、ダークソーサラーのことごとくは姿をさらした途端、魔法弾の餌食になっていた。
一方、タクティクス・オウガはその体躯に似合わず、状況判断と気遣いのできる魔物だった。
自分の体は大きく俊敏な動きができない。そんな自分が前に出れば、ダークシャドウの邪魔をしてしまう。
『どけよ!』
『でか過ぎなんだよ!』
そんな心無い言葉をダークシャドウにかけられようものなら、そのガラスのハートは砕けてしまう。その場に
今は混雑している。まだ動くべきではない。もう少し空いた感じになってから、ダークシャドウの邪魔にならないよう、ちょこっとずつ攻撃しよう。
そんなことを考えているうちに、その全ては1度もロボに触れることなく、殲滅されてしまったのである。
彩りは、メインを引き立てるためだけに存在する。だが、それがあるからこそメインはより華やぎ光り輝くのである。
そんな脇にあり、日の光の届かないもの達にスポットを当ててお届けした解説は、これにて終了である。
でも、決して忘れないでいて欲しい。その希薄な存在感を僅かでも示そうとした、ダークソーサラーという存在がいたことを。
そして、この舞台を影ながら支えつつ、その大き過ぎる体を見事に消し去り脇に徹した、タクティクス・オウガという存在がいたことを。
……では、本編に戻ろう。
その戦いの最中、ベレッタはロボの戦闘スタイルに疑問を覚えていた。
奴の武器……6連射が限界なのか?
その考えの検証は即座に行われた。魔法弾6発を撃ち切った直後の隙に、またしても2体のダークシャドウがロボに迫る。その攻撃に乗じて、ベレッタも腰からサーベルを抜き斬撃を放った。
ガギンッ!
そんな金属音が鳴り響き、それは見事ロボの右肩口にヒットする。
「一撃で斬り飛ばせるほど、ヤワな造りではないか……」
突然耳の横で聞こえたベレッタの声。ロボは、ダークシャドウ2体の攻撃を完璧に防ぎながら、ベレッタがいつの間に自分のもとに迫っていたのか気づかなかった。
な……んだと?
そこに動揺しながらも、ロボが攻撃の手を止めることはない。魔物の殲滅を続けながら、自分が攻撃を受けた事実について考えていた。
あの女が巧みに魔物の影に隠れながら召喚を続けていたのは気づいてたし、それで女の位置を見失うことなんてあり得なかった。オレは女だけでなくこのフロアにいる全魔物の位置と細かい動きまで、今でも完璧に掌握してるんだからな。
女が抜刀したのは分かってたし、それを振りかぶったところまでは認識していた。だがあの時、オレと女との距離は10メートル以上離れていた……
にもかかわらず、オレは斬撃を食らっている。そして、それを認識した次の瞬間には、もうオレの傍から女はいなくなっていた。
その謎を解く鍵は女から生じた不審な魔力反応。オレの予測が正しいなら……
グガッ!
その時ロボは、またしても右肩に衝撃を感じた。同じくダークシャドウに紛れて放たれた斬撃は、今度は真下から斬り上げられ、ロボの右脇に食い込んで止まった。
「あと3回……といった感じか」
極めて冷静にそう告げるベレッタの姿を、ロボはとらえることができない。気づいた時には、そこにベレッタの姿は無いからである。
だが、その二度目の斬撃を受けたロボは確信する。そして、口の端にニヒルな笑みを浮かべながら言葉を漏らした。
「へへ。転位魔法とは恐れ入ったぜ。こりゃ、遊んでる場合じゃねーかもしれねーな」
言葉尻に合わせるように、ロボの背中からは機関砲が飛び出した。機関砲は実弾仕様であり、残弾数の問題や狙いの精度からロボは多用を避けていた。
だが、ベレッタの力量に新たな脅威が加わった今、魔物は早急に排除する必要がある。魔法弾と共に行われた一斉掃射により、残る魔物は瞬く間に一掃されていった。
その間に、ベレッタは更に追加の一撃を加えたが、闘技場にはロボとベレッタのたった2人を残すのみとなっていた。
こうなっては、もはや魔物を召喚することに意味はなくなる。遮るものなくロボと対峙したベレッタは、鋭くロボを見据えながら言葉を口にした。
「私1人になれば、私の攻撃を防げるとでも思っているのか?」
「へへ、それはこっちのセリフだぜ。障害物が無くなって、お前はどこに身を隠すつもりなんだ?」
「……だとしても、お前に私をとらえることはできない」
言葉と共に姿を消したベレッタは、一瞬にして別の場所に現れる。だが、その姿もまた俄かに掻き消えてしまう。
ベレッタは位置を掴ませぬよう高速で転位を繰り返し、至るところに現れてはまた姿を消していた。
グァギンッ!
その時、またしても金属の軋む音が鳴り響いた。ロボは4度目の斬撃を右肩に食らっていた。
「あと1回……」
ロボの右手は既に稼動不能とも思える、甚大な損傷を負っていた。宣言通り、あと一撃を食らうことでもあれば、右手が体から切り離されるのは確実と思えた。
「お前の敗因は、自分の強さを過信したことだ……」
転位を繰り返しながら、ベレッタはそんな言葉をロボに向ける。
だが、それを受けたロボはニヤリと笑みを浮かべた。
「何だそりゃあ? まさか勝利宣言じゃねーだろーな? まあ、実際お前はよく頑張ったが、まだまだオレに及ぶほどじゃねー。残念だが上には上がいるってことを、お前に教えてやるよ」
「…………」
ベレッタはそれには言葉を返さず、場の緊張感だけが一気に高まった。そして、ベレッタの殺意が最大限に膨れ上がった時、その瞬間は訪れた。
振り上げたサーベルが、最短の軌道で振り下ろされる。力の乗ったその鋭い斬撃は、ロボの右手を確実に切り離すと確信する迷いない一撃だった。
しかし、サーベルは空を斬っていた。いやそれどころか、ベレッタはロボから5メートルも離れた場所でサーベルを振っていたのだ。
「なっ!?」
その事実に一番驚いたのはベレッタだった。確実にロボの背後をとらえた。そう思っていたからだ。
だが、目の前には自分に背を向けるロボの立つ姿が見える。その光景は転移前に見ていた景色と何ら変わりないものだった。
なぜ、転移していない!?……何かの攻撃を受けていたのか!?
瞬時に浮かんだそんな疑問も、ロボの様子を見ればあり得なかった。ロボの持ちあがった左手はあらぬ方向に向けられていたし、魔法弾を放ったようには見えなかったからだ。
では、いったい何が起こった……?
動揺するベレッタの方にロボがゆっくりと振り返る。そして、その疑問に答えるように説明を始めた。誰に請われた分けでもなかったのに……
「お前の異常な速度での連続転位。正直、あれは人間の沙汰じゃなかった。転位魔法はかなり高度な魔法だ。クイックタイムなんかでサポートしても、発動にはそれなりに時間がかかる。それを連発するには魔法石しかないと思ったが、だとしたらお前はいったい何個転位石を持ってやがんだ? そんな考えが頭を過ったのは確かだ」
「…………」
「だが、それにしては、お前の体からそうだと特定できる魔力反応が検出されねー。転移石を持ってりゃー使用前の石からも魔力反応は出るし、オレの目からそれを隠すのは不可能だ。なのに、転移魔法が発動するまでお前から反応は出ねーし、あり得ねー速さでお前は転移を繰り返す。その答えにもオレはすぐに行き着いた。お前にはそれを可能にするグレーゾーンがあったからな」
その言葉にベレッタは自分の胸をはだけた。そこにあてがわれていた薄手のブレストガード。複雑な模様が描かれ装飾品にも見えるその中心部分からは、強い光が放たれていた。
「こ、これは……お前、いったい何をしたんだ?」
その事実に驚いたベレッタは、ロボに驚愕の眼差しを向ける。
「それがネックレスだかブレストガードだかは知らねーが、おそらくその中に転位石があるのは予測できた。だが、その装備についてはどんだけ調べても内部構造はおろか、材質も分からなかった。それは即ち、その装備が魔法弾の最大出力でも破壊できねー代物だということを意味している。何しろ排除確率が0パーセントと出てやがるんだ。それを拝んだ時は、さすがのオレも肝を冷やしたがな」
ロボのもったいぶった説明にイラつきながら、再度ベレッタは転位を試みる。だがやはり、魔法は発動しなかった。しかし、ベレッタはそれをおかしいとは思わなかった。
今現在、ブレストガードが光を放っている場所には、通常なら転位石が埋め込まれている。それは外観からも視認できるものであり、転位石が砕けることで転移魔法が発動する仕組みになっていた。しかし、中にある転位石は砕けた瞬間に再生する。この装備自体の効果で石は永続再生を得られるからだ。
だが、たとえ魔法発動の際にも今のように光を放つことはない。それを見つめるベレッタは、その光が明滅していることに気づいた。中に光が入り込みその光で魔法石が破壊されている。そんな現象が何度も繰り返されているように感じたのだ。
「お前……まさか!?」
「オレは女には手を上げねー。だから、お前を傷つけずに済まさなきゃならなかった。だが、お前の転位魔法を野放しにしてたらオレの右手がもたねー。どうにかしてその魔法を封じる必要があったが、予備動作すら終えて転位してくるお前の攻撃に割り込むのは難しかった。逆に離れてる時は、ほとんど隙もなく即座に転移を繰り返す。そんなお前をどうやって捕まえるか? その答えは時間が解決してくれた」
「…………」
「どれだけ無軌道に転移しているつもりでも、人の行動にはパターンが生じる。お前が繰り返し何度も転移してくれたおかげで、そのデータをもとに俺の中にはお前が次に転移する先が、ある程度予測できた。同時に狙える6カ所に絞り込めたんだ。そして、オレの背後でお前が剣を振り上げた瞬間を狙って、魔法弾を叩きこんだってわけだ。……あ、因みにオレの背後は別に死角じゃねーかんな?」
「…………」
「もちろん転移石がどこにあるのかは分かっていた。魔法発動の際、魔力反応が生じていた装備の中心部分以外考えられなかったからな。だが、理屈でそれが可能だったとしても、簡単な話じゃなかったぜ? 高速で動き続けるお前の僅かな隙に、その位置を空間座標にとらえて着弾させる。ゼロ距離射撃じゃなきゃー間に合わなかったが、最小限に出力調整までしながらそれをやってのけちまうんだから、我ながらオレ様の性能には舌を巻く。お前が驚愕するのも無理のねー話よ。ガーハッハッハ!」
「ゼロ距離射撃だと……!?」
そこまで口にしたベレッタは、ロボの言っている言葉の意味に気づいた。ロボが魔法弾を撃った気配などなかったが、それは召喚したドラゴンが倒された時も同じだったからだ。
即ちそれはロボの放つ魔法弾が、ベレッタの転移魔法と同じように空間を飛び越えることを意味していた。
だとすれば、ブレストガードの中心で今なお光を放つものの正体も、それ以外に考えられない。しかし、ベレッタはその結論を俄かには受け入れられなかった。それはあり得ないことだったからだ……
「お前の言ってることは理解できた。だが、お前の話の中には1つだけ受け入れられない事実がある……お前、これが何か知っているのか?」
ベレッタは、自分の胸元にあるブレストガードを指し示しながら続けた。
「これを壊せる者など存在する筈がない。なぜならこれは――」
「神器なんだろう?」
「――!?」
「そうじゃねーかと薄々思ってたからな」
ベレッタが絶対に破壊不能と断じたものの答えを、ロボはこともなげに言い当てた。
その返答に目を見開くベレッタの前で、ロボが続けた。
「どっから手に入れたかは知らねーが、オレがダメージを与えられねーなんて、神か或いはそれに
ロボの言葉をあっけにとられながら聞いていたベレッタは、突然はじけるように吹き出した。
「フフ……フフフフフフ、アハハハハハハハ……」
「何だよ。あまりの事態についに壊れちまったのかよ? 狂って襲い掛かって来んじゃねーだろーな?」
ひとしきり笑ったベレッタは、その笑みを崩さぬうちに言葉を切り出した。
「フフ……神器を壊すような奴が、この世に存在するとはな」
「…………」
「だが、安心するがいい。もう私に戦う意志はない。こんなことは滅多にないが、素直に負けを認めよう。私は事実を力任せに捻じ曲げるタイプだが、曲らなかったものを認めないほど子供ではないからな」
「へへ、そいつは助かるぜ。身近なところにそんな子供がいやがるから、つい気を回し過ぎちまう。ところで、約束の件についてもちゃんと守ってくれんだろーな?」
「当然だ。好きなだけ要求するがいい。何ならこの屋敷ごとお前たちにくれてやっても構わない」
言いながら笑顔を見せるベレッタに、その時、咎めるように言葉が飛んできた。
「ベレッタ。何を勝手に話を進めてるんだ?」
その声の先にいたのは、ミラバ・ゲッソだった。戦いの終焉に合わせ、ミラバ・ゲッソは警護の者を引き連れ闘技場内に戻ってきていたのだ。
だが、その姿をベレッタは冷酷な表情で流し見る。そこに恭順の意志など微塵も感じられなかった。
そんなベレッタを無視したミラバ・ゲッソは、ロボに視線を移すと、顔に満面の笑みを浮かべながら拍手を送った。
「素晴らしい活躍だった。君の優秀さには驚嘆するばかりだよ。これからも私のもとでさらなる真価を発揮し、ますます私を楽しませてくれ」
そう言うと、ミラバ・ゲッソはロボの肩に手を置き「ほう~やはり、材質が他のロボットとは違うな」などと呟きながら、勝手に体をあちこちまさぐる。当然ロボがそれを見過ごす筈もなかった。
「おい、じーさん。いってーどういう了見だ? 言ってることが理解できねーんだがな?」
怒気を含んだ口調でそう告げるロボに、ミラバ・ゲッソは笑みを崩さず、余裕すら漂わせながら答えた。
「ああ、説明が前後して申し訳ない。私の口から説明するより、アレを見てもらった方が話は早いだろう」
そう言ってミラバ・ゲッソが示した先には、捕らえられたカリューの姿があった。
それに対してロボは言葉を返さなかったが、明らかに雰囲気が変化していた。
「彼だけではない。私と昨夜交渉していた、あの小生意気な小僧も既に私の手の内にある。彼らがどうなるかは、君の態度如何にかかっているということだよ」
「……なるほどな。そういう出方の方がお前らしい。だが――」
そこでロボは言葉を途切れさせた。ふいに横から身を乗り出してきたベレッタが、手で遮ってきたからだ。
その雰囲気に、ロボはただならぬものを感じた。
ミラバ・ゲッソの態度に対する怒りは当然ロボにもあったが、ベレッタはそれを遥かに上回る、明らかな殺意を辺りに撒き散らしていた。
だが、ベレッタは極めて冷静だった。負の感情を帯びるのを常態としているように、その言動は見かけ上とても穏やかで、優雅な趣さえ備えていた。
「ミラバ・ゲッソ……」
その声音はとても優しく、耳元で囁かれるようにミラバ・ゲッソに届いた筈だった。
にもかかわらず、途端にミラバ・ゲッソの全身からは大量の汗が吹き出した。顔を真っ青にして、たじろぎ後退したミラバ・ゲッソは、急いで警護の者の背に身を隠した。
「べ、ベレッタ……わ、悪いが今日限りお前はクビだ。私に対するお前の態度は、もはや目に余る。今までその功績に免じて許してやっていたが、今日の態度は度が過ぎた。素直に応じれば命までは取らん。そ、早々にここを立ち去るがいい……」
弱々しいながらも、そう告げるミラバ・ゲッソの言葉は、しかしベレッタにいささかの動揺も与えなかった。逆にベレッタは微笑を浮かべながら、優しく問い返した。
「ミラバ・ゲッソ。それはもしかして……私に言っているのか?」
その言葉は、ミラバ・ゲッソの耳に死神からの宣告のように響いた。瞬間的に恐怖にかられたミラバ・ゲッソは、それを振り払うように警護の名を叫んだ。
「バイファ! アパカル!」
その呼び掛けに応じた護衛のバイファとアパカルが、一歩前へと歩み出る。
警護の1人バイファは魔法剣士だった。素早い動きで相手の懐に潜り込み、
もう1人の警護アパカルは、屈強な体躯を持ちながらその得意技はやはり魔法だった。
あらゆる状況に対応できる複数の魔法障壁を展開できることから、側近のボディガードとして採用されていた。意外に逃げ足も速く、ミラバ・ゲッソを担ぎながらでも100メートルを13秒で駆け抜ける。動物に近い顔立ちをしていたが、女性からの評判は悪くなかった。
その2人が歩み出ると同時に、闘技場の各所からはミラバ・ゲッソの雇う腕利きの殺し屋たちが姿を現す。その数は30人に上った。
それを見て、ようやくミラバ・ゲッソは落ちつきを取り戻した。
「フフッ、ベレッタ。お前が転位魔法を失ったところは見せてもらった。あの魔法は脅威だったが、それが無い今お前にこの人数を相手にできる術はない。先ほどはそのまま行かせてやるつもりだったが、土下座だ。泣いて許しを請えば、生かしておいてやらんこともない」
居丈高にそう告げるミラバ・ゲッソの言葉に、ベレッタは辺りをざっと見渡してから切り返した。
「この程度の数で私を殺れると考えている、お前の鼻をあかしてやりたいところだが……身内に手を出すバカはいないだろう?」
意味の分からぬその返答に、ミラバ・ゲッソが思わず眉根を寄せた。
その時、ベレッタが1人の名を呼んだ。
「コルト!」
「はっ!」
その呼び掛けに即座に声を上げた男は、現れた殺し屋の中に紛れていた。コルトは素早くベレッタのもとに馳せ参じると、その正面にかしずいた。
「目障りだ。そいつらを今すぐ下がらせろ」
「はっ!」
コルトの合図と共に、30人の殺し屋たちは即座にその場から姿を消した。
それは出てきた時とは違い、非常に迅速で統率の取れた動きだった。
「なっ……」
その光景に、思わず目が点になるミラバ・ゲッソ。
そこに目を向けることなく、ベレッタは続けてコルトに指示を下した。
「予定を変更して、たった今からここを我々の傘下におさめる。各地区のトップのすげ替えは終わっているか?」
「主要都市は既に。ですが、マテリアルなどのいくつかの都市については――」
そこでベレッタの顔色を窺ったコルトは、そのまま固まってしまう。ベレッタの強烈な睨みつけを受けて石化してしまったからだ。
ややあって、ベレッタが言葉を返した。
「……もはや穏便に事を進める必要はない。必要なら殺して構わん。とにかく今日中にすべて終わらせろ」
「はっ!」
息を吹き返したように返事を返すコルトの額から、いく筋もの雫が滴り落ちた。
「それと、組織の運営形態については――」
「待て!」
そこでようやく事態が飲み込めたのか、説明を続けていたベレッタの会話に、血相を変えたミラバ・ゲッソが割り込んできた。
「な、何を言ってるんだ、ベレッタ……何だこれは? コルト! なぜ奴らは引き上げた?」
そう問いかけられても、コルトはミラバ・ゲッソを見ようともしない。逆に命があればすぐにもミラバ・ゲッソの口を塞ぐといった感じで、ベレッタを注視していた。
そこで溜め息をついたベレッタは、ミラバ・ゲッソを哀れみの目で見つめた。
「ミラバ・ゲッソ。まだ分からないのか? ここには既に、お前の指示に従う者などいない。私がそう宣した瞬間に、お前はすべてを失ったんだ」
「バ……バカなっ!?」
「予定とは少し違ったが、それほど遠くない先にこうなることは決まっていた。だから今日私の前で披露した、自分の態度を悔やむ必要はない。もし、お前に悔やむことがあるとすれば、それは過去の時点で私に目をつけられたことだ。だが、仮にお前が今の知識を持って過去に戻れたとしても、それでお前の運命が変わることはない。なぜなら私が、この運命から決してお前を逃がさないからだ……」
悪魔のような笑みを浮かべ、そう告げるベレッタを見て、またもやミラバ・ゲッソは恐怖する。だが、とり乱しながらも、急いでバイファに命を下した。
「バ、バイファ! ただちにベレッタを……その女を殺せ!」
そう命を受けたバイファは微動だにしない。逆にその視線は指示を仰ぐようにベレッタに向けられていた。
「バイファ。あそこにいるエルフを解放して、ここまで連れてこい」
「はっ!」
返事と共に即座に観客席に向かったバイファの姿を、ミラバ・ゲッソは茫然と見送った。だが、次の瞬間、その体は強引に誰かに掴まれていた。掴んだのはアパカル。脱兎のごとき逃げ足を誇るアパカルの特性を思い出したミラバ・ゲッソは、すぐ様アパカルに指示を下す。
「おお、アパカル! 私をそのまま担いで執務室へ急げ! あそこにはまだ私の子飼いが何人かいるし、他の地区に応援も頼める。とにかく急いで私を連れてゆけ!」
その命を受けたアパカルは、ミラバ・ゲッソを身動きできないよう自分の正面で固定してしまう。そして、ベレッタの指示を待った。
アパカルが気を利かせた相手はミラバ・ゲッソではなく、ベレッタだったのだ。
「なっ!?」
驚きに目を見開いたまま固まるミラバ・ゲッソのもとに、ベレッタがゆっくりと歩み寄る。目の前までやって来たベレッタはやおら右手を伸ばすと、両頬を挟むようにしてそのアゴを掴んだ。
指で押されグニャリと顔を歪ませるミラバ・ゲッソに、ベレッタが言葉をかけた。
「いつまで夢を見ているつもりだ、ミラバ・ゲッソ? お前はもう十分人生を楽しんだ。その中には、この私と枕を共にするという幸運まであったんだからな……フフ。まあもっとも、私を抱いた男で今も命のある者など、お前以外にはいないがな?」
その時浮かべたベレッタの笑みに、ミラバ・ゲッソは自分がこの世の禁忌に触れていたことを悟った。あらゆるものを手にし、傲慢に、そして強欲に何でも手にできると考えた、自分のあさはかさを後悔した。
だが、人の後悔が先に立つことはない。人はいつも、犯したあとに自分の過ちに気づくのだ。
ミラバ・ゲッソのアゴから手を離したベレッタは、なお言葉を続けた。
「人生は楽しいことばかりじゃない。時には苦しいこともある。お前の余生はその苦しみを知るためにある。だが、お前は創業者だ。その歳では厳しいかもしれんが、苦しみの中から立ち上がり、また事業を起こそうと思えばできないこともないだろう。ただ、あまり目立つ真似はしない方がいい。もし、次に僅かでもお前が私の目に触れれば、その時私は二度と起き上がれないくらい徹底的にお前を叩き潰す……そう理解しておけ」
冷徹な視線を向けながらそう言い放ったベレッタは、そのまま踵を返した。
言葉を向けられたミラバ・ゲッソは、それに抗う気力も既に失っていた。そして、アパカルに担ぎ上げられると、そのまま屋敷から連れ出された。
すべてを取り上げられ、放り出されたミラバ・ゲッソがその後どうなったのか?
風の噂にもそれを知ることはなかった。
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