38話 解放の条件


 ロボとカリューは、ミラバ邸の執務室前に来ていた。

 大きな取っ手を掴み外開きの扉を引いたカリューは、室内に踏み出した途端、そこで動きを止めた。首にメイドの持つ短剣が突き立てられていたからだ。

 それは、無断で立ち入ろうとしたカリューへの警告だったが、相手を排除する命を受けていたなら、顔色を変えずそれもやり遂げる。メイドの持つ眼光と動きは、殺すことを躊躇しない訓練された者の動きだった。

 ただ、カリューとて、まったく無警戒で中へ踏み込んだわけではない。暗い室内で、廊下の明かりを反射したナイフが光るのを目にしたカリューは、あわやのところでメイドの腕を掴んだ。背後に控えたもう1人のメイドには、ロボの銃口が向けられていた。


「これはお客人。ノックもせずに勝手に私室へ立ち入ろうとするとは、礼儀がなってないようですな」


 デスクから立ち上がったミラバ・ゲッソは、カリューたちの方に歩み出しながら嫌味を述べる。

 その対応に怒りを覚えたカリューは、穏便に交渉を進めるようロボに注意していたにもかかわらず、強い敵意のこもった視線をミラバ・ゲッソに向けていた。


「道義を欠く者に礼儀は必要ない。それに今の状況を考えても、お前が礼儀を尽くすに足る相手だとは思えない。食事などのもてなしには感謝しているが、そこに恩義を感じるつもりもない。だが、ここまでのことを言っておきながら、なおやっかいになろうとも思っていない。こちらの要求さえ飲んでもらえたら、俺たちは速やかにここを立ち去るつもりだ」

「……フフッ、何とも剣呑な雰囲気じゃないか」


 ミラバ・ゲッソの目配せを合図に、2人のメイドが元いた扉脇まで退く。それを見て、ロボとカリューも部屋の内側に身を移した。


「若造らしい生意気な態度も含めて、それは許そう。こちらにも聞きたいことがあるからな。まあ、腰を落ち着けてゆっくり話そうじゃないか。ここへ来て掛けたまえ」


 ミラバ・ゲッソは、執務室の中央に円状に配置されたソファーに座るよう促した。しかし、カリューはそれを拒むように首を横に振った。

 因みに、エルフの特性からカリューは若く見えたが、人間に換算すればそこそこの年齢になる。ミラバ・ゲッソと比べてもそれ以上に長く生きていたし、若造呼ばわりされる謂われなどないことをつけ加えておく。


「長居するつもりはない。こちらの要求は、違法に捕らわれ働かされているもの達の解放だ。それにさえ応じてくれれば話はすぐに終わる」


 ソファーに腰を落ち着けカリューの言葉を聞いていたミラバ・ゲッソは、考えるような素振りを見せてから言葉を口にした。


「……違法に? はて、何のことを言っているのか。全く身に覚えがないが――」

「とぼけるな。昼間俺を案内してくれたハーネスという名の侍女……彼女はエルフだ。この国でエルフや獣人を捕らえたり労働を強制するのは違法行為に当たる。よもやそんなことをお前が知らない筈もないだろう」


 そう言葉を突きつけられたミラバ・ゲッソは、しかし動揺するどころか、顔に笑みさえ浮かべて応じた。


「ほう。彼女が素性を明かしたのかね? フフッ、表向き侍女と呼んでいるが、彼女がこの屋敷でどのような用向きで扱われているかは、君たちにも理解できるだろう。今は失われたとはいえ、彼女は人に敬われる立場にあったエルフだ。落ちぶれた現状を口外するようなプライドのないことを、彼女がするとは思わなかったのだが……」

「…………」

「君がよほど彼女に気に入られたのか、それとも彼女が語りたくなるような特別な秘密が、君自身にあるのか?」


 見透かすようなミラバ・ゲッソの発言に、カリューはイラつきを覚えた。


「そんなことはどうでもいい! 彼女を……いや、彼女だけじゃない! 不当に捕らわれここで無理やり働かされているエルフと獣人。その全てを今すぐ解放しろ!」


 声を荒げるカリューとは対照的に、ミラバ・ゲッソの冷静な態度は崩れなかった。


「これはまた、ずいぶん一方的な話じゃないか。彼女以外にも彼女のような存在がいることを前提としているようだが……まあ、それは認めてやろう。私はコレクションを趣味としていてね。1人だけで満足できるような、狭量を持ち合わせてはいない。だが、彼女たちを手に入れるのに私がいったいどれだけの金を注ぎ込んだか、果たして君は分かっているのかね? それを何の見返りもなく私が解放すると思っているのなら、君はよほどおめでたい考えの持ち主だと言わざるを得ない。もっとも、君が全額それを補填してくれるというなら話は別だが――」

「そんなわけがないだろう。お前はそれが罪であると分かってそこに金を注ぎ込んだ。だとしたら、そこにリスクがあることも分かっていた筈だ。その金は初めからなかったものと諦めるんだな」

「フフッ。そんな理屈に私が素直に応じるとでも思っているのか? もし私が嫌だと言ったら君はどうするんだ? どこかに訴え出るつもりなのかね?」

「そ、それは……」

「そんなこと君にできやしない。君が訴え出たところで、その話を信用させることなどできないからだ。仮に君の話に耳を傾けてくれる者が見つかったとしても、私はこう言うだろう。うちには違法に働かせている者などいないとね。私がそれを認めない限り家宅捜索など不可能だ。では、そのエビデンスを君はどう示す? 自分の正体を明かしてそれを根拠とするのかね? フフフッ、だったら俄かに捕まるだろう……君自身がね。ハッハッハッハ」


 見透かすどころではない。カリューは自分の正体がミラバ・ゲッソに知られていることに気づいた。だとすれば、形勢はかなり不利になる。今や罪人同然のエルフという立場では、法を盾に交渉などできないからだ。

 やむなくカリューは、相手の良心に訴える策に切り替えた。いや、そこにすがるしか手立てがなかったのだ。


「……自分の罪を認めないつもりか?」

「罪? 私は罪など犯していない。罪とは咎められ公に罰せられることが決まった時に初めて罪となる。従って、私はまだ罪など犯していない」

「ふざけるな! お前はこの国の法を知っていて、それを自分が犯していることも知っている。その時点で既にお前には罪の意識がある筈だ!」

「フフッ。確かにそれはそうかもしれない。だが、私はそれがバレなければ罪に問われないことを知っている。君はこの世界にどれだけ潜在的な罪人がいるか知っているのかね? なぜ、君ごとき若造に促されて、私がそれを認めねばならんのだ?」

「お前はそれで自分の良心が咎めないのか? 堂々と胸を張り生き方を誇れるのか!?」

「……では聞くが、君は偉そうに他人にそれを指摘できるほど立派な生き方をしてきたのか? 問われるものだけが罪じゃない。君の行動が他人の不幸を招いたのだとすれば、それはもはや罪だ。心がそう感じている筈だからね。それがないと言い切るなら、君はよほど社会とは無縁な場所で、あらゆる責任を回避しながら今日まで生きてきたのだろう。だが、私の言ったことに心当たりがあるのなら、君に私を非難する資格はない」

「――ッ!?」


 その言葉は、カリューの胸に重く圧しかかった。

 過去、アグアを死に追いやった事実。それをカリューは完全に克服できていなかったからだ。

 実際には神の力でアグアは生き返ったが、それは何の解決にもなっていなかった。

直後に受けたルカキスの指摘にこれ以上ないくらい打ちのめされたカリューは、アグアの死から自分が何も学ばなかった事実を知ってしまったからだ。

 パターンが変われば同じことを繰り返してしまう。それは犯した過ちの根本的な解決が何も為されていないことを意味していた。

 その罪は1人で背負うものでないというアズールの言葉もあったが、カリューはそう受け止められなかった。そのあたりに何か鍵となる問題があるのは分かっていたが、その答えをカリューはまだ見つけていなかったのだ。

 それを棚上げして他人に偉そうなことが言えるのか? ミラバ・ゲッソの指摘は、カリューを黙らせるに十分な効果を持っていた。

 カリューの様子にそれを理解したミラバ・ゲッソは、なお図に乗った発言を続けた。


「それに、私の行為はそれほど罪深いものではない。私自身その需要を持ってはいたが、その供給は第三者によって成されている。つまりこの世界には、そんな関係性を成り立たせる土壌が既にあるということなんだよ。仮に私がその罪を認め、たかだか数人の身分が解放されたところで、それがこの世界から姿を消すことはない。だとすれば、君のやろうとしていることは全くの徒労ではないのかね? だいたい人ですら奴隷として扱われるこの世界で、それ以下に位置するエルフや獣人の人権が擁護されるこの国の法律自体が既におかしい。君もそうは思わんかね?」


 勝ち誇った態度でそう問いかけてくるミラバ・ゲッソに、カリューは言葉を詰まらせる。

絶対に自分が正しいと確信しながらも、それを糾弾する立場に無いとするミラバ・ゲッソの言い分に、カリューの心が抗えなかったからだ。

 それでも何とか言葉を返そうとするカリューの肩に、見かねたロボが手をかけた。


「そう真面目に受け止めんな。あんな倫理観のかけらもねー奴に正論説いたところで、今みたいに反論されるのがオチだ。それにお前の思いは、そんな後ろ盾に頼らなきゃならねーもんじゃねーだろう? だったら、理屈じゃなく素直に心に従って行動するだけでいい。ハナから正攻法で行く必要だってありゃしねー。あいつがやってるように力でねじ伏せてやりゃーいいんだ。まあ、あとはこのオレに任せときな」

「…………すまない、ロボ」


 カリューを宥めたロボは、不意にその視線をミラバ・ゲッソに向けた。


「とまあ、そういうわけで選手交代だ。悪事に手を染めるに相応しい、もっともらしい持論を持っているようだが、そんな誤魔化しが通用するほどオレは甘かねーぜ?」

「ほう。やはり素晴らしいな。今の会話を適切に理解し反論を述べるほどの知性もあるのか? だとすれば、その搭載されている人口知能は驚嘆に値する。是非ともその意見を私に聞かせてくれ」


 それが挑発なのか、未知なるロボットに対する称賛なのか。ロボは苦笑を浮かべながら応じた。


「……何か勘違いしてるみてーだが、まあいいだろう。オレは別段お前を説得するつもりも、法を犯してることをどうこう言うつもりもねーんだ。お前の罪を追及するのはオレの仕事じゃねーし、世界に蔓延るそんな悪意すべてを撲滅しようなんて高尚な思いも抱いちゃいねーからな」

「最もな意見だ。誰もがくだらん正義感で他人の価値観に口出しすべきではない。所詮そこにあるのは妬みだ。欲望を満たすだけの力を持たぬものが――」

「少し黙れよ」

「――!?」

「別にお前のしてることを肯定してるわけじゃねーんだぞ?」

「…………」

「さっきから色々言ってたみてーだが、お前が言ってるのは、全部お前自身を正当化するための言い訳だ。法の不備をついて罪から逃れても、相手の良心につけ込んで論点をすり替えても、仕組みがあることを理由に正しさを主張しても、それが誤魔化しだとお前自身は知っている。だが、そうやって何かに罪をなすりつけて、自分の心を誤魔化さねーと悪事に手を染めることはできねー。自分は悪い人間だから。社会の仕組みが不完全だから。人は欲望に抗えないから。そして、この世の摂理に拒まれなかったことが、自分の行動の正当性を後押ししてくれている……とな」


 ミラバ・ゲッソに厳しい視線を向けたまま、ロボは続けた。


「ただ、そうやって自分を誤魔化すことはできても、決して誤魔化しきれねーもんがそこにはある。お前が歪んだ欲望を満たす代わりに、その捌け口として犠牲になってる者の苦しみ……それがそこにある事実だけは、絶対に消えねーんだ」

「…………」

「確かにお前の悪事を暴き立てたところで、それで社会の仕組みが変わるこたーねーだろう。だがな……少なくとも、そうすることで救われる想いがそこにはあるんだよ! たかだか数人の想いを救うことに意味はないだと? バカみてーに視点を広げる前に、そこにいる1人1人にとっては目の前にある現実こそがすべてだろーが? そこに手を差し伸べて苦しみを取り除くことに、意味がないなんて誰にも言えねー。このオレ様が言わせねーんだよっ!」


 ロボは強い想いを込めて、ミラバ・ゲッソに言葉をぶつけた。しかし、それでもミラバ・ゲッソには微塵も揺さぶられた様子はなかった。


「……ふむ。君の言いたいことは分かった。だが、どれだけ熱い思いで理想を語っても、それを実践できる力がなければ所詮は戯言に過ぎん。必然、私という力の前では、力無きものはそれに甘んじる以外に――」


 ガチャリ


 その時、ミラバ・ゲッソの反論を遮るように、ロボの左手に備えられた銃口がミラバ・ゲッソに向けられた。


「ハナからお前を言葉で説得するつもりはねーと言っただろうが? お前は人の想いを侮ってるようだが、救われたいと願う強い想いが、ここにオレたちを導いたかもしれねーんだぜ?」

「…………」

「別にオレのやってることが正しいだなんて、オレ自身思っちゃいねー。だが、力の論理を語るんならお前はオレに従わなくちゃならねー。なぜなら、オレはお前より力を持ってるからだ!」


 銃を突きつけながらそう迫るロボに、なお屈することなくミラバ・ゲッソは目を細めた。

そして、狡猾な笑みを浮かべながら言葉を返した。


「それはいいことを聞いた。では、君より私が力を持っていると示すことができれば、君は私に従う。そう言ってると受け止めて良いのだね?」

「へへっ。そいつは逆だと言ってるだろうが、じーさん。お前に力を示すのはこのオレだ。お前がこれまで頼りにしてきた『力』にお前自身が裏切られる瞬間を、冥途の土産に見せてやるよ」


 その言葉に呼応するように、その時部屋の奥から声がかかった。


「おもしろい話しをしているわね」


 そう言って、奥の暗がりから姿を現したのはベレッタだった。

 ゆっくりと歩を進めるベレッタは、途中ソファーに腰掛けていたミラバ・ゲッソを見向きもせずに、ロボの目の前まで歩み寄った。

 そのベレッタの登場に、ロボの隣にいたカリューが驚きの表情を浮かべる。部屋の奥には人のいる気配など全くなかったからだ。

 室内は薄暗く人が潜むこともできたかもしれないが、カリューは自分が人のオーラに気づかなかったとは考えられなかった。それ以前にベレッタの纏うオーラは、秘匿するのが不可能なくらい強くて禍々しくもあった。

 それは昼間目にしたベレッタの比ではない。そして、扉脇に控えるメイドたちと比べようもないくらい、危険なものに感じられた。


「最初に見た時から、1度あなたの力を試してみたいと思っていたの」

「おい、ベレッタ! いきなり割り込んできて、何を――」


 ソファーから立ち上がったミラバ・ゲッソが、ベレッタの介入を咎めるように口を差し挟んだ。しかし、それは完全に無視され会話は続けられた。


「それにしても、何が目的であなたを売り渡す交渉なんか引き受けたの? もう1人の坊やは、ずいぶん乗り気だったみたいだけど、あの子があなたの所有者ってわけじゃないんでしょう?」

「えっと……そ、それはだな……」


 言い淀むロボに代わって、カリューがその問いに答えた。


「……それは、無償のカードを貰うためだ」

「無償のカード?」

「いや、俺も正確には分からない。でも、交渉の場につけば、ロボを売らなくても馬車を借りたり、宿をとったりするのにお得なカードが貰えると聞いていた。……そんなカードを持ってるんじゃないのか?」


 僅かに逡巡したベレッタは、眉をひそめながら答えた。


「……もしかして、エグゼクティブカードのことを言ってるの? うちの上得意になればそれは確かに手に入るけど、ロボットを売らずにそんなカードが貰えると思っていたの?」


 って、エグゼクティブカードあんのかよ! そのせいで噛み合わない会話が、微妙に噛み合っちまってんじゃねーか!

 

……と、ロボは1人心の中でそんなツッコミを入れていた。


「あなたたち馬車が必要なの? 旅の支度を整えるためにこの町に立ち寄ったってこと?」

「……そういうことだ」


 腕を組みながら鼻の頭に指を置いて思案の素振りを見せたベレッタは、一瞬だけミラバ・ゲッソに目をやったあと、すぐさまロボに視線を戻した。


「オーケー、分かったわ。私が指定する相手をあなたが倒すことができれば、あなたたちの言い分全てを聞き入れてあげる」

「なっ!? 待て、ベレッタ! 何を勝手に――」


 ベレッタの発言を撤回させようと声を荒げたミラバ・ゲッソは、しかし途中で言葉を飲み込んだ。それ以上言葉を続けることに身の危険を感じたからだ。

 ミラバ・ゲッソがそう判断した理由は、ベレッタの顔に浮かぶ悪魔のような表情だった。

その冷めきった視線にさらされるだけで生きた心地がしない。それは最近になって時折見かけるようになったベレッタの顔だった。


 ミラバ・ゲッソが初めてベレッタを目にした時、その内にそんなものが潜んでいるとは露ほどもベレッタは感じさせなかった。それが過ちだと気づいたのは、ベレッタが組織の中で、もはや簡単には動かせない地位を得たあとだった。

 それだけではなく、ベレッタは違法な収集に手を染めるミラバ・ゲッソの持つ裏の顔までも簡単に暴き出した。

 しかし、ベレッタがそれをネタにミラバ・ゲッソに脅しをかけてくるようなことはなく、逆に自らの持つミラバ・ゲッソも驚嘆する能力を明かし、ミラバ・ゲッソの歪んだ欲望を満たす手助けをしてくれた。

 ベレッタの働きで組織はより巨大で揺るぎないものとなったが、代わりにベレッタはミラバ・ゲッソと対等に言葉を交わす、ナンバー2の地位にまで昇りつめた。

 だが、ミラバ・ゲッソは不安を感じる。このベレッタという女を自分が掌握できていることに不安を感じる。


 ベレッタの中に感じる知性は何かの企みを感じさせたが、しかしそれが組織を乗っ取ることを目的としているようにはミラバ・ゲッソには思えなかった。

 ベレッタは私的に組織の持つ情報網を使っていたし、それはミラバ・ゲッソにも秘匿されたものだったが、その目的は自分にとっても組織にとっても無関係なことに思えたからだ。

 だから、ミラバ・ゲッソがその部分を深く追及することはなかったし、その動きが今の自分の立場を揺るがすとは考えていなかった。ただ、時折垣間見せるあの悪魔のような表情。あれを見る度に、ミラバ・ゲッソは自分がいずれ全てを失うような気がしてならなかった。

 そんな顔を見たあとは、ミラバ・ゲッソは決まってベレッタの機嫌をとる。その部分さえ許容できれば、ベレッタは非常に有能な部下だったからだ。


「お、お前が相手をするつもりか、ベレッタ? だ、だとすれば負ける筈もない。べ、別にその点を心配してるわけではないんだ。だが、そうすると大事なロボットが壊れてしまう可能性が……」


 ベレッタの方に歩み寄りながら、必死になって取り繕うミラバ・ゲッソは、最後は尻すぼみになりながらそう言葉を漏らした。

 それでベレッタが態度を変えることはなかったが、幾分機嫌は戻ったように見えた。

俄かにロボに向かって「そうね。あなたが壊れないうちに、負けを認めるいい方法はないかしら?」と優しく語りかけたからだ。

 しかし、その提案を受けたロボから、ベレッタの気持ちを逆なでするような笑い声が響いた。


「ガーハッハッハッ! このオレ様を壊せると考えてやがるのかよ? ヘヘッ、そのギャグは笑えるが……まあ、構わねー。腕の1本でも落とせりゃー、素直に負けを認めてやるよ。しかも腕なら自己修復が可能だ。完全な状態でオレが手に入る、またとない機会になるぜ」


 天地がひっくり返ろうとも、そんなことは起こらない。自信たっぷりにそう言葉を返すロボに、しかしミラバ・ゲッソは満面の笑みを浮かべた。


「おお! それは本当か!?」


 自己修復機能が搭載されているロボットなど、ミラバ・ゲッソの知る限り他に例を見ない。

そんなロボの持つ新たな機能を知り更に評価を高めたミラバ・ゲッソは、興奮気味に喜びの顔をベレッタに向けた。

 だが、ベレッタが同じように喜ぶわけがない。その顔に笑みは浮かんでいたが、そこには先ほどミラバ・ゲッソが目にした悪魔の姿が見え隠れしていた。


「……なんだ。そんな便利な機能がついているのなら、腕1本で済ますのは勿体ない。お前をダルマにしてやろう――」

「ベレッタ!」


 思わずそう叫んだミラバ・ゲッソを無視して、ベレッタが歩き出す。


「ここでは手狭だ。降りてこい」


 背中越しにそうロボに告げたベレッタは、そのまま部屋の脇に備えられていた階段を使って、階下へ降りていった。そのベレッタを追うように、ミラバ・ゲッソもあとに続いた。

 それを見送ったあと、気落ちしたカリューがロボに言葉をかけた。


「ロボ、すまなかった。結局、お前に尻拭いさせることになってしまって……」

「なあに、構わねーよ。オレも含めて人を物扱いする奴の態度には、オレも怒りを感じてたんだ。ひと暴れしてフラストレーションを解消するいい機会になりそうだぜ」


 そう言って笑顔を見せるロボに、カリューは警戒を促した。


「だが、ロボ。あのベレッタという女を甘く見ない方がいい。あの女が口を開くまで、俺はそこに人がいることに全く気づかなかった。あれほど完璧に気配を消せる人間など、俺は見たことが――」

「そりゃー、当然だろう。あの女がこの部屋に来たのは、ついさっきだからな」

「えっ!?」

「まあ、この屋敷はオレが調べた限り、からくり屋敷みたいになってやがる。おおかた別の部屋にも繋がっていて、そこから入って来たんだと思うがな」


 そう話すロボに、カリューは安堵の笑みを見せた。


「なんだ、そうだったのか。……だが、そうだとしてもあの女は危険だ。俺も数々ヤバそうな奴を目にしてきたが、あの女は――」

「まあ、確かにただ者じゃねー雰囲気はあったが、それでもオレが負けることなんてあり得ねー。心配すんな、カリュー」


 そう応じながらも、ロボはカリューの指摘した点について同じ疑問を抱いていた。

この部屋を精査したわけではなかったが、ベレッタの現れた付近には外部に繋がる出入り口はどこにも無い。ロボもそう思っていたからだ。

 だが、俄かにメイドたちに促されたロボとカリューは、それ以上を深く考える間もなく階下へ降りてゆく。案内されたそこは、かなりの広さを持つ闘技場になっていた。


 先に降りていたベレッタは、既に戦いの準備を始めていた。

 そのベレッタの前には巨大な魔法陣が広がっている。それを横目に見ながらミラバ・ゲッソは項垂れていた。ベレッタはもはや制止のきく状態ではなく、ロボが破壊されるのを覚悟していたからだ。

 一方、同じくその魔法陣を目にしたカリューは、動揺しながらロボに視線を向けた。魔法陣の形状から、それが闇属性の魔法だと気づいたからだ。

 それは即ち、そこから召喚されるのが魔物であることを意味しており、その発動時間からそれがかなり手強い魔物であることも意味していた。

 だが、ロボにそのことに対する動揺はない。そして、魔物に備えることもない。ただ待ち続けるロボとカリューの前に、ようやくにしてそれは姿を現した。


 広い闘技場の天井ぎりぎりにおさまる、全長15メートルにも及ぶその巨体が先ず圧巻だった。黒で塗りつぶされた全身の中に、ただ1点だけ浮かぶ、感情の一切読み取れない切れ長で瞳を持たない真っ赤な眼光。

 その魔物を見たカリューは、思わず一歩後ずさりながらその名を口にしていた。


「ド、ドラゴン……ゾンビ!?」


 この世界でも最強クラスと謳われる魔物ドラゴン。だが、それでもドラゴンを含む強力な魔物たちは、濃い瘴気が無ければ存在できない。魔王がこの世界に具現化され瘴気濃度が上昇するようなことでも無ければ、一部の限られた場所でしか姿を見ることのできない魔物でもあった。

 しかし、魔界に接続することで力を具現化する闇魔法は、そこに住まう魔物たちを自在に呼び出すことができる。そのリスクと適正から使い手は限られたが、ベレッタはそれを行使できる数少ない魔法使いの1人だった。

 そして、召喚されたドラゴン・ゾンビはドラゴンの中でも相当凶悪な部類に入る。

ドラゴンの特質である非常に硬い龍鱗りゅうりんを纏っているのは勿論、痛覚を持たないため怯むことがなく、眠りや毒などの状態異常もほとんど効果がない。

 炎や冷気などの3種類のブレスに加え、尻尾や噛みつきによる物理攻撃も強力で、下手に近づけば踏み潰されてしまうくらいの重量も備えている。かといって、攻めあぐねて長期戦になれば、他の魔物が生み出される恐れもある。ドラゴン・ゾンビの身からはそれくらい濃い瘴気が放たれていたからだ。


 ゾンビ系に有効な炎や神聖系の攻撃、或いは龍殺しの剣と呼ばれるドラゴンスレイヤーでもあれば対抗できる可能性もあったが、見る限りロボにそんな備えがあるようには思えない。そう考えたベレッタは、憐れむようにロボにこう語りかけた。


「少し大人げなかったかもしれないが――」

 

 その後に続く話の内容は、ロボに条件の引き下げを持ちかけるためのものだった。

しかし、ロボはまったく聞く耳を持たず、ベレッタが口を開いて僅かもしないうちにその話を遮ってしまった。


「もう準備は終わったのか? そいつが相手でいいんなら、さっさと始めてーんだがな?」


 そのロボの言葉が耳に届いた途端、ベレッタの表情が歪んだ。そして、その身から殺意が溢れ出す。緊張感の漂うその場に、ベレッタの漏らす微かな声が聞こえた。


「行け……」


 怒りを押し殺すように告げられた言葉と共に、ドラゴン・ゾンビが闘技場を包み込む巨大な咆哮を上げた。

 いよいよバトル開始かと思われたそんな状況だったが、両者ともにそれ以後、別段大きな動きを見せることはなかった。なぜならベレッタが開始を告げた僅か1秒後には、勝負は既に決していたからだ。


 ロボの性能は既出の通りであり、レーダーに捕らえられる実体を伴う存在がそれを免れる術はない。どれほど強力な外殻を持っていてもロボには関係がなかったのだ。

 屋敷を揺るがす咆哮を轟かせていたドラゴン・ゾンビは、それが止むのを待たずに内部の複数箇所に被弾していた。脳やブレスを生み出す内部機能、そして脊椎にも重篤な損傷が生じたドラゴン・ゾンビは、ゾンビという性質上それでも死ぬことはなかった。

しかし、自重を支えることができず、内側に崩れる不自然な形で巨体を変形させると、その場にくずおれながら沈黙した。

 僅かに身をよじって起き上ろうとするが、背骨の一部を失った状態で起き上がれる筈もない。それを見た周囲にいた者たちから、途端に驚きの声が漏れた。


「え?」

 ミラバ・ゲッソが呟く。

「え?」

 カリューが呟く。

「え?」

 そして、ベレッタも呟く。


 誰もが驚く視線の先には、出てきた途端ぐったりしてしまっている、ドラゴン・ゾンビの姿がある。あまりの展開に事の成り行きについてゆける者はおらず、その視線は俄かにベレッタに注がれた。


『まさか、召喚を失敗したのか!?』 そんな表情を浮かべるミラバ・ゲッソ。


『死ぬ直前の魔物を召喚したのか!?』 目の前の出来事を真面目にそう受け止めるカリュー。


 そして、何よりその事態を1番理解できなかったのは、ドラゴン・ゾンビを召喚したベレッタ本人だった。


 な……何が起きたというんだ!?


「確か、こっちの申し出を何でも聞くという条件だったな?」

 

 ただ1人事態を理解するロボは、澄ました口調でさっそく要求を口にしようとする。その態度に、いち早くカリューが状況を理解した。


「そうか……ロボ、お前がやったのか!」


 カリューの言葉に、笑みを向けて応えるロボ。そんな2人のやり取りを見ながら、ようやくにしてミラバ・ゲッソも事の顛末を理解していた。


 ま、まさか、あの……あのロボットがやったというのか!?


 その目には驚嘆の色が浮かんでいたが、そこにはコレクターが価値あるものを目にした時に浮かべる、羨望と歓喜の色が含まれていた。

 そんな状況を顧みず、ロボが淡々と条件を語り始めた。


「先ず、捕えられているエルフや獣人の解放は前提条件だ。それ以外にも馬車と、ひと月分の水と食料を用意してもらおう。カリュー、あと何か必要なもんはあるか?」

「そうだな――」

「待て……」


 その時、カリューの言葉を遮る声が聞こえたが、その声音があまりに弱々しかったせいもあり、2人には無視され会話は続けられた。


「――アメニティグッズもあった方がいいな。多めに水を貰って、2日に1度は髪の手入れがしたい。でないと、髪のキューティクルが簡単に失われてしまうんだ」

「って、女子かよ? まあ、いいけどよ。ネオ・ルカキスの奴には聞かねーでいいな。何でもとなると、奴は際限なくワガママを――」

「待て!」


 ロボがそこまで話したところで、もう1度会話が遮られた。

今度の声は会話を遮るに十分な、力ある響きを備えたものだった。

 その呼び掛けに、2人は声の主へと目を向ける。そこには怒りに打ち震えながらも、その顔に笑みを浮かべているベレッタの姿があった。


 ベレッタは今目の前で起きたことを1人頭の中で自問した。そして、倒れたドラゴン・ゾンビがダメージの蓄積から形状を維持できず、強制的に召喚を解かれる姿を見てようやく事態を理解した。

 召喚したドラゴン・ゾンビが何らかの方法で、目の前に立つロボットに倒されたことを認めたのだ。

 しかし、その認識は事態の好転に繋がるものではなかった。それは相手がドラゴン・ゾンビを一瞬で葬り去る力を備えているのを認めることであり、だとすれば、その力量はベレッタでは太刀打ちできないくらい、強大である可能性があったからだ。

 だから、即座にベレッタは天秤にかけた……自らの命を。そして、今起きた事態を素直に受け入れ剣を鞘に納めるか、それとも自らの命が失われるのを顧みず、相手にひと太刀浴びせるべきかを考えた。

 結論はすぐに出た。自分を支配する怒りの感情が、まったく収まる気配のないことがその答えだった。


 この思いを掻き消してまで、そこに屈しなければならないのなら、人生に、生きることに価値などない。俄かにベレッタは戦うことを選択した。

 だが、勝算もなくその道を選ぶほどベレッタも愚かではない。1つの勝機はその胸の内にあった。そして、もう1つの勝機は、相手が自分を舐めていることだった。その2つを組み合わせれば、幸運の女神は自分に微笑む。

 そう考えた時、しかしベレッタは、即座に女神を悪魔にすげ替えた。神に頼るより自分には悪魔の方が似合いだと思ったからだ。

 だが、ベレッタの考える2つの勝機が女神の微笑みではなく、悪魔の囁きだったとすれば、その先に勝てる保証はなかった。

 しかし、ベレッタは笑った。悪魔以上の笑みを浮かべて笑った。

 悪魔の誘いに乗り、それをたぶらかしてこそ私は私足りえる。ベレッタはそう考え、その思いを言葉にしたのだった。


「今ので終わりだと誰が言った? ドラゴンごときを倒したくらいで、もう私に勝った気でいるのか?」


 ベレッタの言葉に、ロボは意外そうな表情を浮かべた。


「……お前、今起きたことがちゃんと理解できてんのか? 別にお前が召喚をミスったんじゃねーぜ? あのドラゴンは俺の攻撃を受けたから――」

「そんなことは分かっている。そして、それを成したお前の力量も理解しているつもりだ」


 冷静にそう言葉を返すベレッタに、ロボは少し不気味さを感じとった。


「戦力差を理解させるには、十分なパフォーマンスだと思ったんだが……まあ、続けるってんなら構わねー。ただ、さっきよりさらに時間をかけて召喚するっていうのなら、待ち時間の暇つぶしくらいは用意して欲しいところだがな」

「フフ、ほざけ。お前のその余裕が命取りになることを、その身を持って――」


 そんな会話を交わしていた2人に、その時ミラバ・ゲッソが割って入った。


「ま、待て、ベレッタ! 実は私に考えがある。これ以上無駄に争わなくても、あのロボットは――」

「ミラバ・ゲッソ……」


 横から口出しして来たミラバ・ゲッソに、ベレッタが即座に切り返した。

 その声音は、氷よりも冷たく刃のように鋭いものだった。


「今すぐ死にたくなければ、その薄汚い口を二度と開くな」

「――ッ!?」


 思わず口から出そうになった声を、ミラバ・ゲッソは自らの手で抑え込む。そうしなければ、間違いなく殺されると分かっていたからだ。

 だが、それと同時にミラバ・ゲッソは、ベレッタに見切りをつけていた。


 この女はもう潮時かもしれん……


 そう考えベレッタを見つめるミラバ・ゲッソは、しかし内心ほくそ笑んでいた。先ほどドラゴンを倒したロボの力量は、ベレッタを凌駕するものに思えたからだ。


 このロボットに勝てる者などいない。そして、この戦いでベレッタが死ぬことになれば、それは私にとっては逆に都合が良いのかもしれん……


 そんな思いを抱きながら、ミラバ・ゲッソはあっさりその場を引き下がったのだった。

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