36話 裏切りと密談
その後一同は部屋を移し、豪華という言葉だけでは言い尽くせない贅沢な食卓を囲んだ。
出された料理は筆舌に尽くし難い味わいであり、隣に美女をはべらせながらの食事は、ルカキスをしてここは天国ではないのか!? と驚嘆せしめるほどだった。
しかし、このあたりのくだりは、ルカキスの鼻の下が伸びきった様子が不快なこともあり、バッサリと割愛させてもらう。
食事を終えたルカキスたちは、宿泊する部屋に移ることになった。
ルカキスとカリューはそれぞれに、ベッドルームに加えてリビング、ダイニング、バスルームなども備えた高級スウィートルームが用意されていた。
部屋まで案内してくれたアントリッネを名残惜しそうに見送ったルカキスは、鼻歌まじりに中に入ってゆく。内側に伸びた短い廊下の突き当たりには扉があり、その先はリビングルームに繋がっていた。
そこには先に引き上げていたロボが待機していた。
ロボは、入ってきたルカキスに冷めた視線を向けたあと、ソファーに腰を落ち着けるのを待ってから言葉をかけた。
「……ずいぶんと、あの女に入れあげてるみてーじゃねーか?」
ルカキスの心情を言い当てるそんな言葉が耳に届いた途端、にやけ顔だったルカキスは唐突に我に返った。
「ば、馬鹿を言うなロボ! あんな女、俺は何とも思っちゃいない――」
「それにしては、気持ち悪いくらいに顔が緩みっぱなしだったがな」
「ぐっ…………」
確信めいた口調で追及してくるロボに、たじろぐルカキス。しかし、ここを上手く取り繕わなければ、ルカキスの邪悪な思惑がバレる可能性がある。
ルカキスは今なお心に残るアントリッネの映像を、自分に最もひどい仕打ちをした時のドナに置き換え、愛の炎を怒りの炎へと即座にチェンジした。
「フンッ! 分かってないな、ロボ。あれはすべて演技だ! 俺があんなビッチに虜にされるわけがないだろう? 顔はそこそこだったが、ああいう女は心の中が真っ黒だ! 俺ぐらい経験を積めば一目でそれを見抜いてしまう。加えて酒癖も悪そうだったし、変な理屈をこねて煙に巻く話術も備えていそうだった。すべては演技、ただの演出だ!」
「…………」
「だが、お前も騙される迫真の演技だったからこそ、効果的でもあった。現に俺を組みし易しと侮ったミラバ・ゲッソは、素人相手の方法で強引に交渉を進めてきた。そこへ来ての俺からの強烈なカウンター。見ただろうさっきの交渉を? そしてどうだ、この豪華な部屋は? あの食事は? すべてロハだ! すべて俺の力量の成せる技だ! フフッ、今後は俺のことをネゴシエイターと呼んでも構わないぞ? ハッハッハッハ」
調子に乗りまくるルカキスに、いつものロボなら即座に言い返していただろう。
しかし、ルカキスのテンションとは対照的に、珍しくロボは落ち着いていた。そして、感情の起伏のないトーンで淡々と言葉を返した。
「……成果はともかく、オレを本気で売っ払っちまうような雰囲気はあったがな」
そのロボの声音に、ルカキスが激しく動揺する。
「バ、バカを言うな。明日、馬車の件を持ち出して、上手く話をつければ交渉はそれで終わりだ。万事解決する。心配するなロボ! お前を売り渡すようなことは絶対に――」
「ないんだな?」
言葉尻に鋭く割り込んだ、念押しとも取れるロボの言葉。
ルカキスは瞬時に凍りついた。
こ、これはマズい……一刻も早くカリューと打ち合わせねば!
うろたえるルカキスは満足に言葉も返せず、ただ生唾を飲み下す。
その様子をロボはどうとらえたのか。暫くルカキスの目を見据えたあと、部屋の出入り口に向かって歩き出した。
追及を免れたことで、緊張を解いてひと息つくルカキス。だが、そう思ったのも束の間、扉の前で立ち止まったロボは、そこでもう1度ルカキスを振り返った。
「ネオ・ルカキス――」
ドビクッ!
そんなリアクションを取るルカキスは、引きつった顔でロボに応じる。
「な、な、なんだ!?」
「オレはちょっと屋敷内を調べてくる」
ロボの口から出た言葉が先ほどの続きでなかったことに、ルカキスは胸を撫で下ろす。ただ、その内容には疑問を覚えた。
「……調べてくるとは、いったいどういう意味だ?」
「ああ、お前には伝えてなかったな。お前がいない間に全部処理は済ませたが、この部屋には
「スチールビュー? ボイスナッチ? なんだそれは?」
「要は盗撮、盗聴ってことだ」
「なっ……なんだと!?」
「カリューの部屋も既に済ませてあるが、少し離れたところに回路を設置しても、ここまで効力が届くような特殊な仕掛けもあるかもしれねー。だから辺りを見回ってこうようと思ってな。なあに心配するな。誰にも見つからねーよう屋敷内を探索するなんざ、わけもない。……ただ、少し時間はかかるかもしれねーがな」
それはルカキスにとって好都合な話だった。
何とかロボを出し抜いてカリューと打ち合わせたいと考えていたルカキスは、どうやってその機会を作ろうかと考えていたからだ。
それだけでなく、今報告を受けた内容にルカキスは感心もしていた。
特に指示がなくても、勝手に判断してメリットを生み出してくれるロボという存在。ルカキスはその働きにロボへの評価を劇的に高めたが、それが間もなく失われることも理解していた。
それをルカキスは惜しいと感じた。とても残念に思った。
しかし、だからといって再考するには至らない。アントリッネと比較すれば、即座にアントリッネに軍配が上がるほどルカキスの執着は強い。その心は既に揺らぐことのないくらい、ゴリゴリのアントリッネ色に染まっていたのだ。
ただ、この最後ともいえる自分に対する貢献に、ルカキスは惜しみない賛辞を贈りたい。そんな心境になってはいた。
「ロボ! さすがはロボだ! お前のそういうところは非常に評価が高い! それがあったからこそ、俺はお前を旅の共に加え、今日まで一緒に歩んで来たんだ。たまには礼を言わせてくれ。ありがとう……そして、ありがとう、ロボ!」
「へへ。改まって言われると照れくせーな。でも、オレは自分にできることをやってるまでだ。それを評価してくれるのはありがてーが、お前の今日の働きだって、オレたちのためにやったことだろう? 3人それぞれが得意分野で仕事をこなし、そうすることでオレたち全員にメリットが生まれる。それが仲間ってもんじゃねーか」
「…………」
「それにオレは今日お前が交渉の席で、オレのことを優れたロボットと言ってくれたことを、すごく嬉しく思ってるんだぜ? 口喧嘩の絶えねー間柄だが、心の底ではお前はちゃんとオレのことをわかってくれてる。それが言葉として聞けたんだからな。だから、礼を言うのは逆にオレの方かもしれねー。ありがとよ、ネオ・ルカキス」
「…………」
この言葉が素通りするほど、ルカキスもクズ人間ではなかった。それはルカキスの胸に、良心に突き刺さり、思わず言葉が出なくなるほどだった。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ!」
そう言ってロボは部屋をあとにする。その最後に聞いた声のトーンが、なおルカキスの胸をしめつける。
隣室のカリューと打ち合わせるなら、今が絶好のチャンスである。それが分かっていながら、ルカキスはいつまでも動かなかった。いや、動けなかった。
そして、脳裏には先ほど部屋を出ていったロボの姿が浮かぶ。それをアントリッネで塗り替えようとするのだが、なかなか上手くいかない。今のやり取りがあったせいで、意外にもアントリッネと拮抗するほど、ロボの存在が急激に大きくなってしまったのだ。
どうしたものか……
しかし、そう考えるルカキスを動かしたのは、意外にもカリューだった。
ふと頭にカリューのことが過ったルカキスは、その瞬間にある事実に気づいた。気づいてしまったのだ。
そうだ。もはやこれは俺だけの問題じゃなかったんだ。
俺がロボを売却することを思い直し、断腸の思いでアントリッネを切り捨てたとしても、それにカリューが応じてくれなければ意味がない……
ルカキスは、激しく顔を歪めながら心の叫び声を上げた。
何てことだ! カリュー、お前は友である……仲間であるロボを俺に裏切れと言うのか!?
……だが、カリューと俺は一心同体。そして、カリューの決定に俺は逆らえない。あの頑固者カリューのことだ。その意志は鋼のように固く、決して覆ることはないだろう。
俺だけ離反しようにも、そんな俺の心変わりをカリューは許さない。
奴の変態性欲が、絶対にそれを許さないんだ!
駄目だ……従うしかない。
カリューに答えを委ねるしか、俺に道はない。
すまないロボ。だが、恨むならカリューを恨んでくれ。
俺にはもうどうすることもできないんだから……
こうしてルカキスは結論をカリューに委ねた。
いや、おそらくその思考の変遷を見る限り、委ねたと言いつつも結果に変更を加える気など無いように思えた。
ルカキスが委ねたのは、責任である。
自ら決定を下すにもかかわらず、その決断をカリューに委ねる形を取ることで、そこから生じる罪悪感の逃げ場を作るのが目的である。
しかし、委ねることは責任を回避する手段ではない。委ねることに対する責任が自らに生じるからだ。
それが自分の望まぬ結果に終わったとしても、その非を、託した相手に擦り付けることはできない。なぜなら、委ねる前から望まぬ結果が可能性としてそこに含まれていることを、委ねた者は知っている筈だからである。
ケースによっては委ねた方が有利な場合、委ねるしかないような場合もあるかもしれないが、たとえそうでも責任の所在は変わらない。自分で対処するのを放棄した事実は揺るがないからである。
この指摘は過去ドナによってルカキスにもたらされていたが、言葉だけで人が簡単に変わることはない。しかも、今回その責任をカリューに押しつけるのは、ルカキスにとって非常に楽な選択でもあった。心に生じる呵責の念を誤魔化すことができるからだ。
人は弱い生き物である。苦難や困難が生じた時、そこから逃げ出さずに正面から立ち向かえる者はそれほど多くない。
だが、ルカキスは曲がりなりにもこの物語の主人公である。どんな困難に直面しようと、それを誰かに押しつけていい筈がないのだ。
そして、そんな展開を読者は望まない。いや、この物語が許さない!
だからもし、このままルカキスが道を誤るようなら、ルカキスには罰を与える。
実際の世界に於いて、因果律の粛正が即時反映されることはない。だが、ここはフィクションの世界である。さじ加減は意のままなのだ。
さあ、もがけ、ルカキス!
お前がいかな結論を出すか、この目で見極めてくれる!
そして、その結果に応じた報酬をお前にくれてやろう!
それではゲームを始めよう!
せいぜい楽しませてくれよ、ルカキス!
フハ、フハハハハハハハ………………って、え? 何これ?
ピンポンパンポン
本日の予報をお知らせ致します。
本日は曇り。ところによりカオス。
皆様、カオスの襲来にご注意ください。
ピンポンパンポン
カオスは去った。物語を再開しよう。
ケロリ。
その時、1匹の蛙が鳴いた……ような気がした。
先ほどまで苦悶の表情を浮かべていたルカキスは、ケロりとした顔で素早くリビングルームを出ると、部屋の出入り口まで移動した。
扉を開け少しだけ首を外に出して、そこに誰もいないのを確認する。途端に滑るように廊下に飛び出すと、壁に背中を張りつけながら大急ぎでカニ歩く。
俄かにたどり着いた隣室の扉のドアノブを握り、ノックもせずに自分が入り込めるスペースだけを開いて、風のように忍び込む。そこでようやく止めていた呼吸を再開し、安堵の息を漏らした。
カリューの部屋も、ルカキスの部屋と同じようなつくりになっていた。
短い廊下を迷いなく進んだルカキスは、一部にすりガラスがはめ込まれ、中から灯りが漏れているリビングルームの扉前に辿り着く。
そこで何の気なしにドアノブを回し中に入ろうとしたルカキスは、ある違和感に気づいた。
それは話し声。カリュー1人しかいないと思われた部屋の中から、僅かに声が漏れ聞こえてくるのだ。
まさか!?……ロボなのか?
お、俺を謀ったのか、ロボ!?
カリューの他に部屋に誰かがいるとすれば、それはロボ以外に考えられない。その結論に達したルカキスは、激しいショックに打ちのめされていた。
『ちょっくら行ってくるわ!』
俄かに思い出されるロボの言葉。そこに、ルカキスは強い信頼を抱いていた。熱い友情を感じていた。
しかし、それが偽りだと判明したことで、ルカキスの心は即座に怒りに支配された。あり得ない仲間の裏切りに、心の底から激怒したのだ。
自分のことなど当然棚に上げられている。棚というか神棚に祭られ、神聖化され、誰も触れることすらできない状態だ。
怒りにかられドアノブを握ったルカキスは、勢いよく中に踊り込もうとして、しかしもう1度思いとどまった。
なぜなら、一瞬、想定外の声が耳に届いた気がしたからだ。
その声を色でたとえるならイエロー。
そう。それは想定外中の想定外。あろうことか、女性の声だったのである。
ま、まさか…………中にいるのは女なのか!?
焦ったルカキスは、扉を開けずにドアの隙間に耳を張り付ける。
すると聞こえてきたのは、カリューと女の交わす意味深な会話だった。
「――あまり長くここに止まり、気づかれてもまずい」
「わかりました。では、一旦わたくしは戻ります」
カリューの話し相手が女だと確信したルカキスは、反射的にドアを開いていた。
そして、そこにいる女性が目に入った途端、激しく動揺した。
この女は……カリューを先導していた、あの美女じゃないか!?
なぜ、あの女がここに!?
一瞬そう思ったが、即座にそれが愚問だとルカキスは気づいた。
いや。そんなの聞くまでもない。
男女が密室に2人きりで、やることなど決まってる…………やることやってたに決まってる!
フッ、カリューよ。何という手の早さだ。キャラが立ってないからといって、こんなところで秘められた能力を発揮しなくていいんだよ!
お前の手癖の悪さには、脱帽どころか俺のスネ毛もツルツルだ。
……脱毛だよ、だ・つ・も・う!
見てみろ! 動揺のあまり、こんな冴えない冗談しか浮かばない!
カリュー、何という裏切りだ!
俺がどんな思いで今を迎えているか、どんな思いで部屋まで俺を送り届けてくれたアントリッネを追い返したか、お前は分かっているのか?
抜け駆けはお前に悪い……そう考えた俺の立場がないじゃないか!?
だが、カリュー。お前の罪はそれだけにとどまらない! お前はその掟破りの反則行為を隠蔽しようとさえした。
『気づかれてもまずい』だと? いったい誰に気づかれるとまずいんだ?
『一旦わたくしは戻ります』だと? その後に続く言葉は『でも、みんなが寝静まったら、またわたくしを可愛がってくださいね、カリュー様』……じゃないのかっ!?
許せない。
カリュー、俺はお前を絶対許しはしない!
怒りに打ち震えるルカキスの心の葛藤など知る由もないカリューは、ルカキスを認めた途端、軽やかに言葉をかけてきた。
「ルカキス、ちょうど良かった。お前にも彼女のことを――」
「結構!」
ルカキスは事情を説明しようとするカリューを、即座に手と言葉で制してから続けた。
「カリュー、その女性のことなら説明は不要だ」
「……なんだ、ルカキス。お前知っていたのか」
このカリューの返答は、ルカキスの怒りに更なる油を注いだ。
『知っていたのか』だと? 俺のことをこの状況を見て何も気づかない、ガキだとでも思っているのか? カリュー、どこまで俺を愚弄すれば気が済むんだ!
途端に陰惨な殺気を放ち始めたルカキスを見て、気を利かせたハーネスが急いで部屋を辞そうとする。
「では、わたくしは先に失礼させていただきます」
しかし、その言葉にルカキスが即座に反応した。
「いや、その必要はない。俺が出て行くから、君は好きなだけこの部屋で過ごしてゆけばいい」
ハーネスを引き止めたルカキスは、そう言うなり踵を返して部屋の出入口まで戻ってゆく。
「待て、ルカキス! いったい何を怒ってるんだ?」
ようやくにして、カリューもルカキスの機嫌が悪いことに気づいたが、もはや手遅れだった。ルカキスは言葉を返すことなく、無言でそのまま部屋をあとにした。
しばらくその場に立ち尽くしたカリューは、溜め息を漏らしながらハーネスにも退出を促す。そして、1人になると肩をすくめて、こんな言葉を口にした。
「あれでは話にならないな。……どうしようか?」
その言葉を受けた途端、部屋の奥からロボが姿を現した。
「放っとけよ。お前は2人きりの方が話しやすいと言ってたが、どのみち話はこじれるんじゃねーかとオレは思ってたしな」
「……確かに、ルカキスのやり方に口を挟むのは悪いと思ってる。それでも知ってしまった以上、このまま済ますわけには――」
「違うぜ、カリュー。あの野郎は本気でオレを売る気かもしれねーと言ってるんだ。それくらいあいつはアントリッネって女に入れあげてやがったからな」
「……ハハ。まさか、それはないだろう」
「…………」
どうやらカリューは、ルカキスを露ほども疑っていないようだった。
できることならロボもそう思いたかったが、先ほど交わした会話と、その時泳ぎまくっていたルカキスの目を見てしまっては、それも難しい話だった。
ただ、カリューとルカキスが話す機会が失われたのは、自分にとっては良かったのかもしれない。ロボはそう思っていた。
世の中には白黒はっきりつけない方が良いことがある。たとえ限りなく黒に近くても、その答えを追及しない限りそれはずっとグレーであり続ける。だとしたら、その中には希望が居座り続けることもできるのだ。
仮にルカキスとカリューが話し合った場合、そこにはロボの知りたくない、この先3人で旅を続けるのが不可能になる、そんな答えが飛び出す可能性も含まれていた。それが現実にならずに済んだことに、ロボの中には安心している部分もあったのだ。
「では、ルカキスにはあとから俺が謝ることにして、交渉には2人で向かおう」
「謝る必要なんざねーぜ。要は馬車やら食料やら、旅に必要なもんが用意できれば文句はねーんだろう? だったら、言うこと聞かすついでにそのへんの物も、あの強欲じじいに準備させればいい」
「おい、ロボ。あまり無茶なことはしないでくれよ。あくまで俺たちは交渉をしに行くだけなんだから」
「…………」
そう言って笑みを浮かべるカリュー。
それを見たロボは、これから交渉する内容とその相手がどういう人間なのかを、カリューが本当に分かっているのかについて、疑問を覚えるのだった。
◆◆◆
屋敷内の廊下を歩く人の姿があった。
漆黒のスーツに身を包み腰にサーベルを帯びたその者は、勝手知ったる風に廊下を進み屋敷に
誰もが凍てつく異常に鋭い眼光をはばかりもせず、その者は両開きの大きな扉を片方だけ開けた。そのまま一歩中に踏み込むと、扉脇に控えていたメイド2人が俄かに反応を示した。
そこはミラバ・ゲッソの執務室。部屋の内側に控えるのは、ただのメイドではなかった。
危険と判断すれば躊躇なく侵入者を排除する、
だが、すぐに相手が誰であるかに気づいたメイド2人は、動き出すことなくその場で深々と頭を垂れた。動揺と緊張を押し殺しながら。
その者は、メイドに一切注意を払うことなく、僅かな間接照明だけが灯る暗い室内を歩いてゆく。円状にソファーが配置された広い空間を抜けた先にはデスクがある。そこには、卓上ライトを頼りに書類に目を通すミラバ・ゲッソの姿があった。
綺麗な八の字を描く、自慢の口髭を指で撫で擦るミラバ・ゲッソは、書類に目線を落としたまま、その者――ベレッタに問いかけた。
「首尾はどうだったかね?」
デスク前で腰に手を当てながら立っていたベレッタは、言葉少なに成果を報告した。
「ネオ・ルカキスとナゾール……だったか? それなりに分かったこともあったが、肝心の部分を掴むには至らなかった」
その返事にミラバ・ゲッソは視線を上げ、ベレッタの顔を見た。
「ドナには会えなかったのか?」
眉をひそめながら問うミラバ・ゲッソに、ベレッタは肩をすくめてみせた。
「もぬけのカラだ。人を使って街中も隈なく探させたが、どこにも見つからなかった。聞き込みをした感じでは、いなくなるのはよくあることのようだな。10日ほど前に酒場で姿を目撃されて以降、消息を絶っている。だが、馬車も使わず子連れでの移動。本来ならそれほど遠くへ行くことなど不可能なんだが――」
ベレッタの話を不機嫌そうに聞いていたミラバ・ゲッソは、話の途中で口元に手を当てた。
「ゴホンッ……戻っているぞ」
そう指摘し、咎めるような視線を向けるミラバ・ゲッソに、ベレッタはその意味するところに気づいた。
「ああ、ごめんなさい。下の者と接すると、ついつい戻ってしまう。……気をつけるわ」
言い終え、決して笑ってはいない目で微笑むベレッタ。どうやらベレッタは、男口調で会話するのが身についているらしかった。
男装の麗人とも呼べる今の恰好からもそれは窺い知れたが、その口調の方が雰囲気からも似つかわしい。昼間に見せた艶やか衣装も悪くなかったが、今の方が断然違和感ないものに思えた。
ただ、ミラバ・ゲッソはその口調を快く思っていないらしく、ここでのそれは禁じられているようだった。ミラバケッソはもう1度だけ咳払いをすると、そのまま話を再開した。
「では、奴と同じくここドノバン……いや、子供連れでここまで来るのは無理か。ならば、道中にある村のどこかにいるということか?」
そう問いかけるミラバ・ゲッソに、ベレッタは妖しく目を細めながら答えた。
「当然、それも調べたわ。ワリトイからドノバンまでにある村なんて、それほど多くない。全部の場所を回ってみたけど立ち寄った形跡も、目撃情報もなかった。でも、おかしいと思わない? 子連れなのに、徒歩で何日もかけて移動したりするかしら? ワリトイからは乗合馬車も出ているし、酒場で聞いた話ではお金が無かった分けでもない」
「……奴とは逆のパターンか?」
「そう。10日ほど前、突如としてワリトイに現れたネオ・ルカキスという男。インダスワークス、トルヘリア、ゴーシュタール、タリアーン。ワリトイ近隣の町から、少し範囲を広げて情報を集めたにもかかわらず、そんな男を見かけたという話はどこからも聞こえてこない。そして、姿を消したドナという名の占い師。その2人には、ワリトイの酒場で話し合っていたという奇妙な共通点がある」
ベレッタの含みある言い方に、ミラバ・ゲッソは意図するところに気づいた。
「……まさか、ドナは転移魔法が使えるとでもいうのか? では、あの若造はドナが転移魔法で連れてきた――」
「ちょっと待って」
興奮気味に食いついてきたミラバ・ゲッソを、ベレッタが制する。
「結論を急がないで。それほど単純な話だったら良かったんだけど、どうもそうではないみたい。分かったことは順を追って全部報告するから」
「……では、話してみろ」
ミラバ・ゲッソが促すと、ベレッタは笑みを浮かべながら事の詳細を話し始めた。
「先ず、ドナについて。彼女は昔からワリトイに住み着いている占い師のようね。そして、彼女の町での評判はかなり……悪いわね。その理由は、占いが抽象的な上に、言い回しがとても分かり難いから。町で彼女に占いを頼む者はいないと断言できるような、そんな占い師よ。でも、その割に生計は何とか維持できていて、専ら酒場に訪れた一見の客をカモにしてると言われている。ネオ・ルカキスとの接点も、その酒場にあったみたいね」
「何だと? 2人は知り合いではなかったのか?」
「店員の話では、どうやらそうみたい。そこでネオ・ルカキスはかなりの高額をだまし取られているし、おそらく初めて会ったと考えていい。仲間どころか、今となっては恨みを抱く相手……かもしれないわね」
「……いったいどういうことだ? では、ドナが転移魔法を使えるというのは――」
「それは多分、間違いないわ。彼女はトラブルメーカーみたいだったけど、その対処に誰かを頼っていたようなフシはない。そして、そんなサギ行為を働いて、逆恨みを買わない筈もないのに、彼女が何らかの報復を受けたり、怪我を負ったという話はなかった。でも、ドナが魔法の使い手だったらすべて納得できる。転移魔法なんていう高度な魔法をおさめた存在なら、脅威に感じる相手はそれほど多くない筈だから」
ベレッタの説明を受け、ため息をついたミラバ・ゲッソは、そこから生じた疑問を口にする。
「では、あの小僧は何処から来たというんだ? まさか奴も転移魔法の使い手だなどとは言わんだろうな?」
「それはないわ。2人がこの町まで歩いて来たのは分かってる。でも、何処から来たかについては予測が立たないこともない。あそこには魔法を使わなくても、国外に移動する手段が隠されているから」
「……エルフ族の転移ゲートか? 確かにあの森には国外へ通じるゲートがあると言われている。エルフ討伐の折、大量のエルフが忽然と姿を消したのだからな」
「そうよ。そして、あのナゾールと名乗っている男は、エルフでもある」
「なっ!……なんだと?」
「あら? 気づかなかったの? 頭に布を巻いただけで誤魔化せると思っていたことに、逆に私は驚いたんだけど……」
そのリアクションを見る限り、ベレッタに告げられるまで、ミラバ・ゲッソは全くそこに思い至ってなかったようだった。
それを知ったベレッタは『あの耳を完全に覆い隠した不自然な頭を見て、少しも連想しなかったの? まさかバカなの?』という思いを抱いたが、俄かにそれが誤りであることに気づいた。
世界には、何か生ぬるい空気が蔓延っている。時折ベレッタは、それを感じることもあったが、それが世界に理不尽な何かを生じさせているのも分かっていた。
それはベレッタにとって受け入れ難いものだったが、ルカキスたちがドノバンを訪れてからというもの、その空気が一層強くなったようにも感じていた。そして、それに感化されたミラバ・ゲッソから、真実を見極める力が失われたとしても、おかしくないと思ったのだ。
ただ、そのぬるさにつき合う気など、ベレッタにはサラサラありはしなかったが。
「ナゾールを案内させたハーネスの様子もおかしかったし、その変化に気づかなかったのだとしたら、あなたも随分老けたわね。そろそろ引退を考えたら?」
「バ、バカを言うな。あの若造が思いのほか口が立ったせいで、少し冷静さを欠いていただけだ!」
「そうなのかしら?……フフ、まあそういうことにしておいてあげるわ」
ベレッタの指摘にバツが悪そうに視線を反らしたあと、ミラバ・ゲッソが質問を続けた。
「だとすれば、あの若造はエルフが異国から連れて来た者だということか?」
「今持っている情報から考えると、そうなるわね。この町に立ち寄った理由は分かっていないけど、エルフを伴っていることを考えれば、その目的が何であるかはおおよその見当がつく」
ベレッタの言葉を受け、ミラバ・ゲッソは口髭を撫で擦った。
「つまり、奴らは国を追われた報復に戻って来たということか。あの若造がその役に立つようには、とても感じられなかったが……」
そう口にすると、ミラバ・ゲッソは口元に下品な笑みを浮かべながら続けた。
「だが、そうだとすれば、国際問題に発展する線は消えたわけだ。だったら、ここで2人を殺してしまっても、別に問題は生じないということになるな?」
家畜でも殺すようなミラバ・ゲッソの物言いに、ベレッタが平然と応じた。
「そうね。2人を殺すのは造作もないわ。ただ、共にいるロボットは少し厄介かもしれない。そして、あのロボットは自立した思考回路を持っている。そこを解決せずに、迂闊に手は出せないんじゃないかしら?」
ベレッタの指摘に、ミラバ・ゲッソは力いっぱいデスクを叩いた。
「そうなんだ! なぜ、あのようなロボットを、あんな若造が手に入れることができたのか!? いったい何処で手に入れたのか!? あのロボットを無傷で手に入れるには、そこを知っておく必要がある。……いや、待て。あの若造を拷問にかけて吐かせればそれでこと足りるか。アントリッネを使って奴1人を誘い出せば……」
何やら邪な考えを巡らせ始めたミラバ・ゲッソに、ベレッタが感心しながら言葉をかけた。
「ずいぶんとご執心ね」
「当然だ! あのロボットは是非とも私のコレクションに加えねばならん。アレの正当な価値を理解し、所有する権利はこの私にこそあるのだ!」
「フフ。あなたの傲慢さと欲は、留まるところを知らないわね。でも、そんなあなたに朗報よ。ロボットに関しては分かったことがある。なぜ2人に同行しているのかは不明だけど、入手経路だけは判明したわ」
「なんだと!?」
驚愕に目を見開くミラバ・ゲッソに、ベレッタが続けた。
「あのロボットの所有者は、ワリトイに1軒しかない宿屋の店主。そして、販売したのはうちのグループ会社よ」
「バカなっ!?」
「この国でロボットの販売を手掛けてるのはうちだけなんだから、当然でしょ。しかも店主はわざわざ旧式を指定して、うちに発注を入れてきた」
「旧式を……だと? それはいったい、いつの話だ?」
「わりと最近の話ね」
「バカを言うな。見た目が悪いせいで、あの旧式はほとんど売れなかった。だから人の造形を再現したアンドロイドの発売に合わせ、1年以上前にうちの取り扱いもそちらに移行した。あんな旧式、在庫が残っていた筈が――」
「ところが、たまたま1台だけ残っていた。しかも伝票に記載の無い、誤配でセントアークから仕入れた商品だったの。向こうにも問い合わせたけど、間違いはないと言われたわ。だから、そのまま在庫としてうちに残ることになった。でも、見栄えの悪い旧式の処分に困っていたそんな時、ワリトイから注文が入った。そして、店主に旧式を指定するようアドバイスしたのが……ドナよ」
「なっ……またドナか!?」
「ドナとは接触できなかったから、それが何を意味しているのかは分からない。でも、あのロボットの特異性を知ってて指定して来たのは間違いない」
「…………」
「それが今、ネオ・ルカキスの手に渡り所有することになっている。ドナとネオ・ルカキスにも接点があることを考えれば、その繋がりが偶然だとは思えない」
そこまでの報告を受けたミラバ・ゲッソは、しばし考え込んだあと、突如として笑い出した。
「フフッ……フハハハハハハハ! 別にドナが何者だろうと構わん! とにかく私はあのロボットを手に入れたいのだ! 正攻法にこだわる必要もない。ロボットが人間同様の思考回路を備えているのなら、相手を人と考えて策を講じればいい。人を意のままに操る方法など、いくらでもあるのだからな。フハハハハハハ……」
広い執務室の空間に、私欲に歪んだミラバ・ゲッソの笑い声が、ただ響いていた。
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