29話 3年前-エルフside それぞれの想い 


 楽観などしていなかったが、話し合いはスムーズに行かなかった。既に戦支度を整え始めていたアンダンテは、まるで聞く耳を持たなかったからだ。


「何度言わせるんだ、アンダンテ! 今回の王国軍の動きは――」

「この耳を見てみな? エルフの長耳は伊達じゃない。あんたの言ってることは全部聞こえてるさ。しつこく繰り返すんじゃないよ」


 言いながら着替えのために服を脱ぎ捨てたアンダンテは、引き締まった筋肉のつく褐色の肌を、惜しげもなくさらす。そこには女だてらに森長を張るに相応しい肉体美があった。

 エルフでもトップクラスの顔立ちとスタイルを誇る、アンダンテのあられもない姿に見とれていた俺は、自分がしていることに気づいた途端すぐに目を反らした。

 ところが、顔を背けた俺の視線の先にいたカノンは、なぜかいつまでも食い入るように見入っている。アンダンテをガン見している。


 おい、カノン……


 そう呼びかける心の声が届いたのか、俺の視線に気づいて照れるような仕草を見せたカノンは、ようやく自分の顔を両手で覆うようにして視界を遮った。ただ、その顔はアンダンテに向けられたままだったが……


 説得のため、アンダンテの住居に乗り込んだのは俺たちの方だ。

 そこでのアンダンテの振る舞いを咎めることなどできなかったが、人前で裸になることに全く恥じらいのないその態度には、俺も思わず面喰らってしまった。

 それと同時にある1つの疑問も感じた。

 それは戦に備えて防具に身を通すだけなのに、なぜかアンダンテが下着を脱ぎ捨て、全裸になっていたことだ。 

 その時、アンダンテが側仕えの女エルフを叱責する声が聞こえた。


「ちょっと、なんだいこれは?」

「カシオス様のご命令です。今回は危険な戦になるから、アンダンテ様にはこの甲冑を身に付けていただくようにと――」

「バカ言うんじゃないよ。こんな重たいものを着こんだら、自由に動けやしない。いつもの竜皮の胴衣で充分だ。アレを持っておいで」

「ですが、アンダンテ様――」

「2度言わせるつもりかい?」

「は、はいっ!」


 そんなやり取りがあったあと、着替えを手伝っていたエルフが防具を取りに部屋を出る音が聞こえた。

 話の流れから察すると、アンダンテはおそらくまだ何も身に付けてはいない。

 だとすれば、あの張りのある胸の膨らみは、今もむき出しのままさらされて……

 って、何を考えてるんだ俺は!?


「服を脱ぐのが早すぎたかね。まあ、だからといって風邪を引くようなヤワな鍛え方はしちゃいないけどね……よっと」


 言いながら、どうやらアンダンテはその場に腰をおろしたようだった。

 その時、近くに控えていた別の側仕えから、咎めるような言葉が飛んだ。


「ア、アンダンテ様! そのように足を開かれては、大事なところが――」


 それが聞こえた途端、俺は思わずアンダンテの姿を想像してしまった。

 大事なところ?……大事なところがいったいどうなってるというんだ!?

 アンダンテはいったい、どんな恰好で座っているんだ!?

 そんな思考に囚われている俺の真横で『ゴクリ』と生唾を飲む音が聞こえた。


 カノン……お前まさか――


「そういや、まだ居たんだったね。別にかまやしないよ。見られたところで減るもんでもなし。何ならもっと奥まで見せてやろうか? 男はこんなポーズが大好物なんだろう?」

「アンダンテ様っ!」


 ブシューッ!

 

 その時、目の前にいるカノンが、顔を覆った指の隙間から真っ赤な鮮血を噴き出させた。

 そのリアクショが何を意味するのか、俺に分からなかった筈もない。顔を覆っている不自然に開いた指の隙間も、カノンが鼻血を出した理由を如実に物語っていた。

 

 カノ――ンッッ!

 

 それでも俺の中にあった冷静な部分は、この展開に異を唱えていた。

 これは俺の回想であり、過去の事実を伝えるためのものだ。だとしたら、なぜ俺は何の意味もないこんなサービスシーンを、ロボとルカキスに伝えてるんだ?

 ……サービスシーン? いったい誰へのサービスなんだ!?


 そんな展開があったのか無かったのか。着替えを終えたアンダンテと、俺たち2人は対峙していた。カノンの鼻の穴には、少し赤く染まった白い何かが詰められているようにも見えたが……


「尻尾を巻いて逃げようと考えてる腰抜けに、近くにいられたら目障りだ。戦う気がないのなら、とっとと出ていきな」

「ちょっと待ってよ、アンダンテ! 長に向かってその言いぐさは無いでしょーが!」


 鼻に詰まっていたものを吹き飛ばしながら、カノンはそう抗議する。

 対するアンダンテは、怪訝な顔でそれに応じた。


「はあ? 誰が長なんだい? そんなこと、わたしは認めてないよ。だいたいアズールをカリ・ユガに向かわせて自分の保身を企む奴なんかを、長として認めるわけがないじゃないか?」


 アンダンテのその言葉が、俺の心に重く圧し掛かった。


「その説明はアズールお師匠からあった筈です! カリ・ユガの調査はそれだけで終わる話じゃなく、その背後にはエルフ存亡に関わる女神の企みが――」

「知らないね」

「し、知らないねって、現に今、軍がこの森に攻め寄せて来てるでしょーがっ!? 我らエルフの将来を担うカリューさんが無事だったのも、先を見越したアズールお師匠の好プレーがあったからです!」


 そう力説するカノンの言葉を、アンダンテが鼻で笑い飛ばした。


「ハンッ、とんだ笑い種だね。好プレーどころか珍プレーだろう? そんな奴が残ったところでエルフにいったい何のメリットがある? わたしたちエルフを統べるには力が一番ものを言う。アグアがこの国でトップを張ってたのはそれがあったからだ。だがカリュー、悪いがあんたにゃそれは無い。私が本気を出せばお前らごとき、5秒もあれば殺れるんだからねぇ」


 言い終え、舌なめずりしながら殺気を振りまくアンダンテ。

 話に応じるどころか、アンダンテは俺たちのことをここで命を絶っても差し支えない、愚にもつかない存在としかとらえていないようだった。そして、その殺意を実現するのはそれほど難しい話ではない。

 俺たちはアンダンテの手にする薙刀の射程外にいたが、アンダンテは風の魔法を操る。薙刀の太刀筋から繰り出されるカマイタチの効果範囲は、20メートル四方にも及ぶ。

 簡単に殺らせるつもりもなかったが、アンダンテがその気になれば、そうなってもおかしくはない。そんな状況ではあった。


 アンダンテが殺気を見せた途端、カノンは盾になるべく俺の前に歩み出て、自分の身をさらした。その態度を見たアンダンテはニヒルな笑みを口元に浮かべてから、俺たちに向け本気で薙刀を構えた。

 カノンのとった行動は、冗談だったかもしれないアンダンテの発言を、逆に後押ししてしまったようだった。


「なんだい、その態度は? 今すぐ試してみろと言わんばかりだねぇ」

「…………え?」


 事態が悪化したことに苦笑いを浮かべ、カノンは冷や汗を流した。そのカノンを押しのけながら歩み出た俺は、真剣な眼差しでアンダンテを見据えた。


「やめろ、アンダンテ。力で俺がお前に及ばないのは分かっている。だから、お前の発言を否定するつもりはない。それに、俺はエルフの長を引き受けると決めたが、今の段階でそれがエルフの総意だとは思っていない。本当の長と皆に認められるのはまだ先のことだし、お前の言う通り器の不足も理解している。だが、俺はそれに見合う努力を続ける。そして、いずれそれに相応しい器を手に入れる。その気概は持っているつもりだ」

「……だから、それまで見守ってくれとでも言いたいのかい?」

「そんな考えはさらさらない。それは単なる俺自身の決意だ。悠長に構えていられる時間がないのも分かっているし、もしエルフの総意が俺を否定し、別の者を長として担ぐというなら、俺はそれに甘んじてもいいと思っている」

「カリューさん!?」


 不安げに言葉を発したカノンを制して、俺は続けた。


「ただ、今は俺に従ってくれるのがエルフの未来に繋がると信じている。だから俺はそのために動く。お前が俺を認めているかどうかなど関係ない。今のエルフにとっての最善策が、この国から一旦エルフを撤退させることなんだ。だが、逆にお前は王国軍と戦うことを選択しようとしている。それが本当にエルフにとって最善のものなのか? 俺がお前に問いたいのはそこだ。お前は森長だ。その意志決定には他のエルフも巻き込まれる。それでお前は本当にいいと思っているのか?」

「…………」

「お前の下した判断に、もし僅かでも迷いがあるのなら、今ならまだ間に合う。お前はこの森のエルフのためにも考えを翻すべきだ。俺はそれを進言に来たんだ」


 俺の言葉と思いが通じたかどうかは、正直分からなかった。

 だが、アンダンテから漏れ出ていた殺気は、少しおさまったよう見えた。

 その空気の変化を示すように、アンダンテの顔に笑みが浮かんだ。


「……フフ、カリュー。あんたは根本的に考え違いをしているよ。確かに人間は数が多いけど、エルフはそれほど弱くない。この森に攻め寄せてきて、地の利を持つわたしたちを、人間ごときが殲滅できるわけがないのさ。人間と事を構えたことなんてなかったけど、今まで散々助けてやった恩も忘れ、簡単に手のひらを返した人間共にエルフの力を見せつけてやる。わたしはそのいい機会だと思っている」

「いや待て、アンダンテ。考え違いをしてるのはお前の方だ。これはエルフ対人間の話じゃない。その背後には――」


 反論する俺の言葉を、アンダンテは薙刀を打ち鳴らして制した。


「神ならなんでも許されるというのかい? 確かに魔王討伐に神の力は欠かせないけど、だからこそ、それにはわたしたちエルフも随分と貢献してきた。でも、今起きていることは魔王とは無関係じゃないか? ここはわたしたちの住む世界だ。そして、わたしたちはこれまでだって、この世界に暮らす者たちの力だけで今の暮らしを支えてきた。その中で神が力を貸してくれたことなんて、あったかい? 陰ながら尽力してくれてたって言うのなら、今さらどうして表立って神が出てくるんだい? そこがおかしいじゃないか? 本当に神が背後で糸を引いているのなら、人間共を蹴散らしたあとに、わたしが直接文句を言ってやるよ。悪いが、わたしの考えは変わらない。そして、この森のエルフは私の意志に従う」


 途中、口を差し挟むこともできず、アンダンテはそう俺に告げてきた。

 直接女神を目にしたことのないアンダンテに、今回の異常性を伝えるのは難しい。そして、俺の意見を聞き入れないのが分かるくらい、アンダンテの心は既に固まっていた。

 鋭く俺を睨みつけていたアンダンテは、不意に視線を反らすと話は終わったとばかりに出入り口に向かって歩き出した。

 そして、俺の横を通り過ぎながら、俺の耳元で最後の言葉を囁いた。


「別にあんたたちが逃げるのを咎めはしない。だけど、もしこの戦いを生き抜くことができたとしたら……この国の長はわたしが継ぐ」


 そう言い残し、アンダンテはそのまま部屋を出ていった。結局俺はアンダンテの考えを覆すことができなかったのだ。

 俺にもっと力があれば、もう少し話の持っていきようはあったのかもしれない。俺はその結果に、ただ唇をかみしめることしかできなかった。


 力なく引き上げようとした俺たちのもとに、その時、別のエルフが姿を現した。

 それはアンダンテの側近、カシオスだった。

 開いているかどうかも分からない細い眼差しは、その表情に知性的な印象を生み出している。そして、実際それに見合うだけのキレ者であるカシオスは、エルフの中にその勇猛さが知れ渡る、文武両道に秀でたエルフでもあった。

 アンダンテにやり込められた俺をフォローするつもりなのか、優しい笑みを浮かべながら、カシオスの方から語りかけてきた。


「単純そうに見えるが、アンダンテ様の結論は熟考の末に出されたものだ。お前の説得の意図を理解できなかったわけじゃない。ただ、アグア様の無念を晴らさずにはおけないというのが本心だろう」

「えっ!?」


 カシオスの発言に俺は思わず驚いた。アンダンテが兄さんの無念を晴らそうと考えているなど、夢にも思ってなかったからだ。

 なぜアンダンテが無念に思うんだ? 俺と同じように、今語られている事実に対して疑念を抱いているのか? 

 それが無念と確信できるような兄との強い絆を持っていたなんて、俺は今初めて聞かされたが……


 そういえば、俺は2人の関係性を詳しくは知らない。だが、懇意にしているアズールが森長を務めていることから考えても、同じく森長を務めるアンダンテが兄と無関係なわけがない。

 よもや、アンダンテと兄が恋仲だったなどと考えたこともなかったが、もしかしてそうなんだろうか?

 アンダンテは強さを基準に人を見る。そこが相容れない俺はアンダンテとあまり反りが合わなかった。だが、兄の強さを考えれば兄を族長として認め、つき従っていた事実にも納得できる。そして、その思いが恋愛に発展したとしてもおかしくはない。

 そんな結論に達した時、それを見透かすようにカシオスが言葉を続けた。


「聞かされてなかったのも無理はない。俺を交えた3人での複雑な間柄だったからな」

「えっ!?」


 さらりとそう告げてきたカシオスの思わぬ暴露に、俺は更に驚きを上乗せした。

 な……なんだと!?

 今の発言は、兄とアンダンテが恋仲にあったのを肯定するように感じたが、だとすればその後に続けられた『3人で』とはいったいどういう意味なんだ!? 三角関係だったとでもいうのか!?

 そんなドロドロの関係性の渦中にいる者が、お茶漬け感覚でサラッとそれを暴露できるのか? もしかして、仲良し三角関係だったのか? そんな良好な関係を3人で築けるものなのか!?


 話が俺の理解を超える異次元の領域に踏み込んだことで、逆に俺は少し冷静さを取り戻していた。こんなゴシップネタを、いっちょかみのアズールが掴んでいない筈がなかったからだ。

 にもかかわらず、俺はアズールからそんな事実を聞かされたことがない。

 カシオスの話は、本当のことなのか!?

 そんな俺の疑念を見抜いたように、カシオスは更に続けた。


「加えて、アズールも横恋慕していたが、あいつは相手にされなかった。アンダンテ様は強い者が好みだったからな」

「ええっ!?」


 その驚愕の事実に、もはや俺のアゴは閉じる機能を失っていた。

 まさか、アズールもエントリーしていたのか!? そして、本選に参加させてもらえず予選落ちしていたのか!?

 プライドの高いアズールがそんな黒歴史を公表するわけもなく、俺に伏せられていたのも頷ける。そして、それを知った今だからこそ、納得できるいくつかの腑に落ちない疑問の答えが得られていた。

 アレも……そしてアレも……更にはアレもだっ!

 なるほど。そういうことだったのか。

 そんな納得の表情を浮かべる俺に向け、ようやくカシオスはまともな話を始めた。


「まあ、それはともかくとして、アンダンテ様も今回の戦に確たる勝機を見出してるわけじゃない。とにかく人間は数が多いからだ。地の利を生かしたとしても、苦戦を強いられるのは間違いない。だが、今回の決断に関しては、森に暮らす他のエルフに強制しているわけじゃない。皆は自らの意思でアンダンテ様に賛同しているんだ。実はそれほどにアンダンテ様は、この森では人気があるいうことだ。ただ、やはりそう思わない者も中にはいるし、女子供だけは逃がしたいと考える者もいる。そうした者たちの意向を汲み、既に一部の者たちを逃がす段取りはできている。お前にはその者たちを託したいと思っているんだ」


 俺にカシオスの申し出を断る理由はなかった。

 だが、アンダンテの思いを知った今、俺は尚更アンダンテを止める必要があると思い直した。話の分かるカシオスを通して、もう1度アンダンテを説得できないだろうか? そんな思いで俺はカシオスに切り出した。


「もちろん、その者たちは俺が引き受ける。だが、カシオス、今回人間たちを扇動している背後には女神がいる。それに刃向うのは――」


 しかし、俺が話せたのはそこまでだった。

 俄かに俺を睨みつけたカシオスの視線は、俺を黙らせる敵意に満ちたものだったからだ。


「往生際が悪いぞ、カリュー。アンダンテ様を説得できなかった時点で、その話は終わっている。だいたい、アグア様の後釜としてその正当な継承を考えるなら、アズールもいない今、アンダンテ様が最もそのポジションを得るに相応しい。お前の自由にさせてもらえているだけ、逆に感謝してもおかしくないくらいだ」

「…………」

「お前の言いたいことは分かる。そして、おそらくお前に従うのは正解でもあるんだろう。だが、それは生きるという価値基準の中に於ける正しさでしかない。俺たちの動機はくだらない意地やプライドなのかもしれないが、その価値は誰に強要されたものでもなく、俺たち自身が決めたものだ。だから、その先にたとえ死が待っていたとしても、そこに後悔はない。エルフは人間などに屈しないという誇りを示せるんだからな」

「…………」

「その人間の背後に神の意志があったとしても、それが従う理由にはならない。たとえ神がすべての創造主だとしても、生み出したものを自由にする権利はないし、俺たちがそれに抗う意志を有していることが、その答えだ。ただ、本当に神が相手なのだとすれば俺たちは敗れるだろう。だが、仮に俺たちが全滅しても、お前たちが生き延びればエタリナのエルフは滅びない。カリュー、それでいいじゃないか?」


 言いながら笑顔を向けてくるカシオスは、すべてを分かっていた。そして、おそらくアンダンテもまた、分かった上でそう決断していたのだ。

 カシオスの話を聞いて、俺はまた長を継ぐことの難しさを実感した。俺のやっていることが間違いだとは思わなかったが、アンダンテやカシオスの持つ正しさもまた、間違っていると言い切れない気がしたからだ。


 話し合いは決裂に終わり、俺はカシオスに託されたエルフたちを引き連れ、ズレハまで引き返していた。王国軍はまだメインゲート付近には及んでおらず、撤退も滞りなく進んでいたが、それでも俺の心が晴れることはなかった。

 そんな俺を元気づけようと、横からカノンが話しかけてきた。


「あのシンラのエルフたちのことを、気にされているのですか?」

「……ああ」

「あの者たちは仕方ありません。なまじ力を持つからああいった発想が生まれるのです。生き残ることが最優先に決まってるじゃないですか! 生きているからこそ、何かを取り返す機会が生まれるんです。カリューさんは間違っていません。カリューさんのやってることが1番正しいです!」


 俺を全肯定してくれるカノンの発言はありがたかったが、それでも俺の心が晴れることはなかった。そして、カノンはトップを褒めちぎってダメにしてしまうタイプのように思えた。

 だが、その直後、カノンは俺が驚く言葉をつけ加えた。


「まあ、でもアンダンテも、心の中ではカリューさんを長と認めていたということですね」

「――!?……なぜ、そう思うんだ?」

「だって、母体があるからこそ、末端の者は無茶ができるんですから」


 カノンの発言は、俺に目から鱗の衝撃をもたらした。その言葉の中には、アンダンテが戦うことを決めた本当の理由があったからだ。

 俺はあの話し合いのあと、もし兄ならどうしていただろうと考えた。そして、兄ならアンダンテのように、人間と戦うことを選択したかもしれないと思った。

 実際には兄はいないし、アンダンテの決意の裏には恋仲だった兄の無念を晴らしたいという思いがある。状況が違うのだから本当の答えは出なかったが、アンダンテの姿に兄さんの影がチラついて見えた俺は、それこそが長として出すべき正しい答えなんじゃないかと、迷いを感じていた。

 しかし、違った。やはり一族を統べる者は、その存続を最優先で考えねばならないのだ。


 最初に兄が魔王になったゾーンバイエのもとに向かおうとした時も、兄は俺の無事を確認するまで動かなかった。結局その後2人で向かいはしたが、それは最悪俺たち2人に何かがあったとしても、残された中にも人材がいるという俺の説得に、兄が納得したからだと思われた。

 そして、アンダンテも、俺が多くのエルフを引き連れ撤退するのを知っていたからこそ、そこに一族の存続を度外視した、自由な選択を見出した。だからアンダンテは私怨を晴らすと共に、エルフの誇りと価値、そして存在を示すための捨て石になる道を選ぶことができたのだ。

 2人は共に我儘放題、好き勝手に生きていたわけじゃなく、長としての視点できちんと物事を見据えてから、それでも通せると判断して自分の思いを通していた。

 そこに思い至り、2人の持つ器の大きさを理解した俺は、あまりに未熟な自分にただ苦笑を漏らすしかなかった。

 そして、託された重責を再認識すると共に、またしても有能なエルフが失われるかもしれない現状に、激しい憤りを感じたのだった。


 撤退を決めていた者たちについては、1人の犠牲を出すこともなくラヌビア国に逃がすことができた。ただ、ラヌビアだけですべてのエルフを受け入れるには、避難したエルフの数が多すぎた。だから、そこから俺は更に足を延ばして何か国かと交渉し、ひと月ほどをかけて全ての落ち着き先を決めた。

 その作業を終えようやく手の空いた俺は、1人でエタリナに戻ってシンラの森の様子を確認に行くつもりだった。既に生きている者はないかもしれないが、仮にもしまだ戦闘が続いていれば、撤退を考えている可能性もあったからだ。

 だが、そうだとしてもゲートを閉ざしてしまっている今、エタリナ側からゲートを使うことはできない。こちらから誰かが手引きしなければ、撤退はできないのだ。

 しかし、カノンの監視の目はことのほか厳しい。もとより俺が1人で行動するタイプだと理解しているカノンは、当然そんなこともあろうかと、片時も俺から目を離さなかった。出し抜くのは無理と判断した俺は、しぶしぶカノンにそのことを打ち明けてみた。


「――というわけで、エタリナに戻ろうと思っているんだが……ダメかな?」

「ダメです! っていうか、いいという返事が僅かでも貰えると考えている、その思考がどうかしています。だったら私が代わりに行ってきます」

「そ、それはダメだ」

「ほら! ほら、ほら、ほら! カリューさん? あなたはエタリナでのエルフの暮らしを復興させる時に要となる存在ですよ? 私にも行かせられないそんな場所に、あなたが行けるわけがないでしょーが!」

「…………」

「最低1年は、エタリナに立ち入ることを禁じます」

「そ、そんなに!?」

「当たり前です! それにただ帰っても仕方がありません。私たちは他のエルフに働きかけてエタリナの現状を説明し、協力を取りつけねばならないんです。やることは山積みです!」

「……そ、そうだな」

「アンダンテたちのことは諦めてください。説得は失敗したのですし、もとよりあの者たちは死を覚悟して残ったんですから」

「……そ、そうだな」


 そんな俺の態度が寂しげに映ったのか、数日後、カノンからラヌビアにいた1人のエルフが紹介された。


「ミンミンさんです」

「わらしミンミン、以後よろしくあるよ」

「こ、言葉のクセが凄いな。なんだか変わった服装をしているし……」


 シンバルの音と共に現れたミンミンと名乗るエルフは、口の端に細長い髭を生やし、背中に四〇〇〇と書かれた見慣れない服装に身を包んだ、少し小太りのエルフだった。

 彼はアルフヘイムから派遣された技術者で、ラヌビアの魔術回路を修繕するため、たまたまこの国を訪れていたらしい。カノンが彼を俺に紹介したのは、彼の所持する魔術回路が理由のようだった。


「――幻体遊離装置?」

「この装置を使えば、特殊な幻体を作り出すことができるらしいのです」

「特殊な幻体?」

「はい。幻体に意識をトレースできるのです。謂わば、幻体を使った幽体離脱です」

「なっ!?」


 その瞬間、俺はカノンがミンミンを紹介してくれた意図が分かった。


「いいですよ、カリューさん。この装置を使った幻体でなら、エタリナに戻ることを許可します。但し、本当ならあまりお勧めはできません。あれから既にひと月ほど経ってますが、シンラの状況は目にするまでもなく、想像がつきますから……」

「それは俺も分かっている。だが、長として、俺にはそれを見届ける責任がある。そして、そこにまだ救える命があるのなら、俺は手を差し伸べなくてはならない」


 俺の決意が変わらないことを知り、カノンはミンミンに視線を向ける。

 ミンミンは俺に木を背にして座るよう促し、頭に魔術回路を被せた。

 そして、そのまま回路を作動させる。その瞬間、俺の全身を電流が駆け抜けていた。

 いや、かなりの衝撃に、俺はたまらず呻き声を漏らしていた。


「うぐっ、ぐわあああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」

「あ、ちなみにかなり衝撃あるから、注意するよろし」

「って、遅いわ!」


 俺に変わってカノンが突っ込みを入れる。痛みのあまり、俺に言葉を返す余裕などなかったからだ。

 しばし苦痛に耐えきり、ようやく解放された俺は、目の前の光景に思わず声を漏らした。そこには木に寄りかかり、気を失っている俺の姿があった。


「お、俺が……」

「あ、カリューさん。成功したようですね。しかも、話ができるとはけっこう高性能な幻体ですね」


 俺は自分の両手を目の前で広げてみる。実体とは違う、少しぼんやりとしたものだったが、自由に動かすことができる別の体を俺は纏っていた。


「視覚と聴覚は、ほぼ完全。でも触覚はちょとしかないあるよ。その代わり壁とかも全部すり抜けられて、移動も速い。痛覚ほぼないけろ、無敵ではない。マジックイレイスで消される心配はないあるが、幻体に直接ダメージ与える者いる。それで壊されたら、後遺症で2~3日動けなくなるから気をつけるあるよ」

「カリューさん、聞きましたか? くれぐれも無茶をしたらダメですよ! それと、壁をすり抜けられるからって、変なことをしたら好感度が下がりますよ!」


 カノンの言葉に俺は思わず苦笑を漏らす。


「ハハッ。バカを言うな。俺がそんなこと――」


 そこまで話して、俺は背中に走った悪寒に思わず振り返る。背後から俺に、突き刺すような視線を浴びせていたミンミンは、なぜかとても怖い顔をしていた。


「あなたの視認情報、これで確認可能」


 ミンミンが手にしたクリスタルボードには、俺の目に映った情景が同じように映し出されていた。


「もし、あなたがエロティックなことをした場合、つぶさにこれで確認てきるあるよ。そして、その時は……さっきの50倍の衝撃、覚悟するよろし。死ぬ前に衝撃止まるかは、過失度合によるあるよ。ケケケケッ……」

「あ、ああ……了解した。そんなことは万にひとつもないから安心してくれ。ハハッ……」


 そう言って笑いかけても、ミンミンの表情が緩むことはなかった。

 この装置はおそらくミンミンの発明なのだろう。それが悪用されることに対して、かなりの嫌悪感を持っているようだ。

 気をつけよう。俺にその気はなくても、意図せずそうなってしまう可能性はある。俺は自分の行動に細心の注意を払うことを心に誓った。

 ただ、カノンは俺以上に顔を引きつらせていた。壁をすり抜けられるという効果を知った途端「カリューさんの次に私も試しますから、できるだけ早く帰ってきてくださいね!」と言っていた表情に、少し邪なものを感じていたが、どうやら図星だったらしい。

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