第2話

 マンションを出て、駅へと向かう。

 今年の残暑はやや厳しいとの報道だが、それでも9月の朝は、真の真夏の真っ盛りより、心なしか日差しも柔らかい。

 短い商店街を抜け、駅が視界に入ったところで、後ろから、なんの躊躇もなく、葵の背中に突っ込んでくる気配があった。


「スターダスト!ミラクルギャラクシーアターック!!」


 頭一つ分高いところから響く声とともに振り下ろされる手刀を、すれすれでかわし、自分の肩に沿わせて受け流す。


「なんなんだよ・・朝からそのテンション」

 はなから誰の仕業か分かっている呈で、葵はぼやいた。


「おお、アオちゃん、朝からキレッキレダネ!」

 手刀をかわされ、勢いあまって二三歩つんのめりながら、180cmを越える巨体が、おかしな決めポーズでニヤッと笑う。

 葵とは、着ている制服は葵と同じだが、違うデザインに見えてしまうくらいの体格差だ。


「いやいやいや、ほらね?今サンシャインちゃん、敵に拉致られちゃってるじゃないですか。だからって、スターダストとムーンライトがメインのエピソードがなんと2話連続っていうのは俺得過ぎるなと」


 だからなんだ。


 というより、撮りだめした美少女戦士アニメの鑑賞会で夜更かしをした翌朝は、必ずその推しキャラの必殺技を葵の背中に本気でキメてみようとするのは、もうそろそろやめてもらいたかった。高校生だし。

 そんな、マイペースで、ムダにイケメン&高身長な2次元少女オタクが新田薫であった。


「だから、僕は、その手の話、興味ないし」

 朝からいわれのない疲労感を背負う理不尽に苛つきながらも葵はまともに応える。


「冷てぇなぁ。俺がこの手の話で一緒に盛り上がれるのはアオだけなのに。心の友よ。」

 ジャイアンか。ていうか誰も一緒には盛り上がってはいない。



 ――――だが、今朝はコイツがそれほど、ウザくない・・ような?・・これは一体・・?


 そんな葵に、遠慮なく肩に腕が回される。頭一つ分の対格差から、絵的には本当にジャイアンとノビタだ。


「つうかぁ、なんでぇ、一人で先に行っちゃうんだよぉ。アオの母ちゃんもぉ、カオルちゃんと一緒にいけばいいのにぃ〜、って言ってたぜぇ?」


 ――――いや、大丈夫。やっぱ今朝も十分ウゼエわ。


「だってどうせ同じ電車になるんだからさ」

 葵はもうため息を隠そうともせずに言った。

「わざわざ6階まで誘いに行くの、ダルいだろ。小学生じゃあるまいし」



**


 2人は同じマンションの4階と6階に住む幼なじみだ。

 2人が6才のタイミングで、両家に妹が産まれたものだから、親同士もとても仲の良いママ友になり、しょっちゅうお互いの家を行き来してきた。


 当然、小学校と中学校は毎朝一緒に通ったが、上から迎えに降りてくるはずの薫を、いつの間にか葵が下から迎えに上がらなければならなくなり、漫画みたいに朝飯をムグムグしながら靴を履く薫を、エレベーターをおさえて待ってやったものだ。


 そんな世話の焼ける幼なじみが、いつしか自分の背を追い越し、今や身長差も10cmを越えようとしている。

 しかもすっかり女子好みの犬顔イケメンに育ち、中学3年間で10人の女子に告られ、その全てをOKし、弱冠15歳にしてついた異名が「10人切り」だ。


 もっとも薫に告白した女子たちは、もれなく3ヶ月以内に彼をすっぱりとフっているため、聞きかじり中学生たちがつけたその異名の真の意味は「10人の女子が切った男」が本当である。


 小学校の卒業式で、初めて告白なるものをされてる薫を見た時は、ヘーすごい、ドラマみたい、と素直に感嘆していた、そっち方面には幼過ぎる葵だったが、中学でこの変人が8人目に告られたあたりから、めでたく思春期らしい鬱屈した感情も芽生えてきた。

 以来、この犬コロのように自分を慕う幼なじみを、何くれとなく邪険にしている。



**


 改札が近づき、葵がICカードを出すため鞄に手を突っ込んでごそごそやっていると、薫がなおもベタついてくる。


「ていうか、アオ、今日って英語の課題、全学年が提出日って知ってた?」

「知ってた。しかもやってきた。けど、見せないよ」

「・・なんで俺の言いたい事、すぐわかっちゃうの?おまえまさか・・」

「ねえし。つか売店おごれし。」


「おっはよー!葵ちゃん!」


 そこへ、またもハイテンションな、こんどは長身女子が現れた。


「おはよ。つか、フクちゃん、声デカイ!」


 福田美咲は170cmの長身を誇るバレー部期待のアタッカーだ。身長差のあまりない葵は耳元で叫ばれ、耳を抑えた。

 福田はわるいわるいと葵の肩をばしばし叩いた。オヤジ臭い所作とは裏腹なナイスバディは、殺人サーブを繰り出すと言われるそれで、葵の肩骨が悲鳴を上げる。

 そんなことはおかまいなしに、福田は葵の隣の10cm上を見上げる。


「つか、アラタよ、高校ではアオイちゃんにイチャつくの、ホント大概にしてやれっつってんべ?」

 中学からの友だちは、新田薫の苗字を読み替えて「アラタ」と呼ぶ。

「君ら、あれよ。中学んとき、オタ部の女子たちにBL本だされてたって、もっぱらのウワサよ?」

「・・マジですか。」


 小学生のころから、女みたい、とからかわれることは多々あった。そのたび葵の心に湧くのは、怒りよりも、なんで?という疑問だった。


 一重だし、天パだし、メガネだし。女子への興味も人並みにあるのに。

 名前のせい・・?だったら、こいつなんか薫だし・・


 女子もうらやむ、なめらかな肌や長い首、整えたような眉ときれいにそろった長めの睫毛——そういった、細かいディティールが織りなす何かを、小学生の男子に表現させれば「オンナみてえ」がせいぜいだろう。


 そして、今、思春期真っ盛りにも関わらず、残念なほど自分の見た目に無頓着なのが、片瀬葵(16)だった。


「とりあえず、髪切るか。そろそろ、あたしより長いんじゃね?」


 福田が自分のショートボブのサラサラヘアを一筋指でつまむ。

 妹の弥生に「耳かきの後ろについてるやつヘア」と称され、それが母親に窒息するほどウケていたことを思い出すと、この頭はなんとかしないといけないのかもしれない、と葵も思う。だが・・


「うーん・・・なんか、美容院て苦手なんだよな・・・」


 天然パーマで猫っ毛でややコミュ障気味の男子にとって、美容院はストレス院だ。

 福田のように、髪質も素直な上に社交家で、入学したとたん先輩彼氏が出来てるリア充には分かるまい。

 自身の見た目には無頓着だが、彼女なし暦=年齢男子らしく、とりあえずリア充を憎む葵であった。


「いいじゃん、このふわふわ、癒しじゃね。タンポポ的な?」

 言ってるそばからアラタが葵の髪をいじって、福田に、だからそれヤめれ、と手を叩かれる。


 ホームに滑り込んだ急行列車の起こす風が、サラサラ、ふわふわ、つくつくの、三人の髪を、等しくまきあげていった。


「やべえ!アオの髪が飛ぶ!」

「飛ぶか!」


 そんなわさわさしたやり取りに紛れ、目覚めからしつこくつきまとっていた違和感も、いつしか葵の頭の外に追いやられていた。



***


 教室につくと、同じ3組の那智健太郎が葵の席によってくる。

「おう、なんだまた、ゾロゾロ連れて」


 4組のアラタと福田も、なぜか自分の教室に直行しない。葵の机がなんとなくたまり場になる。

 アオにワーク貸してもらうの♡とアラタ。私は葵ちゃんとの時間を大事にしてんの♡と福田。

 なんだよ、おまえら気持ちわりい。もう、3人で付き合っちゃえよ、と那智が細い目を更に訝しげに細める。

 ・・・勘弁してくれよ・・と、葵がなんとなく切実に返す。


「はぁ・・ほんと、高校生活には、フツウに期待してるんで。ほんと、お願いします・・」鞄の中のワークブックを探しながら、誰ともなしにぼやく。


「ばかだな、俺がついてんじゃねえか」那智が笑顔で、ガッと肩を組んでくる。

「とりあえず、散髪行ってこい。話しはそれからだ」

 どいつもこいつも髪、髪、って。そこかよ。そんな単純な話なのかよ。


「ていうか、福田と付き合えばいいじゃん。こんだけ追っかけられてるんだから」

「えー。付き合ったら、もう追っかけられないじゃん。つか大きなお世話だ、那智のくせに」と福田。

「俺がノビタかよ。つか、よくわかんねえなぁ」と那智が口を尖らす。

「フクはあれだから。アオフェチ。ストーカーとか、そういう、変態系だから」と薫

「お前に超絶言われたくねえわ。このド変態オタク」と福田

「つか福田、彼氏出来たんだろ?ここはリア充の来るとこじゃねえぞ。」

 全くである。ありがとう健太郎。とは葵の心の声。

「それはそれ、これはこれ。女子には別腹という臓器があんだよ。」

 何だそりゃ。僕はスイーツか。ていうか誰も全く女子って口調じゃない。


 葵は、鞄から英語の課題を取り出すと、薫に渡してやった。

 薫がうやうやしく受取ったワークブックは、しかし、背後から何者かにさっと奪われた。

 さすがにムッとした薫が振り向くと、5組の高橋早苗が「ああん?」みたいな顔をして立っていた。

 薫は、とりあえず表情で、不満の表明こそしてみたものの、数秒で制圧されていた。自分より30cmは小柄で、アイドルみたいな顔した女の子に。

 ド変態オタクの上に、ヘタレである。


 しかしながら高橋早苗は、入学して3日目に薫に告白し、その5日後に彼をフッたという伝説の猛者だ。どうやら彼女にとって薫は「手に取ってみたら彼氏より子分の方がしっくりきた」という感じらしい。


 はあ・・。なんだか、こんな薫と早苗のイジメの現場的なやり取りにすら、ハイハイ別れても仲良くてようございますね、と嫌みの一つも言いたくなる。そんな自分のささくれた気持ちに気付き、葵から本日何度目かのため息が漏れた。


 そこに、4組の女子が「あ、新田君もうすぐ始業だよー。今日当番でしょ」

なんて、ちょっとはにかんだ笑顔で声をかけていく。

「お、そうだった。サンキューな。」と、やたら爽やかな笑顔で応対する魔法少女オタク。しかもド変態のくせに・・。

 って待て・・薫はリア充じゃないぞ。敵じゃない!などと、葵が自分を諌めていると


「なんか、とりあえずあれだな、新田むかつくな。」

 と、絶妙なタイミングで、本日二度目のグッジョブ、ナッチ!なコメントが降ってきた。

「は?なんでだよ」

「お前は女が口きいてるだけで、俺たちはイラッとくるんだよ。」

「はあ?無茶言うなし!」

「つか、お前はこのくらいの理不尽慣れろし!」


「あ、大丈夫。こいつリア充じゃないから。」と葵が冷たく言い放つ「今も、そしてこれからも。」


「わあ、つめたい・・・なんだよ、アオ、生理?」


「・・・マジで、殺すか?・・・」黒いオーラをまとった葵から殺気がわき上がる。


「葵ちゃん、怖っ!」福田がむしろ嬉しそうに言う。

「でもステキ!殺っちゃって下さい♡」

「やべ!葵ちゃん、それよ!その顔よ!その格闘家面で落とせば女落ちる!」

 那智が外人コーチ風に両手の親指を立てる。

 その後ろに隠れて、うんうん、男前!と薫が頷く。


「・・え、マジで?」


 そんな自分を思わずガラスに映して確認しようとする葵に、・・カ、カワイ・・と福田美咲が密かに悶絶する。


 ――あ、そういえば。

 葵は思い出した。夢で、視界一杯に広がる、少年の泣き顔。顔立ちは、自分と似てるけど、もっと凛々しい感じの。


 で、その瞳に映っていた少女の顔。繊細で端正な・・・あれ、ていうか、あの目線だと、あの女の子が、僕ってこと・・か?―――


 始業のチャイムで、薫と福田がやっと自分の教室へ赴く。

 ほんと、葵ちゃんとおかしな仲間たちだよな、と那智がつぶやき、葵の席の斜め後ろに座る。


 那智健太郎は、葵の高校での友達第一号だ。弱冠暑苦しい性格だが、いい奴だ。

 小学校の頃からリトルリーグでならした野球少年だが、”進学校の弱小野球部を華麗にひっぱって、やる気ない部員たちに甲子園の夢を見せる”というやたら演出過多な夢を引っさげて入部したものの、文武両道を重んじる渚高校の野球部は意外に弱くなく、部を引っ張るどころかレギュラーの座も危ぶまれる気配に焦っている。

 そんな残念な性格にも、むしろ葵は安心感を覚えた。


「つうかさ、福田も高橋も、黙ってりゃレベル高いわけよ。でも中身があれじゃん。オッサンじゃん。しかもヤクザ系。あれな、あれがいわゆる残念女子な。ルックスだけじゃなくて、総合的女子力の高さだと、ランク外な。すると俺のオススメは4組の・・・」

 ナチケンの1日は、女子を語って始まり、終わる。

 彼も中身は大概オッサンな、残念男子高生である。


 那智は、葵にはめずらしく、福田や薫が絡まずできた友だちだ。

 ほんのり人見知りで、ややコミュ障の葵の交友関係は広いとは言えない。

 だが意外に「友だち」は多い。しかし、その殆どは社交家の福田の繋がり――つまり「女子友」なのである。


「それは片瀬よ、めっっちゃくっっちゃ美味しいじゃねえかよ!」と那智は露骨にうらやましがった。


 しかしながら、彼女らと葵の間に成立するのは、いつも哀しいくらい真摯な友情であった。

 彼女達との話題は、だいたいが男子視点での恋愛相談で、目当ては7割が葵が知りもしない男子で、3割が薫だった。

 ――最初は恋愛相談の相手だったのに、気がついたら、好きになってた――

 少女漫画では割とあるパターンらしいが、なぜか葵に適用されたことは一度もない。そして、結局、ヒロインの告白を応援する友人A/B的な役回りをするハメになる。


 そんな中学生活も、その時はそれなりに楽しかった。

 たとえ別の男子との恋愛相談であろうが、友人の真剣な悩みには変わりない。なんとか解決してやりたいと、葵は思う。


 相手の想いや感じ方に、葵は敏感だった。小さな頃から、呼吸をするように、相手の心中を汲み取って行動することができた。


 しかしながら現在男子16歳にして弱冠遅めの思春期ど真ん中。漠然とした報われない感も、いいかげん深刻なものになってきた。やはり、高校生活で出会う女子とは、もうちょっと違った展開を期待したい。


 つまり、彼女が欲しい。


 そして、那智健太郎はいつのまにか、そんな葵の恋愛戦略室参謀のポストに収まっていた。


「ともかくさ、片瀬は女子のネットワークを使えるって利点があるだろ。これだけで、すでにかなり有利な立ち位置にいるといえるんだよ。」

 ――福田は女子にも人気あるし、協力してもらえよ。4組の林田とか鈴木とか、福田ほどじゃないけど胸もあるし、そこそこ可愛いし、趣味がお菓子作りとか、女子力高いし。ランク高くね?放課後に話すチャンスを演出してもらってよ――と目を輝かせて熱心に戦略を練る。

 この熱意と情報処理能力を勉学につぎ込めれば、学年一位も夢ではないだろう。


 葵をダシに、半分、いや7割くらいは本人が楽しんでいるのだろうが、自分の為にあれこれ考えてくれる那智を、葵は素直にありがたいと思う。


「健太郎、ありがとな・・・お前、なんだかんだいい奴だよな」

 まあ、4組の林田も鈴木も、最近カオの周りを意味ありげにウロチョロしてるから、あと数週間以内にヤツに告るんだろうけど。


「なにを今更。あ、抱かれてもいいとか、そうゆうの、やめてね?」

「・・・・死ぬか?・・・」

「いいわよ!葵ちゃん!それよ、その格闘家オーラに女子はグッとくるのよ!」


 気がつけば、先生が引きつった顔で2人を見下ろしていた。

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