僕らは夜と昼の間に

@friendlybird

Good morning, world.

第1話

 蒸し暑さに、思わずむせ返る。


「・・どうやらこのあたり・・よっぽど『合わない』奴らばっか・・みたいだな・・」


 目の前を歩く少年が、息を荒くしながら呟いた。

 鋭い目つきとウェーブかかった短い黒髪。その精悍な横顔に沿って、吹き出した汗が流れて顎から滴り落ちた。


 背丈を超える草と大岩が視界を狭め、その閉塞感に息苦しさが倍増する。

 延々と続く湿地帯。そこを歩く自身の足そのものが、泥と化したかのように重い。

 草をなぎ払う為に拾った棒切れは、いつしか歩みを支える杖と化していた。


 少年が、気づかうように振り返る。

 おぼつかない足取りで後ろを歩いていた少女は、疲労で目眩をおこしながらも、なんとか頭をあげて彼と目を合わせた。

 そして、微かな笑顔と「・・・大丈夫」の一言をひねり出す。


 ・・・暑い・・・


 べたべたとまとわりつく湿気と、猛烈な熱気。そして形容し難い臭気に追い立てられるように、立ち止まる事もままならぬまま、もうどれだけ歩き続けただろう。


 ・・ああ・・今回は、あと何時間?何日? ・・いつまで耐えれば、『目覚める』事が出来るんだろう・・


 「こっち、おいで」

 少年が少女の手を引いて、自分のそばに引き寄せる。わずかに暑さが和らぎ、呼吸が楽になった。


 「少し、休もう」

 彼らはお互いが身にまとう、わずかな空気を分かち合うかのように、身を寄せ合って立ち止まった。


 「・・・あ、こっち」少女が右に顔を向け、指をさす。「こっち、かも・・」


 少年が、少女の指差す方向に顔を寄せ、目を閉じる。ほんのかすかに流れてくる、清涼な空気。


 「うん、たぶん」

 少年が頷いて、少女の手を取った。


 2人はずっと、お互いだけを支えにしてここまで来た。ただ「快適な空気」を求めて、彷徨う日々を。





「・・あぁ、君たちのせいかぁ・・」


 突然背後から、苛立ちを押し殺して愉快そうに繕った声がした。


 大岩の影の一つから、全身黒尽くめの男が現れた。この暑さの中、全身を覆うボディスーツのような、毛足の長いニットの衣類をまとっている。


「困るんだよねぇ・・」


 サディスティックな嗤いを浮かべながら、男はさも迷惑そうな口調で言った。モワリと流れてくる、蒸し暑い空気と濃厚な臭気に、少年と少女は思わず顔をしかめる。


 よく見ると、男は黒衣を身につけているわけではなかった。

 なにか、黒いモヤの様な物を、全身にびっしりと、纏わりつかせているのだ。


 それが、小さな小さな、痩せた人影の集まりであるのに気付いて、少女は思わず口を抑えた。


「君らみたいのにウロウロされるとねえ、クッソ寒い空気が流れてきて、適わないんだよぉ。」

 大仰に、困った様な表情を作ってみせる。

「わかるゥ?迷惑なんだよ。せっかく俺たちが作り出した、あったかい快適空間をよぉ・・・」


「わかった。すぐに、ここから離れる。どっちに行けばいい?」


 額から吹きだし、滝のように頬をつたっていく汗も拭わず、少年は緊張した口調で返した。少女を自分の後ろに押しやる。


「なんだよ、リア充かよ!ウゼえな!――あぁつうか、ここは、リアルじゃないんだったか?」

 ひぃひぃと笑い出したこの男の目的は、自分たちを早々に追い払うこと―――ではないと、2人は気付き始めた。


「どっちに、立ち去れば、いい・・?」

 それでも少年が再度口をひらいた時。


 男はどこか焦点の合わない目をカッと見開き、口角をつり上げた異様な笑顔で


「どっちに行けば、いいのかなァ――。

 ・・・いっそどこにも、行かせないってのは?どうだ?」


 男が後ろ手になにかを握り直す気配がした。


「もう二度と、鉢合わせたくねえからなあ!!くっそウゼェ!!消えてもらうのが、一番いいだろ?!」


 言い終わるまえに、男が後ろに隠し持った、太いベルトのような凶器を、ムチのようにふるった。

 あの黒いモヤの様なものがまとわりついたそれは、驚くほどの距離を瞬時に切り裂いて、少年を襲う。


 後ろに飛び退った少年は、さっきまで杖代わりにしていた棒切れを、見えない弓につがえて放った。節も残る太い枝が、まるで鋭い矢のように、シャッ細い音まで出して男の頬を掠める。その頬に血が滲んだ。


「・・・なに・・・しやがる・・・」


 黒い湯気が立ち上るように、男にまとわりついた小さな黒鬼たちが、ざわざわと蠢いた。


 そのとき、少女は気付いた。

 少年の斜め後方、この黒い男と同じ様なモヤを纏った男が、その手に持った長い槍のような武器を大きく振りかぶるのを。


 その瞬間


「あ・・うっ・・・」


 弾かれたように後ろに飛ばされた少女が少年の体にぶつかって跳ね返り、水しぶきを上げて彼の足元に崩れ落ちた。

 そのスローモーションのような動きを呆然と目で追いながら、視界の隅に、武器を構え、仰向けに倒れて行く男を認め、少年は理解した。


 少女が彼の背後を狙う、男の存在に気付くと同時に、彼と敵との間に飛び込んで、男をしとめたこと。


 ―――そして、それが、相打ちとなったこと。


 むしろ少女の方が、自分の身になにが起こったのか、把握しきれずにいた。


 ——あれ・・おかしいな・・絶対間に合うはずだったのに・・


 奪われて行く思考を必死に駆使して考える。しかし、それはどんどん、とりとめのないものになっていく。


 ——・・にしても、こっちの世界の空って、不思議な色をしてるよなぁ・・・


 するといきなり、視界いっぱいの少年の顔が、黄緑色の空を遮った。あーあ。なんて顔してるの。

 半開きの口はわなわなと震え、きれいな切れ長の目からはぼたぼたと、止めどなく涙が零れ、それが少女の顔にぱたぱたと落ちてくる。


 ―――きれい。星屑だ。――――


「ア・・アイッ・・アオイッ・・ごめっ・・しっかり・・て・・!」


 あなたこそ、しっかりして。私は大丈夫。だって

「・・ミツ・・わたし」やっと、やっとだ。


「ごめんね・・わたし・・さきに・・」

 口からゴボリと生暖かいものが溢れ、言葉が詰まった。


 神様・・・いつもお願いしてたのに。

 私が先は、嫌です。ミツを置いて行くのは嫌です。どうか・・

 ・・・・どうか、ミツルも早く、目覚めさせてあげてください――――。



 びくん―――!という、体が跳ね上がるような鋭い落下感。


 それに伴い、少女はこと切れた。




******




 びくん!という、体が跳ね上がるような感覚と共に、葵は目を覚ました。


(・・・・夢、か・・・?)


 目覚めて、最初に感じたのは、汗でぐっしょりと湿った肌着の不快感だった。

 心臓がまだ、バクバクと音を立てている。まるで全力で走ってきたみたいに、息が粗い。握りしめた手にはツメの後がある。思わず自分の肩を抱いた。


 外は快晴。窓から差し込む日の光にも勢いがある。

 葵は、ベッドの上にゆっくりと起き上がると、まだ荒い呼吸を落ち着けながら、自分の部屋を眺めた。

 本棚と、ベッド。遮光の方のカーテンを閉め忘れたので、既に部屋は光に満ちていた。


 僕の部屋だ・・よな。と当たり前のことを心で呟いてみる。

 そろそろとベッドから出ようとするとき、部屋のドアが勢い良く開けられた。


「起きてる!?起きてるなら、早く洗面所使っちゃって!5分でね!あ、でも今日こそはその髪、なんとかして行きなよね?」


 妹の弥生が、言うだけ言って、またバタンとドアを閉める。

 はい。・・つうか・・お兄ちゃん、おはよう♡・・とかは?


 足下が浮つくような不思議な感覚が抜けないまま、洗面台に向かう。

 たっぷりの水で、ばしゃばしゃと顔を洗い、清潔なタオルでわしわしと拭く。

 そして鏡の前の自分の顔をしげしげと眺めた。切れ長一重瞼の、眠そうな顔。いつもより心なし腫れぼったいような。


 僕の顔だ・・よな。と当たり前のことを再び確認する。

 薄れても消えない、漠然とした違和感に、思わず自身の頬を触る。

 ただの夢見の悪さで済ませるには、あまりにリアルな感覚が、まだ残っていた。


 ——あの、泣いてたの、僕・・だった?


 身を焦がすような、猛烈に哀しくて切ない気持ち・・葵が未だ、味わった事のないほど激しい・・その残痕が、まだ生々しく心に残っている。

 目の端が白くカサついているのは、おそらく、涙の跡だ。

 なんなんだ、これ・・?


「ねー、髪、セットしないんなら、どいてもらっていいですかー」

 小学生の妹にプレッシャーをかけられて、葵は素直にダイニングに移動した。


 おはよう!と朝の連ドラから目を離さずにパンケーキ4枚をひっくり返し、かつドアが開くと同時に挨拶を投げて寄越せるメカ的に器用な母。

 「おう!・・どうしたアオ、寝不足か?」と新聞ごしに葵の顔を見るなり、あわてて新聞をたたむ、友達親子を目指している割には過保護過ぎる父。


 僕の父さんと母さん・・だ・・。

 なぜか、葵は鼻の奥につんとくる感覚を覚えてあわてた。


「目、真っ赤だぞ?おい」

「やだ、あんた、まだベッドにスマホ持ち込んでるんじゃないでしょうね?」

やはり連ドラから目を離す事なく火の元を扱う母親が、息子の就寝時のスマホ使用を責められるのか。


「持ってってないよ。ていうか、そこで充電してるし」


 涙腺への言われなき刺激に慌てて、少しぶっきらぼうに返答した。


「なんだ・・父さんでよければ、話し聞くぞ」


 父親の前のめりは、概して息子の口を重くさせる。


「・・別に、なんでもないよ・・」


 それよりも、何かが焼けるいいにおいがする。葵は、胃が締め付けられるような猛烈な空腹感を感じていた。


「葵は朝ご飯、今日こそはちゃんと食べてってよ。パパは玉子、両面焼きね」

 器用な母が、目は連ドラを追いつつ、口は会話しつつ、手は目玉焼きを皿に移すと、朝食の皿を食卓に置いた。

「はい、これアオの分。残さないのよ。こっちパパね」


 やっば・・・!・・・美味そ・・っ・・!!


 いただきま・・と父が言い終わるか終わらないかのうちに、葵は朝食の皿に飛びつくようにして、ベーコンエッグとパンケーキを貪り、あっというまに平らげた。

 

 食が細いはずの息子のその勢いに、父の目は見開かれ、母の目も、ついにドラマから離れた。

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