第3話

 眠い・・中藤先生の日本史の授業はCDに落として売れば、不眠症の人達の間でベストセラーになると思う。

 あーあ・・・昨夜はなんか、寝た気がしないな・・・


 授業の退屈さから逃れようとする葵の思考はいつしか、昨夜の夢のことに及んでいた。

 半日たった今も、まだはっきりと思い出せる。あの生々しい感覚こそ時間に薄められたものの、見聞きした場面は、かなりの臨場感を伴って脳裏に再生できた。

 目覚める直前の、おそらく”自分が死んだ”のであろうシーンを思い出して、思わず自分の肩を抱く。


 夢の中では、3日も過ごしたろうか。恐ろしく長い夢だった。


 あの少年と、おそらく葵であろう少女は、お互いを守りながら旅をしていた。

 ―――でも、あの男の方が、なんか僕に似てるんだよな・・・ちょっと、雰囲気違うけど―――


 彼らは、なんの目的がある訳でもなく、ともかく息つける場所を求めて、彷徨っていた。


 蒸し暑い、熱帯雨林みたいな気候の中をひたすらに、絆の深そうなあの少年と、少女の姿の葵は、もう時間の感覚を忘れるほど長い間、ふらつきながらも寄り添い、支え合い、歩き続けていた。

 蘇るずっしりとした疲労感。なにかに取り付かれたように、狂気の形相で襲いかかってきた、黒い男達。


 反撃する少年の背後に敵を見つけた自分は、なにかに弾かれるように崩れ落ち・・


 痛みを感じる間も無く薄れて行く意識のなかで、自分を覗き込んだ少年が降らす涙の雨を、美しい、と思っていた。


 ――――泣かないで、泣かないで、ミツ・・泣かないで――――

 彼が自分を泣きながら呼ぶ、胸の張り裂けるよう声が、だんだんと遠くなっていく。


 ああ、神様・・・あんなにお願いしたのに・・・



 「おい、売店いくだろ?」


 ウトウトしてる間に、授業が終わってしまったらしい。薫の声でハッとなる。


 「ご苦労だな、新田よ。チャイムと同時に登場って、どんだけ片瀬のこと好きなんだよ、お前」

 「那智よ、俺のアオに手を出したら、タダじゃおかねえぞ?」

 月に変わってオシオキよ!とでかい図体で気持ちの悪いポーズをとる。変態である。変態なのに――


「新田くん、売店行くの?今日、当番でしょ?昼当番、私が代わりにやっとこうか?」

 4組の林田由佳里が、さも偶然教室の前を通りかかりました、という呈で、声をかけてきた。

 あ、そうだー。おれ当番じゃんー。・・ってさっきも言われてただろ。アホだ。変態の上にアホなのに――


「サンキュー林田。悪いな。助かる」

 軽く手をあげて、薫が笑顔を向けると、林田の顔にさっと赤味が差した。

 ――さわやか過ぎるアホな変態は、今日も罪深い。




*** そのころ、福ちゃんは ***


 「あの子、新田君とは別れたんでしょ?なのに、今朝とかも、3組までからみに行ってたよ。超目障りなんですけど」

 「うーん・・なんか誰でもいいって感じだよね。噂だけど・・朝場町のホテル街で、夜ウロウロしてるらしいよ・・援交とか、してるんじゃないか・・って。」

「まーじで!?ていうか、めっちゃやってそー!それで新田君に告白とか、最低じゃない?病気とかうつったら、どうすんのよねえ」


 ええと、これって多分あの人の話題ですよね?今朝もアラタを制圧していた・・。

 話してるのは・・4組の女子、か・・?まあ、なんにせよ、聞いてらんないディスりっぷりだな。よし!ここは一はだ脱いでやるか・・とパンツをあげるのももどかしく、個室を出ようとした福田美咲より早く、2人の会話に割って入る声が聞こえた。


「あのさ」

 高橋早苗。本人登場。

「あの界隈で援交やろうなんて、よっぽど頭が悪いか、ブスでないと、思いつかないだろ」


 2人の間にずかずかと割って入り、水道で手を洗う。まるで小テストの傾向でも話すような淡々とした口調だった。


「電車で40分も行けば、立派な都会と繁華街があるわけじゃん?顔も割れないし、相場も高い。誰が好き好んで、先生だって使うかもしれないラブホ街で、援交の相手探して歩くんだよ。」


 そしてその手をハンカチで拭かず、びしょびしょの指を丸めて、相手の顔面に向ける。


「チョッ・・!」反射的に顔をそむけ、目をつぶる女子2人。


 相手の気勢を削ぎ、ニヤリと笑うと、バーカ、と可笑しそうに、アイドルみたいに可愛らしい笑顔を浮かべる。そしてゆうゆうとハンカチを出して手を拭きながら立ち去る早苗を、個室のドアの間から見送り、福田は思わず、長いため息を吐いた。

 すごい威圧感と緊張感に、しばし動けなかった。


「あれにかかっちゃ・・アラタなんか・・赤ちゃんビスケットだな・・」


****



 売店からの帰り、葵と高橋、彼らにパンとジュースとコーヒーゼリーをおごらされたアラタ、そして那智の4人は、渡り廊下横の「イートインコーナー」と彼らが名付けた短い階段にならんで腰掛け、昼飯を広げていた。


 そこに弁当袋を提げた福田が、三つ編み眼鏡の女子と2人でやってきた。

「はい、どいたどいたー」

 那智とアラタの足をとんとん叩いてどかせると

「委員長、どうぞ」とにこやかに眼鏡女子を促す。

「福ちゃん、それじゃなんか私、ヤクザの親分だよ?」

 委員長と呼ばれた眼鏡女子は、困った様な笑顔で、ごめんねー、と那智やアラタの下の段に腰を下ろす。


「委員長、今日も弁当手作り?」と那智

「そう。食べる?」と委員長

「マジで!いいんっすか?」と那智がはしゃぐ

「ダメに決まってんだろ!」と福田が鋭く制する

「いやー、もう女子力の差著しいよなー」と那智

「あたしのも、手作りだけど?」と高橋

「ですよね!早苗さん、さすがっす!つか、マジですげえ豪華!」

 那智は本能で強者を嗅ぎ分け、そつなく対応する。

 白い目で那智を見つめる早苗と福田。そこに委員長こと小田美鈴が、クスクス笑いながら、場の話題をひっくり返す爆弾を落とした。


「そういえば、今日は転校生が来るはずだったんだよね」


 とたんに、蜂の巣をつついたように騒ぎ出す5人。


「ええーーーっ!!」

「マジで?」

「はずって?来るの?来ないの?」

「委員長なんで知ってるのー?すごー」

「女?女?かわいい?」


 各々が、とっさに様々な声を上げる。人差し指を口元にあてて、しーっ!しーーっ!と慌てる委員長。


「私も、ちらっとね。職員室で、前フリを聞いただけで」


 担任にお世話を頼まれたらしい。で、わくわくしてたら、今日は欠席だったという。


「と、それだけ。あとは個人情報保護の観点からヒミツでー」

「ええええーーー!!ありえなーーーー!!」

「女?女?それだけ教えて、それだけ」

「だまれよ、この性犯罪者予備軍」

「なんだよ、福田!おめえは気になんないのかよ!すげえイケメンだったらどうすんだよ!」


「・・・・・男?女?」と福田と高橋が同時に聞くと、顔を見合わせ赤面した。


 くすくす可笑しそうに笑っていた委員長だったが、指を可愛らしく唇にあて


「ごめんっ!続きは明日のお楽しみで☆」


 大げさにがっくり来る健太郎と福田を見て委員長が、いや、体調不良とかじゃないらしいから、明日はきっと登校するって、とあわてて慰める。


「ほんとに、ほんとに女子か男子かは分からなかったの。名前はちらっと、見たんだけど。」


 でも・・・と、ちょっと考えて


「・・私の読みだと、おそらく我々と部活仲間になるんじゃないかな」

 葵を振り返り、いたずらっぽく笑う。

 どういうことだ?葵はきょとんとするしかなかった。


「・・というわけで、めっちゃ可愛い女子だったら、いろいろと」

よろしくな、と那智に結構な力で肩を叩かれた。

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