第11話

――Challenge to delusionがサッカー部から手を引いてからも、ファンクラブの勢いは衰えず、そしてサッカー部は入部者が殺到し、佐久間高校で最も人気のある部活へとなった。文字通りの死合いが終わって、すぐに夏休みが来た。

 夏休みに入る直前に僕達はまた公園でミーティングをした。

「夏休みは私たちも力を蓄えるために休んだほうがいいかもね」

 手団扇をしながら、アイスを食べつつ、ベンチにだらしなく座るツグミ。

 猛暑に比例するかのように蝉の鳴き声が激しい。

 ミーティグの場所を考えないといけないなと僕は思った。

「ところで、それ誰?」

 ツグミはそれのほうに指をさした。そこには厚底眼鏡をかけたボサボサで天然パーマの髪の毛が目立つ、電柱柱のような痩せぽっちの男がベンチに座って居た。ツグミに指をさされてビクッとするそれ。

 僕たちもみんなぎょっとして驚いた。いつの間に奴は存在していたんだ。

「しげちん。自己紹介しなさい」

 隣にいた維菜がまるで小動物でも扱うかのごとく、しげちんとやらの頭をポンポンとする。

「あ、あああの、ぼぼく、相川重信って言います。佐久間高校1年です」

「何の用だ。貧弱ヤロー」

 ワザと脅すように乱暴な口調でツグミは言い、相川にズカズカと近寄ってきた。

 相川はひぃっと小さく悲鳴をあげすいませんと消え入るような声で言った。

 ツグミはそれを見てご満悦な顔をしている。

「イジメては可哀想です」

 困り顔の伊集院。

「この子ね、あたしが放課後の帰り道に、路地裏から、もっと金持ってこいよてめーとか、根性焼きすっぞこらとか怖い声が聴こえてきたから恐る恐る覗いてみたの。すると同じ学校の3人の生徒が1人をよってたかって殴ったり蹴ったりしてて、私思わず何してるの!警察呼んだよ!って叫んだの。そしたら奴らは警察っていう言葉にびっくりして、スタコラーって逃げていったの。その殴られてたのがこの子」

 相川の頭を撫でる維菜。相川は項垂れて挙動不審でいるが、心なしが嬉しそうだ。

 羨ましい奴だ。お前は今佐久間高校のアイドルに頭を撫でられているのだ。それがどういうことか分かっているのか?と僕は相川を激しい妬みの心で睨みつける。

「それで、維菜はこのガキをどう調理したいわけ?」

 ツグミはワザと冷酷な声で言う。

 相川は調理という言葉に反応して、小さい声でえ?え?と言いながら泣き出しそうになる。

「ツグミー。しげちゃんイジメちゃだめー」

 ツグミは頬を膨らませて眉をひそめて怒った。

 僕はもっとやれと思った。

「しげちゃん、入学してからすぐに悪い奴らに目をつけられてイジメられだしたんだって。しげちゃんって凄い細いし、キョドってるし、弱々しそうでしょ?だから目を付けられちゃったんだね。だからあたし思ったの。もししげちゃんがこの夏休みの間にムキムキになって学校に戻ってきたらみんな目をまんまるにして驚くんじゃないかなって。それでもう手出し出来なくなるんじゃないかって」

 ツグミはおぉっと小さく感嘆の声をあげて言う。

「しかし、一ヶ月半でそんなムキムキになれるもんなの?村井分かる?」

 ツグミは村井の方に顔を向ける。

「はい。私の父は元ボディビルダーでジムを開設していますが、そのジムではスーパートレーニングというプログラムがあり、それでは3ヶ月の間に別人のごとく筋肉を肥大化させています。そのメニューをさらに凝縮し、一ヶ月半ジムにに住み込んでもらい、付きっきりで専属トレーナーが訓練をするなら、おそらく出来るでしょう」

 ムキムキ代表の村井は力コブを作って見せた。

「たけちん、なんとかそれしげちゃんにしてあげれない?」

 両手を合わせて涙目で懇願する維菜。

「維菜どのの頼みなら断れるわけないじゃないですか。それに、武術というのは本来、弱者のためにあるものです。元柔道家の私としてもやり甲斐のあることです。筋力トレーニングに加え、身を守るために格闘技もメニューに取り組みましょう」

 村井はたくましい腕を組み、厚い胸を張って言う。

「このガキ、ガリガリだけどそれなりに身長があるから、筋肉付けると見てくれも良くなるんじゃない?やい、貧弱ヤロー。身長と体重を教えろ」

 相川はツグミに完全に怯えている。

「し、し身長は173センチで、た、体重は、よ、46キロです……」

 枯れ枝のような手足に洗濯板のような胸の相川。病的な体だ。

「あんたもうイジメられたくない?」

 ツグミは相川の目を見つめながらそう言った。

「はははい、イジメられたくないです!」

 相川は目をキッと見開いて語気を強めた。

「じゃあ、夏休みの一ヶ月半、猛特訓する根性ある?」

 ツグミは相川の目を見つめながら言う。

「ぼぼぼ、ぼく、強くなりたいです!」

 相川はドモりながらも力強くそう言った。拳を握りしめ、肩は震えている。

「相川どの、過酷な訓練となるが、逃げ出さないと誓いますな?」

 ベンチに座っている相川に目線を合わせて村井は山岡の目を見つめながら言う。

「ぼ、僕、頑張るのでよろしくお願いします!」

 声を振り絞り、目を瞑る相川。

「では、よろしくお願いいたす。私は村井武志を申します。私も夏休みを返上して、相川どののために人肌脱ぎましょう」

 相川と村井は握手をし合った。握手をした時、相川はその村井の握力に痛みを覚え、ギャッと悲鳴を上げ、手をさすっていた。村井は、すまんすまんと頭を掻いていた。さぁ、この相川がどう変わり、そしてイジメっ子達がどんな反応をするのか今から楽しみだ。


――「ニノは明日からの夏休みどうすんの?」と放課後帰り支度をしている僕に問うてくる遠藤。

「何も考えていないなぁ。取り敢えず本を読むよ」

 僕はボンヤリと教室の窓辺から夕空を見つめる。

「あんまし引き篭もってると駄目だよ。どんどん根暗になるからね。たまには俺と遊ぼうよ。後、Challenge to delusionのみんなで何処か行ったりしようかと計画してるとこなんだ」

 僕も人並みの青春を送れそうだ。根暗な僕でも人並みの青春に興味が無いことは無い。悟り系男子の父は、夕食のチキン南蛮を共にハフハフしていた時に言っていた。

「中学の青春は小学生の時とまた違う。そして高校の青春は中学の時とまた違う。さらに、大学の青春は高校の青春とまた違う。いいか、後悔するなよ。全てはその時一度きりだ。でも無理もするな。背伸びも背縮みもするな。自然体のお前でいけ」

 自然体。それが一番良いものなんだろうと思う。

 ディス・イズ・ニヒリストも卒業しようか。

 このままいけば大学生活はおそらく立派なデカダンサーになるだろう。

 デカダンサーなんてただのひねくれ者なだけだ。もう少し素直になりたいものだ。

 遠藤のように。そう思いながら僕は書店に入りライトノベルの大人買いをした。


「ニノ、ライトノベルにめちゃめちゃハマってるね」

 夏休みが始まって早速僕の家に遊びに来た遠藤はコップの中の氷をボリボリ噛み砕きながら言う。僕の本棚の半分は既にライトノベルに埋め尽くされていた。

「あぁ、俺も背伸びをするのをやめてもっと普通の青春を送ろうと思ってさ」

 僕は照れながら笑った。

「え?ライトノベルを読み耽るのは普通の青春ではなくないかい?普通の定義は分からないけど、それはヲタッキーな青春だと思うよ」

 呆然とする僕。確かに。

「俺、間違ってたよ。普通の青春ってどんなのだろう?」

「普通……それを平均的と受け止めるなら、いくらヲタクが多くなったとしてもやはり今でもファッションに気を使い、仲間とマックやどっかでダベったり、女の子とデートしたりすることでないかな?」

 と遠藤。

「なるほど……じゃあ俺、夏休みはそれを心がけてみるよ」

「まぁ、でも普通とかにとらわれないでニノが何をしたいのかが大事だよね。俺はニノが難しい本読んでる姿嫌いじゃないけどなぁ」

「あぁ、最近自分が本当は何をしたいのか分からなくてさ。俺は難しい本を読んで自分が特別優れているだという優越感を味わいたいんじゃないかなぁって。実際それはあるんだけど、一度そういうのを全て取り払って、純粋にこれがしたいというのを見つけたいんだよね。だから取り敢えず色々やってみようと思って」

 遠藤は微笑みながら言う。

「それ凄い良いことじゃん。自分が『これが好きだ』と思うものって、遺伝子にそう刻まれてるってことだからね。なんで遺伝子にそう刻まれてるのかってそれが使命だからそう刻まれてるんだって俺は思うんだ。だからそれをやるべきなんだよ。だって好きなことってやりたいじゃん?これが好きだ遺伝子に刻まれてるって言わば神様がそれをしなさいって言ってるんだと思うよ。それはまさに使命だよ。そしてその純粋に好きなことって必ず人に役立つことだよ」

 僕は遠藤の言うことに感銘を受け、胸に何か熱いものが込み上げるのを感じた。

「取り敢えず俺は本を読むのが好きだし、映画を観るのも好きだ。Challenge to delusionの活動も好きだなぁ。後は本を書いてみたいし、旅もしてみたい」

 と僕

「じゃあ取り敢えずやってみたいってことやってみるのはどうだろう?」

 と遠藤

「そうだな、そうしてみよう」

 そうして僕はこの日からある小説を毎日チョコチョコと書くことにした。

 夏休みは蝉の鳴き声とともに過ぎてゆく。僕もそれなりの一般的な青春を謳歌するために遠藤とその仲間達と遊んだ。遠藤の仲間達は僕を快く受け入れてくれた。

 あっという間に8月に入る。森山駅の近くで大きな花火大会があった。

 Challenge to delusion一派はその祭りに一緒に行くことにした。

 「花火大会、夕方5時、森山駅で待ち合わせ」

 と素っ気ないメールがツグミから来た。夕食の材料を買いに行った母に夕御飯は要らぬとメールをし、準備をして森山駅に向かった。

 メールで、お手軽に連絡が出来るこの時代。そのメリットとデメリットを考えつつ、メールという機能は人間を駄目にするのか。それとも良くするのかということを考えながら森山駅へと歩く。しばらくすると、森山駅の南口のロータリーが見えてくる。ロータリー横の花壇で待ち合わせだ。既にみんなは来ているようだ。

 ピンクの浴衣を着て柄のある薄緑の簪を付けている維菜が僕に気付いて「にのみやくーん」と歌うように呼んでいる。

 みんなの所に着くとツグミが腕を組みながら荒々しく言った。

「あんたいつも遅刻するわね。次、待ち合わせに遅刻したらマジで置いていくからね。」

 などと暴言を吐くツグミは赤い金魚が泳いでいる薄紫色の浴衣に赤い帯を締め、維菜とお揃いの簪をつけて、ロングの髪の毛は軽くカールをしていた。

 可愛い。ツグミがまさかこんなにも浴衣が似合うなんて。スタイルの良さが際立っていた。僕を睨んでいるツグミは少し照れるように伏し目がちだった。

「オソロの簪、あたしがツグミに買ってあげたの」

 と維菜

「なんでオソロなのよ」

 と眉をしかめて少し困り顔のツグミ。

「何見てんのよ。ぶっ飛ばすわよ。変態ヤロー」

 ぼぅっと見惚れている僕の足をツグミは下駄で問答無用に強く踏んだ。

 ウグゥッと僕は短く悲鳴をあげる。こういうところが無かったら最高なのに。

「お前なぁ。すぐ俺に暴力振るうけど、それって小学生の頃に男子が好きな女子を苛めるのと一緒の心理だろ」

 と僕が言うとツグミの鉄拳を僕はまともに食らった。

「ちょっとちょっと、花火大会が始まる前にニノが死んじゃうよ」

 遠藤がツグミと僕に割って入る。

「あの、仲良くしましょう」

 と恐る恐る鈴香。鈴香も浴衣だった。鈴香の眼鏡と浴衣と陰のある雰囲気のマッチが何かこう、良かった。などと僕はすぐに女子に目がいってしまう。変態なのだろうか。いや、健全だろう。

 遠藤も浴衣。男前に浴衣はサマになる。伊集院は着物姿で桜吹雪の舞う模様の高級そうな扇子でもって江戸時代に出てくる歌舞伎役者のように靭やかに扇いでいた。

 扇ぐとその長い髪の毛がその風に反応して少しだけそよぐのがまた絵になっている。クラス長山田は学校のブレザーだった。なんでだ。

「山Pはなんでブレザーなんだ?」

「学年長としてのプライドですね」

 そう言いながらキキッと笑う山田。冗談なのか本気なのか。間違いなく言えるのは、奴は変態だと言うことだ。そして村井は柔道着だった。ど、どうして。

「村井、なんで柔道着なんだ?」

「浴衣が無くて、しかし浴衣を着たかったので一番似ている服を身に纏った結果です」

 真顔で村井。

「あんただけ私服ね。つまんねーやつ」

 軽蔑した顔で僕を見るツグミ。可愛いから良しとする。

 いつもの通学路である河川敷の土手の下の広場にはたくさんの屋台とたくさんの人で賑わっていた。

「金魚すくいやりたーい」

 そう言いながらトトトッと走リ出す維菜。

「ちょっと、維菜、迷子になるわよ!」

 そう言って追いかけるツグミ。ツグミは維菜の保護者みたいだ。

 夜の祭りには心が踊る何かがある。僕達は屋台を見て回り、小突き合いながら笑いあった。ツグミは金魚すくいで信じられないテクニックを持って金魚を40匹ほど取り、金魚屋台のおじさんを泣かせていた。そしてその金魚を子供たちにあげていた。なんだこいつ良いとこあるじゃないか。

 僕は遠藤と的当てを楽しんでいた。

「イチロー」

 と声を掛けられ、振り向くと白いふわふわとしたものが僕の顔目掛けて突っ込んできた。

「ほら、奢ってあげるよ。食え食え」

 ツグミは僕の顔にわたあめを押し付ける。

「おい、何すんだよ。俺の顔ベタベタになったじゃないか」

 そう言いながら手で顔を拭く僕をツグミは指をさしてけらけらと笑っていた。

 僕は可愛いから赦すことにした。可愛いは正義などという差別的発言が一時期ネット上で流行っていたがそう言ってしまう気持ちが分かった。しかし僕は可愛いは正義などとは思わない。だけど、可愛いと赦せる。可愛くないと赦せないのか?と問われると、感情的には赦せない。それだと結局差別ではないかと問われると、そうだ。しかし感情では赦せないが、可愛くても、可愛くなくても同等に赦そうと努力はする。

 しかし、ツグミを簡単に赦す僕は、結局差別主義者なのだ。それが人間の本質である罪。ならば僕は赦さない。とツグミの持っていたもう一つのわたあめを奪い取った。

「あ、何すんのよ」

 取り返そうとしてきたツグミの顔目掛けて僕はわたあめを押し付けてやった。

「返してやったぞ」

 含み笑いをしながら僕。

「てめーぶっ飛ばす」

 僕に本気で右ストレートを放ってきた。僕はなんとかガードをした。

「分かったごめん。っていうかお前からやってきたんだろ」

 ツグミと揉み合っていると少し遠くにいた遠藤が僕のほうを見て何かを察したかのように笑顔で手を軽く振って、他のみんなと人だかりに消えていった。

「まもなく河川敷にて花火大会が始まります」

 スピーカーから女性の声が聴こえた。

「おい、花火始まるぞ。もうやめよう。ギブするから」

 と僕。

「仕方ないわね。あれ?みんなは?」

 辺りをキョロキョロと見回すツグミ。

「なんか先行ってしまったよ。こんだけ人いたら探せないなぁ。取り敢えず花火観覧席を確保しないと」

「なんであんたと二人きりで花火見なきゃいけないのよ。とんだ厄日ね」

 溜息をつくツグミ。僕とツグミは人混みを掻き分けて広場から少し離れた河川敷の土手に腰掛けた。周り中、人だらけだ。この街にこんなに人がいたとは。みんな何処に隠れていたんだ。みんな腰掛けて今か今かと花火を待ち受けている。隣のツグミは浴衣が汚れるのをお構いなしで土手の芝生に腰掛けて三角座りをしている。

「まだかな、ねぇイチロー、まだ?」

 体を揺らしてソワソワするツグミ。

 不思議なほど周りの雑音とはっきりと区別されたかのように隣のツグミの声は聴こえる。

「俺が分かるわけないだろ。じきあがるよ」

「イチロー、ここの花火観たことあるの?綺麗なの?」

 花火の上がる橋のある方向を観ながらツグミは聴く。

「あるよ。綺麗だよ。結構は迫力だよ」

 それから少しの間があった。周囲のざわめきがあるのにも関わらず、その僕とツグミの間の沈黙は静寂しているように感じた。ふと思いついたようにツグミはボソッと言った。

「イチロー、ありがとね」

 僕はぎょっとしてツグミのほうを見て、仰け反った。

「え?あ、ありがと?なんだそれ」

 ツグミからありがとうなんて言う言葉は初めて聞いた。

「チャレンジ・トゥ・ディレーション、一緒にしてくれて、ありがとね、ってことよ」

 少し照れたように口をワザとらしく開いてカタコトちっくにそう言った。

 その時、ヒュロロロロと花火の上がる音が鳴った。

 そして胸に響く破裂音とともに前方の遥か遠くにある橋の辺りから、大きな赤色の花火が上がった。おぉっという歓声が湧き上がる。

「あ、すごい」

 と指をさすツグミ。一発の花火をきっかけに連続してテンポ良く花火が上がる、上がる。花火は連続した破裂音とともに色と形と大きさを忙しなく変えていく。

 僕はツグミのほうをチラっと観た。

「凄い。綺麗」

 と手を口に当てて感極まった声で嘆息するように言うツグミ。

 その大げさでありながら、本当に素直に感動しているツグミに僕はなんだか胸の辺りがむず痒くなり、やり場の無い何かが込み上げてきた。

「イチロー、ちゃんと観てる?凄いよ、凄い」

 そう言いながらツグミは僕の腕を掴んで、揺らしてきた。僕はドキっとした。

 ツグミはそのまま何食わぬ顔で花火に見惚れている。

 しばらくして、花火が落ち着いてきた時にツグミは僕のほうをチラっと見、自分が何をしていたのかを気付いたかのように、はっとして慌てて僕から手を離した。

「ご、ごごめん」

 ツグミはそう言って不自然に顔を僕から逸らした。

 ご、ごめん?ツグミからごめんという言葉を聞いたのは初めて聞いた。

 初めて尽くしの夏、花火。青春。実は乙女のツグミ。

 なんだか調子が狂う。いつもなら理不尽に殴られるはずなのに。

 と思っているといきなり横からツグミのパンチが飛んできて僕の顎にクリーンヒットした。照れパンチ。近くにいた人がビクッ驚いて僕達のほうを盗み見した。

「なんだよ。ありがとうの次にごめんが来てそして殴るとか。まるで情緒不安定の女の子そのものだな」

 僕は頬を擦りながらツグミを警戒して言う。

 いつの間にか花火は終わっていた。辺りには火薬の匂いがスンと立ち込めていた。

「あー綺麗だったー」

 ツグミは僕の言うことを無視して両手をあげて背伸びをしながら目を細め、満面の笑みでそう言った。花火が終わり、祭りは終焉を迎え、人だかりはそれぞれの家へと向けて散らばり、帰っていく。

 人だかりが消え、前方からChallenge to delusionの連中が歩いてくるのが見えた。

「ツグミー何処いたのー」

 泣き顔で維菜がとててーっと走ってきて、ツグミと抱き合い、維菜はツグミの胸の中に収まった。ツグミが維菜の頭を子供のようによしよしと撫でる。

「花火綺麗だったね」

 遠藤はフレッシュ笑顔で僕にウインクをしながら言ってきた。遠藤は何か誤解をしている。別にツグミとはそんな関係ではない無いぞ。

 まぁ、この胸の疼きはおそらく僕はツグミに恋をしているのだが。

 いや、別に今に始まったことじゃない。僕はツグミのことが中学生の時から好きだ。そのまるで何にも縛られない怖いもの知らずの天真爛漫な性格が好きだったのだ。僕達はそのまま駅まで適当に談笑しつつ歩いた。

 花火大会の喧騒の後の夜道は静かで、僕達の心は何かが洗い落とされたかのように清々しく、そして夜の悪くない闇と同化していた。

 僕の2年の夏休みの大きなイベントはそれぐらいだろうか。

 それ以外は特に目立った事も無く淡々と過ぎていった。

 蝉の鳴き声は夏休みが終わりに近づくとともに、その激しさは軽減していった。

 そういえば最近高安山と言う、この地域にある観光名所の山に天狗が出ると聞いた。なんでも木から木へと目にも留まらぬ速さで移動しているとか。猪を素手で倒したとか。ツグミが飛びつきそうな話題である。

 そんなこんなで夏休みが終わっていく。そして二学期は始まった。

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