第7話

「最近、あんたが顔色良いねぇ」

 夕食のカレーライス(中盛)をほふほふ頬張っていると母が突然そんなことを言ってきた。

「そう?」

「ねぇ、お父さん?イチロー顔色良いよね」

 久しぶりに早く帰ってきた父にそんなしょうもない振りをする母。

「なんだ。恋でもしてるのか」

 全く声のトーンも口調も通常のまま何の感情も込めずにそう言いながらカレーをほふりながらバラエティ番組を観ている父。

「恋なんてくだらないよ」

 同じように声のトーンも口調も通常のまま何の感情も込めずに言ってみる。

「くだらないからいいんだよ」

 同じように父。僕はそのとんちの効いた悟り系の父の返答に無視をし、カレーを家族三人仲良くほふほふとほふりながら、ご飯をたくさん食べて競い合うという飽食と競争社会の末路を思わせる内容のバラエティ番組を終始観ていた。

 母が合いの手を打つかのごとく時折「良くこんなにたくさん食べれるね」と驚きの感情とともに言い放つ。僕は飢えてる国に足を向いて寝れないと思った。

 しかしそれだと僕は足のやり場が無いことに気付く。

 寝る前にベッドの上で、最近いそがしくて読めなかった遠藤オススメの『魔王は実は勇者で、勇者が実は魔王でそんな実は勇者だった魔王は、実は魔王だった勇者に恋をする』という非常に難解なタイトルのライトノベルを読み始める。

 そして気付けば朝だ。この世界は非常にシンプルだ。夜が来て、朝が来る。

 以降それを繰り返す。いつまで?僕が死ぬまでか。それもまた、シンプル。

 などと考えながら学校に行く準備をし、朝食を食べ、学校に行く。今日は次のミッションのためのミーティングだ。ペースが速い。みんな参加出来るということは、みんなそれだけ暇を持て余しているということか。

 そういえばみんな帰宅部だ。まてよ。村井は柔道部の主将なんだから忙しいんじゃないのか?それもまた出会った時に聞いてみよう。と思いながら5時間目の休憩の時にトイレへ入るとすぐに図体のでかいごっつりとした体に否が応でも目に入った。

 太く大きい手を洗いつつゴチゴチな大きい顔を両手でブルシャァと洗っているスキンの村井がいた。前からこんな奴が歩いてきたら確実に避けて通るだろう。

 僕がやぁと声をかけると村井はおいすと返した。

「なぁ、村井って柔道部の主将なんだよね?部活忙しくないの?」

 村井は少し申し訳無さそうにして言う。

「自己紹介の時、少し嘘をついてしまった。かたじけない。実は私はもう柔道部を辞めてるんです」

「え?でもサクラの人たち柔道部員だろ?」

「そうです。私は自分で言うのもなんですが、それなりに人望がありまして」

「どうして辞めたんだい?」

 村井は両手をグッと握りしめ、宙を仰ぎながら言った。

「怪我に……泣きました」

 スポーツというのは恐ろしいものだ。いくら才能があろうとも、再起不能の怪我によって全てを諦めねばならなくなる。遠藤しかり、村井もまたそうだ。

 村井も苦しんでいて、その苦しみから抜け出すために、何かやらねばと藁にもすがる思いでChallenge to delusionに入ったのかもしれない。

 世界はシンプルだが単純ではない。シンプルイズベスト。

 バッド、シンプルイズディフィカルト。なんて小声で言いながら廊下を歩いてるといつの間にか後ろにいたツグミに「変態」とボソッと言い捨てて僕を抜かしてスタスタと歩いていく。一体何が変態だというのか。何か勘違いされたようだ。

 そして、僕達はまた、視聴覚室に集結する。

 彼らは以前より増して気合の入れようが変わっている気がする。

 その証拠にクラス長山田の眼鏡のフレームが黒から赤に変わっている。色付き眼鏡を掛けているのを初めてみた。全然似合ってない。ドジな詐欺師みたいだ。

 維菜はシュッシュッとか言いながら、ワンツーを空に打ってシャドーボクシングの真似事をしている。

「さぁ、次いきましょう、次。こういうのはバンバンやっていくのがいいのよね。何か案ある?」

 僕達はうーんうーんと唸りながらしばらく考える。

「先生が教室に入ってきた時に黒板を頭に落とすあの古典的な悪戯をこの平成の今、あえてしてみるのはどうでしょう?そして1人1人の先生の反応を見るのです」

 とクラス長山田。

「リスクが大きすぎるし誰も幸せにならないしそれに地味過ぎる。却下」

 とバッサリを切るツグミ。シュンと小さくなるクラス長山田

 維菜は蝶々がどうのとか言っていたが少し支離滅裂としていて意味が良く分からなかった。他、様々な提案が出されるがどうもしっくり来ずにしばらく議論は続いた。

 妄想の実現化。それは非常に難しいのだ。出来る範囲と出来ない範囲の境界線がある。そこで出来る範囲を絞り出す。そして出来る範囲でも面白くてやり甲斐があって誰かが幸せになれるものでないといけない。

 その頭の隅に確かにあるであろう妄想の何かを見つけ出すのが至難の業なのだ。

「あのさ、少し私事になってしまうかもしれないんだけど、」

 と思いついたように遠藤。

「勿体ぶらずに早く言いなさい」

 とソワソワするツグミ。

「俺が入部していたサッカー部がさ、俺が辞めてから物凄いモチベーションが下がってしまって、このところ連敗してるんだ。それに、その負け方が本当に酷くて。5対0とかで普通に負けたりしてるんだよね。俺もなんかちょっと責任感じちゃって、なんとかこのサッカー部を直接関わることなく、面白くモチベーションを上げて勝たせる方法無いかなって考えてたんだよね」

「その方法は?」

 すかさずツグミ。

「その方法は、練習や、試合の時に女子の応援が常にあるっていうの、どう?」

 と遠藤。

「ふむ」

 険しい顔をするツグミ。

「サッカー部に入部するやつって結構ミーハーな奴が多いんだよね。モテたいからという不純な動機の奴もいるし、野球部なんかと違ってかなり軟派なんだよ。そのデメリットを逆に利用してしまうんだ」

 僕は、なるほどっと言い、手を叩いて、続けて喋った。

「実際、男は若い女がいるだけで結果に違いが出るらしい。オックスフォード大学のグーデル教授は、ある実験を行ったんだ。それは、まず中距離走でほとんど同じ体力とスピートの健全な男を10人集めた。そして2000メートルの中距離走を、5人2組に別れて、1組目のグループには1位の人には優勝賞金100ドルを与えるという条件で走らせた。そして2組目のグループには優勝賞金は無しで、その代わり、各自1人ずつに若くて美人な女性2~3人の声援を付けて名前を実際に呼ばれて応援してもらうという制度を取り入れた」

「なんという破廉恥な実験だ」

 怪訝な顔をするクラス長山田。

「結果はどうなったの?」

 ワクワクしながらツグミ。

「結果は優勝賞金を賭けて戦った1組目よりも若いセクシーな女性に応援された2組目のグループのほうが桁違いにタイムが速かった。しかも、2組目の5人は1組目の5人の1位だったやつよりも全員タイムが勝っていた。他にも男性だけの職場に女性を入れると社員の遅刻が減るとか大企業で一般職の女性に美人ばかりを採用するのは社員の士気を上げるためであったりと、女は男の士気を上げるために最も有効的な手段と言える」

「なんという、なんという、恥ずかしいほどの男の煩悩さよ」

 溜息をつき、頭を抱える村井。

「男はエロの塊というわけですか」

 手を顎に当てる伊集院。

「男の子ってやっぱりかわいいねー」

 クスクスと維菜

「ただの変態ね」

 と言いながら横目で僕を見るツグミ。勘違いされるようなことをするのはよせ。と僕は心で叫ぶ。

「確かにそれは面白い。やり甲斐があるわ。女子を集めるのはいけるわけね。遠藤のファンクラブから借りてこればいいし。しかし、まず応援する女性陣のモチベーションを高めるのが難しいわね。実際やるとなると、せめて何かの大会まで応援してもらわないといけないんだけど、女子達が練習を毎日応援するほどの気力を保つのがね」

 ツグミは「しかし」と少し大き目の声で言い、続けて言った。

「それ面白いわね。それにしましょう。」

 エイエイオー!と維菜。誰彼無しに拍手が始まる。

「6月23日から爆裂!関東高校サッカー大会という大会がある。その大会を目指して取り組んでいきたいな」

 と遠藤。

「へんななまえ」

 欠伸しながら維菜。

「23日が一次予選、30日が二次予選、7日が準決勝で14日が決勝だ」

 スマホで確認しながら遠藤。

「まず、多少誇張してでもサッカー部の魅力を伝えないといけません。私、実はデザイナーを目指していまして写真の加工やチラシ、フライヤーを製作するのに慣れています」

 ボソボソと言う鈴香。

「え、あんたそんな才能あったの。やるじゃん」

 そう言って鈴香の背中を叩くツグミ。鈴香はキャッと小さく悲鳴をあげる。

「いいねぇ。楽しくなってきたじゃないの」

 目をギランギランと輝かせるツグミ。

「大会まで後1ヶ月ちょっとね。気合入れていきましょう」

 エイエイオー!と維菜。

 サッカー部は現在10連敗中らしい。以前はサッカー部のはりきった掛け声が聴こえていたが、今は掛け声が全く聴こえない。あろうことかグラウンドで練習している姿さえ最近あまり見かけない気がする。グラウンドの隅にあるサッカー部の部室だけ何か陰鬱なオーラが漂っている気がする。

「二宮君、私は以前撮ったサッカー部の写真があるのですが、この写真のサッカー部員の1人1人を鈴香さんに加工してもらい、それをファンクラブの宣伝用に用いたいのです。しかしまだ現像をしていないので、放課後写真部にて現像をしたいのですが、手伝ってもらえないですか?」

『実は高校生の俺は魔法使いで実は中学生の俺の妹は血が繋がっていなかった』というライトノベルを昼休みに読んでいる俺にそう話しかけてきたクラス長山田。

「ああ、そういえば山Pって写真部だったっけ。分かったよ。行くよ」

 気怠く僕は言う。嗚呼、面倒だ。

 きんこんかんこんと今日の学校の終わりの鐘が鳴る。

 それにしてもこのキンコンカンコンという学校の終わりと始まりを告げるチャイムは一体誰が発明して、どうしてほぼ共通のものとして使われているのだろうか。後でグーグルで調べよう。

 佐久間高校の小奇麗な廊下を山田とともに練り歩く。

 クラス長山田は首からぶら下げた高級そうなカメラを大層に持ち、ニヤ付きながら撫でまわしている。気持ち悪い奴だ。マジで変態だな。

 この廊下には真ん中に線が引かれていて先生と生徒の歩く場所が区別されているのだ。しばらく進んでいると前方から細身の長身の男がスタリスタリとモデルの如く、歩いてくる。その顔に見覚えがある。クラス長山田ははっと息を飲み、その場で立ち止まった。

「山P?」

 立ち止まったクラス長山田に疑問の表情で僕は声をかける。

 クラス長山田は苦虫を潰したような顔をして握りこぶしを作っていた。

 前を向くと男は僕達に気づき、2メートル程の距離を置き、目の前で立ち止まった。佐久間高校3年、生徒会長の及川だ。

 及川はトムフォードの眼鏡をキザな手つきでクイッと上げて言う。クラス長山田の詐欺師みたいな眼鏡とはえらい違いだ。

「おや、おや、おや、誰かと思えば、二宮君に山田君」

 及川は馬鹿にするような怪しい笑みを浮かべながらクックッと口を押えて笑っている。

「なんだ?校長の犬」

 邪険な声で僕。山Pは俯いて震えている。

「校長の犬とは心外だ。そんな口を聞いていいのか?」

 及川は険しい顔になり、刺のある声で静かにそう言った。

「なんだか、最近授業中に奇妙なことをして授業を妨害する輩が居ると聞きまして、それと同じ頃、視聴覚室で何人かの生徒が謎の会議をしているという情報も耳にしましたが。貴方たちは何かご存知ありませんか?」

 なんだか全てを知っていそうな微笑を浮かべながら僕と山Pを見つめる生徒会長。

 及川は実質、この高校の裏の支配者である。その権力は先生以上のものだ。

 校長の右腕として恐れられているこの生徒会長、及川は佐久間高校で起きるほぼ全てのことを把握している。及川は佐久間高校で起こるちょっとしたことでも見逃さず徹底的に消火していく。そのおかげで佐久間高校の秩序は完璧に保たれているが、生徒達はその息苦しさから、何かこう気力というのを削ぎ落とされているように感じる。つまり問題は何も起こらないが、何事も起こせないという、何も変わらないという実態となっている。そんな怖いもの知らずの及川だが、一つ怖いものが存在する。

 それは高岡ツグミの存在だ。全てを計算の内におく及川でさえ、ツグミの行動はいつも想定の範囲外なのだ。今回の授業の妨害、視聴覚室での怪しい会議の一見も、ツグミが首謀者ではないのかと睨んでいる。しかし確証が掴めていないようだ。

 なんにしろ、もう視聴覚室でのミーティングは出来ない。ツグミと仲の良い僕から何かを探り出そうとしているのだろう。

「何のことだか分からないね。前を通してくれるか?」

 ふぅっと短く溜息をつく及川。

「まぁ良いでしょう。しかし、これから秩序が乱れることが多発するのであれば、必ず私は首謀者の尻尾を掴むでしょう」

 そう言った後で及川のポケットから携帯の音、ショパンが鳴り響く。

 及川はキザな手つきでスマートフォンを取り出し、電話に出る。

「もしもし、おぉ、なんだ、愛しの清水由貴子か」

 クラス長山田はビクッとする。清水由貴子。図書委員長だ。及川と付き合っている。そしてクラス長山田の初恋の人。

 わざとらしくフルネームで呼び、山田のほうを見下ろし、ニィッと笑う及川。

 なんというヘドロのような邪険な心を持つ男なのだろう。

 山田が清水由貴子のことを好きなのを知っていて陰湿な嫌がらせをしているのだ。

「分かった。では日曜日はデートをしよう。キスをたくさんしよう。またね、愛しの由紀子」

 そう言い、電話を切る。及川。

「おっと失礼、話の途中だったね」

 クラス長山田は、たぶん泣いている。

「それでは失礼する。山田君、君はそのままじゃ学年長止まりだねぇ。もっと学年長らしく2年の秩序をまとめてもらわないと困る」

 そう言いながらクックックッと笑う及川。

 僕は堪忍袋の緒が切れて、怒号を飛ばした。

「なんだと!誰か越後屋止まりだ。俺の友達にそんなことを言う奴は赦さん!」

「え、越後屋?そんなことは一言も言っていないが……」

 わけの分からないことを言われ、戸惑う及川。

 及川の頭の中は全て計算され尽くしているので、自分の予想外のことが起こると一瞬頭が混乱して焦るのだ。やったぜ。ささやかな抵抗だ。僕は計算して言った訳ではなくて、いつもクラス長山田は越後屋止まりだと思っていたのでつい口に出してしまっただけだが。及川は戸惑いながらも、その場から立ち去った。

 クラス長山田はやっと顔を上げて涙を手で拭いながら言う。

「ありがとう、二宮君。僕のために」

 馬鹿だこいつ。さすが越後屋止まり。

「気にするな、えちご……じゃなくて山P。それよりも早く現像しよう。そしてこの任務を遂行させよう」

 と僕。生徒会長及川。これから奴の動向に気をつけねばならない。

 僕は後ろ少し振り返り、及川の背中を睨んだ。

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