第5話

 朝、教室に着くと、既に臨戦態勢だという顔つきの遠藤とクラス長山田がいた。

 教室に立て掛けてある時計をチラっと見る。授業開始まで、後3分。生徒達はぞろぞろと席につき始めた。僕は大きく深呼吸をし、ポケットから適当な長さに切った爪楊枝を二本取り出し、口に加え始めた。

 そのまま下唇の筋肉を使い、それぞれのもう片方の先を鼻の穴に入れた。

 どじょうすくいで良く見るアレだ。古典的でシンプルだが、張り詰めた空気の中ではこういったシンプルでストレートなのが一番効果があるのだ。3時間掛けて編み出した力作である。

 しかし岩田先生の場合、丁と出るか半と出るかのどちらかだ。

 途端、ドアを勢いよく開け、四角い顔の岩田先生が四角い表情をして入ってくる。

 あの、への字の口をひっくり返すことは出来るのだろうか。教室の空気は一気に氷点下へと到達する。先生はまだ僕に気付かない。

「出欠を取る」

 厳粛な声で岩田先生。順番に名前が呼ばれていく。

「遠藤」

「ひゃい」

 遠藤は裏返った声で返事をした。何人かがクスっと笑った。

 岩田先生は完全にスルーをした。遠藤は僕にパスを渡したのだ。

 僕がシュートを決めないと。次は僕の番だ。名前が呼ばれていく。そして僕の番が来た。

「二宮」

「ふぁい」

 僕は爪楊枝を鼻に入れているので空気が抜けたおかしな返事となり、岩田先生を含め、何人かが僕のほうを振り向き、そして生徒達が噴き出す。僕と遠藤とクラス長山田には緊張が走った。岩田先生はしばらく無言で僕を見、「クッ」と発して僕から視線をそらし、出欠簿に戻し、続けて点呼を取っていった。

 僕達は、はっとした。今のは、笑いを堪えたのではないか?しかし、僕達の判定では声を出して笑てもらうのが目標なので、まだ全然不足している。

 後はクラス長山田に任せた。しばらく、点呼が続いていき……山田の番が来る。

「山田」

「ピュヒョー」

 空気が抜けた笛の音が教室に情け無く響いた。山田はホイッスルを口に加えていた。何人かが山田のほうを見て引き笑いをした。

 岩田先生の口は、への字から少し変わろうとしているかのように、ヒクヒクと口元が動いていた。これはまるで笑いを堪えているような……

「昨日からなんだか、おかしな奴が何人かいるな」

 ボソッと岩田先生。

「真面目に授業を受けないと呼び出しするぞ。二宮もその鼻にさしてる爪楊枝を抜け。次、馬鹿なことをしたら呼び出しだ」

 そう岩田先生は一蹴し、口元はへの字のまま変わらず痙攣も止まった。

 僕は無表情のまま鼻から爪楊枝を取り出す。村井と伊集院の結果は、マイナスになっていない。岩田先生は昨日の出来事が面白かったのだ。

 そのダメージを負っているのが目に見えて分かる。これは後ひと押しかもしれない。出欠が終わり、授業が始まる。

 どうする?僕はもう持ちネタが無い。後はアドリブでなんとかしないと。

 岩田先生の授業にいきなり「それ、~やんけ!」と突っ込みを入れて豪快に椅子からずっこけるか?

 いや。危険過ぎる。遠藤のほうを見る。遠藤は頭を抱えている。奴もすでに持ちネタが無いようだ。クラス長山田のほうを見る。彼のその横顔は凛々しかった。まだ何かを持っているかのようにその瞳の奥は光っていた。

 クラス長山田は僕のほうを見て、任せろと頷いた。

 一体どうする気だ?奴に任せよう。授業は進んでいく。

「……そして、1649年に清教徒革命が起きたわけだが、これを指導した人物が誰か分かるか?」

 と生徒に質問する岩下先生。すると、すかさず、迷いもなく、勢いよく手を挙げるクラス長山田。ま、まさか。僕は目を見開いて山田を直視する。

(だ、駄目だ。二度漬けは危険過ぎる。よせ!)

 僕は心の中でそう叫んだ。

「山田、答えろ」

 と岩田先生

「フランソワ・バ・カ・チン」

 や、やりやがった。しかも少し変えていて、それがなんとも面白くない。

 生徒もなんだか苦笑いをしている。これは最悪の状況だ。

 僕はガタガタと震えながら岩下先生のほうを見た。

 しかしなんと、岩下先生は「はっ」と短く笑い、そしてへの字がひっくり返った、そう、笑ったのだ。生徒がみんな驚愕の表情を浮かべている。

 奇跡が起きた。山田は短くガッツポーズをした。岩下先生はすぐに四角い表情に戻る。

「お前たち何か企んでいるのか?」

 と言って、またすぐに授業へと戻った。


――放課後、みんなで今日の試合を昨日のようにパソコンで観戦した。

 岩下先生が笑った時、みんなから歓喜の声が湧き上がった。

「いや、喜ぶのはまだ早いわ。まだ、浅い。声を上げて笑うにはカウントされない」

 確かにと言い、みんなは憮然とした表情で頷く。

「次は私に任せて」

 と胸を張って自信満々のツグミ。

「しかし、これはみんなの協力がいるの。せめて用意するまでに一週間は必要ね。」

「よし、やろう。奴はもう弱っている。最後に必殺技で止めを刺すんだ」

 と遠藤。早速ツグミはその大きなプロジェクトをみんなに説明した。

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