第4話

 明くる朝、いつもより早く目が覚めた。それは僕の胸が踊っていたせいだ。

 そう、早くも今日からChallenge to delusionが本格的に始動するのだ。

 今日、世界史の今村先生は2-Dのクラスで授業がある。

 2-Dは伊集院と村井がいるクラスだ。この二人が今日考えてきた渾身のネタを披露することになっている。それだけのことなのに、僕はまるで学校の遠足の時に早起きをするかのごとく、喜び勇んでベッドから飛び起きたのだ。それはいかに日常がマンネリ化しているのかということが良く分かる症状である。

 リビングに行くと母が少し驚いていた。

「珍しいわね。こんな早くに起きるなんて」

 キッチンに父がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。父は僕を一瞥しただけで無言でコーヒーを新聞を読んでいるしかし今日はそんな父にも腹ただしさを感じなかった。僕は朝食の食パンにバターと砂糖を塗りたくり、ばくばくと食らう。

「そんな塗ると体に悪いぞ」

 新聞を読みながら、ぼそりと言う父。

「ご忠告ありがとう」

 パンを食べながら、父に一瞥もせずにそう言った。

 むしゃりむしゃり食べ終わり勢い良く家から飛び出す。

 最近言わなかったせいか。行ってきますと言うのがこっ恥ずかしくて言えなかった。


「ニノ、いよいよ今日からだな。楽しみだな。岩下先生笑うかな?あの先生が笑ってるとこなんて奇跡だよね。いやーしかし笑ったところを生で観れないのが残念だが僕の出番の時に笑ってほしいなぁ」

 教室に着くやいなや、遠藤は興奮してしゃべり続けていた。

 そしていつものように日常は終わっていく。いつもの日常。いつもの火曜日だ。

 しかしいつもと違うのは、自分にはミッションがあるということだ。それだけでいつもの火曜も何気に楽しかった。

 そして放課後、結果を報告するために視聴覚室に集まる部員達。

 ちなみに結果は伊集院がスマホで隠れて撮っていてくれている。

 岩下先生が声を上げて笑っていれば、ミッション達成である。

「さぁ、結果を報告してもらいましょうか!」

 両手を揉みつつソワソワしながら言うツグミ。

伊集院と村井は結果をもちろんのごとく知っているが、何も言わない暗黙のルールである。だから角刈りだった村井がスキンヘッドになっていたことにもあえて誰も触れなかった。もし触れてしまうと何か結果が分かってしまうのが怖かった。

「分かりました」

 伊集院はいつもと変わらぬ冷静な口調で言い、ノートパソコンを鞄から取り出し、USBでスマホと連携する。

 しばらくすると、ノートパソコンのモニターにスマホのムービーがパッと写る。

「それでは、再生します」

 ノートパソコンの前に顔を近づけ、固唾を飲んで見守る一同。

 伊集院がマウスをカチリとクリックし、ムービーが再生される。

 みんなが席についている。まだざわついている。授業が始まる前だ。前の席にいるスキンヘッドの村井をチラチラと見て、何人かの女子、男子が含み笑いをしている。村井は恥ずかしそうに頭を数回撫でる。

 安直過ぎる。と僕は思った。体を張った一発ギャグだが岩下先生を笑かすには余りに不十分。そのぐらいで笑っているなら既に幾度となく笑っているはず。

 しばらくすると、ドアを開けて、岩下先生が入ってきた。四角い顔で四角い眼鏡を掛けている。なんとなく全体的に全てが四角い白髪の多い57歳。

 口はへの字に曲がっていていつも怒っているみたいだ。岩下先生が入ってくると空気が張り詰める。ざわついていた教室が一気に静かになる。

 整った律儀な二足歩行で講壇の前まで行き、手に持っていた教科書、出席簿等を講壇に置く。

「出欠を取る」

 厳かな口調で言い、1人ずつ読み上げていく。

「伊集院」と名前を読む。

「はい」と伊集院。

 ここでは何もしないみたいだ。そして村井の番がまわってきた。

「村井」

 と岩下先生が点呼し、村井のほうを……見る。スキンヘッドの村井を。

岩下先生は一度見た後、二度見した。

「はい」

 と村井は答え、岩下先生の方を真顔でジィっと睨むように見る。岩下先生は微動だにせずに、村井から顔を背けて続けて出欠を取っていく。やはり。カスりもしない。

 この程度の実力か?村井よ。と僕は思う。

何事も無かったかのように授業が始まる。岩下先生の厳粛な授業が淡々と進んでいく。すると、予想だに出来ない出来事が起こった。

岩 下先生が黒板に書き写した後に、説明をしようと後ろを振り返った時、スキンヘッドの村井がいつの間にか大層なアフロへと化けていた。

 そう、村井はアフロのカツラを鞄に忍び込ませ、岩下先生が振り返ろうとした瞬間に、アフロのカツラを装着したのだ。もし岩下先生が振り返る前にアフロのカツラを装着していると、生徒が笑ってしまい、生徒が笑った反応で岩下先生が振り返ってしまうのでそれを考慮したのだろう。

 アフロを装着した瞬間、生徒の何人かが噴き出す。岩下先生はまた村井を二度見し、今度は村井を見たまま固まった。村井は無表情のまま岩下先生を見つめる。岩下先生も無表情のまま村井を見つめる。二人が見つめ合ったまましばらく時が流れた。

 なんという空気。静寂の中、周りから笑いを押し殺した声が聴こえる。

 岩下先生は周囲をギロリと見回し、眼鏡が嫌光した。

「何が可笑しい」

 少し大きめのドスの聴いた声で岩下先生。シンと静まり返る教室。

 そして村井のほうを睨めつけ、言う。

「村井。今すぐカツラを取れ」

 村井はすぐにカツラを取り、鞄に仕舞い、謝罪した。

「申し訳ありません。つい、頭が寒くて」

「ならば初めからスキンヘッドになんてするな」

 と岩下先生。もっともである。

「スキンもアフロも、そしてカツラも校則違反だ」

 そう言い放ち、また授業が淡々と進んでいった。

「……そして、1649年に清教徒革命が起きたわけだが、これを指導した人物が誰か分かるか?」

 と生徒に質問する岩下先生。すると、すかさず、迷いもなく、勢いよく手を挙げる伊集院。


「伊集院、答えろ」

「フランソワ・ポ・コ・チン」


 生徒の何人かが噴き出す。パソコンの前で小さくガッツポーズをするツグミ。

 岩下先生の表情は……無表情だ。そして2~3秒時が止まる。

「……何?」

「フランソワ・ポ・コ・チンです」

 次は何故か席を立って堂々と、そしてはっきりとした口調で真顔で答える伊集院。

 そこからまた2~3秒時が止まった後、岩下先生は「違う」と言い、そのまままた授業は進んでいった。

「す、凄い」

 とツグミ。

「初っ端から難易度高いな」

 と遠藤。

「戦いは、まだ終わってません」

 と伊集院。伊集院は少し早送りをする。

 チャイムが鳴り、授業が終わったところまでいき、そこで再生する。休息時間に入り、騒がしい教室。岩下先生は職員室への帰り支度をしている。

 そこへ伊集院は講壇付近にいる岩下先生に近づいていき、無謀にも話かけた。

 ちなみに岩下先生に話掛けるやつを僕は見たことがない。

「岩下先生」

 黒板を隅から隅までそれはもう綺麗に消していた岩下先生は後ろを振り返る。

「なんだ?」

「具志堅用高をご存知ですか?」

「なんだと?」

 岩下先生は怪訝な顔をして聞き返す。

「具志堅用高、ご存知ですか?」

「元世界チャンピオンのボクサーだろ」

 苛々とした口調で岩下先生。

「そうです。その具志堅用高です。これは実話なのですが、彼は幼少時代、お母さんから一つだけ戒めとして言われていたことがあったそうです。それはなんだと思いますか?」

「知るか」

 岩下先生。

「人を殴ってはいけない。だそうです」

 と伊集院。岩下先生はしばらく伊集院を見る。

 ムービーを観ている誰かが生唾を飲み込んだ。

「だから、どうした?」

「いえ、失礼しました」

 深々とお辞儀をして、その場を立ち去る伊集院。

 そこで動画は終わっていた。しばらくの沈黙。

 伊集院が乾いた声で口を開く。

「申し訳、ありません。結果的に、火に油を注ぐ形となりました」

 そう言って、肩を落とし、うなだれる伊集院。

「良くやったよ。本当に良くやった」

 遠藤は震える声で言い、伊集院の肩に手を置く。

「校則違反を犯してまでの渾身のギャグが玉砕。一生の不覚。恥を知れ」

「おうっおうっ」と嗚咽しながら男泣きをし始める村井。

「村井さんは、ひっく、頑張ったよ。頑張ったんだから、ゔぃっく、いいんだよ」

 維菜がしゃっくり混じりに泣きながら村井の背中を擦る。

「俺達の戦いは、まだ始まったばかりだ。安心しろ伊集院、村井。お前達の死は無駄にしない。立派な殉教だったよ」

 僕はそう言ってガッツポーズをした。

「そう、まだ始まったばかりよ。明日は世界史の授業あるとこいる?」

 とツグミ。

「明日は2-B。俺と遠藤と、山Pだ」

 と僕。

 僕と遠藤と山Pはお互い視線を交え、やってやろぜ、と目で合図をし、そして手を上げて叩き合った。


 その夜、晩飯を食べた後すぐに部屋に戻り、椅子に座り腕を組み、目を閉じたまま何時間とそのままでいた。

 時計が深夜1時を指したところで僕はカッと目を開いた。

「よし、決まった」

 明日で勝負を付けるのは難しいかもしれない。しかし、やらなければ可能性は0だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る