第3話

 土日を挟んで月曜日、学校に到着し、ドアを開け、前髪を掻き分けて教室に入ってきた僕を待ち構えていたかのように、すかさず遠藤は声をかけてきた。

「ニノ!(いつのまにか付いた僕のアダ名)全部読んだよ。俺、人間失格読んでこんなに苦しんだ人間がいるなんて。と凄く悲しくて泣いて、斜陽でもその没落して様子が悲惨で悲しくて泣いて 夏目漱石のこころで人間の心の汚さ、罪の深さに、自分にもそういった汚いところが確かにあるから胸がエグられる思いだったよ。いやぁ、別の世界を見せてもらったって感じだね。いや、別の世界じゃない。確かにここにある世界の現実なんだと、みんな目を背けたい、そのような現実を直視させるような小説だね」

 と遠藤は的確な感想を言った。

「凄いな遠藤、そういうところに俺は気付いて欲しかったんだ。いや、正直ライトノベルとか読んでる奴って俺ちょっと蔑んでいたところがあったんだけど、遠藤のおかげでその偏見が全部とは言えないけど取れたよ」

 頭を掻き、はにかむ僕。

「そうなんだ。いやぁでも俺も小説って読み始めたばかりでさ。ライトノベルは読みやすいって聞いたから読み始めたばかりなんだけどね。読み始めたら結構ハマってさ」

「なんでまた小説を読み始めたの?遠藤のキャラに似合わないな」

 遠藤は頬杖を突き、哀しげな目をして言った。

「俺部活の練習中に靭帯損傷してドクターストップかかって、サッカー辞めたんだよね」

 なんだって。そいつは悲しすぎる。僕は心が重くなった。

「それから凄い憂鬱になってさ。何かしてないとサッカーのことを考えて辛いから本でも読もうと思って。そんで書店に行くと漫画のような表紙の絵の小説があって、ああ、これがライトノベルか、読んでみようと思って、買って読み始めたら面白くてハマったんだ」

 僕は少し声を落として言う。

「そうか。そんな理由があったのか。いつも明るいから全然気付かなかったよ」

「でも、なんだか物足りないんだよね。やっぱり小説は小説止まりじゃん?楽しむには良いけど、のめり込むと虚しくなるっていうか。何かしたいんだけど、何をしたいのか分からないんだよね」

 何をしたいのか分からない。それは僕も同じだった。果たして本当に僕はニヒリストを気取りたいのだろうか。それとも部活で汗を流す青春をしたいのだろうか。

 それともロックンロールをしたいのだろうか。それともヤンキーになって肩で風を切って街を歩きたいのだろうか。それともアイドルの追っかけをしたいのだろうか。

 良く分からない。それはただ、心からやりたいことが無いからそうなのかもしれない。自分が何を望んでいるのか分からない。ただ芥川龍之介が言っていたようにぼんやりとした不安が僕の目の前にいつもあるのは確かだった。

 放課後、いつものように颯爽と、それでいて、のっそりと帰る僕。また明日な、と声を掛けてくれる遠藤。

 そして昨日と同じように廊下の窓から景色を眺めているツグミ。大丈夫かこいつ。

 僕はツグミに声をかけずにそのまま階段を駆け下りていった。河川敷の夕日を眺めながら、僕は問うてみた。

「俺は一体何をしたいのだろう。俺は一体何ができ……」

 とそこまで言ったところでかなり速い駆け足音に気付き僕は後ろを素早く振り返った。

「チャレンジ!トゥ!デリューショーン!」

 と叫ぶ声と同時にツグミのドロップキックをまともに食らって僕はそのまま勢い良く吹っ飛び、豪快に地面へ倒れた。

「おい!何すん……」

 ツグミは僕に馬乗りになって両手で胸ぐらを掴んで言った。

「イチロー!たまには良いこと言うじゃない!やりたいと思ったことやればいいよね!そうだよね!」

 と満面な笑みで叫ぶツグミ。

「あんたもあたしの裏部活に入りなさい。強制だからね。あんたがやればいいって言った んだから」

「なんだよそれ。強引過ぎるだろ。何するんだよ?」

「付き合いなさい。分かった?」

 と胸ぐらを掴んだまま僕のほうへ顔を近づけて言った。

 僕の顔とツグミの顔との距離、実に20センチ。いくらなんでも僕はどきりまぎりとした。そりゃそうだ。僕は17だぞ。思春期真っ盛りの乙男になんてことをするんだこの野蛮な女は。

「Challenge to delusionという非公式の部活を作るの。少なくとも後4~5人は部員が欲しいわね。どんな部活かというと」

 と言ってツグミは僕から離れ夕日を指さす。

「やってみたいなという妄想を現実化するの!」

「どう?シンプルでしょ?」

 倒れてる僕を見上げながらご満悦そうに言うツグミ。

「う、うん」

 なんだかこいつの存在感に圧倒されてそれだけしか言えなかった。

「どうせあんた暇だからいいでしょ?それに楽しそうでしょ?」

 確かに暇と言えば暇だし、楽しそうといえば楽しそうだが一体どんな妄想を現実化するのか。犯罪にはならないのだろうか。

「例えばどんなことするんだよ?」

「例えばね~」

 ツグミは顎に手を置く。

「例えば、現実ではあり得ないことよ。平々凡々とした日常がぶっ壊れるような出来事。机で寝てたやつも驚いて目が覚めるような出来事。それが学校内で起こるの」

「なんで急にそんなことしようと思い出したんだ?」

「私は頭の中でこれをやったらどうなるのかというくだらない妄想をやりたくてウズウズしてたらイチローがやってみたらいいじゃんって言ったからよ。それだけ」

「イチロー、数揃えておいて。私も出来るだけ揃えておくから。じゃね」

 そう言って走り去るツグミ。

 僕はツグミが米粒のように小さくなるまでその背中を眺めていた。

 仕方がない。ツグミの茶番劇に付き合うことにしよう。中学の時も何かとツグミの思いつきに振り回されたものだ。取り敢えず2人誘えるやつがいる。


 次の日、学校へ着くと、遠藤は相変わらず机に突っ伏して、夏に動物園にいるやる気の無い動物たちのようにライトノベルを読んでいた。

「お、ニノ。おはよー」

 僕が来たのに気が付くとそのままの姿勢のまま爽やかな笑みを浮かべてあいさつする。僕は自分の机に鞄を置いてから、遠藤の机の真ん前に自分の椅子を持っていき、座り、遠藤と対面して言った。

「なぁなぁ、高岡ツグミって知ってる?」

「え?なんだい急に。知ってるよA組のはっちゃけた可愛らしい女の子だろ?」

「俺と、ツグミでさ、部活作ろうと思ってさ」

 遠藤は突っ伏した状態が起き上がって興味津々といった具合いで聴いてくる。

「へぇ。何すんの?何すんの?」

「とはいっても、公式の部活を作るのは大変だし、俺達のは絶対通ることは無いから、非公式の部活を作るんだよ」

「なんだそれー。面白そう。勿体ぶらずに早く教えてよ」

 ソワソワする遠藤。

「妄想を現実化にするんだ」

 遠藤は怪訝そうな顔を浮かべる。

「え?妄想を?何それ?」

 遠藤の顔からやっぱり駄目かと思ったが続けて話すことにした。

「現実ではあり得ないこと。平々凡々とした日常がぶっ壊れるような出来事。机で寝てたやつも驚いて目が覚めるような出来事。頭の中で今これが起きたらどうなるんだろう。とかそういう妄想したことあるだろ?そういうのを学校内で起こすんだ」

「見つからないように。そして退学にならない程度にね」

 と付け加えておいた。

「おぉ!」

 と遠藤は叫び、机から立ち上がって、爛々と目を光らせた。何人かが遠藤と僕のほうを振り向いた。そういえば最近、僕と遠藤が良くつるんでいるのをみんな不思議そな目で見ている。そりゃそうだ。僕と遠藤が仲良くやってるのは猫とネズミが添い寝しているようなもんだろう。一部の女子からは疎まれている。前は後ろから舌打ちされたし、前に出る時に足を引っ掛けられた時もある。愚女共め。

「すげぇ楽しそうじゃん。さすがニノ。面白いこと考えるなぁ」

 と感服し、僕に両手で握手をしてくる遠藤。大げさに褒められると居心地が悪くなる。

「いやいや、俺が考えたんじゃなくて、まぁ、ツグミがリーダーなんだけど……そんで遠藤もどう?っていう話」

「もちろんやるよ!ちょうど学校生活にカンフル剤が欲しいと思っていたところなんだ」

「それは遠藤の朝の調子を見てれば分かるよ」

 遠藤の大きな声に反応しだした、5~6人の机で突っ伏して寝ていた女子がムクリと起き上がり、「たっちゃん何の話してるのぇ?私も混ぜてぇ」とニタニタと笑いながら言い、両手を前に突き出してのそり、のそりと遠藤に近づいてきた。それはまるでゾンビそのものだった。

 僕と遠藤は怯んだ。

「ニノ、逃げるぞ!」

 僕達は急いで教室から出て、廊下を走った。後ろのほうからゾンビ女子がスピードを上げて追いかけてくる。

 だづやー、までー、というおぞましい声が廊下にこだましていた。僕達は体育館の裏まで走って逃げた。僕は息を切らしながら言う。

「それで、遠藤にも部員を集めて欲しいんだ。1人でも良いから。こういうのは多いほうが楽しいからね。」

「おぉ、任しとけって!楽しくなりそうだな」

 僕達は手をガシっと掴み合った。


――昼休みの図書館。中央に円卓のテーブルが2つ、角張の机が2つあり、図書館の隅から隅まで本で埋め尽くされている。まるで本の館だ。だからこそ、図書館なのである。本棚が均等に分けられて、奥のほうまでズラっと並んでいた。

 入り口と反対側の窓から光が差し込んでいる。クーラーが調度良い加減で効いていて非常に心地が良い。難しい本が好きな僕にとってこの図書館は欠かせない存在なので常連となっている。なんでもハーバード大学の図書館にはこんな言葉の落書きが残されているらしい。

『まさに今この瞬間でも、相手は読書をして力を付けているのだ』

 僕はその言葉を噛みしめ、誰よりも読書をしようと決意したのだ。

 一時期は『図書館に、二宮あり』と呼ばれ、図書館に二宮一郎の銅像を建てようという話まで出ていたほどだ。もちろん茶化されているだけである。

 もう1人、僕と同じような本の虫がいる。そいつを探している。

 隈なく探していると、そいつは『歴史学』のジャンルのところにいた。

「おい、山P」

 僕が山Pと呼んだ奴はびくりとして僕のほうを振り向く。前歯が出て細い目をして厚底のメガネをかけた、明らかにモテなさそうな顔の奴は山Pというアダ名を呼ぶには余りにも、余りにも、

「おや、二宮君」

 とクラス長山田はキキッと短く笑った。

「山P、リーダーは誰かは言えないけど非公式の部活造ったんだ」

「へぇ、どんなのだい?」

「学校内で愉快犯を繰り広げて日常をぶっ壊して寝てる奴等を起こす部活」

 クラス長山田は愉快犯という言葉にピクッと反応し、眼鏡を右手でクイッとあげた。このクラス長山田は表は真面目な顔をしているが、その裏では人が何かアクシデントが起きたところを見てはキキキと笑って喜ぶド変態野郎なのだ。

「なるほど、それに僕を誘ってくれるという訳だね。でも、それは余りにも度を超すと退学。下手をしてバレると、内申に響いてくるね?僕はこのまま大学に進学するつもりだし、馬鹿なことをして自分の人生にヒビがいくようなことはしたくないな」

 僕はクラス長山田の肩をガシっと掴み、睨むような真顔でクラス長山田の細い目をジィっと見る。

「な、なんだい?」

 とキョドるクラス長山田

「山P、正社員で安定した職なんて望むな。たった一度の人生だ。だからこそ、安定した人生なんて望むな。お前も男だろ。大志を持っているだろう?」

「え、え?もちろん大志はあるけど、それとこれとはどういう関係が……」

 たじろくクラス長山田。

「関係大ありだよ。それはアレだぞ。学校の勉強なんて将来の役に立たないと言う浅はかな持論をしている奴らと同じレベルだぞ。いいか、石橋を叩いて渡る奴は管理職止まりだ。もっと上を目指す奴は恐れずに何事にも挑戦していくことが出来る度胸と勇気という名の無謀さが必要なんだ。その恐れないという無謀さを養う訓練になる」

「ふむ。一理あるね」

 感銘した顔で言うクラス長山田。もう少しだ。この馬鹿の心を射止めるのは。

「それにこの事業は汚い社会を生き抜いていくために、犯人を悟られないようにする工夫を考える狡猾さ、そしてこの寝惚けた学校をハイにさせるためにいかに面白いアイデアを考えるかという発想力が鍛えられる。山P、この資本主義を渡っていくには必要な資質だろう?そのような資質は学校の授業では鍛えられない。だから大学出の頭でっかちは使えないと良く言われるだろ?」

 クラス長山田は眼鏡を右手でクイッと上げ、眼鏡を光らせた。どうやって光らせたのかは分からない。眼鏡を光らせることなど出来ないが、奴の瞼の中にある細い目の眼光の輝きが眼鏡を光らせたかのごとく、見えた。しかしまだ顔に躊躇の余地がある。あと一息だ。

「山P。社会風刺のドキュメンタリー映画を創り続けているマイケル・ムーアはこんなことを言っていた」

 僕は図書館では注意されるレベルの力強い声で言った。

「どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと世界は変わらない」

 クラス長山田の眼鏡は音を立ててピシピシとヒビが入り、そしてパリンと音を立てて割れた。何故だ。

「二宮君、僕やるよ!いや、僕にもやらせほしい!仲間に入れて欲しい!」

 落ちた。

「さすが、山Pだ。それでこそ日本の将来を担う勇士だよ。この事業は人が多いほうが良い」

「任せてくれたまえ!」

 僕達は手をガッシリと掴みあった。

「あの、そこの二人、図書館では静かにしてもらえますか?」

 その時、図書委員の清水由貴子が近寄ってきてそう言った。

 髪を後ろでひっつめて背筋をピンとした清水由貴子はいつの間にか背後に忍び寄り、図書館の秩序を乱す者に静かに注意をする。クラス長山田は「すすすす、すいません」と激しくドモり、顔を赤らめて挙動不審にしながら、その場を立ち去った。

 察しの通り、クラス長山田は清水由貴子のことが好きなのだ。しかし今、そんなことはどうでも良い。

 それから何人かに声を掛けてみてが、恐れをなして誰も参加しようとはしなかった。日和見主義、事なかれ主義、保守的に生きる愚民どもはこれだから。日本はこんなだからいつまでたってもぬるま湯に浸かり続けて、いつかは崩壊してしまうのだ。

 放課後、教室のドアを乱暴に開け、有無をいわさず僕の方へヅカヅカと駆け寄って来るツグミ。あまりに力強くドアを開けたために、何人かがツグミのほうを向いた。

 ツグミは相当至近距離まで来て、僕の方を見上げて言う。

僕は身長167センチ。ツグミは身長160センチ。7センチ差で僕はツグミを見上げることが出来る。

「イチロー、どうよ?」

「2人誘ったよ。結構戦力になると思う」

「誰?」

「遠藤と、クラス長山田」

「でかした!」

 と言ってツグミは僕の肩を力強く何度も叩く。痛い。

「早速、来週の月曜の放課後にミーティングをするから、都合合わせるようにみんなに言っておいてね」

「相変わらず君主制だなぁ。分かったよ」

 溜息混じりに言う僕。僕は遠藤とクラス長山田にミーティングの日程を伝えた。

 そして月曜日までの間、何事も無かったかのように、いつものような日常が繰り広げられていく。ただ、水曜日に少し騒ぎがあったようだ。誰かが3階の窓から飛び降りようとしたらしい。

 僕は月曜日から日曜日まで、しばらく眠り、しばらく微睡み、しばらく手をこまねいて、また休むような生活を繰り返した。周りの奴らも同じような感じだ。

 平和ボケという言葉で片付けたくない。平和なのは良いことじゃないか。

 ただ不景気の波は続き、格差社会は広がっていき、夢や希望を語ると笑われるような時代には惰性で生きる人間が見事に完成されてしまうのだ。そんなぬるま湯から抜け出すのは難しい。微睡んだ状態から自力で起き上がるには並大抵の精神が必要なのだ。殻を打ち破らないと。などと考えつつ、月曜日の放課後がやってくる。

 集合場所は旧本館にある視聴覚室。最も薄暗く、最も目立たぬ場所。

 本館から出て、少しは慣れにある旧本館まで歩いて行く。

 楽しい下校を満喫する生徒達。僕はなんだか胸が高鳴り、緊張を覚え始めた。

 旧本館に入り、廊下をしばらく歩き続ける。すると視聴覚室が見えてくる。既に人がいるようで声がヒソヒソと窓から聴こえる。高鳴る鼓動を抑え、僕は視聴覚室のドアを開けた。

 教室と同じような風景の視聴覚室には、7~8人の男女が席に座っていた。

 馬鹿げた部活を始めた張本人のツグミは講壇の横にいた。

「おっす。イチロー。やっと来たか」

 ツグミは辺りを見回して言った。

「これで全員ね」

 ツグミは手を叩いて言う。

「じゃあみんなそっちの端から順に自己紹介してもらおっか」

 ツグミが遠藤を指さした。え?俺から?という顔をする遠藤。

 遠藤は立ち上がって自己紹介を始めた。

「えっと、俺は遠藤達也と言います。同じクラスのダチのニノこと、二宮に誘われて、好きなサッカーも続けられなくなって暇してて、すげー楽しそうだから入部することにしました。よろしくお願いします」

 爽やかな笑みを浮かべてフレッシュに言う遠藤。誰かがボソッと、へぇ。あの遠藤が。と言っていた。まばらにぱちぱちと拍手をする。

「じゃあ次あんた」

 ツグミはクラス長山田に指を指す。

「えっと……僕も二宮くんに誘われて。2ーBのクラス長、兼、学年長をしている山田です。どんなことをするか詳しくはまだ分かっていないけど、愉快犯的なことだと聴いたので、バレると退学がもしくは内申に響くのでそこのところ注意してやっていきたいですね」

 次に、クラス長山田から一つ離れた席に座っていた、幸の薄そうな顔をした女が立ち上がる。女は俯き加減で、貞子のような髪を掻き分けて、言った。

「あの、私、浅井鈴香と言います。先週、取り乱して校舎の3階から飛び降りようとしていたところをツグミさんが私を止めてくれて、どうせ死ぬなら今から私がやろうとしている面白いことやってみようよと言われて、そうか、じゃあそれをやってから死ぬことにしようと思って入部することになりました」

 大丈夫かこの女。

 次に、その後ろにいた、顔も体格も大岩のような男がずんぐりと立ち上がり、ハスキーな声で自己紹介を始めた。

「柔道部の主将を務める、村井武志と申します。山田に宿題やテストの件でお世話になったことがあるのでその借りで入部させていただきました。不束者ではありますが、よろしく頼んます」

 そして次に、その前にいた体の線が女のように細く、尖った狐のような顔をしたロン毛の男がゆらりと立つ。

「私は茶道部の伊集院世阿弥と言います。ツグミさんに誘われました。私は幼い頃から茶道を嗜み、三味線を弾き、あらゆる武術を学びつつ生きてきたのですが、ツグミさんに色々なことを試して世界をたくさん知ったほうが弾ける世界も広がるよと言われて、入部してみました」

 そして最後にその横で机で突っ伏していた女が立った。目がばっちりとしたアヒル口の小柄な女だった。オタクにウけそうだ。

「えっと、えっと。あたしは山口維菜と言います。あのぉ、えっと、ツグミちゃんに紹介されましたぁ。お話を聴いてみるとなんだかとっても楽しそうだったので」

 とアニメ声の女はスマイルプリキュアな笑みを浮かべた。ライトノベルの世界から出てきたような女で僕は少しイラっとした。彼女は全学年可愛い娘ランキングで第1位という輝かしい栄光を持っている。遠藤と同じくファンクラブが存在する。

 それにしても、揃いも揃ってなんという個性派揃いなのだろうか。

「あんたも自己紹介しなさいよ」

 ツグミは僕をビッと指を指した。僕は慌てて立ち上がって自己紹介をした。

「えーっと、二宮一郎と言います。ツグミは自分の妄想を実現したいという夢を持っているらしくて、僕がそれに対してやればいいじゃんと言うと、じゃあやろうと言うことで僕はほぼ強制的な形で入部することになりました。はは……よろしくお願いします」

 まばらな拍手とともによろしく、よろしくねぇとの声。

「えっとね。私考えたんだけど、まず、1つ、頭の中の妄想でやりたいことを誰かが提案して、それを達成するまで実行するの。そんで達成したらまた次の課題に取り込んでいく、みたいな感じでやっていこうと思う。シンプルでしょ?それだけ」

「それでミーティングを基本的に毎週金曜日の放課後に持っていこうか」

 とツグミ。君主制である。

「妄想を実現化ということですが、それは例えばどういったものですか?」

 とクラス長山田。ツグミは手を顎に当てて考えた。

「そうね……例えば、私が良く妄想するのは授業中に突然隕石が落ちてくるとか、いきなり像の大群が校舎を通り抜けるとか……」

 一同は少し静まり返った。ツグミはすかさずフォローするかのように言う。

「分かってるって。そんなのは無理ってことは。私の妄想はあまりにもロマンチック過ぎて現実化出来ないの。だからみんなで現実に出来そうなレベルまで近づけて欲しいのよ。普段過ごしていたら絶対に起こり得ようのないことを私達が起こすの。そうして眠気を覚ますの」

 ロマンチックの定義が良く分からなくなってしまった。

「せっかくだから、みんなが幸せになれるようなことをしない?」

 フレッシュマン遠藤。

 ツグミは「オォッ」と言ってぽんと手を叩いた。

「なるほど、ただの愉快犯だけに終わらせないということですね。素晴らしいです」

 そう言いながらキキッと笑うクラス長山田。

「じゃあ、根っこには幸せになる。そして、現実には起こり得ようのないこと、というのがあることにしよう。それで、なんか思いつくのある?」

 とツグミ。

「朝学校に着いたら教室がお花畑になってるなんて素敵じゃない?」

 アニメ声で維菜。これはロマンチックだ。というかこういうのがロマンチックだろう。象がなんとかとか隕石が落ちてくるとか全然ロマンチックじゃない。

「いいわね。そんな感じ。でもなんだかありきたりね。取り敢えず候補に入れとこう」

「悪党が学校に襲ってきてそれを我が柔道部が倒すというのはどうですか?」

 腕を組みながらご満悦層な表情を浮かべる村井。

「ヤラセはお門違いだしあんたの柔道部の株が上がるだけじゃん。駄目よ」

 と一蹴され、むぅと唸りながら手を顎に当てて塞ぎこむ村井。

 そう、愉快犯とヤラセは似て非なるものだ。

 それはゴキブリとカブトムシが似て非なるものと似たようなものだ。

「こんなのはどうだろう」

 静かな声で伊集院が言った。

「なになに?」

 興味津々に伊集院に顔を近づけるツグミ。

「私は、世界史の岩下先生がいつも機嫌が悪く異常なほどに神経質なのが気になります。驚くのは、私は岩下先生が笑ったところを見たことがありません。その岩下先生を笑わせる。というミッションはどうですか?」

 いいねと小声で遠藤。伊集院は少し間を置いてからまた話しだす。

「私はこの『チームChallenge to delusion』で遂行するミッションは意外性があればあるほど面白いと思います。人気のある先生が構ってもらうのは至極当然なことです。しかし岩下先生のような偏屈な人を笑かせたりしようと思う人はいないでしょう。ここに意外性があり、かつ幸せというのがあります」

 遠藤は「すげーいいねそれ!」と言って拍手をした。

 思わず僕は口を開いた。

「伊集院の提案は素晴らしいと思う。それに言い得て妙だ。僕は個人的にこの非公式の部活を通してある思想を含めている。それは、例えばこの高校が気に食わないとする。僕は気に食わないのだ。金に物を言わせて生徒のことを考えずに組織の拡大をはかったやり方にね。僕のようにこの高校の方針に気に食わない者はたくさんいると思う。だからこの部活を用いて困らせてやろうかと思っていた。しかし、この部活を用いて愉快犯を起こし、困らせるのは良く考えると3流のやることだ。そして個人的にだが、2流はこの学校の気に食わないところに改革を起こすことだ。半ば強制的にでも変えてやるという意識だ。しかし僕は革命家が好きなので2流とは思わない。だが、達也が言ったことはもっとレベルが高いと思ったんだ。すなわちそれは、この気に食わない学校に対して祝福を与えるということだ。これこそ1流じゃないだろうか」

「イエス・キリストだね」

 満面の笑みを浮かべて遠藤。

「イエスキリスト?」

 聞き返す僕。

「そうだよ。僕は実はクリスチャンなんだ。聖書ではイエス・キリストが、私はあなたがたに言っておく。あなたがたの敵を愛しなさい。 そしてあなたがたを迫害する者のために祈りなさい。とあるんだよ。僕はこれは本当に凄いと思うんだ。何故かというと、さっきニノが言っていた2流の改革というのは、半ば強制的だから反発もあるし、その中には争いが生じるんだ。必ず。でもさ、敵を愛するのって反発の仕様がないじゃん。それに愛された敵はそのうち敵じゃなくて味方になっていくんじゃないかと思う。愛の力は大きいからね。そうするとどうなるのかというと、何の強制も無しに物事が良い方向へと変わっていくんじゃないかな?」

 僕は遠藤がクリスチャンだということに驚いたと同時に、愛によっての革命という思想に舌を巻いた。

「あんたたち何訳の分からんこと言って盛り上がってんの」

 ゲンナリとして溜息を吐くツグミ。

「少し地味な気もするけど、まぁ最初はそんなので良いでしょう。じゃあ岩下を笑わせる。でいいわね」

「せめて先生を付けるのが礼儀として……」

 そう言いかけたクラス長山田をツグミはギロっと睨み、クラス長山田はひっと短く悲鳴をあげた。情けない男である。

 そして僕達は今村先生を笑かせるためにどうすれば良いかを真剣に考え、そして今村先生の趣味趣向を調べる係を選んだりと夕日が沈むまで話し込んだ。

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