第2話

――見渡す限り真っ暗で何も無い場所へ二宮一郎は居た。

 前方からパッと光が差し、誰かが歩いてきた。

 それは、ぼんやりとしていて黒くて良く分からないがとにかく人間の形をしていた。

「やぁ」とそれは話かけてきた。

 二宮も「やぁ」と言った。

「君の定義する文学とはなんだい?」

 と『それ』は唐突に聴いてきた。

 二宮は手を顎に当てて、眉間に皺を寄せて少し考えた。

「文学となると、かなり幅が広くなる。純文学でいいかい?」

 と二宮。

「それでいいよ」

 と『それ』。

「では、答えよう」

 咳払いをして二宮は話始める。

「純文学、定義は様々で一概に言えるようなものではないけど、大雑把には芸術性の高い小説であり、売れることを目的としていない。人の心理的描写を鋭く描いていたり、心理であったり真理であったりを捉えようとしている。ストーリーの起伏が少なく、淡々としているのが多い。人間について生々しく描かれていて陰鬱さを提供するのが多い。なんとなく消化不良に終わって憂鬱な余韻を残すのが多かったりもするね。でもそれこそが芸術だよ。そういう生々しさこそが芸術さ。だから純文学の主人公には感情移入しやすい。人間の心理的描写がリアルだからね。特に人間の罪の部分が。純文学は芸術さ。大衆を気にして創るんじゃない。独り善がりといえばそうかもしれない。しかしそこに真実が照らしだされている。分かる人には分かるというなげやり的なところがあるね。人の見たくない所をあえて見せつけようとするところがあるね。だから一般大衆には流行らない」

「なるほど、では大衆小説とは?」

 と『それ』。

「大衆小説とは芸術性よりも娯楽性に富んだ通俗的な小説のことさ。起承転結がしっかりとしていて、SF、ファンタジー、コメディ、ホラー、ミステリー等といった感じにジャンル分けされているのが多い。ジャンルがあるからこそ、お決まりってのもある。ストーリーの起承転結がはっきりとしていてストーリー重視といった感じかな。人間の心理的描写、生々しさというのはそこまで無いと思う。僕的には芸術というよりもほぼエンターテイナーだ。つまり大衆が楽しめるように創った娯楽施設のようなもんだよ。そこには真理なんてないね。人が見たくないところは見せないで隠すんだ。だってみんな見たくないからね。人が読んで楽しかったらそれでいいんだよ。考える必要は無い。純文学は考えさせられて、憂鬱になることもあるもんだ」

「ふむふむ。ではライトノベルとは?」

 と『それ』

「ライトノベルねぇ」

 と僕は鼻で笑って続けて話す。

 ライトというのは読みやすいという意味だね。内容が難しくなく読みやすいというところから「ライト」な小説と表現されている。軽小説とも呼ばれている。表紙や挿絵にアニメ調のイラスト、俗に言う萌絵的なのをを多用している若年層向けの小説さ。中高生をターゲットに読みやすく書かれた娯楽小説かな。アニメを想起させるようなキャラが特徴かもしれない。ライトノベルで酷いのはもはや小説の体をなしていないのもある。3ページぐらいどかあああんといった効果音ばかりだったりするのを見たことがあるよ。もはやなんでもありだね。ルール無用の残虐ファイトだよ。それには一番自由があるように見せかけて実は一番自由がないんだ。はっきり言って僕はライトノベルを見下している」

『それ』はふむふむと頷き、言った。

「しかし、アレだね。なんかあんたの世界はどちらかというとライトノベルっぽくないか?」

「なんだって?」

 と二宮は素っ頓狂な声をあげた。

「だってさ、君たちの周りにいる人物ってなんだか言動に生々しさがないというか、非現実的というか、どちらかというと僕から見たらアニメを想起させるよ。君の世界はなんだかアニメチックじゃないかい?」

 二宮は怪訝な顔をした。

「何言ってんだよ。実際この世界は生の現実の世界なんだからそんな訳ないだろう」

「そんな訳ないけどさ、でも君の言動やこれからのストーリー展開によっては君の嫌悪する軽小説、ライトノベルにジャンル分けされる可能性も充分あり得るんだよ。そのことをよくよく覚えておくことだな。想像してごらん。自分の嫌悪し、見下しているものが自分自身という恐ろしさを。例えばヒトラーが実はユダヤ人だったというぐらい屈辱的じゃぁないかい?」


 はっと声を出して僕は目が覚めた。背中が汗でぐっしょりと濡れていた。なんだか覚えていないが悪夢を見た気がする。僕は汗を拭いベッドから這い出る。汗で濡れたせいで余計に寒い朝だった。あまり寝た気がしない。おまけに今日は曇りだ。少し憂鬱な気分になる。追い打ちをかけるかのごとくアラームがけたたましく鳴り始めた。

 僕は置き時計を床に叩きつけた。置き時計はリンッと短く鳴ったのを最後に、その生涯を終えた。今までありがとう。

 下から母の声がする。「何してんの?」僕はなんでもないってと声を荒げる。

 リビングに降りると母がお決まりの文句を言う。

「ご飯は食べていくの?」

「時間無いから食べない」

 中学の頃はまだ時間に余裕を持って朝は起きて、父と母と3人で朝食を取っていた。しかし高校に入ると朝に時間に余裕を無くしてきた。

 朝起きる時間は変わらないが、用意の時間や始まる時間の関係だ。こうやって僕は徐々に時間の余裕を無くして生きていくのだろうか。これも政府の陰謀に違いない。

 小学生の頃は時間に余裕だらけだった。それが中学に入るとテスト勉強という社会の歯車に乗り始め、時間に余裕が無くなり、高校になると更に加速して余裕が無くなっていった。そう、全ては大学受験、そしてその後の将来、日本を動かす企業戦士になるために時間を取られているのだ。

 見渡す限りの砂漠。約束の地へと目指して僕達はひたすら前進する。

 キャンパスライフによって一時の安息を得る。そこが僕達日本人のオアシスである。しかし大学を卒業するとまた砂漠の日々へと戻る。

 就職した僕達は朝から晩まで奴隷のごとく働いて、家に帰れば落ち着く暇なく嫁に愚痴を聞かされて、罵声を浴びせられ、子供には馬鹿にされ、子供は親の言うことを聞かずに酩酊と淫行に耽る。家族のために働いた結果がこれだ。

 そしていつしか白髪が生え、皺だらけの顔に背骨はひん曲がり、杖を突きながら棺桶へ目指してダイブするのだ。僕達は砂漠で死ぬのだ。青い海に青い空、緑が溢れ果実の匂いがする約束の地を見ることなく。嗚呼、無常。なんつって。

 などと思いながら朝の河川敷を練り歩く。なんとなくフランク・シナトラのマイ・ウェイを口ずさんでみる。後ろにツグミがいないかを確認する。


「遠藤、読んだよ。ありがとう」

学校に着くと先に席について小説を読んでいた遠藤にそう声をかけて、小説を遠藤の机に置いた。

「えぇっもう読んだの?凄い集中力だなぁ!凄いなぁ。俺なんか小説一冊読むのに頑張っても3日はかかるよ。二宮は凄いなぁ尊敬するよ」

 と心から言う遠藤に、僕は自分の器のちっぽけさが歯がゆくて全裸になって校庭で叫びたい衝動に駆られた。それと同時にツグミには僕のこの恥ずかしい滑稽な内側の全てを見破られてるんじゃないかという気がして更に心が重くなった。

「で、どう?面白かった?」

「凄い面白かったよ」

 と少し声を小さくなって言う僕。

「でしょ?面白いよね」

 と喜びがたくさん伝わってくる表情をしてはしゃぐように言う遠藤。

「じゃぁさ、次これ読んでみてよ。このラノベも面白いよ。

 といって遠藤はまだライトノベル小説を3冊貸してくれた。

 やばい。このままじゃ僕は立派なライトノベラーへと化けていく。

「なんかいつも貸してもらってばかりだから悪いから俺も貸してやるよ」

 遠藤に太宰治の『人間失格』と『斜陽』と夏目漱石の『こころ』とを貸してやった。

「ありがとう。文学とか難しい本は読んだことないんだけど読んでみたかったんだよ。すげー嬉しい」

 と満面の笑みで、本当に嬉しそうだった。

 僕はゲイじゃないけど遠藤と結婚したいと思った。遠藤と付き合う女って一体どんな素晴らしい外見と内面を兼ね揃えたような人なんだろうと想像した。

 ツグミみたいなイカれたアンダーグラウンド系とは住む世界が違うだろう。

 ドアを乱暴に開け、数学の藤原が面倒くさそうに天パのだらし無い頭をボリボリと掻きむしりながら寝惚けた教室に入ってきた。

「早くみんな席つけよー」

 間延びしたやる気の無い声で言う。貴様、給料を貰っているのなら、シャンとせい。こちらとら学費払ってるんだぞ。と言いたくなる。

 やる気の無い藤原にやる気の無い生徒。教室の中はやる気の無い生ぬるい雰囲気が漂う。前の席の吉田はこっくらこ、こっくらこ、と居眠りを始めた。

 隣の遠藤は真面目にノートを取っている。吉田はまた遠藤にノートを見せてもらうのだろう。遠藤は嫌な顔一つせずにその几帳面なノートを愚民どもに貸してあげるのだ。とんだ芸当である。僕なら間違い無く金を取る。

 2時間目、3時間目と授業はダラダラと進んでいく。やる気のある先生もいればやる気の無い先生もいる。やる気のある生徒もいればやる気の無い生徒もいる。至極当然のことだ。おそらくどの高校でも比率の違いはあれど、そうであろう。進学校なので或いはやる気のある生徒が多いのかもしれない。

 3時間目から解放されるチャイムが鳴り、ガヤガヤと騒がしくなる。

 まだ終わっていないぞとお決まりの先生の言葉。そして早く終われよてめぇと言わんばかりの生徒の態度。

 先生の終わりの合図とともにクラス長山田の、やけに甲高い起立の掛け声。机に突っ伏していた生徒達は一斉に気力を取り戻し蘇り始める。

 背伸びをする何人かの生徒。昼休みの歓喜が湧き上がり、一気にグループが出来上がる。僕の昼食はいつも独りだ。それは僕がハブられているという訳でも、クラスに馴染めないでいるという訳でもない。僕がネクリスト(根暗)だからである。

 しかし今日は少し違った。遠藤が僕のほうへ来て言った。

「なぁなぁ、俺達と一緒に屋上で飯食わない?屋上で食うの気持ち良いよ」

 屈託のない笑顔で遠藤が言う。

「あ、ああいいよ別に」

 僕は少し躊躇して言った。僕は人前であまり飯を食いたくないのだ。そういうのを会食恐怖症というらしいが、別に恐怖症にまで陥っているわけもないが。

 遠藤グループはほとんど話したことさえない奴ばかりだ。うーんと唸りながら空に向かって拳を突き上げる遠藤。

「やっぱ屋上は気持ち良いねぇ。よっしゃ。飯食おうぜ」

 遠藤は、二宮は凄いんだぜ。小説を一日で3冊も読んじゃうんだよ。しかも難しい本たくさん読んでるし、凄い頭いいんだぜ。と僕をまるで自慢するかのように紹介してくれた。僕はなんだかむず痒いものを感じた。どれぐらい痒いかというと蚊が3000匹ぐらいいる部屋に放り込まれて1時間ぐらいそこに監禁された後ぐらい痒かった。なんだか二宮といると青春をしている気がする。

 僕は退廃的な青春というのを好んでそういった生き様を心がけていたが、こういった健康な青春も悪くないなと思った。屋上で感じる初夏の空は気持ちが良かった。日は抜群に照っていて、空は青く、雲の加減もちょうど良い。

 近くにいた愚女グループどもが大きい声で声をかけてきた。

「たっちゃーん。こっちで食べようよー。ねぇー」

 体をくねらせながらギャッギャッと引き笑い混じりに弾けている。何がそんなに可笑しいのか。馬鹿じゃないのか。10代の男女は良く笑う。特に中高の年頃の女は箸が転げただけでも大笑いしている。

 今のうちに笑っておくがいいさ。そのうち人生、笑えなくなってくるぜ。などと小声で呟いてみる。

 遠藤グループは遠藤を小突きながら、「遠藤は忙しいから俺達が一緒に食べてやるよー」と弾ける愚女どもに近づいていった。すると愚女どもは、お前らはこっちくんな、ハゲなどと叫びながら更に狂ったように笑いながら転げまわっていた。馬鹿げた笑い声のせいで頭痛がしてきたので僕は先に教室へと降りていった。一体何がそんなに楽しいんだ。お前たちは自分がどうして生きているのか、などといったことを考えたことあるか?そういったことを人生の中で一度でも考えたことがあるか?と問いたくなる。

 そして、お決まりの惰性授業を受け続け、6時間目のチャイムが鳴りようやくこの圧制から解き放たれる。みんなは席を立ち、思い思いに散らばっていく。

 男子は男子で小突きあったりして、女子は女子でピーチクパーチクはしゃいでいる。遠藤は5~6人の男子に取り囲まれてぎゃははと笑い合っていた。

 お察しの通り、僕はネクリストなので必要以上に人とつるまない。

 遠藤は颯爽と帰る僕を見て、取り囲まれた男子の中から顔をひょこんと出し、「ニノ、また月曜な!小説読んでおくよ。ありがとう」

 と雲一つ無いブルースカイを連想させるようなフレッシュな声で言った。

 僕は振り向き、口角を少し上げ、消え入るような声で「ああ」と言った。

 そして前髪を掻き分け、鞄を肩に担いでロンリーロードを進むのであった。

 廊下に出てしばらく歩くと、階段の手前の窓からの景色を見ているツグミがいた。

 僕は一瞬怯んで2,3歩後ろに下がった。ツグミは元気が無く、青い顔をしてうつろな目で窓の外を見ていた。僕は恐る恐る近寄り、声をかけてみた。

「おい、ツグミ元気無いな?」

 ツグミは虚ろな目でボソボソと何かを言っていた。

「え?何?」

 と問うてみる。

 するとツグミは僕に気付き、僕のほうをゆっくりと振り向きたどたどしい口調で言った。

「こ、好奇心をこれ以上無視することは出来ない……」

「はい?」

 僕は耳をツグミのほうに向けて聞き返す。何を言いたいのか分からない。

「これをしたらどうなるんだろうとか、あれをしたら本当にああなるんだろうかとか、頭の中で思ったことを全部実行したい。いや、全部を実行したら死人が出るかもしれない。でも、その中の1割は実行したい。でないとあたし、好奇心を禁欲し過ぎたせいでノイローゼになって、いつかショック死する……」

 相変わらず摩訶不思議な悩みを抱えている。ツグミにはおそらく一般的な悩みは皆無なのだろう。その代わり、頓珍漢な悩みを抱えているのだ。

 いや、分かることは分かる。僕もこれをやったらどうなるのだろうというのは良く妄想する。しかしそれは妄想止まりでスルーすることは出来る。ツグミはスルー出来ないらしい。

「じゃぁやればいいじゃん」

 僕は素っ気なく言った。

 ツグミは口を鯉のようにパクパクしながら死んだ声で喋る。

「そんな簡単じゃないのよ」

 そう言ってからツグミはまた窓の方を向き、ぼぅっとしていた。ちょっと哀れな気もするが、太宰を罵った罪の罰だ。太宰の祟りだ。罪のアントニウムを考えているがよい。

 僕は鞄を背負ってツグミを放っておいて、そのまま帰った。

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