妄想良戯

@gtoryota

第1話

 

 朝、起きると窓一枚を隔て、カーテンの隙間を潜って、太陽の光が、この部屋と僕をわずかばかり照らす。だけども、太陽の光は僕の心までには届かない。

 小鳥の囀りも煩わしいだけだ。朝も夜も視界とは関係無しに僕の目で見えない心は暗澹としていた。なぁんてことを思うのだが、こういうことを書き殴ったり発言したりすると、今では俗に言う「中二病」なんて嘲笑されてしまうのだ。

 言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンだとは良くいったものである。

 しかし、確かに虚無は僕の心に存在する。17歳の僕はその虚無ってやつを嫌というほど感じるのだ。

 確かに、まだ17歳。しかし17年間春夏秋冬を繰り返し、何人もの人間に出会っていれば、その中にあるどうしようもない虚無的な何かがあることが分かる。僕は人一倍それに敏感だから気付いているだけだ。みんな『どうしようもない虚無的な何か』を必死で埋めようとするんだ。

 嗚呼、『どうしようもない虚無的な何か』を埋めるだけが人生なのだ。

 僕はそう気付いてしまった。気付いてしまったからこそ、もう取り返しの付かない。忘れようとも忘れることは出来ない。気付かないほうが、知らないほうが良いことも世の中にはあるもんだ。僕は知性よりも野生を。賢者よりも愚者になることを激しく望む。

「最後に、笑ったのはいつだっけ?」

 遠い空に向かってそう呟いてみた。河川敷から見える夕暮れの夕焼けは見事なまでに美しく、僕の心をセンチメンタルなハートにしてくれる。夕日とニヒリズムは最高のマッチングだ。

「嗚呼、世界が明日終わるとしたら、僕は力一杯笑いたい。この生に対しての絶望を」

 そう言ってみた。決まった。最高に切ない美だ。最高に、儚い退廃的、美だ。

「アホじゃん?昨日ここで下卑た笑み浮かべてたよ?」

 冷徹な声が後ろから比較的大きな声で聴こえてきた。

 僕ははっと振り返った。同じクラスの高岡ツグミだ。

 こいつはいつも僕の雰囲気をぶち壊してくれる中学からの同級生だ。

 僕は退廃的美を追求しているというのに、ツグミはそんな僕をたったの一言で気取ったアホなピエロに仕立て上げる。どれだけクールにイカしてみても、誰か1人がバカにする冷めた一言を発すると、それは笑いの的となってしまう。

 ベートーベンは死ぬ間際に言った。

「諸君、喜劇は終わった。喝采せよ」

 彼は自分の決して喜劇とは言えない波瀾万丈な人生を喜劇だと言ってのけたのだ。

 彼は自分の人生を皮肉ってみせたのか。或いは本心からコメディだったと思っていたのか。つまり人生はコメディだということか?実際、ツグミの一言によって僕の創りあげた退廃的美は一気にコメディに変わってしまった。喜劇は悲劇に勝る。悲劇はあっという間に喜劇へと変わる。悲劇と喜劇は表裏一体というよりも、全く同じものであるのかもしれない。それを悲劇だというのであれば悲劇になり、それを喜劇だというのであれば喜劇になるのかもしれない。語り部次第ってことか?

「なんだよ、河川敷に架かったこの夕焼けの美しさをお前は分からんのか?」

 やれやれ、とツグミは両手を上げて、クビを横に振る。

「それは分かるよ。でもあんたがさっき言ってた発言はアホまるだしだよ。恥ずかしすぎる。そしてダサ過ぎる。いや、恥ずかし過ぎるからこそダサすぎる。ダサすぎるからこそ恥ずかし過ぎる。陳腐中の陳腐。どうしてそこまで自分大好きになれるわけ?ねぇねぇ」

 と言って僕のブレザーをぐいぐいと引っ張ってくるツグミ。

「俺はお前がどうしてそこまで人をバカに出来るのか知りたいよ」

「べつに馬鹿に仕立てあげているわけじゃないよ。バカにバカって。自己愛性人格障害にナルシストって言ってるだけだよ」

「もう、知らん。お前無視な」

 と言って僕は早歩きで帰路へと向かう。河川敷の夕焼けも台無しだ。

 しかしツグミはそんな僕をおちょくってくるのだ。

「ねぇ、あんた太宰好きって言ってたじゃん?太宰とあんた似てるよ。太宰は悲劇を気取ったナルシズムだからね。駄目過ぎる自分に酔いしれてるという救いようのないバカよ奴は。何度も女と心中してそしていつも自分だけが生き残って。顔も2流だし。ちょっと文章に長けていただけのバカじゃん」

 2流じゃない。太宰は男前だ。実際めっちゃモテてたし。ツグミが好みじゃないだけだろう。早歩きで帰る僕に対してツグミは歩調を合わせて僕の横から僕の顔を覗きこむようにして嫌味ったらしい口調で喋り続ける。

「太宰なんかより芥川龍之介のほうがよっぽどイケメンだし、よっぽど人間の残酷さに対して鋭く描写されてるよ。そして彼は何よりも自分に酔ってない。ただひたすら人間の罪を残酷に表現している。それに彼のフィアンセに送った手紙なんてホント素敵。それに対して太宰はタダの気取ったクズよ。しかも太宰は芥川に憧れていたじゃない。芥川が自殺したと聞くと、太宰は芥川の後を追って自殺しようとしたほどなのよ。今で言う後追い自殺となんら変わりないじゃない。ヤレヤレ」

 そこまで言わんでも。僕は泣きそうになった。太宰のために涙を流しそうになった。太宰が浮かばれない。彼も自分の罪と戦って苦しんでいたはずなのに。この女、鬼過ぎる。ツグミは息切れしながらもまだ喋る。

「あ、あんた今泣きそうなってるでしょ?何?高校生にもなって女に泣かされて。情けないと思わない?」

 僕は思わず立ち止まった。

「なんでそこまで言われなあかんの?」

 肩を震わせて震える声で僕は言った。

「あんたがキモいからストレス解消よ」

 そう言い放ちツグミはそのまま先を歩いていった。

 なんという女だろう。一体彼女はどうしてあそこまでひねくれてしまったのか。

 親の責任か、学校の責任か、社会の責任か。

 否、全ての流れは社会にある。国家自信が今の世代を創りあげているといっても過言ではない。しかし、全ての責任は一個人にあると僕は思う。影響はあるが、責任は個人だ。僕も太宰に影響された。しかし太宰に責任がある訳ではない。影響された僕に責任がある。選んだのは僕なのだから。全ての責任は選んだ本人にあるんだ。誰のせいにもしちゃいけない。自分の人生は自分の責任以外の何者でもない。

 例えば殺人系のゲームを好き好んでプレイしていた青年が殺人を犯したとしても、責任は青年にある。殺人系のゲームの責任にするのは責任転嫁である。

『助長する何か』なんてあげだしたらキリが無いぞ。

 そんなことを気にするようになればしまいにはこの世から芸術の類と娯楽の一切は無くなってしまう。だけども、事実、殺人系のゲームは殺人を助長はしているのだ。

 見境なしに殺人をするゲームなど、倫理に外れた行為を行い、それで良しとするゲームや本、漫画、映画などは規制するべきであろう。

 だから娯楽にも芸術にも規制は必要なのだ。リベラルの行き着く先は秩序の崩壊だ。何に対してもバランスというものが必要な訳である。などと考えながら家に着く。安全ピンの形をした赤いキーリングをブレザーのズボンのベルトループから外し、マンションの鍵を手に取り、軽く上に放り投げて、キャッチをしようとするが手元が狂い地面に落とした。

 周りを見当たし、誰にも見られていなかったことを確認し、颯爽とオートロックを解除する。こういうところがおそらく人生が喜劇なんだろう。人生とはこういうドジの積み重ねなのかもしれない。そして、格好付けて失敗したところをたまに誰かに見られるのだ。それはとても悲惨なことだ。

 僕は夕飯を食べ、部屋に篭って難しい本を難しい顔をして読んでいた。僕は難しいことが好きなのだ。僕はきっと難しい生き物なのだ。僕の本棚は上段は日本文学、ロシア文学、下段には何かと深く考えさせられるドープな漫画の数々で埋め尽くされている。これが僕のアイデンティティだ。おそらく僕は誰よりも難しい人となるだろう。難解な問題を解き明かしていき、そしてノーベル賞とか取るような、そんな人になるだろう。などと考えながら、スタンドの電気を消す。一瞬にして、暗闇。そして、一瞬にして、朝日。人生はこれの繰り返し。小鳥の囀りと4月の薄寒い気温。窓辺から、ぼんやりと、朝日。僕はアラームが鳴る2、3分前に必ず起きるのだ。

 アラームに負けたくない一心なのだ。しばらくすると金属を物凄い速さでぶっ叩いたような耳障りなアラーム音。僕は唸り始めた置時計を右手で払い落とし、騒音を止め、洗面所にて顔を洗い、歯を磨き、髪の毛を水で濡らし適度のセットを施し、ブレザーを着て、リビングに降りていく。ご飯は食べていかないの?という母に向かって時間が無いと言う。これはもはや、いってきますの代わりのあいさつと化している。

 外はまだ寒くて僕は少し震えた。朝の冷たい空気をゆっくりと吸い込んだ。

 僕の肺は冷たい空気で満たされる。それはとても気持ちの良いものだった。自分が新鮮になった気がする。冷たいというのは時に気持ち良く、時に不快である。

 最も好きなのは、寝ている時に足が火照ってくると、冷たい場所を探し、そこに自分の足をピタッとくっつける時だ。火照った僕の体を冷やしてくれるそれは、なんとも言えない愛情を感じるのだ。


 私立佐久間高校。森山駅から徒歩10分。僕の自宅から徒歩20分。中学から大学までエスカレート式の有名私立だ。僕は中学から佐久間高校の世話になっている。

 2年B組。僕のクラス。講壇から一番後ろ、そして入り口のドアから一番離れの窓際の最も存在感の薄い席が僕の席だ。これは僕が望んでいた席であって、僕がチョンボをしてゲットした席でもある。

 方法は実に簡単だ。クラス長の山田がクジで席を決めると決定した。そしてクラス長山田はクジの箱に工作をした。この席の番号のクジを箱の右横の壁にテープで貼り付けて置いた。そしてそれを知っているのは僕だけ。

 僕がクジを引く時にテープを剥がし、そのクジの番号を引く。

 僕はクラス長の山田を5000円で売っただけだ。クジで席を決めると提案したところから既に僕とクラス長の山田の裏工作が始まっていた。これで1年間ずっと僕はこの席を確保することが出来る。僕はなんだかこの悪事をやり遂げた時に、とても狡猾でクールなことをしているようで(実際そうなのだ)テンションが上がり、前歯がやけに出ていて細い目をしてキキキッと気味の悪い下品な笑みが特徴のクラス長の山田に「お主も悪よのう」と言い脇腹を肘で小突き、それに対してクラス長の山田は「お代官様には叶いませんわ」と言い、僕達はククク&キキキと笑いあった。

 結局、僕が思うに、クラス長の山田は越後屋止まりの器である。

 ところで、朝の教室はみんな寝惚けている。テンションはそれなりに低い。

 教室までも寝惚けている感じがする。いや、実際寝惚けているのだ。

 無生物は生命体の影響を受けている。特に人。

 水の結晶は人の話す言葉の類によって美しくなったり醜くなったりすると本で読んだ。毎日、「ありがとう」という言葉を話しかけた水は綺麗な結晶で、飲むとおいしいのに対し、毎日、「バカ」と話しかけた水は汚い結晶で、まずいのだ。

 確かテレビでやっていた。テレビでやっていたから本当に違いない。その番組ではちゃんと実験もし、結果も出ていた。間違いない。

 おそらく今のこの教室はこの寝惚けた愚民どもの影響を受けて、空気がそのように変化したからこそ、教室の視界もぼんやりとしているのだろう。実際、先生が怒鳴り、皆が静まり返った時は空気がピンッと氷のように固まっている。ピシピシッキィーンと音が聴こえてきそうだ。いや、実際聞こえている気がする。

 そして、ざっとこのクラスにいる者どもを観察してみよう。

 昼過ぎよりも言葉数が少ない者と昼過ぎと言葉数が変わらない者とで別れる。

 低血圧な者とそうでない者はこれで大方区別が出来る。そして低血圧の奴に、朝にはあまり話かけないほうがいい。

 チラホラと生徒が、のそのそと教室に入ってくる。朝の動きはみんなスローだ。昼になるに連れてスピードは上がっていく。学校が終わる頃にはまるで朝の動きを早送りしているのかにまで快速になっている。愚民どもの特徴だ。

 僕のすぐ右隣りの席にある小説を机に突っ伏して体たらくな姿勢で読んでいる輩がいる。

 2年になって3週間ほどが経つが、奴とはあまり話をしたことがない。(奴に限らず愚民どもとはあまり会話をしたことがない)

 僕は特に奴と距離を置いている。奴は1年の頃から無駄に知名度が高い。僕は奴を蔑んでいる。それは奴がいつも読んでいる小説があまりにも低俗過ぎるからだ。余りにも、余りにも。そう、奴の読んでいる小説はあの知性の欠片も無い、幼稚極まる、何の真理の深みも無い、ゆとり教育の生み出したシロモノである『ライトノベル』を読んでいるのだ。

 茶髪のアホは、そのロクでもない、日本の学歴低下の象徴である本と呼ぶには余りにも、余りにも……

 僕は小さく唸った。


「ねぇ、たっちゃん。何読んでるのぉ?」

 そこに色目を使った茶髪の売女が猫撫で声で詰め寄って来た。

「ん?あぁ、これ小説」

「えぇ~小説なんて読んでるのぉ?たっちゃんすごぉい。賢ぉい」

 吐き気がする。白痴ノベルなんてどんな阿呆でも読める。

 どうしてこんな愚を絵に描いたような茶髪がモテるんだ。

 僕のほうがよっぽど難しい本を読んでいるというのに。あんなの子供の絵本じゃないか。いや、小学生の夏休みの絵日記だ。

 これが日本を駄目にしたB層という愚民中の愚民どもだ。

 コペルニクスが地動説を唱えた時、無知な学者どもは彼を嘲笑った。

 そう、いつの時代でも高貴な真実は支持を得ない。

 実際それはバレンタインデーに統計が出ている。

 奴はバレンタインデーにおびただしいほどのチョコを貰っていた。

 僕はというと、1つだ。いや、それは嘘だ。0なのだ。

 帰る途中にいつもの河川敷でツグミと出会い、ツグミは恥ずかしそうにモジモジと体をくねらせながら、下を向き「あの、これあんたに……やるよ。今すぐにここで開けて欲しいの」と言って、僕に比較的大きめのハート型のチョコをくれたのだ。

 僕は天地が逆さまになったんじゃないかと思ったほど驚嘆した。僕が震える手で受け取ると、ツグミは走り去っていった。僕はツグミの言われた通り、今すぐにここで開けた。手紙でも入ってるんだと、そしてそれはラブレターであり、これは本命のチョコであることは犬が西向きゃ尾は東、と言えるほど間違い無いことである。

 僕は箱を開けようとしたが、なんだか、箱が何かに引っかかっているように固くて違和感を感じた。しかしそんなことは何の気にもせずに、これから僕とツグミの高校の青春、ラブストーリーを思い描きながら、箱を勢い良く開けた。

 開けたと同時に次はビッグバンが起きたかのように驚いた。いや、実際ビッグバンに似たことが起きたのだ。箱はボンッと音を立てて爆発し、僕は顔から全身真っ黒のべとつく甘ったるい液に塗れた。

 ツグミとの脳内恋愛ストーリーは、お互いが社会人になり、婚約指輪を渡すところまでいっていたが、一気に全てが吹き飛んだ。なんという手の込んだ悪戯だろうか。

 ポジティブな愚民はこれを気があるからこそそこまでするんじゃないかと思うだろう。しかし、違う。実際このイタズラは危険過ぎる。僕は顔に少し火傷を負った。

 火傷を負ったんだ。僕はその場で「酷い、酷すぎる」と叫び、大泣きをした。

 ツグミのこのイタズラは完全に悪意なのだ。僕でストレス解消をしているだけなのだ。

 まぁそんな話はどうでも良いのだが、とにかくこの茶髪、遠藤達也は女に人気がある。それもそのはず、まず顔はジャニーズ系。髪の毛はサラサラで茶髪。(馬鹿な女は茶髪でサラサラが好きなのだ)身長176センチ。(ちなみに僕は167センチだが、170あるといつも言い張っている。おそらく言い張り続けると、僕の細胞達が後3センチ足りない!と焦り、骨が軋み、3センチ伸びると踏んでいる)スマートだが筋肉がある。俗に言う細マッチョ。そして部活はサッカーでフォワード。かなり活躍している。佐久間のネイマールとか馬鹿みたいな名前で呼ばれることもある。

 成績は学年で常にベスト5以上に入るほどの優秀さ。

 いつも奴の練習風景を取り巻きの女どもがギャースカパースカ、ピーチクパーチクと騒いでいる。

 佐久間の馬鹿マールの周りで売女達が下品に騒いでいるのを横目で、僕は馬鹿マールに負けじと抵抗してカバンの中からショーペンハウエルの「存在と苦悩」の本を取り出し、読み始めた。この本の内容は生の苦悩を説くと共にその救済を芸術と宗教に求めた哲人の珠玉の短文や警句の数々が書かれている非常に有益で崇高な本なのだ。馬鹿女どもには分かるまい。

「たっちゃん、その本なんて言うやつ?」

 違うギャルギャルしい女が達也のところにきてそう言っている。ギャルギャルしい女は僕に一瞥もくれない。当然だ。住む世界が違うのだ。次元が違うからきっと僕のことは見えないのだろう。2次元の奴は3次元を見ることは決して出来ない。しかし3次元は2次元を見ることは出来る。僕が漫画を読むが、漫画にいる人間は僕を見れないのと同じ原理だ。と思うと心がすっとして少し落ち着いてきた。

 遠藤は面倒臭そうにギャル馬鹿女に言う。

「これはなぁ、『俺には実は妹が150人いた』っていう本だよ」

 えーやだー、面白いタイトルー、超ざんしーん。なんて騒いでやがる。

 僕は顔面の右上辺りがヒクヒクと痙攣していた。なんというふざけたタイトルだ。

 どうせ作者のような冴えないクズみたいな主人公があり得ないほどのハーレム化状態してるような感じのストーリーなんだろう。今の貴様のようにな。

「前はあたしが貸してあげた吉田花子の憂鬱っていう本読んだんだよね。たっちゃん」

 とまた別の、大いに肥満気味の、ニキビ面の馬鹿女が、二人の馬鹿女に視線を送りつつ、勝ち誇ったような笑みを浮かべて後ろから詰め寄ってきた。馬鹿女は鼻息荒く、グフグフと奇妙な笑い声を上げつつ涎を垂らしながら、遠藤を後ろから舐め回すかのように下品極まりない顔で遠藤を見つめている。可哀想な遠藤。これには心から遠藤を同情する。

 遠藤を中心に三角の形で取り囲み、お互いがお互いに牽制しあい、火花を散らしていた。刺し違える覚悟が出来た目をしている。

 朝から穏やかじゃない。イケメンあるところに戦争あり。

 見てみろ、僕の周りはなんて平和なんだろうか。戦争と平和。

 僕のせいで殺し合いは始まらないが、遠藤のせいで殺し合いは始まる可能性を秘めている。

 ところで、押井守はこう言っていた。

『僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない』

 遠藤の読むラノベなんてまさにその通り、コピーのコピーのコピーでしかなくて斬新なんて口が裂けても言えないものだと言うのに。

 というか貴様はそんな小説を読んで楽しむ権利は無いぞ。現実世界でもモテているのだから妄想に耽る必要もあるまい。なんなんだ、一体。ラノベを読んでいるだけでも非常に腸が煮えくりかえるというのに。

 おまけに奴はラノベの世界から飛び出てきたような非の打ちどころがないボンクラではないか。

 僕はもう血管が切れて脳味噌とかパァーンと弾けてしまうぐらいキレそうだった。

 そうなればそれでいい。隣にいる馬鹿女どもに僕の血液や肉片が飛び散り、奴らは悲鳴を上げ、大惨事となること請け負いだ。


「あのなぁお前ら。そんなに周りで騒がれたら本読めないだろぉ」

 溜息をつくバカ也。

 おお、羨ましい悩みだこと。僕なんて誰にも邪魔されずにまるで透明な存在かのようでおかげで本がスラスラと読める。お前は女子どもに邪魔をされて勉強が疎かになり将来はコンビニ店員。僕は誰にも邪魔されないおかげで勉強がはかどり、将来は官僚だ。ザマーミロ。

 なんて言ってみるがやはり虚しさは隠せなかった。本当は僕も女に囲まれたい。しかも、僕よりも奴のほうが成績は上なのだから、どちらかというと僕がコンビニ店員だ。ちきしょー、どうなってんのこの世界。

 馬鹿女でいい、馬鹿女でいいから、一度で良いから奴のようなハーレムというのを体験してみたい。どうして僕には出来なくて遠藤には出来るんだ。顔か。頭の出来か。運動神経か。人柄か。優しさか。思いやりか。きっとその全てだ。

 実は妹が150人等といったタイトルのライトノベルはそういう夢を叶えた小説なのだろう。だから人気があるのだろう。それはあまりにも哀れな妄想を小説にしたものではないか。それに満足する輩の気持ちがどうしても理解出来ない。

 それでいいのか?若者よ。小説の中の妄想止まりで良いのか?もっと大志を抱けよ。世の中広いぜ?リアルで頑張ろうぜ?と言いたくなる。

 僕はそんなに開き直って妄想小説を読みながら涎を垂らしている情けない男になることは出来ない。かといって遠藤のようにもなれない。まさに存在と苦悩だ。

 はっと気が付くと、遠藤達也は椅子ごと僕の真横に来て本を読んでいる僕の顔を覗きこんでいた。僕はどきりとした。

「な、なんだよ?」

 遠藤は眉間に皺を寄せてこう言った。

「なぁなぁ、その本面白いの?」

 僕は鼻で笑った。

「遠藤、楽しいかどうかじゃない。僕はもっと深いところを追求してるんだ」

「深いところって?」

「真理だよ」

「真理って何?」

「たった一つ。この世の真実みたいなやつだよ」

「それは何なの?」

「まだ分からないから本を読んでそれを学んでいるんだ」

「今わかってることは?」

「それは一概に言えるものじゃない」

「簡単に言うと何?」

「真理は簡単じゃない。難しいんだ」

「じゃあ難しく言うと?」

「難しいから一概に言えないだろう」

 遠藤は僕を質問責めにしてくる。一体なんなんだこいつは。

「まぁいいや。俺も本が好きだから仲良くしようよ。俺の持ってる本貸すから良かったら読んでみてよ」

 と言いながら遠藤は僕にタイトルから、その表紙から、まんまライトノベルの本3冊を笑顔で僕の机に置いてきた。

 なんだこいつむっちゃいい奴じゃないか。なんか、ごめん遠藤。困った。僕は遠藤を憎悪の的にしようと思ったのに。今はただ、自分の偏屈さに穴があったら入りたい気分だ。ライトノベルを僕が読むなんて大嫌いなピーマンを丸かじりするようなものだが致しか無い。社会見学も交えて読んでみることにしよう。

「あ、ありがとう、遠藤。読んでみるよ」

 僕は緊張のあまりロボットのような笑顔を造って言った。ウィーン、ガシャ。

 遠藤はニカッと少年のような無邪気な笑顔を見せた。こいつ、絶対めっちゃいい奴。僕はなんだかとても嬉しくて、帰りしなに二宮金次郎のごとく遠藤が貸してくれた本を読みながら帰っていた。

 ちなみに僕の名前は二宮一郎だ。『覚えやすい名前1位』として高校1年の時になんでも格付けランキングで載ったことがある。しかし『イケメン』と『セクシーな男』にはランクインしなかった。

 その代わり『前髪がウザい男』と『面倒臭そうな男』は1位だった。何にも代わっていないが。しかし僕は3冠を取っていることに変わりはない。

 ちなみに遠藤は『イケメン』と『爽やかさ』と『付き合いたい男』のナンバー・ワンの3冠の何の面白みも無いバカヤローである。僕の3冠のほうがよっぽどユーモア溢れて話のネタになるじゃないか。ふんだ。

 それと関係は無いがツグミは『ぶっ飛んでる女』と『何を考えてるか分からない女』と『実は博学な女』1位の3冠で『可愛い』では5位だった。

 不思議系という部類に入るのであろうか。ただのイカレ系の気がするが。

 そのせいか『付き合いたい女』部門では8位だった。それでもトップ10に入るとは。などと考えていると後ろからタッタッタッと駆けてくる誰かの足音が聴こえた。

 噂をすれば。噂をすると言っても僕の脳内での独り言なのだが。

 夕方の河川敷で後ろから来る奴は1人しかいない。僕はまだあの女の昨日の言葉を赦していない。赦せば太宰が浮かばれない。だから無視することにした。何を言われても無視しよう。泣くまで赦さん。駆け足音は近くなってくる。僕は何にも気付かないフリをして小説を読んでいた。

 僕の間近までその駆け足音が聴こえてきた時に、いきなり後頭部に衝撃が走った。

 ガゴォと耳の奥にまで響き渡るような鈍い音。一瞬何が起こったのか全く分からなかった。僕は前のめりに倒れそうになり、読んでいた小説は手から離れ、地面に落ちた。頭を抑えて後ろを振り返る。ツグミがカバンを僕の頭に振り落としたと分かった。ツグミは腹を抱えて笑っている。こいつはもう事件だろ。警察呼ぶか?

「何するんだ!」

 僕は声を荒らげて叫んだ。

 ツグミはヒィヒィと笑いながら言う。

「だって、あんた、あれだけラノベ馬鹿にしてたくせに、ラノベ読んでるんだもん。ヒヒッ……お腹痛い……あたしを笑い死にさせないで」

 こいつは一体何処までイカれた女なのだろう。道理の欠片も無い。

 僕は震える声で答える。

「カバンで後頭部をおもっきり殴って笑い死にするほどのことじゃないだろ。ホントお前メチャクチャな奴だな。お前の頭の中をパカッと割って脳味噌を覗きみたいよ」

「エッチ!変態!ストーカー!人殺し!猟奇殺人!」

 ツグミはさっきの笑っている姿とは打って変わって真顔でそう叫んだ。

 僕は焦った。辺りを見回して声を潜めていった。

「おい、何言い出すんだよ。そういう意味じゃないって」

「あんたこそ滅茶苦茶じゃん。いつもラノベはクソだ。日本の恥だとか言ってたでしょ」

「いや、これはだね、俺の席の隣の遠藤ってやつがさ、ラノベ読んでて俺も最初頭の中で馬鹿にしてたんだけど、なんか話してみたら凄い良い奴だったんだ。そして貸してくれたの。いい奴だから読んであげないといけないと思って」

「訳の分からない言い訳ね。あんた遠藤みたいな勝ち組の中の勝ち組に好意持たれて嬉しいんでしょ?あんたのような劣等感のある人間にありがちパターンだよ」

 僕は眉間に皺を寄せて顔を赤くして言う。

「うるさい。俺は負けてるなんか思ってないわ。俺のほうが深い思考力を持ってるわ。アホボケカスヒョットコ」

「違う違う、あんたが文学青年気取ってるのは、無理して難しい本を読むのはコンプレックスでしょ。そして自分は人と違うと思いたいのよ。自分で陳腐だと気付いてない、自分は特別な存在だと思い込んでいる劣等感の塊といった情けない人種よ」

 僕はツグミから顔を逸らして無視をすることにした。

「はい、図星~」

 ツグミは歌うように言った。

 その後、河川敷を終え、途中で別れる交差点のところまでツグミは僕を挑発してコケ落とす発言をずっとしていたけど僕はひたすら無視して小説を読んでいた。

 僕は正直、半泣きだった。

「あ、今日は泣かなかったんでちゅねー偉いねー。おうち帰ってママに慰めてもらいなちゃい」

 そうぬかしてツグミはいつもと同じ別れ道で自分の家のほうへと向かって帰っていった。僕は頑張って最後まで涙をこぼさなかった。そんな自分を褒めたい。そのまま家に帰っても読みつづけ、夕食の時も読み続けた。

 本を片手に夕飯のサンマを突く僕を見て溜息をついた母。

「あんたねぇ、ご飯食べてる時ぐらい漫画読むのやめなさい」

「これはライトノベルというジャンルの小説だよ」

 訝しげに僕はそう言った。

「漫画みたいなもんでしょ」

 やれやれといった顔で言う母。否定出来ない。というか本当はライトノベルなんて読みたくない。遠藤がいいやつだから調子を合わせて読んでいるだけだ。まだ毛嫌いしている。しかし面白いことは面白い。読み応えはある。

 しかし、やはり稚拙に感じる。僕のプライドだろうか。分からない。

 まぁ読みやすいということは稚拙なのだ。たぶん。

 しかしライトノベルの定義はなんだろうか。いまいち決まっていない。それはロックバンドのヴィジュアル系と似たようなものではないだろうか。抽象的、曖昧、YESかNOかはっきりしない、グレーが好きな日本独特の文化が産んだモノだろう。

 僕はそのまま自分の部屋へ戻り、ライトノベルを読み耽た。ライトノベルごときの小説は一日で読まないと文学青年の名が廃る。深夜2時までかかり、3冊を読破した。ライトノベルに圧倒的勝利を遂げた気分だった。文学青年を舐めるなよ。と今しがた読み終えたライトノベル本に向かってボソっと言ってみた。そしてベッドで横になり、スマホをぼぅっといじりながらうつらうつらしていると、いつの間にか眠りに堕ちていた。

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