2
コクシ・ジオにもて遊ばれながらも、黒いドーム型の観測基地の前までようやく逃げて来た。
この基地は俺が南極に来た時には既に建設されていた。それにしても1000年もよくもった物だ。本当ならとっくに、雪と氷に埋没してしまっているはずだが、温暖化が進んだために、降った雪が夏になると溶けてしまい埋没を免れているのだろう。
基地は直径約50メートルのドームを中心にして左右にドームの倍程の長さのカマボコ型のトンネルがある。
車が基地の裏側に回ろうとした時衝撃と共に車の速度が極端に落ちた。
「くそ。動力をやられた。これ以上は動けない」
グロブが嘆く。
見る間に追いつかれ、装甲車から五つの影が現れて、俺達の車を取り囲む様に旋回し始めた。影は手に手に対戦車重力砲を抱えてる。こんな物にやられたら一発で消滅してしまう。
影の動きが止まると装甲車から二の人間が降りて来た。コクシ・ジオとトゥオートだ。暗くてよく見えないが、相変わらず嫌らしい勝ち誇った笑みを浮かべているに違いない。
コクシ・ジオの目的は分かっている。ここはおとなしく投降する振りをするしかないがそれが通用する可能性は少ない。
俺は伝助の腹の中に、アンプルとマイクロチップを隠して、グロブとミドを促して車を降りる。南極点付近の気温はドライバレーよりもかなり低く、都会の服装ではたまったものではない。
対戦車重力砲を背中に感じながら、観測基地の中に連れ込まれる。
歩きながら伝助が俺に耳打ちをする。逃げている間に、マイクロチップの解析をさせていたのが出来たらしい。何しろ古い物だから時間が掛かったのだそうだ。
俺達は右側のトンネルを抜け一つの部屋に入った。以前は工作場として使用されていたのだろう、小さなボール盤や旋盤の残がいが並んでいた。赤黒く錆びて朽ちる寸前でとても使えそうにない。触ると崩れそうだ。
部屋や通路は全て二重構造になっていて雪の侵入を防いでいる。
定盤の上に携帯用の放熱器が設置された。しかし、それでも室温は一度か二度くらいだろう。壁の至る所に穴が開いてるのであまり効かないのだ。
このままでは風邪をひいてしまうと思ったが、そもそも俺は病気にはならないらしいし、病原体がいないのだからその心配はなかった。不幸中の幸いである。
部屋の奥に俺達、定盤と呼ばれる鉄の大きなテーブルを挟んで、入口側にコクシ・ジオ達が並ぶ。逃げ場を塞がれた。
「久し振りだな。元気そうじゃないか」
コクシ・ジオは腰に手をあてて、余裕の表情だ。
「そうでもないさ、あんたに打ち抜かれた肩が疼くんだ」
「心配せんでいい。ワシ等に必要なのは、お前さんの腕じゃないからな」
爺さんの目が異常に光っている。余程手術がしたいらしい。
「それよりも、良い車に乗ってるじゃないか、どこで手に入れた」
どう考えても、あんな装甲車を入手するのは無理だ。
「貴様等を追っていたら、総統が派遣した遺跡の調査隊と出くわした。軍が護衛についていたが、まさか南極に敵がいるなんて思ってもいなかったんだろう、油断しているところを襲ったら簡単だった。ほとんどが学者だったしな」
そう言えば、総統が、俺が生物兵器を盗み出した研究所の跡を調査している、と言っていた。
「そこにいた連中はどうした」
「持っていた武器や、防寒服を剥いでやったからな、今頃は貴様の二の舞だろう」
「非戦闘員まで、殺すとはあんたらしいな」
それも相手は凍えるのをただ待つだけ。惨い。一思いに絶命させてやるのが親切と言うものだ。
コクシ・ジオの視線がミドとグロブに移った。
「お前達、よくも裏切ってくれたな」
「これ以上、あなたの楯にされるのは、ご免ですよ。裏切られたのは、こっちの方ですよ」
「俺はあの時点では、あんたとの契約は切れていたはずだ。裏切った事にはならない。それよりも、報酬をまだ貰ってないぜ」
「なかなか、信望が厚いじゃないか。羨ましいね。そっちの兄ちゃん達にも、裏切られない様に気をつけるんだな」
コクシ・ジオの顔色が変わった。しかし、必死で感情を抑えている。皆の手前取り乱す訳にもいかないのだろう。
「貴様等、あんな所で何をしていた」
心を落ち着かすためか、話題を変えて来た。
「何、ちょっとした忘れ物さ。あんたには、必要のない物だよ」
嘘は言っていない。こんな物を免疫の無いこいつ等が使ったら、自滅するだけだ。
「それは、私が判断する。さっさと渡せ」
「車の中さ。捜すなら勝手に捜せ」
コクシ・ジオに命じられて、五人の部下の内、二人が車に走った。
その隙に、後ろ手で合図をして、伝助からアンプルとマイクロチップを受け取り、足もとに転がっていた鉄の塊の側に少しだけ移動する。
ミドとグロブも俺が何かをしようとしているのは、分かっているはずだ。俺は後ろに手を回したまま壁の穴を指さす。これで理解してくれていると思う。
指示をし終えたコクシ・ジオが、俺達に向き直った。
「さて、軍も捜索しているはずだし、いつまでも、ここにはいられない。今のうちに処刑を行うとしよう」
そう言いながら、ミドとグロブを睨つける。裏切り者には、死あるのみ、と言う訳だ。
緊張が走る。
本当は、車を捜索している二人が帰って来てからの方が良かったが、そうも言っていられなくなった。
「実は、捜し物は、ここにあるんだ」
俺はマイクロチップを部下の三人の足もとに投げつけた。
コクシ・ジオ達がそれを目で追う。
それが合図になり、ミドとグロブが壁の穴に飛び込む。
俺は定盤の上に置かれた放熱器の側にアンプルを一個、投げつけ、足もとにあった鉄の塊をアンプルの上に投げて、アンプルを砕く。
放熱器の温風でアンプルの中身が揮発して行く。
『A群溶血連鎖球菌』の遺伝子を改造した、自然界には存在しないウイルス。感染経路は飛沫感染。温風により揮発したウイルスが部屋を満たしていく。
遺伝子の組み替えにより、感染期間が極端に短くなっている。速効性と言ってもいいわずか数秒で発病する。発病すれば、軽い場合は発熱、嘔吐、脱力感に見舞われる程度、重い場合は、内蔵の壊死を引き起こし死に至る。致死率は低く、敵の戦力を低下差せる程度で、生物兵器としては物足りない。つまり俺が命がけで盗み出した物は殺人兵器ではなかったのだ。
しかし、それはあくまでも20世紀の人間に対する確率である。免疫力が無くなったこの時代の人間にとっては、凶悪な人食いバクテリアへと変貌するはずだ。
「何をした」
コクシ・ジオの叫ぶ声を聞きながら、俺と伝助も壁の穴に飛び込む。このままでは俺も感染してしまう。俺は病気にならないが、ウイルスを持って帰のでは、ミドとグロブにうつしてしまう。
建物の外層と内層の間を駆け抜ける。奴等は攻撃をして来ない。火器が大きすぎる。対戦車砲など建物の中で放てば、建物が崩れ自滅してしまう。
それに、奴等は今、それどころではない。熱と虚脱感で立つ事さえ出来ないはずだ。
俺は外層に開いた穴を見つけた。多分、グロブ達が開けた穴だろう。そこから外に出ると入口の近くだった。
装甲車に走って行く、二人の姿が見えた。俺達の乗っていた車は動力がやられて動かないので装甲車を奪う気だ。
装甲車は二人に任せて、俺は車を見に走った。コクシ・ジオの部下の姿は見えない。俺達と入れ違いに工作室に戻ったらしい。あの人食いバクテリアが充満している部屋に。
突然、爆発が起こった。誰かが、苦し紛れに対戦車重力砲を撃ったのだ。一発だけではない何発も連射している。
観測基地が崩壊していく。
崩壊していく基地の中から、人影が現れた。コクシ・ジオだ。内蔵の懐死で血を吐きながらも俺を追って来たのだ。この執念だけは見習わなくてはいけない。
装甲車が俺の側に走って来た。ミドとグロブが顔を出す。
コクシ・ジオがよろけながらも、10メートル程離れて立っている俺を見据えながら声を絞り出した。
「貴様を狙っているのは、軍だけじゃない。今や、貴様の体は、世界中の人間が欲しがっている。私を倒したからといって安心するな。貴様の安住出来る地は世界のどこにもないのだ」
再び、重力砲の砲撃があり、コクシ・ジオはその言葉を最後に、瓦礫の下に沈んで行った。
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