毒液
1
四日間、インド洋上をひたすら飛んでいた俺達は南極大陸に到着した。別に俺に因んで来た訳ではなく、双竜穴の構造上、南下していけば、南極にたどり着く。政府軍もそれを当然、分かっているだろうから、手を回しているに違いない。
ところで、俺を逃がしてくれた男達、ミドとグロブだが、何故俺なんかのために命をかけるのか理解出来ない。
ミドの方はどうにか理解のしようがある。俺はミドの命の恩人であるので、彼も恩返しの積もりでとった行動なのだろう。
ミドはあれから、自分の組織に帰ったが組織は既に壊滅。残った隊員はコクシ・ジオの組織に吸収されてしまっていたので、ミドも仕方なくコクシ・ジオの手足になっていたのだそうだ。
そんな時、俺の誘拐計画を知って逃がすために待っていたらしい。『情けは人のためならず』とはよく言ったものだ。
それに、彼はコクシ・ジオに特別に恩義がある訳ではなく、コクシ・ジオの思想に感銘しているのでもない。行くところがないため行動を共にしていただけなので、裏切ったと言う気持ちもないそうだ。どちらかと言えば、早く離れたかったらしい。
分からないのはグロブだ。俺が初めて会ったのはパレードの時で、そのまま誘拐されただけで、ミドみたいに恩を売った覚えはない。
こんな状況だ。誰が敵で味方かなんて分からない。今は味方でも、数分後には敵に回っているかも知れないのだから、俺を助けた理由なんて聞いても意味がないかも知れない。
しかし、全く聞かないのも気持ちの良いものではないので、逃げる海の上で暇つぶしにグロブに聞いてみた。
「俺はコクシ・ジオに金で雇われた運転手でね。コクシ・ジオが何をしようが、関係ないね。やばくなったら、とんずらするだけさ。あの時も逃げ出す積もりで、車を走らせていたら、あんた達が見えたから助けたんだ」
「危険を犯してまでか」
納得のいかない説明だ。逃げるのなら一人の方がいいはずだ。
「あんたを乗せたのには、理由があるんだ。どうして、軍の戦闘機に勝てたか分かるか。あいつ等あんたが乗っているのを知ってたんだぜ。だから、直撃を免れたんだ。粉微塵にしては、もともこもないからな。あんたがいる限り、あいつ等も迂闊には手が出せないのさ。俺にとって、あんたは御守りみたいなもんなんだよ。これで納得したかい」
グロブは、いたずらっぽい笑顔を見せた。
「この先はどうする積もりなんだ。俺と一緒にいる限り、軍の追跡からは逃れられないぞ」
「適当なところで別れるよ」
「しかし、お前は既に軍から目を付けられているはずだ。まともな生活は出来ないぞ」
「俺は裏の世界の人間だぜ。その辺は心得ているさ。俺の腕を買ってくれるのは何もコクシ・ジオだけじゃない」
「そう言えば、コクシ・ジオはどうなったんだろう」
「あの人なら軍が攻めて来た時にさっさと逃げ出しましたよ、トウォートと一緒に。一般人に混じってね。あなたの事なんかそっちのけでしたよ」
ミドが、ため息交じりに言った。
「そう言う奴さ、あいつは。一番大きな組織だなんて威張っていたけど。ミドみたいに壊滅した組織の残党を吸収したに過ぎない。統率も何もあったもんじゃない。あんたの誘拐にしたってそうさ、ただの思い付きなんだよ。あんな穴だらけの作戦がよく成功したもんだ。奇跡だったね」
「でもあの人は執念深いから、必ずまた襲って来るに違いありません」
ここまで嫌われている指導者も珍しい。
「トウォートの爺さんにしたって、あんたを解剖したくて、うずうずしてたからな。覚悟はしておくんだな」
「それにトウォートは、個人的にハイドロフに恨みがあるみたいですから。昔は楼欄医学界ではばを利かせてたらしいのですが、ハイドロフと意見が合わなくて追い出されたそうなんです」
しかし、二つの敵から狙われていては、いくら何でもかわし切れない。俺にもそれなりの用意がいる。
そこで、通過するだけだった南極に立ち寄る様にグロブに頼んだ。もし上手く行けば、最強の武器が手に入るかも知れなかったからだ。
1000年前の物が役に立つのかどうか。それよりも、まだ存在しているのかも定かではないが俺にはそれに賭けるしかなかったのだ。
南極は、今の季節は真冬。この時期は太陽の出ない暗黒の世界。俺が一000年前に南極に来たのも、この季節だった。
しかし、以前に比べると氷の数が少ない。南極を取り巻く流氷の範囲が狭くなっている。確か温暖化が進んでいると言っていた。これでは、北極も同じだろう。そうすると、俺の国日本が海中に沈むのも時間の問題。双竜穴の道程から外されたのも分かる。残るのは楼欄くらいだろう。
俺達の向かうのは南極大陸の東経150度の方向に位置する沿岸部のヴィクトリアランドにあるドライバレー。年間を通じて雪や氷に閉ざされない数少ない場所だ。
上陸したのはインド洋に面したクインメリーランド。
激しい風が車体をあおる。カタバ風、または重力風と呼ばれる大気の流れだ。南極のドーム状の地形による大気の流れで、最大で秒速30メートルにもなる突風だ。
以前はこの風の中を、スノーモービルに乗って駆け抜けた。それに比べれば、今は車に乗ったまま、暖房をきかせて走れるのだから便利になったものだ。
「ドライバレーに何があるんですか」
「忘れ物さ」
伝助の質問にわざと答えをはぐらかした。本当の事を言ったら、ミドやグロブが脅えるかも知れないからだ。それに反対されても困る。
やがてドライバレーに到着した。何の標識も無い所で目的地をを探し出すのは至難の業だの様だが、実際は狭い限られた範囲なので比較的簡単に見つかる。それに幸い、過去に俺が今から掘り出す物を埋めた時の目印の大きな岩がまだ残っていた。
外の気温はマイナス10度。俺がいた時代の、南極大陸の沿岸部の冬の平均気温が、確かマイナス20度くらいだったと思うからかなり暖かい。春の日和だ。
少しの間なら、楼欄での服装のままで、外に出ても大丈夫だと思うが、念のために体に仮眠用に車に積んであった毛布を巻き、手には整備の工具箱に入っていた手袋を二枚重ねてはいた。
意を決して車を降りる。マイナス10度の冷気が全身の皮膚を引き裂く様だ。
暫く、固まったまま動けなかったが、何とか一歩、また一歩と足を踏み出し、岩に近づいた。
岩はかなり風化しているが、昔の面影がある。
車のライトを頼りに、俺は岩の割れ目に腕を差し込み、中を探った。
捜し物はすぐに見つかった。銀色のチタン合金のケース。文庫本ぐらいの大きさだが、この中に切り札が隠されている。俺が1000年前に盗み出した。隠していた時の事がはっきり蘇る。当たり前か、俺にとってはほんの数ヵ月前の記憶なのだから。
俺達が忍び込んだ生物兵器研究所は、マーカム山の麓にあった。南極点から約500キロの地点だ。
ケースを盗み出したものの、敵に追われ仲間は散り散りに逃げた。ケースを渡された俺は、一旦、この岩にケースを隠し敵から逃げ切り、後日それを回収する積もりだった。
しかし、俺はケースを隠し終えて、そこから数百キロ離れた沿岸まで来た時に敵に追いつかれ、海に落ちてしまった。
俺にもしもの事があってもケースには発信器を付けておいたので、仲間が発見してくれるはずだった。このケースが、ここにあるという事は、仲間が全滅した証拠だ。
それに、仲間が生き残って、ケースを回収していたなら、総統に聞いた歴史よりももっと早く、人類が滅亡の危機にさらされていたはずだ。
ケースはかなり汚れてしまっているが、壊れてはいない。かじかんでいるいる上に、手袋で太くなって感覚がほとんど無い指でケースを開けた。
中身は特殊強化ガラスで出来たアンプルが二つと、マイクロチップ。奴等が開発した生物兵器の試作品と、その遺伝子の塩基配列、人体実験による結果情報、その他を記録したマイクロチップだ。
アンプルに異常がないか確認し、ケースの蓋を閉めて車に戻ろうとした時、俺の左肩に激痛が走り前に弾き飛ばされた。
何が起こったのか分からない。車が背中の方に回り、伝助の声が聞こえて来た。
「旦那様。早く乗って下さい」
伝助の声に従って、肩に走る痛みをこらえて、車に飛び込んだ。飛び込んだ途端に車が動き出した。
「大丈夫ですか、旦那様」
「何が起こった」
苦痛に顔を歪めながら、声を絞り出した。
「敵だ」
「どっちの」
「コクシ・ジオのおっさんだ」
敵の攻撃をかわしながら、グロブが答える。
激しく揺れる車の中で、ミドと伝助に治療を受ける。
「傷は浅いです。弱い単波長光で撃ち抜かれて、穴が開いただけですから、安静にしていれば、すぐに直ります」
それはこの状況では無理な話しだ。
治療を受けている間にも、車にコクシ・ジオの攻撃が命中している。
「相手は何台だ」
「一台だけど性能が違う。あの野郎、どっから手に入れたか知れないが軍の装甲車に乗ってやがる。こんな改造車とは性能が違う」
「それにしては、何とか逃げてるじゃないか」
治療が終わり、グロブの隣に座った。傷が痛む。
「野郎、遊んでいやがる。俺達を追い詰めて楽しんでるのさ」
呆れた下司野郎だ。
「どこに向かっているんだ」
「分からん」
「方向からすると、南極点です」
ミドが位置を確認する。
「そうだ、旦那様。南極点には観測基地の遺跡があったはずです。そこに逃げ込みましょう
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