2

 目が覚めると夜が明けていた。知らぬ間に眠っていたようだ。操縦席には、コクシ・ジオが座っている。寝ている間に交代したのだろう。運転していたグロブはまだ眠っている。

 車は海の近くの大きな町に到着した。インド半島の先端のナーガルコイルと言う町だそうだ。

 朝も遅かったので、結構な賑わいだ。大通りには人が溢れている。

 俺達は運転手のグロブを残して町の入口で降りそこから歩いた。トゥオートが、袋に詰められた伝助を抱えて先頭に立ち、その後ろを俺とコクシ・ジオが並んで歩く。他人には見えないように銃が突き付けられている。

 町を行き交う人々は、様々な装いに身を包んでいる。派手な原色で彩られた衣装の人もいれば、裸に布を巻きつけただけで、裸足で歩いている人もいる。

「この町は民族の吹き溜まりだ。中央から離れているうえに、貴族階級などがいないために、結構住みやすいから、あちこちから、いろんな奴が集まる。世界中にこんな町があるが、ここは大きな方だ。あまり、中央から離れすぎても、物資の補給が不便で住みにくいから、大きな町にはならない。何にせよ、俺達みたいなのが、隠れるには持ってこいの場所だ」

 コクシ・ジオの言う通り、俺がいても違和感がないのか、皆、関心を示さない。

 楼欄では俺は結構有名人だったが、この町では俺を知っている人は、いないらしい。テレビなどが無いのだろうか。

 周りの建物を見ると、お世辞にも立派と言える建物は無く、薄汚れたぼろ家が目立つ。材質も嵌雲物質などではなく、樹脂合板を使って、俺がいた時代の、原始的な建築方法で建てた家や店が多い。生活水準はかなり低そうだ。壁が焼け焦げたり、丸い小さな穴がたくさん空いている家や店が目につく。

 何気なく路地に目をやると、男が一人倒れていている。酔い潰れているのか、それとも死んでいるのか、地面に仰向けになっている。

 その周りを四、五人の子供が囲んでいる。子供達は、男の懐や服のポケットを慌ただしく探っている。

 やがて、取る物を取ったのか、男を残して、子供達は走り去った。男は服も剥ぎ取られており、ほとんど裸にされてしまった。

「あの男は、もう死んでいる。気にする必要はない。そのうち、火葬屋が来て、灰にされる」

「ワシの診断では、恐らく泥酔死じゃな」

「弔ってやる気はないのか」

「死んだら終わりだ。弔いなんて、無駄な行為だ。あんなものは、気休めにすぎん。神や仏のいた時代の悪しき習慣だ」

「だから、死者の持ち物を盗むのか」

「死んだ者には、金も宝石も必要ない。それを生きている人間がもらい受ける。当然の事じゃないか」

 男をの死体を通り過ぎると、ただでさえ人が溢れているところへ、さらに輪をかけた人だかりが出来ていてる。

 コクシ・ジオに突き付けられている銃を気にしながらも、その人だかりに近づいて、中を覗き込んだ。

 そこには、壁を背に立っている老人がいた。声の感じからすると女のようだが、外見からは性別の区別がつかない。体はがりがりにやせ細って、頭には細い白髪が数えられる程しか残っていない。着ている服も布袋に穴を空けただけの、汚い服だ。風呂になど、ここ何年も入っていない様子だ。

 その老人が群衆に向かって説教をしている。

「……今に鉄槌が下るぞ。死者への凌辱は神をも恐れぬ行為じゃ。命を弄べば、やがて己自信に跳ね返って来る。悔い改めよされば救われる」

 老人を取り囲んだ人の中には、老人に跪き、手を合わせ、一心に拝んでいる人もいる。お布施を供えている人もいた。

 腐敗した末期の世の中に、宗教が流行るのは、世の常だと思うが、コクシ・ジオがさっき言ったように、ここまで科学が進化した世界でも、神や仏が生き残っているのも不思議な感じがする。

 俺も宗教なんて、好きじゃない方だが、この婆さんの言ってる事には、同意する。このままでは楼欄の破滅は目に見えている。

「どこから湧いてくるのか、最近、ああ言う手合いが多くてかなわん。我々の構成員でもたぶらかされて、逃げ出した者が数知れん」

 コクシ・ジオが苦々しく、顔を歪めた。かなり手を焼いているのだろう。

「あの世なんかがあるなら、行ってみたいもんじゃて。極楽より地獄の方が楽しそうじゃがな。ヒッヒッヒッ」

「そんな心配しなくても、あんたは間違いなく地獄行きさ。それも、後もう二、三年の辛抱だよ」

 俺の嫌味に気を悪くしたのか、トゥオートは鼻で『ふん』と言った切り、話しをしなくなった。

 何気なく空に目をやると、遠くに、天に向かって伸びている塔の様な物が見える。まさしく、天を突くと言った感じだ。それが何か聞きたかったが、コクシ・ジオに即されて足早に通りを通過する。

 大通りを抜けると、俺達は町外れの断崖に立つ一軒の小屋にたどり着いた。小屋は、町のそれと同じく、薄汚れた原始的な建物だ。

 朽ちて穴の空いた扉に、何か合い言葉を掛けると、扉が開かれ俺達を向かい入れる。中には男が二人、女が一人、三人とも若い。扉を開けたのは女で、男二人は奥の部屋から銃を持って姿を現した。

 三人がコクシ・ジオに敬礼をする横を過ぎて、奥の部屋に入ると、男達が俺達を追い越し、部屋に置いてあった戸棚をどかし始めた。

 戸棚の下には床に似せた隠し扉があり、それを開けると地下に続く階段が現れた。コクシ・ジオに押され、階段を降りる。俺達が全員、階段に降りると扉が閉められ、一瞬、真っ暗になったが、直ぐに明かりがついた。

 階段はやたら長く、折れ曲がっている。三階分くらい降りたところで、地下室に着いた下は思っていたより広かった。

 部屋に迎え入れられた俺はソファーに腰を下ろした。コクシ・ジオが俺と向かい合って座る。トゥオートがコクシ・ジオの隣に座り、伝助は開放されたので俺の隣に浮かんでいる。

 上のぼろぼろの建物とは違い、地下に降りる階段の壁や、部屋の壁を構築しているのは、嵌雲物質だ。それも普通の物ではなく、軍施設を建造している特殊な物質で、ある程度の攻撃にも耐えられる物だ。

 部屋は、そう広くないが、入口とは別に扉が二つあり、一つは俺の後ろ、もう一つはコクシ・ジオの後ろだ。

「いいかげんに話しを聞かせてくれないか。ただの誘拐じゃないんだろ。俺なんかに何の利用価値があるって言うんだ」

 コクシ・ジオを睨つけて、問い詰めた。そろそろ俺の忍耐にも限界がある。

「悪かったね。途中で真相を話すと君が逃げ出す可能性があったものでね」

 そんな事は言われなくてもわかっている。さっさと本題に入れ。

「我々は『世界開放機構』と言う組織で、私はその委員長を務めている。トゥオートは組織のお抱え医師と言ったところだ。我々の目的はこの双竜穴を脱出し、皇の手から離れ、双竜穴の外に新しい国家を建設するところにある」

「出て行きたければ、勝手にすればいいじゃないか。俺は別に反対なんてしない。むしろ応援してやるよ。新しい国の誕生だ。めでたいね」

「そう簡単な話しでも無いのだよ。君はどう聞いているのか知らないが、ウイルスや病原菌を根絶させたと言うのは、双竜穴の中だけの話しで、外に出れば今も病原体がうようよしている。動物だって、君のいた時代に比べたら激減しているだろうが生息しているんだよ」

「結構な話しじゃないか。それなら自給自足の生活が出来る。病原体がいたって、そんなの昔じゃ当たり前だし、風邪なんかひいても、二、三日寝てれば治る。なんなら、玉子酒の作り方を教えてやろうか」

 さっぱり、真意がつかめないので、からかってやったら、コクシ・ジオの顔色が少し変わったが、直ぐに冷静さを取り戻して話しを続けた。

「ところが、君達の時代と違って、我々の体は長年の無菌室の生活で、免疫力が極端に低下している。殆ど無いと言ってもいい。そんな体で双竜穴を出て行けば、君がディナーショーで見た少女の二の舞になるのは必至だ」

「それなら、諦めるんだな。俺には助けてやれない。時間を掛けて、少しずつ免疫力を付けていくんだな。何百年も掛けて」

 だんだん呆れて来た。それを俺にどうしろと言うんだ。

「生憎、我々は、そんな悠長に待っている程、暇ではなくてね。そこで、君の協力を仰ぎたいのだよ」

 言いながら、コクシ・ジオが、にやりと笑った。初めて見せた笑顔は、たまらなく、鼻持ちならないものだった。それは、どこか勝ち誇ったような、人を蔑む嫌らしい笑みだった。俺には怒りがこみ上げて来た。

 彼等が俺に求めているものが何であるかは、分からないが、俺が無事に帰れる可能性は無に等しいと感じた。

「そこから先はワシが話そう」

 喋りたくて、うずうずしていたのか、トゥオートが身を乗り出し、喜々として説明し始めた。

「人間の免疫系は大きく分けると、マクロファージ、B細胞、T細胞の三つで構成されておる。簡単に言うと、マクロファージは、直接病原体に寄生された細胞を食らい、T細胞は、『胸腺』由来の細胞で、自らも寄生された細胞を処分すると共に、マクロファージの食い残しの情報を集め、記憶し、B細胞に抗体を作るように働きかける。B細胞はその情報をもとに、抗体を合成する。ここで免疫の中心的役割をするのが、T細胞じゃが、そのT細胞に関わりの深い、肝心の胸腺が、ワシ等はすっかり退化してしまっているんじゃ。ほんの、なごりがあるていどなんじゃ」

 南極にウイルスを奪いに行く前に、病原体や免疫について勉強した時に、胸腺の話しも聞いた。胸腺は子供の頃にはあるが、成人するにしたがって、しぼみ、消えてしまう。

 胸腺はいわば、T細胞の訓練の場である。そこで、自分の細胞とそれ以外の細胞の分子情報を区別するための訓練がなされる。この訓練は子供の頃に終了する。この時代の人間に胸腺が始めから存在しないと言う事は、その訓練を行っていないので、T細胞は全くの役立たずなのだろう。

「しかし俺の胸腺も、しぼんで無くなってしまっているはずだ」

「ところが、そうでもないんじゃ。お前さんは一度死んでしまった。そして、蘇生手術により、生き返ったが、その時、細胞レベルで異変が起こった。長い間、氷づけにされていたお前さんの細胞は、蘇生と同時に誕生したと判断したんじゃろうな、再び、胸腺細胞が活動を始めた。そしてT細胞を再教育したんじゃ。通常、初めての病原体に寄生されると、抗体を作るのに時間が掛り、それが間に合わないと、発病し、運が悪ければ死んでしまう。しかし、再教育を受けたT細胞は、軍隊で言えば、新兵と特殊部隊ぐらいの差がある。たとえ、全く未知の病原体であっても、たちどころに処理出来るだけの力があるんじゃよ。それがどう言う意味か分かるかね。絶対に病気にならないと言う事じゃよ」

 説明を聞いても、自覚がないので、真偽の程は定かではないが、トゥオートの話しぶりから見て、かなり真実味がある。

「何故、あんた達がそれを知っているんだ。知っているとしても、主治医のレイだけだろう」

「ワシ等には、諜報活動専門の構成員がいるのじゃよ。ハイドロフの病院や、代赭楼、ディナーショーの会場にも忍び込ませてある。そこからの情報じゃ」

「我々の様な組織は世界中にあるが、そこまでの情報収集能力を持った大きな組織は我々だけだ」

 コクシ・ジオが誇らしげに語る。

「その情報が間違いないと言う保証があるのか」

「君の蘇生には、人民の多額の血税が使われている。始めはハイドロフの資金で行われていたが、君が蘇生して暫くすると、税金が投入され始めた。これは異例な事で、これまでの蘇生手術には見られなかった。それどころか、中央が全面的に協力し始めた。以上の事実から、情報が確かなものだと判断した」

「それが本当だとして、俺の胸腺細胞を渡せと言うのか。荒唐無稽な話しだな」

「お前さんの胸腺細胞、並びに骨髄を培養して移植する」

「移植するには、適合率って言うのがあるんだ。誰にでも出来る訳じゃない。医学の勉強をするんだな」

「そこは、昔と違って、今の医学が既に、解決している。心配せんでもいい」

 こいつ等、かなり本気だ。トゥオートなど目の輝きが異常な程だ。医者としての本能がうずくのだろう。

「それをして、俺の体は大丈夫なのか」

「何しろ、何万人分じゃからの。生存率は1%、人として満足に生活出来る確立は0.5%と言ったところかの。安心しろ、0%じゃない」

 人の体だと思って、勝手な事をほざきやがって。

「嫌だと言ったら」

 そう言って、立ち上がろうとした俺に、コクシ・ジオが銃をかまえた。

「座りたまえ。逃げ出しても結果は同じだ。皇も我々と同じ考えらしい。だから、君を特別待遇にしている。君を手に入れた者が、新世界の支配者になれるのだからね。それに奴等は、我々ほど紳士じゃない」

「俺が今ここで死んだら」

「また、蘇生してやるよ。意識だけを戻さずにね。その方が我々も扱いやすい」

「それなら、何故、生かしたまま俺を連れて来た」

 わざわざ、生かしてさらって来たからには、裏があるはずだ。

「君には、他にもやってもらいたい仕事があるんだ。我々の仲間の前で、私の理想に感銘して体を提供すると言ってもらいたい。何しろ、この計画が成功すれば、私は地球の皇帝になるのだから、人望を集めておくのも、大切だからね。嫌なら仕方がないのでそれは諦めるよ」

 開いた口がふさがらないとは、この事だ。自分のカリスマ性を高めるために、殺すと宣告している人間を利用するなんて。よくこんな男に人がついて来るものだ。

「さあ、どうするかね。1%の生か、100%の死か、好きな方を選びたまえ」

 逃げるも地獄、留まるも地獄か。究極の選択と言うやつだ。

「わかった、逃げ切れるものでもないしな。お前達の言う通りにしよう。いつから始めるんだ」

「準備があるから三日後じゃ。それまでに気持ちの整理をしておくんじゃな。なんなら女でも差し入れてやろうか。これからは、そんな楽しみも、無くなるじゃろうからな」

 この爺、絶対に殺してやる。

「協力に感謝する。成功のあかつきには、君にそれなりの地位を約束しよう」

 生存の可能性がない人間に、地位も名誉もあったものじゃない。好き勝手な事ばかり言うな。

 コクシ・ジオが合図をすると、俺の後ろの扉が開き、小銃をかついだ男が入って来た。

 男は俺を部屋に案内するように命令が下されると、かついでいた小銃を俺に突き付けて、入って来た扉から、俺と伝助を連れ出した。

 部屋に行くまでの廊下を歩きながら、これからの事を考えていた。俺に残されたのはあと三日。その間にやらなければならない行動はただ一つである。

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