6

 やっと、待ちに待った、遠足の日になった。

 遠足の場所は、病院から数百キロ離れた湖だった。時間にして20分くらい。飛行機とも自動車ともつかない乗り物に乗せられた。大きさはワゴン車より一回り大きい程度だ。

 操縦はリンデが行っている。そんなに難しくないのだそうだ。俺でも直ぐに覚えられると言われた。

 搭乗しているのは、俺とレイとリンデの三人。俺達の後を何故か護衛が付いて来る。危ない所なのかと心配になった。

 レイに聞くと、俺が有名人なので念のためだと言う。有名になったから命を狙われるなんて物騒な世界だ。よけいに不安がつのった。

 病院を飛び立った時、一瞬だけ街の様子が上空から見られた。

 病院は街の外れにあって、中心に向かう程高い建造物が立ち並んでいた。その中でも一段と高く大きな城が見えた。それが聖王の城だそうだ。

 あっと言う間に街を出ると、そこは延々と続く砂漠地帯。遠くの方を眺めても、街や村などの気配がまるで無い。荒涼とした光景だ。

 しかし、直ぐに砂漠の真ん中に緑の点が見えて来た。それが目的地の湖。ロプノールだった。

 この湖は病院所有のもので、たまに俺の様な患者のために使うらしい。それも年に一度あるかないかだそうだ。なんとも勿体ない話だ。

 まず、護衛が5人降りてきて異常ないかを調べ、確認が出来てから俺達に降車の許可が出た。

 護衛は外にいる五人の他に、護衛車に何人か残っているようだ。

 物々しい警護の中、俺は水着にパーカーの姿になった。リンデは残念ながらいつもの看護服だ。

 一緒に泳ごうと誘ったが、勤務中だと言って断られた。

 湖面にお尻を向けて着陸していた車の後ろが開いてテントになった。俺とリンデがテーブルやデッキチェアの用意をしていると、レイが悠々と女王様のように、水着に着替えて降りて来た。

 上と下をつなぐように、お腹の部分を黒い網で覆っている黒く光る素材で出来たビキニで、腰の切れ込みがかなり深い。長くすらりと伸びた脚には、白いサンダルを履き、顔はサングラスで隠している。

 レイは、そのまま、俺が用意したデッキチェアに無造作に寝そべり、上を仰いだまま、口を開いた。

「冷たいカクテルが良いわ」

 正しく女王様である。

 言われるまでもなく、リンデがカクテルを用意していた。付き合いが長いのだろう。さすがに気が利く娘である。

 レイは右手でテーブルの上に置かれたカクテルを取った。

 傍らで茫然としている俺を、サングラスを少しずらしてレイが見つめた。

「どうしたの泳がないの。そのために来たんでしょ、突っ立っててもしょうがないわよ」

 不思議そうな顔で見つめられたので返答に困る。

「行ってくる」

 心に引っかかっているものはいろいろあったが、あまり構う気にもならないので湖に歩き出した。

 水に腰の辺りまで浸かり、前の日に用意してもらっていた、マスク、シュノーケル、フィンを装着した。

 後ろでレイの声がした。

「今度凍っても助けてあげないからねぇ」

 こんな所で凍るはずがない。リンデが気温は35度と言っていた。真夏だ。しかし砂漠なのだからこんなものだろう。

 フィンを履いた足で湖底を蹴り上げて、水面に伸びをすしながら進む。目を凝らして湖底を見ると、俺の立っていた所から急に深くなっている。崖のような地形だ。水深は20メートルぐらい。透明度が非常に良く、底まではっきり見える。真水かと思っていたが、舐めてみると塩辛かった。

 下は砂地の上に、大きな岩石が点在している。苔や藻などの植物が極端に少ない。まるで金魚鉢の飾りの藻のようだ。

 体を直角に曲げて潜ってみた。3メートルも潜った所で、息があがってしまった。以前はもっと潜れたんだが、1000年間、呼吸をしていなかったせいか、肺活量が低下している。

 悔しいので、何度も挑戦した。

 何回目かに大きく息を吸い込み、足を思い切りばたつかせると、何とか体が沈んで行ってくれた。

 それでも、底までは行けなくて崖につかまりながら岩の間を覗いたりしながら遊んでいた。

 あまり、面白いものでもなかった。魚の姿は全然見えないし、蟹や亀などの水性生物も全く目に付かないからだ。

 湖底に目を向けてみる。砂地だと普通、エビなどが巣を掘っているので、点々と穴があいてるはずだが、それすらも無い。ここには、生物が存在しないのだろう。

 これでは、プールで泳いでいるのと変わらないが、贅沢を言ってもしょうがないので、泳ぐのに専念する。

 ひとしきり泳いで、疲れたのでテントに帰って来た。

 レイはデッキチェアを真っ直ぐに倒し、うつ伏せになって眠っていた。見ると水着を外して背中が露になっている。大変気になったが、リンデが見ているので、しかたなく視線をずらした。

 リンデはタオルを持って出迎えてくれた。

「お疲れさま」

 体を拭いている間に、飲み物を持って来てくれた。レイが飲んでいたような、カクテルかと思ったが、ただのジュースだった。酔っぱらって泳ぐなど自殺行為なのでもっともな選択だ。

 俺はその場に腰を下ろした。ただし、デッキチェアはレイに取られてしまったので、テーブルを挟んだ、反対側の地面に広げられたシートの上にだ。

 そのまま体を倒し、右手で上半身を支え、左手でグラスを持った。

 リンデは俺の横に膝を揃えて座った。

「一人じゃつまんないから、リンデも一緒に泳ごうよ」

 再び誘ったが、答えは同じだった。真面目な娘だ。

「あら、もう上がって来たの」

 レイが顔だけをこちらに向けて、話しかけて来た。俺達の会話に目が覚めたのだろう。瞼が、とろんとしている。推測するに、俺が泳いでいる間に、かなり飲んでいたのだろうと思われる。

「レイは泳がないのかい」

 無理なのは分かっていたが、とりあえず聞いてみた。

「私、肌が弱いから、日焼け出来ないの。正夢も日焼け止めしときなさいよ。皮膚ガンになるから」

 最後は消え入るような声になり、再び眠ってしまった。

 二人に振られてしまったので、一気にジュースを飲み干すと、また湖に向かって、歩き出した。

 調子に乗って遊んでいると、そろそろ帰ると、リンデが呼びに来た。最初から無理をしては逆効果なので、早めに切り上げるのだそうだ。

 車に戻ると、すっかりかたずけられていた。レイは着替えるのが面倒なのか、パーカーを引っかけただけの姿だ。相変わらず、虚ろな目付きで、車のシートに座っている。

 帰る途中で朗報を聞いた。

「そうだ。言い忘れてたんだけど、正夢、あなたの退院が決まったわよ。来週の月曜日よ。その積もりでね」

 窓にうなだれたまま、ぼそっと言われたので、始めは理解出来なかったが、次第に嬉しさがこみ上げて来た。やっと、自由になれる。

 しかし、そうなるとリンデとも会える機会が少なくなるので、寂しい気がして、病院に着くまで、リンデを見つめていた。

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