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 それから一週間程して、ようやく歩ける様になった。まだ足もとがふらついて、壁づたいに歩かなくてはならないが、それでも世界が広がった。

 それまでは、何処に行くにもリンデの助けがなければ、どうにもならなかった。まあ、それはそれで結構楽しい一時だったが、やはり何度もとなると、さすがの俺も気が引ける。

 だから嬉しくて、リハビリをかねて、病院の中を徘徊している。こうやって、歩き回っているといろんな事が見えて来た。

 まず、病院の建物の大きさのわりには病室が少ない。患者の絶対数が少ないのだから当然だが、それにしては無駄な部分が多すぎる。余っている部屋には、医療機器と見られる機械類が入っている。俺には見当も付かない機械類ばかりだ。

 その中の一つだけを、リンデに教えてもらった。

 内側が人一人よりもかなり大きい空間がある門型の機械で、その内側の上下、左右に腕の様な物が折りたたまれている。その内の幾つかは、物をつかむための腕で、残りの腕は用途不明だ。

 リンデが言うには、いわゆる若返り手術の機械だそうだ。

 使い方としては、まず患者が裸になり、門の内側に立つ。門の内側の腕によって大の字に固定される。患者は当然、爺ちゃん、婆ちゃんだ。

 麻酔を施された患者の皮膚を、残りの腕に取りつけてある短波光メスで皮膚だけを切取り、それをはぎとっていくのだ。患者は筋肉むき出しの、保険室の人体模型状態になる。あまり想像したくない有様である。

 その後、あらかじめ患者の細胞でクローン培養しておいた、皮膚組織を筋肉の上に、移植していく。

 勿論、これだと外見だけとなるので、通常は内蔵などの移植手術と同時に行われる。そのため、患者となる人は、クローン培養で自分の内蔵や皮膚を作って、病院に預けておくのだそうだ。

 当然ながら、この手術には莫大な費用と時間がかかる。相当な大金持ちにしか出来ない手術だ。

 それに、この若返りは、生涯に一度きりと法律で決まっているそうだ。もっともな話で、こんな手術をしていては、人がなかなか死ななくなり、人口爆発を起こすのは必至だ。この時代の人口が、どれほどのものかは知らないが、俺のいた時代でさえ、人口増加が問題になっていたのだから、1000年後の今は、もっとすごいに違いない。病気で人が死ななくなっているのだから余計だろう。

 リンデが近々若返り手術があるので、見学出来る様にレイに頼んでくれると言ったが、それは丁重にお断わりをした。

 しかし、医療機械が置いてあるのも、全体から見ればほんの一部でしかなく、後の大部分の部屋は、全て立ち入り禁止で、特に地下につながる通路には、厳重な警備がされている。数人の警備の人が常に立ちはだかり、手には武器らしき物を持っている。俺が前を通ると、無言で睨つけられた。リンデもそこは、危険だから、近付いてはいけないと言っていた。

 この病院の心臓部があるそうで、そこが破壊などされると患者の命にかかわるので厳重な警備が必要なのだそうだ。

 そんな訳で、広いわりには見学が出来る場所が少ないので、日増しに回復していく体力とは逆に、精神的にはストレスでしぼんで行く一方だ。

 レイとも最近会っていない。学会や何やらで、あちこち飛び回っているらしい。聞くところによると俺が関係しているのだそうだ。

 リンデと話しているのも楽しいが、そればかりでは飽きて来る。性格には多少難があっても奇麗なお姉さんと話をするのは楽しいものだ。

 レイやリンデの他にもここには、医師も看護士もたくさんいるが、ほとんどが、患者一人に対して、医師と看護士が一人ずつとなっていて、リンデ以外の看護士とはほとんど交流がない。

 しっかり歩けるようになったので、たまには病院の外にも出てみたいと、レイに言ってみたが、許可されなかった。外に出るには、この世界に対する知識が俺には無いと言うのが理由だ。

 まったく、退屈な話だ。

 そんなある日、痩せた、背の高い男に会った。

 にこやかに片手を上げて俺に挨拶をしてきた。

「やあ、お久しぶりです」

 病院をうろうろしている間に、何人かの患者とも会ったが、こんな男は初めて見る。

「あの、何処かでお会いしましたっけ」

「私ですよ、庭の木陰で会った。あっ、そうだ。あの時はもっと太っていたんだった」

 そう言えば、かなり痩せてはいるものの、どことなく面影がある。

「脂肪の除去手術をしたんですよ」

 あれだけの脂肪を取ったのだから、分からなくなるのも仕方がない。

 しかし、人間、痩せると若返るものだ。あの時はずいぶんとオヤジに見えたが、今はあれより10歳は若く見える。

 男は名前をフィブリスと言って、この時代の貴族だそうだ。

 俺のいた時代に興味があるらしく、根掘り葉掘り聞いてきた。俺も暇だったので、いろいろ教えてやったが、なにしろ1000年の隔たりがあるので、細かい事について説明しなくてはならなかったので面倒臭かった。

 まるで観念の無くなったものもあって話が通じない。

 それは、俺がフィブリスにこの世界の様子を聞くのも一緒だった。特にこの男は聞くただけ聞いて、自分の話になると、こちらの都合も考えずに矢継ぎ早に話を進めまったく要領を得ない。

 それでも、男の話した内容から推測すると、この時代に国と呼ばれるものは、この楼欄だけで、地球は一つの国家となっている。

 地球を統一したのが、皇と呼ばれる一族で、その皇が支配する時代が、五八九年もの間続いている。

 国民は、皇を聖王と呼んでいるのだそうだ。そして、初代の聖王を始聖王、または始祖様と言っているのだそうだ。

 皇の先祖は、ウイルスなどの病原菌の撲滅に貢献した人で、世界中の人から、それこそ神様あつかいで、歴史上初の世界統一国家の王となった。以来、皇の子孫が代々聖王の地位を受け継いでいるのだそうだ。

 フィブリスの話から分かったのは大体これくらいだ。

「そうだ。退院したら私がディナーショーにご招待しますよ。先日は舞台に上がった方だから、今度は見る方に回りましょうよ」

「でも、手術を見ながら食事なんて」

 俺が断りかけると、フィブリスはまたもや俺におかまいなしに話を続けた。

「そんなものより、もっと面白いものがあるんですよ。ハイドロフ先生もよく見に来られてますよ」

 その時、リンデが呼びに来た。レイが帰って来たので検査をするのだそうだ。

 俺はフィブリスの部屋を教えてもらい、その場を離れた。

「何のお話をしていたんですか」

「面白いショーに連れて行ってくれるそうだよ。手術のショーじゃないって言ってたよ」

「そうですか」

「ところで、今日は注射はないだろ」

「本日は、血液を取るそうです」

 俺は逃げ出そうかと思った。しかし、俺の気持ちを察しているのか、リンデは俺の腕を抱え込んで放さなかった。

 いつもの検査室に入るとレイがすでに準備をしていた。

「元気になったからって、あんまり、うろうろしないでね。まだまだ完全に回復するには時間がかかるんだから」

 別に怒っている訳ではない。笑っている。とりあえず、医者として注意を促しているだけみたいだ。

 俺は検査台に仰向けにされた。

 リンデがレイに何かを耳打ちした。

「そう。いつもの様に処理してちょうだい」

リンデはそのまま俺に手を振って、検査室を出て行った。

 改めてレイが俺を見つめる。手には、缶ジュースとみまがう程の大きな注射器を握っている。

「それで血を抜くんだろ」

 俺はレイが否定してくれるのを渇望して、わざと気持ちとは反対の事を聞いた。

「そうよ」

 あっさりと肯定されてしまった。

「子供じゃないんだから、辛抱しなさい」

「嫌だ」

 無駄な抵抗と知りつつも拒否した。

「しょうがないわね」

 レイはため息をつきながら俺を見下ろしている。俺も負けじと見返す。ここで引き下がってはいけない。

「分かったわ。血を取らせてくれたら外に連れて行ってあげる」

「本当に」

「ええ。正夢は泳ぐのは好きかしら。好きよね。何しろ南極なんかで海に飛び込んで、1000年も泳いでいたくらいだから」

 好きと言う程、好きではないが、嫌いでもない。この際、外に出られるのなら多少の事には我慢をする。レイの嫌味も気にならない。針山の拷問にも耐えよう。試練の後には楽園が待っているのだ。

 話がつくと、レイは早速、俺の左の腕を袖から脱がした。俺は左肩から下がむき出しになった。

 それと同時に、体を緊張させ、顔を背け、目をつむり、歯を食いしばった。レイがくすくす笑っているのが感じられた。

 体感時間で数十時間の時を経て注射器が抜き取られた。実数時間では、一、二分だったはずだ。

 針の後を消毒しながらレイが俺の肩の辺りを触り出した。

「何、このケロイド痕」

 やっとの事で呼吸が整い、目が潤んでいる俺が答えた。

「ああ、注射の痕さ。打った箇所が悪くて、服に擦れるとこうなってしまうんだ。医者がやぶだったんだよ」

「こんな痕が残るなんて、昔の注射技術って大した事ないのね」

 いや、あんまり変わっていないと思うが。

「それより、いつ泳ぎに行くの」

 注射の痕なんてどうでも良い。こんなに我慢したんだから、是が非でもご褒美を貰わねば。

「慌てないで。来週になったら、暇になるからそれまで待って」

 残念だが仕方がない。それでも、未来に明るい希望が出来たので、もう暫くは辛抱出来そうだ。

 次の日、フィブリスの病室を訪ねた。暇つぶしにまた話を聞こうと思ったからだ。しかし、そこには、フィブリスの姿はなかった。

 通りがかった看護士さんに聞くと、既に退院したと言う。昨日はそんな事は一言も言っていなかった。

 連絡先を教えて欲しいと頼んだが、患者のプライバシーは、教えられないと言われた。俺は諦めてとぼとぼと帰るしかなかった。


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