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 再び目覚めたのは、だだっ広い白い殺風景な部屋の真ん中で、ベッドの上に横たわっていた。白い壁に光が反射して眩しい。瞼を何度も開け閉めしてるうちに目が慣れてきた。

 今度は体の上に毛布を掛けられていて、服もちゃんと着せられていた。体に繋がっていた管も外されている。

 体も前よりは動く。左側に寝返りをうってみると大きな窓があった。ただ、その窓には窓枠などが無く、壁に四角い穴を空けたようだ。しかし風が入ってこないところをみると、ちゃんと硝子が入っているのだろう。でも、こんな窓では、風を入れる時はどうするのだろう。やってみようとも思ったが、窓の所まで歩いて行く元気などはさすがに無い。

 窓から見える空から判断すると、今は昼間で、空模様は雲一つ無い快晴。残念ながら、部屋の中なので気温まではわからず季節が判断出来ない。

 今度は右側に寝返ってみる。こちらは一面白い壁で、その壁の丁度中央、俺の寝ているベッドの真横の部分に何か違和感があった。そこだけが周りの壁とは材質が違っているようだ。

 そのまま、頭を背中の方にずらして、上目使いで枕元を見てみると、花瓶に花が生けてあった。花の種類で季節が判断出来そうなものだが、残念なことに俺は花と言えば、桜か薔薇くらいしか知らない。

 この態勢も苦しくなって来たので頭を元に戻した。壁を見つめていてもしょうがないので、再び窓の外を見ようと思い左側に寝返りをうった時、目の前の違和感があった部分が突然消えた。

 壁にぽっかり空いた穴から、薄いピンクの無地ワンピースを着て、頭にはそれと同じ色の小さな帽子をかぶった女の子が入って来た。コロセウムで俺を前に喝采を浴びていた彼女では無かった。黒髪のショートカットに茶色の瞳。東洋系の顔立ちだがどことなくハーフのような気もする。

 女の子が部屋の中に入ると壁は元に戻った。

 女の子は、俺に近づいて来て、微笑みながら俺に声をかけた。

「良かった。やっと意識が回復したんですね」

 今度は女の子の言葉が理解出来る。この娘は日本人らしい。

「あの………」

「今、先生を呼びますね」

 質問しようとする、俺の言葉を遮ってそう言うと、女の子は俺の脈を取り始めた。先生とやらを呼ぶ気配が全く無い。それどころか、脈を計る時は普通、時計を見ながら計るものだが、それも無い。そして、さらには、空いている方の手を、俺の額に当てた。最初は熱でも計っているのかと思ったが、そうでもないらしい。

「最初に目覚めた時の事を、覚えていますか」

 女の子は俺の腕を握り、頭に手を当てたままだ。

「何となく」

「あの日が、5月6日で、今日が、5月の19日なんですよ」

 あれから、二週間も眠っていたらしい。

「君、ひょっとしたら看護士さん」

 ただでさえ惚けている頭に、この状況は辛いので聞いてみた。

「はい」

 女の子は笑顔で答えた。脈を取るのは止めたが、頭には相変わらず、手を乗せたままだ。この娘は何をしているのだろう。

「もしかしたら、ここ、病院でしょ」

「すごーい、良くわかりましたね」

「勘は良い方なんだ」

 看護士さんが褒めてくれたので、嬉しくなってそう言ったが、この状況で、看護士さんときたら、病院以外に何があると言うんだ。惚けているとは言え、我ながら単純な性格を痛感した。

 再び壁に穴が空いた。先生とやらが来たらしい。

 入って来たのは、見覚えのある女性だった。あの時の彼女だ。

「どんな具合なの」

 彼女が看護婦さんに聞いた。

「グルコース代謝の値がやや高いです。脳磁波にガンマ波が出ていますが、問題ありません。FMシータ波も正常です」

 いつの間に調べたのか知らないが、看護婦さんが答えた。

「お久しぶりね」彼女が俺に向かう。「私を覚えているかしら」

 彼女はあの時同様に、美しく、優しい微笑みで話し掛ける。しかも、今度は彼女の言っている言葉が理解出来る。あの時わからなかったのは、やはり、頭がはっきりしていなかったせいだろう。彼女はコロセウムの時とは打って変わって、ほとんど素顔に近い化粧で、服装も水色の袖無しの上着に、同色のズボン。あの時見た彼女より、こちらの彼女方が俺の好みだ。

「俺の名前は、白河正夢。あなたは」

 聞きたい事は山ほどあるが、取り合えず、彼女の名前を聞いた。

「私は、レイビー・ハイドロフ。この病院の責任者で、医師。そして、あなたの命の恩人よ。でも恩にきなくても良いの。あなたのおかげで、私の名声も上がったし、持ちつ持たれつよ。あっ、私の事は、レイって呼んでくれて結構よ」

「どう言う事か、わからないんだけど」

「それも、そうね」

 狼狽えている俺を見ながら、レイが軽く笑った。何だか、馬鹿にされているようで腹が立つ。

「その前に窓を開けましょうか。お願いね」

 レイに言われて、看護士さんは窓の所まで歩いて行った。あの窓をどうやって開けるのか気になって、看護士さんを目で追った。

 看護士さんが窓に右手をかざして少し横に動かすと、どんな仕組みになっているのか知らないが、5月の爽やかな風が病室にそよいで来た。

 呆気に取られている俺をよそにレイが話し始めた。その声に反応して、俺は視線をレイに戻した。レイは、いつの間にか床から生えた来た椅子に座っていた。

「説明の前に、まず、正夢の生年月日と歳を教えてくれる」

「1972年、6月13日。28歳。独身」

 調子に乗って余計な事まで喋ったが、レイには完全に無視された。

「それって、西暦って言うやつでしょ。えーと、今が、韻絡二九年だから」

 レイが天井を見つめて考えていると、横から看護士さんが助けた。

「正夢さんが『死んだ』年から数えると、西暦2958年。986年経っています」

「ありがとう。私って歴史に弱いのよ」

 レイは恐らくこれ以上無いと言う程の馬鹿面をさらしているであろう俺に視線を戻した。

「今聞いた通り、あなたが一度死んでから、約一000年後の今に蘇ったのよ。それまでは、南極の氷山に閉じ込められて眠っていたのよ」

 それを聞いて記憶が蘇って来た。俺はあのコロセウムで目覚める前に確かに南極にいた。奴等に追われ、そして氷の裂け目にスノーモービルごと南極の海に沈んだ。俺が覚えているのは、ここまでだ。しかし、まさかあれから一000年も経っているとは。にわかには信じられず、かと言って、否定する事も叶わず、俺は酸欠金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。

「正夢が見つかったのは、本当に偶然だったの。一時は改善されたけど、今も温暖化が進んでいてね、あなたが眠っていた氷山が大陸から離れて、漂流していたのよ。それが発見されたのが二年前。そして、つい二週間前に蘇生に成功したってわけ」

「見つかったのは、俺だけ」

「ええ、そうよ。でも、正夢が見つかってから南極の調査が始まったわ。同じような人がいないか捜すためにね。でも、何で南極なんかにいたの」

 そう聞かれて、返答に困った。俺が南極でしていた事を言っても、一000年も経っていれば、奴等はとっくに、いなくなっているだろうし問題は無いと思う。でもそれが知られると危険思想の持ち主と判断されて今後の世界での生活に影響するだろう。

 それに何だか、海に落ちる前とは違い、あんな大それた考えが無くなってしまっている。文字通り生まれ変わったのだ。もうこの時代で平和に穏便に暮らして行くしかない。ここは、上手く誤魔化そう。

「観光旅行さ。俺のいた時代は南極旅行なんかが流行っていたからね。自然破壊が進んでいたから、残り少ない自然を見ておこうと思ったんだよ」

 こう言っておけば良いだろう。一000年も昔の細かい流行など、いくら資料が残っていても、わかるはずものではない。

「へー、そうなの。あんな所、氷しか無いのに、昔の人って物好きね」

「ペンギンを見に行ったんだ」

「何それ」

「昔、南極にいた飛べない鳥ですよ。博物館に行けば剥製があります」

 看護士さんがレイに教えた。彼女の方が物知りなようだ。

 どうやら、ペンギンは絶滅したみたいだ。それじゃ北極の白熊はと聞きたかったが、今はそれどころでは無かった。

「それより、俺が最初に目覚めた時の騒ぎは一体、何なんだ」

 俺の蘇生手術をしていたのは想像出来るが、何故にあんな大勢の人の前で行う必要があったのだろう。

「あれは、そうねぇ、正夢の歓迎会ってとこかしら。新しい世界にようこそって」

「先生、患者さんを惑わすような発言は謹んで下さい」

 看護士さんに叱られたレイは、俺を見て笑っている。このお姉ちゃんの言う事は今一つ要領をえない。人をからかうのが好きなようだ。

「ごめんなさいね」口では謝っているが、笑っていやがる。

「じぁまず、この世界の事を教えるわ。正夢のいた時代とこの時代の一番の違いは、病気が存在しないところなのよ。ウイルス、細菌、寄生虫が完全に根絶されたの。ねぇ、確か天然痘が根絶されたのは彼のいた時代よね」

 レイが看護士さんに向かって言った。

「ええ、そうです。もう少し後になりますが、ポリオや麻疹も二一世紀の初頭に根絶されています」

「その天然痘なんかと同じように、約六00年前に全ての病気が無くなって、この時代の人達の心配事と言ったら事故や怪我だけになったわ。そうなると、私達医者の仕事は限られてきて、生存競争が激しくなった。それでも、まだ人体の損傷部分を再生させるための研究などがあったから、それ程ひどくは無かったけど、その技術も完成すると、いよいよ医者の生存競争が激しくなったの。そこで考え出されたのが、手術をショーとして見せる事よ。最初にそれをしたのは、私のご先祖様。二00年程昔の話しよ。死への恐怖が薄れていた人達にとっては、切り刻まれた肉体を見るのが新鮮だったのね。大成功して、それ以来、いかにして手術を効果的に見せるかが、医者の腕の見せ所となって、一旦は、低くなった医者の地位が回復したの。素晴らしいショーを見せられる医者は地位も高くなった。正夢の蘇生手術もその内の一つよ」

「結局俺は、見世物になったってわけか」

「そう言ってしまったら、みもふたも無いじゃない。そのおかげで、あなたは再び生き返ったんだし。それに私は、あなたに感謝しているのよ。さっきも言ったでしょ、手術が成功した医者は名声が上がる。正夢のおかげで私の名声も上がったの。だから正夢は何も遠慮する必要は無いのよ。今は、体力を回復させる事だけを考えていれば良いわ。後の事はゆっくり考えましょう」

 レイが言い終わると、看護士さんが再び俺の額に手を当てた。

「セロトニンの分泌が活発になっています」

「そう、少し話し過ぎたみたいね。今日はこれくらいにしましょう」

 レイが席を立って、病室を出て行った。

 それにしても、どうしてこの看護婦さんは、手を額に当てただけで、俺の体の事がわかるのだろう。ひょっとしたら、この時代の人は超能力を持っているのかも知れない。

 そんな事を考えていたら、急に睡魔に襲われて、いつの間にか眠ってしまった。


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