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 重い瞼に力を込めて何とか薄く開くと、さっきよりも眩しい光が飛び込んで来た。その途端、怒濤のような歓声と拍手が俺の鼓膜を激しく刺激する。声と拍手が頭蓋骨の中を響き回る。頭が割れそうに痛い。

 痛みに耐えかねて瞼を大きく開いた。その瞳に映ったのは、数え切れない程の人々だった。しかし、それは俺の意識がはっきり回復していなくて、数えられないだけだと思う。とにかく俺は、大勢の人達の目に晒されているのだ。

 彼等は何人かずつに分かれて、テーブルの前に座っていて、俺を上の方から見下ろしている。彼等のテーブル上にはグラスが見える。多分その横に見えるのは食べ物だと思う。皆はそれに手をつけずに、立ち上がり、拍手をしている。俺が確認出来るかぎりでは日本人では無いようだ。

 座席は何段にも分かれていて、この建物全体が、すり鉢状になっているようだ。古代ローマのコロセイムを思い起こさせる。俺はそのすり鉢の一番底に、仰向けに寝かされているみたいだ。

 彼等の視線を追っていると、どうやら俺だけを見ているのでは無いらしい。首どころか全身がまったく動かない俺は、何とか動く目だけを横に動かして、彼等の視線が向けられている先を追った。

 そこには、一人の若い女性が立っていた。長い金髪を結あげて、そこに小さな金色に光る冠のような物を乗せている。透き通るような白い肌、小さな顔に整った目鼻立ち。凡そ、映画の中でしか見られないとびきりの美人だ。

 これだけの美人なのだから、化粧の必要は全く無いのに、大勢の人の前のためか化粧はかなり濃い。

 彼女は、胸の部分がへその下まで深く切れ込んだ、きらきら光る黒いドレスを着て、腕には同じ素材と思われる肘の辺りまである黒く長い手套をして、その両手を高々と上げ、喝采を一身に浴びている。彼女は一向に腕を下ろす気配が無い。

 視線を観衆に戻すと、さっきとは景色が変わっている。どうやら俺がいる所はゆっくり回転しているみたいだ。彼女が長い間喝采に応えているのは、ここが一周するのを待っているのだろう。

 一方、俺はと言うと、硝子か何かの透明な容器に横たわっているみたいで、僅かに動いた右手の指先が固い壁に当たった。

 その上、どうも一糸まとわぬ姿にされているらしい。こんな大勢の前で裸にされているのに、恥ずかしいという感情は湧いて来ない。今の俺には、恥ずかしいと感じる余裕など無い。この状況を把握するのに必死なのだ。

 さらに、少し動くようになった腕で体の周りを探る。何か細い管のような物に触ったので、それを伝って行くと、俺の横腹にたどり着いた。引っ張ってみると、その部分に痛みが走った。この管は一本だけではないようだ。体の感覚からすると全身に、それこそ無数に埋め込まれているらしい。

 今の俺の姿を想像してみようと思ったが、さすがに、それ程の思考能力は、まだ回復していない。それに想像しない方が俺には幸せだと思う。

 管は俺の体から、容器の外に繋がっているいるらしい。容器の外に何やら機械らしき物があり、それに管が延びているが見えた。

 やがて彼女は腕を下ろした。一周したのだろう。そして、観衆に向かって話し始めた。しかし、歓声でよく聞き取れない。それで無くても頭のが中がぼやけているので、何を言っているのかわからない。ひょっとしたら外国語かも知れない。彼女の容姿から見てそう考えるのが妥当だろう。

 突然、彼女の後ろに、映像が現れた。俺が見たところ、テレビのモニターなどでは無い。何も無い空間に、映像だけが浮かんでいる。それに、後ろにいる観衆の姿が、かすかに透けて見える。

 映像には、グラフや表などが映し出されて、彼女はそれらについて、観衆に得意気に説明している。観衆は静かになって、説明を聞いているが、やはり俺には彼女の言葉は聞き取れない。

 見ていると、映像に映ったのはグラフや表だけでは無かった。生々しい人体解剖写真が映し出されている。その映像の方がグラフなどよりも遥かに多い。筋肉が剥き出しになった血まみれの顔、腹部を大きく裂かれて、腸などの内蔵が取り出されている写真など、目を覆いたくなる映像だ。しかし、今の俺には視線を逸らすことしか出来ない。もしかしたら、この映像は俺なのだろうか。

 観衆に向かって話していた彼女は、一通り説明が終わったようで、声が聞こえなくなった。俺は彼女のいる方に視線を映すと、彼女も俺を見つめていた。俺が目覚めて初めて彼女の瞳を直視した。何故だか安心する。

 彼女は俺に顔を近づけて、意味のわからない言葉を俺にかけて、優しく微笑んだ。しかし、こんな状況ではあるが、これ程の美人に優しくされるのは、結構嬉しい。男の性と言うものである。

 そんな馬鹿げた考えをしていると、彼女が俺が収められている容器に対して、何か機械を操作するような手つきをした。俺の指先が触れていた管に、軽い振動を感じると、その途端、せっかく戻った俺の意識がまた遠のいて行った。薄れる意識の中で再び歓声が沸き上がるのが聞こえた。

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