第23話 細かな背景設定。

 その世界では、パンはどういう扱いを受けているのでしょうか?


 ローマ帝国時代。小麦が奨励され、今と変わらないほどの品質のパンが生産されていたそうですが、ローマ帝国の崩壊により中世のパン事情は暗黒時代に突入します。


 中世では、長い間、ライ麦が食用にされてきました。パンと言えば黒パンでした。ワインがキリストの血であるように、黒パンはキリストの肉という宗教的な意味も持っていました。(のちに黒パンを認めないという決定が下され、キリスト教は東西に分裂するのですが、ここでは多くは語りません)


 小麦の収穫倍率は三倍程度で、決して高くはありませんでした。西ヨーロッパでは小麦が栽培されましたが、小麦が育たない寒くやせた土地では、それに耐えるライ麦は救世主でした。そのため、東ヨーロッパ(ドイツやロシアなど)の寒い地方では、ライ麦が栽培されました。今でもドイツやロシアではライ麦が栽培されています。


 中世には、そもそもいまでいう脱穀機というものが無かったし、麦粒を石うすでひくための水車小屋、パンを焼くかまどには高い税がかけられました。パン酵母も廃れてしまい、パンを焼くのは一苦労でした。

 農民がそれぞれ自宅でパンをこね、焼くという風習は続きましたが、都市部では専門のパン職人の需要が高まりました。それで、パン焼きギルドというものが公に認可されました。パンを焼く職人は徒弟制で、二年から四年の見習い期間がありました。小麦粉やライ麦粉をちょろまかすことは大罪とされました。罪を逃れるために、パン屋は一ダースのパンを頼まれたら、十三個のパンを納品していました。これは「パン屋の1ダース」と呼ばれます。


 都市部はともかく、田舎の家庭では、パンを焼くのは数週間に一度。パン酵母が無いため発酵は自然任せ。黒パンはかちかちに固く焼かれ、日持ちしました。あまりおいしくはありませんでしたが、栄養価的な側面から言えば、小麦粉をふるいにかけて作られる白パンに勝ります。つまり興味深いことに、貴族より市民のほうが、味は不味くてもいいものを食ってたことになります。


 黒パンさえ買えない貧しい人々が食べたのは、豆や野菜でした。ドイツの名物料理ザワークラウトが主食の農民もいました。ジャガイモは、やせた土地でも育つので、輸入されると飢饉から逃れる為に即座に広まりました。サツマイモのインパクトはそれほどでもなかったようですが、植民地政策の際に南方で栽培されました。

 日本のイネは明らかに収穫倍率がおかしい(小麦が三倍に対して、イネは十五倍以上)チート作物でしたが、その栽培には大量の水が必要だったので、ヨーロッパには広まりませんでした。


 パン一つとってみても、そこには重みのある歴史が、ドラマがありました。




 あなたの書く物語には、こんな背景設定は不要かもしれません。

 その世界では、誰もが白パンを食い、誰もが決して飢えず、誰もが糞便を出さず、誰もが子供に恵まれ、誰もが信仰心を持ち、疫病の害は無いのかもしれません。


 それでも、時に背景設定が必要とされる場合があります。無慈悲な設定でもって、喜劇や悲劇を演出する必要が出てくる場合があります。


 ハーフエルフは長命だが、精神的に孤独で、誰とも子供を作れないかもしれません。ドワーフの血を引くものは、手先は器用だが、森には一生入れないかもしれません。リッチーは、その膨大な魔力と引き換えに、永遠の絶望を抱えているかもしれません。


 細かな背景設定が、歴史という名の薀蓄が、彼らの、キャラクターの運命を変えることがあります。願わくば、たとえ彼らに苦難の道があろうとも、その先に偉大なる意味と幸福があらんことを。

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