最初のステップ

第15話 人称を決めよう。

 今回は人称です。人称は一般に、一人称と三人称が使われます。二人称はほとんど使われないので覚えなくてもいいです。リストアップするとこうなります。


 ・一人称

 ・厳密な三人称(感情が読めない)

 ・三人称単視点(背後霊型)

 ・三人称多視点(ザッピング型)

 ・三人称神視点(なんでもあり)

 ・三人称神視点(ナレーター型)


 一人称は「僕」「俺」「私」のどれかが主人公になります。あとは「余」とか「儂」くらいでしょうか。現実リアルでは使い分けたりもしますが、小説上では、自分の呼び方は一通りに決めてしまうのが簡単です。


 一人称は「僕は走った。A子も一緒に走った」のように、主役である「僕」と、僕の周囲の人物の描写から成ります。主人公が超能力者でもないかぎり、他人の感情は読めません。あるのは「僕」の観察と推論、心の中の動きだけになります。

「僕は走った。A子も一緒に走った。僕が思うに、A子は嬉しそうに見えた」という形です。もちろん「僕が思うに」の部分は省略してもかまいません。



 三人称は「C男は走った。A子も一緒に走った」あるいは「C男とA子は一緒に走った」というふうな、主役のいない書き方です。この場合は、全員の感情が読めません。ただ、見た目で感情を表現することはできます。

「C男とA子は一緒に走った。A子の表情は嬉しそうだった」という形です。



「C男とA子は一緒に走った。A子は喜んだ」

 これは……難しいところですが、厳密にはNGです。知らず知らずのうちに、A子の感情を描写してしまっています。これは三人称単視点(背後霊型)といって、厳密な三人称ではありません。

 ですが、このような背後霊型の形式で書かれている小説は非常に多いです。三人称小説の大部分がこれに属します。A子の背後霊のようなポジションから描写しているので、厳しいようですがA子が見ていない世界は書けません。このへんを間違えると、以下のようになってしまいます。


「C男とA子は一緒に走った。A子は喜んだ。というのも、A子は一度くらいは、憧れのC男を追いかけてみたかったからである。C男のほうも追われるのはまんざらでもなかった。やはり、C男も一度くらいは、後輩のA子に追いかけられてみたかったからである」

 これが三人称多視点(ザッピング型)、あるいは三人称神視点(なんでもあり)と言われるものです。視点がころころ変わり、それぞれの心情を描写してしまっています。これはこれで歴史モノや神話などで使われる味のある文章になりますが、一般にはNGなので、気をつけましょう。


 また「その日その時、誰にも見つからずにステルス戦闘機が飛んでいた。」「後世の歴史家によれば、それはまさに奇跡的な偶然であった。」などのような完全な三人称神視点(ナレーター型)もあります。これは戦記物などでおなじみですね。



 一般小説やラノベでは、一人称で語られる話と、三人称で語られる話が、章ごとに切り替わるタイプも多いです。最初は三人称で書いておいて、一人称の独白が間に割り込む、とか。最初は一人称で書いてあって、戦闘シーンなど広い視野が必要な場面で三人称に変わる、とかです。


 しかし、最初からそのような高度な話を書こうとすると、大抵失敗します。

 一人称の短編。三人称の短編。一人称の長編。三人称の長編。などと、次第に慣れていくのが上達の近道であると考えます。そのうち両者を混同することがなくなり、自分で意識的に書き分けられるようになります。


 次回は一人称についてです。

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