地の文
第11話 台詞だけの文章は小説ではない。
A子「
B子「ここから小説にハマったという方もいるようです」
A子「しかしながらこのような作品は――」
B子「小説の体を成しているとは言い難いのです」
これを単純に変換して
「
「ここから小説にハマったという方もいるようです」B子が受ける。
「しかしながらこのような作品は――」A子が疑問を呈した。
「小説の体を成しているとは言い難いのです」B子が断言した。
こうすると小説「らしく」なります。
ですがこれを小説と呼ぶには、まだ何か足りません。地の文が無いからです。何処とも知れぬ虚空の中にA子とB子が立って禅問答している――読者にそんな風に取られてしまってもしかたがありません。
「
ここは超常現象が頻発する薙刀高校。場所は教室。時は放課後。A子は小説書きを目指して文芸部に所属する、黒髪長髪の高校生である。連載の関係上、季節が冬なので、紺の冬服に着替えている。そして読者に媚びようと、今は細い楕円のフレームの伊達眼鏡をかけている。眼鏡っ子Aに萌えてしまった読者はまんまとしてやられたというわけだ。
「ここから小説にハマったという方もいるようです」B子が受ける。
VIP板などでは、SS職人が今日も萌え豚を狂喜乱舞させるために「小説モドキ」を量産している。そこでは誰が何を言ったかが重要で、地の文などというものは存在しない。その多くはテンプレートに沿っていて、会話の応酬を楽しむというのがほとんどだ。
茶髪のショートカットで銀のピアスを装着したB子は、そういう入り口があることは否定しない。多くの人間が文字媒体を通じて、何かを感じ取ってくれるのなら、それが小説である必要はないとさえ思う。だが。
「しかしながらこのような作品は――」A子が疑問を呈した。
A子は見た目どおりに、いやそれ以上に堅物である。青空文庫にありそうな古典を読んでは、ほうとため息をついたりしている。『吾輩は猫である』が、元祖猫萌え小説だと公言してはばからないほどに、古典にどっぷりと漬かっている。芥川全集も読破した。太宰治の生い立ちも知っている。そのA子が疑問を呈し、言葉を切った。
「小説の体を成しているとは言い難いのです」B子が断言した。
そう、小説というのは主に地の文から成り立つのだ。台詞はどちらかというとオマケである。名作『吾輩は猫である』を読んでみてもらいたい。そこには主人公たる猫の人間的思考と情景描写が、延々と続いていることに気付くであろう。
そのところどころに、アクセントとして人間の台詞が挿入されている。僅かな台詞が、とんとん拍子のやりとりとして、面白おかしく存在している。猫はこれを聞くには聞くが、理解はしない。理解するのは読者である。面白みを感じて笑うのは読者である。ここに台詞の妙味がある。
「そんなわけで、次は地の文についてです」A子が言った。
「地の文をどうやって書くか。要チェックです」B子が言った。
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