封印魔鏡

「魔天王様におおせつかっている通り、もしものことがあった場合は、一刻も速く私を呼びつけて下さい。ハヤテ、あなたに『音のない小笛』を託しておきます」

「パンドラ、今まで、ありがとう。きっと帰ってくるよ」


 まだ陽が見えない夜と朝のはざまの時間に、三人は支度を始めた。彼らの戦いに対する精神力は今最強の状態に引き出されている。会話からそれを察するのは難しいが、武器を整えたりする動作と、特に目の動きには全く無駄が見られない。


 ハヤテは”蒼玉の杖”にはめこまれた深い青の珠を静かに見つめてから、素早く法衣の腰帯に挿した。少し体をひねると、反対のわきにつないだ麻袋の中の魔法石(魔力を持った小石)がかすかに音をたてた。

「これっきりだ。この戦い、オレたちが勝てば、それでいいこと」

 ショウはそう呟きながら黒革の手袋をはめて、左腕に小石をいくつも通した麻紐を巻いた。気力が尽きた時の為に、ダガー(ナイフの一種)も胸元に忍ばせる。

「魔神との戦いと、僕たち自身との戦い……かもしれない。絶対……戻って来たい」

 ダイチはプレイトシールドを背負ってから、マントをかけた。重みのあるバスタードソードが鈍く光って、マントに包み込まれた。


 ハヤテは床に白墨で魔法陣を描き、二人を中に入れた。

「あとは頼んだよ」

「……御武運を、祈ります」

 ハヤテはいくつかの魔法石を床にまいた。少しでも自分の精神力を使わないようにする為だ。

「風と時を渡りし精霊ウィ・オーク! 僕らを魔神の棲む場所へ運べ!――

『ムーブ』!」


 一瞬にして光が三人を包み、消えた。


『この厭な気分……いいや、それだけは……!』


 パンドラは無事に三人が戻ってくることを願って念じた。それは一匹の犬の遠吠えとなって、普段と変わりのない朝を迎える世界に響いた。





 巨大な穴掘りボーリング機が、油ぎれた音をたてて、ほんの少し揺れている。その側に青白い光が現われ、……三人は工事現場に到達した。

 夜明けが近く、見上げるとボーリング機の上端が淡い紫の空に黒い裂け目をつけるように目に入った。

「……悪魔の尻尾デビル・テイルみたいだな。気持ち悪いや」

「ぴったりじゃないか、魔神の居場所に」

 ショウとダイチが会話している間に、ハヤテは数歩進んで、地下への入口を探していた。足下を見ていなかったので、死んだネズミを踏みそうになった。

「おっと、」

「そうそう、地震なんかが起こる前、ネズミが先に逃げだすんだぜ」

「ネズミが?」

 ハヤテは拾った小枝で穴を掘りながら聞き返した。ショウはハヤテの後ろを通って答える。

たちが、人間よりも敏感なんだ。もしかすると、かなりの『恐怖』を、人間より早く、強く、知ってしまったのかもしれないな」

「魔神がいること、だけでか……」

 ダイチがショウの後をついて歩きだす頃には、ハヤテはネズミを埋めて上に魔法石を一つ置いていた。



「おい、これ」

 ショウが二人を呼んで、変色した鉄骨の積み場を指差した。長い鉄骨は1.5メートルほどの高さに積まれていたのだが、何かの影がついたように中央がどす黒くなっていた。触れても鉄の感触は変わらない。普通の人間には見分けのつかない、隠し扉だ。


「ダイチ、剣にを入れるから扉を切ってくれ」

「うん」

 ダイチはバスタードソードの隣に挿してあった流白銀ミスリルの片手剣を鞘から抜いて構えた。ショウはダイチの右わきに立ち、左手を剣にかざした。

「めぐり来る朝陽の光の力、我々に分け与えんあたえよ!」

 光の粒が、手先に集中する。

「『妖術陽聖弾』!」

 生まれた白い気球が、ミスリルの剣にぶつかった。剣は白い炎をあげて輝く。

「はっ!」

 ダイチは一気に剣を振り下ろした。白い線が鉄骨につき、黒い部分がそこから熔けるように消えた。

 奥には暗闇の道が続いている。


「この扉……何度でも復活するみたいだ」

 ダイチが先に中に入った。言う通り、扉の縁に黒い影が戻りはじめている。

「魔神を倒せば、これもなくなるさ」

 ショウが続いて入った。ハヤテは魔法石を左手に一つ乗せて、光の精霊を呼び寄せる。

「ティライトよ、この魔法石に宿れ!『ランプ』」

 中は漆黒の闇が広がっていて、ハヤテの『ランプ』の光でかなり高い天井の大広間らしい空間だというのがようやく分かった。扉は完全に閉まったようだ。三人は全ての方向に注意しながら、ほぼ前へ進んでいた。

 三人は同時にその気配を感じて立ち止まった。

『やって来たよ、やって来たよ、ボクたちの「ひるめし」が』

「『ディ・ランプ』!」

 ハヤテは石を捨て、杖を振り上げて明かりを強くした。さっきよりもはっきりそこが大広間のような所とわかった……床にびっしりと並んだ泥の腕が、一つ一つ『やって来たよ』と口々に騒ぐ様も……


『やって来たよ、やって来たよ、ボクたちの……』

「そう簡単に食われてたまるか! お前達の泥の土の力を借りるぜ!

『妖術土体殺』!」

 ショウは両腕をすくい上げて叫んだ。一帯の泥の腕が、ぼこぼこと泡をたてはじめる。

『あれっ、あれあれ』

 泥の腕たちの指は、同じ泥にかけられた妖術によって押さえられて動けなくなった。

 三人と彼らの力の差は歴然だった。ハヤテの杖は、瞬く間に炎の精霊を呼んで、彼らを跡形もなく焼き払った。

 焦げた床を踏み進み、三人は大きな壁、というより地上にあったものより何倍も大きな黒い扉の前に来た。


「どうする?」

「待て、むこうに……がいる」

「『ヴェダル=ベータ』か!」

 ショウは以前の恐怖を貰った相手の”気”の流れを覚えていた。おそらくあいつは自分たちが扉を開けた時の一瞬の隙をついて攻撃しようと待ち構えているのだろう、と付け加える。


「あの時とは違う、ってとこを見せてやろうぜ」

 ショウは作戦を二人に話して、うなずかせてから少し後ろに下がり、両手を扉に向けて気力を高め始めた。ダイチは扉の前に、盾を出してかがんだ。ハヤテは二人の中間に、同じくかがんでショウの動きを見ていた。

「もう一度わきあがれ、土の波よ! 重き風と混ざれっ!

『妖術土風裂弾』!!」

 生暖かい風が、土にもぐった次の瞬間には、半径が1メートルはゆうになる、かなり大きな気球が扉の上方にぶつかり、


『ガァッ、ガガン!』


 と大音響をたてた。扉は先刻の時と同じように溶けるようにして円い空間を開けた。そして予測通り、


「待っていたよ、ひ弱な地球人達!」

 自分の結界に入って浮かんでいたヴェダル=ベータが、扉が聞くのを待って、三人めがけて大きなベータ=プレイスを投げ落とした!


「空神様にちょっとでも早く君たちの首を見せたくってさ! 僕の腕の中ベータ=プレイスで、圧力に潰れてしまいなよ!」

 ベータ=プレイスにはかなり重力を込めているらしく、結界の中はどす黒く、中央で雷がちらついている。


「氷の世界を司る精霊シーザー! 蒼珠の杖から、邪悪なる結界をうち砕け!

『ディ・ブリザード』!!」


 ハヤテは杖を水平に振り上げ、結界が扉を抜けかけた時に氷結の呪文を完成させた。杖から氷の嵐が巻き起こり、結界にとりまく。結界の落下速度が落ちる!


「くらえっ!」

 ダイチがそれを見計らって強く地面を蹴って大きく飛ぶ。


「君達、一体何をするつもり……」

「ぶち壊すんだよ!」


 盾を構えていたのは、接触した時の破壊力を上げ、自分へのダメージを下げる為だった。ヴェダル=ヴェーダの焦りの声も、

『バリバリバリ!!』

 ダイチが全身で凍りついた結界に当たり、破壊する音でかき消される。


「そんな、ぼ、僕の結界が!!」

 ヴェダル=ベータがひるんだ隙に、ショウは二発目を繰り出した! それは無防備な彼に命中した。


『ドガァン!』

「うぎゃあっっ!」

「『ディ・サンダー』!」

 ハヤテもすかさず雷の精霊を呼び出し、光を打ち込む。ダイチはミスリルの剣をふるう。 彼は全身を焦げ付かせ、斬られ、床に激突した。


「こ、この僕が、空神くうじん様の右腕とも言われていた僕が、あんな奴等に……!」


 三人は扉をくぐり、もがく彼の前に立った。明らかに、三人は強くなっていた。


『お前も短絡的な奴だ……それに、お前ごときを右腕などと認めた覚えもない』


「! 空神様!」


 暗く卑屈な声が地の底から響いてくる。三人はすぐに身構えた。魔神の姿はまだ現れていないが、大広間の奥で何かが光った。三人ともその時に悪寒を抱いた。


『「見逃してやれ」と言ったのを忘れたか? 儂の命令を無視したな』

「うああ、――!!」

 泣き叫ぶヴェダル=ベータの身体が少し浮かんだかと思うと、魔法や妖術よりも数倍早い光と爆音でバラバラになって消えた。その後大広間の燭台やシャンデリアに一気に青い炎がともされ、……姿、異形の大男が見えた。


『魔天空神!!』



 暗黒の空を駆ける王、という異称を持つ魔神、『魔天空神』。身丈はダイチの三倍を超えている。ただ背が高いだけでなく、灰褐色をした肉体も無駄なく鍛えられてある。右腕は、筋力の莫大な力を持て余すように小刻みに震え、肩と胸の脇側から伸びる二本の左腕も、誰が見ても強じんであることは恐怖とともに察知できるであろう。この肉体を支える二本の脚も例外ではない。大広間の石床は、彼の身体の重圧に勝てず、長い爪跡を残す足形と細かなひびが刻み続けられる。三人は、あらためて息をのんだ。

 魔神の上体には一応羽もあったが、まるで魚類のエラを思わせるような、大きなしなやかな骨格、と言う方が似合っているかもしれない。

 彼はどす赤い眼を一度閉じ、再び開いた。もちろん、いつでも闘いをはじめられるように身構えた三人が眼に入っている。三人の真摯な瞳も、異形な魔神を睨み続ける。たとえようのない威圧と気迫がぶつかる。

 魔神は視線をずらさず口を開いた。深紅の口内に、白い牙が映える。

「よく来たな、弱気魔天王ギルファーが育てしども」

 三人は蔑まされた言葉に身を震わせる。

「ここで一つ、魔天空神わたしが直々に素晴らしい教養を身に付けさせてやろう。

おまえたちがどうあがいても、この儂には勝てぬということ、そして」


「この世界を、地球を落とすことはやめろ!」


 魔神の言葉が終わらないうちに、光の精霊を呼びつけたハヤテは光の矢を飛ばしていた。それは魔神の身体の数十センチ手前で跡形もなく消えた。魔神の気力がまさっているのだ。

「非力な子供どもが……言うだけ無駄か……」

 魔神の軽い呟きが戦いのはじまりになった。



「ショウ! 魔神の気をそらせてくれっ」

 ダイチは叫んですぐに脇からバスタードソードを抜いて魔神に直進した。魔神の眼は彼を一番大きく捉える。右腕をぶつけてやろうと振りかぶりかけた時、床が揺れた。

「『妖術速土弾!』

 ショウが土の力を素早くねじり切った!

『バ、バンッ!』

 魔神の目の前と、ダイチのいない右後ろで二発が炸裂した。魔神は二発目に眼を回す。土煙の奥に、杖を高く掲げたハヤテが見えた。

「ティライトよ! まばゆき光をここへ――

『ディ・サンダー』!」

 ハヤテは魔神と目が合う一瞬を逃さず、光をはじけさせた。魔神は視覚を数秒失う。彼の背後に移動していたダイチは、力をこめて背をたたき切った!

「でやあっ!」

『ザウウ!』

「があああっ、」


 不覚、ともいえる魔神の叫びは、青緑色の血と同時に発せられた。慌ててその行動を揉み消そうと左の上の手を口元へ持っていったが、ぼたぼたと血は指の間をぬけて床にこぼれた。

 一度後ろに下がるハヤテ、次の妖術の為に気力を高めているショウ、バスタードソードを大きくふりかぶり始めたダイチ、三人の動きを、回復してきた視界の中に彼は確認した。


「お前たち、絶対に、許さん!」

「やああっ!」

『ガ、ギィン!』

 剣が魔神の身体に触れた時、ダイチはさっきとは何か感覚が違う、と瞬時に解った。鉄のような、いや、鉄以上の固さのものに刃をあてているのでは、と……。激しい震えが、魔神からはね返ってくる。ダイチは剣の柄をきつく握りしめて押し込もうとしたが、刃は全く動かず、

『キシキシ……』

 と鳴り、ついに魔神とダイチの双方の荷重に耐えきれず、罅が中央から一気に全体に広がり、

『ピシィッ!』

「そんなバカな!」

 折れ崩れてしまった……。


「ふははは!」

 魔神は笑いながら上の左腕で破片を振り払い、下の腕をダイチに突っ込ませる。ダイチは盾を素速く出してぶつけた。派手な音が響く。

『ガアン!』

(バスタードソードが折れるなんて!)

 魔神とダイチは互いに弾かれるように離れた。どことなく魔神の肌の周りに、白い皮膜のような物が見えた。

「さあ、次はどのが仕掛けてくれるのかな?」

「あの白いのは……まさか……」

 ショウは予感を確かめるために、一歩前に出て、土と風の力をひねりだす。


「俺だ! 最強の妖術弾を、見せてやるぜ!……御師匠さんにも、止められてたやつを!」

 直径1メートル位の気球が生まれてきた。魔神はじっとその様子をうかがっている。

 ダイチがハヤテのいる方まで戻って来た。

「あの白いやつ、そうとう固いぜ」

「ああ。僕にも見える。何かあるな……ショウの妖術が、どうなるか…」

「ショウ、注意しろよ! あいつ、何かたくらんでるぜ!!」


「ハヤテ、ダイチ、ふたりともよけててよ!

――くらえっ、『妖術土風裂弾』!!」

 ショウは魔神へ一直線に最強の妖気弾を飛ばした。魔神は逃げずに、胸を張って待っている……笑いながら。

 ショウの心の中を、以前に狂乱に陥れられたの記憶がぱっとかけぬけて行った。彼はその記憶が呼び戻してきた恐怖ともいえる不安を切り捨てる為に、今いる所から離れようと床を蹴ったのだが、

『ドオン!』

 魔神に直撃し、ショウが放った時の倍の速さと強さで返ってきた妖術弾が足下の床をえぐる方が早かった。

『グワァァン!』

 床が大きく割けて、爆風が大広間全体を駆け抜ける。ダイチは体躯の艮さと装備の重さで、ハヤテはダイチの後方にいたことで、その直撃を免れたが……元々小柄で軽装のショウは木の葉のように吹き飛ばされ、えぐれた床石の破片と一緒に、数十メートル離れた右側の石壁に激突した。

 ぶつかる音は爆風に紛れて聞き取れなかった。床や壁が木端微塵になって転がっている。そしてショウも、全く動いていない……。


「ショウ!」

 ハヤテはすぐにショウを起こしに走った。気絶している。

「聖風の精霊ホーリィよ、仲間に命のともしびを!

『ディ・ライフ!』」

 なんとか呪文の完成が間に合い、ショウはまゆを動かした。彼を横に寝かせ、ハヤテは向き直る。


「どうだ、儂の『魔白光衣まはくこうい』は……! このを使わせるとはな……」


「魔術……!」


 ハヤテは呟いて唇を噛んだ。


 魔術とは、あまりにも強力すぎる効果を持つ魔法や妖術のことだ。魔界から追放された術たちと言ってもおかしくない。

 これを使えるのは、それらの魔術の唱え方を知っている者と、その者達から教えられた弟子、だけだ。ハヤテも魔術の存在こそ魔導師から聞いてはいたが……。


「う……やっぱり、魔術だったか……」

 ショウは痛みに苦しんでいた。その姿を見て、仲間が抱く思いは同じだった。ダイチは二人の側にかけ寄り、怒りに震える手で、残してあったミスリルの剣を抜いて構えた。ハヤテも杖を魔神に向けた。


「なあハヤテ、僕らが三人でかかっても、あいつの方が強いかも、いや、強すぎるよな」

 ダイチの声は、ふたりによく聞こえた。

「でもな、僕らは三人で――あいつより、三倍多くチャンスを見付けられる……ま、これは僕のいたところで、教えられてきた言葉の受け売りだけど」

 他の二人にとって何よりも勇気付けられるものであった。


「さあ、そろそろ片付けてやろう」


 魔神は後方に置いてあった鏡をもう一度手に取った。

「俺も手助けしたいけど……身体が、動かねえや……」

 ハヤテはそれ以上喋るな、とショウに合図した。

「今は無理をしないで。僕らで時間をかせぐから」


「鏡の精霊、エヴィル=ミラよ! 魔天空神が要望にこたえ、この封印魔鏡に映る三人の子供を、封印してしまえ!」

 魔神の叫びに、鏡は銀色に輝いて応えた。

 魔神は三人の方へ歩み寄った。足音が三人の恐怖心を揺さぶりかけた。


 この時、三人は機会をつかんだ。

 魔神の足が、歩く為に床から離れる一瞬なら攻撃ができるかもしれない、と。


(世界に輝く氷を生みだす、冷気の精霊シーザーよ……)

(耐えてくれよ、ミスリルの剣!)


「……ハヤ、テ……、ダ、イチ、頼んだぞ……! わずかな光でも、あいつには利くはずだ……

『妖術閃光弾』!」


『ショウ?!』


 ショウが真っ先に、ゆらりと上げた左手を天井に向けた。集められた光が飛び散る。三人の姿が、一瞬隠れる。

「まだあがく気か?」

 魔神は前進した――脚が上がる。


(今だ!)

『ディ・ブリザード!』


 ハヤテが自分の総力をあげて強力な吹雪を魔神にぶつける。妖術の光の中から冷たい嵐が飛び出した。

「その程度の吹雪など……!」

 魔神は言葉を止めた。光が注意力を奪っていたのだ。


「うおおお!」

「し、しまった――」

 しかしこの時の運は、魔神に傾いていた。ダイチやハヤテが狙った脚部は一瞬にして白い光に包まれ、

『ガッ、キシャン!』

『ビュゴウウ!』

 ミスリルの剣を粉々に砕けさせ、吹雪は倍以上の大嵐と変貌して、跳ね返ってきた。


「うわあっ!」

 一番近くにいたダイチは吹雪の直撃を全身に受けた。プレイトメイルは重くなり彼の動きを圧迫する。間髪入れずにミスリルの剣の破片が降りそそぐ。無数の傷をつけて彼は倒れた。


「ダイチーっ!」

 ハヤテは叫んだ。


 確かに自分たちは魔神より弱いかもしれない。

 しかし、だてに三年、それぞれが過酷な修行を積んでいたのでもない。は魔白光衣が跳ね返した、悲痛な攻撃となって表われていた。


「エヴィル=ミラよ、輝け! 闇の光を点せ!

『ミラ・リバース』!」

 魔神の声で、大広間を明るくしていた青い炎は全て消えた。魔神が呪文を完成させたのだ。ただ一人瞳を開けているハヤテには、赤く光る魔神の眼と、鏡しか見えなくなった。


 身体が中から熱くなる。足元が柔らかくなった気がする。自分たちの全身が、何か強くて、そして恐ろしいものに押されて、……封印魔鏡に引かれてゆくのがわかる。


 鏡が一度強く光った。

「ダイチ!!」

 渾身の力でハヤテはもう一度叫んだ。暗いせいだけではなく、彼の存在自体が確認できない。鏡が、ダイチを吸い込んでしまった。……今度はショウの身体が引かれはじめている。ハヤテは強くショウを抱いた。彼は殆ど体力のない状態で妖術を使い続けたので、こん睡している。


(この手を離したら……ショウも吸い込まれてしまう……)

 自分の行動が、全てを決める……迷う時間は、もう残されていない……仲間が倒れた今……。

 ハヤテは杖が手元にないことに気付いた。たぶん鏡の中だろう。右手を震わせながら、鏡の方へ向けた。

「炎の精霊、ファバーンよ……僕らに、希望を!

『ディ・ブルーファイア!』」


 蒼い炎は、封印魔鏡の中で駆け巡った。ハヤテは直後に絶望を覚えた。

『甘い甘い甘過ぎる! たかだか低級な魔法使いリトル=メイジが、素手で魔法を使おうなんて数百年早いわ! それとも、己の吹雪で凍らせた仲間をしようとでも思ったのか?』

 魔神の潮笑が冷たく、冷たく、闇から響く。

「違う、違うんだよ! うああーっ!」


 魔法使いは杖から魔法の効果を生み出す。素手で精霊を呼び、魔法を使えるのはどんな魔法も使いこなす『魔導師』だけだ。ハヤテは中から鏡を壊そうとしたのだ。しかし予想したほどの威力は無く、ダイチヘの危害が少ないことはともかくとしても、反抗は失敗に終わった。

 鏡が輝く。ショウの身体が手から離れた。自身も少しずつ引かれている。

ハヤテは魔神に悟られないように、胸元をさぐった。あの、『音のない小笛』を取り出して口元に持って行った。



(パンドラ!)



 パンドラを呼ぶこと、それは、……



――自分たちの死が近いことを意味していた。


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