魔界大戦-ストラ・グル-前夜
「噂は本当だったんだ、レビン」
魔界の魔界空天王神殿には、十年ぶりの来客が訪れていた。さきの
魔天王ギルファー=レビンの名を、レビンとだけで呼べる者は少ない。真の直系の親族か、あるいは非常に近い立場に居る者しか許されない。
彼女は惜しげもなく彼の名を、うす緑色のカーテンの向こう側になげかける。
「せっかく、茶でも飲もうと思ったのに。侍女に預けておくから、寝る前にでも飲みなよ」
「……すまない」
「そんな気合いじゃサタンに宣戦布告されても当然だ」
「……」
ユシトは淡々とたたみかけようとする。
「あたしたちを働かせるのは勝手だけどね。
そして、本来の目的へと言葉をつなげた。
「--いい娘がいるんだ。戦力になる」
***
「マユミ」
マユミは天井を見ていた。……いつのまにか、仰向けに倒れていた、のだ。
「あっ、」
マユミはすぐに起きあがろうとした。からだ全体が淡い光に包まれているというか、あたたかいものに包まれていると気づいた。
「ああ、……わたし……」
長い間倒れていたのか、という質問には、サラもシルフも首を振った。ほんの一瞬だったという。
「すごく長い夢を見ていた気がするわ」
そして、隣の部屋をのぞいて--置いてある時計で、時間を確認した。
「もうすぐ、お父さんが帰ってくると思う」
「これでお互い、力をつけたってわけね……」
サラは両目を輝かせてつぶやく。シルフはわざと思い出したように、マユミにもきこえるように問いかけた。
「
「--ええ」
「ストラ・グル?」
***
「地球人が、『移動広場』を通っていた、と? 先日、パンドラに許可を与えたのとは別に?」
「自分のことに気を使いすぎて気づかず、といったところだね。あれは、その娘が地球に帰るためのやつだった。連れてきたことは、時を見て相談はしようと思ってた--結果ここまで黙ってしまったが」
ユシトは目を細めて、入り口の扉の向こうに気を配った。自分がこの大広間に入る前、周りからはいっさいの衛兵も使いも退出してほしいと伝えていたのを、確かめるために。それからふうと息をついた。
「--マユミは、強いよ。あたしでさえ、身震いするくらいの力を持っている。レビンあんたがそうやりはじめたことも、一言もなしに決めたんだ、あたしらのわがままくらい聞いてもらっていいだろう?」
「--わかった」
床の方から風が通った。
「ただし--いちど、連れてきて欲しい」
「ああ。そろそろ、『地球』での『満月の儀式』が終わる頃だ。明日にでもひとりで来城させるよ--じゃ」
相手の姿が見えないからか、これ以上話をしても無駄そうに、ユシトはそこまで言い切ってしまうと、もう広間の扉に足を向けていた。
「ユシト、」
魔天王のいる場が、少しゆらいだ。彼女は後ろ手に手を二度振って、去ってしまった。
カーテンの脇から、手が伸びた--それはやけに白く細く見えた……。
***
「じゃあ、その大戦に勝つと、魔界の王様になれるの?!」
「ええ、まあ。でも、あたしたちのサタン様にこんなこと言うのもなんだけど、サタン様は政治がめっきりへたくそなのよ。勝ってくれるのはうれしいんだけど--その後思うように食料や服が買えなくなっちゃったことがあるわ」
「買えない--?」
「……魔界の長い歴史では何度かそういった『
「だから、まじめに修行するってば! ちゃんとあなたもいちから呼べるように勉強し直すし!」
「--しぃっ! ふたりとも、もうちょっと、静かに……」
ほとんどの人が休んでいる真夜中だからとマユミは説明した。しかし、心の中では、「大戦」がこれから、自分のいる時に起ころうとしているのだと、ざわめいていた。
「またねマユミ、次は--」
「次は魔王軍として、あなたたちときちんと闘うわ、またね」
シルフとサラはほどなく魔界に戻っていった。マユミも後ほどからユシトとジンに会いに行かなくてはならない。そこで大戦のことについて詳しく聞いてみなければ、とパジャマに着替えながら考えた。その夜、夢は見なかったけれども、ずっと身体の中央があたたかく、なつかしいような気分が続いていた。
まるで学校の友達みたいに、マユミは移動広場でパンドラに再会した。パンドラははじめマユミと目をあわせると、強い光をみたように肩をふるわせた。
「どうしたの?」
「いや、なんだか--また、存在感みたいなのが、強くなったと思って」
パンドラは忘れないうちに『使命』と『ことづけ』を伝えた。
「ユシト様から、家に来る前に、天王神殿に登城してほしい、とことづけられました。そして、我が王よりも。マユミ、あなたに会いたい、ということです」
「--!」
マユミは驚いた。これまで、魔天王には秘密として、修行をすすめてきていたはずなのに。もしこれ以上魔界にもいられなくなったら、三人を救い魔神を倒す目標が、ついえてしまう--しかし、パンドラの安どしたような表情が、予想違いだと気づかせてくれた。
「大丈夫です。ユシト様が先日、直々に状況を説明されたそうです」
招かれざる者だったはずのマユミは、天王神殿の城内、一階の大広間に入っていた。パンドラはもちろん慣れた顔つきで、周りですれ違う衛兵や、侍女たちと挨拶を交わす。強い風が外壁をめぐり、外の青々とした木々の葉を揺らしていた。
「ハヤテ、ショウ、ダイチ--彼らも、一度ここへ来ています。わたしはあの時、先に地球に向かい、三人を迎える予定でした。でも、あんな、魔神の下っ端にやられて--」
語尾の方は風の音で聞き取れなかった。だからマユミは悔しそうに口を開く彼をわざと見ないでいた。
「あちらに、魔天王、ギルファー=レビン様がおわします」
大理石の重い階段を上ったところで、パンドラがすっとマユミに道を譲った。突き当たりには、金縁の彫り込みが輝きこんだ扉がきっちりと閉まっている。
衛兵が、それをゆっくりと開く。中は薄暗くも見えた。マユミはパンドラたちに一礼して、奥へと進んだ。
目の前に見えたのは、カーテンのような幕だった。うす緑色のようにも、あわい炎の色にも見える。
「--よく来てくれた、若き魔導師よ」
扉が閉まって、すぐに声が響いた。父よりも寂しげで、母よりも暖かみがあるようにもとれた。
「魔天王、ギルファー=レビン様、わたし--」
「魔天王だけで、かまわない」
「魔天王様。わたしは--」
何から、どこから話せばいいのかがつかめず、マユミはぼうぜんと、魔天王の身体があるだろう場所を目でみとめようとした。輝きがカーテンの全体をつらぬいていて、そのあらゆる場所から声は聞こえた。
「--わたしは、魔界の王であるあなたに内緒で、魔導師になる修行を行いました。わたしを、とがめるおつもりなのでは、ないのですか?」
マユミのはっきりした疑問が、広間の隅に消え去る頃、魔天王は闇を揺らした。
「私は今、外に姿を見せることができない。
間違えないでほしい、それは強さのためでなく、弱さのためだ。
おまえの行動が、魔界の法にふれるかどうかは、最後に私がすべてをさらけ出すことができてからにしたい。それまでは--、
魔導師マユミよ。
--おまえが、これまで、信じてきた”夢”を--わたしに、我が軍に、しばらくだけ、あずけてくれないだろうか?」
***
戦いは好きだ。
雑念をなぎ払い、ただ腕の動くまま、身体の動くままにがむしゃらにやればよいから。
敵味方の区別などその次だ--自分に向かってくる奴らは、すべて叩けばいい、それだけだ。
魔剣士デイストは、剣の手入れを頼んでいるあいだ、魔王城をうろうろと歩き回っていた。--人間でいえば背格好は二十代前半の、精悍な男といったところだ。こちらの時間だと、それに数百倍ほど長く生きてはいるが。深緑の外とうの下には、着こなれたプレートメイルと、サブスロットの片手剣。
魔王サタンはデイストがまだデイストとも呼ばれなかったみなし子の時代--それはそれはたいへんな昔--に、彼の地の能力を見抜き、魔界に伝わる古い伝記のひとつに登場する剣士の名をつけ、剣術をたたき込んだ。デイストにとっても、生い立ちの悩みをひとふりではらえてしまう剣術は大変都合がよかった。(しかし彼に”悩み”という定義ができるかどうかといえば定かではないが)。
魔界で一、二の重量を誇る剣『ギーガ=バロアルト』をゆうに扱えるようになり、さらに黒魔法の長でもあるサタンから直接うけとったいくつかの魔法もこなせるようになった頃から、誰もデイストにたてつこうとはしなくなった。戦いの機会は大戦の時くらい、と減ってしまったが、デイストは廊下を大きな足音で歩いても文句を言われなくなったことをとても痛快に思った。
「ん……」
見上げた城壁の向こうに、流れ星がひとすじ、通った。
「んー……」
左手を伸ばしてみたが、とうていつかめる距離ではない。ここで知力のある者ならあきらめてしまうのだろうが、デイストには生まれつき、「目の前のことを一つずつしかこなす」ことしかできなかった。
当然のように、思い立ってデイストは後ろ向きに走る。
「とっとっとっ」
二度つまづいたが、ふんばって、なんと外壁に向かって助走をつけた!
「だあああっ!」
そして床を蹴る直前、
「俺をあの星までぶっとばせーっ!
『サタン=クイック!』」
左腕に巻き付けてある魔法石をはじきながら、魔王サタンから伝授された呪文のひとつを叫んだ。デイストは一瞬にして黒い光に包まれ、星があった--天王神殿の城下町の方向に吹き飛んだ。
***
マユミは『満月の儀式』で体験したこと、魔天王と話し、『依頼』されたことを頭の中でぐるぐる回しながら、ふらふらと城下町を歩いていた。ユシトとジンに会う時間が近づいている、とやっと思い返し、砂漠の方に足を向けようとした時、それは、空からまっすぐに墜ちてきた。
『ドガンッ!』
『きゃーっ!!』
人々の叫び声がつんざいた。マユミは目の前で手を叩かれたかのように、ぱっと走った。はたしてそこには、黒に染まった衣装、いや鎧をまとった大柄--ダイチよりも一回り以上大きい--剣士がいた。
「いってぇ……」
がちゃりと腰に帯びた短刀を石床にすりつけて、起きあがった青年と、マユミとは一瞬目があったようにも見えたが、彼は届かなかった目標に向かって次へと進もうとする。
「もう少しだったのにな……もういっぺんだ」
ぶんと大きな両手をふりかざし、彼は再び呪文の詠唱に入った。
「偉大なるサタンよ、我に遠くきらめく星をつかませろ!」
「--あれはっ、」
マユミはあわてて紅玉の杖を腰元から引き抜く。
「『サタン=クイック』!」
「みんなふせてっ! 爆風で飛ばされちゃう! --間に合う?!
『ウイン=ウォール』!!」
いま黒ずくめの青年が放つ呪文が、相当な威力を放つものだとわかった瞬間、マユミはとにかく周りの人々の安全を考え、風の壁の呪文をとっさに向かわせた。なんとかその呪文の詠唱は間に合い、男がまた『飛びだす』時に起こった風がマユミの「風の壁」で相殺された。
『バンッ!!』
大音響は響いたものの、皆が無事のようでとりあえずマユミはほっとした。
(なんて人なの?! みんなケガしちゃうじゃない--)
マユミは思わず走り出していた。
「あいたたたー……何だ今のは? まあ、もういっぺん」
デイストはまったくさっきの『騒動』も鼻先に引っかけず、全然詰まらない距離の星をじりじりと見つめながらゆらりと立ち上がった。ようやくそこで、別の軽い足音がするのを聞きつけて振り向く。小柄の少女、だった。ああきっと、カッコいい俺に、花でもくれるんだろうか、なんて場違いな想像をして。
「ちょっと、あなた! もうちょっと、魔法を使うのなら、周りのことも考えるのが魔法使いの基本でしょ!? 魔法学校で習わなかったの?!」
なので、少女がまくしたてるのを、とぼけた表情で受けてしまっていた。
「……あ、ああー……」
「……」
マユミはやっと息をきらして、あまり疲れた様子をみせない青年と目を再びあわせた。ハヤテよりも子供っぽい、でもショウよりも落ち着いていて、ダイチよりも深い色をしていた。
「さっ、て、と」
その瞳が、次に星をとらえているのにマユミは気づいた。
「あなた、もしかして、あの星を--」
「--ん?」
青年が腰に帯びた、彼の体格からすれば細身のレイピアが--かさりと音を立てた。
「俺は、デイストだ。魔王サタンが第一使」
あの星を追っていたの、と問いかけようとした魔導師は、ぐっとつばをのんだ。
これから、魔天王勢と魔王勢での
学校でももちろん、現在の師、ユシトやジンには教えてもらっていなかった。だから、マユミは正直に、気持ちを伝えた。
「あたしは、マユミっていうの。デイストさん、あなた、星を追っていたの?」
「--わかった?! そうなんだ、そうなんだよ! 俺、どうやったらあれをつかまえられるのかって、呪文で試してみたんだけどな、だめだった!」
大声で笑うデイストの姿に、あっけにとられ……マユミはつられて肩をゆらして笑顔を見せた。
「へぇー、おまえ、魔天王の魔導師なのか! すっげえな! こんどのストラ・グルも来るの?」
これから戦いの相手となる立場と知っても、デイストはまっすぐにマユミの年格好と技能を比べて、驚くばかりだった。--おそらく、大戦というイベントの外では、フライングでの戦いはないようだ--なぜかふたりはしばらく、町はずれをともに歩いていた。ちょうど街は夕刻を迎えようとしていて、人も家に帰ったのかまばらで、ふたりは臆せず会話した。
純粋にマユミはデイストと色々な話をした。魔法の修行が大変だったこと、剣や杖の磨き方、そして、お互いの--マユミは家で父を待った日々、デイストは魔王サタンに拾われるまでを。
「じゃ、またな」
デイストの言葉の先には、『大戦』で相まみえることを含んでいるのかもしれなかった。もういちど、澄んだ瞳と、深さをたたえる瞳があったとき、自然とお互いは手を伸ばし、--しっかり、握手した。
「またね」
「デイストに会ったって?!」
「--ごめんなさい、でも」
来訪の時刻を少しすぎて、久しぶりに『小屋』に戻ってきたマユミの話を聞いた魔導師ユシトとジンは、まずあ然としてしまった。やれやれ、と二人は、すでに料理の揃ったテーブルにつく。マユミはいちおうのいいわけと、ただデイストと『雑談をして笑った』のだと報告した。
「あいつは本当に単純だから……。マユミあんたと会ってすぐ気が合うとはね」
「デイストは--あの名も魔王が付けたものだが。魔界の誰からも嫌われきってしまった
ユシトもジンも、行動をとがめるようなことをマユミに向けなかった。二人ともが、デイストの育った環境を良く知っていて、これまでも『大戦』で戦っているはずだからだろうとマユミは予想した。--すぐ右で、体格の良い影がともに歩いていたことを、思い出した。
「……本題に戻ろう。レビン……魔天王に話したのは、あんたに『実戦』の経験を積んでもらうためだった」
たしかに、ハヤテたちも、『僕たちは修行は人一倍多く受けてきたけれども、実際に誰かと戦ったことは無かった』というようなことを話してくれていた。
「ちょうど、と言っては良くないかも、な。『大戦』に戦力として駆り出してしまうことになってしまったから」
「……ううん、」
マユミは、まだ数えきれる、これまでの『戦い』で呪文を放った光をまぶたの奥ではじいた。まばたきした後、ふたりに見せた瞳は、期待に輝いているようにも見えた。
「がんばります。夢を、叶えるまで」
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