魔導師の詩(まどうしのうた)


『魔導師に昇格する条件は三つ。

 一つめは、大きな『精神』を持っていること。

 二つめは、杖が無くても魔法を使えること。

 三つめは、『リグ古代語』という、魔法と深い関わりを持つ言葉を理解できること。この言葉で書かれた『魔導師の詩』の意味がわかればいい』


「大きな精神……杖が無くても魔法ができる……魔導師の詩……」

 マユミはユシトの元に戻ってきてから、常人の数倍の速さで魔法の修行をこなした。一刻も早く、三人を助け出したい思いが、にじみでていた。いつも魔導師になる条件を呟きながら、日々を過ごした。

 そしてついに、『黙想』の修行の許可が下りた。黙想は、精神から体力などをすべて鍛えられ、速度は飛躍するのだが、リスクも大きく、その精神力の消費量が普段の修行の倍以上で、失敗すると人格が失われることもあるという。マユミが早く魔導師になるためには、黙想は絶対必要だとユシトとジンは以前から計画していた。


「黙想では、幻影魔法よりももっとシビアにダメージがくる。逆に、思ったことが全て黙想の世界で展開できる」

「ま、諸刃の剣状態だな。俺の傑作と、どこまで耐えれるか……」

 ジンはマユミの為に、新しく杖を作って渡した。それは、真っ赤なこぶし大の玉がはめこまれた、『紅玉の杖』だった。

 初めて木の杖を渡されたときに、想像していたような石の入った杖が、現実に自分のものとなった。


 黙想の場所には、ジンが使っていた小屋が選ばれた。家具を払って、真ん中に杖を刺すことになった。

「普通の魔法使いとしてなら、おまえはもう十分に戦ってゆける。ハヤテが、そうであったように。あいつには、黙想はさせなかった。魔天王に預かった大事な存在だと思ったからだ」

 ジンはマユミと小屋の掃除をしているときに、淡々と語り始めた。

「今思えば、無理をしてでも黙想をさせるべきだったと悔やんでならない。--この前、城に登城したとき、魔天王に頼んで『最後の伝言』を見せてもらった。先に蒼玉の杖が鏡に潜っていた。もし、魔導師になれていたら……まだ勝機はあったかもしれない……」

「ジンさんがハヤテ君にするべきことは、それで全部だったと思います」

「全部……?」

 マユミが、元気づけようと返した。

「それより、今ジンさんが落ち込んでいたら、ハヤテ君は悲しむと思います……」

「そうだな……」


 そして、黙想の修行が始まる日。小屋の前に、ユシト、ジン、シルフが集まった。

「ついに、ここまで来たね」

「うん……」

 シルフは感慨深げに話す。そして、思いついたように手を一回叩き、消えた。

「あれ?」

「どこいったんだ、あいつは……」

 ユシトのつぶやきが終わらないうちに、戻ってきた。今度は二人だ。

「おまたせっ」

「シルフ、手を放して! 仕事中だったんですよ!」

 その二人目は、片手に羽ペンを持ってシルフに抵抗する。はっとして、周りを見て、マユミと目があった。

「パンドラ!」

「マユミ!」

 パンドラは一礼した。

「おひさしぶりです。、なりましたね」

「今から黙想に入るんだ。だから、ひとめ会わせてやろうと思ってさ」

「それは、ど・う・も・あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」

 シルフとパンドラは顔を引きつけながらにらみあっている。ユシトが、二人の間に割って入った。

「二人とも、ふざけるのはいい加減にしないか! まったく……

 『魔導師の詩』を、聞かせておやり」

「はい」

「はぁい」


 シルフは胸元から小さな笛を、パンドラはこれも小さなハープを出して、うなずきあって、曲を奏で始めた。旋律は、魔法を使えるものであれば、ほぼ皆が知っているという。

『……』

 ユシトとジンは意味の分からない言葉で……これが『リグ古代語』だろう……それに歌を付けた。メロディはとてもきれいだった。


(これが、魔導師の詩……)


 曲が終わり、マユミは四人に拍手した。

「みなさん、ありがとう。ここまで来れたのは、みんながいてくれたから……」

「じゃあ、始めよう」

 ユシトは小屋の戸を開けた。

「がんばれよ」

「マユミ、黙想の中でも、呪文は使えるからね! 呼んでよ!」

「あなたの想いが、届きますように」

 全員の応援に笑顔で応え、手を振って、……背を向けた。

 小屋に入り、中から鍵を閉め、中央に紅玉の杖を刺し、前に座った。


「戦う……私の全ての能力をかけて……」





「黙想の修行」は、予想をはるかに上回って、過激で残酷だった。

 精神を中央に突き立てた紅玉の杖に集中させる。ぐっと頭の中がそこに引き込まれ、音のない海、闇夜の海に沈んでゆくような感覚になる。

 もがく間もないまま、底まで落ちる。水があるわけではないが、耳が静寂を聴き取っているから、まるで海の底にいるような気分になるのだ。

 何も見えない……わずかに光が見えたと思えば、それは一気に大きな蒼炎になって体に向かってくる。慌てて水の呪文を叫んで、はね返す。次に、地震のような感覚が足下を襲い……実際床は揺れていないのだが……、濁流のような流れが吹き出す。何発かまともに食らって足が立たなくなるが、杖をたてて必死にこらえて、雷の呪文を放ち、それを撃破する。

 この暗い暗い「深海」の中で、マユミはひたすらそれだけを繰り返していた。体力や精神力が尽きて、どうしようもない、もうだめだと言うような恐怖を感じたら、まるで夢から覚めたように、もといた小屋に戻っていた。ゆっくり立ち上がって、食事を取り、顔を洗い、無言でまた杖を立て直して、「深海」へ戻る。何日経ったのかもわからなくなっていた。小屋の窓から、数度星が見えていたこともあったが。


 何度も「深海」を訪れるうち、見えない「敵」らの戦いが少しではあるが楽になってきた。ひととおりの攻撃をかわしながら的確に無駄なく呪文を使ってゆけるようになった。しかし、このままでもいけないと思い始めていた。この修行で、何かを掴まない限り、リグ古代語も理解できないし、魔導師にもなれないし……ハヤテたちを救うこともできない。

「敵」らからの攻撃がおさまった時に、疲れを感じてマユミは「深海」にいるままで休もうと、床に横たわった。



 氷ほどではないが、床は硬く冷たい。全力で戦っていたせいもあって、体から出た熱を冷ますかのように、ぺたりと体をつけていた。心地も、それほど悪くない。

 自分の心臓の鼓動が聞こえてきた。音のない海の中で、久しぶりに「自分は生きている」と改めて思って、感動をおぼえた。

 その鼓動よりも遅めの、乾いた木を打ち合わせたような音が徐々に大きく耳に入ってきた。身体が自分以外の何かに気づいて、緊張した。

(誰かが……こっちに、歩いて来てる?)

 確かにそれは足音だった。カツン、カツンと、起き上がろうとするマユミに近づく……音が止まった。

 顔を上げたマユミと、その「男」の、瞳が出逢った。


「……これはめずらしい、魔法使いが、こんなところに」

 男の声はマユミの父くらいの世代のものに聞こえた。背が高く、黒い(ような)外套に身を包んでいる。手袋をした片手に杖らしきものを、もう片手にはガラスのランプを持っていた。

「あなたは?」

「ここでゆるりと、自分の時間を楽しんでいる……隠者ハーミットとでも、申しておきましょうか」

 隠者は語り、長く細い杖を握りなおした。手袋のすれる音がした。

「この黙想の世界は、修行者が創り出したものではないんですか?」

 マユミは思わず疑問を投げかけていた。自分しかいないと確信していたところで他人に出会ったことの驚きよりもその気持ちが強かった。

「黙想……魔法使いの最高級の修行と、うかがっております。想像の世界を形式は、珍しいものでしょう」

「じゃあ、ここは何の世界なんですか? 私は、どうしてここに来てしまったんですか?」

「……あるものを、お見せしましょう。どうぞ、後にきて下さい」

 隠者は外套を翻して、もと来た方へ足音を再び響かせ始めた。マユミもすぐに歩き出した。


「ここにあるものといえば、ただ一つ、『あれ』しかありません。あなたの希望、欲求が『あれ』と共鳴したから、あなたの修行の場はここに定められたのでしょう……」

「その、何かに引かれた、ということですか?」

 マユミは前を歩く隠者の背中に話しかける。隠者の外套が揺れた。

「そうです。あなたの想いが、純粋でいて強力であったという証でもあります」

 そして隠者はいきなり立ち止まった。マユミは思わずぶつかりそうになった。彼はランプに、胸元から出した小さな火打ち石で灯をともした。それを前に掲げる。



「ごらんなさい、あなたが今いちばん、逢いたいと欲したものを」



 マユミは思い切って、明かりの手向けられた方に顔を上げた。

 そこには、

 ハヤテ、ショウ、ダイチが、

 目を閉じたまま宙に浮いていた。



「……みんなっ、」



 あの時のままの、……あの時のままの。



 マユミは思わず懐かしいものに近づこうとしたが、見えない壁がそれを阻んだ。ランプの明かりもはね返る……鏡だ。

 マユミの瞳から、水晶のような涙がこぼれた。

「美しい、雫……」

 隠者はそっと手袋を取ってマユミの目元に触れた。マユミはそれには気をとめず、ただただ、ずっと3人を……鏡に封印された三人を見つめる。


「ここは、地球なんですか? 魔神がいた場所ですか?」

 マユミは質問をたたみかける。声に強さはないが。

「いいえ……惑星でも、国家でもありません。

 ここは精霊エヴィル=ミラの、心の宇宙なか……」

「エヴィル=ミラ!!」

 ずっと前に、パンドラが読み上げた、『歴史上最悪の』精霊の名前だと思い出した。『封印魔鏡』の概要とともに。鏡の精霊は、心のなかにまた一つ、『鏡』を持っていた……。その奥で、あの三人が眠っている。

 マユミはためしに鏡に手のひらを這わせた。床よりも、氷よりも、鋭く冷たかった。ここも深海のようだが、鏡の向こうもまた違う海が拡がっているようだった。もっと静かで、そして冷たく、暗く、悲しそうな海が。

「なるほど。この『鏡』にいる者に逢いたかったのですね」

 隠者は明かりを持ったまま小さく言った。マユミも声は出さずにうなずく。



「黙想の修行の成果は、見えてきましたか?」

「……特には、」

 この質問には言葉を無意識のうちにこぼしていた。

「魔法を唱える実力はついたと思っています、でも……」

「見いだせるまで、考え抜いて下さい。あなたは、どのようにして生きてゆきたいか。なぜ魔導師を志すか。そのすべての想いに、迷いはないか、ゆらぎはないか」

 マユミは一度手を離して、今度は身体を鏡にもたれさせた。


「迷いはないか……ゆらぎはないか……」




 なつかしい、自分の部屋。よく当たるんだよと話題になっていたタロットカードをようやく買いこんできて、早速自分の将来でも占ってみようと、箱を開けた。力の加減を間違えて、何枚かが拍子に散らばった。その時のカードは今でも覚えている。運命の輪『フォーチュン』と、魔法使い『マジシャン』。

 ここで夕飯の買い物を忘れていたことを思い出し、カードを片づけて赤い自転車でアパートを飛び出して……あの三人に出会った。


 その後三人が魔神の居所へ出かけていった時も、占いをしようか迷った。とりあえず思いをこめて一枚引いてみた。世界『ワールド』の絵が、上下逆で目に入った。カードの意味は忘れかけていたが、嫌な予感は感じた。『世界の逆位置』は、準備不足で行動の失敗を暗示するものであった。


 魔導師になりたい。なにも三人だけが戦う必要なんてないだろう。自分が三人を救い出してからも、きっと一緒に戦うだろう。助けたい、救いたい、そして……? マユミの意識の底では、めまぐるしく色々な想いが現れていた。

 魔導師、助ける、救う、戦う、そして……そして……、



 弾かれたようにマユミは鏡と距離を取った。今まで持っていた希望よりもっと強い感情が芽生えたように思えた。鏡の奥に眠る三人をまっすぐ見つめて、感じたことを告げた。


「ハヤテ君!

 ショウ君!

 ダイチ君!


 私、今、ここにいるよ!

 魔導師になって、みんなをここから助けようって、ここまできたよ!

 絶対、助けるから!

 あきらめないで、待ってて!

 そして、そして……、


 私も、みんなの仲間になりたい。

 みんなで、一緒に、魔神を倒そう!!」



 吹くはずのない爽やかな風が、身体の周りでめぐった。

 その風は鏡の表面を揺らした。まるで水のように、静かに波紋が奥へ奥へと流れてゆく。

「鏡が……揺れた……」

 ハーミットは感嘆に近い息をもらした。


『ゴウンッ!』

 地面の奥深くから地響きがした。思わずマユミは杖を落とす。慌ててそれを拾う彼女を横目で見て、ハーミットは全て知っているように静かに告げた。

「来た……」

 ハーミットと鏡の輪郭りんかくが、ゆがんで蒸発するように消えた。



 さっき叫んだ時の興奮がまだおさまらないマユミだったが、周囲の温度が上がっていることに気づけた。

 遠くから、紅蓮の炎の塊が近づいてくる。

 熱いことは事実だが、心の底は冷静で、その炎が人のような形になって側に来るまでは、一歩も下がらなかった。

 火の粉が散った。その者の全ぼうがあらわになった。

 同性でも胸が熱くなるほど魅力的な身体を持った女性……型の……精霊……

エヴィル=ミラ。


「…………」

『…………』


 エヴィル=ミラは何も語らず、マユミの左側を通って去っていった。

ほんの少し、互いの肌が触れた瞬間、双方は確実に意識をぶつけた。マユミは『挑戦』を、ミラは『期待』を。

 数秒後、マユミが後ろを見ると、炎は小さく遠くなっていた。


 先ほどと全く同じ場所に、ハーミットと鏡の存在が戻ってきた。

「……会いましたね」

「はい」

 一息おいて、マユミははっきり告げた。

「今まで、がむしゃらに三人を助けることばかり考えていました。それも悪いことではないけれども……私自身の夢は、その後も、一緒に魔神を倒すまで続いてゆくことに、たった今気がついたんです。

 これから、この大きな夢を追いかけようと思います。もっと苦しいことが待っているはず、でもあきらめません。叶うことを信じて、

……魔導師になります」

 夢のかたちを磨き上げた少女は、杖を抱きしめる。その姿をハーミットは目を細めて見つめた。

「決して、その決意に対して迷わないで下さい。

 さすればきっと、あなたの夢は叶いましょうかなうでしょう

 隠者の助言に、マユミはゆっくりうなずいた。

「私、戻ります」

「それがよいでしょう」

「ありがとうございました……、それでは」

 マユミは一礼して隠者に背を向けて歩き出した。彼の方の、あの特有の足音はまだ聞こえてこない。振り返ってみると、彼は同じ場所に立っていて……、笑顔で手を振り上げた。

 マユミもそれに笑顔で応えた。体中に嬉しさがこみ上げてきた。この気持ちを、忘れないでおこう、そう強く思った。


 目が覚めると、いつものように小屋の中で横たわっていた。ゆっくり起きあがって、身体を伸ばした。心地の良い夢を見ているようであった。杖は立ったままだった。引き抜いて外に出た。

 どうやら朝のようだ。空気が涼しく肌にあたる。紅玉の杖を握っている手を、ゆっくり開いた。静かに杖は砂地に転がる。

 まるで目の前に誰かがいるように、それを抱きしめるかのように、腕を前に出して、包み込んだ。中央に、光が生まれる。

 目を閉じて、一番最初に覚えた呪文ことばをささやいた。

「ウインド」



 風が巻き起こる……! 優しい、暖かい風。そして光から風の精霊が実体化した!



「……マユミ?」

「!、シルフ!」

 目の前にシルフが立った。転がった杖と、マユミを交互に見て、状況を理解した。

「マユミ、ああこんなにやつれて! 辛かったろう? 苦しかったろう? でも君は、杖なしでも魔法が使える! 君は、」

「魔、導師に、なれる……」

 どっと疲れと安心の波が押し寄せて、マユミはそのまま倒れた。





「準備はいいかい」

「はい」

 数日後、回復したマユミは再び小屋の前にいた。ユシトとジン、パンドラ、シルフが集まっていた。これから魔導師になるための最後の試験とも言うべき『リグ古代語』の理解、つまり『魔導師の詩』を歌う。

「はじめは私たちがリグ古代語で歌おう。次は自分の言葉で訳せるはずだ」

 ジンは二回咳こんで、声の調子を整えて言った。

「黙想の修行で得たもの、得た時の感情、すべてをつぎ込めばリグ古代語は意味を開いてくれる。高度な魔法、呪術も、理解した瞬間から使いこなせよう」

 ユシトは確信を持って言い、パンドラに合図した。黙想を始める前と同じように、パンドラはハープを、シルフは小笛を奏でる。

 ユシトとジンのリグ古代語による『魔導師の詩』は、マユミの心に深く深く刻み込まれた。

(……わかる、わかるわ!)

 演奏が二巡目に入った。マユミはメロディに少し遅れるような形ではあるが、歌詞を自分の言葉で訳して歌った。



「 おまえは 翼のない鳥

  この前までは 大空を翔いていたのに

 おまえは 夢のない鳥

  この前までは 大きな夢を抱いていたのに


 おまえの翼はどこでなくした

 おまえの翼はどこへ行った

 おまえの夢はどこへなくした

 おまえの夢はどこに行った


 きっと 探せよ その翼と夢は

 おまえのものだから

 だれにもとられる はずなどないさ 」



「…………」

 目頭が熱い。マユミはぽろぽろと涙をこぼした。一瞬だけ、あの黙想の世界で涙をふいてくれたハーミットを思い出した。

「魔界魔導師ユシトとジンの名において、マユミを我らと同位であることを承認する……おめでとうマユミ、あんたはたった今から魔導師だ」

 マユミは涙を流し続けた。皆それを見守っていた。マユミが魔導師になったことが、終着点ではなく、永く激しい闘いの幕開けになることを、全員が悟っていたからだ。せめてこの時だけは、純真な少女が泣くことを認めようと……。



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