ブレイブ・メイスとフレッド
うつろな目で、マユミは空を見上げた。三日ほど前に、ユシトの小屋を飛び出して、一日ほど砂漠をさまよい、昨日の明け方、魔天王の城下町(魔界空天王神殿がある、魔界でいちばん賑わう街)に着いた。そのまま彼女はふらふらと街を歩き回り、夜はハンター(魔界のあちこちを旅行しながら、狩を楽しむ人々など)が利用する宿に泊まった。
『戦闘力を、つけておいで。ただの戦う力でなく、戦いを理解する力をね』
ユシトの言葉は、日がすぎても、まるで暗示にかけられたように、耳をずっと離れなかった。街中で、少し機嫌の悪い青年に肩をぶつけて、どなられた時も、やはり頭の中で、この言葉が巡っていたのだった。
空は透き通るような青さで、街角の商店の人が「こんなに空が綺麗なのも珍しい」と言うのを耳にした。マユミは少し休もうと、座れる場所を探した。ちょうど、『中央広場』と指す立て札が目に入ったので、そこへ行くことにした。
中央広場の真ん中には、丸い池が造られてあり、噴水もその中程にあった。囲むようにベンチが並んでいて、子供が走り回っていたり、恋人同士らしい二人が肩を並べていたり、情景は日本のものとほとんど変わりがなかった。
視界の向こう、池から少し離れたところにある石畳の広場では、少年少女達が威勢のいいかけ声を出しながら、光る棒……剣をふるっているのが見えた。剣の修行をしているのだろう。
(剣の修行かぁ……ダイチ君も、あんな風にしていたのかしら……?)
とくに脈絡はなかったが、マユミは剣の修行をする子供達の集団に近づいた。そして、なんとない気持ちで、一人に聞いてみた。
「なんだい、お姉ちゃん」
「ダイチ君って、知らない? たぶんわからないと、思うけど、」
「ああ、剣豪ダイチのこと?」
「え……」
「ダイチは、キト=カル=ファン様の、お気に入りだったんだ。
「……」
「……姉ちゃん、どうしたんだ?」
信じられない答えが帰ってきて、懐かしい人の名前を聞いて、マユミは全身が震えて身動きができなくなってしまった。子供達が不思議そうにうつむいたマユミの顔をのぞき込んだりしだした。そのうち一人が、公園の奥の方で素振りをしていた青年を呼びに行った。彼は柄に赤い石の入った剣を持ったまま、マユミの方へ来た。どうやら、ここの責任者のようだ。
「フレッドだ!」
「フレッド兄ちゃん!」
子供達は口々に背の高い青年の名を呼んで、周りに集まる。青年-フレッドは、その子供達一人一人に笑顔を見せて、マユミの肩に、手をおいた。
「ダイチの、友達なんだね?」
数分後、マユミは彼の家であたたかいお茶を入れてもらっていた。彼は剣の修行者の代表者で、本名はディアル=フライハイ=レッドというそうだが、いつのまにかみんなにはフレッドと呼ばれるようになったと、笑いながら話してくれた。
「剣聖のキト=カル=ファン様は、今修行に出られているんだ。その間、僕が子供達のめんどうを見ている。
ダイチは、二つ前の『風の月』に、魔天王第一使サリシュ=ナーシャがキト様の所に連れてきた。『この子に、剣術を教えてくれ』と告げて」
お茶がとてもおいしく感じられた。マユミは、ようやく心を落ちつけて、彼の話が聞けるようになっていた。しかも、懐かしい人の話を。嬉しさはこみ上げるのだが、その感動は、まだ、声にはできなかった。ずっと喋らずに過ごしてきたからだろう、時間が経てばそれは治ると、彼女は両手でコップを包み持ってフレッドの明るい声を聞いていた。
「ダイチは、見る間に僕らを追い抜いてしまった。キト様も、自分が抜かれるかも、と口にするくらい。
しかし彼は、自分が強いことを、決して自慢しなかった。昼間は目立つからと、夜中に素振りをこなしていたこともある。僕はできれば、ずっとここにいてもらいたかったな……。魔天王の使いが連れてきた、それだけでもなにか別に目的があったから、すぐに去って行ったんだろうけど」
フレッドの言葉には、ダイチにもう一度会いたいという思いが込められている。マユミはダイチのことを教えようか迷ったが、やめた。フレッドが彼の悲運に落胆し、……自分も責められるのではないかと、恐くなったのだ。
「私は、魔法を習っていたんですが……」
そしてマユミは自分が魔界の人間ではないことをとりあえず隠して、なぜ『逃げて』来たのかを説明した。
「住み込みの修行者は、ホームシックになって実家に帰ることが多いけど……ここに来たってことは、そうでもないみたいだね。
あ、お茶のおかわり、いる?」
フレッドはマユミの緊張をほぐすように明るく言って、カップを持っていった。奧で、彼の母親と何か喋って、戻ってくるとなり、予想していなかったことを切り出した。
「『戦士の館』の、住み込みの
「え……はい」
マユミはとまどいながらうなづいた。
「それなら話は早いわ。一日の予算がこの革袋に入れて渡されるから。それで食材を買って、……」
マユミが料理が得意だということがわかると、寄宿舎『戦士の館』の女将は、さっと調理器具の場所や使い方を厨房で教え、賄い用の部屋にも案内してくれた。
「ああ、あと、日暮れまでにはかならず子供は寝室棟へ追い出してね。最近、盗賊が街で出ていて、夜警団も回ってるんだけどね」
「……はい」
マユミは次の日から子供達の人気者になった。限られた予算の中で、色々なメニューを作ったからだ。さらに、魔法使いであることを知って、戦士のたまご達は、魔法についての質問を食べ終わった食器といっしょに持ってくるようになった。
でもまだ、それについては答えられなかった。今も、あの光景が鮮明に頭に焼き付いていて、離れないからだ。
雨の中響いた、重くて、低い音と、
断末魔のような叫びを上げて悶え苦しむサラと、彼女の黄銅の眼、
そして……ユシトの冷たい背中。
マユミには、まだ魔法を使うことに対しての自信が取り戻せていなかった。
「お仕事、ごくろうさま」
賄いをはじめて三日ほどたった時、厨房の窓からフレッドが手を振った。彼は夜警団に任命され、夜にあちこちを巡回していた。
「盗賊は、みつかった?」
「ううん。残念ながら。昨日も、僕らの間をぬって街の商店が襲われたんだ……」
「どうぞ」
窓越しにお茶を差し出した。
「ありがとう。……ところでマユミは、『杖』はどうしたの?」
「杖? ああ、置いてきたの、修業先に」
フレッドは空にしたコップをマユミに返しながら、
「せめて、杖は身につけておいた方がいいんじゃないかな」
と意見を言った。
「魔法を使う使わないはともかく、今までやってきたことへの誇りと感謝は持っていてもいいと思うけどな……
そうだ、ばあさんの使ってた杖をあげるよ」
数分後、フレッドはすぐに家から黒っぽい材質の杖を持って来た。
「長いこと使ってないから、精霊は来てくれないかも……」
「いいの。まだ、魔法はやらないと思うし。ありがとう。この杖の、名前は?」
フレッドは一瞬間をおいて、
「ブレイブ=メイス……だな。勇気を持つ者に与えられる杖」
と教えてくれた。
次の日は、何となく機嫌が良かった。市場で安く干し肉が手に入ったことも、味付けがうまくいったことも、関係しているだろう。
テーブルを拭いていたマユミは手を止めた。食堂の片隅に、子供が一人立っている。
「君は……アデルね。どうしたの?」
「フレッド兄ちゃんを、待ってるの。朝には、今日はここにご飯を食べに来るって言ってたでしょ?」
アデルの言うとおり、フレッドは朝に自分がそう聞いていたことをもちろん覚えていた。
「そうね……遅いね。でも、もう日暮れだから、帰ろう」
いつもより片づけに時間がかかり、結局日が落ちてから二人は食堂を出た。それと入れ違いに、フレッドが走って来て、息が荒いまま窓から厨房を覗いた。
「明かりが落ちてるか……先にこっちに来ればよかった。『あいつら』がここへ来ていないことを祈ろう……」
マユミとアデルは、手をつないで明かりの少ない道を歩いていた。寝室棟までは、こんな細い道が続いていて、日が落ちると本当に危険といえた。
突然、二人の前に、四、五人の男とが立ちはだかった!
「!!」
フレッドの嫌な予感が当たってしまったのだ。
「よう、姉ちゃん、命が惜しけりゃ、金目の物を置いて……こいつの手当をしてくれや」
口調と風体から、その男達は盗賊とわかった。アデルはマユミにしがみついて、震えている。
「この子には、手をあげないで下さい、」
マユミはけがをしている二人の手当てをした。ハンカチで血を拭き、スカートをちぎって包帯代わりに巻いた。
「杖? 魔法使いか?」
「今は賄いをしています」
「賄いにしては、えらく金持ちだな」
一人が、マユミが持っていた布製のかばんを探って、金貨を見つけだした。ユシトの家から持ち出したものだ。
(しまった……)
「実は貴族の娘じゃないのか?」
「だとしたらさらって身代金が手に入るか……売り飛ばせるしな……」
一人が、後ろからマユミの腕をひねりつかんだ。
「痛いっ、」
「やめろ! マユミ姉ちゃんに、何するんだ!!」
マユミの声にアデルが必死でその男にくってかかる。
「マユミ姉ちゃんは、お前達のけがの手当までしてくれたんだぞ! ひどいじゃないか! 手を放せ!」
「うるさい、ガキが!」
横からもう一人が、叫んでアデルを殴り倒した。
「アデル!」
アデルは地面に突っ伏して、大声で泣き出した。
ここは寝室棟と食堂のちょうど中間で、どちらからも今の泣き声や叫びは届かない。マユミは男の腕をすきをついて放し、アデルを起こして、転がっていたブレイブ=メイスを取った。
「俺達と戦おうってのか?」
(戦う……)
『戦闘力を、つけておいで。ただの戦う力でなく、戦いを理解する力をね』
「あなた達を、許さない」
ユシトの声がマユミの中で反響していた。心の中で揺れていた疑問の答えが、形になりつつあった。
マユミは杖を振り上げた。
「風の精霊シルフよ! 裁きの風を吹かせたまえ!『ウインド』!」
『ガツン、』
「ふざけちゃ困るなぁお嬢さん。よく見たらばか杖じゃないか」
マユミの呼んだ風は来なかった。代わりに、盗賊の振り下ろした木刀の風が吹いて……それは横腹に直撃し、マユミは倒れた。
「お姉ちゃん!!」
容赦なく盗賊はマユミの髪の毛を引っ張って起こす。
「おうおう、おまえ魔法がわかるのか?」
「なあに盗む杖を何回も見てれば、ただの木の枝かどうかくらいわかるぜ」
(戦う……)
鉄底の靴が響く音が大きくなってきた。
「誰か来たぜ」
「フレッド兄ちゃん!」
「マユミ! アデル!」
フレッドは一度立ち止まって、マユミの姿に驚き、剣を構えた。
「その二人を放せ。俺が相手だ」
盗賊達も全員が剣を抜いた。大きな刃の剣は、月と街灯でぎらり、と光った。
「でやあっ!」
派手に鉄剣がぶつかる音が響いた。しかし、いくら腕が立つと言っても、一人に五人では勝機は見えてこない。
マユミはもう一度立ち上がって、杖を構えた。
「戦う……」
その姿が、フレッドの視界の奧に入った。
「マユミ、その杖は、」
フレッドが叫んだが、それが隙となって盗賊に足元をすくうように斬られた。
「兄ちゃん!!」
倒れかけて、なんとか剣を地面に刺して持ちこたえた。マユミの瞳の中に、傷ついたフレッドと、剣の柄の赤い石が入った。
「偉大なる炎の精霊ファバーンよ!卑屈なる者に、裁きの炎を!」
「ばか杖でまたやろうってのか?!」
「『ブルーファイア』!!」
なんと、マユミの呪文は一瞬の後、青い炎となって実現した! しかもそれはフレッドの剣、赤い石から!
『ゴオオオオッ!』
「うわぁっ!!」
「なんで剣から炎が?! あついっ!!!」
盗賊達は一瞬にして服を焦がした。
「マユミ! さっき、呼んでくれたよね!」
さらに、杖の方からシルフが実体化した。
「遅かったじゃない、シルフ!」
「うわああ……あれ、精霊じゃないか?! 初めて見た……!!」
盗賊はあぜんとしている。
「待たせてしまった代わりに、お望みの呪文をかけましょう!」
「そう?じゃあ、……
『ウインド=スピア』!!」
「よしきた!」
シルフは無数の風の槍を生み出し、盗賊めがけて放った!
「うわわわわわ!!」
「助けてくれ! 串刺しにされちまう!」
「そのまま逃げなければ、当たらないよ!」
「短い間、お世話になりました」
「いや、こちらこそ。いい経験をさせてもらった」
数日後、盗賊騒ぎも落ちつき、マユミはユシトの所へ戻ることにした。先に食堂で別れの挨拶をしたのだが、泣き出す子供が多く、なだめるのに苦労した。
テーブルの上には、フレッドとマユミ、二人分のお茶と、ブレイブメイス、フレッドの剣が置かれていた。
「僕は君に謝らなければならないんだ」
「?」
「その杖は……盗賊の言ったように、ばか杖なんだ。本当は」
フレッドはナイフで剣についていた赤い石を外し、それを杖の先にはめた。ぴったりおさまる。
「これは?!」
「この『精霊石』がついていたんだ。
僕は、剣術の他に、ばあさんのような魔法も使いたいと思って、石だけもらっていた。
マユミが、魔法の修行に自信をなくしていると聞いて、本当にそうか、石のない杖を預けたんだ。ブレイブメイスって名前も、とっさに作ったんだ」
「そうなの……」
しばらくして、マユミは首を振った。
「フレッド、気にしないで。私は、感謝してるよ」
「え?」
「もう少しで、本当に戦うことも全部やめて家に帰っちゃうところだった。でも、あの事件で、わかったの。
戦いには、意味があること、それを確かにするためには、修行も必要で、勇気と、あきらめちゃいけない思いがもっといること、とか……」
マユミは言葉の途中で、あの三人を思い出した。
『それと……マユミちゃんに、マユミに、ありがとうって、言っておいて……』
(みんな……)
マユミの言葉は続かなかった。テーブルに、涙が落ちる。フレッドは奧から小さな木綿の布を持ってきて、彼女に差し出した。
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