流白銀(ミスリル)の杖と黄銅の眼

(少し話はさかのぼるが、)マユミが魔界へ来た頃、つまりハヤテたちが魔神に破れたことが正式にナーシャによって魔天王に報告された頃のことである。魔天王は大広間で沈黙を続けていた。もちろん、まだ姿は現してはいない。


「……サリシュ=ナーシャ、三人の復活は無理か」

「はい……魔天王様もあの『封印魔境』の脅威はご存じでありましょう。まさか地球にまで持ち込むとは誰も考えてはおりません。皆無でしょう、復活の確率は」

 ナーシャは淡々と報告する。マユミのことは、魔天王に知らせてはいない。王の許可なしに『異世界の者』を連れてくることだけでさえ、違法なのだから。ましてや、魔導師の所へ預けたなどと、言えるはずがない。今頃になって、魔天王としての使命感が心を締め付ける。でも、もう後には引けない。時を待って全てを告白し、采配を受けなければならないだろう……と彼女は気持ちをまとめた。


「まだ奴は、地球にいるのか」

「調査はダウザー(捜し物のプロ・妖術使いの一種)に続けさせています。他の外界での報告が無いことから、おそらく、とはなりますが」

「では……素質ある地球人を数人引き抜いて来てほしい」

「えっ……もう一度同じことをされるのですか」

「……仕方がない。外界で起こること、あまり別世界の我々が出てゆけはしない。期限はなるべく早く。手順は以前と同じでよいが、修行の期間は二年半だ、パンドラも使って今すぐとりかかってくれ」

 魔天王はそう言い立ち去ったようだ。仕切りの向こうが闇に変わる。


「魔天王様……」



 そして、十日ほどが過ぎ、ナーシャはまず適任と思えたひとりの地球人をハヤテたちの時のように記憶を抜いて魔界に連れてきた。パンドラには一切手伝わせなかった。彼がマユミに口を滑らせるのを恐れたからだ。

 選ばれた少女、小柄な十四歳のアケミは、魔法使いにする為に、ユシトのもとへ預けられることになった……。

 ナーシャはアケミを連れて歩いていた。



『ふふ……あの魔天王の使いが連れている娘、あれを使えば、昔からの悲願も暴けるかもしれないわ……』


 空間の中で、女の囁きが舞う。二人には聞こえない。そのまま女はアケミの背後に実体化した。

 アケミが叫ぶ間もなく、彼女はアケミと同じ姿に変わり、

幻影転移イリュージョン・デシジョン!』

 アケミを呪文で吹き飛ばした。

『いつまでも幻影魔法が下級じゃないことを思い知らせてやる!』




 魔王の第二使い、黒魔法そして幻影魔法使いのサラは、何も気付かず歩くナーシャの背を黄銅色の眼でにらみながら微笑んだ。さらに背後には、大きな影と、若い男性の影が続く……。





「マユミ、今日からはこの杖を使いな」


 ユシトは、流白銀ミスリルの杖をマユミに渡した。木よりかなり重いが、持った時に、何か繊細な、それでいて強い波動のような力を感じた。

「ウインドを十一日で得られたことで、自信もついたろう。これからはもっとスピードを上げて魔法を教えるから、着いておいでよ……元々あんたが希望していたことだしね」

 ユシトの声は厳しいようにも聞こえる。


「魔導師……

 魔導師になるということは、『全くできない』ことではない。

 人人に、けして華やかに飾り語ることのない努力。

 ただ己の為だけでなく、一つでも多くの生きる者を守りたいという思い。

 力を得ることで、まわりの何者にも不安を与えてはいけないという使命感。

 よく考えれば、特別な力はひとつもいらない。

……このことを、深く学んでほしい」

「……はい!」

「じゃあ、今日は風のシルフを除いた基本四精霊の、『水のサリア』、『土のカンダリ』、『光のティライト』と正式に契約を結んで、大体の一格の呪文を覚えて、……」

 分厚い魔法書をめくっていた手を止めて、ユシトは閉じてある小屋の入り口の戸を見つめた。

「……どうしたんですか、ユシトさん、」

 ユシトは開いた本を軽く平手で叩いて、低く呟いた。

「やっかいなことになりそうだ……」


 マユミが彼女の言葉を理解しようと一瞬沈黙をおいたが、ドアを叩く音で遮られた。ユシトがドアを開けると、少女を連れたナーシャが立っていた。

「ユシト様、これを」

 ナーシャが差し出したうす茶色の紙を、少ししわがれた手で受け取った彼女は、さっとそれに目を通した。

「わかった。二年半でどうにかすればいいんだね」

「そうです……」

 ナーシャの声が、どことなく寂しそうだ……マユミは何かがあると確信した。ナーシャとユシトは、その後奥の台所で数分会話して、先にナーシャが出てきて、

「マユミさん、いろいろな困難に負けないでね」

とすれ違いにマユミに小さく告げて小屋を立ち去った。彼女と来た少女は、小屋の中を物珍しそうに見回している。

 ユシトが現れた。

「『アケミ』、『マユミ』、これからは二人で魔法の勉強をするんだ」

「えっ……」

「……よろしく、マユミさん」

 マユミは驚きが隠せない。アケミは、頭を下げて挨拶した。顔を上げた時に、光の加減のせいか、彼女の瞳が、やについた黄銅色に光ったような気がした。


 マユミは、ジンがいる砂漠の奥の方の小屋に向かっていた。アケミがウインドの呪文を習得するまでは、実力に差があるので、そのあいだはジンに魔法の勉強を習え、あたしはアケミを教えるから……とユシトが軽く言った言葉を、何度も思い出しながら。

 砂漠の中央に、自分がいる小屋とほぼ同じ形のものが見えた。マユミが戸を叩くと、

「開いてる」

と無骨な返事が聞こえた。

「失礼します」

「……マユミか」

「はい」

 ジンは小屋の奥で、マユミに背を向けるかっこうで、何か作業をしていた。マユミは彼を一度も見たことがなかった。声でだれかわかるのは、やはり魔導師だからだろうか。

「今日から、ミスリルの杖をもらったろう」

「はい、とても力が伝わるような感じがします」

「ミスリルでそうでは、この杖だとどうなるかな」

 ジンはを向いて、手に持っていた杖……というより折ってきたばかりの木の枝に、細い縄で真っ赤な岩石をくくりつけたもの……を見せた。

 その瞬間に、マユミは頭の中で手をぱちんと打ったような衝撃をおぼえた。

「きゃっ、」

「ははは、すごい力だろう?」


 ジンは大声で笑う。よく見れば、髪と同じ灰色の無精ひげもあり、顔の皺こそかなり多いが、体は大きく、青年のおもかげがあった。

「改めて自己紹介をしようか。俺はジン、魔法石集めの好きな魔導師だ。杖作り八段、と自称している」

 マユミはほほえんで、優しく話すジンと握手して挨拶した。


 魔法の勉強と言っても、ジンは直接マユミに何も教えなかった。しばらく世間話のような会話をしてから、辞書のような本--これはさっきユシトが開いていたものの縮小版らしい--を渡されて、この辺を声にして読めと言われただけだった。

「マユミは、『米語』がわかるか?……『地球』で一番広まっているらしい言葉だといって、昔勉強したことがある」

 本は魔界の言語で書かれているので、ジンはよく出る単語を『英語(アメリカ英語)』と魔界語で対照してうす茶色の紙に走り書きしてくれた。マユミはそれと本を交互に見ながら、時々難しい単語は聞きながら、本読みを進めた。


「『風の詩』、

  とぅ、とぅ、とぅ……、

  とぅ、とぅ、とぅ……、

  こんどは あかいかぜが ふいてきた

  とぅ、とぅ、とぅ……、

  せいれいシルフさまの あかいかぜが

  リトルメイジの呼びかけに応えて……、」


「大体の精霊にはそういった詩がある。元々子供の遊び歌だがな。こういう『精霊を支持する』歌を歌うことによって、魔法使いに早くなりたいとする、願望もある」

 たまにジンは杖(の原型)に手を加えながらぽつぽつと喋る。

「だからどの詩も、精霊を敬っているんですね」

 マユミは興味深く本読みを進めた。ジンは杖とマユミの様子を交互に見ながら、作業を続ける。杖の形を整えるのだろうか、棚の軋む引き出しから、小刀を出してきて、杖の原型の棒を削り始めた。リズムのある音が、小屋の中をめぐる。それに加えて木のいい香りもする。最近はあまりなくなったが、家で、白く光る蛍光灯の下で、わきでバラエティ番組のテレビが静かに鳴っていて、自分は図書館で借りた本、父親は新聞を読みながら、とりとめのない会話をぷつぷつと遅く続けていた時も、こんな感覚がしていたことを思い出した。

「でもなあ、シルフに『精霊シルフ様』はないよな。あんな奴」

 ジンがぶつぶつと言った。魔導師にしてみれば、基本の精霊なんて、子供のようなものだからだろうか、と考えてマユミは苦笑した。

 ところがその話を聞いているのは彼女だけではなかった。

「ひどいやジン様、僕だって魔界精霊界ではなんですよ!」

 シルフだ。

「人の家に入る時くらい、実体化して来い!」

 ジンがわざと怒ったように言って、マユミは笑い出してしまった。シルフは(もちろん精霊だから、)壁を通り抜けてマユミの左脇に実体化した。

「この前ドアを叩いても、返事してくれなかったじゃないですか!『トルネイド』(爆嵐の呪文)で小屋ごと吹っ飛ばそうかと思ったくらいですよ!!」

「じゃあやってもらおうじゃないか?」

「二人ともいい加減にしてください!」

 マユミがなだめなければ、本当に小屋がばらばらになってしまいそうだった。二人は子供のように膨れっ面をして、黙った。

「いやあマユミ、久しぶり。あ、この前会ったところだったっけ」

「……」

 シルフはマユミの手元を覗き込む。新緑の季節にする、爽やかな風のにおいがした。

「魔導書の勉強かあ」

 勝手に彼は二、三枚先をめくったり戻したりする。なぜかそんな動作も、悪気が感じられないので憎めない。

「でも、ユシト様は?」

「今ね、もう一人修行を始めた人が来ているの」

 マユミが説明すると、シルフは腕組みをして考え始めた。

「うーん……」

「どうしたの?」

「いや、今はね、魔界天王神殿の城下町にある『魔法学校』の予定では新規に魔法を学ぶ人がいないんだ。つ・ま・り、」

 そして人差し指を立てて、

「今日から修行を始めた人がいるなら、もちろん僕に呼びかけがくるはずなんだけど、何も聞いてないし、頭に修行者のイメージが入ってこない」

 疑いをかけだした。

「おい、それって……」

 ジンが口を挟んだ時に、小屋ががたがたと揺れた。

「地震?」

『違う、これは』

 マユミの不安に、二人が同時に声を重ねた。

『幻影の風魔法だ!』


 三人が慌てて小屋を飛び出して本宅(ユシトとアケミがいる小屋)に足を向けたが、近寄るごとに風が強くなってゆく。

 風のにおいは、甘いような、でも優しさの甘さではなくそのまま陶酔しそうなものだった。

「マユミ、この風のにおいをかぐな!」

 シルフが早口で言う。何も知らない者がこのにおいに巻き込まれれば、完全に術者の思惑にかかる、と彼は続けた。

 小屋の前、風の中心にアケミがいた。木の杖を握りしめているが、ジンはその力を利用していないと言い切る。

「たぶん服の中にでも違う魔法石を隠しているんだ」

「となると、……あいつ、黄銅の瞳ってことは、」

 シルフもアケミがただの『初心者』でないことに気づく。

「ようしアケミ、合格だ。明日からマユミと一緒に深い魔術の勉強を始めよう」

 ユシトは快活に話し、アケミの肩をぽんと叩いて、先に小屋に入って休むように指示した。

「ユシトさんっ!」

 マユミは不安を隠せないで、ユシトにくってかかるように近寄った。

「どういうことなんですか!?」

「よくお聞き。……もっとも、『あの娘』はこの会話も全部聞いているだろうけど」

 ユシトはマユミの肩を抱いて耳元で言った。

「あの娘は魔王の第二使、『サラ』。幻影の精霊『リュート』と専属契約を結んだ、黒魔法使いだ。

 どうせ魔導師の最強呪文の秘密でも盗みに来たんだろうね。

 さて、マユミ、頼みがある。おまえの今と、これからの力を駆使して、サラを倒してくれ」


「えっ……?」

 自由風が、足元を抜ける。



 その後のことは、マユミはよく覚えていない。ジンがユシトに『あの娘は人間なんだぞ、何も知らない、』とかをあきれたように言ったり、ユシトの方は考えを変えるつもりがなく返答しなかったり……すでに夜も更けて、彼女以外は寝入っていた。


 たった一人で魔界に乗り込んだ地球人の少女は、難題に悩まされて眠れずに、小屋の裏で座り、一つ、また一つ墜ちてゆく流れ星をうつろなまなざしで視界に入れていた。

 夜の自由風は冷たく肌に当たり、うつむいて前に垂れていた髪を揺らして去ってゆく。

「そんなに、困った顔をしていたら、可愛さが台無しだよ」

 いきなり、聞き慣れた声がして、そばに置いていたミスリルの杖からシルフが現れた。彼はいつも知らないうちに去って、気がつくとやって来るのだ。

「だって、私、ウインドしかできないのよ……サタンの使いと対等に戦うことさえできないわ」

 マユミは困り果てていた。シルフはすっと彼女の左わきに座る。

「確かに僕の力はつたないものだよ、」

「あ……」

 そしてマユミは、風の精霊の能力を否定しかけてもいた。精霊の言葉で我にかえる。

「ごめんなさい、私、どうかしてたわ。ウインドの呪文は、工夫すれば槍のようにも、網のようにもなるって、教えてもらったのに。……やってみる」

「そうこなくっちゃ!」

 さっとシルフが立ち上がり、手をマユミに差し出す。マユミもその手を取って立った。

「絶対、大丈夫だって!」

 握った手を引き寄せて、シルフはマユミの額に軽くキスした。

「シ、シルフ、」

「おまじない! 成功するように。今日はゆっくりおやすみ、じゃ」

 マユミが言葉を返す間もなく、彼の姿は風にまぎれて消えた。

『……ユシト様に見つかるとやばいからね……』

「シルフ……ありがとう……」


 次の日、ごうごうといううなりでマユミは目を覚ました。はじめ、誰かが近くでドライヤーでも使っているのかとうつろに感じていたが、この家にそんな物はないし、その音が寝室の戸や、窓、家全体を揺らしていて、風のしわざだとわかったのだ。

 起き上がった時、小さな紙切れが床に落ちた。二つにたたまれていて、中は魔界の言葉が綴ってあり、完全には読めなかったので、それを台所で食事の用意をしていたユシトに見せた。

「アケミの字だね。……今日のお昼過ぎに、裏の呪文練習場へ来てくれ、と書いてる」

 あたたかいミルクの入ったコップの横に、紙切れを返して、ユシトは言葉を続けた。コップが洗い立てのせいで、拭ききれていない水滴が紙切れに染みて、インクが滲みはじめた。

「早いうちに、おまえも『潰す』つもりだね」

「今、アケミさ、……サラ、は?」

「呪文の練習がしたいって言ったから、裏へ案内した。もっとも、本当に『練習』してるかは謎だけどね」

「……」

 せっかくユシトが腕をふるってくれた干し野菜のサラダも、味わって食べることができなかった。


「当たり前のことがそうでなくなる時……驚き惑う表情かおが好きだわ……ねぇリュート、その悦びを教えてくれたのは貴方よ……」

「光栄だね」

 アケミ(サラ)は、誰も来ないと確認してから、幻魔精霊リュートを呼び出し、話し込んでいた。

 幻影魔法精霊リュート=リラ=リーオードは、風や炎などの元素的な精霊の対極にある『無機的』な存在の一人である。特に彼はあらゆる物質を幻影でつくり出す能力が他精霊と一角をなし、彼自身自愛主義が強く、あまり魔法使いと契約を結びたがらないので、どちらかといえば嫌われ者でもある。現在はサラとしか契約を結んでいない。

「でもあの見習いの女の子、注意した方がいいよ」

「どうして? ウインド系統しか使えないひよっこに?」

 リュートは緑銀の髪をかき上げながら、甘いまなざしを向けて答える。

「何も知らないから、よけい恐いんだよ。知ってしまった時の反動が、ね」

「ふうん……」

 二人は強くうなる風にまぎれて刻まれる砂の締まる音を聞いて、話を中断した。リュートは姿を消した。

「あら、早かったのね、マユミさん」

「『用事なら早く済ませといで、昼ご飯もごちそうだからね』って、言われてきました」

「まったく、あのおばあちゃんは……わかったわ。すぐ、終わるわ。あなたが、変なことをしなければね!!」

 細かい砂ぼこりが、足元から立ちのぼる。マユミがまばたきを一度する間に、サラは袖口から耳かきくらいで、先に黄色の宝石を付けたロッドを引き出して、呪文をかける。

「愛情深き幻影精霊リュートよ、小娘に幻を見せて悦ばせてあげよう!『チャーム・ウインド』!!」

 景色がゆがんだように見えて、甘い空気が波のように押し寄せてくる。

(マユミ、このくらいなら大丈夫だ! 反撃しよう!)

 シルフの応援が耳に届いた。マユミは一度肩で息をしてから、ミスリルの杖を高く上げた。

「偉大なる風の精霊シルフよ、強大な力をください!

『ウインド』!!」

 すぐさま強烈な精霊風が杖から発生し、サラの幻影風を一掃し、さらに彼女を巻き込もうとする。

 ところが大音響がまわりにつんざき、精霊風は消し飛んでしまった。

『バアン!』

「何なの?!」

 マユミの疑問に答えたのはサラだった。

「まさかの時に備えて、あらかじめ『ホワイトカウンター』を撒かせてもらったわ!」

(ホワイトカウンターは、白魔法の効果を消すんだ!)

「今、なんて言ったの?私、風の呪文しか……」


「簡単には催眠術にかかってくれそうにないわね。それなら、少し私も攻撃させてもらうわ……」

 サラはロッドをマユミに向ける。赤い光が発生した。

(マユミ、何ぼーっとしてるんだ?! 回避して!!)

「幻の情熱の炎よ、燃え盛れ!『イリュージョンファイア』!」

「!!」

 動揺していて、マユミはサラの左右から飛んできた火の玉を確認するのが遅れた。二つの幻の炎は本物のように、どんよりとした曇空を焦がし、手前で一つになり、一気に破裂した。

「きゃあっ、」

『ドドオオン!』

 強い自由風を揺らし、見習いの魔法使いは吹き飛んだ。ミスリルの杖が、砂に沈んだ彼女の側に倒れるように転がる。

(マユミ! マユミ! しっかりして!! 幻の炎だから、実際に傷は受けないんだよ!)

「う……」

 幻影魔法は、相手の精神に熱さや痛みなどをあたえる。外面に見える炎などの効果はふつうの呪文の四分の一以下だが、相手が激しい記憶を持っていた場合は、それがフィードバックされてしまう。マユミは派手な呪文効果から焼かれる様を想像していた。

 しかし服はぼろぼろになってしまっていた。杖に力をかけてゆっくり立ち上がって、サラを見返した。澄んだ瞳が、冷たい黄銅の眼とぶつかる。

「まだ攻撃を受けたくて?」

「どうして、アケミっていう人にすり換わったんですか?」

「?!」

 やっと炎の記憶から解放されて、マユミはここへ来るまでに考えていたことを一気に吐き出し始めた。

「どうして、呪文の秘密が知りたいんだったら、直接ユシトさんやジンさんに聞こうとしないんですか?」

「決まってるじゃない、魔導師は魔天王の使い、あたしはサタンの使い、敵対してる奴に、はいそうですかと言うはずがないでしょう?」

「私はそれでいいと思います! それで戦いになっても、あなたの力をユシトさんたちが認めてくれたら、」

「うるさいっ!!」

 サラは自分のやり方に非を認めたくなく、揺らいだ心をふり切るように強く頭を振り乱し、ロッドを空に突き刺すように上げた。

 曇空の隙間から、小さな雨粒がこぼれ始めた。雷光もちらつく。

「艶やかに輝け幻の雷よ!『イリュージョン・サンダー』!」

(マユミ、自分の周りに壁を作って!)

 雷の轟音と、呪文の効果音と、シルフの叫びがまざる。

「幻を打ち砕き、すべてを風の中へ!『ウイン・ウォル』!」

「ウインド四格の呪文?!」

『ガガガガガガ!』

 マユミの繰り出した風の壁に、幻の電撃がぶつかって、鼓膜を引き裂くような爆音が数秒続いた。

「そうね、シルフが側にいるから派手な上格呪文を使えるってわけ……リュート!」

「あの女の子は、やっぱり普通じゃなかったね」

 リュートは淡々と応える。マユミにも彼の姿が確認できた。幻影精霊は、主人を後ろから抱き寄せて、耳元で何か囁いている。

(あの色男が……)

 シルフが舌打ちをしている。マユミは服の帯にはさんでいたにじんだ青色のような紙切れを出して開いた。

(その『呪文紙』は?)

「ユシトさんに、時間の隙ができたら使えって、あずかったの

……偉大なる命のともしびを与えてくれる炎の精霊ファバーンに……」

(それって、黒魔法……!)

「……魔導師ユシトの名において、今ひと時、我が魂が宿りしこの場所に、蒼き炎を呼びたまえ……

『ブルーファイア』!!」

 最後の呼びかけを、マユミは渾身の力で腕を振り下ろしながら叫んだ。掌から解き放たれた薄蒼いそれは、ふつっと風にまぎれて、その後すぐに蒼い火の玉に変わってサラを目指した。

「『ファイアカウンター』!」

 リュートがサラを抱きしめたまま飛び、自分で炎を回避する幻影魔法を唱えた。しかし、蒼い炎は壁ができる直前に二人のところへ到達した。

『ゴゴゴゴオオッ!!』

 炎の柱が、強く降る雨を押しのけて伸びてゆく。

(やった!)

 シルフは姿を現し、マユミの前で時折来る火の粉を振り払った。炎と煙が雷雨にまぎれた頃、服の端々を焦げつかせたサラとリュートが見えて、シルフにはそれが少しこっけいにも思えた。

「マユミ、この調子だ。君も一格くらいなら、黒魔法ができるかもしれない。試しにファバーンをもう一度呼んでみて!」

「できるかしら……」

「甘く見たのは間違いだったわ……リュート、あたしの側でいて!」

「もちろんさ。いつまでだって、君を抱いている。早く、あの娘が火の呪文を使う前に、片づけてしまおう」

 マユミが迷っている暇はどこにもなかった。サラはロッドを持っている手を、大きく円を描くように振って、次の幻影魔法を唱え始めている。

(お願い!時間が無いの! 炎の精霊ファバーン、ここに来て、私に力を貸してください!)

「愛しき眼差しを、憎しみの炎に変えよ……

『マゼンド・ディ・ファイア』!!」

(お願い!!……?!)

 サラが深紅の炎をマユミたちにめがけて放った時、必死に精霊を呼ぼうとしていたマユミのミスリルの杖が、ふいに重くなった。

(何、この感覚……誰かが、ここに来ている……精霊じゃない……えっ……)

 マユミの頭が前後ろにはげしく揺れた。一瞬全身をけいれんさせ、その動きがおさまると、彼女はウイン・ウォルを唱えようとしていたシルフの肩を引き、杖を手前に出した。

「マユミ、何をするの?!ミスリルの杖で、あの呪文をくらったら……?!」

『バアアアン!!!』


「ばかねえ、自分から『憎しみの炎』を受けるなんて!」


『ファバーンよ、卑屈なる幻魔使いに裁きの炎を!』

「?!」

 真っ赤に燃える炎の中から、ミスリルの杖がちらりと見えて、そこから別の蒼い炎が発生している!

『ブルーファイア!』

「回避が間に合わない!」

「ならば呪文ではね返すまで!!」

 サラはすぐに叫んだ。

「『マゼン・ドラゴニット・ファイア』!!」

 さっきよりも数倍強力な炎が、蒼い炎とぶつかる。

『ドゴオオン!!』

 それは雷雨をはねのけるくらい激しい光と音を出し、二つに分かれて、それぞれの頭上に墜ちていった。マユミの方は花火の火薬のようにだんだん光を失って消えたが、サラの方はさらに加速度を増して、大爆発を起こした。

『ドドオオオン!』

「きゃあああっ!!!」

 数回雷が鳴り響き、強くなった雨が炎と煙を再び取り去った。マユミは何も言わずまるで仁王立ちの状態で、サラはリュートに支えられなければならないほど血だらけになってけがを負っていた。

「あたしは……あたしは、サタンにつかえる幻魔使いよ! なんで、あんたみたいな見習い魔法使いに屈しなきゃいけないの?」

「サラ、落ちつくんだ! 君の力は決して劣っていない!」

『くくく……』

 マユミはうつむいたまま、肩を揺らして笑っているようだ。

『幻影の精霊とつむぐ幸せに溺れて、魔術の鍛錬を怠ったおまえは、いつか、真摯に自分を見ている者に追い抜かれるね』

(マユミじゃない?!)

「うるさいっ!!」

 サラの怒りは頂点に達した。リュートを突き飛ばし、

「だめだサラ! あの娘の正体がわかったよ! 君じゃあ、勝てない!」

「情熱の炎を司るファバーンよ! この黄銅の輝石に、蒼き炎を!!

『ブルーファイア』!!」

 リュートの必死の忠告も無視して、以前契約していた炎の精霊の呪文を放った。それとほぼ同時に、リュートの姿が消えた。

『ブルーファイア!』

 マユミももう一度、蒼い炎を弾き出す。そして、われに返った……。


 どこからか、声が聞こえる。

(とどめを刺すんだ!)

 爆音が走る。雨の中、蒼い炎がサラの方に墜ちて破裂したのだ。誰があんな炎を……と考えてしまう……くらい、強力なものだった。

 サラは倒れている。マユミは、戸惑ったまま、

「ウ……ウインド・スピア!」

弱い声で、細い風の槍を、ミスリルの杖を操って造り出した。

『ヒュウウウン……・』

 風の槍は、徐々に加速してサラに向かってゆく。先の戸惑いの原因は、きっと数分前の記憶がぷっつり切れているからだ……では、なぜそうなったのか? なぜ、サラにとどめを刺さなければならないのか? 細い槍の、空気を切り裂く音が、同時にマユミの不安を大きくしていった。

「だめえっ! こんなこと、できない!! シルフ、槍を消して!!」

 杖を投げ落として、叫ばずにはいられなかった。水を含んだ砂地に、ミスリルの杖がうまり、泥にまみれる。

「無理だよ!一度唱えた呪文が成功したら、撤回できないって、知っているだろう?!」

 シルフはマユミを後ろからはがい締めにして諭した。こうでもしなければ、マユミは走ってサラにかばい付きかねないからだ。マユミは腕を振って、足をばたつかせて、叫び続ける。

「サラさん、よけて! よけてえっ!!」

 良心の呵責に苛まれた少女の大声が、うつろにもがいていたサラの耳に入った。しかし彼女の心の中は、キャリアがはっきり違っている者にどうしてこんなに辱められなければならないのかという思いがほとんどを占めていて、何か叫んでいる、そのくらいにしか感じ取れていなかった。

「よくも……このあたしを……」

 マユミが弱気に呪文を唱えたせいで、そのままサラが倒れていてくれたなら頭の上をかするくらいの高さで『外れる』はずだった。ところが不運にも、サラは顔を上げてののしった……

「危ない!!」

 重い、鈍い音が雨の中でもはっきり聞こえた。風の槍は、サラの左眼に深く刺さってしまった。

「ぎゃあああっ! 痛い、痛い! リュート、リュート助けて!!」

 実体化したリュートがすぐに風の槍を引き抜いたが、すでに眼は大量の血とともに無くなってしまっていた。

「痛い……痛い……」

「まさかが直接僕を押さえつけに来るなんて……体勢を整え直したら、きっと僕は……『ミスト・テレポート』!」

 リュートはサラを丁寧に抱きかかえて、マユミに向かってそう言い残し、幻影の移動魔法で姿を消した。

 濡れた砂地には、サラの血や二人の焦げた衣服の切れ端が残った。マユミは一気に力が抜けて、シルフに支えられて立つ、というよりは寄りかかった。髪やあごや指の先から、しずくが流れ落ちるのを無気力で見ていた。まだ視界に、血をふいた眼と、もう片方の黄銅の鋭い眼が、残っていて消えそうにない。


「マユミ」

 ユシトが、呼んでいる。

「お昼にしよう。早く体を拭かないと、風邪をひくよ」

「ユシト様、さっき……さっきの蒼炎は……」

 シルフは外れていてほしい質問を投げかけた。ユシトは小屋に入ろうと、背を向けながら特に感情も込めず肯定した。

「あたしだ。マユミの身体を


(今、何て言ったの……?ユシトさん……)


「確かにマユミの精神力はたいしたものだ。『乗り移りの呪文』では、乗り移る人間の力しか出せないからね……蒼炎を連発してもまったくあせりがない。しかし、サタンの使いとはいえ、良心に戦闘心をそがれていては、この先の戦いにも不安だ。

 他の呪文を修得しながら、貪欲な戦闘心をみがかなきゃならないね……」

 ユシトは早口で-独り言のように-言って、木の扉を後ろの二人も通れるように大きく押し開けた。この無感情な動作は、マユミの感情を逆なでするのに十分だった。

「ユシトさん! サラ……を、あんなに傷つけたのは、あなただったんですか? とどめを刺せって……、言ったのも……」

「!、マユミ!」

 雨の音が曲がって聞こえる。マユミの周りには、風のうねりが起きていた。

「自由風がマユミの精神力と共鳴してる!」

「私……私……」

 マユミは完全に動揺していた。乗り移られていたといっても、自分の手でサラやリュートを瀕死の状態にしたことは明らかである。地球に住んでいた限り、命を削るようなことは、蚊を叩いたくらいが常識だから、いきなり戦闘の血生臭さを知らされて、

 何に怒ればよいのか、

 何に泣きつけばよいのか、

心の揺れが風に現れていた。

「じゃあ次の課題を言おうか?」

 ユシトが振り返り、言葉を続ける。

「戦闘力を、つけておいで。ただの戦う力でなく、戦いを理解する力をね。この家は自由に使ってもいい。奥のなめし革の箱から、金貨を持って行っても。あたしがいいと言うまで。それができたら、魔導師への最後の課題を言うことにする」

 マユミはゆっくりうなづいて、ユシトの横を抜けて小屋に入り、自分の着替えやいくらかの金貨が入った袋を荷造りもせず抱えて、再び外に出た。そして、ユシトに軽く一礼すると、心配そうに見るシルフには目もくれず、北に向かって歩きだした。

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