木の杖とシルフ

『風の詩』

  とぅ、とぅ、とぅ・・・

  とぅ、とぅ、とぅ・・・

  こんどは あかいかぜが ふいてきた

  とぅ、とぅ、とぅ・・・

  せいれいシルフさまの あかいかぜが

  ぼくたちの よびかけにこたえて

  とぅ、とぅ、とぅ・・・

  やさしいかぜも きびしいかぜも

  ぼくたちがいままでに かんじたかぜなら

  シルフさまが つれてきてくれる

  とぅ、とぅ、とぅ・・・



 風の向きや、外気の感覚が変わった。恐る恐るマユミは目を開けた。白っぽい空気がまわりを流れている。淡く全体が輝いている。空の色も、土の色も、地球の言い方ではすぐに表現できないような穏やかなものだった。

「手を、離しますよ」

 そう言って、先にナーシャが、そしてパンドラもマユミから手をゆっくり離した。

 足がゆっくり地についた。感触はそれほど変わらない。

(ここが……魔界?)

 静かで、落ち着いていそうな雰囲気を感じた。マユミがまわりを見回している間に、ナーシャはパンドラに何かふた言ほど話して、杖を振って--呪文を使って--姿を消した。

「ナーシャ様は、魔天王様のもとへご報告に行かれたんです。僕らも、早くここを離れて魔導師の所へ行かなければ」

「うん……パンドラ、」

 マユミは思い出したように言った。

「ずっと犬の姿に変えられていて、大変だったでしょ」

「仕方ありませんよ、僕が隙を見せたのが悪いんですから」

「それにしても……とても静かね」

「そうですか? 戦争の時は、眠れないほどうるさいんですよ」

 いきなりそう言われても、見当がつかない。ただひとつわかることは、ここはいまさっきまで自分がいた所と同じような見解や常識がたぶん通じないだろう、ということだけだった。

 パンドラはナーシャにもらった色とりどりの魔法石を二人の周りに撒いた。

「ムーブ・トゥ・デザート!」

 光が走り、二人は一瞬にして『砂漠』へ移動した。


「この砂漠に、魔導師がいるの?」

 暑くはないが、土の大地は細かな砂に変わり、それはえんえんと地平線まで続いている。目を凝らして見れば、遠くに小屋のような建物が見える。時間的にはだいたい(マユミにあわせて言えば)夕方くらいなので、魔導師は家にいるだろう、とパンドラは移動中に教えてくれた。

「あの小屋に、住んでいるんだ。もっと奥に、修行の時にに使う『はなれ』もある」

 パンドラはマユミの手を引いて歩き出した。砂地が足に慣れない。

「!」

 突然、パンドラは止まった。

 マユミが不思議そうに彼の様子を見ていると、どこからか『歌』が聞こえてきた。


『とぅ、とぅ、とぅ……』

 風が足元から全身に吹き抜ける。

「ユシト様だ……」


 パンドラがつぶやいた時、その『老女』の姿が風の中から二人の前に現れた。

 少しくたびれた麻の長い丈の服を着た彼女は、短い白髪を風に流して、パンドラ達をした。

「……パンドラか、六年ぶりだね」

「お元気そうですね」

「……何か話があるんだろ。うちへおいで、わざわざ迎えに来てやったんだから」

 魔導師ユシトは背を向けて、小屋へと向かった。


「どうぞ、小汚いところだけど」

 ユシトは木製のドアを開け、パンドラとマユミを中に入れた。自分のいたアパートより一回り狭いものの、掃除や整理は行き届いている、とマユミは思った。

 ユシトが中央のテーブルの席を、二人にすすめてから--飲み物を出すためだろう--奥の間へ行っている時に、パンドラは席につきながらマユミに説明した。

「ユシト様が、魔界で一番魔力を持っています。そして、ユシト様の師であるジン様、この二人が現在、魔界で生きている魔導師です。が、見ても高齢だとわかるでしょう、だから」

「だから? 生い先は長くないけど、あんたにゃ話の中で殺されたくないね」

 怒った声が響く。ユシトは木の盆の上に陶器のコップを三つ乗せて帰って来ていた。先に自分とマユミの前に、最後にパンドラの前に、

『ガン、』

「どうぞ、」

「……」

 コップを置き、席につき、マユミの顔を瞳の奧まで覗くかのように見つめて、

「さ、話は何だい?」

 と切り出した。


 マユミは今まで出会った人の中で一番か二番くらいに強い印象を感じた。二人はこれまでにあったことから、今マユミが魔導師になりたい為にここへ来たことまで、全てをユシトに話した。

 ユシトは二人の一言一言を心に刻みつけるように、耳を傾けていた。




「そうか、大変だったね」

 魔導師ユシトは自分の飲み物を一口飲んでから、二人に言った。もちろん、最初の頼みも忘れてはいない。

「つまり、あたしやジンが『最強の呪文』を使今、マユミ、あんたが代わりに魔導師になる、ということだね」

「はい」

 マユミの返事にはもはや迷いはない。ユシトは軽く肘をついて、しばらく間を空けた後、マユミに聞き返した。

「魔法使いならともかく、魔導師になるなんて、何年かかるかわからないよ。

あのでも、素質は十分にあったけど、三年かけても三格の呪文を少し使えるまでにするのがやっとだった……。

でも、そんなをかけても、あんたはやめそうにないね。瞳が、きれいだ。まっすぐに何かを見つめて、追いかけようとしている。ここにはない、何かを」


「え……」

 マユミはパンドラと顔を見合わせた。もちろん、当たって砕けろ、という気持ちではいたが、こんなに易しく願いが通ることは予想していなかったからだ。

「魔天王様には、伝えてあるのかい」

「いいえ……」

「ふうん……見つかったら、またをくらうなぁ」

 ユシトは目もとを指で数回掻いて、……まるで(外見上は)やっかいごとでも引き受けるように、呟いてから、

「パンドラ、あんたも早いうちに『神殿』に戻ったほうがいい、このの面倒はちゃんと見るさ」

 と話を進めた。


「お願いします。また様子を見に来ます」

「ホントの仕事も怠らないように。それとも、ここで魔法の修行をするかい? そんなにこの娘が気になるんだったら、ふふ」

 彼女のにやついた横目のまなざしに耐えられなくなったパンドラは、慌てて彼女とマユミに挨拶して、小屋を出た。

 木の扉が静かに閉まった。マユミは一人になった。しかし、向かいにいるユシトには、初対面にも関わらず、家族のようなあたたかさを感じていた。



「『魔法使い』の基本は、『精霊』と契約を結び、状況に応じて、杖を通じて能力を借りること。低級な魔法使いは一人の精霊の能力しか使えない。サタンの使い魔がその見本だ。あたしたちは最低でも二格呪文を自由に使う魔法使いを育成するのが役目なんだ」 日が暮れて、ユシトの手料理を振る舞われた後、(マユミが一刻を争っている、ということもあり)早速ユシトのが始まった。ユシトは分かり易く話してくれる。

「そして、マユミが目指す『魔導師』に昇格する条件は三つ。

 一つめは、大きな『精神』を持っていること。三格四格の呪文をゆうに使いこなすには並の精神力じゃだめだ。

 二つめは、杖が無くても魔法を使えること。どんな局面にも対応できてこそ、大戦争で戦力になるからね。

 三つめは、『リグ古代語』という、魔法と深い関わりを持つ言葉を理解できること。こいつが難しくてね、勉強だけで覚えるものとはまた違う。だから最近は、この言葉で書かれた『魔導師の詩』の意味がわかればいいことにしている」

 他にもいくつか魔法使いの基本事項を聞いているうち、夜は更けてゆく。ユシトは間をおいた時に、懐から銀の懐中時計を出して時間を見た。

「もう十三時か……ジンの奴、今日もはなれに泊まり込みか」

 ユシトは時計を直し、小屋の奥の部屋に歩きながらもうひとりの魔導師ジンのことを教えてくれた。

「あの人は杖作りが趣味でね、最近ははなれにこもりっぱなしで、あまり喋ってないね」

 彼女は淡々と話す。マユミは彼女の言葉からジンという魔導師がどんな姿なのかを想像していた。


 魔導師。身体の中に秘めた力……魔力や精神力……はこの世界で一、二を争うということである。その魔導師になろうと決意したのだ。


(何年かかるか、わからない。

 なれるかどうかも、わからない。

 とても難しいこと……でも、そんな弱音を言ってちゃだめだよね。

 きっと、みんなは私が助けるから……。

 待っててね、ハヤテ君、ショウ君、ダイチ君……)


 そして、魔導師になれば届く、本当の大きな目標に向かって、マユミの挑戦は始まった。





 明るい。それでマユミは目が覚めた。昨日ユシトが用意してくれたベッドのそばに、若草色のパーカーのような上着と中長のズボンのセットが置いてあった。

「起きたのかい?それを着な。そのかっこうじゃ、修行にならないからね」

 台所の方から、ユシトの声が聞こえてきた。


 朝食はパンとスープ、サラダだった。味つけは地球のものとそれほどかわりがなかった。ユシトの計らいかもしれない。

 食器を片づけてから、ユシトはマユミを小屋の外へ連れ出した。

「そうそう、そこの杖が、おまえのものだよ……魔導師になるまでは杖が命の次に大切だ。まだ今は木だけど」

 扉のわきに、小さなただの木の杖が立てかけてあった。最初、『杖』と聞いて、ハヤテが持っていたような、何かきれいな石が入ったものではと思ったが、実物を見て少し幻滅した。

(初心者だもんね、しかたないね)

 魔法使い一年生のマユミがすることは、全ての呪文の中でも一番基本である『風の呪文』をマスターする・・これだけだった。「風の精霊、シルフをその木の杖から呼び出して、風を巻き起こすんだ」

「あの、どうすればいいとか、やり方っていうのは」

「自分の好きにしたらいいさ。あたしはジンの様子を見に行ってくるから、おなかが空いたら勝手にそのへんのを食べてていいよ」

 ユシトはそう言って、砂漠の中へと進んでゆき、見えなくなった。一人残されて、マユミは杖を握り直し、呪文を唱えてみた。魔法使いは、精霊と契約し、杖を通じて能力を使うこと、だから……、

「風の精霊シルフ様、私に、風の力を下さい……ウインド!」

 しかしそう簡単に成功するものではなく、砂漠の乾いた大地には何も変化は起こらない。

 一日で疲れ切ってしまって、帰ってきたユシトが作ってくれた夕食もにこやかに食べることができなかった。喉も枯れて、両腕も痛かった。寝床に向かうマユミに、ユシトは一言言った。

「ハヤテは、ウインドを完全に唱えるまでに四十日かかった。三日や四日でできるものじゃないよ」

「そうですか。……おやすみなさい」

 マユミは倒れるように眠りに落ちていった。



「マユミ、久しぶり」

「……パンドラ!」

 十日くらいが経とうとしていた。いつも通りユシトはジンの様子を見に行っていて、マユミがウインドを会得しようと何度も呪文を唱えている時に、パンドラが現れたのだ。

 今までの緊張も少しほぐれてきていた。マユミはひと休みすることにし、小屋でパンドラと二人分のお茶を入れた。

「どうですか、修行の方は」

「まだまだなの。たまにね、杖が重くなって風向きが変わることはあるんだけど……それだけ」

「早く、魔法が使えるようになればいいですね。僕はウインドができるまで八十日くらいかかったかなあ。要領が悪いっていうか……あ、このお茶、おいしいよ」

「ほんと? にいたときと同じ入れ方でもいいのか、心配してたから、そう言ってくれると嬉しいわ」

 それぞれがお茶を二口ほど飲んで、陶器のカップをソーサーに乗せた時、二人はある異変に気付いた。置く時だけに鳴ればいい、陶器の小さくぶつかる音が、二秒、三

 秒、四秒……経っても、止まない。カップが、いや、周りを見れば部屋の中のもの全てが、かたかたと揺れている。

「地震?」

「足元は揺れてない……まさか、」

 マユミの問いかけを否定して、パンドラはさっと立ち上がり、小屋の戸をはね開けて外へ飛び出した。マユミが後から追いかけると、彼は日差しの方を遠い目でにらみつけていた。

「竜巻だ……」

 彼が指さす方を眺めてみると、確かに縦に伸びる渦が見えた。

「風には精霊シルフに支配されているものと、それ以外のものがあるって、ユシト様に聞いたよね」

「ええ、自由風、でしょ」

「それが気候や様々な原因が重なって、特に砂漠では竜巻ができやすい」

 ふっ、と足元に風が通り抜けた……と思いきや、爆風と言ってもいいくらいの強風が身体の周りを削るように吹き抜けていった。

『ビュウウウ!』

 砂が撒きあがる。

「こっちに向かって来ている……! 逃げよう、マユミ!」

 パンドラはマユミが飛ばされないようにしっかり手をとったまま、腰帯に付けていた麻の小物袋をもう片手で開けて、魔法石をいくつかとってばらまいた。『移動する』呪文を使う気だ。

「待ってパンドラ、私、やってみる」

「やってみるって、何を、」

「シルフを呼んで、この竜巻をしずめてもらうの!」

「!!」

 マユミはパンドラの手を振りきって、小屋から杖を取って、竜巻が荒れ狂い迫る方に、大きく深呼吸した。

「いちかばちか……」

 そしてさらに自分から竜巻に一歩一歩靴をすべらせる。

「マユミ、危険すぎる! いくらもとは自由風でも、巻かれてしまったら五体が引き裂かれるどころじゃすまない!!」

 パンドラの制止の叫びももだんだん小さくなってゆく。普通に歩けない。小さな小さな砂粒が、身体に音を立てて当たる。轟音が耳元を支配する。まるで新幹線が真横を走っているようだ。

「風の精霊、シルフよ! 今ここに現れ、この獰猛な竜巻を包み消せ!

 ……ウインド!!」

 マユミは力の限り叫びきった。


『ガクン、』


 杖が揺れた。竜巻の先が、身体に触れかかっていて、後ろに倒されそうになったが両足に力を込めて阻んだ。

 荒れ狂う竜巻の音の他に、何かの囁きが聴こえてきた。

『……勇敢なる汝の願い、たしかに聞き遂げた……契約を結ぼう……私はシルフ、この魔界の風を操るシルフ!』

「きゃああっ!」

 後ろに強く引かれていた髪の毛が、前に飛び出した。あまりの強風に、マユミは叫んだ。

 杖の先から、数粒の透き通る色の水玉のようなものがぽろりとこぼれた。その直後、自分の周りから風が巻き起こった!

『ゴオオオオ!』

 強い風。しかし、身体のわきを駆け抜けてゆく時に、竜巻のような恐怖を感じない。まさに、風の精霊が従え連れて来た、

『ウインド』だった……!


 マユミの初めて成功した呪文は、竜巻とぶつかり、強烈な音を立てて、それを消した。

 マユミはこの時の音をまともに耳に入れてしまい、ショックで数分気を失ってしまった。気付いた時には、竜巻はすっかり無くなっていて、砂の海は何もなかったような静けさを取り戻していた。

「わ、私……ウインドが、できたの?」

「そうだよ。おめでとう、マユミ」

「やった……やったーっ!」

 マユミは砂も払わずに立ち上がって、喜んで木の杖を振り回してあたりを走り回った。

「できた! できた! 私、魔導師に一歩近づいたわ!」

『喜ぶのはいいから、ちょっと杖をこれ以上振らないで……』

「えっ」

 動きを止めると、杖から人が出て来た! 淡い青の服に、くせのない長い金の髪をなびかせた……背の高い男性……

「し、シルフだ!」

 パンドラが叫んだ。

「この人が?!」

 細い目をした風の精霊シルフは、ふらつきながら砂の上に立ち、「どうも。僕、魔界でも有名なシルフです」

 と挨拶した。

「直接精霊が出てくるなんて……」

 パンドラの驚きはおさまらない。この広い魔界で、同じ時に同じ呪文が使われていることも少なくない。精霊はその属性ごとにひとりしかいないから、いちいちあらわれてもいられない。相当な-魔導師のような-精神力のある者か、身分の高い者にしか実体を現さない精霊が、今目の前に、しかも魔術をはじめたてのマユミの為にここにいるのだから。

「いやあ、こんなにきれいな瞳をしたかわいい娘だったら、もっと早く来ればよかったなあ。修行をしているのは知ってたけど、もうすこし『三人を助ける為』だけじゃなく『全てのものを危険から助ける為』という魔導師に必要不可欠なこころも見せてほしかったからね。それにしてもあの竜巻は大きかったなあ……普通ならこいつみたいに逃げるのが得策だよ」

「……無能なものでね……」

 ああ、精霊にも色々なタイプがあるんだなあと、パンドラは改めて思った。さしづめシルフは、八方美人のおしゃべりといったところか、と。

 シルフは特別マユミが気に入ったようで、呼ばれればいつでも来るよ、と彼女とぺらぺら話をしていた。

 夕方になって、ユシトが帰ってくる時間になると、さすがの彼も魔導師には弱いようで、逃げるように姿を消した。

 ユシトも竜巻がかき消されたことはわかっていたが、マユミがしたとは思っておらず、その話を聞いて驚き、明日からはもっと深い魔法の勉強を始めよう、とマユミに言った。

 この日マユミは、ウインドが修得でき、かつ精霊シルフにも会えた嬉しさで、なかなか寝付けなかった。

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