墓守と人魚

 始まりは、海からだと言われていた。

 何処かの本に書いてあった一節を思い浮かべながら箒で石畳を掃いていたイアンは、海へと視線を向ける。

 歌が、遠くから聞こえてきた。

 切ない旋律と共に歌われたその歌は、海から聞こえてくる。海岸へ視線を向ければ剥き出しの岩の上に座っている人の姿。いや、人ではない。

 遠目でも分かるその姿は、下半身に魚のような尾がある。しかしイアンはそれを気にすることなく声をかける。

「また歌ってたの、人魚姫?」

「姫って身分じゃないわよ、王子様」

「僕は王子様って風貌かなぁ?」

「自分で言うの? 変な人ね」

 クスクスと高い声で笑う彼女にイアンは呆れたようにため息をつく。彼女がここに現れるようになってから、彼は決まった時間に彼女と話をするようになった。

「貴方も災難ね。王家の墓を守らなくてはいけないなんて」

「仕方ないよ。ここ最近は災害が多くて経済が回らないんだ。墓に埋められている財宝は今でも高値になる。盗まれないために僕がここにいるようなものだよ」

 そういうと彼女は尾で水面を叩いて声を出して笑った。

「ふふっ、貴方は面白い人。普通の人だったら私を見て叫ぶか、捕まえようとするかのどちらかよ?」

「僕は不老長寿なんて興味がないだけだ。ここで生きて、一生を終える」

 命令されたあの時から、まともに生きていく道を捨てることにした。もう戻ることの出来ない道を歩んでいく。

 彼女を見ればまだ面白かったのか、笑い続けていた。仕草は人間らしいのに下半身の尾のせいでやはり人間には見えない。

「リーラ」

 彼女の名前を呼ぶ。出会った時には教えてもらえなかった名前を。

 肩に張り付いた金の髪を振り払うように、彼女はこちらに顔を向けた。海のような青色の瞳がイアンを映し出す。

 黒い髪に白銀の瞳。足元まであるローブを身に纏っている自身の姿に、遠い過去を思い出す。けれどその姿をすぐに消して彼女に微笑みかけた。

「リーラ。今日は何を話そうか」


 大陸の端にあるこの国は昔から人魚の血によって王族は長寿であると言われてきた。

 不老長寿の象徴とされてきた人魚は、その身を狙う人間から身を守る手段として、王族に血を与えることにより助けられていたとされている。

 今、イアンの前にいるリーラはこの国にいる最後の人魚。彼女と出会ったのはまだイアンがここに来て数日後のことだった。

 イアンは国王から墓を守るように言い付かっていた。北の海にある、王都から遠く離れた王家の墓。

 海岸に面しているその崖の上にある墓の、真下の海には人魚が現れると言う伝説が残っていた。

 その伝説を聞いたイアンは最初、信じてなどいなかった。人魚など御伽噺だと思っていたからだ。

 何せ国が出来る前からあると言われるほど古い伝説だ。いくら古い書物に書かれていると言っても、所詮は空想に過ぎないと思っていた。

 その目で、人魚を見るまでは。

 その日は風の吹き荒れた日だった。

 墓場の近くにある小屋の中で海を見ていたイアンは、海の中から黒い影が波に流されるように、こちらに向かっているのを見つけた。

 浜辺に弾き出されるように打ち上げられたそれは、確かに人の姿をしていた。

 魚かと思っていたイアンは、その人影に目を見開いて、慌てて小屋から毛布だけを持って飛び出す。しかし色が見えてきたとき、イアンは足を止めるしかなかった。

 確かに人の形をしていたが、それは上半身だけ。下半身は魚のような尾。伝説の人魚だと理解するのに数分かかった。

 どうするべきか。海に返すのか、それとも小屋に連れて行くべきか。

 迷っていると、目を閉じていた彼女がふるりと目を開ける。綺麗な青色に心を奪われた。

「にんげん……」

 イアンを見て確かに小さな声で呟いた言葉。

 見上げて睨みつけるように開いた目が細められた。

 その目には確かに人間に対する警戒心があった。そして諦め。その目を見て、イアンは無意識に手を差し伸べた。

「怪我はない?」

 言葉に驚いた彼女の顔は今でも忘れられない。

 あの後、彼女は風の止んだ海に帰っていったが、その次の日から彼女はイアンの元を訪れるようになったのだ。

「ねぇ、墓守さん。あなたは本当に不思議な人ね」

「突然何?」

「だって私のこと、国王様に伝えようともしないなんて、伝説くらいは知っているでしょう?」

「ああ、人魚の血を飲んだ王様の話?」

 不老長寿の人魚。血を飲めば天寿を全うすると言われている。その身を食べれば不老不死となる。

 そんな話にとり憑かれた人間により、人魚は理由もなくその身を追われ、命を狙われることとなった。

 そのため、人魚は王家に血を与える条件として自らを守らせることにした。そのときから人魚は海に住む者と、王家の城に作られた水槽に暮らす者と別れたという。

 砂浜で海を眺めながら、隣に座っていたリーラが語った伝説を聞いたイアンは特に感想を抱きはしなかった。

 イアンのその様子にリーラは、やっぱり不思議な人、と呟いてまたクスクスと笑った。


 リーラは海風に靡く彼の黒髪を眺めながら母のことを話す。

「お母様から伝説の話を聞かされたとき、陸へ行った仲間はどうなったの、って聞いたら悲しそうな顔をされたわ。陸に行った仲間の消息は一切知ることはなかったそうなの」

 そんなリーラの母も数百年前に人間に見つかり、王家へと連れて行かれた。今、この国の海にいるのはリーラただ一人だった。

 別れる寸前の母の顔は悲しそうで、リーラは何故止めなかったのだろうと、今でも悔やんでいる。けれどあの時、母を連れて行く人間を止めていたとしても、一緒に連れて行かれただけだろう。

 幼いリーラでも分かることだ。母はきっと行った先のことも分かっていたかもしれない。

「ねぇ墓守さん。私があなたを不老長寿にしてあげるって言ったらどうする?」

 今までリーラは欲深い人間達を海の中から見てきた。だから人間は嫌いだった。母を連れて行った人間。自分達を追いかける人間。不老不死なんて夢物語を追いかける人間。

 嫌いだった。大嫌いとまで言えるくらい、リーラは人が嫌いだった。

 けれどあの荒れ果てた風の日。あの日出会ったイアンは、そんな人間達が持っていた目をしていなかった。ただ純粋にリーラの心配をしていたのだ。

 リーラの問いにイアンは首を傾げた。何故そんなことを聞くというように。深い意味はないと伝えれば、少し考える素振りをして首を振った。

「しなくていい。別に必要ないし」

「必要ない?」

「だって不老長寿は姿が変わらないまま中身だけが老けていくだろう?女性には嬉しいかもしれないけど、僕としては若いままでいてもなぁ。それに、僕はここで誰にも知られず生きて、知られずに死ぬから」

 自嘲するように言って、イアンは空に流れる雲を見上げた。リーラはまただ、と思う。

 彼は遠くを見て悲しそうにするのだ。白銀のその瞳は全てを見通しそうなのに、彼が見つめる場所はここではないどこかだ。

「……ねぇ、墓守さん。私、私ね」

 彼なら、彼ならば。告げてもいいのだろうか。迷う心を胸に、彼のローブをしがみ付くように握る。

 その時、ガサガサと森のほうから聞こえる草の音に、リーラは反射的に海に飛び込んだ。

 海の中で振り返るが、彼の姿はもう見えない。リーラはまた明日来ようと考えてそのまま海の底へ消えた。



 次の日、イアンは崖の上から海を見ていた。普段は浜辺から見ていたが、少し上に上ると景色が変わって穏やかな海が見える。だがイアンの心はそんな穏やかな海に対して荒れ狂っていた。

「リーラ……」

 金の髪の少女を思い浮かべる。彼女の笑顔がただ恋しいと思った。

 彼女が来なければいい。このままずっと来なければ言わなくて済む。ただ、叶わないと知っていても、彼女が現れないことを祈っていた。

 海の反射ではない色が目に入る。彼女だ、と直感的に察して坂道を下って浜辺へと走る。丁度、彼女が岩陰に姿を現して腰を下ろしていた。

「リーラ!」

 焦りを含んだ声で彼女を呼ぶ。リーラは初めて聞いたイアンの声色に驚いて振り向いた。

 彼女は岩の上から降りてゆっくりと浜辺へ上がって来る。目でどうしたの、と問いかけてくる彼女にイアンは重い口を開いた。

「リーラ、今から言うことを、良く聞いて欲しい。君はすぐにこの国の海から出て行くんだ」

「どうして?」

「……国王が、君を城へ連れてこいと命令してきた」

 イアンの言葉にリーラは目を見開く。その表情に気づかないフリをして言葉を続ける。

「君がここに来ているところを、見られていたらしい。昨日、王からの使者が来てどうにか君を連れてくるように言われた。だから――」

「だから、ここから、あなたの傍から離れろって言うの……?」

 震える声でリーラが問いかける。それに頷いて、イアンはリーラを見つめた。

 彼女と会うのはこれで最後になるだろう。最後でなくてはいけない。彼女を守るためにも、イアンはどんなことをしてでも彼女をこの国の海から出さなくてはいけない。

「イアン、私は離れたくないわ」

「リーラ……」

「あなたの傍から離れたくない。イアン、私はね、あなたとなら」

 ――どこにだっていける――

 そう呟いたリーラに今度はイアンが目を見開いた。彼女を見つめると優しく微笑んで、イアンの手を取る。

「私がここから、この国から逃げて、あなたはどうなるの? 王の命令なら、それに反したあなたは?」

 その言葉に何も返せない。命令に反すればどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。

「無言は肯定よ。ねぇイアン。逃げるならあなたも一緒よ。私と一緒に……」

「悪いが、それはできない」

 リーラの言葉に、イアンは遮るように言葉を紡ぐ。

 それではいけない。自分の立場をよく理解しているイアンにとって、彼女と共に行くと言うことは自殺行為にも等しい。

 例え逃げることに成功したとしても王は追手を出すだろう。墓守のイアンではなく、王に背いた反逆者として。それは王にとっても好都合で、余計に彼女を危険に晒してしまうだろう。

 だからイアンは彼女の提案に否を返す。リーラを危険に晒すと言うのなら己を危険に晒したほうがはるかにましと言える。

 だからイアンはリーラの提案を跳ね除ける。彼女のために、何より自分自身のために。

「僕のことを心配してくれるのなら、君は一人で逃げてくれ」

 きっと彼女が言いたかったことは、イアンもいつか伝えたかったことだ。けれど、だからこそ、彼女と別れる。それがイアンの決断したことだった。


 ――何を言っているんだろう、彼はー―

 リーラの脳内を占める言葉はそれだけだった。

 今が危機的状況なのは分かっている。けれどリーラは本心を口にした。ただそれだけなのに。彼はリーラの言葉を跳ね除けた。

 それだけでも心が痛くなるのに、彼はただ逃げろと言う。どうして、と思う前に彼はリーラを海へ追い立てようと肩を掴んで海のほうへと歩き始めた。

「イアン!」

「リーラ、君の言いたい事は分かる。でもね、無理なんだ」

「どうして?」

 ――分からない。彼と一緒にいたのに彼の考えが分からない。どうしてそんなことを言うの?――

 リーラは縋るようにイアンを見つめる。しかしイアンの考えは変わらないらしく、リーラを見ようとしない。それが余計に悲しくて、リーラはついにその瞳から涙を零した。

「リーラ……」

「イアン。ねぇイアン。お願いだから、私と一緒に逃げて」

 イアンの服を握り締めて乞うように言う。

 今、ここで彼の手を離したら二度と会えない、そんな予感がして、リーラはただ彼の服を握る。放したくないと、言外に示して。

 リーラの行動にイアンは悲しそうに、顔を歪める。どうすればいいのだと、手を彷徨わせて。

 このまま、時が止まってしまえばいい。淡い願いを抱いていたリーラは森の方からの気配に気づかなかった。

「イアン殿」

 突然、イアンの背後から聞こえた声に彼が体を震わせる。彼がゆっくりと振り返えると、追うようにリーラもそちらへ視線を向ける。

 そこに立っていたのは剣を腰に携え、騎士のような服装をしている三人組。リーラは思わずイアンの陰に隠れるように自分の身体を押し付けた。

 その様子を見ていた騎士達は「ほぉ」と、声を漏らしてイアンへと問いかけた。

「そちらにいらっしゃるのが王の所望した人魚に間違いないな」

 彼等の問いにイアンは答えることはなかったが、どう見てもリーラは人魚でしかない。

 答えないイアンに騎士達は気にすることなく言葉を続けた。

「その方をこちらへ引き渡してもらおう、イアン殿」

 先頭に立つ男がリーラを見ながら言う。男の背後にいる二人の男が逃げ道を塞ぐように左右から歩み寄ってきた。

 リーラはイアンを見上げ、縋るように見つめるが、イアンは顔を伏せている。その顔はローブによって見えなくなっていた。

 右側にいた男がリーラの肩を掴む。リーラは振り払おうとするが、左側の男によって身動きが出来なくなった。

「イアン!」

 叫ぶようにイアンを呼ぶ。しかし彼は動かず、ただ黙ってリーラが連れて行かれるのを見ていた。



 透き通るような水の中で、リーラは漂うように泳いでいた。ここに連れてこられてはや数日。最早考えることは放棄していた。

 あの時、イアンはただ連れて行かれるリーラを見送った。とても悲しそうな顔で、辛そうな顔で。

 王が住まう城に連れてこられたリーラはまず、王に会わされた。高い場所に位置する王座に座った王は意外と若く、まだ王位を継いで数年だと言う。

 王はリーラを品定めするかのようにジロジロと見た後、リーラに命令口調で言った。

「王の繁栄のためにその血を捧げよ」

 誰が捧げるか、とその場で断りを入れる。王はそんなリーラの態度にイラついたようだが、人魚を逃がすわけにはいかないらしく、伝説にある契約の話を持ち出した。

 曰く「人魚を守る代わりという過去の契約に従い、その血を差し出すのは当たり前のことだ」と。さも分かりきっていると言わんばかりの態度にリーラは眉を寄せる。

 そんな契約など当の昔に忘れ去られているというのに、何を言っているのだろうか。忘れ去られた契約など無意味。人魚を従わせる効力などあるわけがない。

 そう伝えると王は、ならば再度契約を結ぼうと言った。

 王の言葉にリーラは断りを入れる。結びたいのならば契約の内容を思い出せ。そう条件を付けた。

 王はリーラの言葉に眉を潜めたが、すぐに家臣に書物を漁り、調べるように言っていた。つまりそれは了承と言うことだろう。

 リーラはその場から城の中にある水槽に連れて行かれ、そこで暮らすことになった。

 ちゃぷんと、水が跳ねる。リーラはぼんやりと水が跳ねる音を聞きながら考えるのはイアンのことばかり。

 イアンはどうしているのだろう。あの後、何もなければいいのだが。あの海で、自分の帰りを待っているのだろうか。

 天窓を見つめて、リーラは遠く光が差し込む空を見る。淡い月明かりが部屋を照らしていた。

 その時、ドアのほうからガチャンと音が聞こえた。何の音だろうと視線を向けると、音もなく入ってきた人物。

 薄明かりに照らされたその姿は王かと見間違えるほど整っていたが、その顔は先ほどまで思い浮かべていた人物。

「イアン……!」

 リーラは水の中から飛び跳ねるように出て、イアンへと手を伸ばす。イアンはその手をゆっくり掴んだ。

 暖かい彼の手に、リーラは心が癒されていくのが分かる。微笑んでイアンの頬に手を添えた。

「リーラ……無事でよかった……」

 安心したようにイアンはリーラを抱きしめる。リーラは嬉しくなって彼の背中に手を伸ばす。更に密着する身体が、冷えた心を暖める。

「そう言えば、イアン。何故あなたはここにいるの?」

 ここは王の住む城であり、イアンのようなただの墓守は入ることすら叶わない場所と聞いている。それなのに何故彼はここにいるのだろうか。

 リーラの疑問にイアンは悲しそうに顔を歪め、リーラを抱きしめていた手を解き、身体を引き離す。そしてリーラの前に片膝をついて顔を伏せたまま、その答えを示した。

「墓守のイアン。それは今までの偽名であり、偽りの身分。我が真名はセシル・アーヴァイン。この国の第二王位継承者であり、君の一族を守るはずだった側の人間だ」

 顔の見えない彼の声が、どこか苦しそうだと、回らない頭でぼんやりと思った。


 彼女がどんな顔をしているのか、確認する勇気はなかった。

 彼女を騙していたことになるイアンはどうしても彼女の顔を正面から見られない。それでも、自分は彼女に真実を伝えなくてはいけないのだ。

「僕は数年前にこの城を出た。兄が王位を継承したとき、僕はこの城にいられなくなった。王である兄は僕がここにいることを嫌ったからだ。第二継承者は第一継承者に次いで権力もあり、時には反乱の王として祭り上げられる。だから王は僕を王家の墓の墓守にした。名を捨て、身分を捨て、全てを捨てた僕はあそこで一生を終えるつもりだった」

 イアンは第二王子として生まれた時から、碌な人生を歩みはしないと直感していた。

 第一継承者である兄が王位を無事に継承したとき、イアンはお払い箱となる。

 王となれなかった王子は、その影として生きることを迫られてもおかしくはない。

 だから兄に追いやられた場所に未練などなかった。誰も味方がいない場所。誰一人イアンをイアンとして見てくれない場所。

 兄でさえも、イアンをただの駒としか見ていなかっただろう。

 王家に生まれた子供はそういうものだ。王位を争うこともあれば、どちらかが王位を継いだ後に殺されることもある。

 それを考えるとイアンは大分運がいいほうだったといえる。

 だからイアンはあっさりと身分を、名を捨てた。セシル・アーヴァインではなく、墓守のイアンとして。新たな人生を歩くことを決めた。けれど、今一度その名を持ってここにいるのは。

「リーラ。君から見ればきっと僕は非情な王家の一員だろう。でも、僕は君をここから連れ出すためにここにいる。人魚を連れてきた褒美として、僕は王子としての名を名乗る許可を貰った。ここに住まう許可も、全て戻ってきた。けれど、君のためなら。僕は何度だって捨てよう。この名を、この身分を、僕の全てを。ねぇ、リーラ」

 ――決意するのは時間がかかったけれど、こんな僕と一緒に来てくれる?――

 苦しそうに笑って、彼女に向かって顔を上げた。

 泣きそうな彼女がただ、無言でイアンを抱きしめる。それを優しく受け入れて、イアンとリーラはつかの間の抱擁を交わした。



 海から歌が聞こえる。とても切ない旋律の、悲しい歌声。

 以前にも聞いたその歌声は、確かにはっきりとイアンの耳に届いていた。

 イアンは歌声に誘われるように歩いて、背を向けている彼女に声をかける。

「リーラ」

 声に反応して振り返った彼女は小さく微笑んだ。


「遠くへ行こう。誰一人、僕等のことを知らない場所へ」

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