第4話 人生は雪道

雪は相変わらずしんしんと降り積もり、世の中のすべての雑音を消していく。静寂が周りを包んでいく。つられて自分の心もまた落ち着いていくのがわかった。

老人は静かに前を見つめて、自分もまた前を見つめた。ひとときの間、何も言葉をかわさずに、ただ黙って灰色の空と静かながらも降り続く雪と静かな池の水面と、そして、降り積もっていく雪を見ていた。


「こんな静かにふる雪を見ると心が落ち着きませんか」


老人は両の眼で雪を見つめている。その様子はとても厳粛で、神々しいものだった。

確かに、自分の心も落ち着いていくのがわかった。しかし、それを言葉に出すことは難しかった。

老人は自分の言葉がないことがわかると、静かに立ち上がって、目尻や口元にあの微笑みを再び浮かばせながら、


「こんな所で座っているのはもったいない。雪は踏むものです。少し歩きませんか」


と言った。老人に誘われるままに、重い腰をなんとか上げて、雪道を歩きはじめた。

雪は意外にも深く積もっていた。話に夢中でそんなことになど全く気づかなかった。

老人と自分は池の周りを歩いていく。

老人は雪の上をこともなげに歩いていくのだが、自分は雪に苦戦しながら歩く。

最初は並んでいたのに次第に離されていく。

焦りながらも、なんとか追いつこうとして、雪に足を取られ、とうとう転んでしまった。

老人は立ち止まって、微笑みながらこちらを振り返り、


「大丈夫ですか」


と声をかけた。


「大丈夫です!……ふう、雪の中を歩くのはこんなに大変なんですね。普段はそんなに歩かないから、てんてこ舞いです」


思わず笑ってしまった。


「故郷では雪は珍しいですか」

「ええ、九州の生まれなので、雪が降ることはあってもめったに積もりません。こんなに積もるものなんですね」

「はい。なかなか今日は積もりましたね。いやぁ、立派に積もりました」


老人の話しぶりに、なんだか心が解されて、自分の顔が次第に緩むのを感じていた。2人はなおも池の周りを歩きながら、また、少しずつ話をし始めた。


「先程、わたしがうらやましいといわれましたが、私も大変でした。なにせ、相手はお役所さんですしね。最初は相手にしてもらえませんでした」


老人はふと立ち止まり、灰色の空を見上げる。


「でも、少々大変だからといって、大切なものを守ることをやめたりはしないものですよ、人間は……私はそう思います」

「大切なもの……」


やっと追いついた老人の後ろで、ふと思いを巡らせていく。

自分には大切なものがあっただろうか……いや、なかったかもしれないな。


「職場の同僚の方にとって何が大切なんでしょうか。あなたにとって、何が大切なのでしょうか。二つが合わさったら、きっと、何かが変わる気がします……ところで、雪道を歩く時、こう、深く歩いてみてください」

「こう、ですか?」


老人の言われた通りに歩くと、さっきまでに比べてはるかに楽に歩けた。


「なるほど、こうすると楽ですね!」

「雪道には雪道の歩き方があるんです。雪道は大変ですが、1歩を大切にしながら、こう、しっかりと踏みしめて歩いていくんですよ」


新雪の上を歩くとシャリシャリと鳴る。踏みしめるとグッといって雪が固まるのがわかった。その後も、雪を踏むことを楽しみながら、老人と歩いていく。

さっきまで人生の苦しみにもがいていた自分をもう既にどこかへやってしまって、雪道を歩くのにに夢中になっていた。


老人と結局三周もしてしまって、楽しさと疲れを覚えながら、もといたベンチに腰を下ろした。

老人は疲れを見せずに、ゆっくり腰を下ろして、また空を見上げた。


「……思えば、人生も長いトンネルに入ることがあります。そんな時は、今日のことを思い出してください。私、思うのです。人生も雪道と同じで、1歩1歩を踏みしめて歩いていかねばならないと。」


老人の言葉を静かに聞く。1歩1歩か、思えばどこか焦って歩いていたのかもしれないな。いや、走っていって、雪に足を取られて転んで泣いていたのかもしれない。


「いや、でも……」


老人の方を見て、楽しさに緩んだ顔で自分が言う。


「たのしかったですよ?雪道。大変でしたけど」

「そうですか、あなたの人生もこれから楽しくなりますよ」


老人がニッコリとした。


いつの間にか雪は止み、灰色一面の空が少し緩んで、一筋の光が差した。

そして、優しく僕らを包んだ。

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雪道 かさかさたろう @kasakasatarou

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