魔法使いの侵攻 5
何事にもルールがあり、『夜会』とやらにもそれは定められていた。
魔法使いは様々な別世界から呼び出されている。どうやら他にはないような特殊な魔法を持つ者、ある魔法分野で非常に卓越した能力を持っている『登場人物』が選び出され、集められたらしい。
つまり『夜会』を勝ち抜いたファイナリストは、誰かが思いつくばかりのありとあらゆる魔法使いの頂点に立つことになるのである。そして、魔法使いの王、魔王と名乗ることを許される。その様な称号に何の意味があるのかは、中原たちにはまるっきり憶測すらできないことであった。
ルールは他にも様々設けられており、大前提として魔法使いでなければ参加はかなわない。そして中原も加村も、当然魔法などというものを使うことはできなかった。
日本文芸振興対策センターの地下、『機密道具』の研究開発施設に向けて、中原たちは魔女ルーチフに連れられて移動した。『夜会』に参加できる魔法使いになるためには、そこを住処とする彼女に請うて修行を行う必要があるのだ。
陰ながら人類の危機に瀕している今、研究開発施設は最優先で秘匿、ないし守護される対象箇所である。施設を守るように展開されている結界は、恐らくあらゆる呪いに類する事象を弾いてくれるだろう。そういった意味でも修行の場所としては最適であった。
入り組んだ通路にも幾多のセキュリティや結界が張り巡らされているが、それは外部からの侵入者や影響を防ぐことだけが目的ではない。魔女による現実世界への改変を防ぐためでもあった。
魔女ルーチフが現実世界に留まるにおいて、大きな問題となったのが『登場人物』の持つ現実改変能力だ。『登場人物』はそこに存在するだけで、自らの存在に矛盾がないように世界のあらゆる法則を書き換えてしまう。
彼女がその対策としてとった手段は、ごくごく単純なものであった。自らを生んだ作者を見つけ出し、『物語』にいくつかの加筆をさせたのである。それは例えば、彼女が世界の法則に影響を与えることは決してない、といった『設定』を付け加えることであった。あるいは、彼女は決して人類には危害を加えることができない、と『設定』しなおすことであったりもした。
作者と『登場人物』の接触となるこれはかなり強引な方法であって、本来ならば完全なご法度行為である。作者による『物語』への新たな加筆が『登場人物』の持つ『設定』への影響力をもつということは、彼女がそれを行うまで誰も知ることがなかったのだ。
そのような措置が可能であるということは、徹底して隠蔽されることとなった。一般社会だけでなく、他の支部などにも明かされていない。ルーチフは自らの力を減ずるために加筆を行わせたわけだが、要するに逆のことが可能であるからだ。
「我はその力の多くを封印させたが、それだけでは安心できないというのがお偉方でな」
彼女は確かに一般市民に危害を加えることはできない。一般市民に何らかの影響を与える魔法を使うことすらできない。だがその瞳には依然として強い魅了の力があり、その姿を見た者を屈服させ、心の底からの恐怖を与えてしまう。中原たちには生まれつきである程度の耐性が備わっているが、それでも目を合わせて10秒と平静ではいられないだろう。
魔女が居室としている広間へたどり着いた頃には、すっかり昼に近い時間に差し掛かっていた。もちろん、地下深くにあるこの居室に光が届くことはないのだが。
「さて、魔法の修行ということじゃが、そもそも実戦で付け焼刃の魔法を使うくらいなら、『機密道具』を使うほうが余程有効じゃ。お主らも慣れておるだろうしな」
魔女の手により机の上に広げられた紙に、いくつかの単語が並んでいた。
「で、じゃ。まあ簡単な魔法のリストがここにある。好きなものを選ぶといいじゃろう。お主らの持つ魔力の器はたかが知れておる。大した魔法を使うことはできんだろうが、そいつを使えるようにすればいい」
魔力の器というのは、魔法で消費する魔力を貯めておける量を表す用語なのだという。いわゆるRPGで言うマジックポイントだな、と理解が早かったらしい加村は中原に説明した。魔力の器が小さい中原たちには、効果の大きい魔法は使うことができないということだ。また、繰り返し弱い魔法を使うことも難しいという。
「どれにすっかなー。やっぱ日常生活で使えるものがいいですよね」
「どうでもいいさ。魔法なんか使えたところで、いいことなんてないよ」
「そうかね?」
そう言った加村が、熟考の末に選んだのは効果範囲の狭い幻覚魔法だった。人一人分くらいの範囲に幻覚をかぶせ、他の者に見間違いさせることができるという。ルーチフは意外そうにその希望を聞き入れた。
「そんなものでいいのか?」
「うーん、これが一番だと思いますね、俺にとっては」
「もっと犯罪チックな物を選ぶじゃろうと思ったんじゃが……まあ幻覚も応用範囲は広いのじゃが」
「俺を何だと思ってるんです。中原はどうするんだ?」
聞かれて中原は、ようやくリストに目を通すことができた。これまでは加村が独占していたのだ。
「あー、じゃあ、この指先から炎が出るやつでいいです」
一番最初に書いてあったから。それだけの理由で、中原は発火の呪文を覚えることにした。小さな火種を出すだけの魔法だ。
「しかし、一般人である俺たちが魔法なんて扱えるんですかね」
「魔法なんてものはかつてどこにでもあったものじゃ。この世界においてもそれは変わらぬ。それがなくなってしまっただけのことじゃ」
かつて世界には魔法が存在していた。そのように言われても、にわかには信じがたいことではあった。
「だいたい、お主らの出自は単なる一般人なんぞじゃなかろ。だからこそ、『世界改変』を感じる能力があるのじゃから」
「ええ、わずらわしいことに。祖父のホラ話だと思っていたんですがね」
中原の祖父は、ひどく酒に酔うたびに、
「これはな、お前だけに一度だけ話すここだけの秘密の話だ。誰にも話しちゃいかん」
と耳元でひそひそと言ってくるのが常であった。このやりとりは小さな頃から繰り返されてきたものであって、中原が実家を離れて会う機会が格段に減ってからも、それだけに同席するときの祖父は酔っ払っていることが多く、人生の節目節目で何度も聞かされてきた。
あくる日酔いが覚めてしまえば、祖父は秘密とやらを孫に明かしたことを毎回覚えていなかったりするのだが、とにかくその内容は以下のようなものだった。
「実はうちの本家は代々、世に潜むアヤカシを人知れず退治してきた家系なんだ。今は文明が発達して、アヤカシはこの世界にいられなくなってしまったんだがね」
などとというのである。アヤカシというのは、いわゆる妖怪だとか魔物の類であるらしかった。古い伝承や昔話、人の噂話に登場する化け物たちがその存在を信じた人々の言葉――言霊、と祖父は言った――を糧に現れ、世に災いを起こしたりしていたらしい。
科学文明や情報網の発達により、そんなものはこの世にいない、という一般常識が広まった結果、姿を消してしまったのだという。秘境なんて物は少なくともこの日本に存在しないし、妖怪や幽霊なんてものも科学的に、生物学的に存在するわけがないということを誰もが認識したのである。伝承や昔話なんて誰も真に受けなくなったし、心から信じられる噂話もなくなってしまったわけだ。
幼い頃、いや、青年と呼べる年齢になるまでの中原は、祖父の打ち明け話を信じていたく興奮を覚えたものだった。
「父さんや母さんはアヤカシのこと知ってるの?」
「いや、あいつはダメだ。からっきしだ。だからお前にだけ話すんだ。秘密にしておけよ」
中原の問いかけに、祖父はいつもそんな風に答えた。
いつからか中原は、アヤカシの存在するか否かについて、当然「そんなものはこの世にいない」という一般常識を持つにいたったのだが、祖父のホラ話については恒例行事として聞き流していた。他人と自分とは違うなどと考えたり、ヒーローに憧れアニメやライトノベルにはまってしまったせいで、中学生ぐらいまでは少し、ほんの少し道を誤ってしまったのだが、それも遠い話となっていた。
中原が大学を卒業してとうに就職し、実家に帰ってきたある年の長期休みのことだ。祖父は差し向かいに座った中原の前に置かれたグラスに何杯目かのウイスキーを注ぎながら、いつもと同じように語り始めた。
「……といったアヤカシの存在を感知し、滅する力が我が一族には備わっているんじゃよ」
祖父の語り口調もめっきり老人のそれになっていたが、中身は昔から変わらない。しかし続いた言葉はいつもと違っていた。
「だが、わしも老い先短い。そこでこれをお前に渡しておこうと思ったんじゃ」
「いやいや、すごく元気そうだけど。そんなこと言わないでよ」
中原としてはできれば毎年、できる限り多く、ずれてはいても自分を楽しませようというつもりであろう祖父の暖かい好意にあやかりたかった。なかなかまとまった休みが取りにくい職場ではあったが、実家に帰る回数を増やしてもいいかもしれない、と彼は考えた。
祖父が懐から差し出してきたのは、長方形の一枚の厚紙だった。奇怪な文様が墨で描かれた、いわゆるお
「こりゃな、お前を護ってくれる。本家筋じゃないお前にはあんまり力が備わっちゃいないが、お前のボンクラ親父よりはマシじゃ。お前に何かあればこいつが助けてくれるじゃろうよ」
「じいちゃん……ああ、ありがとう」
要するにお手製のお守りだった。中原は受け取ったお札を大事に持ち歩くことにした。秘密の力なんてあるわけはないが、気持ちを大事にしたかった。
そして祖父は、その年のうちにあっさりと亡くなってしまった。葬式の席で、またそれ以後も中原は、幾度と繰り返された祖父との秘密の会話を親戚の間の共有エピソードにしようかと何度か考えた。
結局そうはしなかった。秘密だったからだ。
祖父のうちあけ話が事実だったのだと分かったのは、祖父が亡くなってから数年経った後だった。ひょんなことから『登場人物』の起こす『世界改変』に遭遇した中原は、祖父のお札の力で危機を脱することができた。そして誰もがその存在を信じない中、独自に取材を重ねて真実に行き当たってしまった結果、中原は新聞記者からみなし公務員への転職を余儀なくされてしまったのである。
ちなみに加村の実家は今でも霊媒師をやっている。相手にするべき幽霊は、もう存在してなどいないので、つまりは詐欺に近い。中原がちらりと聞いたことには、その辺りの事情もあって加村は以前は随分と荒れていたそうで、今では実家と完全に決別しているらしい。
ともかく、その血が流れていればこそ、二人とも『世界改変』を探知できるなどという能力を生まれついて持っていた。それは、無用の長物であるはずだった。アヤカシも幽霊も、もうこの世にいなかったのだから。
子供の間ですら、心から信じられる噂話もなくなってしまった。中原が子供の頃には、死んでしまったヒロインの片割れが生き返るだの、10ターンで裏ボスを倒せば仲間になるなんて噂を誰もが信じたものだ。
今ではちょちょいと端末で調べれば、それがデマであるか、バグを使ったズルをしなければ実現できないことをすぐさま知ることになる。
「魔法も同じことでな、信じる者がいなくなってなくなってしまっただけじゃ。だが、それを真に信じる『登場人物』が世界を改変してしまえば……」
科学はそういった想像の余地にあったものを駆逐してしまったが、インターネットの発達は『登場人物』を生み出し、再び状況を変えてしまったようである。中原や加村の血筋も、ここに大きな意味を持つことになったのである。迷惑な話だった。
「とにかく、お主らの血には確かに力がある。短い期間で魔法を覚えることができるじゃろう」
相変わらず回りくどい魔女であった。
「さあ、修行を始めるとしようか」
両腕を仰々しく広げると、厳かさを装って彼女は言った。
「……」
「……」
「……」
「……あの、修行始めるんですよね?」
両腕を広げたポーズのまま、問われた魔女は固まっていた。
「なんか半年くらい待たされてる気になるんですが、できればすぐにでも事態の解決に向けて動き出したいんですが」
「修行な……そう、修行であった。どうしたものかの」
あまりにあっけらかんとした調子で、そのように魔女はのたまわれた。
「魔法、使えるようになっとらんか? これだけ魔力が世に溢れているんじゃから、修行なんかしなくても気合でどうにかなるじゃろ」
「そんなこと言われましても、魔法の使い方だなんて言われてもよく分からないんですが」
「よいか。今この世界の世界法則はどのように書き換えられていると思う? 」
「……あれだ。指先に炎をイメージして力を込めてみたりとかだな、」
「……はて、どうしたものかな」
加村は大げさにため息をついた。
「ええ……使えるようにしてやろうとか言ってたのに。ガッカリですわ」
「痴れ者め! 我は使えるようにすればよいと提案したのであって、使えるようにしてやるなんてこれっぽっちも口に出しとらんわ! 物事の本質を捉えず自らの都合の良いように解釈をしておいて、あまつさえ失望したなどとは片腹痛い!」
「何で俺怒られてるの」
「知るか」
中原としては、少しでも建設的に物事を進めていく必然性をひしひしと感じていた。なにせ半年もの間ほったらかしにされていたような気分なのだ。
「先程、すでにお主たちは我のつか……、オホン、新たな魔法使いとなる契約を済ませたのだ。あと、魔法が使えるようになるには本人の気合しかあるまい」
「先程といいますと、リストから魔法を選んだ時点で、ということですか?」
魔女が何らかの非常に不穏な単語を慌てて引っ込めたことを中原は感じ取ったが、追及は避ける。建設的に物事を進めなければならない。
「その通り。しかし大体我が契約を結んできたのは魔法に関してそもそも素養の高い生物であったからな……」
かきかけ
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