魔法使いの侵攻 4
後処理に手間取る間に、とうに朝がやってきている。オフィスに着いた中原と加村を待ち構えていた上司、芦本博美はすぐさま現場報告を求めてきた。事前に電話で簡易報告した時にも感じられた彼女の怒気は今に連綿と続いており、膨らんですらいるように思われた。
「なんで逃がしたかなー。なんで逃がしちゃったのかなー」
日本文芸振興対策センターのセンター長である彼女は、机に頬杖を付き、直立不動の姿勢を取った中原と加村を見上げてきていた。こうしてデスクについて姿勢悪くしていると、多くの者は彼女をとても小柄だと感じる。もっとも、立ち上がったとしても小柄という評価は変わりそうもない。
年齢は三十台前半の中原よりずっと若いが、それにしても愛らしいと一部の者に評される童顔もあって、とてもいい大人には見えなかった。そのトータルの見た目はどうみても、犯罪的に若々しい。いや、合法的であるゆえに一部の者がファンクラブを構成していたりもするのだが。
「かたっぽの魔法使いはあっさり『退場』させちゃったのはいいとするよ。もうかたっぽはヒアリングもできずに逃げられた、と。大きい図体してなんて体たらくなの? データラグがあるの?」
「お、うまい」
ヒュウ、と加村が口笛を吹き、中原も小さく賞賛の拍手を送った。
「うまくないから。恥ずかしいからやめて」
耳まで真っ赤にして両手で顔を覆ってしまった芦本の頭を、中原がなでてやっている。それを尻目に、加村は懐から取り出した黒い封筒を机に載せた。赤ローブの男が遺していった『夜会』への招待状だ。
「でかい図体で得られたものとしては、この『夜会』とやらの招待状があるんですが」
「ふーん。ちょっと顔赤くて出せない感じだから中を読み上げて。読み上げてくれたらいいから」
「別に出してくれてもいいっすよ、かわいいお顔」
わずかに開いた指の間から覗かせた目にキッとにらみつけられ、加村はいかにも楽しそうな笑みを浮かべている。
「話が進まないんだよ」
加村から招待状とやらを取り上げた中原は、書かれた内容を読み上げていく。
「えーと、『その座を手にした者は、あらゆる世界を統べられる。夜会。最高位の魔法使い、魔王を選出するための大抗争。その抗争への参加条件は二つ。魔法使いであることと……』」
「だめ、だめ!! そこまでよ中原! 何かに似てる!! すっごい似てるから!! それ以上読んだらきっと良くないわよ!」
芦本は立ち上がって大きく背伸びし、中原が手にした招待状をひったくってきた。加村も芦本とは対照的に体を縮こまらせてガタガタと震え始めている。
「何がですか? どうしたんですか二人とも」
中原には二人の豹変した理由がよく分からず、首を傾げるしかない。
「あんたね、小説とかアニメとかいっぱい見て『世界観』の予習しなさいって、いつも言ってるのにやってないでしょ! 当然触れておくべき、いろいろ一石を投じて影響力もものすごいすばらしい物語なんだからね!」
「あー、これって何か有名なお話の一説をパクっちゃってるんですか?」
「キノセイダヨ、ウン。リスペクトリスペクト」
加村はなぜかカタコトになっていた。中原は上司と年下の同僚が平静さを取り戻し、落ち着くのをじっと黙って待った。静かになるまでに三分間かかり、彼はなんだか小学校の教師になったような気分になった。
「コホンコホン。まあともかくあれね。自分の力的なもので最も強い的なことを証明的ななにかしらにより、欲する的な一つきりの魔法使いの王の座を得ることができるというわけなのね」
「おお、単語をごまかしつつ文章の順番を変える姑息なテクニックですね」
腕組みをした加村が、うんうんとしきりにうなづいている。
「戦って最後の一人になった魔法使いが、魔法使いの王になるということのようね。大きく異なっているのは……じゃなくて、気にかかるのは、参加条件が招待状の所持になってるのと、その数を明言していないだけども」
「そのことなんですが、どうも二人の魔法使いは別々の『物語』からやってきているようですね」
加村が『どんなもんでも観測器』で調べたと言っていたのを思い出し、中原は付け加えた。彼が一息ついた後には、加村による余計な付け加えも付いてきた。
「……まあ元ネタもそんな感じですけど」
「それ以上続けるんじゃないわよ。しかしそれはどういうことかしら。元々色んな『物語』から『登場』してきていた魔法使いに招待状がきたとかならいいんだけど……」
そう言うと、事態の深刻さを示すかのように真剣なまなざしで招待状を見つめ、芦本は黙り込んでしまった。
もしも招待状の出し主に、選び出した『物語』から未練を持った『登場人物』を『登場』させる――召喚することができたとしたら。
急に流れた重い空気を破ったのは、ようやっと再び口を開いた芦本だった。
「考えるのも恐ろしいけど……『文芸作品による侵攻』現象の解明に迫ることができるかもしれないわね……」
「なるほど」
「これは一大プロジェクトになりそうね。というわけで一計を案じることにするわ」
「ふむ」
「あんたたちのどっちか、この招待状を持って『夜会』に参加しなさい」
小さな両手でそれぞれに指差され、中原と加村は顔を見合わせる。すぐに向き直った彼らは、同時に机に手をついて身を乗り出し、全力で提案を否定することとなった。
「魔法使い同士の殺し合いにですか!?」
「俺たちにそんな無茶させようっていうんですか?」
ふふん、と芦本は得意そうに鼻を鳴らした。
「我がセンターには頼れる研究施設長がいるわ。そう、彼女は魔法のプロフェッショナル。彼女に教えを乞い、『機密道具』で魔法使いたちを全員叩きのめすのよ!」
芦本の力強い宣言に、中原たちは同時に一つの顔を思い浮かべた。日本文芸振興対策センターの研究施設長といえば、確かにその道のプロである。彼女は膨大な魔力を持つ魔女であり、膨大な知恵を持っていた。『登場人物』でありながらその能力を買われ、様々な条件付きで現実世界に残ることを認められた、という特殊な経歴を持つ。
今はこのセンター地下深くの施設で『機密道具』の研究と改造を一手に担っている。数年前の彼女の就任後、日本は一躍『機密道具』研究の分野において世界最先端に躍り出た。
それだけの能力を、彼女は持っていた。
「あの人が『夜会』に参加すればいいんじゃ……」
「彼女の身を危険にさらすわけには行かないわ」
やれやれそんなことも分からないのか、といった風情で芦本は首を振った。
「俺たちの身の危険は?」
「大丈夫大丈夫。大丈夫よ。滅多なことは起こらないわ」
色々と矛盾していた。
「大体一人で参加しろだなんて、そんな重要な任務には無茶があるんじゃないですかね。もっとこう、プロジェクトチームを組むとか」
中原はせめてそう提案してみたが、芦本は彼らの話を聞くような隙を与えてはくれなかった。
「じゃ、彼女と相談してくるから、ちょっとそのまま待ってなさい」
言うが早いか、とてとてと駆け出してオフィスを出て行ってしまったのである。
「どうするんだよ。お前、出るのか? 『夜会』」
「えー……面白そうだけど一人でやるのはなあ」
どうやら参加しようか悩んでいる様子の加村の肩に、中原は手を置いた。
「その線でいこう。ややこしい『夜会』だとかに巻き込まれるのはごめんだ。いつも通りに業務の一環として魔法使いを倒していくんだ」
「どうやってそうなるように持ってくんだ?」
「二人でなければ危険だから参加しないと言い張るんだ。そして、魔法使いを倒すうちに二枚目の招待状が手に入ったら、二人して参加するということにするのさ。で、実際は捨てるなりして、招待状が事案解決まで手に入らなかったということにしてしまえばいい」
「なるほどな。それならいけるかもしれん」
ひそひそと企てをしていた二人の元に、芦本が帰ってきて開口一番に言った。
「研究施設長のところにも招待状が届いていたそうだわ。譲渡してくれるそうよ。よかったよかった。ともかくこれで二人一緒に参加できるわね」
彼女の言葉に腰砕けになった男二人は、その場に座り込んでしまった。
「とりあえず簡単に説明はしておいたからね。私はまだまだ仕事があるから、応接室で今後について三人で話し合いなさい」
「三人?」
「研究施設長を連れてきたからよ」
芦本の言葉に、中原は身体を少し震わせた。いつの間にかオフィスの室温が下がったような錯覚を覚えたのである。しっとりと身体に巻きつくように、その場の空気が変容しつつあると感じられた。
「センター長、俺たちだけで彼女と話をしろと?」
「そうだけど、問題はあるかしら?」
「ぶっちゃけ俺、あの人苦手っすわ」
加村が無遠慮に広い肩をすくめたと同時、芦本の背後から顔を出し、滑るように中原の前に進み出てきた姿があった。
「お主とちゃんと会うのは随分と久しぶりじゃのう」
滑るように? 違う、彼女の足は床から浮いていた。細く、すらりとした肢体が確かに浮かんでいる。絹のようになめらかな銀髪は彼女の背よりも幾分長く、けれどその先端は地に着くことなくふわりと巻かれて揺れていた。
完璧なまでに卵の形をした彼女の顔は、まるで西洋人形のように整っている。
その肌は卵の殻みたいに無機質で、光に当てると透き通りそうな白さで見る者の目を奪う。かと思えば、一方では剥き身のゆで卵じみた滑らかさ、そして恐らくは柔らかさをも持っているであろうことを感じさせるのだった。
魔女と呼ばれる『登場人物』、研究施設長ルーチフが、芦村とそう変わらない背丈でもって中原を見上げていた。
「もう少しセキュリティが甘ければ、日参するところなんですがね。一般職員の我々には、許可なく研究施設に近付くことが許されておりませんので」
「心にもないことを言うでないわ」
応接室まで先導しようと歩き出した中原の背後で、鈴の音のような声が止み、並びかけてきた魔女がその小さな高い鼻を鳴らした。
「我に現世のことをいろいろ教えてくれるといったのは、お主なのだぞ。それもまた、条件の一つとして、我は『機密道具』研究を引き受けたのじゃ。責任は果たしてもらわねばな」
彼女は足を動かすことなく中原を追い越しながら、顔を覗き込んできた。彼女は重く、冷たい空気をまとっている。中原にはそう感じられ、彼女を苦手と感じる理由の一つとなっていた。彼女の発散する霊的なエネルギー、端的に言えばオーラが、目に見えない圧力となって彼を包み込もうとするように思われたのである。
「善処させていただきます」
ともかく、中原はそのように答えた。
そもそもは彼女がこの世界に残りたいとダダをこねた――本人に言わせれば別の表現になるだろうが、中原にはそう感じられた――ことから、『機密道具』研究という席を用意することになったのだが、この場にいる誰も、それを指摘しなかった。彼女の滞在許可ないし招聘は大正解といった結果を残していたし、彼女の気分を害することにメリットは何一つなかったからだ。
オフィスの構造を把握しているかのようにスムーズに、魔女は迷いなく机の間を縫って進んでいく。応接室の前までやって来た彼女は、ドアノブを小さな手で掴み、一番に部屋に入った。当然と言わんばかりに上座に着くと、中原に座るよう促しながら腕を組んでみせる。
「しかし、魔法使いの抗争とはのう……」
細い絵筆で描いたかのように形のいい眉をひそめ、彼女は対面する席に座った中原を見やりつつ続けた。
「既にこの世界に現出しておる我の元にも、招待状が届いておる。この我を呼び立てようとするとは、不遜な輩よ」
「あなたにも、招待状を出してきたのが誰なのかは分からないのですか?」
「実の所分からぬ。届いたばかりであるゆえな」
魔女があごに手をやったところで、閉じられた扉の向こうから小さく加村の声が呼びかけてきた。
「あ、あの、俺無視されてんじゃないですか?」
「我のこと、苦手なのじゃろ?」
「……帰っていいですか? 俺帰るわ、うん」
「おう、はよ去ね」
「待て待てっ」
その場は中原がなんとか取り成し、加村は中原の隣のソファに大きな身体を据えることを認められた。
「そういえば、招待状には魔王とかなんとか書かれていましたね。あなたもそうではなかったですか?」
肘掛に挟まれて縮こまってしまっている加村を横目に、中原は空気を変えようと切り出した。
「我は魔王ではなく……まあいい、それに似たような呼び方をされたことはあったが、ともかく一緒にしないでもらおう。それに、今は魔女と呼んでもらいたいものだな。魔王などより、余程詩的な響きではないか」
この世界で知った魔女という言葉を、彼女は余程気に入っているようだった。中原には同じようなものに思えたが、きっぱりと言い切った彼女にとって、そこは譲れないポイントのようだ。
「……魔王と一口に言っても、いろいろあるのは、お主らも承知していよう。加村といったかの、マッシブな方のお主。いくつかあげてみい」
「そうですね……悪の魔王と、そうでもない魔王、でございましょうか、魔女ルーチフ様」
魔王を語る『登場人物』は、一時より急激に増加している。『登場人物』の『文芸作品による侵攻』においていうなら、まさしくトレンドが訪れていた。きっかけはともかく、かつて『物語』の敵かたき役であった魔王の立ち位置の変化が、事実として見られる傾向である。最近は、敵かたきどころか堅気として『設定』される、悪の権化ではない魔王がとにかく多い。
強力な『設定』を携えた魔王の関わる事案は、一筋縄ではいかないものばかりだ。それが増加傾向にあるのだから、たまったものではない。にわかに巻き起こった魔王ブームは収まったが、未練を燻らせて『登場人物』となるにはタイムラグがある。そんなわけで、まだまだ数多くの魔王が『登場』してくるであろうことが予測されていた。
「長く、魔王は悪の権化としてのみ描かれてきました。ゲーテの詩に触発されたシューベルトの楽曲や、ファンタジー小説の原点『指輪物語』を例に挙げるまでもありません。日本における魔王として最もイメージされるのは、コンピュータゲームに出てくる、世界征服を狙う魔王でしょうね。最も国民的と言えるRPGのラスボスといえば、悪の魔王が恒例となっています。正確には破壊神もいましたが、魔王がそれに類する凶悪な存在であったことを示しているとも言えるでしょう」
すらすらとまくしたてる加村に驚きつつ、中原は魔女の表情をうかがった。瞳を閉じた彼女は、頷くでもなく黙って話を聞いている様子である。
「魔王の人物像を掘り下げたりする『物語』も時に生まれましたが、あくまでも少数派。さらに、そこでも悪の権化という不文律は侵されることがありませんでした。大きな転換点となったのは、やはりコンピュータゲームだったように思われます。発売から二十年が経過してなお傑作と呼ばれるこの超大作RPGでは、魔王が主人公パーティの仲間になったのです」
身振り手振りを交えたてきぱきとした語り口に、中原は半ば圧倒されていた。そういえばコイツは古き良き……いや悪き魔王の出てくるような『世界観』のゲームが好きだったな、と記憶を掘り起こす。主人公が魔王軍に入り、復讐のために出世していくマイナーなゲームのすばらしさを、酒の席で延々と語っていたこともあった。
「そして多数の模造品が生まれ始め、やがてパロディともいうべき作品群が、主流に取って代わります。魔王退治のアンチテーゼとして、あえて魔王側を主役に置いたような『物語』の方が、多くなりはじめたのです。ここまではまだ悪の矜持を大事にしていることも多く許せますが、なんと……善人の魔王なんてものも誕生し始めました。善人の魔王は、魔王を主役としたWeb小説が流行したことで、一大ムーブメントとなりました。今では悪の魔王よりも、善人の魔王の方が多いという、嘆かわしい現象が起きていやがるのです。特にエロゲーは、右を向いても左を向いても、魔王の主人公ばっかりです。ここで俺は言っておきたい。安売りしすぎだと!」
加村は丸太のような腕を勢いよく振り下ろし、ドン、と力強くテーブルを叩いた。空気までも振動したように感じながら、中原は魔女を見た。要するに、加村が彼女を苦手なのは、古き悪き魔王ではないからなのだろう、と彼は考えた。その彼女は、いつ取り出したものか、ワイングラスの赤い液体に口をつけていた。彼女がようやく口を開いたのは、加村のプレゼンテーションが一段落したと見るやのことだった。
「演説ご苦労。まあそれもあろうが……我の聞きたいのは別のことでな」
「なんすかそれ! もうちょっと早く言ってほしかったっすわ!」
「すまんすまん」
「すまんすまんじゃねーですよ。途中で止めてくれたっていいでしょう」
恥ずかしそうに大きな身体をよじらせ、ソファに身を投げ出した加村に、彼女はニヤリと笑って見せた。
「緊張でがちがちになってその姿を偽っておるより、今の方がお主らしい。今後はそのように接するが良い。敬語もその、くだけた物言いで良い。我は上司でもなんでもないのだからな」
いつの間にか、中原と加村は魔女の手の平の上にいたらしい。冷え切って感じられた空気が、温まっていた。
「後はもう任せたぜ……」
「要するに、魔王にも、魔法のように『世界観』ごとに色々な種類がある、ということですね」
燃え尽きたような加村の言葉を受けて、中原は魔女に尋ねた。
「王にも様々な形態がある。大きく分ければ、実際に配下を束ねる権力者と、ある分野における絶対的強者を比喩する表現。まあニックネームじゃの」
「前者は国王だとかオタサーの姫的なやつで、後者は百獣の王とかフィールドの皇帝みたいなやつですかね」
中原がそう言うと、魔女の赤い瞳がキラリと輝いた。
「何者じゃ、おたさぁの姫というのは」
しまった、と中原は内心で頭を抱えた。彼女は常に新しい知識に飢えており、貪欲に吸収したがっている。別の世界からやってきた彼女にとって、見るもの知るもの、その全てが新しい知識なのだった。彼と加村は彼女に乞われ、この世界のことを色々教えることを約束していたのである。
始めのうちは中原も彼女に協力的であったが、ここ最近は足が遠のきつつあった。彼は聞き上手だったし説明も不得意ではなかったが、善意で行うには限度が存在していた。なにせ彼女は、常識の全く違う異世界からやって来て、知りたいことの全てを知りたがったものだから。
「うーん、俺にもよく分からないんですが、まあ男性が多くを占める閉鎖的なコミュニティにおける、女性というか……」
どう説明したものかと中原が言葉を選んでいると、加村が意外に早く口を挟んできた。
「オタクの説明は前にしたっすよね」
「世間と距離を置く孤高の求道者だったか」
加村の始めたオタサーに関する偏った説明を聞き流しつつ、一体いつの間に、何を教えているんだ、と中原は思った。苦手といいつつ、なんだかんだで彼女の元へ加村は通っていたのだろう。彼にはそういった律儀なところがあった。実際には仕事をサボりたかっただけかもしれないが。
「要するに、魂において相反しあう因果存在というライバルのおらぬ特殊な環境化において、本来以上にあがめたてまつられる女性ということか。どちらの意味の王でもありそうじゃが、まあ前者で構わんだろう」
長時間にわたった説明が終わり、合点がいったように魔女は頷いた。彼女が満たしつつある知識は、もしかしてどんどん偏っていっているのではあるまいか。ライバルというものの定義についても、教えなおさなければならないだろう。今後、彼女の元を訪れる頻度を増やさねばならなさそうだった。
「さて次は魔じゃが……これはもう解釈次第でいくらでも出てくるであろうな。いくつか例を挙げてみよ」
中原はペンを取り出し、備え付けのメモ用紙にいくつか書き付けた。色々な『物語』を思い起こしながら、魔の付く言葉を並べていく。
「魔族、魔物、魔獣、魔人、魔神……悪魔、妖魔……魔界、魔境……」
「一般によくあるのはそれくらいかの。種族や人から見た分類が多いが、最後の二つは異世界じゃな」
魔女はメモ用紙を取り上げて畳み、角に小さく折り目をつけて破り取った。二つの親指大の紙片が出来上がり、魔女はそれぞれに『権力者』、『比喩表現』と書き入れるよう中原にうながした。
「で、それぞれの魔に、先程挙げた二つの王が組み合わされるわけじゃな。魔族の長である魔王と、魔族の中の魔族として魔王と呼ばれる者、といったように」
言いながらメモ用紙を広げなおし、中原が並べた魔のつく言葉に次々と小さな紙片をあてがっていく。
「実際には、王にも魔にももっと細かい分類があるわけじゃから、組み合わせの数は膨大となるわけじゃ。そもそも人間は、人間にとって仇なす物を魔と呼んできた。生理現象から、邪とされる感情、度を過ぎた趣味など……」
「なんでもかんでも、魔のせいなのねそうなのね、ってなものっすね」
「そして、そのそれぞれに王がいてもおかしくはない」
「例えば、睡魔王、といったような?」
「ま、ただの居眠り小僧のあだ名かもしれんが、魔王には変わりないわな」
不快そうな微笑と共に、魔女はメモ用紙をくしゃくしゃと丸めながら言った。
「で、要するに我はそういう輩共とは違っておるし、一緒くたにされることを望まぬ。我を魔王などと矮小な存在と呼ばぬことだ」
結局そういうことが言いたかったらしい。不要な道筋を辿ったものだった。この魔女は普段退屈しているのか、とにかく話が回りくどく、長い。問答好きでもあり、その機会を楽しむことに貪欲だ。中原は彼女のそういったところを特に苦手にしていた。一方では微笑ましい要素でもあったが、少なくとも頻繁に会いたいとは思えないのだった。
「紹介状の文面からは、魔法使いの頂点に立つ者を魔王と呼ぶらしいな。実権があるのかどうかは分からんが」
「そして、その魔法使いの王を決めるのが、『夜会』とやらである、と」
「そこに参加すべく、お主らを立派な魔法使いとなるよう、我が鍛え上げるというわけだ」
「別に立派になる必要はありませんがね。この一件が終われば、魔法が使えなくなるくらいでいいんです」
中原は釘を刺した。条件として魔法使いに当てはまれば、それでいいのである。あまり常人とかけ離れたくはない、というのが彼の考えだった。
「もちろんそう簡単に魔法使いにはなれんよ。長く苦しい修行が本来なら必要だ。幸い『夜会』とやらが始まってから、この世界にはマナ……魔力が溢れておる。溢れるマナの中でのみ、魔法が使えるようにするなら、短期間の修行でも大丈夫だろうて」
修行というものは最近の『物語』でも嫌われつつあるような要素らしいし、なんにせよ短時間で済むらしいというのは、中原にとって有難いことだった。
「まずその前に、お主たちの魔法使いとしての呼び名を決めんといかんな」
「そんなものが必要なんですか?」
ペンを手に取り考え込みだした魔女に、加村が尋ねた。
「本来の名前を魔法使いに知られて、得することは何もないからのう。術式によっては対象者の名前が鍵になっていることもある。そのような魔法の使い手に名前を知られておれば、非常に魔法にかかりやすくなる。そうじゃな、お主は見たまんま、マッシブ野郎、これでいいじゃろ」
「適当っすね……」
「お主は単純だから、単純な名前でいいのじゃ。で、お主は……浮き草野郎じゃ」
ペンで指され、中原は一瞬の躊躇の後で反論をおこなった。
「俺は浮き草生活なんてしちゃいない、定住者ですよ」
「別に浮き草は定住先を持たぬ者だけの比喩表現ではない。ふわふわふらふらと、物事に興味を持たず、物事に捉われず生きている。そして、心の奥底では失った何かを求めてさまよっておる。そういう感じをお主から受けるのじゃ」
「俺の何を知ってるって言うんですか、あなたは」
「いろいろと」
散々な言われ様であったが、中原は反論を重ねる前に別のことに気付き、声を上げた。
「加村、お前」
「何だ?」
「屋上で魔法使いたちをふんじばった時、フルネームで名乗ったろ! ご丁寧に名刺まで見せて! そいつを使って、赤い方に呪いをかけられたじゃないか!」
「あいつは消えたから、呪いも消えたはずだろ」
「違う、もう一人、お前の名前を知ってしまってる。俺たちは、あの女魔法使いに逃げられた!」
「あ……そういやそうだな、まずいか?」
「まずいのう。その魔法使いとは、早々に接触する必要があるじゃろうな。後になればなるほど、禍根を残すことになろう」
魔女の表情に、事態の深刻さが陰となって表われていた。中原は結局反論の機会を失い、浮き草野郎をコードネームとすることになる。
こうして魔法使いの卵、『浮き草&マッシブ野郎』のコンビが誕生した……してしまった。
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