魔法使いの侵攻 3
日本文芸振興対策センター職員、中原と加村が交し合ったのは、のんきで独創性に欠ける感想だった。
「すさまじいもんだな」
「すさまじいね」
魔法使いの二人は、どうやら交戦中であるらしい。中原たちが見上げる上空で火球や電光が乱れ飛ぶも、互いに決定打とはなりえていなかった。彼ら、あるいは彼女たちが互いにかわし、逸らしあった魔法がビルに次々にぶち当たり、無惨な破壊の限りを尽くしている。
二十一世紀の東京のオフィス街の空に、魔法が飛び交っていた。
彼らにとって、こうした光景は珍しいものであっても、ありえない光景ではない。職務を果たすためにここまでやってきた。『物語』の世界からやってきた『登場人物』への対処である。簡単に言うなら、退治だ。
改めて確認しておくと、魔法というのは、常人には不可能な手法や結果を実現する力のことである(Wikipediaより)。中世ファンタジー風の『世界観』の『物語』の『登場人物』が行使能力を『設定』として所持していることがある。いわゆるファンタジックな不思議な力である。
こんな『設定』を持つ『登場人物』が『文芸作品による侵攻』を行ってくると、大気中に魔力はあふれるは、一般人が魔法を使い出すは、なんだか街が中世ヨーロッパ風に変貌していくはで、これはもう大変なことになってしまう。
なんでもアリの、そういうものなのだ、『世界設定改変』というのは。
よく見ると、二人の魔法使いの術式は異なっているようだ。一方は言葉に魔力を載せて魔法とし、もう一方は宙に浮かぶ魔方陣より魔力を発動させている。
「それぞれ別の方法で火球を放ってるように見えるな」
「『世界観』が違うのかね? 同じでも、違う方式があることもあるけど」
いわゆる『世界観』というのは、『登場人物』のいた世界のもつ『設定』のことである。彼らの出身世界での物理法則、自然法則と言い換えてもいい。『物語』それぞれに異なっている場合が多く、それは風習、文化、生活環境、身体能力、知性の程度など、『登場人物』の根幹に関わってくる要素である。魔法のような事柄についても、それは同じであった。
例えば、とある世界では魔法を唱えることで火球を放つことができるとする。一方、別の世界では魔方陣に魔力を込めることで火球を放つことができる、といったような違いがあるわけだ。
魔法を使う者を魔法使いと呼ぶことが『物語』においてはままあるが、これは『世界観』により称号であったり、職業であったりと様々だ。また、魔法も様々な種類がある。黒魔法、白魔法、錬金術、呪術、奇術、妖術、仙術、精霊魔法、属性魔法、神聖魔法に召喚魔法と、枚挙にいとまがないほど種類が多い。術式と呼ばれる魔法の発動方法も様々である。魔術というのもまた別に存在する。大体は同じものなのだが。
ともかく、魔法が登場する『物語』の数だけ、異なる魔法と魔法使いの定義があるといいきることができるだろう。二次創作となれば別だが、それらから『登場人物』が現れた事例は確認されていないのだ。
それぞれの魔法だの魔術だのの違いは、実の所、現場の中原たちにとってはよく分かっていない。同業者にも発動に魔力を必要とする能力、と言う共通点だけを意識している者が多い。加村が魔法と異能力を一緒くたにまとめたように、なんかすごいちからだ、と分かっていれば問題はなく、それで十分だったのだ。それぞれに異なる対処法など作ってはいられなかったし、対処法たる『機密道具』は研究者の手により、あらゆる魔法に類する現象に対応できるように改造されていたのである。
面倒なので、彼らの業界では、魔法の行使者をひっくるめて『魔法使い』と呼ぶことになっていた。
「とりあえず行きますかな」
「あいよ」
加村と二人して、靴のかかとに付けられたスイッチを押した中原の体に働いていた重力が、反作用により感じられなくなる。『機密道具』の一つ、『ヘルメスの靴』は、空を自由に飛び回る能力を与える力を持っているのだ。
彼らは空に舞い上がると一気に加速し、交戦中の魔法使いたちへの接近を図った。
「おーい、君たちー! 降りてきなさーい。やめなさーい」
加村が手を大きく振りながら叫んだ。突然の闖入者を認め、魔法使いたちの動きが止まる。
「なっ、邪魔が入るとは!」
赤いローブをまとった方が信じられない、といったように叫びを返し、身構えた。
「奴らも魔法使いか……何人参加しているのやら。ワシは実戦派でもないのだが」
呟いた赤ローブに、火球が迫る。青いとんがり帽子を被った方が、油断と見てしかけたのだ。
「やめなさいって言ってるでしょうが!」
腰に下げていた魚の形のひょうたん、『吸い込め紅カサゴ』を取り出してふたを開け、加村がそれをかざす。みるみるうちに炎はひょうたん型の『機密道具』に吸い込まれて消えてしまった。
「とりあえずやめなさーい! こんな時間に何してんのー!」
酔っ払いの喧嘩を仲裁に来た警官のようにホイッスルを吹きながら、加村は二人の魔法使いの間に割って入っていった。
「私たちは魔法使いの覇権を争っているのだ。邪魔はしないでいただきたい」
青いとんがり帽子を被った方の魔法使いが口を開いた。口より上がマスクのようなものに覆われて見えないが、声を聞くにどうやら女性らしかった。
「お前たちも魔法をたしなむようだな。邪魔をするというならお前たちも消すまでのこと」
彼女はそう言って、手にした棒状の物を加村に向けた。
その前に、傍観していた中原も魔法のステッキを構え終わっていた。『モルボルゲンステルン』という、これもまた『機密道具』である。極彩色の光がステッキの先端から放たれ、二人の魔法使いを次々に射抜いた。
数ある状態異常付与魔法の中から、望んだ効果の魔法を放つ『機密道具』から彼が放射したのは、沈黙の魔法だった。抵抗に失敗した者の口を利けなくさせるだけでなく、魔法を使えなくさせる効果も併せ持った優れものだ。
二人の魔法使いは口をパクパクと動かしたが、声は出なくなっていた。効果があるかどうかは賭けでもあったが、幸いにしてたいしたレベルの魔法使いではなさそうだ、と中原がつけた当たりは外れていなかったようだ。
「中原サーン、沈黙させたら魔法が解けてこいつらが落ちるでしょー!」
「あ、そうか」
警官口調のままでたしなめてきた加村が、空を蹴って赤いローブの方へ向かった。とがめられた中原も、慌てて青とんがり帽子の方へ飛ぶように駆ける。魔法使いたちは空中で自分の体を制御する術を失ってしまい、遥か下の地面への落下を始めていた。
「重っ……!」
なんとか女性を空中でキャッチした中原の元へ、悠々と赤ローブの男の首根っこを掴んだ加村が駆けつけてくる。
「ほれ、寄こしな。力仕事は俺の仕事さ」
申し出に甘えることとし、中原は加村の空いた手で青いとんがり帽子の魔法使いを支えてもらうことにした。
「ヒアリングしないといけないんだから、喋れなくなる沈黙はうまくない手だったな」
ヒアリングとはいわゆる聞き取り調査のことだから、口が利けなければ当然成り立たない。中原から女魔法使いを受け取りながら、加村は遠慮なく駄目出しをしてきた。年齢では中原が上だが、彼と加村の間に遠慮というものはない。
「どうもこう、荒事って苦手なんだよ。慌しいと、とっさに考えがまとまらなくってな」
「まあ、お前の場合は調査の方で力を発揮してくれりゃいいのさ。実際、荒事をやる方が、俺は好きなんだ」
ニカッとさわやかな笑顔を見せた加村と共に、中原は手ごろなビルの屋上へと降り立った。なんだこいつらは、という目で見てくる二人の魔法使いは、ひとまずロープで縛り付けていくことにする。
「日本文芸振興対策センターの加村敦だ。治安を荒らす魔法使いのお前たちを捕らえに来た!」
「そんなに堂々と名乗るんじゃない。秘密裏の仕事なんだから」
魔法使いたちに名刺を突きつけがらポーズを取った加村に、今度は中原が突っ込んだ。
「そうだったな。じゃあ後のヒアリングは頼むわ」
「あいよ」
中原の返事を受けた加村はその場にやおら座り込み、後を任せるポーズだ。
「って言っても、沈黙状態になってるからどうしようもないだろうけどよ」
「参ったね」
「参ったな」
のんきに二人は感想を交わし合った。
それから二人で、とりあえず魔法の発動体であろうものなどの厄介そうな所持品を回収した。『どんなもんでも観測器』のお陰でピンポイントでそうした物を見つけ出すことができるものの、女性の持ち物を調べ、奪うのは気が引ける行為だ。しかし、魔法使いとあっては何をしてくるかわからない以上、仕方ないのである。
これには加村が嬉々として取り組んでいた。
「彼女のマスク取って顔見ていい?」
「やめとけ」
「ちぇー。絶対美人なのに」
「だからだよ。お前、惚れっぽいんだから」
彼女は、身につけたマスクでもって、自らの持つ何らかの魔力を封印しているらしかった。対処方法の少ない今、外してしまうのは効果的ではないだろう、と中原は判断していたのである。
それからしばらくして、魔法使い二人にかかった状態異常魔法が解けた。
「貴様ら、どういうことだ、これは!」
赤ローブの男は噛み付かんばかりの剣幕で、その声を中原たちにぶつけてきた。
「どういうことだ、はこっちの台詞なんだがな。お前たち、何をしていたんだ?」
中原は、『モルボルゲンステルン』を赤ローブの眼前にちらつかせながら応じた。中原の姿に、加村は少し引いた様子でわざとらしく口元に手をやっている。
「怖っ! お前、前の仕事の時もこんなんだったの?」
「新聞記者がこんな尋問じみたことするかよ。まあ、なんかちらつかせることはあるけど」
魔法使いの鼻先に魔法のステッキを突きつけながら、以前の仕事を思い出した中原は、少し遠い目になった。しがない零細地方新聞の記者ではあったが、少なくとも、今の仕事よりはずっと胸を張れる仕事だったからだ。
「で、何してたの?」
任せると言ったはずなのに、ごろりと床に寝転んだ加村が口を挟んできた。コンクリート打ちっぱなしの屋上だというのに、冷たくないのだろうか、と中原は場違いな感想を抱きつつ、女魔法使いの言葉の続きを待った。
「我々は誇り高き決闘を行っていたのだ。魔法使いの王を決める、『ヤカイ』に招待されてな」
「あたし? 裸体? やらしい?」
「お前の頭の中はピンク色か。ヨルのカイ、と書いて『ヤカイ』だ」
「ヨルは夜として……海にいるやつ? 沖縄の方にいるやつ」
「それは貝だろう。お前の言っているのはヤコウガイだ」
「改? やたら引き伸ばしてだらだらしてたアニメのリメイク的な?」
「それはニチアサのやつだな。もう終わって超になったけどな。引き伸ばしは元々が連載に追いつかないように……」
「ストップストップ! 漫才やってるんじゃないんだぞ」
見ていられずに、中原は両手を上げて割って入った。
「あんたもあんただよ。なんで律儀に乗ってあげるんだ! こいつはすぐ調子に乗るんだぞ。あと魔法使いなのに日本の文化に詳しすぎる!」
「すまぬ……結構こっちの世界に来て長いものでな……」
うつむいてしまった赤ローブに変わり、青いとんがり帽子を被っていた女性が口を開いた。とんがり帽子は魔力を持っていたので、取り上げてしまったのである。
「人と出会う、の字よ。下がカタカナのムみたいになってる方ね」
「『夜会』かぁ。ありがとうよ、お姉さん」
後ろ手に縛られた彼女の手を取り、加村が握手をしようとした。当然、彼女にはぴしゃりと払いのけられてしまったのだが。
「ある日、私の元に招待状が届いたのだ。空から、ひらひらとな。そこには『夜会』への参加要請がしたためられていた。その男の所にも同様に届いたことだろう。そして今日、私たち、招待状を持つ者同士が相対したというわけだ」
「なんのこっちゃ。で、その『夜会』ってのはなんのパーティなんだ?」
「この東京とかいう街に世界中から集められた魔法使いが、互いに争う、そう、戦争が行われるということだった。それが『夜会』だ。最後に勝ち残った者が、魔法使いの王となることができるそうだ」
世界とは、どういうことか。中原は思案をめぐらせた。一つの『物語』ならいいが、どうも二人の魔法使いの術式は大きく異なっているようだ。やってきた世界が違っている可能性も大いにありそうだ。
服装や所持品からしても、そこに書かれた文字からしても、完全に文化レベルからして別だという可能性を示していた。
彼の直感は告げている。これはどうやら非常に面倒くさい事態らしい。
「何で東京でやるのかねー」
「まったくだ」
「他のとこでやってくれたらいいのに。まあそのお陰でお姉さんと会えたから、俺はいいがね」
「魔法使いの王とは何なんですか?」
ナンパを始めた加村に見切りをつけ、中原は元青とんがり帽子の女魔法使いに尋ねた。
「あらゆる魔法使いの、頂点に立つ者よ」
「最強の魔法使い、ということだな。このワシの魔力にふさわしい」
「なってどうすんの?」
「え?」
加村の問いに、赤ローブの魔法使いが呆気に取られたように聞き返してきた。加村はそれに、さらに疑問を重ねる。
「魔法使いの王になったら、なんかいいことあんの?」
「なんかすごいだろうが!」
「なんで?」
「なんでって……頂点に立つ、王になるのはとても意義があることだ」
「王になって何すんの?」
「発揮仕切れずに終わった魔法使いとしての自らの実力をだな……世間に知らしめてだな……」
「知らしめてどうすんの?」
あまり効率的なヒアリングではないな、と中原は思ったが、まあこういうのもアリだろう、と放っておくことにした。楽ができるなら、それに越したことはないのである。
今もこうして、赤ローブの男の未練を知ることができたわけだから、と中原は手早く手帳に書き写していった。
「お姉さんは?」
「私は……お前たちに教える義理などないだろう」
女魔法使いの方は手強そうであった。助け舟を出すのはもう少しいいだろう、と中原は静観を続けたのだが。
「教えてくれないと、俺たちは困っちまうんだ。場合によったら、お姉さんたちを助けてやることもできるしな」
そんなことを言い出したので、中原は加村の背中を軽く蹴っとばしてやった。
「お前、勝手なこと言うんじゃないよ」
「だってさー、今の話からすると、魔法使いがうじゃうじゃこの東京に『登場』してきてそうだろ? 味方は増やしといたほうがいいと思うぜ」
「それは俺たちが判断することじゃないだろう」
勝手なことをして、上司にどやされる時は中原も一緒なのだ。
魔法使いといえば、『登場人物』の中でも危険な部類に入る。魔法の存在は必ず、物理法則をねじまげるからだ。
今こうしてヒアリングを行っているのは、『登場人物』が、何ゆえ、どういった理屈で『文芸作品による侵攻』を成し遂げるのかを知るためである。傾向を調べ、集積し、その対策をしなければならない。
だが、魔法使いともなれば、ヒアリングせずにその場で『退場』させることも認められてはいる。ヒアリングを行うことによる危険度と利益を天秤にかけた結果だ。
実は、『登場人物』はその持って生まれた未練を晴らすことでも『退場』させることができる。だが、それを悠長に晴らしてやることはなかなかできない。その間に世界は変革を繰り返すことだろうし、例えば赤ローブの男の未練など、もってのほかだ。世界が魔法で溢れてしまうことになる。
別の『退場』いただく方法と言うと、具体的には物理的に消えてもらうことになるのだが。
「お前、彼女の容貌について『どんなもんでも観測器』で調べたんだろ」
「超美人だって。超だぜ。もったいないだろ色々と!」
便利な『どんなもんでも観測器』は、『登場人物』がどのような『設定』を『物語』内で持っていたかもつぶさに映し出す。あらゆるパーソナルデータには、もちろん容貌に関する描写も含まれているのだ。
「お前ね……」
頭を抱えた中原に、女魔法使いの持っていた短い棒をいじくっていた加村が笑いかけた。
「せっかくこんな訳の分からん仕事を命がけでやってるんだから、楽しまないとな」
「そこまで俺は割り切れやしないよ」
「割り切ってるのはお前だろ。さっさと退場させないと情が移るって」
加村の指摘に、中原は心臓を掴まれたような錯覚を覚えた。思えば、この仕事についてからどれだけの『登場人物』の命を奪ってきたことか。数えるのは、彼にとってとてもおごがましいことだった。
「あと、『どんなもんでも観測器』によれば、お二人はやっぱり違う『世界観』から来ているようだぞ。俺はそれを知るために調べていたのさ、うん」
「嘘くささしかないが……それは早く言えよ。あー、やっかいだぞ、こりゃ」
「ま、ともかく、お二人の魔法使いにご同行願うとしますか!」
元気に立ち上がった加村の体制が崩れたところに、赤ローブの男が体当たりをしかけてきた。突然の奇襲に、会話に気を取られていた加村の大きな体ががよろめく。彼が手放してしまった短棒はコンクリートの床に落ちて、乾いた音を立てた。
器用にも立ち上がって逃げ去ろうとした赤ローブを、中原は抜き撃ちした『なにもかもなかったことにするよガン』の弾丸で射抜いた。
発射されたこの『機密道具』の弾丸は、『登場人物』の命――存在を奪う力を持っている。その存在していた痕跡すら消し去るのだ。倒れこんだ赤ローブの男の姿が光に包まれていく。
「ぐ……タダで消えるわけにはいかぬ……ワシの魔法の本分は呪術……! 加村敦と言ったな。貴様に決して解けぬ、確実な落命の呪いをかけてくれる……!」
ゆっくりと伸ばされた枯れ枝のような腕は、加村の胸辺りを指していた。程なくして青白い光に包まれた加村を、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚が襲った。しかし、彼の身に確実な落命とやらは訪れることがなかった。この時、事態は既に決している。赤ローブの魔法使いの存在が、この世界から消えたからだ。
彼の存在していた事実はこの世界から消え、その残した影響もなかったことになった。確かに止まっていた加村の心臓もまた、開放されたのである。
「あぶねー……間一髪で死ぬところだった」
冷や汗をぬぐった加村の前に、ただ一つ残ったものがあった。音も立てずに床に落ちたダイヤ折りの封筒を拾い上げながら、中原は小さく舌打ちした。
「こうなるんだ、油断したら」
悪態は一体誰に向かっての物だったか。加村には中原自身にも向けられていたように思われた。
「分かっちゃいるんだがねー……」
「これが俺たちの仕事なんだよ。楽しむなんて、俺にはできないね」
中原は金のインクで装飾が施された分厚い黒封筒を開け、中を覗き込んだ。中には薄っぺらい『夜会』への招待状と思しき紙と、通しナンバーの入ったプラスチックのカードが一枚入っていた。
「そう、油断は禁物。この場は退くことにさせてもらおう」
かけられた声に顔を上げた中原の目に飛び込んできたのは、転がった魔法の短棒を口にくわえた女魔法使いだった。
とっさのことに対応ができない中原の目の前で一言なにやら唱えると、彼女の姿は痕跡を残さずにその場から消え去ってしまった。
「あー、逃げられたじゃないか」
恐らくは転移の魔法を使ったのだろう。
「参ったね」
再び頭を抱えた中原に、加村は苦笑いで答えた。すぐに『どんなもんでも観測器』を使ってみたが、既にこの周辺には女魔法使いはいなくなってしまったようだ。
「ひとまずは、破壊されたビルを元に戻さなきゃな」
中原は『タイムフロスティ』を懐から取り出しながら、加村の頭を小突いた。大きな布といった形態のこの『機密道具』は、被せた無機物の時間を凍らせ、巻き戻すことができる。『タイムフロスティ』を使えば、壊れた物も新品同様に直すことができる。時を凍らせることで、なぜこのような結果が得られるのかは中原には分からない。大事なのはそうした効果を持っているということだった。
「うわ……面倒くさい」
「誰のせいだよ、誰の」
赤ローブの男により行われた破壊は、彼がいなくなったことによりなかったことになっていた。最後の呪いとやらも同様だろう。しかし女魔法使いの残した破壊の傷跡は依然として残り、それらを元に戻さなければならなかった。確認するまでもなく、いちいち破壊された箇所に『タイムフロスティ』をあてがっていくのは非常に面倒で、時間のかかる作業である。
「帰ったらもっとめんどくさいぞ。センター長のお説教タイムだ」
「うわ……面倒くさい」
「誰のせいだっつってんだよ」
中原は『ヘルメスの靴』のスイッチをいれ、加村の背中を押すようにして空へと飛び立った。
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